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  3月31日(火) 曇り     2日目、バラ公園、博物館

朝目が覚めたら、夫は眠れないのか早くもパソコンに向かっていました。私はよく寝むれて呆れています。
海外での一日が過ぎました。昨晩は日本の物の豊富さ、サービス業界の競争などに当たり前のように慣れきって生活しているのを目の当たりに感じたことがあります。
ここのホテルには入浴時の石けんとバスタオル以外は何もありません。それは予想していて持参して来たのですが・・・・。
お湯を沸かすのにも一工夫があるのには驚きました。コンセントを差して一定時間経っているので、てっきり沸いているものと思い確認もせずにお茶を入れたところ、まだ水の状態でした。エッとよく見るとポットの下の方にスイッチあり入れてこれでOK。暫くして様子を見てやっぱりおかしい、念を入れてよく見るとコンセントの根本にもう一個のスイッチがありました。これでようやくお茶が飲めました。日本では考えられない考えられないことでした。
また夜10過ぎに遅い夕食に出たところ、店の多くが閉店し、街灯もほとんどが消えた状態で人影もまばらでした。
夕食にはありつけないなと諦めてそれでも少し探したところハンバーガー屋さんが一件見つかりました。ニュージーランドの人口の1/3が集まっていると言われるこの地方でもこんな状態なのだとびっくりしました。人口の違いはありますが、日本も少し見習って環境問題について考えてほしいと思ったひとこまでした。

昨日の暑さに比べ今日は過ごしやすいかなと思って出かけました。ここはちょうどいま秋口といったところ。暑いので(20度前後?)真夏の格好をした人も多くいます。
夫は初日から半袖、私はいつもこちらに来慣れている知人から「真夏でも寒い日もあるからセーターも持って行ったほうがいい」と言われていたので半袖は持ってなくてこちらで購入しました。
日本と気候がよく似ているのでしょうか、バラ園の公園に咲いている花は日本でもよく見る花でした。




今日は、予定の一番に明日のバスの申し込みをしてから最後の博物館までほんとうによく歩きました。勿論そこまですべて歩いたわけではなく、タクシーやバスも利用しましたが歩く方が長くて夫は「疲れた、足が痛い」を連発していました。
植物館には沢山の小学生から高校生くらいまでの子どもたちが見学に来ていてちょうどお弁当を食べていました。昼時だったので私たちも食事をしようとレストランを探してもありません。博物館の見学を終えて結局ホテルの近くにもどって遅い昼食となりました。食後一旦ホテルにもどり休憩をしました。

とにかく市街地以外はどこに行ってもあまり人がいないこと。バラ公園でも散歩中の何人かにあっただけでゆっくりのんびり歩いてきました。
女の方がドングリを拾っていたので、夫が何をするのか質問したところ、自分は「コリアン、イギリス語ノウ」と言っていました。近くにコリアンのメモリアル塔が立っていたので韓国人も多いのかな。
散歩中の老夫婦も中国の北京の出で、移住して10年になるそうで、日本語も少し話せますと言って懐かしそうに片言をしゃべっていました。





公園の中で目立ったのは巨木でした。手入れをしなくて野放しにしてある木がそのまま大きくなったという感じの木もありびっくり。家庭の庭にも大きな木が結構沢山ありました。

夕方帰ってから一休みし、日記を書いてから再び夕食(寿司屋が近くにあるので見てきます)に町にでます。今度は何が起きることでしょうか。


  3月30日(月) 晴れ       オークランド初日

現地時間の6時過ぎに、おしぼりを配布する方に起こされて目が覚めました。窓を少し開けて見ると外はお日様で眩しい位の天気です。
機内食は夜もそうでしたが、2種類から選べるのです。夜は肉と魚から、朝は魚と卵料理かの選択です。好きな料理を食べて、夜はワインも沢山いただいてしまいました。
朝はフルーツや飲み物など沢山付いていました。美味しいものを食べて、心配していた横揺れもなく、寝ている間に到着という感じでした。日本との時差は4時間、ニュージーランドの方が早いです。搭乗時間10時間30分長い長い時間でした。
予定より1時間半くらい遅くの到着となりましたが無事着きました。
空港は田舎の空港という感じを受けました。面積は広いけれど人が少なく閑散としていていました。
入国手続きは外国はやっぱり厳しい。いくつかの関門をくぐってやっと入国出来ました。
私は言葉は全くダメ、夫がいなければ何処にも行けません。今まででも以ツアー以外は行ったことがなく、今回は着いてきただけ。でもお陰で今回は「女王様」気分です。


空港の外は看板がローマ字以外は見たことがあるような景色でした。緑が多くなんだか懐かしい景色です。

ホテルまでバスで行きました。50分くらいかかりました。市内にはバスが多く、皆さんの交通手段はバスが多いとか。
さすがにホテルのある場所は人口が多く、高層ビルが建ち並んでいました。東京とはちょっと形が違う建物が多く見られ、バスも可愛い模様入りが目立ちました。


ホテルの場所は港の近くにあります。チェックインして、機内で縮こまっていた手足を伸ばして少し休みました。心配していた花粉症も鼻が出て、それから詰まってとだんだん変化して風邪声になりましたが昨日よりは楽になりました。

今日の大きな目的は「スカイタワー」見学です。行く途中にラーメン屋さんがあり、「いらっしゃい」と大きな声に誘われて入ってしまいました。若い店員の女の子は来て3ヶ月になるとのことでしたが英語、日本語を使い分けていました。羨ましいですね。






スカイタワーは東京タワーを細く長くしたような感じで、下を見るとやっぱり足が震えました。その高いところからバンジージャンプをやっていましたよ・・・。飛ぶ人の気が知れません。飛ぶ人を途中から撮影をしようとする観光客がいましたが、あっという間で写せません。
人口の多いと言われるオークランドでもスカイタワーの客は少なくゆっくりお茶を楽しめました。外の景色もゆったりとして、とうとうニュージーランドに来たんだという実感がわきました。

帰りは近くを散策しながら歩きました。ホテルから5分くらいの所に、近くを回っている遊覧船の港があり下見をして来ました。明日、あさってとここに滞在し、クインズタウンから戻って再びオークンドに3日ほど滞在します。
ツアーではないので自分たちの行きたいところに行けるのがいいですね。「優秀なガイド」が付いていてとても心強いです。


  3月29日(日) 晴れ      いよいよ出発です

何ヶ月も前から計画をしていたニュージーランド旅行。気になっていた天気もよくなりまあまあの旅行日和になりほっとしました。
計画の途中から何やらいろいろなことが入ってきて、中止になるかもという状態にもなりましたが、なんとか今日の日を迎えることが出来ました。嬉しいやら妙な気持ちです。
今日はほとんど移動の日、朝は9時少し前にタクシーで明科駅まで行き、松本から新宿、新宿から成田エクスプレスで成田空港までという行程です。新宿で少々時間があったので南口に出て見ると相変わらずの人混みです。日曜日のせいもありますが、夫には懐かしい新宿です。
休憩をして成田へ着いたのは3時半。搭乗手続きを済ませて後は出発までに時間があるので空港内を見学しました。成田空港が出来て25年になると言っていましたが私は初めてるところですた。
国際線ですので本当に世界と繋がっているのが実感出来ました。行く人、帰って来る人ごった返しています。こんなに沢山の人が利用するんだ、さすがに広くて当たり前です。外は風が強く、寒く心配になりましたが、中にいると何も感じさせなくて気にならなくていられました。
東京に着いた頃から花粉症かと思うような体の変化が出てきました。頭重感もあり出発前からどうなるか気になりましたがなんとかなるでしょう。
成田空港は広く、87番搭乗口まで行くのにかなりかかってやっと着いたという感じでした。ロビーでは相撲の千秋楽で横綱同士の対戦が行われていました。白鳳が勝って全勝優勝、表彰式の様子を見ながら待っているとなんと出発時刻の遅れが告げられました。搭乗予定の飛行機が到着が遅れたため全体が遅れている様子でした。
当初の出発予定は6時15分、20分予定より過ぎたころに機内に搭乗が開始されました。そんなにも遅れがなくて良かったと思ったのが間違い。飛行機が動き出してから離陸までに時間がかかり過ぎ、変だなと思っていたらやっと機長から「混雑して時間待ち、3番目」だと言う放送がありました。
離陸したのが一時間後の7時半頃でした。やれやれ、ただでさえ夜の飛行機なんて初めてで不安でしたのに。ようやく離陸して空から見た夜景の成田空港は綺麗でした。
一時間後位に機内夕食が配られました。海外には何回か行っているのにフライトアテンダントが私服で年配の方が多いのにはびっくりでした。男の年配の方も多くただお世話係という感じでした。この飛行機はよくわかりませんが、ニュージーランド航空と日本航空の合同企画であったようです。日本人の男のお世話係も一人乗っていて、機長の話を訳して放送してくれました。
狭い狭い機内(日本の飛行機よりも狭く感じた)で食後はただ寝るだけでした。


  3月23日(月) 晴れ       夫退院

晴れてはいるものの風がやや強く冷たい感じです。強風といえば昨日の方がとても強くて、私でも吹き飛ばされそうでした。雨も降って甲子園でも高校野球が順延となりました。
今日は東京近辺の方が凄い風だったようで、成田空港でも貨物機が強風のために着陸に失敗炎上、二人が死亡しと言うニュースがありました。
今月末から海外へ。成田発の飛行機に乗る予定ですので気になりましたが、無事を祈るだけです。

夫が退院してきました。1週間ぶりの我が家、天気がいいので早速家の周りを散策して写真を写していました。猫のハルちゃんも「何処へ行ってたの」という顔つきでべたべた甘えていました。
夫は昨日の夜の落ち込んだ姿はなく、意外と元気そうだったのでほっとしました。外国旅行も医者に相談したところOKが出たというので安心したのでしょう。ちょっと慣れないものをぶら下げて大変ですが予定通り行きたいです。帰国後は大きな手術が待っていますが、暫くの間忘れて楽しんで来たいと思います。

職場では20日の春分の日から今日まで「お彼岸デー」という「おはぎ」を中心とした特売日でした。特売日の間、びっくりするくらい売れた日もあれば、さっぱり売れない日も結構あります。
「商売はみずもの」とはよく言います。水商売ですから挨拶はいつでも「おはようございます」です。思ったより売れ行きが悪いので店長の朝礼も行われるようになりました。
今週は一週間連続勤務になり少々疲れ気味です。旅行に行くため沢山休むのでそのしわよせがきて、入院中の夫の世話もほとんど出来ませんでした。お昼時にお弁当を持って一緒に食べて来るというだけでした。
今度の手術の際は相談して休ませてもらうようにしたいです。

次は職場の休憩室での給付金についてのちょっとした会話です。
Aさん「池田はいつ頃の支給になるのかな」
Bさん「池田は全額はもらえないよ」
Aさん「え、どうして?」
Bさん「半分は町長の税金返金に回すんだって」
Aさん「ほんとう?」・・・
明科、穂高の人にからかわれて池田の皆さんお笑い。そのくらい池田町町長の税金問題は超有名です。


  3月21日(土) 晴れ      選抜高校野球開会式

日中は暑いくらいの天気です。この暑さで桜の開花も早まったと言うニュースばかりです。池田はいつ頃になるでしょうか。
ついうっかり忘れていましたが、洗い物をしながらテレビを見ていましたら、選抜高校野球の開会式がありました。あ、そうか今日からか。
2〜3日前に沖縄の同級生から新聞が送られて来ました。何も書いてなく新聞が入っているだけでしたのでよく見ると、「沖縄の興南高校と富山商業が対戦」という記事が載っていました。
富山を離れてまもなく4年になります。申し訳有りませんが何処の学校が決まったのか、特に選抜ですので北信越の代表になるし気にもしていなかったのです。友人にしてみれば、私が長い間富山にいたので住所は長野でも気持ちは富山だと思ったのでしょう。わざわざ有り難うございました。
もともと好きな高校野球、気持ちを込めて入場行進を見ました。昨年の選抜では沖縄の尚学高校が優勝しました。今年は残念ながら代表にはなれなかったようで、選手2名が優勝旗返還に来ていまいた。その昨年の優勝旗を先頭に入場行進が行われていました。南九州代表の興南高校もしっかり手を振って行進していました。
私の応援の順序は沖縄、富山、長野という順番になります。25日に沖縄と富山が対戦するようですが、一番にはやっぱり沖縄を応援するでしょう。
引き続き第1試合を見ていましたら、大阪の金光高校と倉敷高校の対戦でした。両校校とも良く打つ試合でした。先制点を取った金光高校が毎回有利に試合を進めていましたが、倉敷高校もすぐ追いつきシーソーゲーム。9対9の同点になり延長戦になりました。びっくりしたのは9回の表。9対6で誰もが金光高校の勝ちだと思っていたでしょう。暫く目を離している間に9対9になり延長戦に突入。延長13回で倉敷高校の逆点勝ちという結果になりました。本当に凄い開幕戦でした。

夫が検査入院して6日目、毎日池田ー大町を往復しています。今日は外出をするというので病院での昼食後に一緒に家に帰ってきました。夫には久しぶりの外の空気、天気がいいので気持ちが良かったと思います。
来週退院してからすぐに仕事が待っているので、その打ち合わせに行くとのことで車を持って行きました。無理をしないように願っているのですが、代理の先生もすぐには見つからないので仕方がありませんね。夜荷物を持って行ったら尿の留置カテーテルをしていて、なんだか重病人になった感じでした。尿の回数が多いので慣れるまでの処置だそうで安心しました。


  3月17日(火)晴れ

今日は歯科の予約、朝一番の予約が取れなかったので10時半になり困っていました。とにかく少しでも早く行けばなんとかなるかなと甘い考えをして出かけました。受付で「時間までまだ有るので待っていて下さい」と言われがっかり。しかし、しかし少し早めに呼ばれ良かった。
夫の手術の日ですので気が気でなりません。手術は午後からですが少しでも側にいなくては・・・と。予定より早く終わったのそのまま大町の病院へ。松本から大町まで、池田を通り越していきます。

病院に到着したら夫は点滴を受けていました。午前中は点滴をして昼食抜き、手術は2時過ぎになるのではないかと言うことでした。麻酔は腰椎麻酔で行われるそうです。結局顔を見ただけで帰ってのですが、今「内科医師がやめてつぶれるかもしれない」という噂の渦中にある大町病院とはこの病院なんだとついキョロキョロと見回してしまいました。
何処の病院でも外来患者は満員で、入院患者も結構入っているようですし、一見しても経営状態はわかりません。何はともあれ泌尿器科のお医者さんは名医であってほしいと祈りました。入院中は毎日通う病院、今まで見えなかった周りの風景もよく見えるようになりそうです。


  3月16日(月) 晴れ     夫、久々の入院

夫が検査入院することになりました。私より元気で何処も悪くないように見えていつも羨ましかった存在の夫、まさかこんな事になるなんてとても信じられません。「腫瘍がある」「癌細胞が出た」この言葉に暫くは私の方がショックでした。しかし今は癌は治る病気、必ず死イコールではないので少しずつ平静さを取り戻しました。
富山の知人、友人にも癌にかかっても元気にしている人はいます。まず治療することです。その第一歩として詳しい検査をする為の入院です。
入院準備をして朝指定の時間に病院に到着。実際に処置などをするのは明日の朝から、慣れるための一日早い入院だったようです。勤勉家の夫、沢山の本を詰め込み、合間にDVDも見る予定でこれもまた沢山入れました。いろいろ持って行ったのでテレビは見ないのかと思ったら「見るよ」とあっさり言われ、テレビのカードを買ってきました。
組織を取るための手術、それに必要な前開きのシャツやT字帯、紙おむつなどを売店で購入しました。入院は予定では一週間。週末は連休になるので来週が退院になるのかな。私は昼から仕事が入っているので、病院には午前中にしか行けず、その時々の結果は又聞きになりそうです。本人の方がしっかりしているので安心はいていますが。


  3月14日(土)雨〜15日(日)晴れ       民医連研修会

協立病院健康友の会共同組織の活動交流集会が松本でありました。第12回ですが、私は11回から参加してこれで2回目です。2年に一回開催のようです。
前回は飯田市で開催でしたがその時はすべてが初めてで、なにがなんだかわからず、地理的にもちんぷんかんぷんでした。今回でやっと状況がわかり、中身も飲み込めて 来ました。
参加者について言えば、前回もそうでしたが今回も300人余が参加し、しかも男の人が多いことにはびっくりしています。年配が多いので活動が熱心になり、基金も債権も沢山集まるのでしょう。これは若い人にはちょっとまねが出来ないかも知れませんね。活動の交流も熱心で、熟年パワーを感じました。

午前中は講演会がありました。講師は松本大学前学長の中野和朗先生。75才、後期高齢者です(笑い)。ドイツ文学専門で教師の始まりは信州大学だそうです。「幸せつくりの医療」というタイトルでの講演でした。
民医連の綱領の説明もありました。これは現状にあわない言葉をわかりやすくするために一部改訂するそうです。この綱領を全職員が勉強して、もっともっと今日強力な民医連になってほしいと願っています。
病院が大きくなると綱領に反する職員も出てくると言うので、職員教育が難しいですね。
引き続き夜は各支部単位の役員全部が集まる研修会でした。本部総会の議案書の検討が主でした。いろいろ出た意見は検討して修正するそうです。
後は病院の新しく購入したCTの写真での披露がありました。従来のものより精密で詳しい検査が出来ると言うのです。機械が精密になればなるほど病気は発見できます。どうか病気ばかり見て、人間を見失う事のないように願いたいと思いました。


  3月13日(金) 曇りのち雨       椎茸の原木つくり

日中は何とか天気は持っていましたが、強風で寒い日になりました。夕方からは雨風がひどくなり、まさに春の嵐です。
午前中は風が強く寒かったのですが、前から予定していた椎茸の原木つくりに参加しました。夫も囲碁の予定がなくなったので一緒に行きました。
原木づくりの本番は明日ですが、出来上がったものを買っていく人の為に準備をする方4〜5人が出ていました。明日は健康友の会の勉強会があって参加できないので、準備日の今日参加させてもらいました。




最初は4本を予定でしたが9本も作ってしまいました。木は何の木(ナラ?)なのか知りませんが、いろいろな太さの丸木に穴を開け、椎茸やなめこ、ヒラタケなどの菌を埋め込むのです。一度埋め込むのを見たことがありますが、実際に体験したのは二人とも初めてです。
木に穴を開けるのは大変な作業です。電動穴あけ機もあったのですが、すぐに電池切れで使えなくなり手作業になりました。力一杯降り下ろさなくては深さ一定の穴は開きません。浅くては入らないし、深すぎては菌が中に入ってしまうし難しいところです。女の力ではとてもダメで夫が一手に引き受けてしまい、終了後は手が痛いと言っていました、お疲れさま。
細い木は半年くらいから、長くても1〜2年でキノコが出てくるそうですので楽しみです。採りたてを焼いて食べるのって美味しい。思い出してはよだれが出ます。

庭にはふきのとうに続き今はナズナが沢山出ています。ごま和えにして食べています。これからいろんな山菜が出るのでこれまた楽しみです。
夕方からの雨風でウオーキングは中止にしました。いつも仕事が終わってから職場の周辺を回っているのです。ちょっと暗いのですが星を見ながらの散歩も楽しいです。
一ヶ月が来るのは早いもので、母の月命日です。命日しかお参りをしなくて申し訳有りませんと心で謝りつつ、お供えをしてお参りをしました。



  3月11日(水) 晴れ       ショックです

夫は病院受診です。排尿痛で先日受診して今日は再受診の日です。自覚症状は良くなっていたようですが、どうだったでしょうか。
私は先週から土産物のパッチワーク型の袋を作っていて途中です。お稽古の日の木曜日が休めないので今度いつにしようか先生と相談したところ、今日午前中に来るように言われ行ってきました。先生の力を借りて仕上がりました。
驚いたのは紐の先端、通常なら紐を縛ってはい出来上がりですが、さすがに手芸の先生ひと工夫がありました。パッチッワーク部分の共布を使用してチュウリップを作ってしまったのです。これでまた一段と値が上がりました。



ニュージーランドには夫の友人である現地人のMさんがいます。その方の奥さんは韓国の方だとか。その奥方さまに作ったお土産ですが果たして喜ばれるか?
そのご夫婦には3人のお子さんがあるそうです。3人目が生まれたばかりだと言うのでスタイを作ってみました。これも向こうの生活習慣の中に使われるかどうかわからないので、とにかく持って行きます。

帰宅して暫くすると夫も病院から帰ってきました。炎症は取れて楽になったとのこと、よかった。尿検査も良くなっていたとか。代わりにショックな事がいとも簡単に夫の口から発せられました。先日検査した尿から「ガン細胞が出たんだって」と。エッと聞き返しました。恐れていたことが現実になってしまいました。「信用できる医者なの」「他の病院で再検査をしては?」と医者を疑ったりしています。
夫は「今の病院で大丈夫、任せるしかない」というのでそうするしかないのでしょうか。どんな程度かはっきりしていないのになんだか動揺してしまい、逆に夫から慰められてしまいました。今は医学も発達して「癌イコール死」ではないことはよくわかっているのですが、弟のこともあるのでやっぱり心配になってしまいます。
子どもたちに、来週の精密検査の結果で今後の治療方針が決まるのでまた連絡すると言うことにしました。心配しないようにと言ってもやっぱり心配しますよね。精密検査の結果は2週間くらい掛かるというので旅行は行くことにしました。



  3月9日(月) 曇り        心臓造影CT

調子が悪いときは重なるものです。先週の金曜日、目にゴミが入ったような気がしてなんとか涙を出してゴミは除去したような感じでしたが、土、日医者が休みの日に痛く異物感がひどくなりました。
夫に見てもらったら目の中に「赤いでき物」があるというので抗生物質の点眼薬があったのでそれを差して様子を見ていました。今日はあいにく歯医者とあと内科の検査予約が入っているので眼科受診は出来ません。点眼薬で少々楽になったので明日眼科受診です。
もう、全身の医者通いになりそう、がっかりです。夫の病状も思ったより意外な方向へ向かってしまって、今日も臨時の受診です。腫瘍らしきものが出来ていると聞かされたとき不安がよぎりました。良性であることを願うだけです。まだはっきりしていないのに精神的に不安定になってしまいました。

私は朝から食事を取らずにまず歯の治療、終了後検査の予定になっています。(松本にある病院ですので出来るだけ同じ日に予約を入れているのです)。
検査の一時間前に来るように指示があり、いったいどんな処置をするのかわからないままに受付をしました。まず病院に設置してあるデジタルの血圧計で血圧を測定。血圧と脈がわかるのでその結果で判定をするのです。
血圧は合格したのですが、脈拍は不合格になりました。脈拍70以下で私は71でした。何回測っても同じです。それで脈拍を下げる薬を服用することになりました。「エッ脈を下げる?」と少々心配になったけど従うしかありません。内服を一錠服用、今度は心臓の血管を広げる薬ニトロを舌下服用、これで一時間様子を見るのです。一時間前の意味がわかりました。勿論こんな処置をしなくてもいい人もいるのです。
一時間後やっと合格になり検査室へ。万一変化が無かった場合はそのまま検査をするそうです。そのままでもいいなら最初からすればいいのにと不満。たかが1ではないか・・と。検査は大きい針を差して造影剤を入れるので少々痛い思いをしましたが、そんなこと言っている場合ではありません。しっかり見てもらわなければいけません。何回か「息を吸って、止めて」を繰り返して終了しました。結果は次回に持ち越しです。検査はいいですが結果を聞くのは嫌ですね。



  3月6日(金) 雨        パン教室受講開始

久しぶりに雨、一日中降り続いていました。前から休暇を入れて楽しみに待っていたパン教室の日です。今まで農協婦人部やその他の講習会が行われるたびに希望参加したのですが、なかなか満足する講習はありませんでした。そこで今回は「ジャパンホームベーキングスクール」という教室で、テキストなどを使って本格的に教えてもらえる所を紹介してもらってその人たちと一緒に行ってきました。
初級、中級、上級と分かれていて、その初級です。彼女たちは何回か行っていて慣れていました。場所は(有明の奥の方?)林の中にあり、裏道を通って行ったので一人では行けません。追々覚えることにします。
今日は何を作ったかと云えば「あんパン、チーズステックパン」でした。それと教材にはありませんが、時期的に「桜餅」も作りました。
チーズステックと桜餅は前にも経験があるので、興味があったのは「あんパン」でした。この頃は機械がこねてくれるので便利ですね。
最後はテータイム、試食です。焼きたてのあんパンを食べたのはこれが初めてでしたのでとても美味しかった。昼時ですので、先生の方からも一品差し入れがありました。野菜に餅を加えてオーブンで焼いた料理で初めて食べましたが、これもまた美味しかったですね。
毎月一回ですが次回は5月。4月は私も旅行、入れ替わりに先生が旅行と日が取れなかったのです。必ず家で復習することにします。

午後からは手芸教室の2回目。曜日は違いますがパンのメンバーが即手芸のメンバーになるので臨時にすることにしたそうです。それで私も入れてもらう事になり、ニュージーランドにお土産に持って行く袋物を作ることにしました。
袋物を作っている人もいるのですが、多くの皆さんは細かい人形などを作っておりました。良くあんなに手先の細かい者を作ると感心しました。私はああいうのは苦手です。
今、もっぱらの興味はパッチワークです。袋の表はパッチワーク調のものにしています。その袋の名前は関西では「巾着袋」、このあたりでは「信玄袋」と言うそうです。富山もどちらかと言えば関西寄り、私は通じたのですが、地元の方はよくわからなかったようです。チータイムではわいわいと楽しい時間を過ごしました。

夫は昼から泌尿器の検査に行ってきて、「腫瘍のようなものがあるんだって、入院して組織検査になる」と淡々と結果を話していました。聞いている私がびっくり仰天、旅行の前にこんな事になるなんて。CT検査で見つからなかったのでそんなに大きくないかも?早く見つかって良かった、どうかどうか良性でありますように祈るだけです。



  3月3日(火)〜4日(水) 雪のち曇り       入院見舞い

昨日の夫の休みに会わせて私も休み、二人で栃木までお見舞いに行ってきました。
出かけて日中は晴れていたのですが、向こうは夕方から雪になり1センチ程度積もっていました。全国的に天気は荒れ模様だったようですね。
今国会で高速道路ETC車の料金値下げ案が可決されましたが、今はまだ通常料金です。
少しでも安くあげるために行きは通勤割りを利用して早く出発しました。佐久平までが100`地点、一旦降りてすぐまた乗るという面倒なことをしました。そこまでは半額、後の方が長いので大変です。
高速道路は初めて行った2年前よりも距離が伸びていて栃木に着くのが1時間以上も早くなっていました。
豊科から長野自動車道、上信越道、関越道、北関越道と乗り換え、暫く国道を走りさらに東北自動車に入るのでとっても遠く感じられたのです。今回は国道を走る時間が短くなった分早くなりました。これからちょいちょい息子の所へも行こうかなと言う気になりました。

今回は嫁さんのお母さんが手術をして、入院が長引くようですので行ってきました。理由はそれだけではなく、息子たちが引っ越した新しいアパートも見たいしと言うことです。
高速まで息子たちが迎えに来てくれたので一緒に昼食を食べました。私たちは途中すませてきたのでお茶にしました。今日は3月3日「おひな祭り」でもあります。孫にはおひなさまがありません。アパートで置く場所がないので買ってないのです。早速おもちゃのおひな様とお菓子を土産に持って行きましたが、2才半でまだよくわからないようでした。
その後病院へ。入院していると誰でも悲観的になりますが、お母さんも「退院できないかも知れない」と落ち込んでいました。食事がまだ口から摂れず、点滴で栄養補給をしていました。「もう暫くの辛抱、食事が食べられたらすぐに元気が出るから」と二人の娘さんを励ましてきました。

夜は久しぶりに妹さんの子どもたちも含めて夕食会をしました。妹の子どもは二人とも男の子、賑やかです。孫のゆうたんも加わって3人で遊んでいるのを見てると納得しました。やっぱりお兄ちゃんたちの行動がゆうたんにも伝わって、男の子のようになっているのでした。そんなことは全く問題ではないので一緒に元気よく遊んでほしいですね。



息子のアパートはまだ客用布団などの準備が無いので私たちはホテルに泊まりました。夫は今日の夜は仕事がありますから早々に帰ってきました。
帰り宇都宮のサービスエリアで餃子を買いました。宇都宮は有数の餃子の名産地、横浜か宇都宮か食べ比べをしてみよう。

家に帰るとネコのハルちゃんが「どこに行っていた」という顔をして迎えてくれました。昨夜はどこで寝ていたのでしょうか。さっそく暖かくしたカーペットの上で毛布にくるまってじっとしていました。




  3月2日(月) 晴れ       春遠からじ

弥生3月、木々や野山にも春の兆しが顔を見せ始めました。虫たちもそろそろ土から出てきます。風邪はちょっぴり冷たく感じますが、確実に春はすぐそこに来ています。
庭にはふきのとうが一杯顔を出しました。早速天ぷらにして食べました。春の香りがしてとても美味しい。昔は臭いの嫌いな中に入っていたのですが、不思議なもので年と共にいい香りに変わりました。
明日栃木にいる息子の家に行くのでお土産にふき味噌をつくりました。

人間のインフルエンザは峠を越えたようですが、愛知県ではウズラに鳥インフルエンザ菌が見つかり大量処分されたようです。被害を受けた卵農家は大変な損害。天災とはいえ国や県からどれだけの保証があるのでしょうか。
池田町にも梅の花が見られました。これからいい季節、畑の準備もそろそろやらなければ、とは思いつつ気分はまだ晴れなくて困っています。
何の原因も思いつかない座骨の痛み、なかなか治癒せずまたまた接骨院通いを始めてしまいました。仕事で立っていると夕方には本当にひどくて大変でした。仕事を辞めるのも今が潮時かなと思ったりもしています。
接骨院も「帯に短したすきに長し」、ちょっと例えが違うかも知れませんが私にはこの例えが合っているようです。
以前職場の同僚に勧められて通院していた所は確かにいいような感じでしたが、待ち時間が長すぎて朝7時から行っても半日は掛かりました。これでは通院は出来ません。今回は他の人がいないときは30分くらいはマッサージしてくれるのですが、初めから終わりまでしゃべりまくって腕がおろそかになっています。マッサージする場所が違うと指摘しても一向に変わりません。どこかいいところを知らないか聞いているのですが、満足できる所はありませんね。しばらくこのまま様子を見ることにし、自然に治ってくれるのを願っています。






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