end

azumino.jpg


  3月31日(火)
オークランドは曇り。天気予報によれば今日午後から明日の前半までは曇りで21度。あとはちょっと寒くなってずっと晴れという予報です。行動するにはちょうどいい気候ですね。二人とも元気です。
現在8時半ですが、妻はまだぐっすり寝ています。もうちょっとしたら起こして外に出ます。
今日の予定は明日のバスの切符を手に入れることが一つ。あとはオークランド博物館と近くの丘のバラ園に視察にいってきます。報告はまたあとで。

朝ゆっくりと出発して、まず出かけたところはガイドブックにあった「マイバスセンター」。ガイドによれば、ホテルのすぐ近くなのに、実際にはシティータワーのすぐ近く。何度も聞き直してようやく到着しました。
明日はロトルアまで約4時間半のバス移動。午後1時15分の予約が取れました。
その後はタクシーで、パーネル通りはずれのパーネル・ローズガーデンに向かいました。到着するとまだバラの花がかなり残っていましたが、その規模は期待はずれ。公園全体の大きさの割にはこじんまりとしたバラ園で、個人が手入れをしているという感じでした。
このバラ園は海の見える大きなロビンソンガーデンの一角にあって、むしろ公園そのものがすばらしい。大きな樹木が至るところにあり、老夫婦がゆっくり散歩を楽しんだり、ドングリをひろったりできる憩いの園という風情でした。時季はずれなのか何しろ人がいない。二人で歩き回りました。


そこからさらにタクシーで、今度は博物館へ。ここは先ほどの公園よりもさらに広大なオークランドドメインの丘の上にそびえる巨大な建物。子どもたちが先生に引率されてたくさん来ていました。
ここには一階がマオリや先住民族に関する展示。2階は、火山・自然に関する展示。3階は戦争など過去の記憶に関する展示があります。予備知識なしに行くとちょっと大変です。
3階には、ホロコーストの生き残りで戦後ニュージーランドに移住した人たちの記録がたくさん残されており、しっかり後生に伝えようとする真剣な姿勢がうかがわれたことが印象的でした。

今日は足が痛くなるほど歩き回って、結局午後3時頃ホテルに戻り、一休み。妻は横でもうぐっすり寝込んでいます。

今日の写真 3月31日 オークランド ローズガーデン、博物館など


  3月30日(月)
こちらはニュージーランド、オークランドの繁華街クイーンズ通りの北にあるMercure Hotelから第一報です。
こちらは晴れ、24,5度くらいはあろうというほど暖かく、真冬の服を着ていった私は空港につくや暑くて結局Tシャツ一枚になってしまいました。

成田での出発が一時間ほど遅れて、離陸したのは7時半くらい。狭い狭いエコノミークラスの座席は身動きできず、機内食を食べてじっとしているのは病院よりつらいものがありました。ニュージーランド航空なら、彼らの体に合わせてもう少しゆったりとした座席にすればいいのに。
それでも飛ぶのが夜中ですから、寝ているうちに朝になり外からは強烈な朝の光が。
オークランド空港に到着すると、あちこちでかなり厳しいチェックがあり、なかなか出してもらえない。聞かれていることが半分ほどしかわからないので、手間取ってしまいました。それでも何とか無事に外に出ると、そこは椰子の木が茂って、何となく沖縄に着いたかとおもうような雰囲気でした。
空港でゆっくりしたあとAirBusでホテルまで。約40分ほどかかりました。

ホテルにチェックインして部屋についてシャワーを浴びたらちょっと疲れが出て二人ともダウン。約1時間ほど仮眠した後、町へ繰り出しました。今日の目的は市内の散策(どこになにがあるのかしらべること)とスカイタワーへ行くこと。
はじめ、方向をちょっと間違えて、そのおかげでうまいラーメンにありついて腹ごしらえをしたうえで、目的のスカイタワーへ。
やってましたよ。例のバンジージャンプ。ものすごい高度から真っ逆さまに落ちてくるので、よほど腹が据わっていないと気絶してしまいそうです。
二人でスカイラウンジまであがってゆっくり一時間ほど過ごしました。人が少ないので、景色を見ながらコーヒーを飲むこともできます。東京タワーなどとは大違い。見える景色も変化があってなかなか楽しめます。




あとは海岸通りまで出て、フェリーを見物して部屋に戻りました。

今日の写真 3月30日 オークランド

なお、メールなどはふつうに受信できますから、連絡があればお願いします。


  3月27日(金)
昨日は医者にでかけ、旅行のために「管」を交換してきました。主治医が気をきかせて「少し長い旅行になるなら交換しておいた方がいいでしょう」というので、それに従ったものです。まあ痛いこと。それでも快適に旅行できるならと思って我慢していました。しかし、それからが大変。立ち座りの刺激を与えるとすぐに尿意を催すので、しばらくはそれとの闘い。これも時間が解決してくれるでしょう。

いよいよ明日からニュージーランドに出発します。今日はそのための準備で一日費やします。
旅行の日程は明29日から4月15日まで。オークランド、ロトルア、パーマストン・ノース、ウエリントン、クライスト・チャーチ、クインーズタウンを経て再びオークランドへ。それぞれ2〜3日ずつ滞在してゆっくり観光を楽しみます。とくにどこに出かけるという予定は決めていなく、現地で情報を仕入れながらそこで決めるという、いささかいい加減な方法で、適当に楽しんでこようという趣向です。
海外に行くというと友人たちは「そんな体でだいじょうぶなの?」と必ず聞いてくれます。「医者が良いって言っているからいいんでしょう」と答えていますが、私自身としては全く問題がないと思っていますから、たぶん大丈夫でしょう。それより心配なのは言葉ですよ。でもこれも、片言でも単語をならべていれば何とかなるから、あとは度胸の問題でしょう。私の英語力で、どの程度通用するかを試す良いチャンスぐらいに思って積極的に話をしてこようと思います。きっと周りの人がいろいろ教えてくれるでしょうから、わずか2週間ちょっとでも、たくさんの収穫があるはずです。
天気予報によれば、オークランドの気温は21度C。沖縄と同じです。南のクイーズタウンで16度Cですから、もっとも過ごしやすい時期。雪模様でマイナス1,2度の池田からすればこれは天国ですね。厚着をしてでかけて、あとは脱げばいいので何とかなるでしょう。
第一報はオークランドのホテルからできるのではないかと思っています。それでは気をつけて行ってまいります。


  3月27日(金)
昨日から今朝まで5センチほどの積雪。ほどんど春だと思っていたのに、これはまた名残雪にしては念が入っています。寒くて暗い週末です。




きのう授業前に中3の生徒たちがなにやら話しています。何だろうと思って聞いていると一人が「先生消費税って何パーセントになるんですか」ですって。「まあ最低10%だろうね」というと、「ええ?それじゃ1000円のものを買うと1100円だよ。そうだね。そんなのやめてほしい」。割合の計算はできないくせに、現実の話となるとすぐに理解する。そんなもんかね。
話はさらに定額給付金についても話題になり、こんな会話になりました。
「先生、うちじゃ定額給付金くれないんだよ。貯金にするからって」
「一人あたりいくらってくれるんだから、自分にももらう権利があるって言ってみたら?」
「これって、景気がよくなるようにするんでしょ。何のためにくれるの?」
「選挙目当てじゃない?すぐに消費税をあげると言っているし」
「ええ〜〜そうなの?ひど〜い、そんなのあり?」
彼女らにとっても、くれるものはうれしいけれど、消費税にはひどく敏感なようですよ。

この消費税の話、もちろん来年度予算案にからんで政府が法案として提出した「税制関連法案の付則」に明記されたことがベースになっています。きっと生徒たちの家でもお茶の間の話題になったのでしょうね。
「2009年度税制改正関連法案の消費税に関する付則案」によれば、「消費税を含む税制の抜本改革を行うため、2011年度までに必要な法制上の措置を講じる」のだそうです。ただし、反対派にも留意して「具体的に実施するための施行期日等を法制上定める」として、実際の増税時期は先送りする「2段階」方式と読み取れる余地を残しているそう。姑息なやりかたで、何が何でも消費税を通そうという腹のようです。
これに対して昨日民主党はすんなりこれらの法案の国会通過を認めたのですから、共産党志井委員長の言うように「民主党がたとえ反対であっても採決日程に合意したことは、消費税増税のレールを敷く法案を通すことに事実上手を貸したといわれても仕方がない」ということです。
「付則」という姑息なやりかたで消費税のレールを敷いてくる自公民の連中には総選挙でしっかり国民の審判をくださないといけませんね。


  3月25日(水)
急に寒くなって今朝は雪が舞っていました。
夕べからウオーキング関係の地図やホームページ作成にかかり切りになって、午前中にようやくできあがりました。
一つは4月下旬に東京から来る観光客のための「山桜ウオーキングマップ」の作成です。4月下旬になると陸郷、桜仙郷で山桜が満開になり、ここ最近全国にも知られるようになって今年は東京の旅行者がツアーを計画、バスで何台か入ることになったのです。
参加者は麓から往復5キロほどをゆっくり桜を見物しながら散策するという趣向。晴れていれば本当に絶景です。

陸郷・桜仙郷ウオーキングマップ

次につくったのが、今年のウオーキング行事のメイン、第2回北アルプス展望ウオークの公式ホームページ。残念ながら、今年は海外旅行とその後の入院・加療のためにたぶん参加できず、しかも昨年毎日のように記録していたブログも書いていけません。今年はそれ抜きで開催要項だけ。昨年つくってあったので、それをもとに変更するだけでしたから、比較的短時間でできました。
ただ、実際は今日実行委員会があって、そこで詳細が決定されるので、公開するのはちょっと勇み足ですけど。作る方の事情で許してもらうことにしましょう。来年には新しい観光協会のスタッフが更新・作成できるように一年かけてみっちり鍛えることにします。

北アルプス展望ウオーク公式ホームページ



  3月24日(火)
今日は朝からいい天気。裏の山からはウグイスやキジの鳴き声が聞こえましたよ。ウグイスはまだ完全な鳴き方ができないようで「ホーケキョケキョ」。北アルプスはいまいちはっきりしませんが、春らしい穏やかな風が渡っていきます。

妻は以前から、自分がガンと告知されたら絶対に平静でいられないから知らせないでくれと言っています。受け止め方は人それぞれで、夫婦といえども受け止め方は同じ訳でもありません。
ネットでいろいろ自分のガンのことについて調べたりしていれば、恐ろしいことが書いてあったりしますから、その限りでは恐怖心が頭をもたげてこないわけではもちろんありません。ただ、私の場合、事態を正確に知って、そのときどきにきちんと対応していきたいという気持ちが強いだけで、それ以上でもそれ以下でもありません。ありのままを受け入れ、自然体で自分と向き合う他はない。それは結局楽観でもなく悲観でもない一つの「覚悟」なのだろうと思うのです。五木寛之さんのいう「覚悟」というのも結局そういうことなのですかね。

思い出すのは悩み多き私の「疾風怒濤時代」のことです。高校生であった頃から私は他の若者の例にもれず「人間は何のために生きるのか」という問題でずいぶん考え悩んでいました。高3の頃だったか大学に入ってからだったかはもう忘れてしまいましたが、あるとき「何のために」という設問自体が間違っているのではないかと思うようになったのです。「何のために」といえば、生まれる前から私という人間に一つの目的が設定されており、それを見いだすことが人生のありかたということになってしまいます。そして到達した結論は、確かに自分自身が生を受けたことが生物学的に確実である以上「何のために」ではなく「どのようによく生きるか」こそが自分自身の生きる基本的な視座でなければならないということでした。その考え方に到達してから先は全く進歩はしていないのですが、それを得てから私自身の気持ちはずいぶんと楽になりました。目的を求めてさまよう生き方から生き方のありかたに重点がうつったわけですから。
もちろんその後の人生において、その「よく生きる」生き方は試行錯誤だらけで、しかも間違いだらけ。それでも底流には人生に対する肯定感と人間への愛着、人々の中での自分というとらえ方はしだいに深まっていったのです。
そして最終的にはマルクスが資本論第一章「商品」の注釈で喝破した人間観によって悩みを突き抜けたと思えました。それは前にも書いたことのある次の一節です。

見方によっては、人間も商品と同じである。人間は、鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、はじめはまず他の人間に自分自身を映してみる。人間ペータは、彼と等しいものとしての人間パウルとの関連を通してはじめて人間としての自分自身に関連する。だが、それとともに、ペーターにとってはパウルの全体が、そのパウル的肉体のままで、人間という種属の現象形態として通用する。
「資本論1P90~91」(社会科学研究所監修 資本論翻訳委員会訳 新日本出版社)


ここで私がいいたかったことは、自分自身の底に間断なく流れる考え方みたいなものです。
私の考え方はその後、大学時代に仲間たちに恵まれたことから当然のように社会との関わりを重視したものになっていきます。
ガン告知からずいぶん離れた話になっていきましたが、結局それとどう向かい合うかという私の態度はそうしたものと無縁ではないのだということをどこかで感じられてならないのです。


  3月23日(月)
久しぶりに家に戻ってきました。カテーテルを付けたままなので違和感は否めませんが、あれほど頻繁にあった「おしっこがしたくなる」という感覚がまるでないので、その点だけはうれしい限り。ただ、流すのを忘れると大変なことになってしまいます。
家の中ではひんやりと冷たい感じが残っていますが、お日様の下ではぽかぽかと暖かく気持ちのいい日。しかしこの風の強さ、あとわずかで成田から航空機で発つ身となれば、成田での航空機の事故が大変気がかりでした。

家の周りはまだ冬景色のままですが、よく見れば木々の新芽も大きくなってあと一ヶ月もすればすっかり若葉が出そろうような勢い。フキノトウもたくさん出て早春の装いです。




これからの私の予定は、今日から5日間夜だけ塾での春の講習に出かける以外は家で静養。病院関係は27日にカテーテルの取り替えに行くことぐらいで、しばらくは慣らし運転をして29日からのNZ行きに備えます。

16日に入院してから今日までの記録をとっていたので、一挙公開です。

3月16日(月)
予定通り朝9時半頃病院に到着。部屋まで案内され、すぐに入院着に着替えてベッドで待機。
妻は必要な下着類などを購入してくれて、検査入院の準備はOKです。仕事がある妻は途中で家に戻りました。
私よりも妻の方が結構不安そうで、これから一週間毎日きてくれるのですぐに慣れるでしょうし、猫のハルちゃんがいっしょなので、気が紛れるでしょう。
私の方は午前中入院の説明を聞いたり、剃毛したり、入浴したりして過ごしましたが、時間はたっぷり。寝てしまうと生活が乱れてしまうので、できるだけ起きて本を読んだり、DVDを見たりしていました。
次は若い看護師とのちょっとエッチな会話です。
「では毛を切らせていただきますね」
「息子がしょげていますので、励ましてやってください」
「ホントですね。しっかり剃ったりしないで、短くそろえるだけですから」
「仕事柄とはいえ、すみませんねえ」
「いえ、これが仕事ですから」
「剃るのをいやがる人いませんか」
「みんな覚悟を決めてきているから、いやだという人はまったくいませんね」
「剃毛をしていて変化のある人いません?」
「そんな人もいますね。ところでニュージーランドにいらっしゃるんですって?うらやましいですね」
(すぐに話題を変えるところ、さすがです)
「2週間くらい」
「私もオーストラリアに行ったことがありましいた。2月だったから真夏でしたよ」
・・・と言っているうちに終わり。
そのあと、手術室付きの看護師がきて、明日の検査手術の説明をしてくれました。
午後からはどうなるのでしょうか。あまりにも時間がありすぎてちょっと間延び。 これまでできなかったようなことをしようとしても、狭い病室ではままならず。勢い、本を読んだりして過ごすほかありません。

午後7時。午後すべてひまというこんな時間はとんでもなく長く感じます。食事の時間が待ち遠しく、それだけが楽しみになる。しかし、明日は朝から浣腸した上に絶食。昼すぎから手術がはじまります。半身麻酔で、それ以後うごけなくなるのでまず明日を乗り切ることが当面の課題です。
問題はガン組織それ自体をすべてとるわけではなく、検査ですから本番は一ヶ月ほどあとに待っています。今回はいわばそのリハーサルです。
外の気温、世の中で起こっていることがさっぱりわからないので、あさってからはできる限り外界と接触できるようにしていきます。

3月17日(火)
朝6時検温、血圧測定で起こされた。ゆうべ8時頃から断続的に寝ていたからいったいどれだけねていたんでしょうか。たくさん食べた割には、浣腸してもでてこないので、2回もカンチョーをやってしまった。
さて、夕べまでに結局本を一冊読みました。石城謙吉さんの「森林と人間」(岩波新書)です。
日本全国で森を作る、あるいは再生する試みは首都圏をはじめとしていろいろ行われているが、こうして長い年月をかけて実際に森が生まれ変わるという経験を見せつけられると、実に勇気がわいてきます。
この石城さんの実践のすごいところは、一つは既成の学問的概念にとらわれないで自分の感覚を大切にしていこと。二つは「森林は原始林のように手つかずの状態で保護すべき」だとする原理主義的な考え方からは距離をおいて、人間の力と自然との共生を理念としていること。三つは、森が人間や動物にとっていかに重要な役割をもっているかを実証的に示していること。
そしてまた、戦後の人工造林政策の招いたものは、8割の木材を外国から輸入するという矛盾と手入れの入らない荒廃地というすさんだ林業の姿であったことも告発しています。それに対して「人間と自然の問題を解決する本質的な鍵は、地域に根ざし住民生活に結びついた自然とのつながりの中にしかないことを、社会全体が見直すべき時にきている」(204)という指摘は説得力がある。

午後から手術。今日は3人の手術が予定されていて私は二人目。一人目は同室の人でこれはすぐに終了。私は下半身麻酔をしての手術なので、これがまた大層な準備と出で立ちです。
まず病室で術衣に着替えて下はすっぽんぽん。そのまま移動ベッドに乗せられて手術室にいき、いよいよ手術台に。テレビで見たあの台です。
麻酔医が背中からチクッと麻酔。これで半身は全く感覚がなくなり、まさしくされるがまま。何がどうなっているのか全くわかりません。
今日の手術は前立腺の通過部にあるガン組織の一部を切り取り組織検査に出すことが目的。従ってそれほどたくさん切り取ったわけではないのでしょうが、部位が部位だけに結構出血もあり、術後は導尿をして、そのまま寝たきりになってしまいました。午後から一日中寝たきりなので、時間のたつのが遅いこと。

3月18日(水)
部屋にいると外の景色もわからず、どうなっているのかさっぱり。時間の経過というのは、やはり周りの変化、成長などと関わっているから感じられるのだと思わされます。
ここでは看護師や医者が回ってくることが変化のほとんどすべて。私の場合はあとはひたすらに傷が治るのを待つだけですから、気長な話です。
手術から2,3日つけているはずだったカテーテルをもう「今日ははずしましょう」という医者の一言で抜いてしまいました。はずしたはいいけど、それからはまた例のトイレ通いです。10〜30分に一回くらいトイレに行かなければならないし、一回一回の排尿が痛いのでちょっとつらい。しかし、これもいつかは収まって少しずつ快方に向かっていくのでしょう。

3月19日(木)
夜半から少し間隔は開いてきているものの、頻繁にトイレに行くのはずっと変わっていません。
昨日は妻が昼頃と夜に来てくれて、いろいろと気を遣ってくれていてありがたかった。このさいうんと甘えておきましょうね。

昨日から断続的に見ていた映画「阿弥陀堂だより」。それぞれにいい配役ですね。押しつけがましくなくしみじみとしています。そして、生と死を自然と人間の中で見つめるその目には「共生」の思想がやどっている。いや共生と言うより、自然に教えられて生き方を定めるといった実に謙虚な生き方ですね。「共生」というのはやはりまだそこに人間の奢りというか生物の頂点の意識がひそんでいる。「阿弥陀堂だより」はその点をしっかり見つめているから優れた作品になっているのでしょうか。そんなことを感じながら見ておりました。

3月20日(金)
症状は昨日からほとんど変わっていません。昨日の夜中から、何度トイレ<小>に行ったかをつけてみることにした。それによると今朝から午後5時までに19回。この分だと深夜までに30回くらいになりそうです。
寝ていて起きあがると膀胱が刺激されるのか、すぐに急激に尿意があり、そうなるとほとんど出ないのにもかかわらずトイレに行きたくなってしまう。こんな状態がずっと続くようなら、それこそリハビリパンツをはいてNZに行かなければならない。
ただ、傷口がまだ十分ふさがっていないために、そこが圧迫されると尿意が刺激されることは間違いないようで、ともかく傷口が治ることを待つしかありません。
朝、回診に来た主治医が、絵を描きながら症状を解説してくれました。とにかく今は概要だけで、検査待ちということしかわかりません。

下の絵は主治医が描いてくれたもの。赤い部分に腫瘍があります。括約筋まで浸食されているのでそれをどうするか考えていると言っていました。また、腫瘍がどの程度深くなっているのか(左下)も組織検査とCTを使って判断するのだそうです。また普通は膀胱からまっすぐ尿道が出ているのに、私の場合は屈曲(頸部挙上、右上)しているので、よけいに排尿されにくいのだとも。さらさらと絵を描きながら解説してくれるので、それなりに納得でした。



昨日から読んでいるのが岩波新書「道路をどうするか」(五十嵐敬喜、小川明雄著)。この国の道路をめぐる歴史と政官財癒着の道路利権の構造を余すところなく解説しており痛快。
利権に群がる日本の政官財のこの構造は、いかに日本が政治制度としても民主主義的な社会構造としても遅れ、ゆがんでいるかを示しています。民主主義革命の一つの重要な内容をなす経済民主主義の骨格にかかわる問題だと思われたことでした。
彼らの利権の構造から必然的に生まれてくるのは、たとえ国家財政がどうなろうが果てしなく利益を生み出す(道路を造り続ける)ことだから、いずれ破綻することははっきりしています。破綻が誰の目にも見え始めたときはもう遅いのだけれど・・・。

3月21日(土)
窓から見る爺ヶ岳、鹿島槍、五竜の山並みは素晴らしい。


症状はあまりさえないけれど、刺激を分散するために午後から少し外に出てみようと思っています。 ニュージーランド行きが迫っているので、何とかこの頻尿症状だけは改善しておかないといけません。

いろいろ考えて、朝主治医に相談してカテーテルで導尿をしてもらうことにしました。あまり頻繁に尿意があることと、今後の旅行のことを考えて、導尿パックでの生活に慣れておいた方がいいと思ったためです。しかし、これも旅行が終わるまで。当然そのあとは本格的な手術が待っているので、そのときはそれに対応したやり方に移行します。
ま、管をつけたまたしばらくは行動しなくてはならないので、不便といえば不便です。しかもすぐにできるかと思った足にベルトで固定するパックは注文になるそうなので、しばらくかかるとのこと。このちぐはぐ、いったいどうなっているのでしょう。

3月22日(日)
導尿と尿パックが思いの外面倒だし、トラブルが予想されることがわかってちょっと落ちこんでいます。 まず明日からの塾での授業。携帯パックが到着しなければ管をはずさざるを得ません。今日は管を止めて途中で出すと言っても、そんなに簡単ではなさそうだし、尿意があったときにはトイレに行くのはつけていてもいなくても同じ。
外国に出かけるのに、導尿したままというのは、感染症、膀胱炎などの心配からかなり難しいのではないかと思うようになってきました。しかも、手術から2週間といえば3月31日。次の本格的な手術の方針が定まるときに、リスクを犯して本当に外国にいていいのか。率直に妻に話してどうするか決めることにしよう。

午後、山本さんたちがきれいな花を持って見舞いに来てくれました。かねて知りたいと連絡していた町議会の様子を伝えてくれました。

尿パックをはずして導管を閉鎖。どれだけ持つか試してみています。完全に残尿をぬいてから約1時間半は十分に持つ。それで80〜100cc。溜まった尿を抜く作業はすぐに終わるので思ったより簡単でした。これならしばらく外出してもトイレの場所さえはっきりしていれば大丈夫です。ただ、清潔にすることだけはどこにいても大切で、雑菌が入らないように細心の注意を払うことです。

キャンセルすることも視野にNZをどうするか妻に相談しました。妻は、これまで大丈夫、大丈夫と言っていた私が弱気になっていることの方がショックだと言ってました。確かにそうですね。私がこう考えたのはもっぱら現在の導尿しながらのこの生活が影響を及ぼしているわけで、あと数日このスタイルになれてさえしまえば、外国に行こうが大丈夫。前向きに考えていくことにしましょう。
明日医師としっかり話をして、管理の方法について打ち合わせをしておくことにします。

3月23日(月)
昨夜、いままで注文だと言っていた採尿バッグが実はあったのだそうで、話が二転三転。
今朝回診に来た主治医と相談したら、ずっと一生採尿バッグを付けて生活している人もいるし、汚い手で触らないことと、尿を貯めないことの2点に注意しさえすれば、どこに行こうが大丈夫、風呂にもそのまま入れると太鼓判を押してくれました。すぐに次の予約も入れてくれて即退院の手続きにはいりました。
そのあと、予備の採尿バッグの購入予約をして一週間ぶりの帰宅です。




  3月21日(土)
すっかり春景色ですね。病院にいるとたまに外の景色を見ることはあっても気温や風を感じることは皆無。しかも通路側のベッドなのでまるで季節感はありません。ただ時間が過ぎていくだけ。
今日は久しぶりに外出許可をとって自宅に帰ってきました。特に目的があったわけではありませんが、体に変化と刺激が必要だと思ったからです。
火曜日に予定通り手術をして組織をとって検査に。それ以後傷がなかなかふさがらないので、おしっこが出にくく、従って頻繁にトイレに行かなければならない。24時間そうなので、これだけは結構大変です。外出すれば他の刺激も加わって多少尿意が遠のくかなと思い外出許可をもらったというわけです。
まだ検査の結果は全くわかりません。いずれにしてもガン撲滅のための手術は4月下旬から5月にかけて行わなければならないわけですが、それがどの程度のものになるのか、4月上旬にはわかります。
病院での生活はいやはや時間の経つのが遅いこと。外の世界はいいですねえ。というわけで、今から(午後2時半)また病院に戻ります。月曜日あたりに一旦退院になる予定です。



  3月15日(日)
夕べは少し早めに寝たので今朝は6時起き。北アルプスのモルゲンロートがすばらしい朝です。
午前中、町中いっせいの「道普請」があったのですが、明日の入院に備えて出ないことにして連絡を済ませていました。
あいにく妻は泊まり込みの研修で、これにはまにあわなかったので「ペナルティ」の科料。ちょっと不合理ですが、まあこの際仕方がありません。

昼近くになって睡魔に襲われて2時間ほどベッドに。その間にRくんが、頼んでいたプレゼンテーションのファイル(13日の日記に追加)を届けてくれました。私はそれも知らずにぐっすり。起きてからあわててサイクリング中の彼に連絡を取って、ファイルを取りに来てもらいました。北アルプスの実に美しいサイクリング日和で、マウンテンバイクに乗った彼と友人の女性は何とも気持ちのよさそうな顔をしていました。

午後からは明日の入院のための書類を書いたり、身の回りの荷物をまとめたりして、夕方から今年度最後の授業にでかけ、午後10時頃に帰って遅い夕食。今日はなんだかメニューもたくさんあって妻の気持ちのこもった食事でした。感謝です。
というわけで一日も終わり。このあと一週間は日記の更新もできませんが、ゆっくり静養してくるつもりで病院に行ってきます。


  3月14日(土)
今日は生徒の都合で塾はお休みなので、気分は楽。しかし奥さんはまたまた泊まりがけで研修会。ネコと二人でお留守番です。

昨夜はものすごい強風だったかと思うと、昼前から晴れてはいるもののものすごく寒くなりました。
その寒空をついて今日は午後からずっと前から予定していた「バラの栽培講習会」があり、出かけていきました。長時間座っているようなのはダメですが、2時間程度の講習はごく普通に参加できます。
講師は安曇野でバラの造園業をしている進藤さん。なかなか気さくで親切な方で、きちんと合理的に理解できるように話をしてくれてとても為になりました。
参加者の大半は女性。パワーがあります。きっと家でもいろんなバラを栽培しているんでしょうね。「バラは本当にいいですねえ」とうっとり話している方も。申し込みが殺到して定員オーバーして締め切ったというほどの人気ですから、どれほどバラの愛好家がいるのかわかりません。
私自身は、昨日の町長との話し合いのこともあって、そうした調査の目的もあって参加していたのですが、結構自信がつきましたよ。それに進藤さんにも「バラ園」の構想をお話したら「いいですねえ、お手伝いできることがあれば何でも」とおっしゃっていただいたので、一度ゆっくりお話を聞きに行ってみようと思われたことでした。
今日の講習の模様はメモのつもりで、別のファイルにまとめました。

「バラ講習会」





午前中は松本の歯科に行って奥歯の治療。でっかい穴をあけたまま入院しなければならなくなりました。詰め物を入れると内圧で痛くなるのだそうですが、そのままでは噛むこともできず、食べたものが詰まってしまうので、この前のようにガムをつめておきましょうか。
帰りがけに、入院中に読むための岩波新書を何冊か買ってきました。明日は少しおとなしくして、入院の準備をします。

夜には息子と娘に電話して、事情をくわしく伝えました。日記や電話でかなり知っていたとは言え、本人からの連絡でそれぞれかなり心配してくれていたようでしたが、私からきちんとガンを克服する決意を聞いて少しは安心してくれたようでした。
ありのままを受け入れ、かつそれに対して冷静に可能な限りの対応をする。それしかないというのが私の心構え。数ヶ月後には完全にもとの状態に復帰します。



  3月13日(金)
今日は月違いの母の命日。朝二人でお参りをしました。何となく複雑な気持ち。
午前中は、9時頃から近くの畑で行われるキノコの菌打ちに誘われていたので妻と参加しました。風が強くあいにくの天気でしたが数人のおばさんたちが集まってもう一生懸命作業中でした。くわしくは妻のページで。久しぶりの「労働」をしたので、腕が上がらなくなってしまった。

午後からは予定されていた町長との懇談にでかけました。こちらはカナダ人教師Rさんと私の二人。相手は町長と町づくり推進室長。

かねてから今日のアポは総務課を通してとってあり、彼は池田町でのマウンテンバイクの魅力と可能性について、私は社口原の開発と「花と緑の構想」について話をすることにしていました。
30代の外国からの移住者Rさんと、数年前に移住したロートルの私という異色のコンビで町長室を訪れたので、むこうもさぞびっくりしたことでしょう。しかし話の内容はきわめてまじめなもの。「この池田町をいかに美しく住みやすい町にするか」というテーマでしたから、町長・推進室長も時折メモも取って興味深く話を聞き、突っ込んだ話ができたと思います。

まずはじめに口火を切ったのはRさん。ちょっとたどたどしい日本語ながらも、池田町がマウンテンバイク愛好者にとって最高の環境を提供しており、国内オリンピック選手や外国の選手が参加してのイベントも開催していることをスライド風の写真集を前にして熱弁。
そのなかで「東山沿いの社口原周辺に舗装道路が計画されていることはとても残念だ」と話し、「車も通らないのに舗装道路を造って環境を壊すのか、それとも長い将来を見通して自然に配慮した美しい環境を残すのか」とこれも写真を見せて見直しを迫っていました。
何枚もの写真を示し、マウンテンバイクで得た知識を駆使しながら話す彼の一言一言は実に説得力があり筋道が通っていて気持ちがいい。
その話しを聞きながら、私も「美しい池田町をどうつくるか」という一点で、いろんな人たちを結集したシンポジウムか討論会をひらくとおもしろいだろうなと心から思ったことでしたこれは是非春のイベントが終わった頃に町役場、議員、自治会、団体、個人あらゆる層によびかけて実現したいものですね。

続いて私から、これまで温めてきた「花と緑」の構想を、とくに社口原での大規模な「フロラガーデン」づくりを軸に話をしました。
この構想のあらすじは2月5日にも書いたものですが、この頃はまだ荒っぽいスケッチ。その後検討を加え、いろんな人たちとも話を重ねて少しずつ形を整えて文章化したのが次の構想です。これを町長に提出しました。

Presentation : What is Ikeda to You

「いけだフロラガーデン(花と森の公園)」構想(私案)

簡単にいえば、「花とハーブの里」という宣伝文句を頭に付けながら、どこにもそれがない現在の池田町を、文字通り花とハーブでいっぱいにしようというもの。そのために”基地となる大規模な公園を造成し、自治体と町民が一体になって維持管理、運営していこう”という大がかりな構想です。
町長はすかさず、いま全国のいくつかの地域でとりくまれている「『日本で最も美しい村』連合」という運動を紹介しながら「自分も日本でいちばん美しい町をめざすことを公約にしているので方向は同じだ」とのべ、ボランティアバンクについてひとくさり。
構想は似たものだとしても、あらゆることをボランティアに丸投げされても実効性はほとんど無いに等しいわけですから、私の構想の最も根幹をなす事柄である「美しい町づくりの起点」「将来の子どもたちに残せる町民の共有財産」という位置づけをしっかり理解してほしかったと思います。
私が候補としてあげている社口原(しゃごじはら)という荒廃地はもともと桑畑で、現在は私がつるをとるために毎年すみずみまで歩き回っている、かなり広いなだらかな中山間地。
昨年この地域をどう再開発するかという話し合いがあり、おおよその区分けはされているようですが、詳細はまだ決まっていない。ところが真ん中に道路が通ることだけはどんどん進行しているのです。だからいまというタイミングを逃せば永久にチャンスはないということも強調しました。
町長は、この私の構想について「どこまで実行できるか担当課とも相談してみたい」と検討を約束。私は「町長の意思と決断が最も重要。是非ともプロジェクトを立ち上げて官民一体で事業が進むようにしてほしい」と強く要請して、1時間20分ほどにもわたる会談を終えました。

そのあと近くの喫茶店でRさんとひと休み。住みやすく、自然にあふれた町にしていく決意を語り合ったことでした。

町長との会談を終えて、ロビーで一休みしているときに、同席していた推進室の室長が「ブログを読みましたが、大変なことになっているんじゃないですか・・」と心配そうに語りかけてくれました。読んでくれていたんですね。私は「はっきりさせておいた方が、逆に心配をかけないでいられるし、逆に開き直って治療に専念できるでしょうから」と答えました。他の人たちにとっても、これからこうした場面に出会うことも少なからずあるはずでしょうから、どう対処するのか、自分自身の場合を一つのガン撲滅のケースにしたいと考えたことも公開した理由の一つです。


  3月11日(水)
今日はあらためて診察の予定が入っていたので、大町病院まで出かけました。先日の急な症状がどうなったのか再度診察するためです。
開口一番、「ガン細胞がみつかりましたねえ」と先生。1〜5段階の5であることをさらりとご宣告。予期したことでしたから、ちょっと「チクッ」ときましたけど、まあ平静にその後の話を聞くことができました。前立腺や膀胱には腫瘍の組織は認められないので、きわめて狭い範囲の特殊なガンのようです。
来週からの検査入院はそのまま予定通り。部位がどこにあり、どの程度のものなのかをしっかり検査し、その後の対応を決めるということでした。私としては当然先生に任せるしかありません。
帰って妻に報告したら、妻の方が深刻になってしまって、私が励ますはめに。まだまだしなければならないことがあるので、後ろ向きに考えていてはやりきれませんからね。

診察の順番を待つ間に昨日書いていた「文藝春秋」を病院の売店で買って読んでいました。読まずに印象だけで書いたものはほとんど訂正はしなくてもよさそう。
堺屋太一、御厨貴、後藤謙次の3人が政治部記者や「識者」のアンケートをもとに「日本最強内閣」を組閣するという趣向ですが、実際噴飯もの。
いろんな人が自分の考える組閣案を出しているのですが、「識者」として選ばれた中に例のタモガミさんがいて、(総理)安倍晋三(防衛)西村真悟(国交)石原慎太郎・・・などと書いているのを見つけて笑っちゃいました。「国家観、歴史観がしっかりしている人たちを選んだ」と大マジメにコメントまで付けているんですからね。
森達也さんは、(総理)今上天皇、(外務)鈴木宗男・・などとあっちを向いたような書き方。全体としてマジメに読むだけソンです。

***********************

今日午後からの仕事はファンクラブ・ニュースの初稿出し。昨日の会議の結果を踏まえて一通り作って役員に届けました。来月号は海外のために作れないので、そのための多少の準備もしておかないといけません。
あと一年もしないうちに100号記念号を迎えることになります。このままの予定では来年2月号が100号です。もし途中総選挙で一号よけいに出せば1月新年号が100号。切りがいいからそのようにして、盛大にお祝いすることにしましょう。



  3月10日(火)
昨日病院で診察を終えた頃から、あんなに頻繁にトイレに行っていた症状がピタッと止まって、今度は不思議なくらい尿意が遠のいてしまったのでした。不気味なくらいの反動?はじめはそうかと思いましたが、実は反動ではなく炎症が治まってきたという兆候のようです。細菌炎症で急激な過敏症が起こり、それが収まって平常にもどりつつあるということのようです。とりあえず一安心です。もらってきた抗生剤もそれを促しているようで、薬の効果は絶大ですね。

病になると、とくに体のどこかに痛みがあると、頭の中まで影響します。よーするに頭も病気になる。「もう治らないのではないか」「このままずっとこんな症状なんじゃないか」「もっとひどくなるんじゃないか」・・・そのむかし何度もそんなことを経験している私は、たとえば先日見舞いに行った息子の嫁さんのお母さんの苦しみがよくわかります。
それでも症状が和らぐと、頭の回転もちゃんともとにもどっていくのですね。そして症状がなくなると、そんなことを考えていた自分が不思議なくらいに思えてくる。人間の体の中は本当に密接に関連しあいながら、まさしく「有機的」に関連しあっているのです。

***********************

今日わりと早く目が覚め新聞の広告を見ていたら一面最下段にでかでかと「文春」の宣伝が。


文春4月号つり広告

「これが日本最強内閣だ」ーこの国の総力を結集せよーという堺屋太一など「識者」の対談やアンケート結果からの組閣案が踊っています。この広告上では総理が元経団連会長の奥田碩(元トヨタ自動車社長)、総務大臣に「今をときめく」橋下徹大阪府知事。外務が櫻井よしこさんで、財務大臣が三位一体改革のあのKOIZUMIさん。いやはや「日本沈没内閣」あるいは「日本最悪最低内閣」とでも言い換えた方がいい。このような内閣ができたら私は日本を逃げ出したくなりますよ。
こんなものを巻頭(?)にもってくる文藝春秋ってどんな雑誌なんでしょう?本気で提案しようとしているんだったら身も心も財界そのものだし、読者に媚びを売ろうというのならその下心が見え見えです。
この4月号では「教科書が教えない昭和史(決定版)ーあの戦争は侵略戦争だったのかー」という論文集も載せていますから、いよいよ「本気」で「右派知識人」の結集をはかってきているのでしょう。

読売、サンケイ、文春・・・財界と癒着したこれらの言論機関の、歴史学会定説とはおよそかけ離れた皇国史観、歴史修正主義、侵略戦争美化論などの言説たれながし状態に対決するにはもちろん言論での圧倒する力が必要です。
虚業でもうけをあげてきた連中が一転奈落の底に突き落とされ、犠牲を弱い立場の派遣・不安定雇用労働者やお年寄りに転嫁、中小企業をいっそう苦しめてもうけをさらにあげようという現代日本の政治・経済状況。大企業のトップ・財界奥の院のみなさんは、こうしたことへの批判、革新指向が広がることがどれほど怖いことかよくわかっている。だからあらゆる手を使って彼らが使い勝手がよいと思う人々の頭の中身を変えようとします。そのおめがねにかなった編集者たちの頭の中は、庶民の苦しみや変革への指向よりは、いっそうおめがねに叶おうとすることしかないわけですから、知らず知らずに歴史修正主義のような右派論調に容易にはまり込むことになる。しかも同類の中での閉鎖的な生活を送る彼らにとって、そうしたうまい生活に一旦はまり込めばあとはそれが内部増殖しついには思考停止状態に。常識的にみればとんでもないと思うことも判断できなくなってその方向にどんどん進んでいく。アジア侵略戦争にはまり込んでいった日本軍国主義の構図によく似ています。これはもはや精神的メルトダウンというべきです。
私は現在の日本の右派論壇に巣くう人々の役割がいずれ断罪される時代が近く必ず来ると確信しています。なぜなら、そこにはあの時代にアジア諸国の人々にとたんの苦しみを味わわせた反省もなく、時代を天皇制軍国主義に塗り込めていった人々を美化し、それを無批判に今の時代に引き寄せようというわけで道理も何もないからです。ただし、さらに詳細に彼らの意図と論調を分析し、ぐうの音も出ないように批判し尽くすこと、そして政治的に包囲し(彼らの意図は学問的ではなく全く政治的ですから)粉砕するほかありません。圧倒的な人々がもう相手にしないようになれば彼らはそれで終わりです。

***********************

今日は昼頃から塩尻まで出かけ国際免許証の取得。高速でいけばそれほど遠くでもないし、免許証はすぐに交付してくれたので、時間を無駄に過ごさずに済みました。池田に戻って今度は反対方向の大町の税務署に行って所得税の申告。これも混んでいたせいかほとんどチェックもせず書いていったものをそのまま受付で提出して終わり。来年からはeTaxでやることにしましょうかね。夕方からはファンクラブの会議です。結構あれこれ忙しい一日になりました。


  3月9日(月)
次のように書いていたのは昨日の午前中。

*************************************

私の検査入院で、塾や関わっている仕事の関係で事情を説明せざるをえず、かえって心配をかけてしまっています。
今のところは生活は問題がないので、どうぞご安心を。いわば太平洋上で発生した台風の卵みたいなもので、それが発達して日本を直撃することになるのか、あるいは逸れてしまうのかまだ全然わからないということであり、あくまで検査待ちなのです。
仮に直撃型台風のようなものであっても、対策を万全にしておきさえすれば大丈夫なのですから、私としては落ち込んだりそればかり考えているということでは全くありません。医者を信頼して任せるしか手はありませんものね。
とはいえ、このことを通して自分の生きている価値とか、これからの過ごし方を全く考えないということでないのはもちろんです。一日一日をどう生きるか、症状がわかってから一層重要になっています。

*************************************

ところが午後から事態がちょっと変わってきて、おしっこをするときに痛みがかなりあるようになり、しかもほとんど出なくなってきてしまった。ほんのちょっと小水がたまるとすぐにトイレに行きたくなり、行ってもチョロッとしか出ない。これを10〜20分おきにくりかえし。
昨日は午後早い時間から高校生の授業があったので、しかたなく頻繁に外にでては放水(いやいや、放水なんてもんじゃない。チョロチョロ)。これはつらい。
なぜそんなことになったのかと熟々(つらつら)考えるに、数日前の検査(実はカメラを膀胱まで入れた!恐ろしい!)で尿管をちょっと傷つけたらしくその後結構痛みが強くなってしまったのです。それに加えて、膀胱からの出口あたりが周りから前立腺の肥大で圧迫されると同時にその中に腫瘍があるために、かんじんのおしっこが出にくくなってしまったというわけ。さらに悪いことには、膀胱の神経がかなり損傷しているらしく、中にたくさんたまっても排出する能力が低下、従って、いっぱいたまってはチョコッと出し、すぐにいっぱいになって出し、という繰り返しになっているのです。
現在朝7時。昨夜は10回ほどトイレに行って、例のコマーシャルの「またですか〜〜」どころではなかった。やむなく今日は朝から病院に緊急手配をして、対策を講じなければならなくなりそう。
何とも間の悪いときに症状が悪化したもの。ニージーランド行きの切符などは大金をはたいて手配してしまっているのに、さてどうなることか。
妻は妻で今日は朝から内科の検診。絶食して臨まなければならないので、机の上には「絶食」と書いて張ってありました。二人とも何かと厳しい時期になっています。ま、悪いことは集中するもので、それを乗り越えればまた普段通り何事もなかったような日がくるのでしょう。それを期待して治療に専念します。

どうやらこの「あづみのつれづれ日記」は「あづみの闘病日記」とタイトルを変えないといけなくなりそう。入院したりすれば更新もままならないでしょうが、可能な限り正直に事情を書いていくことにします。たとえそれがつらいことでも、「知る」ことは単に自分自身だけでなく、私を支えてくれる人にも大切なことですから。

朝大町病院まで出かけて診察をしてもらいました。その結果は、膀胱が炎症を起こしているために過敏になっているのだろうということ。昨夜から寒気がしたり微熱があったりしたのはそのためだったのでしょう。そこで、抗生剤・痛み止めなどを処方してもらってきました。水曜日にもう一度様子を見ることになり、必要があれば入院して治療した方がいいかもしれないということでした。
幸い、トイレに頻繁に行くのは昼前から収まって、今は何とか普通にもどっています。一時は即入院かと思いましたが、とりあえずは大丈夫のようです。


  3月7日(土)
今朝朝食をとりながら「あちこち体がダメになるねえ」と私が言うと、妻は「60を過ぎたらとたんにそうなった。あなたは元気だからうらやましい、どうして自分だけこんなだろうと思っていたけど、二人ともガタがくるるとは・・・」
いやな会話ですが、事実は事実。妻は腰の痛みが他から来ているのではないかと心配しているし、私は私で昨日「腫瘍らしきもの」がみつかって再来週16日から1週間程度組織検査のための入院となりました。悪性であれば、その後さらに本格的な入院・手術ということになります。そうならないように願うばかり。

昨夜は妻とスウェーデン映画「Aa It is in Heaven(邦題:歓びを歌にのせて)」を観ました。どんな映画か全く予備知識なく適当に取り出した(ちょっと意味不明ですね)DVDを観ていただけだったのですが、見終わって実に深い余韻に浸れるすばらしい映画だったと思いました。
人それぞれの人生の苦しみや悩みが、一人のコンダクターを軸に普通のありふれた人々の間のきしみ・軋轢を繰り返す中で明らかにされていきます。そして聖歌隊に集い歓びを共有する中でしだいに心を開いていく。その過程がていねいにごく自然に映し出されていきます。
スウェーデンの片田舎にある偏見・差別などを隠さずに描きながら、それも「人間の力で」変えうるのだというメッセージが静かに伝わってくる佳作。おそらく自分の人生といろいろ重ね合わせて観る人も多いのではないでしょうか。
失意のコンダクターが心臓が止まる瞬間に見たもの。一度は突き放した自分自身に再び巡り会い、自身を抱きしめるその歓び。黄金色の麦の穂につつまれたラストシーンは印象的です。商業主義にまみれたアメリカ映画ではつくりえない映像ですね、これは。まだの方は必見です。




  3月5日(木)
参議院議員の井上さとしさんから、次のようなメールが届きました。

「またホップ、ステップ、肉離れか…」――ある民主党幹部がこうつぶやきました。
今日の夕方、民主党の小沢代表の秘書が政治資金規正方違反の疑いで逮捕されたことは、永田町に激震を走らせました。

これまでも、自民党の事務所費問題を追及していたら自分の党でも問題が発覚したり、自民党を追及したつもりが自分で墓穴をほった「永田メール」問題がおきたりしてきました。そのたびに「追及が自分に返ってくるブーメラン政党」だとか、「ホップ、ステップ、ジャンプのはずが肉離れ」などといわれてきましたが、今日の小沢代表の秘書の逮捕は比べ物にならない衝撃です。

容疑は、西松建設からの違法な献金をもらった疑惑。
小沢代表は、自ら事実関係を国民に納得のいく説明をすべきです。同時に、西松建設から同様に献金をもらっていたのは小沢氏だけではありません。二階経産大臣をはじめ自民党の政治家にも献金は流れています。各党、各政治家にも厳しい説明責任が問われています。


小沢さんは「不公正な国家権力、検察権力の行使」と息巻いているようですが、足下をよく見れば、昔から相も変わらぬ利権体質はぜんぜん変わっていないのではありませんか。事実西松建設のダミー政治団体から10年間で3億円とも言われる政治献金を受け取って、企業献金は大いに結構だと開き直っているのですから、検察が操作に踏み切ったそれなりの理由は当然あるとみるのが自然です。
あわてて政治献金(パーティー券)を返却する自民党議員のみなさんも滑稽ですよね。きっと戦々恐々としていることでしょう。
これだけのことがあっても、自民・民主のみなさんには企業からの献金から手を切ることはできない。それこそが彼らの立脚点だからです。それゆえ、決して彼らは庶民の側には立てない。
今度の強制捜査で「政治不信がいっそう深まることが怖い」などと「評論家」ぶっている人がいましたが、その対極に、企業からの政治献金とも政党助成金とも無縁の政党があることにはまるで触れない。
今回の小沢民主党代表への強制捜査が意味しているものは、自民も民主も結局は同じ穴のむじな。こうした金と政治の結びつきを絶つには清潔無比の日本共産党の得票と議席を劇的に増やすこと(根本的には自・民にだけ有利なこの選挙制度そのものを変えないと難しいけれど)しかないと私には思えますけど。

********************************

話は全くかわりますが、NZへの旅行を前に、ついにモバイル・ミニPCを買っちゃいました。ミニPCの火付け役のあの「ASUStec EeePC S101」です。
「価格ドットコム」で一番安い店を探して注文したら、次の日くらいにもう届いた。ものすごく素早い対応でびっくりです。さっそく使いやすくカスタマイズして、いろいろ試しているところ。
あまりにも小さいので、これを見て次に今使っている24インチのディスプレーを見るとものすごい違和感。しかし、使い勝手は大変よろしい。無線LANが内蔵されているから、今使っているMacの無線が使えてこれも二重丸。海外に持って行って、そこからホームページの更新もできそうだし、妻は毎日の家計簿もつけられそうだし、旅行に持って行くにはもってこいです。
これで、PC関係の装備はすべて完了。あとはひっそりとひたすら我慢の生活をしないといけません。でっかいPCはやめて、このミニノートとLinuxでなんとかやっていけるでしょうし・・・・。





  3月4日(水)
ちょっとご無沙汰してしまいました。いろいろ書いてはいたのですが、いずれも最後まで書ききれず、消してしまったりしているうちに3月を迎えてしまいました。あまり更新していなかったので、妹から心配しての連絡もあったほど。二人ともいたって元気ですからご安心を。

昨日から今日まで息子の嫁さんの母親が病気で手術をして長期入院しているために、病院のある栃木までお見舞いに出かけておりました。
手術はかなり大変だったようですが、何とか無事成功して今は完治にむけて療養に専心しているところでした。まだ食事ができず点滴で栄養補給している状態ですが、傷はすっかりきれいになっており、歩行も普通にできるとのことで、ともかく焦らず治療に専念してほしいと伝えてきました。一日も早い完治を願わずにはいられません。

今日は栃木も雪。屋根や木の上に1〜2センチほど積もっていました。池田もわずかに降った様子で車にフロントガラスの上に雪がわずかに残っていました。「名残り雪」のようなもので、このあとは一日一日春に向かって季節が移っていくのでしょう。
2時頃に池田に着いてから二人とも「眠い眠い」を連発して少し昼寝。私はその後仕事があるので早めに大町にでかけました。今日は数日後に入試を控えた中3生の最後の授業です。中には前期試験で早々と合格を決めてしまった子たちもいるのですが、彼ら彼女らもまた遊ばないように学校から宿題がどっさりでているので気が抜けない。時間はあっというまに過ぎていきました。「しっかり頑張れ」とエールを送って授業の終了です。
今日出願倍率の発表があり生徒の一人はワンセグでさっそくチェック。こんな姿を見ると、この頃の携帯は便利なのかやりすぎなのかわかりませんね。発表された倍率を見ると地域の進学校でかなりの定員割れ。これでは高校再編が急がれるのも無理はありません。ごく一部に1.2〜1.3倍くらいの学校があるのを別にすればほとんどが定員ぎりぎりか定員割れ。少子化の影響がこうしたところにはっきり出てくるようになっているようです。

仕事を終えて遅い食事をして、いまようやくちょっと落ち着いたところです。

******************************


お見舞いに出かけるまでの数日間は病院通いと今月末からのニュージーランド行きの準備であれこれ忙しく動き回っていました。
ニュージーランドへの旅行は今月29日から来月15日までの2週間半ほどの長旅。途中友人のMikeの家にもよりながら北島、南島の主なところを順に回ってこようというちょっと贅沢な日程です。
ただ、初めてのところでパック旅行ではないので、すべて自分で旅程を計画し予約も入れなければなりません。はじめはネットでいろいろやろうと思っていたのですが、思いのほか面倒で、しかもぜ〜〜んぶ英語だし飛行機の予約もさっぱりネットがつながらないので、結局旅行社を通してやってもらうことにしました。
ようやくほぼ予定がきまったところです。ただ、Mikeに頼んである南島クイーンズタウンから北島オークランドまでの航空券がまだきちんととれないことだけが懸案事項。今月はこの旅行の準備を軸に結構また忙しくなりそうです。



top