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  12月17日(火) 晴れ       思いこみは失敗の元

民芸の例会で東京に出かけました。今日は帰りがいつもより早いので、JRより安い往復バスを利用することにしました。
いつものように富山の友人と約束して出かけました。開始時間よりも少々早く着いたので昼食を食べてデパートを散策してから会場に向かいました。開場時間になったのでサザンシアターについたところ様子が変だ。人はいないし、会場も開いていない。友人は会員になって長いので状況はよくわかっているので先に会場に行っている。私もわかっているものと思い気にもしてなかったようです。
毎回同じ会場だったので今回も同じだと思いこみ、確認していかなかった自分にショック。すぐに電話をして場所を確認、日本橋の三越劇場だといいます。地下鉄を利用して到着までに40分から50分はかかる。諦めていたところ2幕からでもどうぞと言うので急いで行きました。
地下鉄は乗るまでに長い距離を歩くので焦っていらいら、乗り換えをしてやっと到着。何とか1幕終了時間に到着出来ました。
2幕目から見ると理解困難ですが、あらすじでなんとかわかりました。
客員出演の篠田三郎さんは背が高く、ダンディでとても素敵な方でした。12月は毎年この三越劇場が公演先になっているそうです。
今回は大失敗でした。東京は師走のせいか、どこもかしこも人、人、人。買い物予定があり、デパートに入っても超満員。人酔いしながらも品物を探したが品切れ。諦めて退散。何もないが池田がいいですね。



  12月13日(金) 晴れ            池田友の会忘年会

忘年会のことは沖縄にいるときにYさんから連絡を受けていたので予定していました。場所は町中の焼き肉やさんです。
沖縄のお土産を持って行くことにしました。ジュースだったら持ち込みもいいでしょうと会議の間に飲むシークァーサージュースを作っていきました。「香りがいい、美味しい」と言われ、お世辞でも嬉しい。また料理の合間に友人が作ってくれた「パパイヤのお漬け物」を食べてもらったところ、青いパパイヤは初めて食べたけど美味しいとの好評でした。
「パパイヤいりちー(炒めのも)」よりも漬け物の方が美味しいかもね。でも好きずきです。ちなみに私はどっちも落とせません。
この焼き肉の店は開店間もないのでまだ入ったことはありませんでした。忘年会メニューで手頃の値段。女性には有り難いメニューでした。
ビビンバの韓国料理もあり、好きな人は注文していました。焼き肉にはやっぱり生ビール、美味しくいただきました
。今年は目標には達しなかったけど会員も増え、乾杯。またまた新年会の出し物に話ははずむ。これから余興練習が開始されます。余り乗り気はしませんがやるしかないか。



  12月11日(水) 晴れ        友の会で沖縄報告

帰ってきて早々に「健康友の会」本部幹事会の案内をもらった。通常の第3水曜日が師走なので第2に変わったようです。
月、火とボーリングも例会があったのですが、長いこと練習もしてないので参加する気分にはなれなくて欠席しました。しかしいよいよ活動開始です。
毎年会員拡大月間が9月から11月まであります。10月の頭に一回だけ地域行動をして出かけました。皆さんは月間の報告ばかりでしたが、私は一番大事な時にいなかったので申し訳ない思いをしていました。そのことを断ってから沖縄の報告をしました。
いろいろ問題になっている基地問題や特別秘密保護法案のことなど、見てきたことを報告しました。沖縄の集会は迫力がある。政府に対する怒りを声高にぶつけているのです。びっくりしたけど面白い。
沖縄に着いた頃、自民党が辺野古容認に寝返ったのでこちらの超党派の議員が「公約違反は辞任せよ」と怒っているところがテレビに映っていました。船の中では情報が入らないので聞いてびっくりでした。どうしてそうなのか、自分の故郷が心配ではないのか。生活のことが優先されるので仕方がないのかなとも思ったりしたけど、長い目でみると基地はない方が安全です。
最後に沖縄の方言を一つ教えました。東北の「じえ、じえ、じえ」ならぬ「わじ、わじー」は「腹がたつ」という意味です。
わじ。わじーすることがいっぱいありました。多々あります。ちょうど「いつでも元気」に報告したような事(東村高江)のことが掲載されていたので、「元気」の拡大にもつながるのでいい機会だと思いました。
また琉球朝日放送局のアナウンサーの「沖縄の思いよ届け」というエッセイが載っていたのでそれも紹介しました。開局とともに沖縄へ東京から移住したそうです。開局した1995年に3人の米兵が少女を暴行する事件が起きた年だったそうです。この事件を胸に刻んで「少人数でも基地問題だけは絶対に落とせない、後退させない」という思いで報道に携わって来たそうです。怒りを持ち、なんとしても基地やヘリパットの建設を中止させようと報道していますが、沖縄の基地問題はなかなか全国ネットにはならないそうです。
昨年の12月にヘリパット工事に反対する高江の住民らの座り込みを撮影したドキュメント「標的の村」を沖縄で放送したところ、動画がインターネットに投稿され、またたく間に3万回以上のアクセス数になったそうです。「国がこんなにひどいことをしているなんて知らなかった」「全国にも放送してほしい」と言う電話やメールも多数。テレビで流せないなら映画にして全国に届けようと「標的の村」の映画が出来たそうです。
沖縄では各地で上映会が済んだそうです。はやく本土にも来てほしい。そしてこの三上アナウンサーの思いが届くことを願っています。
このエッセーを見るまで沖縄にこんなアナウンサーがいたことを知りませんでした。しっかり真実を報道してほしい。



  12月10日(火) 曇り     「協会解散した」との趣意書届く

寒い日が続いています。昨日は息子の誕生日、41才になりました。こんな年齢になっても親から見れば心配の種は尽きない。テレビや新聞沙汰にはならないだけましかと納得するしかないのでしょうか。
このところ沖縄でお世話になった人たちへのお礼のハガキを出したり整理をしています。帰ってきたら現実に引き戻され、仕事も次々にきます。寒いから引きこもっての仕事です。

昼頃私の担当をしているマレットのSさんが書類を持って来ました。彼は昨年まで役員をしていて、今は下りてはいるが文書配布は続けています。
趣意書を持ってきてくれたのだ。何のことだ、えらく早いなと思いながら見ました。
彼も怪訝そうな顔をしながら「協会を解散した」と書いてあるよという。本当だ。
総会では会長個人の気持ちとして「解散して一からやり直したいよ」と冗談交じりとも取れるような発言はしていたが議題としては一言もなかった。
発行者はマレット愛好会の会長名となっていました。「さて、25年度の定期総会に於いて維持管理の問題で協会を解散しました」とあります。
この文書を見る限り、総会で解散することが決まったような文面です。しかし、維持管理の困難な話は出ましたが、解散の話は一言も出ませんでした。
Sさんも「おかしいね、来年度の行事や予算案なども承認されたのに」「予算も少ないが繰り越しがあったのにどうするのかね」と彼も不満そう。
役員をしていた彼からそんな言葉がでるなんて思っても見なかったのでびっくりしました。そのくらい今回のことは唐突に出てきたのです。
役員会が開かれたかどうかの確認がしたくて現役員のYさんを訪ねました。マレット場にいるとの事だったので久しぶりにマレットに出かけた。マレットをしながら話を聞くと「役員会は開催されなかった」とのこと。じゃあ誰が決定したのか。たまたま居合わせた他の役員も知らないと言う。「解散」は独断で決めたのか、私たちには協会を私物化しているようにしか思えない。なにかしら腹が立ってきました。



  12月8日(日) 晴れ           やっと池田到着

温泉でゆっくりして、お昼頃池田町に到着しました。アルプスを見て、帰ってきたんだ〜という実感。久しぶりの池田町、懐かしい気がしました。
家に着いて車から下りると同時にマレットのSさんがやってきました。本当にタイミングよくでした。総会が1時半からあるとのことで、欠席の場合は委任状をほしいとのことでした。急ではあるが出席することにしました。ですが少々遅れますと言うことで。
この総会は出席して意見を言っても通らない。会長のひと言で物事が決まるのです。しかし欠席すると何が決まったのかわからないので出席することにしたのです。
月例会の表彰は終わっていて、事業報告に移っていました。事業報告や会計報告が承認され来年度の案も承認されました。
マレット場の維持管理の話になって、マレットには来ても清掃に出てくる人は少ない、このままでは役員任せになって負担が大きくなって役員のなり手もないという。
議案書に清掃が何回実施され、何回出たという個別報告がなされています。議案書に載せるならもっと慎重に印をつければいいのにと言う不満も出ました。(もっと出ているのに2回しかついてないという影の声)。
役員(主に会長)の思惑と会員の考えのずれがあるようです。一般会員の気持ちは「やり過ぎ、なにもあのようにつるつるにせんでも」と言う意見の方が多い。
役員は少しの草が出ても除草剤を蒔いています。このままでは金と時間が掛かるのは当たり前のことです。みんなが役員になった気持ちでやってほしいという。来年度の会費を徴収する時には、今日の報告をしっかり文書で報告して趣旨に賛成する人だけを会員にすると言うことになりました。
他にも県連の大会に出る場合のユニホームが決まったという事についても意見が出たが、「上から決まったことだから」と一方的に押さえつけ。
今日の総会の議長は会長がしていたので何を言っても余り納得のいく回答はありません。(ちなみに県連の会長も池田の会長が兼任、すべてが会長の一声で決まるらしい)。
しっくりいかない状態で総会は終了して、私たちは女性だけ5〜6人でお茶のみにいきました。
案の定総会の不満がタラタラ、みんな思いは同じだね。ごたごたの中でマレットはしたくないね〜と。来春、会費徴収の際にどんな文章が来るのか楽しみだね。



  12月5日(木)〜7日(土)   戻る日

「今日帰ります。お世話になりました」・・・友人達に連絡し別れて来ました。約2ヶ月近くの滞在。結婚後は初めての長期滞在でした。
そして初めての車。自由自在に沖縄を走り回りました。新しい道は沢山出来ているが、昔からの道もまだ残っています。懐かしく沖縄の味をかみしめました。来た時と同じくらいの荷物を車に積み込み、昼頃に家を出発しました。家に帰る妹も一緒に田舎を出て、途中のバス停で降ろし港へ。途中に瀬長亀次郎さんの「不屈館」があるので2度目の訪問をして、月ごとに違う展示資料を見て最後のお別れをしてきました。

港には少々早く着いたので、近くを散策。今度は来た時とは違い、一般客が多くて車の客は数える程。高校生の客も多く、奄美大島までの客が多かったようでとても賑やかでした。

船は5日の午後4時、時間通り出航し、大阪南港にもほぼ時間通りに着きました。下りるときは客も閑散として寂しい感じでした。
7日の早朝6時半、大阪の街がうっすらととても綺麗。38時間少々の船の旅でした。
夫は昨日から泊まり込み、早朝港に迎えに来てくれました。感謝、感謝。今朝は少し涼しいけど、昨日の大阪はとても暑かったとのこと。
一路、長野に向かって出発。食事や休憩などで車を下りると風が強く寒い。沖縄を離れたことが少しずつ実感されます。
長野の最南端、阿智村に午後に着きホテルにチャックイン。ゆっくり温泉に浸かって行こうとの夫の計らいでした。阿智村は桜や花桃の産地、探し探したどりついた場所は、年金者組合で春に来て日帰り温泉を楽しんだ場所のすぐ近くのホテルでびっくりしました。
沖縄ではシャワーばかりの生活だったので久々の温泉でゆっくり出来、美味しいご馳走も食べて至福の一時でした。夜はロビーコンサートがあり、女性のピアニストの演奏も素敵でした。



  12月4日(水) 晴れ         最後の夜

昨夜は高校時代の友人達と飲み会。ノンアルコールのビールというのを飲んで車で帰ってきました。普通のビールのような感じですが、本当にアルコールは入っていないのか。最近の飲み屋はこのビールが結構流行っているようです。
カラオケも繁盛し、沖縄民謡を歌う人が多い。知らない歌が多いのにびっくりです。いい歌が結構あり何曲か覚えたいなと思ったけど聞くだけで終わりました。
帰宅したら3女が泊まりに来ていました。最後の日一緒に帰宅準備をしてくれるようにお願いしたのです。
水曜日は母はデーサービスの日です。母が出かけた後私たちは早速準備に取りかかりました。
家から離れた場所に畑があり、そこには兄がいろんな実のなる木を植えてあります。シークヮーサーの木も沢山あるので取りに行きました。時期的にもう終わりでしぼんでいるのもあったけど、選びながら沢山取って来ました。
お昼には、近くに洒落たレストランがあるというので、友人達が誘いに来たので食事に行ってきました。そのレストランは糸数壕の近くの高台にあり、見晴らしがよく那覇の方まで見えました。洋食専門、開業10年近くもなるらしいが知りませんでした。
宮本亜門さんがこちらの「ふわふわオムライス」は美味しいと評したそうで人気が出たそうです。美味しかったので今度は夫も案内しようと思いました。

今回は長期滞在だったので、美味しい店や珍しい場所にも案内してもらって、30数年ぶりの再会もあったし思い出多い年になりました。家では妹がシークァーサーを沢山絞っていてくれたので持ち帰る準備をしました。
また屋敷の至る所に「からしな、方言ではしまな〜」が出ているのでそれも沢山取り塩漬けにしました。この野菜はとても繁殖力が強く、種を蒔かなくても勝手に出てくるのです。昔はお弁当のおかずに毎日毎日同じものでした。今でも美味しいので、また懐かしく毎日食べていました。
友人達が持ってきてくれたお土産も沢山。皆さんありがとう。いよいよ明日帰ります。
夕食は外食に行く予定が食材を残しておくと母が無駄にしてしまうので家で食べることにしました。母の嫌いな乳製品やチーズなども片づけなくては
。最後の日3人でゆっくり食事をしながら歓談。また「寂しくなるね〜」という台詞。これを言われると辛い。しかし今は妹が時々来てくれるので心強いようです。



  12月2日(月) 晴れ           悪法廃案に

帰る日が迫っているのにいろんな集会に誘われます。午前中は那覇の町に出てお土産を買って送りました。車で来ているけど郵送料が無料だから店から発送しました。
昼食は市場の近くにある食堂に入りました。昔からの店で今でも客がたくさん。おばさん達が元気でてきぱきサービス、これが繁盛の原因かな。

夕方から「特定秘密保護法案」の廃止求めての県民集会に誘われました。会場が那覇で駐車場の場所がよくわからないので、バスで出かけました。久しぶりにバスに乗ってみると相変わらず客は少ない。
沖縄も車社会になっています。軽自動車とオートバイが目立ちます。
那覇の県庁の前にあるパレット久茂地というビルが賑やかなのでよく見ると、中に「りゅうぼう」というデパートが入っていることがわかりました。集会が出来る会場や地下レストラン街もあって買い物客が多く、近辺の道路はいつも混雑しているそうです。
沖縄で初めてこのような集会に参加したが迫力が違いますね。県の憲法普及協議会と弁護士会、県議会野党4党会派が主催。
琉球大学の法科大学院の高良教授は、「秘密保護法は公務員やマスコミなどに影響すると思いがちですが、あらゆる国民に影響する」と指摘。沖縄では米軍基地があるので、市民生活でも対象となり処罰の可能性がある」と危機感を募らせていました
集会ではある時は方言で、また大きい声で怒りを政府にぶつけていました。これが沖縄の皆さんの気持ちですね。とても熱気があり力強さを感じました。



  12月1日(日) 晴れ    金武町へ

師走になりました。まだ沖縄にいます。11月一杯で帰ると言っていたのに少々長引いてしまった。
長野ではもうすっかり冬になっているのにこちらは天気がよくて暖かい。師走という感じではありません。

毎年12月1日は那覇マラソンの日だそうです。今日はたまたま他の予定と重なり、残念ながら見学には行けませんでした。
友人に誘われて沖縄に中部にある金武町へ「ノルディック・ウオーク」に出かけました。スキーのストック用の棒を持って歩くスポーツで、長野の池田町でも愛好者がたくさんいます。
金武町が沖縄で初めて取り入れた場所だそうで、毎年この日に「ノルディックウオーキング大会」が行われるとのこと。そこで今年は私たちも参加することにしました。
5キロ、10キロとコースがあり、私たちは5キロコースに参加。金武の町は基地が一部返還されていて、外人相手の店の跡地が目立ちます。こんな場所を見ながら歩いているとどうしてこの地にいるか不思議でした。
5キロはすぐに終点で疲れはないのですが、帰りはマイクロバスが迎えに来てくれました。
金武町は田芋の産地でもあるそうで田芋を植えた水田が多い。出発した所に戻ると産業祭りも行われていました。沢山の物産展の店が出ていました。
田芋を使ったお菓子や料理が人気があり店の回りには行列が出来ていました。各店試食品が出ているが、その量が試食品とは思えない程多い。試食品を食べ歩いてお腹が一杯になるほどでした。豪快だね〜。
沖縄のミカンと言えば2月頃が旬の「タンカン」という品種が有名ですが、そのほかに美味しいミカンが沢山あることを知りました。取り寄せが出来るかどうか調べてみます。



  11月1日(金) 雨           母の病院付き添い

沖縄に来て19日目。台風に見舞われていた10月も過ぎ、やっと穏やかになったかなという感じです。ただ、台風の時でさえ余り降らなかった雨が続いています。
長野の池田では女川への買い物ツアーがいよいよ今日・明日。朝6時半出発だといいます。私も行きたかったので残念です。
長野へは家で取れた島バナナなどちょっとしたものを取りそろえて送りました。着くのは3日目だから夫も帰ってくるころなのでちょうどいいはずです。

今日は母の病院の付き添いです。母は津嘉山の手前の徳州会病院に掛かっていて、2ヶ月に一回の受診だといいます。昔は協同病院に掛かっていたのですが、日赤に変わったあと今の病院へ。その理由について、医者の関係で転移転移になったと母は言うのですが定かではありません。何かと問題になっているこの病院、あまり好きではないのですが本人が何も感じてなく通院しているのでいろいろ言うこともありませんね。
内科に掛かっているのに湿布薬も処方してくれます。しかも院内でもらえる。これは年寄りには便利でしょうね。
「足腰の痛みがなかなか治らない」と言うと医師は「90年も使ったからね〜」と。
母は9月で94才になり、心臓にステントが入っているし、いろいろ薬は服用しているもののまあ元気な方です。湿布を沢山もらい満足して帰ってきました。
今日はデイサービスに行く日だったので、施設に送って行きました。ついでに中を見学。
一階が談話室、2階がリハビリ室になっています。リハビリが出来るというのでこの施設を選んだらしい。
いつもデイに行く日は家でシャワーをしてから行くので「逆だよ、施設で入れてもらえばいいんだよ」と言ってもダメ。訳を聞くと男性の介助がイヤだというのです。90を過ぎてもそんな感情があるのかと感心しました。
沖縄の施設は半分程度が風呂はシャワーだけのようで、冬は風邪を引かないか心配になってしまいます。家でも一緒だから生活様式が違う本土と比較は出来ないので仕方がありません。
母を施設に送った後は障子張りが残っているがイヤになり、今のカーテンを取り替える作業をしました。古い家だから掃除も大変です。







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