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10月31日(火)晴れ   九条の会頑張れ
今日で10月も終わり、台風の後は少し涼しくなりました。昨日から市役所に通っていますが、役所の向かいにあった母の従姉妹の家がなくなり(住人は施設に入居で空き家になっていた)、駐車場になっていたのでなんだか寂しくなりました。
名簿作りは大変で、入れ替わり立ち替わり作業ができるように、多くの人に呼びかけているようです。私は奥武島を担当していたのですが、人口が多いだけ有権者も多いのです。
同級生の名前を見つけたり、奥武島や志堅原に新しいマンションが出来て本土からの移住者も沢山いることがわかりました。選挙人名簿の中には勿論ですが、平成生まれの方も沢山います。私たちの時代の人は少数派、おじい、おばあの時代になりました。
作業に来ている女性は皆さん一回り位違うかという若い方ばかり。その人たちの話を聞いていて、あの「オジイが」・・・。そのオジイは同級生だとわかりショック。もう「排除?」される方の仲間に入ったのですね〜。サビシ。

夕方から糸満まで出かけました、九条の会の呼びかけで「映画とシンポジウム」という集いに参加。映画はカメジローのテレビ版、講演は憲法学者の小林武さんという人で、大学を退官してから沖縄に移住してきた人らしい。
時間が短いので講演ではなく基調報告かな。「沖縄と憲法」。声が優しいのとマイクの調子も悪いので聞きづらい。よくわからないけど現在宜野湾に住んで7年、地域の人にようやく受け入れられたそうです。
同じ憲法でも本土と沖縄の感じかたはこんなにも違いがあるんだと今更ながら思った。あとは九条の代表や事務局長、最も活動の盛んな小禄九条の代表などの話でした。その事務局長が元教師。
しかし、どこでも感ずることですが、活動している人の多くは教師あがりが多い。それ以外の人(特に女性)にもっと働きかけなくてはと思う。
糸満では11月19日に市議選(告示は12日)があるそうで、(応援も頼まれている)現職2名と新人1名が予定。その新人が会場から発言していたが、ハルサー(農家の人)らしい。頑張ってほしいです。
有る場所まで行く際に、子どもの頃感じた距離感と実際運転して行く距離感が違うので、糸満は意外に近くて時間まで近くを散策していた。糸満の土は赤土で、南部よりもいい土だと思う。スプリンクラーで撒水していました。


10月30日(月)曇り    南城市長選の準備
気温が少々下がって24度。「寒いね〜」というのがこちらの方の挨拶。ちょっと涼しくなって過ごしやすくなりました。
南城市は来年市長選挙があるそうです(選挙の年だね。名護市長選、県知事選)。今までは無投票だったそうで、どうしても対立候補を立てたいと候補者選びに奔走していたようでし、やっと見つかったそうです。
いよいよ選挙、支援者のグループで選挙人名簿の作成をすることになったと連絡がありました。選管では名簿はコピーや写真は出来ないので手書きで写すしかありません。有権者が35,000人くらいいるらしい。お手伝いを頼まれて朝から南城市役所の選管に詰めています。
共産党の市会議員が窓口になり、女性陣が手作業に当たっています。やるからにはしっかりやらねば。こっちは必死になって少しでも空いてる時間を配慮して行っているのに、担当者が遅くに来て時間を無駄にしているところがあるので少々苛つきますが、南城市にもこんなに沢山の進歩的な女性がいたのかと思うと歳月の流れを感じました。
これから辺野古も行くし、糸満の市議選がもうすぐあるとのこと応援も頼まれているので忙しくなってきました。当分少しでも時間があれば役場に通う日が続きそうです。

昨日は台風が去って、なんとか晴れました。兄貴夫婦が来て台風の後の大掃除。そんなに大したことはなかったけど、風で飛ばされたものを片付ける手伝いをしました。
猫たちは庭で木登りをしたり、蝶々が花の周りに飛んでいるのでダイビング。さすがにつかめませんが元気そのものです。3月に生まれたとか。半年を過ぎたばかりで可愛い盛り。兄貴が夢中になるのもわかります。
そういえば家のハルちゃんも昔はよく木登りををしてたな〜。今は歳のせいか寝てばかりだ。


10月28日(土)暴風雨  台風22号大暴れ
昨日から風が吹き出したので、やっぱり台風は来るのかという実感が。寝るまでは大した事はなかったのに、夜中にふと目を覚ましたら雨風がひどい。
早朝5時頃には近くの町の緊急避難速報が携帯に入りびっくり。その後テレビで台風状況を見ると避難指示が出ている市町村が結構あり、停電も出ていました。
南城市はいつも停電するからと兄に言われていたので準備はしていたのですが、心配していたことはなかった。
午前10時頃静かになったのでもう通過して行ったのかと思っていたら、昼過ぎが本番というのです。夫は電話で「台風の目に入っているのでまたひどくなるよ」と言っていました。
案の定、午後から雨は大したことはないけど、風が強くなり、飛行機も欠航、陸の交通機関も全部不通になっていました。
毎度のことですが、足止めされた本土の旅行者の困った顔が映し出されて人ごとながら可哀想でした。久しぶりの本島直撃の台風で大変だったでしょう。
私も久々に味わう台風です。台風と言えばついつい昔のことを思い出してしまうのです。
昔は家が茅葺きのため、強風に煽られて家全体が揺れるのです。台風がくるたびに、近くの小学校に避難していました。
今は、古い家ですがコンクリート建てになっているので避難することがないだけいい方です。こんな時代になったとはいえ、中には避難せざるを得ない人だっているのではと案じられます。
台風で兄も来られず、外出も出来ないので今日は私がネコたちのエサ当番。納屋の方で夜は寝ているので、朝戸を開けたら3匹が入ってきた。一匹いないけどどうしたのか。夕方まで待っても来ず。一番人見知りのクロがカメラを向けても逃げなくなりました。近くには来ないけど一歩前進かな。






10月26日(木)曇り     高齢者大会中止〜残念!
今週末にかけて台風が来るという予報ですが、まだその兆候は出ていません。少しだけ風は吹いているが、そのためにさわやかな感じです。
兄貴は相変わらずせっせとネコの世話に通っています。畑の作業があるので、いずれにしても毎日来なければいけないとはいえ、大変なことです。
明日から高齢者大会の関係で行けなくなるので友人の顔を見に行きました。お昼をご馳走になり話に花が咲いて帰りそびれていたら、そこに一本の電話。Tさんだ。名古屋に住んでいる彼は奥さんの親戚の葬儀で2〜3日前に来たとのことでGさん家に来てくれたのです。
私たちが富山に来て以来会っていないので45年ぶりかな。年賀状はやり取りしていたので状況はある程度はわかっていたけどやっぱり懐かしい。しかし年は重ねても面影はあるものですぐにわかりました。またまた積もる話はつきません。
土曜日に帰る予定だと言っていたので台風で帰れないかもよという話をしていました。今度は名古屋で会おうと約束をして別れました。


車に電話を置いたままにしてあったので見ると何本かの着信がありました。帰ってから対応しようと車を走らせていたら今度は夫からの電話。渋滞で止まっていたので話をすると「高齢者大会が中止」の連絡でした。「え〜マジ?」。
ニュースを見ると沖縄のすべての行事が中止になっていました。何のために沖縄に来たかわからない、ショックです。それよりも明日到着予定で迎えに行くことになっていた長野の人たちの残念がっている顔が浮かび、重ね重ねも残念でなりません。
自然現象はどうにもなりませんね。新婦人の人たちもお店を出す準備をしていたのに。何もかもが大きな損失です。あ〜本当に残念で〜す。


10月24日(火)晴れ    沖縄の新聞スカッとします
室内は28度もあるのに風があるので涼しくさわやかな一日でした。大掃除や洗濯などに追われていました。
4匹のネコたちも家の中を我が物顔で歩いています。まだ私には慣れません。兄貴が世話に来ると「猫なで声」を出して寄ってきます。
兄貴は異常なくらいネコたちにのめり込んでいて、ネコの好きそうなおもちゃを沢山おいてあり、やっぱりネズミのおもちゃが好みのようで引っ張って遊んでいます。エサの他に牛乳やまた自分の弁当からもおかずを与えているのでとても信じられんません。毎日世話で通うのなら引っ越してくればいいのにと思うのですが。

新聞をゆっくり念入りに読んでみた。とっても面白い。
今日の新聞には「本紙当選者座談会」として選挙区で当選した4氏と比例区で当選した国場氏(下地さんは欠席)の5人がスクラムを組んだ写真が一面に大きく出ていました。とても信じられない写真でしたが、「国政へ決意新たに」と新聞社としては当然の取り組みでしょうね。
落選した人が比例で復活するのは許せないが、今回は比例が減った関係で2人の自民党議員が復活しなかったので気持ちいい。
沖縄の新聞を読んでいるといつもスカッとする。偏った新聞という人もいますが、本当のこと、当たり前のことを堂々と報道しているので応援したい。
23日の社説には「オール沖縄」3勝、全勝には及ばなかったものの1〜3区で辺野古新基地に反対する「オール沖縄」勢力が当選〜それでも新基地造るのかと大きく書いています。
またさらに「沖縄にとって真の負担軽減とは何か」「自民党は沖縄選挙区でなぜ苦戦を強いられているのか、安倍政権は自らに問う必要がある。自民党候補も沖縄の政治家としてのあり方を考えるべきだ。沖縄の将来を見据えて党の政策を変えさせるのか、それとも党の方針に従うのか。政治姿勢が厳しく問われていることを自覚してほしい」と書いていた。全くその通り、拍手です。
また今日の社説は「『自公3分の2』大政翼賛会政治を危惧する」と大きく見出しを掲げ今の政治を危惧している。「戦前のような体制翼賛会政治にならないように主権者である国民は、政治に目を光らせる不断の努力が求められる」とありました。
今日の新聞にやっと全国の開票結果と当選者が載っていたので長野の状況も分かった。2区の結果は夫から下條みつ氏に当確が出たのは聞いていたが、あとは状況が分からなかった。他の選挙区も見てがっかり。
今の大事な選挙でなぜ共産党の訴えが支持されなかったのか?まずは藤野さんは当選出来て良かった。沖縄の自民党は、比例区は「公明党」と宣伝していました。そこまで共闘かと恐ろしくなりました。
新聞には「うそっぱち」という小さなコーナーがあります。世相を風刺するコーナーです。とても面白いです。
「北朝鮮よりも米軍の脅威が大きいです」「秋の日はつるべ落とし、我々は年中だ」「日本の外交、北朝鮮〜強腰。米国〜弱腰」などなど。投稿作品です。


10月23日(月)晴れ   「米軍が最も恐れた男〜カメジロー」
友人宅に泊めてもらい、引き続き那覇で映画を鑑賞しました。そのタイトルは「米軍が最も恐れた男〜その名はカメジロー」。
随分前にテレビで見ていたが、映画になったというのでぜひ見たいと思っていたのです。9月ごろからだったか沖縄では早くから上映していたので自分が沖縄に行く頃には多分終わったいることだと思っていました。ところがびっくりまだやっていました。
初めの頃は行列が続き毎日超満員だったとか。11月3日までの延長予定だそうです。今日は半分くらいの入りでしたが凄い反響です。
映画はガジュマルの映像から始まった。ガジュマルは大地深く根ざし台風にも負けず枝葉を伸ばし生き抜く。米軍統治下の圧政に抵抗して県民のためのみに生きたカメさんの精神に似ていると思った。
監督は「ニュース23」でキャスターの筑紫哲也氏の薫陶を受けた佐古忠彦さん。テーマ音楽は作品の趣旨に感動した坂本龍一さんがオリジナルを書き下ろし。語りは名バイプレーヤー、大杉漣さんといずれも凄いメンバーです。
映画の中で、亀次郎が演説する会場には学生服を着た人たちも沢山映っていました。私の同級生も当時聞きに行ったことがあると言う。それなのに、なぜ自分は気にしたこともなかったのか。
戦後から「祖国」復帰するまでの期間その運動は続いていて、もちろん本土に渡るまでは自分も沖縄にいたのですから。でも自分が一回も亀さんの演説なりその運動の様子を目の当たりにしたことがない。
田舎では「カメジローは恐ろしい人、近寄ってならん」といつも言われていて、どんな風に恐ろしいかも気にしたことがなかった。
映画の中での演説や国会質問の様子を見るたび、同郷の大先輩の生の演説を生で聞けなかったことに今は後悔ばかりです。見れば見るほど泣けてきます。
「一握りの砂も、一坪の土地もアメリカのものではない」この信念をつらぬいた人。「マジムン(魔物=軍事基地)を退治出来なかった事が心残り」というのが遺言だったとか。
友人たちはこの映画を何回も見に行ったとのこと。彼女らが言うには、死をも恐れず、これでもかという弾圧にも屈せずノーを突きつけた亀さんがスクリーンに映し出されると「シタイ!亀治郎」と拍手が館内に響き渡ったそうです。こんな人二度とでないような来もするが?


昨日の投票日は、もう気が抜けて脱力感だけ。朝からぶらぶら、夜の開票が気になりどうにも落ち着かない。開票時刻に友人宅に行き.それから近くの仲里選挙事務所で一緒に開票を見ることにしました。
開票が進み、自民党の圧勝に腹が立つばかり。沖縄のオール沖縄の2区と3区は早々と当確が出たが、気になる1区と4区はなかなか接戦。11時頃に赤嶺さんの当確。ホッとっしました。
私の実家のある4区は相手陣営がもの凄い勢いで反共宣伝をしていたとか。61才と80才の年齢差も強調していたとも聞きました。途中までの開票では2000票差では勝っていたのですが大票田の南城市、離島票の関係で開票が出来ず、明日に持ち越す結果になってしまった。地元南城市は保守の市長で保守王国。差をつけないと勝てない。心配のままお預けとなってしまった。


10月21(土)午後から雨風    最後の決起集会
選挙戦最後の日、台風接近の予報通り那覇の選挙事務所の近くは荒れ模様になってきました。天気のことは言っておられずカッパを着ていつものように街頭宣伝に。
出かける前にオール沖縄の知事、那覇市長、赤嶺さんの写真入りの名刺を大量に袋詰めをしましたのです、なんで今頃こんなに沢山遅いよ〜とボヤキながら。学生向けという共産党の宣伝のチラシなども大量、本当に遅い。本土から来たから仕方がないとのこと。
何もかも遅い感じを受けながらも、突然の選挙で準備不足となってもヤムを得ないか。まあ兎に角一歩でも二歩でも行こうと名刺の入った袋を持ってでかけました。
平和通りの裏手は民家は少なく人出も少ないものの要所要所で宣伝。ビルから手を振ってくれる方もいたので少しでも効果はあったかなと自己満足。名刺もいくらかは手渡す。
5時からは「打ち上げ」だと言う。何のことかと思ったら最後の必勝総決起集会です。各党それぞれの場所で最後の集会をするのです。
今までも選挙には参加しているのでだいたいのことは知っていると思っていたが「打ち上げ集会」という言葉は初めて聞いたような気がします。
赤嶺さんは選挙事務所近くの日銀那覇支店の前に宣伝カーを構え最後の訴え。向かいが大型スーパーですから買い物客や期日前投票の人たちで賑わっているので足を止めて聞き入っていました。雨風の中凄い熱気でした。
こんな場面をみるとなんだか当選間違いないという錯覚に陥りますが、訴え通り投票箱の蓋が閉まるまでは選挙戦です。やるだけやれば後は審判を待つだけですがやっぱりひやひやもの。
雨風の中、新婦人の百名(ひゃくな:地名です)の人を乗せて帰りました。大城さんという作家の奥さんで出身は新潟。私とは逆のパターンで沖縄に嫁いだのです。前に知っていれば作家の方に会いたい時に会えたのにと残念でした。彼女が言うには今は暇だからいつでも用事があれば会えるとの事でした。






10月20(金)曇り時々小雨    終盤戦3党が横並び
昨日、今日と那覇市の新都心「おもろまち」にある赤嶺さんの選挙事務所に詰めています。明日までです。主に街頭に出放しです。
新婦人の仲間と行動するのですが、沖縄の新婦人は凄い。原稿を見ずにプロの演説並みの訴えをするのです。もちろん原稿はありますが。原稿を読む人もいますが勢いが違います。つい長野の方と比較するからかも知れませんね。
ハンドマイクと候補者のぼり旗を持って暗くなるまで訴えます。県知事や那覇市長も一旦事務所に顔を出し行動に出ます。知事宣伝カーで一区をくまなく回っているそうです。
今日の新都心の訴えでは「この地は30年前に返還されましたが、当時は草ボウボウでした。自分が那覇市長の時にこの町は生まれました。雇用も増えましたなど、基地は阻害要因になるだけです」と・・・。
県知事が応援するのはおかしいという人も聞きますが、オール沖縄の立場でやっているのですから全く問題ありません。
自民党も小泉進次郎が来て必死です。情勢はとても厳しい。台風接近のこともあるので期日前投票を訴えながら歩いています。
「三日戦争」という攻防戦。なんだか自分までハラハラしながら行動しています。それにしてもいつも感ずる事ですが、沖縄の選挙は派手ですね。色があるというか。






10月18日(水)晴れのち雨    赤嶺さん応援隊に加わりました
昨夜、うたた寝をしていたら友人から「共産党の志位委員長が1区の赤嶺さんの選挙応援に来るから」との連絡がありました。2日目は荷物が届くし、ゆっくりしようと思っていたがダメでしたね。
今日は特別に県知事や那覇市長、名護市長など大物が来るよとのこと。田舎でちょうどいいバスがなく一時間も早く出かけました。
県庁前広場で行われた演説会は本当に知事まで参加して応援演説をしてくれた。まさか本当に来るのかなと半信半疑でしたが、出てきてきちんと話をしてくださった。
前の選挙の時も自民党新風会という会派の金城さんという人が(今は保守中道の会を作っている)挨拶に立って、「共産党の赤嶺さんではなくてオール沖縄の赤嶺さんを応援する」と言った。知事や那覇市長も同じ。オール沖縄のすごさを改めて知らされた。
志位さんも沖縄のこのオール沖縄の力が本土の運動まで変えたと力強く話された。例のごとく参議院議員の伊波さんや糸数慶子さんも応援に来てくれていた。




沖縄中部の方は社民党が強い地域とのこと。照屋寛徳さんはもう決定だと言う。1区や4区は互角らしいのでどっちが先に抜け出すか。向こうは今回は必死、なりふり構わずに反共宣伝を強化、本当に卑劣なことも平気でやる。それが自民党のやり口、腹が立つ。(わじわじ〜)
演説会終了後は昼食を済ませて新婦人の方たちと一緒に首里でハンドマイク行動に回りました。選挙が住むまでは母のところにも行けない。明日もまたおもろ町に行く予定。


10月17日(火)曇り  沖縄第1報
今まで長野で沖縄の天気予報を見て、「31度もある、大変だ」と思っていただけだったのに、いよいよその沖縄到着。気温が少し下がって思ったよりは涼しい。私の感想であって沖縄はまだ冷房が入っている生活です。
夕方5時10分頃、那覇空港に着いてみると、まだ明るい。そう言えば本土とは1時間ほどの違いがあったことを忘れていた。
まだ暑いので「ブーゲンビリア」や最近また少しずつ増えてきた「アカバナ=ハイビスカス」はまだ通る人を楽しませています。




実は、1年ほど前に実家にいた野良猫(夫の日記に写真が写っていた)で子猫が生まれたことは聞いており、一体どんな状態か気になっていました。それも4匹生まれて全部で5匹になったのだという。
玄関や家の中にエサや水、トイレなどが広げてあります。兄がしていることで兄嫁さんは倉庫の方に住まわせるようにといくら言っても聞かないとのこと。私がイヤだと言ったら気を利かせていつもは開け放しにしている家も今日は閉めてあってネコは入っていない。よかった。
自分の家にもネコがいるから他のネコも好きかと言えばそうでもない。ハルちゃんは一緒に生活していると情が移ったけど、もともとはやっぱり嫌いなのかな。ネコにも性格があって一匹はすぐに中に入って馴れ馴れしい。2匹は警戒心が強いので隠れて見ていたら食べている。他の2匹は姿を見せない。これから1ヶ月どうなることやら。






10月14日(土)雨のち晴れ    生坂村まつり
今日は夫が無料塾に行く日。夏野菜も終わったので今は秋野菜の出番、農家の方から秋ナスや新米の提供もあり助かっています。
うちでは今は地這いキュウリが少々とサツマイモの時期。朝、雨が降っていたので迷いながらも少々濡れてもいい覚悟で芋掘りに。
雨はだんだん上がりお天気になりました。沖縄に送る分と塾に持って行く分を掘りました。芋はまあまあの出来です。洗ったり準備や世話が大変ですが、保護者からの感謝の声に励まされているのでしょうか。


友人からお隣の村(生坂村)で「赤とんぼ祭り」というのがあるから来て下さいと案内がありました。彼は「チョロギ」の栽培をしているので、そのブースもあるからと。
夫は塾へ行っているので一人で出かけました。場所は長野へ行く際に通る「やまなみ荘」の近くだからすぐにわかりました。
お祭りは今日と明日、「祝・合併60周年」と書いてあり、近くの人に「何処と合併したか」聞いてみたがその人もわからないとのことでした。
イベントも盛りだくさん。富山からチンドンマンが来ていたし、落語や園児のリズム体操、餅つきなどがあり、夜の7時には花火と盛大でした。花火が夜になるので今日はオープニングが午後3時と言うことでした。
「チョロギ」のコーナーは人数は少ないが訪れた人には丁寧に説明していました。知らない人がまだまだ多いようです。
私は一通りお店を回って帰りにちょうど餅つきがあり、皆さんと一緒に並んでお餅を頂いてきました。
生坂村はブドウやリンゴなど発酵食品など村おこしが盛んな所ですね。明日もいろんなイベントが予定されていますが雨の予報、心配していました。







10月12日(木) 雨      選挙一色ムード
昨日と打って変わって寒い。昨日の暑さは何だったのかと口々に言っている。
衆議院議員選挙が公示され世間は選挙一色。第2区は野党・市民連合共闘の候補(社民党)が出馬していて、池田・松川で挨拶演説があるというので出かけました。雨が降っているせいか本当に寒い。
共闘に背を向けた人やナガグツの人が何食わぬ顔をして立候補している。やっていることと言うことは裏腹。有権者はそんなことを見抜く力をつけなければいけないとつくづく思うが、やっぱり寄らば大樹の陰になるのかな。誰が当選するのか全く見当がつかない。22日の選挙当日は沖縄に行っているので今日明日中に期日前投票に行ってきます。

昨日は友の会大北連絡会のマレット大会がありました。役員をやっている手前、この日のために沖縄行きを延期させたのです。
弁当の注文やお茶の世話、その他諸々の世話があり、晴れることを願っていました。秋晴れになったのはいいのですがちょっと暑すぎでした。高齢者の集まりで熱中症が出ないか少々心配でしたが無事に終わりやれやれ。
優勝から3位までは男女別になっているので、私はなんと2位でした。遊びの大会ですので表彰は気にしていないけれど、賞品が多くもらえたのは嬉しかった。日頃の練習で「パーをめざす。オービーを出さない」と言う目標を持って練習をしているのですが、両方とも達成してしまいました。全体に悪かったのですね。




一つの行事が終わりほっとしているのも束の間、今は「友の会」の仲間増やしの期間中です。
夜は松本で本部幹事会。9月に民医連の月刊誌「いつでも元気」の全国交流集会に参加したのでその報告をしなければなりません。
どのような報告をすれば心の中に浸透するか迷いながらも何とか例え話などをしながら報告しました。古狸のような何十年選手がいる中で、さすがに「片耳を押さえて」とは言えず(笑い)友人読者の面白いエピソードなどを交えたので結果的には良かったのかと。
しかし相変わらず反応は鈍く、役員さえ購読していない人がいるので「読者増やす目標『50部』を掲げても運動は進まない」とつい大声を出してしまった。カッとなって少々反省。そろそろ役員を辞める潮時かな。

無心に畑仕事をしているのが一番。汗はかくし、運動にもなるし、ダイエットにもなるので集中しようかと思うのですが、できませんね〜。
夫からはやっていることが多すぎるから整理しなさいと言われるのですが、外に出ていないと認知症になりそう。(自分ではまだまともなつもりでいるのです)
庭の果物が(イチジクや猿なし)がそろそろ食べ頃?。今か今かと待っています。




10月7日(土)〜10月10(火)まで
7日(土)
 ・健康友の会小谷支部へ総会激励に
 ・小谷は支部結成してから何年か経つのに開店休業状態になっていた。
 ・激励を兼ねて大北連絡会の役員会を小谷でやり、その後昼食交流会・総会で再結成を誓った。
9日(月)体育の日、連休
 ・沖縄行きが近いので畑仕事に精を出す。収穫や植えるものがあるので少しでも夫の負担を軽くしようと思うのですが(?)
 ・夜は松本までボーリングの月例会。
10日(火)
 ・午前中芋掘り。友人達にお裾分け
 ・午後はボーリング、ニコニコクラブに顔出し。本来は一緒に投げているはずなのに今回シリーズは沖縄行きのため休止。年齢的に限界と言って退部した人や他にも病欠や都合で都合悪くて休んでいるので人数はますます減るばかりと嘆いていました。


10月4日(水)晴れ  周五郎原作「柳橋物語」観劇
昨日例会が終わり、やれやれでしたが、今日は富山に例会見学に。代表幹事が一緒に行くことになっていたのですが、都合悪くなり一人で出かけました。
演目は山本周五郎原作の「柳橋物語」前進座です。
〜「ふりかかる苦難のなか、生き抜くヒロインおせん」〜。山本周五郎が戦争で傷ついた日本中の人々に送った希望のメッセージ。
来年度の北アルプスの例会演目になっているので、事前観劇することが目的でした。ファンの一人が出演していたので感動。最近なかなか出ていなかったので気になっていましたがお元気で良かった。
いつものように友人たちと電話で連絡して一緒に食事をしました。富山は第2の故郷ですので知っている人が多いのは当たり前です。今回は演劇を見に行ったので会う人々懐かしい人たちでした。20年くらい会っていない人もいて懐かしすぎました。皆さん元気そうでよかった。

帰りに病気見舞いを兼ねて昔の同僚を訪ねたところ、泣いて喜んでいました。病気のせいで気が弱くなっているのを感じました。パークゴルフの好きな彼女、また来るから一緒に行こうと約束をして来ました。
久しぶりに出かけた県民会館、新しくなり様変わりしていました。向かいには市役所。工事が始まる前に異動になったので新庁舎での仕事は出来ませんでした。外見だけはいいのですが、中味は問題だらけのようです。
なかなか交流会までは残る人が少ない。遅くなるから気持ちもわかるけど。お芝居も楽しかったし担当のみなさんお疲れ様でした。






10月3日(火)晴れ   例会担当でした
演劇鑑賞会の例会の日、今回担当でした。「吾輩はウツである」夏目漱石が世に出るまでのものがたりです。
前例会クリアできないまま当日を迎えてしまいました。劇団「朋友」の方々にも顔向けが出来なかったけど頑張ったけど仕方がないね。
搬入(大道具、小道具を運ぶ手伝い)は午前11時からですので夫と二人で出かけました。夫は腰が痛いのですが、「あまり重たいものは持たないようにするわ」と言うので搬入担当にしました。
今回の例会は運営委員会方式をとってから2回目の例会。従来は幹事二人が責任者になって運営を担当するという方法でしたが、今度は幹事同様の人が6人もいたのに、クリアは出来なかった。やり方がまずかったのか今後の課題です。
搬入が終わると私は幹事だから各部署を回る責任があるので、夫は先に帰ってもらった。
毎回例会毎に役者さんへの「お通し」と言う名目で食べ物を差し入れするのですが、実際には昼食になっています。昼食代は払ってい るのにとおかしいと言う人もいるので今後は考えた方がいいのかも知れない。
調理室をのぞいて見ると出来上がっていました。今回の献立は(おはぎ、おにぎり、豚汁、漬け物果物)でした。もう出来上がっていたので食べるだけになって申し訳なかった。役者さんは一度に食べないで代わりばんこに来るので気を遣います。
事務局員が残り、私は一旦家に戻り、夕方はまた5時半に集合。それぞれの担当の場所で役目をします。
演劇が終わり、今度は搬出(荷物を運び出す)、役者さんとの交流で担当が終わります。一年に一回、回ってくる担当だから最後まで責任を持ってと言ってもなかなか交流会までは残る人が少ない。遅くなるから気持ちもわかるけど。お芝居も楽しかったし担当のみなさんお疲れ様でした。


10月1日(日)晴れ  秋の味覚が満載
秋も深まってきました。池田はハゼ掛け米が有名だと聞かされました。池田に来た頃は田んぼ一面にハゼ掛けの光景が秋の風物詩みたいになっていましたが、最近は少なくような気がします。
その脱穀風風景もいまが盛ん。しかしまだ刈り取られていない田もあるので差があるのですね。何しろ水路に水が流れていないので畑には不便を感じます。もうすぐ新米が食べられますね。
ブドウやリンゴも出回っています。女川からの新鮮なサンマも刺身で味わいました。「・・肥ゆる秋」

やっぱり10月ともなると寒くなりました。2〜3日前からストーブも出し、熱がりの夫も毛布を一枚追加しました。ちなみに私は布団にしました。肉は私の方が厚いのに私は寒がり。暑いのは平気ですが。おかしなものですね。
昨日から今日と滝沢のお祭りです。お祭りだと言って神社では賑わっていますが、うちは小さい子もいないのでついつい足が遠のきます。祭りの案内や抽選券など来ますが右から左。酒好きが騒いでいる感じもあるので馴染めませんね。歳を取った証拠かも。

午前中は二人で畑に行ってイチゴの植え付け。ラッキョウも残りを植えました。夫が途中からお腹が調子悪いと言ったので早めに引き上げてきました。
朝家を出るときから「胃のあたりが痛い、お腹もグジグジ」と症状を訴えていて、薬を飲んでいたのです。帰宅して昼食も取らず休んでいたのですが、トイレに駆け込んで嘔吐。びっくりして受診しようと近くの緊急病院に電話をするも「小児科医師が当番」と言われ 中止。嘔吐をしたら少し楽になったと言うので様子を見ることにしました。
二人が一緒に同じ症状が出たら「食事かな」とも思うのですが、同じものを食べて私は何ともない。先日は逆で、私の方がひどかったから。まあ医者に言わせたら、歳のせいにされるだけですね。仕方がない、後期高齢者に近いんだから。気をつけよう。

10月中旬から約1ヶ月の沖縄行き(里帰り)を予定していて、その間友の会や市民劇場などいろいろ予定があってなんだか気ぜわしい。それに選挙、一部の代議士達に振り回され、一体全体この日本はどうなるのか。
昨日はわざわざ塩尻まで芝居を見に行ってきました。鑑賞会に来た招待券があったので夫二人で行ってきました。
タイトル「庭にはニワトリ二羽にワニ」と「キニサクハナノナ」いう2本立て。早口言葉のようなものでよくわからなかったけど「志賀廣太郎さん」が出るので行くことにしました。
「キニサクハナノナ」はまあ良かったけど、全体には子ども向けかなと言う感じでした。悪いけど塩尻まで見に行くほどのものではなかったね〜。ドライブ気分は味わえましたが。

写真は9月の終わりに木曽に行ってきたときの写真です。年金者組合の「女性のつどい」に車で行ってきました。下道で二時間半。木曽路は先だけど遠いな〜。








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