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  10月19日(木)
沖縄高江での米軍ヘリの事故からわずか1週間で、事故原因もわからないまま、飛行訓練が強行再開されたといいます。どこまで沖縄県民を愚弄すれば気が済むのでしょうか。
防衛大臣は、米軍から事故原因が何か知らされたのかという記者の質問に、何も聞いていない、遺憾だというだけ。屈辱的な日米地位協定について何ら言及することができない卑屈さがにじみ出ていました。
翁長知事は、18日「高江地区周辺の米軍北部訓練場にあるヘリパッドの撤去を求める考えを初めて示した」との報道がありました。
「(北部訓練場の)ヘリパッド(着陸帯)こそ撤収してもらいたい。私たちの気持ちからすると使用禁止だ。切なる思いは撤去だ」と述べたと琉球新報は伝えていました。
米軍ヘリの傍若無人の飛行に業を煮やした感がありますが、そんなことなら工事の途中でも態度を明確にし中止のためのあらゆる手段をとるべきだったのに・・・と思います。遅ればせながらでも、その立場を明確にしたことは評価できます。沖縄では今帰仁村議会も「高江周辺のヘリパッド6カ所の使用禁止などを求める抗議決議と意見書を賛成多数で可決した」とありました。
今日は共産党志位委員長が沖縄入りし、



  10月18日(水)
「保守」とは何か。ネットで保守で検索して一番上に書かれていたのは次のような定義。

従来からの伝統・習慣・制度・社会組織・考え方などを尊重し、それらを保存・維持するために、急激な改革に反対する社会的・政治的な立場、傾向、団体などを指す用語である。 対比概念は革新や急進主義、革命主義など。

民進党の代表選のとき、前原=保守、枝野=リベラルという分け方が流行りました。前原さん、自分でも保守だと言っていましたっけ。
でもそれって、ずいぶん表層的というか、単に標識を貼っているだけの分け方ですね。自民党が保守党だと自分で言っていながら、もっぱら対米従属と憲法破壊の行動をしている。日本の基幹産業である米作りを中心とする農業を土台から壊そうとするなんて「保守」であるはずがない。
むしろ共産党の方が、地域ではよほど保守だろうって、以前も書いたことがありましたね。そう主張する人は結構いるのです。
共産党は国民の力で民主主義革命を行いさらに発展させるという見通しを持っていますから定義通りの保守だとは思いませんけれど、たしかにその一面はあるのです。日本国憲法の条項をすべて完全実施するというのは戦後の枠組み(立憲主義、国民主権、基本的人権、平和主義など)をしっかり守り育てていくっていくということでしょう。保守ですよねえ。

そう思っていたら、安保法制以来反安倍の論調を強めている漫画家小林よしのり氏が、立憲民主党の応援演説に立って「自民党は保守じゃないんですよ」と話したというんですね。彼の論理をつきつめていけばそうならざるを得ないということでしょうか。演説をぜんぶ聞いてみると、スジは通っているし、まともなことを言っています。自分の過去を逆照射してほしいものですけど。
彼の論理は極めて明快です。「自分は保守だが、なぜ保守がリベラルを応援するのか」「自民党は保守ではない。あれは、単なる対米追従勢力です」と現在の自民党をばっさり。
では保守の考え方とは何か。「我が国を、我が国で、個別的自衛権で守る。これが保守の考えなんですよ」。ところが自民党は安保法制で集団的自衛権の行使容認を決めた。「アメリカについて行って戦争しろと。それだけですよ。自衛隊を自衛隊のままでですよ?集団的自衛権に参加させるんですか?こんな恐ろしいことはないですよ」と続きます。
希望の党はというと、「希望の党では、集団的自衛権を認めなきゃ入れない。バカなのかと。あやつらは、自民党も希望の党もどっちも対米追従保守ですよ」。まあ、言葉は彼らしく汚いですけど、言っていることは至極まともです。
演説は上のリンクから見てほしいものですが、実は16日のブログで「一に立憲民主党、二に共産党」と書いたものだから仰天した人も多かったのでは?
よく読むとこういう理屈です。

わしは以前、投票するなら、一に立憲民主党、二に希望の党と言ったが、考えが変わった。
一に立憲民主党、二に共産党だ。
共産党は立憲民主党と選挙協力をして、自党の議席を減らすダメージを負いそうになっている。
これは良くない。
希望の党はもう見捨てよう。
一に立憲民主党、二に共産党だ。
それが仁義というものだ


「仁義」ときましたか。もっともその次には、共産党の政策と行動が立派な「保守の思想」だと書いているのです。

これまた安保法制以来よく読ませていただいている安曇野在住の小説家「北林あずみ」さんも「里山主義という新しい保守主義を掲げ」て積極的に日本共産党支持の論陣をはっていらっしゃる。
森友・加計問題の際には「焦り・いらだち」が頂点に達したときだったように見えましたが、今日サイトを訪れてみると私も真っ青の相変わらず長い長い論文。でも、その主張は、なかなか共感できることが多いのです。
その中で中島岳史氏が東京新聞に「いまなぜ保守と共産党が政策的に接近するのかという問いは、重要な思想問題だと思っています」(論壇時評)と書いたことが紹介されていました(これを書いた氏のツイッターはこちら)。
「保守政治の崩壊こそ、安倍政治の特徴にほかならない」(論壇時評)、「共産党が訴えるグローバル資本主義から地域の中小企業・農業を守るというのは保守主義です。保守の私も野党共闘支持です」(共産党チラシ
週刊金曜日の中島氏と共産党山下副委員長との対談も面白い。
緊急対談 衆院選で問われる日本政治の新しい対決軸、リベラル陣営のリアリズムとは(山下芳生×中島岳志)

安倍の本質が浮き彫りになるにつれて、いままでバラバラだったこの国の良識ある人々の声が束になりつつあるように思えてきます。



  10月17日(火)
朝9時頃に明科まで妻を送って行き、その後は妻がやり残していった家事全般をあれこれ。夕方6時近くに無事那覇空港に着いたという連絡があって、さらに2時間ほどしてから家に着いたと電話がありました。
長野とは日没が1時間ほど違うので、午後6時近くでも那覇はまだ明るい。気温は28度くらいで、やはり暑いと言っていました。無事に着いて何よりでした。

さて、 長野県のローカル紙に長野日報(諏訪・上伊那地方中心)というのがあって、その世論調査結果((10日〜12日)をみル機会がありました。そこには注目すべき変化が。共産党が希望の党を上回っているというデータが載っていたのです。

比例代表の投票先は前回調査と比べて自民が1.8ポイント増の25.2%。希望は6.4%だった。他は公明4.2%、共産7.2%、立憲民主9.6%、社民0.6%など。

ただ、たとえば野党統一候補の5区では立憲民主党が12.6%、希望の党は5.3%、公明党が4.6%、共産党が4.0%ですから、独自候補をたてずに他党の候補に統一したところは比例もそれに引きずられる傾向があるのでしょう。今後の選挙の戦い方の重点が見えています。

共産党本部のカクサンブをみると、ツイッターでの「#比例は共産党」がずいぶん盛り上がっていているようですね。短文メッセージが効果的に使われるのはとても面白い。
私はMNEMOさんからお誘いを受けながら、ツイッターは遠慮しますと返事をしたこともあって、いまだにアカウントは持ちませんが、トランプ大統領は別として読むのは楽しい。
その書き込みのなかから。

・立憲民主党ももちろん素晴らしい政党になりうるし、応援するけど、今回は共産党の身の切り方というか、レジスタンスの姿勢はマジでかっこいい。
・比例は今回のいろいろがあっても全然ブレなかった #共産党 って決めてたけど #立憲民主党 ができて応援したくなった。でも候補者下ろす、なんていう苦渋の決断をスピーディにやってのけ、他党との連携を呼びかける姿勢に感動しているので #比例は共産党 へ。決めた。


このように見てくれている人も結構いるのでしょうね。自主的に候補を下ろしたところもあるけれど、統一の話合いで折り合いがつかず独自候補を立てたところももちろんある。小選挙区制だから自民を当選させないために何が何でも一本化すべきなどというのは政党政治のあり方を否定する暴論だと私は思う。だが逆にこんな意見もある。

・友人より→『参院選では支持者の人たちから「共産党が好きだから入れてきのになんで違う人に入れなあかんの?その人のこと知らんし、信用できん。選挙行かない。」と言われ、それを説得するのに時間かかった。共産党やりすぎだって怒ってた。

そりゃまあ、真意がなかなか伝わらないこともあるかもしれませんね。そこは基本的な政策の一致を踏まえての共闘であることをつかんでもらうことが大事ですね。

・モーニングショー、立憲民主党を勝たせるために東京などで立候補を見合わせた共産党について、田崎史郎氏「共産党は財政的に厳しい。供託金没収で億単位の金が消えるかもしれず、本当は立てたくない選挙区もあるのでは」…唯一、政党交付金を返上している政党に向かって失礼では。

共産党は財政的にきびしくホントは全部の選挙区に候補を立てたくなかったんだろう、というゲスの勘ぐり。これに対して小池晃氏が明快に反論していました。

・小選挙区で立候補を取り下げた分、供託金が二倍(600万)の比例代表の候補者を増やしていることも知ってか知らずか。知ってるなら悪質、知らないなら低劣。これが「評論家」ですか。こういう輩を重用するテレビ局もどうかしてますね。

テレ朝もTBSもこの田崎という時事通信社特別解説委員が幅をきかせている。青木理さんも出ていることから局もバランスを取っているつもりなのでしょうけど、ネット上で“田崎スシロー”と揶揄(安倍とよく会食しているので)されているくらいだから、局としてその言動には十分な注意をしてほしいものですね。

書き込みの紹介の中で、「立憲民主党の比例が少ないので死に票になる」という一文をトップに持ってきていましたが、これは投稿者の思い込みによる全くの事実誤認、おわびと訂正がありました。立憲民主党にすれば選挙妨害に近いことになりますね。私もたしかめずに半信半疑とはいえ紹介してしまった不明をお詫びします。削除しましたのでご容赦を。



  10月16日(月)
自民単独で300を伺う勢い、立憲民主堅調、希望失速加速という今日の報道をどうみるのか、朝からテレビ局は忙しい。
立憲民主がそれなりの支持を集めていることはよくわかる。「希望」への合流を拒否し、スジを通して立憲主義を守り憲法改悪に反対するという姿勢を貫いたことに市民レベルでの支持が集まる素地は確かに広がっていたからです。
まともな社会民主主義的な政党の芽が生まれたことは評価すべきことだと私も歓迎します。この党が、本当に庶民の声を集めて、議員政党ではなく全国的な政党として根を張れるかどうかが今後問われることになるでしょう。

私は別の角度からその背景を見てみたい。何よりも立憲民主党が野党共闘(とりわけ共産党との)を重視する潮流として生まれたということ。日本共産党の存在がなければ果たしてこのような変化が生まれたのかどうか。
10年前と様相を異にして、日本共産党が国政に重要な影響を与える政治勢力として存在している事実を私は重視しています。
この党は、過去何度かの猛烈な「反共攻撃」をくぐり抜けて、それでもこの国の民衆レベルの運動を蓄積し、国政課題でも国際的な課題でも矛盾の真の原因と解決の方向を示してきました。それを土台に衆参で一定の議員を持ったことが、この国の、さらには世界政治の変革の芯になり得ているという事実です(核兵器禁止条約締結への関与がその1つ)。
自らの議席を下ろしても野党は共闘という市民の願いに応える姿勢を持ちうるのはこの政党の誠実さを物語るものではないのか。もしこの党がこのような姿勢と勢力を持っていなければどうなったか・・・そう思うのです。
長野二区で中川ひろじさんが統一候補として立候補。地域でこれを支えているのは誰なのか。全国で立候補した立憲民主の候補者が統一候補になって、それを一番支えているのはどこの政党か。地域の底辺から見ていると、私にはそれがよく見えます。
これは他党派の力がないとか、弱いとかということを言っているのではありません。言行一致だということを言っているのに過ぎない。この国の将来を見据えたときに「芯の部分」(根を含めて)を太く大きくする以外に本当の変革にはなり得ない。それこそ私が日本共産党を支持する理由です。

お昼頃から、統一候補の中川ひろじ氏の街頭演説会に行きました。ただ声援をするだけでは物足りないと、雨の中仲間と語らって軽トラ10台を連ねて安保法制や共謀罪の廃止を訴えて・・・そこまではよかったのですが、なにしろあいにくの雨。人通りが少なく、すれ違う車に見てもらうのが精一杯だったのが残念。




夜は隣町で個人演説会。120〜130人くらいで、応援弁士、候補者それぞれに思いの丈を熱っぽく語って、あと数日の奮闘を誓い合ったことでした。

さて、妻は明日の朝こちらを出発して郷里の沖縄へ。こっちは肌寒い雨模様なので妻は「寒い寒い」を連発。ところが沖縄はまだ30度超えの暑い日が続いているので「暑い暑い」になりますね。
選挙戦最終盤で、きっと沖縄一区の応援で週末はかけずり回ることになるのでしょう。今回は私の小型ノート・パソコンをワイファイ付きで持って行ってもらうことにしたので、向こうの様子を随時妻のコーナーにアップできることになるはず。楽しみです。



  10月15日(日)
秋雨前線が南下して列島に居座り続けて数日。かなり雨が降った後、どんよりと曇って肌寒い空模様が続いています。
昨日は松本での「こどもじゅく」。昨日午前中掘ってきた「サツマイモ」、知人から届けられた大きな秋ナスなどを持参しました。他からもリンゴなどが届いており、子ども達は重い袋を下げて帰って行きました。
いつも数学のお勉強に関わっている一人の高校生、先日の定期試験で高得点をとってスタッフから「すごいねえ」「よくやったね!」とお褒めの言葉を浴びていました。まじめでよく努力する子なので、これを励みにさらに努力を続けてくれるんじゃないかと期待。
次は野菜を受け取った保護者やスタッフの声。「こどもじゅく便り」号外です。


さて、話は変わります。埼玉で2014年に「九条俳句=梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」が「公民館だより」に不掲載された事件をめぐって、この13日に地裁判決が出ました。これを詳しく報じていたのが朝日新聞web版

いろいろな資料をもとに、この問題の経過を少しおさらいしておきましょう。
問題が発生したのは、今から3年ほど前のこと。公民館主催の俳句会をきっかけに地域住民でつくられた「三橋俳句会」(平成10年頃から活動)は、公民館側のすすめで平成22年から9人の選者による最優秀作品を「公民館だより」に掲載するようになりました。
ところが、昨年安保法制反対運動の高揚を目の当たりにした一人の住民が詠んだこの一句がどうやら公民館長の「琴線(禁選?)」に触れたらしい。この句の掲載を拒否したのです。
この句が公民館に提出されたのが6月24日。その翌日、公民館の職員から「掲載できない」という連絡が入りました。理由は「世論が二分するようなテーマの俳句は載せられない」というもの。
さらに後日、「公民館は常に中立の立場でなければならない。世論が大きく別れている場合に片方の意見だけを載せることはできない」と先の理由を重ねて伝えたうえで、次の理由が付け加えられたといいます。「『九条守れ』のフレーズが公民館の考え方であると誤解を招く可能性があるためです」
その後俳句サークル会からの抗議と掲載要求要求に、7月に入って公民館側は文書で改めて掲載拒否を会に伝えます。そこには次のような理由が書かれていました。

@社会教育法第23条1項2号によって、公民館は特定の政党の利害に関する事業を行うことは禁止されている。
A「国内世論が大きく別れているものは広告掲載を行わない」との法令(さいたま市広告掲載基準)を参考にした。


ところが、法解釈の誤りを専門家から指摘されて追い詰められた公民館は、その年の12月になって7月に示した「不掲載の理由」を撤回。その変更通知を行うのです。その変更理由が「公平中立の立場であるべきとの観点から、掲載することは好ましくないと判断した」というものですから、公民館側がいかに場当たり的に対応してきたかが分かります。
さて、俳句会はは2015年になって市教委にこの問題を議論するように請願しますが、教育長は「議題にしない」と拒否。やむなく、この句の作者は「公民館だより掲載拒否は憲法で保障された表現の自由の侵害。公民館だよりへの掲載と精神的苦痛に対する損害賠償を求めてさいたま地裁に提訴するに至ります。

この判決が2年経った今年10月13日に出されたというわけです。
裁判所が示した判断の骨子は次のようなものでした。判決文はこちら

@原告の掲載への期待は、思想の自由、表現の自由が基本的人権として憲法が保障しているのに照らせば、法的保護に値する人格的利益。
A掲載によって公民館がクレームを受ける可能性はあっても、句会の名称や作者名も明示されるため、公民館が俳句と同じ立場とみられることは考えがたい。
B判断根拠を示した文書を変更するなど場当たり的説明で、十分な検討が行われた形跡がない。公民館が俳句を掲載しなかったことに正当な理由があったとはいえない。
C職員らは、女性が「憲法9条は集団的自衛権の行使を容認するものと解釈すべきでない」との思想や信条を持っていると認識し、これを理由に不公正な取り扱いをしたというべき。
Dしたがって、公民館の職員らが原告の思想や信条を理由として、俳句を公民館だよりに掲載しないという不公正な取り扱いをしたことで、女性の期待が侵害されたといえ、国家賠償法上、違法となる。


しかし、判決は、原告が訴えた「表現の自由の侵害」については「公民館だよりという特定の表現手段を制限されたにすぎない」として退け、句の掲載請求も認めていません。これは、今日の司法の持つ限界なのかなと思わされる判断で、今日の信濃毎日新聞コラムが「危機感が乏しく物足りない」と書いていたとおりです。
ただ、判決で注目すべき点は、原告弁護団がいうように「句会の名称や作者名が記載されるため、『掲載が中立性や公平性を害するということはできない』としたうえ、掲載しないことが逆の立場の意見に偏り『行政への信頼を失うことになる』と踏み込んだ」(東京新聞)こと。「表現の自由の侵害」が認められなかったことは「残念」としつつも、「判決には市民活動を制約してはいけない、表現の自由を守らないといけないというメッセージが込められている」と弁護団が見ている側面も重要です。

ところで、この判決を池田町での公民館使用許可取り消し問題に引き寄せて考えるとどうなるのか。この点は今後判決文などを研究しながら考えていくべきことです。
さいたま市のような大きな自治体の公民館だから、逆に住民からかけ離れた公民館運営が行われる危険もあるわけで、住民たちと公民館側の話合いの場を見ていても、対応は実にいい加減。その点は現在の(!)池田町の方がはるかにきちんと処理しつつあるとさえ思えてきます(経過は、ドキュメント「ハトは泣いている 時代の肖像」に詳しい。関連記事はこちら)。
九条俳句訴訟弁護団事務局次長で弁護士の石川智士氏は、「経過と争点」の冒頭に「全国的な『中立お化け』「忖度」の蔓延」と書いています。
その通り、全国的に、時の政権の意向を忖度したとしかいえない出来事が相次いで起きています。同時にこれは、行政側の憲法尊重義務についての意識の希薄化、「中立」という名の事なかれ主義、右派からのクレームに対する過剰反応など、さまざまな要因によると考えられます。大都市になればなるほど右翼などからの脅迫・妨害などがあることもその背景にあるでしょう。
こうしたことがあるにせよ、一方で行政自身もいつの間にか住民サービスの視点を忘れて「団体自治(=保身)」に傾斜、住民奉仕と住民自治の観点を忘れるということが常態化していく流れができてしまったように思えます。
これらの出来事を通して、もう一度地方自治の観点、住民自治の観点から行政のあり方を捉え直すべきなのではないでしょうか。



  10月13日(金)
ここに1つの声明文があります。京都の有志のみなさん(大学の教員など?)による「私たちは主権者としての社会的責任を自覚し、政治に冷静な理性を求めます」というタイトルのアピール文です。
自公で300超えなどという序盤の選挙情勢に、たぶん多くの方々が暗澹たる気持ちになっているところへ、この署名付きの声明。この声明は今日の政治状況を概括したあと、次のように冷静にしかし力強く訴えています。

このような危機的状況の中で、政治の混乱をどう受け止めるべきなのでしょうか。熱狂と興奮は危険な世への雪崩を呼ぶでしょう。
私たちは冷静で理性的にものごとを見つめ、一人一人が主体的、自立的に主権者としての自覚を大切にしたいと思います。
私たちは混乱に巻き込まれ、うろたえることはもちろん、小池劇場を楽しむ傍観者となるのは無責任です。
一人一人の力は小さくとも、力を合わせ社会を健全にする社会的責任を自覚し、日本国憲法が認める国民の権利を行使したいと思います。


たとえば、選挙終盤に北朝鮮がミサイルを日本近海に(近海でなくともいいのですが)撃ち込んだとしましょう。これはやはり自衛隊の出動も考えなければならないからいやでも自公政権に・・という気分がはたらく。かつて、近隣の国々がそのようにして自民党政権を助けてきたでしょう。自民党政権は、もちろんそれを最大限に利用することを忘れませんでした。
冷静に考えてみれば、これによってうろたえることは少しもない。北朝鮮がなぜそのような愚挙にでるのかといえば、はっきり彼らが主張しているように、アメリカの同盟国として「我が国の抹殺を図る勢力」と見做すからです。
アメリカとの距離を測れず、ただ盲従している安倍政権に、北朝鮮の軍事挑発を止める力も能力も無いことはすでにはっきりしていることだし、そもそも日本が直接に攻撃されるなどと想定していないことは、まるで無防備であることから明らかです。
このことは、日本の防空が旧陸軍の分類による「消極的防衛」という観点から見ても、それすら全く脆弱、いやほとんどゼロに近いことからもはっきりしている。これは前にも紹介した守田さんが詳しく解明していることでしたね。
やみくもに危機をあおり自党への支持につなげようとするのは自民党の常套手段。だからこそ日本にとっては外交交渉による平和解決の徹底した追求が必要だし、一人一人の有権者には冷静に判断することが求められるのです。
政治の劣化を言うのは易しい。しかし、この国の政治風土では、政党と候補者個人は区別して見られ、そこにさまざまな情実や団体の利害などがからんでくる。そして全体としてますますその劣化の速度を速めていることを見落とすわけにはいきません。
残念ながら、そうした一つ一つに事例を具体的に地域で打ち破る他ないのです。たとえ、一時的に敗北するような事象が現れようとも、その後にはかならず本質がむき出しになり、それを無視できなくなる事態が訪れる。
幸いにも、勇気をもってこうした声明を出してくれる方々がいることは大きな救いだし、共感をもって署名する方々がいるということを忘れてはならないでしょう。



  10月12日(木)
昭和史研究家の半藤一利さんは、9月末の朝日新聞のインタビューで、安倍首相がこの選挙を「国難突破解散」と称したことに強い違和感を覚えるとして、「国難といって現在、最大の問題は北朝鮮情勢でしょうが、これはご自分がつくっていませんか、自作自演の危機ではないか、と申し上げたい」とズバリ。
日中戦争が始まった後に和平のチャンスがあったにも関わらず、現地軍がこれを無視、さらに近衛文麿首相が『蒋介石政権を対手にせず』と言い放ったことで和平への道は潰えてしまいます。この歴史を振り返りながら半藤さんは「和平の結実は実に微妙なものです。それを勇ましい言葉で台無しにした歴史の戒めを思い起こします」とも語っていました。
この選挙で、憲法改定問題が1つの焦点になっていますが、これについても半藤さんはとても大切な視点を指摘しています。それはこういうことです。
安倍政権は、歴代の自民党政権の有事法制整備の上にたって、集団的自衛権の行使容認法、共謀罪法、秘密保護法までつくってしまった。安倍首相のいう自衛隊を憲法9条に書き込むことも改憲勢力が2/3以上とれば可能だろう。だが・・・ここからが大事です。
「その前提としての諸法律はすでに整備済みで、いわば9条改憲は集大成に過ぎません」「緊急事態法制以外は、(この3年間で)ほぼ目的を達成させてしまいました」。
全くその通りなのです。安倍だけの問題ではありませんが、様々な有事法制の上にこうした海外での武力行使を可能にする戦争法が積み重ねられ、事実上の改憲が行われているということです。明文ではないだけ。
とはいえ、明文でないからこそ、改憲勢力はその保証を求めているわけで、やはり明文改憲のもくろみが「集大成」ということになる。
怖いのは、自衛隊を書き込むことと「緊急事態条項」をセットで出してくること。自衛隊を書き込むことは9条を骨抜きにし、有事の際に米軍の指揮下に入る自衛隊に対して大っぴらに戦争法の実効性を担保してやることが主目的であるのに対して、「緊急事態条項」は立憲主義を完全に葬り去り、政権党による独裁を可能にするものですから、どちらも絶対に許すわけにはいかないものです。
改憲の中身は各党によっていろいろですが、肝心なのは自民党が9条改憲、緊急事態条項を打ち出しているもとであれこれの改憲を主張することは、自民党、希望の党の掌で踊るようなもの。この点が極めて大事だと私には思えるのです。

ところで、いま話題になっている動画「希望の党」。9月末に、毎日新聞が「ネット上で『未来予測か』と話題」と紹介していました。朝日も10月6日、同様に紹介していました。
「希望の党」とはいっても、最近結成された小池新党とは全く別物で、架空の設定で登場する政党。しかも、総務省と公益財団法人「明るい選挙推進協会」が2005年に制作した正真正銘の啓発映画とくれば話題性には事欠かない。
毎日新聞によると「ガメラ」シリーズの金子修介監督がメガホンを取り、キャストに渋谷飛鳥、木下ほうか、山本奈津子。トレードマークの赤白のボーダーシャツを着た楳図かずおが登場するなど、見どころもいっぱい。最後が衝撃的すぎ・・・かな。
「明るい選挙推進協会」にはもう動画は無いようだし、選挙期間中なのか動画サイトからは削除されたよう。
感想は見てのお楽しみというところですが、この「希望の党」が実は大変な「クセモノ」という設定なので、そりゃまあ小池党首の逆鱗に触れないわけにはいかない。それにしても何とタイミングのいいことでしょうね。

1960年代後半から学生運動の中でよく引用された、「マルチン・ニーメラー牧師の告白」をつい思い出すような展開です。
現在見られるサイトはこちら
削除されても、拡散しまくりですから、どっかで見られるはず。私もダウンロードして保存してありますけど。



  10月11日(水)その2
おおさか維新の会あらため日本維新の会は、口を開けば「身を切る改革」といいます。しかし、それは「自分の身」ではないらしい。人の、いやいや国民の身を切る「改革」となれば「ちょっと待てよ」となるでしょう。
「維新の党」の政策「身を切る改革を含む政治改革」のトップは「 議員の定数を削減し、議員報酬も削減する」。国政における国会議員をどのように考えているんでしょうね。
憲法を持ち出すまでもなく、といいたいところだけれど、次だけは確認しておきたいところ。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」(前文)、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」(憲法第43条)のですよね。
「身を切る」ということは、国民が代表者を選ぶ権利を奪い、国民に由来する国政の権威を失わせるものではないのでしょうか。過去に何度も書きましたが、もし「自分の身を切る」というのなら、憲法違反の政党助成金をこそ削減、あるいは廃止と言えばよろしい。そう言うならちょっとは信用してもいいですけどね。絶対に言えないでしょう。
企業団体献金を禁止するとも書いています。昨年1月の東京新聞は、「企業・団体献金の禁止を積極的に主張し、党の自主規制で献金を受け取っていないのは、共産党とおおさか維新の会(昨年)だ」と書いていましたが、1世代前の日本維新の会(橋下代表当時)の代表が「ただね、ザルがある。抜け穴がパーティー」(2012年9月19日の記者会見後の囲み取材)を発言していたことにみられるように、パーティー券収入は企業・団体献金には入らないらしい。これには口を閉ざしたままです。

ところで、話は変わりますが、大企業の内部留保が話題になっていますね。希望の党に「内部留保に課税」という公約が書き込まれたこともありますが、ネット上では「共産党みたい」などという書き込みも。共産党、そんなことを言ってましたっけ??
まず、共産党の内部留保に対する政策をきちんと見ておかないと、小池新党と共産党の主張は同じか?ということになってしまいます。共産党は、内部留保に課税するなどという政策は打ち出していません。
「大企業の内部留保の一部を活用し、国民の所得を増やす経済改革で、税収を増やします」・・これが基本で、中心は@大企業への優遇税制是正、A法人税減税の適正化、B所得税・住民税、相続税の最高税率を引き下げ前に戻す、C証券税制の強化、D富裕税の創設、E税逃れ横行の取り締まり、などの税制改革であることをおさえておきましょう。

そもそも、企業の内部留保が問題になったのはここ数年の問題ではありません。私がまだ40台前半で組合専従をしていた当時から問題視されていたのですから、かれこれ30年の歴史があります。
その当時、内部留保といえば退職引当金や各種引当金の”名目”でため込むものを指し、金額も数十兆円台でした。それでも「全国一律最低賃金制度」の制定と、「内部留保をはき出させる」ことは当時から全労連(当時「統一労組懇」)や共産党が執拗に追及していた課題だったのです。
下は、国立国会図書館 企業の内部留保をめぐる議論(調査と情報)から。


現在では利益剰余金、各種引当金、減価償却計上分、資本剰余金など多様で、2016年度の統計では資本金10億円以上の大企業の内部留保総計は400兆円を超え 過去最高となってしまいました。
その中でも、一定割合での現金預金の他、有価証券、公社債など換金出来る金融資産も多額にのぼっています(Wiki)。
15年度の統計でも資産中の現金預金が急増していることが統計からも裏付けられています(しんぶん赤旗)。

結論からいえば、先進国にくらべて異常に低い労働者の賃金水準が大企業の利益剰余金に反映していることは明らかで、まず労働者の賃上げに回すことが優先課題なのです。
反論として、積立金は義務的費用と目的積立があるから問題外、換金できない資産もあるので、そう話は簡単ではない。デフレ下では設備投資に回せないのでストックしているにすぎない。流用出来る部分があるとしても取るに足りない額にしかならない、などの意見があります。財界・業界団体、日経新聞などからは 「過剰な現金は貯めていない」「競争力向上に逆行する」という強硬な主張がくりかえされています。
中には一知半解をよそに トンデモ情報を流すお方もいらっしゃいます(他にもこのような)から、気を付けなければなりません。この種の主張は、相当に歴史の古いもので、内部留保がこれだけの規模になってもまだ課税したり切り崩したりすれば「景気は減速する」などと言う御仁がいるのですから驚きです。まあ、そう信じているのなら何をいっても始まりませんが・・・。

しかし、一方では、財務省が消費税は別として共産党と同じ「内部留保に課税に傾いている」などという論評もネット上で出始めているほど。それくらいためこみの速度が速いのです。
2009年には安倍首相自身が、「(内部留保の活用を)私からもお願いしたい」と国会で答弁していたことを思い出しますね。
エキサイト・ニュースは、業界の動向として次のように書いています。

内部留保課税について、財務省は表向きは検討している事実を明らかにしておらず、麻生財務相も「二重課税になるため、安易にやるべきではない」との立場をとってきた。
だが、GDP(国内総生産)の7割に相当する規模まで内部留保が膨らむにおよんで、省内から「内部留保課税の実施もあり得る」との見方が飛び出してきている。


さて、これらの内部留保に対する課税をどう考えるか。このことは過去に安倍政権自身が言及しながら実現していない曰く付きの政策なのです。小池希望の党は、これを後追いしているに過ぎない。しかし、実効性は極めて低いと言わざるを得ません。
それよりも内部留保還元に相当する額、例えば2%相当額を賃金原資(内部留保から還元するのではない)として賃上げを行うこと、さらに法人税の引き上げ、大企業優遇税制の見直し、資産家への課税強化など、共産党が主張するように税制の仕組みを根本的に変えることの方が実効性のある政策だろうと私は考えます。
ただし、労働組合を含め社会的な運動として追及していく以外に実現する道筋はありません。選挙はその意味でも大事なのです。



  10月11日(水)
今日も朝から良い天気。昼過ぎから夕方にかけて我が家の庭といわずはたけといわず、赤とんぼが乱舞。竿という竿の先にはみんなとまっています。今年は例年になく多いような気がします。


午前中は、「こどもじゅく」へのお米を予約してあった方々を回って、念押し。一軒からはすぐにモミで30キロを提供してもらうことができました。新米です!
その方は長ネギも超がつくほど沢山つくっていて、そのうちいくらかを提供してもらうことで話がまとまりました。掘り出しにいかなければなりませんけれど、おそらく軽トラの荷台一杯になるのではないかと思われます。さて、どうやってみなさんに配ったらいいものか。頭をひねらないといけませんね。
まわっていると、つい選挙の話になってしまいます。話しながら情報を仕入れることもできるので、やはり外にでることが大事。もちろん選挙違反にならないようにですけど。
昼近くからは、畑でタマネギの畝作りと、イチゴを植えるための耕作・・・と言っても、全くの開拓農民です。何しろハンパでない石がでてくるのですから。

さて、MNEMOさんが久しぶりにブログ更新と思って見てみると「安曇野恋し」。嬉しい「お便り」でした。
昨年は秋にお仲間4人で安曇野まではるばる来ていただいて、今年も何とか都合をつけて行きたいものだと、以前からブログにも書いてありました。ところが冬のライブの準備で、みなさんの都合がつかなくてどうやら無理ということ。残念です。
妻は10月17日から1ヶ月里帰りなのですが、ちょうど11月3,4,5日あたりならいいのにと思っていたのですが・・・。是非大きなリュックを持って(あるいは車に大きなカゴをつけて)野菜を取りに来て下さい!

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駐車場で嫌がらせ的に駐車した車の運転手を注意したところ、高速道路上を追いかけて進路を塞いだ挙げ句、追い越し車線で止まって車を停止させ他事件、後続の大型車が突っ込んで嫌がらせを受けた夫婦が亡くなるという信じがたい事件が起きました。
高速道路を走っていると、迷惑運転、スピード違反、後ろからのあおりなど恐怖を覚えるような運手をする輩がたくさんいます。今回のように、常識外れの殺人行為をするものが残念ながら存在するということを証明してしまいました。どんな言い訳も通用するものではないでしょう。残されたお子さんたちのことを考えると本当にいたたまれない気持ちになります。
そうかと思うと、子どもを巻き添えに自殺しようとして対向車線をはみ出し、見ず知らずの車に突っ込んで大事故を起こした女性。これまた、何を考えているのかと空恐ろしくなってしまいます。
人間関係が壊れ、社会性を失った人々が拡大再生産される今日の資本主義社会の一断面を見せつけられたような気がします。どこからそれを修復していけばいいのか。

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今日夕方、沖縄東村高江で米軍へりCH53が民間地に墜落炎上というニュースが飛び込んできました。今回はオスプレイではありませんが、オスプレイを含めた米軍機の事故が多すぎる。

今回もまた、墜落ではなく「緊急着陸」と言い張るつもりなのでしょうか。米軍には「墜落」という言葉はないらしい。

今日の沖縄タイムスには、連載記事で米国特約記者・平安名純代さんの「差別主義者を選ぶな 分断深まるアメリカから沖縄へ[平安名純代の想い風]」が載っていました。アメリカでの人種差別の実相について触れながら、最後につぎのように書いていたのが印象的でした。

人種差別の容認は、一部の人種に利益を、一部の人種に不利益をもたらす不平等な制度を生み出す。日本本土が基地のない暮らしを享受する傍らで、基地が集中する沖縄が犠牲を強いられ続けているのも、沖縄に対する差別が根底にある。
差別をする人間が政治家になるのを許してはならないと、分断の深まるアメリカから沖縄に想いをはせてみると、政界再編で沖縄への差別で知られる政治家の顔がずらりと並ぶ。日本という国は一体どこへ向かっているのだろう。




  10月10日(火)
夜もそれほど寒くはならず、日が高くなるにつれて異様に暑くなって、車に乗っていても冷房がほしいくらい。畑に行こうと思っていたのに、つい行きそびれてしました。
選挙戦公示日のため、朝は統一候補のポスター貼り。近くの掲示板の所定の位置に張っていくのですが、番号を間違いはしないかなかなか気の張る仕事です。だいたいこのような作業は地元にしっかりした組織をもつ政党・団体の独壇場。参院選もそうでしたが、当然ながら一番乗りでした。他の政党は誰がどのように張っているんですかね。

今日の「しんぶん赤旗」に小さい囲み記事で「米メディア、日本共産党に注目=左寄りの唯一の選択」という記事があったので、もともとの記事を探し出して読んでいました。といっても、相変わらずの英語力ですから、どうにもならないところも多い。今回はどうやらグーグルの翻訳もめちゃくちゃ。
それはともかく、この記事はこれまで聞いたことのないビジネス系のオンライン紙「QUARTZ」(クオーツ)に掲載されました。この記事を書いたのは香港を拠点に活躍する女性レポーター兼編集者のイサベラ・スティーガーさん。日本にも目を向けているとありました。

見出しは「日本の有権者にとって唯一の左寄りの選択肢は日本共産党しかない」というもの。この記事の日付は9月29日で、立憲民主党はまだ結成されていません。もちろん、この記者は社会民主党があることは百も承知で書いているわけですから、この見出しはインパクトがあります。
勝手な意訳で要旨をまとめてみます。

・安倍首相は、民進党の混乱に乗じて衆議院を解散し総選挙に打って出たが、小池新党によって計画が狂い始めている。
・小池は、まず民進党に手を伸ばし、一方の民進も小池の勢いと人気にあやかって新党からの推薦を受けることにした。
・その結果、日本の左派としては共産党だけが残ることになった。共産党は長らく「革命への熱意」を手放してきたが、新聞「赤旗」を発行し反資本主義のスタンスを堅持している。日本の軍事化に反対し平和憲法を維持することに関与し続けている。安倍はそれを覆そうとしているのだが、有権者が民進のかわりに共産党を選べば、そのもくろみはさらに困難になる。
・神戸大学政治学助教授のセバスチャン・マズロー氏は「日本共産党は憲法改定に反対する唯一の信頼できる政党だ」と語る。
・小池氏は中道を自称しているが、外交と安全保障の政策では安倍首相と変わらないタカ派だ。日本共産党は、「小池新党は安倍政権の補完勢力以外の何物でもない。民進の小池新党への合流は、これまでのたたかいへの裏切り」と述べた。
・国民は、安保法制などさまざまな問題への安倍政権のタカ派的手法に不満を募らせている。3年間政権にあった民主党が多くの有権者を落胆させたこともあり、反安倍のまともな選択肢がないことに国民は不満を蓄積させてきた。
・自民党は戦後ずっと政権を維持してきているが、一時的な民主党政権時はいまでは「災難」と見る向きもある。民進党の内部揉めや優柔不断な政策に幻滅させられてきた。
・一方の共産党は、その名称を含めて創立以来一貫して原則的な立場で活動する唯一の政党としてみられている。
・2013年に志位委員長は、どう言われようと「我々は自らの道を踏み外さない政党」であり、その旗を堅持すると語っている。


現在の政局を素直に見れば、このような評価が生まれてくることはごく自然でしょう。むしろ国内で、サンケイや読売の情報に晒されたり、その系列のテレビ漬けになっている有権者は、一方的な情報で相当に目を曇らされているのかもしれません。



  10月9日(月)
昨日、民進党から希望の党へ鞍替えした地元の候補者が我が家を訪問しました。自分の信念は希望の党へ行こうが少しも変わらない。安倍政権を倒すにはこの道しかないと判断したという説明に回っているということでした。
民進党の両議員総会でとくに異論もなく希望の党の候補者として出るという前原提案が承認され、それに従って長野県内の予定候補者も公認待ちをしていたが、このほどそれが下りたので、希望からでることになったということでした。
この2年ほど野党統一を実現するために、協力体制をつくって努力してきたにもかかわらずですから、「どんな顔をして来るんじゃ」と言いたかったのですが、ぐっと抑えて一通りの説明を聞いていましたら、「この政策協定書には一言も安保法制に賛成するとは書いていない」「憲法改正に向けて議論を行うとして内容は書いていない」「自分の主義主張は十分希望側もわかっているはずで、そのうえで公認を認めたのだから、自分の立場はいささかも変わらない」・・・おおむねそのように主張。
さて、まず原発ゼロについて小池氏は10月3日鹿児島で「規制委員会がですね、客観的に科学的に総合的に判断されている再稼働については、これに異論を唱えることはございません」と発言。次に安保法制については、9月27日希望の党への入党の条件として「極めてリアルな安全保障政策についてこれるかどうかということだと思います」と述べ、政策協定書でも以前は安保法制への賛成を条件としていました。
改憲問題についても政策で「9条を含め改正論議を進める」としているし、小池氏自身が右翼的改憲論者ですから、いくら「自分の立場が変わらない」と言ってみたところで、通じる話ではありませんね。
もし本気でそのように考えているなら、なぜ無所属、あるいは立憲民主党からでないのかと質問すると、「無所属なら国会では何の力もない」「やはり数は力なのだから、8割の仲間が合流する希望でなければならない」という返事。
手続きについて極めて非民主的ではないかと聞くと、そういう面はあるがこれからだと苦しい言い訳。もし野党統一候補として出れば勝算はあった。しかし、そうでない以上は、統一候補の社民党中川氏を応援してたたかうことになる、と告げると、「本当に申し訳ない、何としても自民候補を落としたいという気持ちをわかってほしい」とこれまた低姿勢。

いよいよ明日は公示日。有権者の目は、この間のさまざまな報道で相当に鍛えられています。ブームに乗って票を取ることができるほど甘くはない。国民が自分たちの手で大政翼賛議会を招来するのか、安倍政治を真の意味で終わらせるのか、それが問われる戦後まれな選挙となるような気がします。



  10月6日(金)
寒くなって雨が降り続いています。車に乗っていても、ついこの前まで冷房をかけていたはずなのに、昨日松本から帰るときには思わず暖房を入れてしまったほど。
昨日夕方は松本での「こどもじゅく」。今回は子どもたちがいつもよりちょっと少なくさびしかった。これから寒くなるので、なかなか出られない子もでてくるのではないかと心配です。
野菜応援の活動は、7月から休まずに続けていて、昨日から「秋冬バージョン」の取り組みを始めました。チラシは下の通り。
以前から頼んであったこともあり、お米がたくさん寄せられて、軽トラに積み込んで運びました。モミでいただいた米もあるので、精米して少しずつ渡していこうと話し合っています。
協力して下さった方、ありがとうございました。


これから対象とする作物は、お米はもちろん、大根や白菜、里芋、サツマイモ、その他秋から冬にかけて収穫できるものです。12月一杯取り組みますので、余裕のある方、ひきつづきどうかよろしくお願いいたします。

テレビでは、今日は希望の党が政策を発表したとか、衆議院選挙に党首がでるとかでないとかという話ばかり。東京・愛知・大阪の連携を「三都物語」などと言っているけれど、私には「三途物語」にしか聞こえない。
今日の琉球新報によると、希望の党の公約発表に際して、辺野古新基地建設を「着実に進める立場」なのだそう。そんなもんでしょう。昔のあの言動(9月29日の日記参照)を見ればわかりますもんね。

ところで、妻はあと10日ほどでその沖縄に里帰り。老いた母親と一年ぶりの再会です。98歳ですが、まだまだ元気。腰もそれほど悪化していないし、私も来年早々にはまた出掛けようかと思い始めています。
沖縄に行くと、沖縄から本土での出来事が別の角度からよく見えます。おそらく海外にでかければ、もっと多様な視点からこの国を照らし出すことができるはず。
実際に、しばらく前まで何度目か(十数度目?)の北欧視察にでかけていたSさんからの報告を読むと、他人の目を通してですが、その視点を感じ取ることができます。

今日はその報告全体についてコメントするほどまで読んではいないので、最初の方に触れられていた北欧の国での「働き方」についての記述から感じたこと、調べてみたことを少し。
このことが書かれていたのは第1回目の「北欧2017北帰行<1>イースタッド」で、人口2万8000人の自治体イースタッドで障害者や高齢者が実際どう暮らしているのかを見聞きする中で出てきました。
高齢者介護ホーム=リューシャーレン(病気や障害で自宅で生活できない高齢者「アパート」が4棟と認知症のグループホームが3棟あり、あわせて58の「住まい」)では、スタッフが73人(高校卒業資格のアンダーナース)と2人の認知症専門介護士が働く。
そこで働く人たちに、「スタッフの健康はどう守られてるのか?ケアの工夫は?」と質問したところ、「労働環境法」にもとづいて「多文化を受け入れ、イジメや虐待は絶対に許されない職場」が形成され、「働くものの健康維持、労働環境の改善が徹底されている」のだそうです。「居心地がいいのでしょうか。ほとんど退職者はでていません」と、説明に当たったスタッフが語ったと書かれていました。そして、そのあとの書きっぷりが面白い。

社会民主党政権の約3万人の自治体には、市営8カ所+民間委託1カ所の同様の高齢者介護ホームがある。
労働組合は介護者の労組、市職員の労組、管理者の労組と3つがあり、それぞれが強いのだそうだ。
法律・制度とそれをなしえる労働組合と民主主義の関係を思った。
チーフスタッフのフリーダは若い人だなと思ったら、聞けばなんと26歳!じつに堂々としたもの。やるなあ、若者!


ところで、この「労働環境法」を含めた、労働をめぐる法体系はどうなっているのか。
スウェーデンでは、労働法制の1つとして同一労働・同一賃金とあらゆる差別を排除する「差別法」が2009年に施行され、「性別」「性転換の有無」「外見」「人種」「宗教や信念」「年齢」「ハンディキャップの有無」「性に関する指向」「子どもの有無」「家族の構成や属性」などを理由に差別することが禁止されました。それを保障するために、差別オンブズマンが置かれ、その役割が明確に規定されたといいます。
また、男女の賃金格差を是正する1991年に「平等法」が制定され、賃金格差があるかどうかを調査する制度を拡充した制度改訂などを経て現在に至っています。
さらに、労働法制の中身は多様で、フルタイム・パートタイム労働に関する法律、労働時間に関する法律=労働時間法、解雇規制に関する雇用労働法など、そして労働時間、安全衛生など労働環境に関して、労働環境法が定められ、労働環境庁が監督・指導に当たっているといるのです。
スウェーデンでは、労働組合組織率が70%近くにのぼり、強力な役割を担っているといろいろな文献や報告で書かれています。ネット上でも優れた報告がいろいろと見られます。分かりやすく参考になるのは日本総合研究所副理事長の湯元さんの記事

社会の構成員が自立した個人として尊重され、高い教育水準の中で社会での自らの立ち位置を定め、スキルアップをはかり、それを社会全体が守っていくという、日本ではおよそ見られないシステムが現実にこの地球上に存在すること。そのことを知るだけでも、この国の姿を見直すきっかけになるのではないかと思わされています。



  10月4日(水)
午前中は今日夕方に行われる地域の自主防災会のための資料づくり。11月中旬に白馬村堀之内地区の震災体験を聞く「防災講演会」を予定しているので、その具体案、チラシなどの案を作成していたのです。

合間合間にテレビを見ていたら、朝日系列でのTBS系列でもいつものコメンテーターが出て、希望の党をめぐる話題でかまびすしい。中には結構本質をついた意見を述べる人もいて、それなりに参考にはなります。むしろこうした情報を含めて、しっかり現在の政局の動向を見定め、改憲・戦争への道と国政私物化をつきすすむ安倍暴走政治をやめさせる道をよくよく考えることが必要だと思います。

ところで、私の住む地域、衆議院長野2区の状況はどうか。残念ながら、これまで2年余にわたって営々と築いてきた「野党共闘」の方向が民進党S候補の希望の党入りで潰えてしまったというのが現状です。
これには地元で民進党支持者から猛烈な怒りと反発が起こっています。私も、これまで動向を見守るだけで批判を差し控えてきましたが、事ここに至っては言うべきことはきちんと言っておかなければなりません。

地元の支持者の意見も聞かず、希望の党の軍門に降るというS候補の情けない姿に、批判こそあれ同情したり擁護したりする動きはない。仮に希望を名乗っても、ただ背信者として指弾されるのがオチです。なぜなら、杉尾秀哉氏の当選にむけて野党4党でのスクラムを固めたことはまだ記憶に新しいし、何度も地元で開いた市民集会などで野党共闘への抱負を語ってきていたことを市民の皆さんはしっかり記憶しているからです。
S氏ご本人は「改憲に反対する気持ちも安保法制を認めない気持ちも持ち続けている」と語っているようですが、次に述べる理由から、どう弁解しようが、苦渋の選択だどと言い訳しようが、信用されるはずがありません。政治家として最も大切なものを投げ捨ててしまったわけですから。

第1。希望の党の公認を受けたこと自体、誓約書を認めて改憲・安保法制推進の側についたという証拠だし、言葉でごまかすことはもはや出来ません。
反安倍、野党共闘から親安倍・改憲勢力への変節、これが本質です。もっともブログをみても理念と書きながら理念・政策らしいものは何もありませんでしたが。変節の芽はすでに孕まれていたということか。

第2。希望の党は自民党都連会長の選挙区、公明党の選挙区、維新大阪の選挙区には候補を立てないが、立憲民主党の立候補者には「刺客」を送るという。これほど明白な裏切り行為、利敵行為はありません。ここから見えてくるのは、前原の左派切りと安倍擦り寄りの姿勢だけです。
一連の民進破壊を「想定内」と言うのですから、開いた口がふさがらない。政治家の中でもこんなのがゾロゾロでてくるのですねえ。彼は公党を破壊した張本人として歴史に刻まれてしまいました。S氏もその立場にすすんで身を置くということです。

第3に、希望の党が民進からの候補者を受け入れるについて、候補者に押しつけた「政策協定書」なるシロモノ。中身もさることながら、これは完全な誓約書、踏み絵です。協定書などではあるはずがありません。「〜を誓います」なんですからね。
「身も心も小池に捧げます」という、まさしく北朝鮮ばりの中身なんですから。これを認めて、「いや私の政治信条は変わりません」「希望の党を内から変えていくのです」などという言い逃れが通用するとでも思っているのでしょうか。

第4に、誓約書の中身の問題。これまで主張してきたことと180度異なる文面が書かれています。自民党よりも右ですね。小池百合子の面目躍如という差別主義的文面を確認して印をついたのでしょうか。だとすれば、もう候補者をやめるしかないではありませんか。それが有権者・支持者に対する責任の取り方というものです。

第5、希望の党には党内民主主義はありません。全くの小池私党。だから、都民ファーストで都議選から3ヶ月しか経たないのに離党者が出る始末。それは当然のなりゆきです。
だいたい、先日発表された規約案では、最高議決機関としての党大会の規定がありません。両議員総会を最高意志決定機関と位置づけるというのですから驚きです。さらに代表が指名する「ガバナンス長」といういかにも小池百合子好みの制度を設け、代表以外に執行権限を集中させるという仕組み。
こうした運営に普通なら異論が出ない方がおかしい。しかし、この党では小池に逆らうことは許されないのですから、これでは党内民主主義はゼロということです。果たしてS氏はこのことを認識なさっていたのだろうか。もしそれも認めているのなら、手続き上の問題でも思考停止状態に陥っているということに他なりません。

今日のしんぶん赤旗には、埼玉5区から立憲民主党として立候補する枝野幸男氏に対して、共産党は予定していた候補者を取り下げ協力してたたかうことを決めたと書かれていました。それも「連帯のメッセージとして」というのですから、共産党も粋な計らいをするものです。もちろん党本部が一方的に決めるのではなく、共産党の予定候補者と地元の後援会などとも相談して決めたと書かれていました。
昨日中央委員会総会を開いて総選挙方針を議論し全国一致団結してたたかう姿勢を示した共産党と、小池百合子の私党である希望の党とはどのような点でも比ぶべくもありません。
早晩行き詰まりをみせ、支持を失っていくことになる(その兆候はすでに出始めている)小池「新党」に彼らはどんな「希望」を見ているのでしょうか。もはや成り行き任せということなのでしょうか。「政治家の劣化」が叫ばれて久しい昨今ですが、その傾向に拍車をかけるような出来事に、有権者からの強く鋭い批判が向けられるのは必至です。

昨日から今日にかけて、長く民主党、民進党を支持をしてきた何人かの方々と話す機会がありました。一様に怒り心頭のご様子。それも当然です。野党共闘で結束を確認してきた私たちよりも、つきあいははるかに長く、しかも当選を期して一心不乱に努力されてきた方々ですから、その失望感たるや推測するに余りあります。
それらの方々と話し合ったのは、公示前の「今ならまだ間に合う」。立憲民主党でスジを通した枝野氏に習って自らの信条に沿って希望の党からの出馬を思い直すべきだと本人に伝えようということでした。
その場で秘書の方に電話をして、その意志を候補者本人に伝えてもらうことにしましたよ。秘書の方に責任があるわけではありませんが、彼は「申し訳ない」の一点張り。それはもうそう言うしかないでしょうが。
どちらの支持者の方も、「もし候補者本人が翻意されない場合は、もうこれで候補者とは金輪際縁を切る」とまで伝える怒りよう。こっちがたまげてしまうほどでした。
魑魅魍魎が跋扈する一部政界の力学と、民衆の思いとはそれほどの違いがあるということをS候補、思い知っていただかなければなりません。

私としては、もうこれ以上「希望」について書く気はありません。あまりに杜撰で見るに耐えないからです。
最後に書いておきたいのは、今はもう落ち目の小池の狙い。結局彼女の思惑は公示前ぎりぎりで誰か複数の大物人物から立候補要請があったという派手な演出をし、大阪の橋下あたりを都知事後継に据えて、自ら衆議院に打って出る。サプライズを演出して自ら総理を狙うという構図くらいかなというところ。彼女ならそれくらいはやりかねない。
橋下の書いているものをみれば分かるように、彼なら任せてもいいと小池は考えるかもしれません。やりたいようにやらせる。そのかわり、自らは「自分では100%その気はなかったが、後継者を含めて強く強く要請された」という口実で国政に進出するという筋書き。
もしそれが出来なければ、仮に「希望」がそれなりの議席をとっても、早晩四分五裂、解体ということになっていくのでしょう。さらに、もし前にかいた筋書きだとしても、都政を投げ出した張本人として、新しい後継とともに、都民からは厳しく断罪されざるを得ない。都政自体がすでに停滞、混迷の域に入っているのですから。
主権者たる都民、市民を置き去りにした彼ら、「政治」の意味をはき違えた者たちに結局未来はありません。



  10月3日(火)
今日は午前中、劇団朋友(ForYou)の舞台装置搬入に行ってきました。大町文化ホールの舞台に立ってみると、ずいぶん広い。そこに大型トラックにぎっしり積み込まれた大道具・小道具・照明装置その他一式を次々と所定の場所に運ぶのです。
あとは劇団の皆さんが手際よく配置していくのでしょうが、一回一回大変な作業だなといつも思います。どんな舞台になるのやら。

今日の演目は「我が輩はウツである」。
小泉八雲が退職したあと、東京帝大に赴任した夏目漱石が、学生たちの冷たい視線にさらされ、不満と苛立ちを抱え、家庭では妻ともうまくいかない。心を病み始めた漱石は、家に迷い込んだ黒猫と会話をし始めるが…。妻と猫と金之助、おかしな三角関係を軸に描く、文豪誕生の物語。(劇団朋友のFBより)・・・というわけで、明治36(1903)年の漱石をめぐるひと夏の物語。
藤村操との会話を通して生きる意味とは何かを問う漱石、自分らしく生きるとは?・・・猫や周りの人々との会話を通して自らの生き方を突き詰めていく漱石が描かれます。
結構ドタバタの場面もあって、原作本とはずいぶん違うとは妻の見立て。

1900年文部省から英語教育法の研究を命じられてイギリス留学するものの、「英文学研究への違和感がぶり返し(1893年高等師範学校での英語教師のときにも極度の神経衰弱に)、再び神経衰弱に陥り始める」(Wiki)。イギリスから帰国後は籍を置いていた第5高等学校をやめて、第一高校と東京帝大の講師に。
折しも学生たちから小泉八雲の留任運動が起こり、漱石の生硬な講義が不評だったこと、また当時一校で受け持ちであり白紙答案を出したことを咎められた藤村操が、友人に連れられて漱石を訪ねて「何のために生きるのか意味を見いだせない」とつぶやく。そしてその数日後華厳滝に入水自殺。それが引き金となって神経衰弱に陥った漱石は妻ともうまくいかなくなる。・・・さんざんな日々を送るそのとき、虚子に勧められて執筆したのが「我が輩は猫である」だったのでした。
舞台では、漱石は迷い込み住み着いた猫と会話ができる人物として描かれます。ある日、漱石が猫に向かって「原稿依頼されたが何を書いたらいいかわからない」とつぶやく。「書くことがないのなら我が輩のことを書いてみたらどうだ。我が輩は猫である」。それを聞いた漱石、「お前、いま何て言った?」・・・舞台で描かれる漱石デビュー作の誕生の瞬間です。


夜の講演は6時半から9時15分までの長丁場でしたが、飽きさせない展開でなかなかのもの。楽しくも深く考えさせる舞台でした。
書いたものしか読めない現代の人間にとって、こうした舞台で漱石の人間関係や煩悶の経過をたどることはその文学を理解する上で刺激的で新しい視点を与えてくれます。
上演後の役者との交流会で、神経を患った漱石(当時金之助)がなぜネコと会話できるという設定にしたのかという点が1つの話題になりました。
役者曰く「私に言わせると、初めから会話なんてできていないよ」。演出家は、そこは観る人によっていろいろ解釈できるところで、「もう一人の漱石の心=つまり自分自身=との会話をネコとの会話として表したと解することもできる」と話していましたが、なるほどと関心しました。単に劇を盛り上げるための演出ではないところが憎いところですね。

下は俳優さんたちとの交流会。全体写真がカメラのせいでピンぼけ。すみません。










  10月2日(月)
昨日よりは症状が改善したものの、腹痛が続き午後まで横になっていました。夕食からようやく柔らかいものを食べられるようになり、明日には多分何とか平常通りになるのではないかと思われます。
それにしても一体何だったんでしょうか。食べ物なら妻も同じような症状が出てもおかしくないし、他の病気ならもっと別の現れ方があるだろうし・・・まあ、ちょっと働き過ぎが原因なのかな。
今日お風呂に入るときに体重を測ってみたら何と65キロ。私の冬の体重が73〜4キロで、夏はだいたい67キロが標準なんですが、今年は農作業がきつかったために減量の幅が大きくなったのでしょう。体重の減少そのものは悪いことではないので、このまま65〜70キロを維持できればいいんですけど。

今度の選挙では「希望」が一定の支持を集めるかもしれませんが限定的なものに終わるでしょう。自民党との差異が全く見えないからです。安倍も小池も前原もやっていることは結局のところ自分の保身だけ。大きなビジョン、人々の暮らしによりそう政策も日本国憲法の真の実現といった理想はまるでみられません。メディアが報ずる各政党の代表の表現の何と軽薄で低劣なことでしょう。
戦後のこの国には立憲民主主義を土台とした勢力が根付いては来ませんでした。労働組合に頼り切った社会党が沈没したのは、財界・権力側の労働組合運動の取り込みの流れの中でその支持基盤を失ったことにありました。地域住民に根ざした政党を作りあげることができないために、結局議員政党の枠から抜け出せないまま、あれこれの政党の組み合わせだけに終始をするという中間政党のあり方を作ってしまったのでした。
そんな中で唯一の救いは、世界でも希な自主独立の旗を掲げ柔軟な綱領と政策を持った日本共産党が支持を広げ続けてきたこと。何度も反共攻撃を打ち破りながら、野党の一翼を担う実力を身につけてきたことです。この党が自公勢力と本当に対決できる政党であることは今後も変わらないでしょう。
保守への根強い支持はあるとしても、市民運動のかつてない盛り上がりを経てこの国ではいままでに見られない変化も起きている。各種の世論調査でみても、安倍政権への批判は強いし、希望の党への期待もマスコミで報じられているほどではありません。これからの日本の進路に極めて大きな不安を抱いているというのが実態だと思われます。
枝野氏がめざす「立憲民主党」が国民の中の反安倍と民主主義を求める声の受け皿になり得るかどうかは、この党が地域の隅々に支持を広げられるかどうかにかかっている。
安倍暴走政治をどう止めるのかが焦点になっているこの選挙で、自公+希望で2/3を占めるならば、それは希望どころか絶望の時代への幕開けということになるでしょう。それでも、彼らの思惑は簡単にはすすまない。政党という形ではないけれど、抵抗する市民側の力はかつてなく強まっているからです。自公政党は別として、希望、維新、民進などは地域に力を持っていない。地域で力を持つのは市民運動の側なのです。
紆余曲折はあるにせよ、その力が1つの勢力に結実していくことは必然だし、またその方向で努力を重ねることが歴史の進歩に貢献するということではないでしょうか。



  10月1日(日)
すばらしい快晴です。昨日から集落は秋祭り。練り歩くタイコ・笛の音が聞こえます。いよいよ10月、今月も慌ただしく過ぎていくのでしょうね。

先日ある方と立ち話をしていて最近の政局について水を向けたら、「もはや全く関心がない、あんな状態を見ていたらどうでもよくなった」という反応が返ってきました。その気分はとてもよく分かります。「あんなの許すわけにいかないんじゃないの、受け皿はちゃんとあるんだし」という趣旨の話をしましたが、考えて見ればこの気分は結構広がっているのかもしれませんね。

支配者は、支配の方法としてこの「あきらめ」「無力感」を最大限に使います。沖縄の基地反対闘争の中でよく聞いたことばが「私たちは負けない、なぜならあきらめないからだ」というのがありましたよ。
野党統一をめざす勢力にクサビを打ち込み、分断し一方を無力感に追いやる。メディアをフルに利用し煽り、あたかも自分たちが新しい時代の旗手ででもあるかのように振る舞う。自民党勢力に変わる次の世代の政党であるかのように印象づける。それに反対する勢力は時代の流れを見ない取り残された敗残者か、あるいは「かたくな」な共産主義者かという印象操作。社会主義がこの世に意識されてから支配層の考えることはいつでも似たようなものでした。

さて、この2,3日の動きがはっきり示してきたことは、小池新党(私党)が「安保法制賛成、改憲」政党であることが誰の目にもはっきりしたこと。民進党代表が、目先の票ほしさに身を売りそれまで築いてきた自党を一瞬で壊してしまったこと。 アベの延命に手を貸す愚挙に過ぎないことです。
万が一安倍内閣が小池内閣に変わってどんな変化が起きるのか。おそらくもっとひどい独裁政治に繋がるのではないかと予感させませます。そんな出来事が相次いでいるではありませんか。
ここは冷静に、世界の動きを読んで、あきらめず一歩ずつ。心ある人々がいっそう堅く手をつなぎその輪を広げるときです。

・・・と、書いてお昼前にちょっとだけ畑にでかけたのですが、どうも胃の調子がおかしい。動いていない。何年かに一度ずつこんな症状が出ることがあるので、食事をしないで安静にしていればよくなるのかなと思っていたら、どうも違う。
夕方は仕事で松本まで出掛ける日だったののですが、体調維持に不安があって最後の最後でキャンセル。しばらく横になっていたら、猛烈な吐き気。
トイレから戻ったら、ようやく少し楽になりました。原因はつかめず。日頃から弱っていた臓器が叛乱を起こしたのか、食べたものが悪かったのか、明日までにあまり症状が改善されなければ医者に行って診てもらわないといけません。ともかく、しばらく安静にしています。




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