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  3月26日(日)雨    何事も諦めないことが大事
朝は粉雪がちらついていました。やっぱりまだまだ寒〜い。
私は明日から始まる市民劇場のサークル会議の進行役になっているので、一日中提案資料の整理。
夫は滝沢の総会並びに公民館が完成したので落成式に出席しました。総会の後はちょっとした宴会が始まります。お酒の好きな人はどこにも沢山います。「げこ」の夫は食べるだけ、そんな人たちとの付き合いは苦手のようでいつも早々に退散してきます。私が行けば良かったかも。

今日はなんと信じられないことがいくつも起こりました。まず高校野球、延長戦で決着がつかず、再試合になるというケースが2試合ありました。高校野球ファンとしては初めてのことでびっくりしました。第2試合(福岡大大濠1:1滋賀学園)第3試合(高崎健康福祉大高崎7:7福井工大福井)。明日と明後日で再試合となったのです。
次は大相撲。相撲は特に好きではありませんが、新横綱の稀勢の里を応援していました。日馬富士戦で怪我で1敗。明日からきっと休場と思っていたらテーピングで出場。左肩が痛々しくその日は案の定二連敗。
今日は千秋楽で1敗の大関との対戦。誰もが優勝は照ノ富士と思っていたでしょうね。しかし奇跡は起こった。勝ってとうとう優勝決定戦に持ち込んだのです。
頑張ったから今度は負けてもいいよと心の中で思いつつ応援していたら、何と勝ってしまった。優勝・・・びっくり。会場も大歓声。
やっぱり諦めないというのは大事ですね。表彰式ではこみ上げるものがあったのでしょうね。涙、涙でした。おめでとう。解説の人も始まる前、「決まったようなものだね〜」と言っていたので驚いていました。

夕方、富山の市長候補者のTさんから電話。これも驚いたことの一つです。彼とは現役時代いろんな活動を一緒にやってきた仲間。新聞で候補者になったことは知っていたのです。
私は退職してすぐに長野に来たので、後輩たちには挨拶もしないで富山を離れてしまって音信不通になっていたのです。忙しいのでなかなか連絡が取れず留守電を入れてやっと繋がりました。
4月16日が投票日です。公示になってから応援に行く約束をしました。富山は私にとって第二の故郷、何かにつけて思い起こすのは富山のことです。森市長を倒せ!


  3月24日(金)雪〜25日(土)晴れ   お年寄りの集まり
年金者組合の北新越交流集会に出席しました。
開催地は新潟県の赤倉温泉。長野、新潟、富山、石川、福井の人たちの集まりです。中央からも委員長が出席していました。一日半ホテルで交流します。
赤倉は子どもたちが小さい頃、スキーでよく行っていた場所で懐かしい所です。スキー場だと言うことは知っていても自分のところで降っていないので雪とは結びつかず、普通の靴で出かけました。
現地に着くとかなり雪が積もっていて、ホテルの周りも2メートル以上もある積雪。スキー客もまだ多い。運転の出来ない男性2人を乗せて出かけたのでみんな「失敗した〜」と。私に何かあったら彼等は帰ることが出来ないので、歩くときも怪我をしないように緊張しました。
初めて池田から長野市を通り、信濃町を通過して赤倉まで下道を通って車で出かけました。信濃町に入ったときに「小林一茶記念館」があり、一度はゆっくり回りたいと思いました。
余談ですが、信濃毎日新聞に「むーさんの背中」という小説が連載されていて一茶の句も沢山出てきます。主人公が東京から長野に来て現在すんでいるのが「豊野」というところ。長野を過ぎて豊野と言うところがあったので、「ここが舞台になっているのか」とまた深く読むことが出来そうです。

白馬経由で行ったので所要時間は2時間半くらいでした。「富山より近かったわ」と富山の友人たちと久々の再会をしました。また10年以上も会っていない人もいて懐かしく話に花が咲きました。
彼女は生協に勤めていたので,私の義母や、義父の兄もよく知っていました。「お母さんは?」と聞かれ天国にと報告。また叔母さんが晩年認知症になって施設に入っていた話をして「私だよ」と名前を言ったら反応したのよと話してくれました。今はみんなあっちの世界に行ってしまいました。

私がこの交流集会に参加したのは5年前の長野の時でした。もう5年が経ってしまいました。持ち回りですので来年の開催県は長野県です。
あの時は松代でしたので真田一族のお墓を見学したり、天皇陛下が戦争中避難していたという場所や地下壕なども案内してもらいました。来年はどこになるのやら。
この集会の一つの特徴は、夜の交流会に自分の県のお酒を持ってくることになっていて皆さんに披露するのです。美味しいお酒の飲み放題。初めての時はびっくりしたのですが、今はそれが楽しみの一つにもなってしまいました。
長野にもいろいろ美味しいお酒があり、池田町の「大雪渓」が披露されるにはまだまだかかりそうです。「遊び八分、活動二分」、楽しみながら活動しようという年寄りの集団です。
後継者つくりにどこでも苦労しているといいながら、どこの県でも「女性」は視野に入っていない。委員長だってやれる女性はいっぱいいるのに、上部の役員は男性ばかり。「伊井直虎」みたいに女性が上に立った方が発展するような気がするが、なかなかね〜。


  3月14日(火) 晴れ      歳は争えない
後期高齢者に近づいて来るとやっぱり体は正直、いろんなところにガタがきて病院通いです。
肩や腕に痛みが出て整形で電気治療をしているのです。また皮膚科にもかかっており、多分皮膚科では「老人性掻痒症」という病名がついているのではないかと思います。くしゃみは出るわ顔や体が痒くなるわと大変。アレルギーなのか疑いたくなりますが、はっきりしません。
朝から病院通いで、せっせと通院している理由はやっぱり趣味のボーリングを何とか続けたいため。利き腕が動かなくなるとボーリングは出来なくなります。
2回ほど調子が悪く、もうダメかと思った時期もあったけど、治療が効いているのか今日は少し取り戻せました。完全に治癒したわけではありませんが、リハビリのつもりで練習にも行ったりしています。それでも時々人の名前が突然思い出せなくなったりと「認知症の気配」かなと思われるような症状があります。検査するのも恐ろしい。
出来るだけ家にこもらないようにしているので、夫は「かあちゃん元気で留守がいい」と言っています。どうせなら健康寿命を全うしたい。


  3月11日(土)晴れ〜12日(日)晴れ   民医連県連交流集会
初日は朝あずみの里から松本駅西口に行き、そこから大型バス一台で上田市に向かいました。長野大学での民医連一日研修に参加するためです。
午前中は無言館の館長窪島誠一郎さんの講演がありました。東京生まれの自分がなぜ上田に来たか、そして無言館が出来たわけなど。
私は何回か無言館には行っているのですが、細かい話は初めて知りました。「もの言わぬ館」もう一度訪ねてみたい気になりました。
午後は6分科会に分かれての交流会でした。参加した第一分科会は「平和」の問題。沖縄問題や原発問題、介護の問題と6人からの報告がありました。10分という限られた時間だから仕方がないかも知れないが、沖縄問題はあれだけでは全く伝わらない報告でした。
「土人」発言については報告されたのですが、民医連の職員がこのことを知らずに質問する人もいてびっくり。これだけ騒がれて映画になり、DVDになり、今や劇団が芝居も作っている時代。ネット上でもいろんな者が見られると言うのにあまり知られていないと言うことがわかって驚きでした。こんな状態で平和を語ると言えるのでしょうか。まあ一部の人かも知れませんが、大きな驚きでした。

夜から翌日の午前中にかけては民医連の研修会が中心でした。毎年この時期、引き続きこんな形で行っているのです。浅間温泉で夜は宴会、次の日の午前中研修をするのです。宴会が楽しみで参加する人もあります。特に年配の男性で酒好きの人たち。この人たちは元気ですね。


二日目の目的は総会に向けての議案書の討議。しかし事務局長から提案された議案書はそっちのけで各支部の抱えた問題点などに集中して本題とはかけ離れた話題になり、活動交流集会になってしまいました。それほどに各支部では高齢化で役員の後継者問題が深刻になっているのです。5年後、10年後を見据えた活動をと言われても何も見えない。

午後からは3,11大震災から丸6年「脱原発集会」が松本駅前でありました。白馬や小谷、大町、松川から多くの人が参加していましたが、池田は誰も。私が全権大使、だだ一人の参加でした。


駅前での集会後、お城までデモ行進。町ゆく人は関心を示す人もいるが無関心の人が多いですね。福島のある母親から、子どもを松本に避難させて自分は週に一回子どもに会いに来ているという状況が話されました。
福島の周囲からは「馬鹿」呼ばわり、学校ではモンスターペアレント扱いにされているそうです。当事者でなくてはわからないいろんな問題がまだまだありますね。
沖縄問題が伝わってないと嘆くけど福島問題もまだまだ理解が足りません。いま何をするべきか。


  3月10日(金) 雪   大北では遊び8分、活動2分
年金者組合の会議で長野まで出かけました。今日の天気予報は聞いていなかったのでまさか雪になるとは。家を出るときはチラチラで気にもしていませんでした。
いつものように大町の役員宅に車を置いて乗せてもらって出かけたのですが、美麻という地域の辺では大雪、積もっているうえにどんどん降ってくるのでやむなくスピードダウン。さすがに大町でも雪が多いと言われている地域です。
驚いたのはもう普通タイヤに替えた人がいるのですね。あちこちでチエーンを巻いている車がありました。3月とはいえ雪国ではまだまだ冬用タイヤは外せません。長野はどうかしらと気にしながら走っていると小川村当たりからだんだん少なくなり長野は全くなし。やれやれ。

さて、本題です。今年になって代表が変わってからは何もかもが一新と言う感じ。議題も整理されて進行もスムーズになって参加していてもイヤな気はなくなりました。
あいさつに立った委員長は、長野上空でオスプレイが目撃された事に触れていました。自分も遠くからではあるが初めて見たと言っていました。沖縄では毎日のように目の前で飛んでいますよと言いたかった。
議題はいろいろありすぎて大変。署名も多く何の署名やら訳がわからなくなります。会計処理の問題もあるようで今後しっかりやってもらえるのかは少々気にはなりますが。
今日は最初に前進座の方の宣伝がありました。毎年、年金者組合の行事の一つに前進座の芝居見学があります。12日間の公演日程で4日間が東日本の年金者組合の貸し切りになっているのです。
毎年5月に東京国立劇場で公演がおこなわれます。今年の演題は「裏長屋騒動記」、山田洋次さんが監修。前進座のために書き下ろした喜劇だそうです。
落語に「井戸の茶碗」というのがあって、くずやさんが主人公で、これは前進座の鑑賞会公演の中にあったので知っていますが、これに同じく落語の「らくだ」と言うのがミックスされたものでとても面白いとのことでした。毎年参加しているので今年も楽しみです。笑って元気、笑って長生き・・・なんていうけど今の年金ではそんな気にもなれませんが。
5月の憲法記念日に、長野で三上智恵さん(沖縄在住の映画監督)の講演が予定されているのも紹介されていました。「標的の村」「戦場のとどみ」に次ぐ第3作目「標的の島、風(かじ)かたか」が沖縄の映画館で公開されたことが新聞に載っていたので、その映画もひょっとしたら公開されるかもと言っていました。これも楽しみです。
難しい取り組みも多々あるけど、またこんな楽しみもあるので続くられるのかなと思います。

朝から会議づめで、昼食後はまた女性部の会議。これは役員問題が大きすぎて大変。7月の大会までに解決させないといけないのでどうなる事やら。年金者になっても女性部なんて必要か、じいさんたちの世話をする女性部ならまっぴらゴメン。
4月に女性部の学習会、並びに交流会があるので、中央から講師さんを呼んで「女性部の役割」について話してもらうとか。納得出来るのでしょうか。


  3月5日(日) 晴れ     多難な船出
市民劇場の通常総会でした。例年2月に行われていた総会が、昨年会場の都合から3月に変更されたのですが、今年もやっぱり暖かくなった方がいいよということで、同じく3月になりました。
今日は好天気。3月に変更してよかったね〜と、役員一同気持ちも新たに総会に臨みました。
今年の総会は、会員減少に歯止めがきかない現状を如何にして打開していくかが問われる重要な総会です。
幹事会では、「新しい提案をするときはやっぱりムラハタさんが議長をしてくれたら助かる」と言ってまたまた議長の依頼が来ました。同じ人ばかりでは困ると私は断ったのですが、結局夫に落ち着きました。
事前の幹事会では、例年通りの進め方では提案に具体性がなく意見が出にくいと夫の細かい提案が取り上げられました。議案書はすでに会員に配布されているので、追加資料という形で会場で配布されました。


年に何回かある例会(芝居の上演)の進め方について、従来の「幹事まかせ」「代表者まかせ」から脱却するため一つの新しい手だてとして「運営委員会方式」を取り入れようとの提案が行われました。
新しい提案のため説明が長く、またすでにこの方式を取り入れている松本市民劇場の事務局長が参加していたので状況などを説明してもらったりしたのですが、これまた話が長引いて、会員の意見を十分に引き出すまでは行かず少々残念でした。
採決の結果、結局多数決で決まったのですが、反対した人やもっと話し合う必要があると保留にした人の意見は聞くことが出来ませんでした。
今後厳しい船出になりそうですが、「案ずるよりも生むが易し」と言う言葉もあるようにまずは何事も経験です。
6月例会から新方式で出発ですが、この例会担当に私たちのサークルも当たっています。本当に手探り状態で心配です。会計処理の不備なども指摘されたりして、ある意味では有意義な総会になったのではないかと思っています。
2時間半の予定時間も足りなくなって延長戦に入ったくらいですから。今の危機的状態がどれくらい会員の心に響いたのでしょうか。少しでも心の片隅に残っていることを期待します。
隣に座っていた幹事が「やっぱりムラハタさんだ、うまく閉める」と呟いていました。何かあるときはまた駆り出されるかも?ご意見番として相談に載って下さい。
終了後は事務所に集まって反省会。松本市民劇場は50年の歴史があり、先輩鑑賞会としていろいろなノウハウが聞かれました。私だって40年会員、幹事としての経験があるので、そんなことわかっていると言いたいことも多々ありましたが、「垣根を作らないこと」・・・これはまさにその通り。自分も相手の身に入り込む癖があるので、今後それは改めたい。


  3月3日(金) 晴れ      暖かい日は気分も良い
今日は比較的暖かい日になりました。
日めくりカレンダーには「雛まつり。耳の日、平和の日、金魚の日」なんてありました。後半の二つは初めて聞いたけど。一つ加えれば「娘婿の誕生日」です。
家では子供が小さい時に雛飾りを飾ったことがなく、じいちゃんが見かねてガラス箱に入ったおひな様を買ってくれました。テレビではあちこちで大量に飾ったおひな様が紹介されていました。いらなくなった雛飾りが全国から大量に寄付があるそうです。捨てる訳にも行かないのでいろんな利用方法があれば雛も浮かばれますね。

昨日の雨もすっきり上がり、夫は他の役員さんと共にバラの消毒に出かけました。消毒日和でした。やっぱり日頃の行いがいいのですね。
私は午後から健康友の会の会議でした。松本協立病院のリニューアルが始まって半年以上、部分的に内覧会が予定されているようで、これは楽しみです。
総会を間近に控え、議案書つくりや県内の交流会などぎっしり予定が詰まっています。

 昨日2日は全国的に雨の予報でしたが、池田ではお昼頃から降り出しました。
毎週木曜日はバラ園の定例作業日です。午前中晴れてくれたので作業が出来ました。男性たちは車いす専用通路を作る作業をしているので大変。一つ一つ煉瓦を敷いて気の遠くなるような作業です。時間のある日には行っているので頭が下がります。

忙しいと言うのに夕方には北アルプス市民劇場(演劇鑑賞団体)の幹事会がありました。夫が5日の総会の議長を頼まれたので打ち合わせを兼ねて一緒に参加しました。
昨年の「値上げに関する」臨時総会の際にも夫が議長に選出され、議事進行がとても良かったと好評だったとか(私は沖縄に里帰り中)。
それで値上げのせいではないにしても、会員の伸びが今ひとつで今後の会の運営をどうするか大事な総会。夫にもう一回議長をやってもらってほしいという幹事会の一致した意見があったので、他にも沢山適任者はいると思うけど仕方ないから今回まではと言うことで引き受けました。
総会が中心の会議だったので夫がまた例のように提案、「難しい、面倒」と思っている人もいるのではないかと思ったけど、事務局長は「ムラハタさんの言う通りだ」「議案書を一部追加配布をする」ということになりました。私はハラハラものでしたが、全一致で決まったので一安心。
総会でどれだけの人が意見を述べるか。幹事も自分の思いを述べないと会員には伝わらないと夫に釘をさされているのでどうなることやら。


  3月1日(水) 晴れ      春遠からじ
春3月なんて言いますが、まだまだ寒い日が続いています。
日中は暖かくて、春と勘違いしますが。2〜3日前には初物「ふきのとう」を収穫。天ぷらにして食べました。
猫のハルちゃんもいよいよ外の行動が多くなりました。散歩に行く前に軒下に置いてある箱の上で、しばらく置物になっています。ひなたぼっこでしょうね。


2月28日は富山の孫の誕生日でした。4月からは6年生、最高学年なります。大きく羽ばたいてほしいです。じじは腰が痛い、ばばは肩が痛いなど年相応に医者通いです。私は以前50肩と診断されて、「だんだん治るから特に治療はいらない」と医者に言われ放置していたら痛みがひどくなりひどい目に遭った経験が有ります。今回は「いくつになっても50肩」ではないがひどくならないように電気治療に通院中。趣味のボーリングが出来なくなったら困るので真面目に通っています。
2月の後半はいろいろあったけど記録がちょっと遠のいていたので反省。これからはしっかりしたいと思います。
前に沖縄の島言葉を紹介しましたが、2週間くらい前の赤旗日曜版に国会議員さんが「ゆくサーよりはるサー」と書いていました。「ゆくさー」というのは嘘つき、「はるさー」というのは百姓のことです。「ゆくサー」というのは国会議員が沖縄の基地を県外移設を公約に掲げて当選して、舌の根も乾かないうちに裏切ったことを書いていたのです。ゆくサーは安倍政権にも言えますね。
兄貴の事を書こうと思ったら関係ない例えを書いてしまいましたが、兄貴も「はるサー」です。実家より車で40分位の都会に住んでいて、畑をしに田舎まで通って来ています。
サトウキビづくりが主ですが、屋敷内にはいろんな果物が沢山あります。沖縄の代表の島バナナは勿論シークァサーも沢山あり、その他は南方の果物かどうなのか私には名前も知らない果物が沢山あります。
勤めをリタイヤした後は職業訓練校に通っていろんな技術を身につけたようで、接ぎ木も得意でシークァーサーの木に大きなミカンを接いだりしています。そんな沢山の実がなる木が沢山あるけど以前は商売をしていた時期もあったようですが、今はなり放題という感じでもったいない。
先日珍しくそんな庭で取れた果物を送ってきました。「スターフルーツ、カニステル」・・・耳慣れない名前ですが、しっかり育てれば土産品になります。実際に那覇では売られています。沖縄の友人に言われたように食べています。
夫にはあまり馴染みがないので押し売りしていますが。沖縄では年々新しい果物が出てびっくりさせられますが、ゴーヤーなどもいろいろ研究も進んでいるようです。帰ったときに散策するのも楽しみの一つです。





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