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  5月31日(水)
新聞によると、世界保健機関(WHO)によると「たばこを吸う少女が増え、若年層の男女間の喫煙率の差がなくなりつつある」のだとか。
「たばこ産業が女性市場を開拓しようと、『たばこはおしゃれ』という広告に力を入れていることなどが背景にある」というのがWHOの分析であるとも伝えています。
さてさて今日は愛煙家にとっては耳の痛い世界禁煙デーです。せめて一日だけでもと今日だけタバコから遠ざかった人もいたのではないですかねえ。
タバコの害は小さい子どもたちが一番よく知っています。「クサイ」と言われた経験はどんな大人でも持っていますから。
そうは言っても、私自身の長い喫煙経験から言って他人に迷惑にならないように吸っている人にまで押し寄せて禁煙を強制する問題でもないでしょう。もちろんそうしたことによる”自己責任”はあるでしょうし、たばこ産業との関わりも問題になることは事実です。しかし、もっと大事なことはタバコで紛らわさなければならない社会的ストレスや閉塞感・緊張感、経済的重圧感などの問題だと思います。
ふつうに生活して吸うタバコの本数などたかが知れています。自分にとってタバコとは何であるかを考えられるようになれば、そのプラスマイナスを十分に見極めることができるはず。その前提となる条件を奪い吸わざるを得なくさせておいて若年層からさえ徹底して収奪する、その巧妙な仕組みこそがタバコの真の問題であると私はいま考えています。

朝家の建築現場に行ってみると、またしてもやられた。今度は相当にひどい。例の「ツバメ」です。
大工さんたちが帰ったあとから暗くなるまでの間と早朝の間にせっせと泥を運んで真新しい柱に巣をかけようと涙ぐましい努力をしていたのです。新しい柱は泥だらけ。このシミは拭いても取れるものではありません。カバーをわざわざ剥がして材木に直接泥を塗りつけるんですから、たいしたものです。近くには泥をくわえた夫婦とおぼしき若いツバメがチャンスを狙っている。思いがけない伏兵でした。・・・・家はたくさんあるのに、大工さんが頻繁に出入りし音もうるさい建築現場の玄関先になぜこれほどしつこく巣をかけようとするのか。誰か解明してください。




ところで建築現場ではようやく壁面の工事が始まりました。明日あさってにはほぼ壁面が終わり、家の中のボード張りが始まるはず。


  5月29日(月)
我が家の建築現場に一日1,2回足を運んで進行状況を確認し、問題点を話し合ったり要望を伝えたりしています。仕様変更せざるを得ないことも結構あり、毎日の打ち合わせを欠かすことができません。
今日は外壁のサイディングの準備が進められ、枠を張ってあとは壁面の板を順次取り付けていくだけになっています。あと2,3日でこの工事は完了。家の中も壁面ボードを貼り付けるための板を渡す作業が続けられていました。


一般にプレハブなどの坪単価の安い工事になると柱と柱の間の横板を細かくわたすなどということはほとんどしない、工事が大変丁寧なので驚いているとガス工事に来た近所の店の方が言っていました。この工事を請け負っている会社の社長も「他の会社の工事と見比べてみてほしい」と自信の程をのぞかせていました。
丁寧であることは認めましょう。しかし、それだけの費用がかかっていることを忘れないでほしいですね。同じ金額で他社が工事をやったらどうなるのか、そこが問題です。単に丁寧かそうでないかをくらべたり、プレハブ工法と単純に比べてどうかというのはちょっと筋違いというものです。
それはともかく、6月に入るとおそらく初旬までで相当に工事が進行するのではないかと思います。6月下旬にはほとんど形ができあがって棚や室内の造作に取りかかることになるはずです。


問題が一つ。あいかわらず近所のツバメが工事をしている家の中にも平気で飛び込んできて垂木にとまったり、最近完成した縁側の庇下の木にとまって巣をかける仕草をしているのです。新築の家がよほど気に入っていると見えて追い払っても逃げていかない。ちょっと油断をすると夫婦で飛び込んでくるのです。何が何でも”オラ方も家を新築するぞ”という気迫が感じられるのでいささかうんざり。真新しい白木に泥を貼り付けて巣をつくってもらっては困ります。頼むからよそで巣をかけてください。お願いします!!


  5月28日(日)
今日は池田町にあるいろんな道祖神を巡って歩くイベントのある日。ところが昨夜からのあいにくの雨です。
朝になっても止む気配がないので一時はどうなることかと心配しましたが、道祖神のおかげなのか出かける10時前には何とか雨も上がってどうやら回復しつつある気配。集合場所の東山包美術館に着く頃には雨も上がってさわやかな日和りにむかっていました。


このイベントはクラフトパーク内にある安曇野東山包美術館の主催でひらかれたもの。包美術館の2階ではこの日のガイド役の小出さんの展示会が開かれており、それを記念してのフィールド・スタディという色彩も持っていました。

私自身これまで池田のいくつかの道祖神とはめぐりあっていましたが、じっさいどのくらいの数がどこにあるのか正確なことは全くわかっていませんでした。しかし思いがけないところに道祖神が祀られていること、そのスタイルも石の大きさも北から南に行くにつれて微妙に変化していくこと、当時の生活の一端を伝えていることなどが次第にわかってきました。
ガイドの小出さんは長野県の双体道祖神はくまなく見て回り精通しているという”歩く道祖神”というほどの人。造詣は深くその話もなかなか興味をそそられました。


ところでこのページで何度も触れたことですが、信州の道祖神はほとんどが双体、つまり男女が仲睦まじく手を取り合い肩を抱き合って寄り添うという姿です。
道祖神というのはもともと村の外れにあって災いや病気を防ぐ役割をもっていたものです。それに夫婦円満、家内安全、無病息災、五穀豊穣・・・などをあわせて願ったものなのか、それとも二人で力を合わせて災難や疫病を追い払おうとしたものか、何はともあれため息の出るほど仲睦まじいものばかりでありました。それにしてもものすごい数です。
詳しくは「安曇野の四季」にアップした池田町道祖神めぐりをごらんください。

あと少し道祖神についての考察を。
信州の道祖神はそのほとんどが双体であることは先にもふれましたが、ほとんど例外なく二人は手をとって正面を向いているのです。それは石を彫る都合から言ってごく自然なポーズであることは理解できますが、これだけたくさんあるのであれば二人がもう少し変わった格好、例えば一人がひざまずくとか、お互いに向き合うとか、一人の後ろにもう一人いるとか・・・があってもよさそうです。
小出さんの膨大な写真を調べてみましたよ。ようやく何点か変わったのを見つけました。確かに向かい合って抱き合っているみたいなのがあった。最近作られたものでは二人が唇をくっつけているようなものもありますがこれは除外。
なぜこのように二人が正面を向いているのかという問題は、単に作りやすさということではないのではないかというのが私の仮説。
正面を向いていると言うことは二人の関係を表します。夫婦あるいは恋人であることは間違いないのですが、どれもどこか遠くを見ています。つまり二人の関係だけでなく、その地域の中での二人という意味をきわめて濃厚に感じるのです。言い換えると社会性を色濃く持っているということです。
これが向かい合って抱き合っていたり、手を取り合っているということになるとこれは紛れもなく男女の関係だけでありプライベートな関係です。二人だけの関係であって社会性は感じられません。故に村人たちそれぞれの意識を道祖神に込め災いを除けたり幸いを呼び込む願いを他人と共有するにはこのポーズしかないということになります。
原初的な道祖神は男根であったり、女性の身体であったりしましたが、やがてさまざまな文化的な影響を受け洗練されたものになってゆきます。双体道祖神はその一つの到達点ということがいえるでしょう。
二人がともに手を携えて同じ方向を向いて歩もうとしている、あるいは遠くを見つめているという姿には、江戸時代後期から明治にかけての村人たちがどこか遠くを見つめながらその幸せをつかもうとしているそんな姿が重なって私には見えてくるのですが・・・。


  5月27日(土)
Topreの一番人気キーボードが到着したので早速使ってみました。小さいのにずっしりと重い。仮名表記がないので一見英語キーボードのようですが、実は日本語キーボード。前のよりキータッチがやや重めなのとテンキーがなく横幅がせまいのでホームポジションが固定できます。裏のゴム版もしっかり作られていて机に固定され、とても打ちやすいキーボードだと思いました。



キーボードと言ってもいろいろで、最高級品となると10万円ほどするのもあるらしいですが、これはまさかそこまではいきません。それでも作りはしっかりしているので作る側のこだわりが感じられる一品であることは事実です。
ネットで調べても評価はきわめて高く、高速入力を業務としている人たちからは必需品として求められているようです。私は全くそんな環境ではありませんが、周辺器機としてはディスプレーとキーボード、それにマウスの3点セットはどうしてもこだわってしまいます。使い勝手の快適さをとことん求めたい方なのでこれから愛用していけそうな気配です。
キーボードのお店 Shop Uの紹介コーナー


  5月25日(木)
さわやかな晴天の一日。昼過ぎはさすがに日の光の中では暑さを感じますが、日陰は涼しい。家の工事が進行しています。外壁や家の中の壁面などはまだですが、玄関のポーチや縁側部分の形ができてきました。あと2か月で完成となるのでしょうか。



話は飛びますが、パソコンのハード面(周辺器機含む)で何が一番必要でかつ重要かと言われるとなかなか甲乙つけがたいものがあります。何が一番ということはないというのが正しい答えでしょうか。
CPUをはじめとするマザーボード上の機能が高ければ使いやすいことは当然ですが、逆にPentium4のように電気をやたらに食うのが果たしていいのかどうか。ディスプレーも音響設備も無くてはならないものです。
現在のところ私がこだわっているのはキーボードです。短時間パソコンに向かうだけならあまり影響はないのでしょうが、ホームページづくりでテキストを大量に処理するような場合はどうしても打ちやすいキーボードが要ります。
私が現在愛用しているのはTopreのRealforce106とAtessa JapanのAtessa AKB109JB。前者はWindows後者はLinux用です。Topreはどちらかというとフニャフニャした柔らかめのキータッチでAtessaはカシャカシャとしたメカニカルタッチのいかにもキーボードという感じです。こだわりの品であることは間違いないのですが、どっちもいまいちなんですね。どことなく打ちづらい。なかなか使い心地のいいキーボードに巡り会うことがありませんでした。
そうこうしていたらつい先日Just SystemのショップからTopreのRealforce91UBKカナなしというコンパクトタイプが発売になったというメールを受け取って一にも二にも無く注文してしまった。まんまと乗せられてしまったのでした。もちろん悪い買い物ではありません。言い訳でもなんでもなく。
これってキーボードのトップクラスの製品ですから値段もハンパじゃないんですね。と書いていると・・・・なあ〜〜んだ、結局奥さんに新しいキーボードを買ったということを言えなくて、日記に書いて了解を得ようという魂胆見え見え・・・・と言われそうだなあ。事実そうなんだけど・・・。

キーボードと言えば、Macの古いApple Keyboard Iというコンパクトタイプが打ちやすさと言う点では最高でした。まさに芸術品でしたね。Appleは品質よりコストダウンに目が向いてしまって次の世代にはApple Keyboard IIという箸にも棒にもかからないチープなキーボードを世に送りApple Keyboard Iは幻のキーボードと化したのでした。それ以来手に入れようとすると7,8千円くらい覚悟しなければならなくなってしまったのでした。
これは現在でも約6000円くらい。同時期のApple II GS付属の最小キーボードとなるとやはり一万円くらいするんですね。Vintage Computerのページ参照。全く使わなくなってしまっているのに。実は私、Apple Keyboard Iを3本、Apple II GSを1本持っているんですね。何のために?? 芸術品です。芸術品。(ギエ〜〜!! 妻に耳を引っ張られている・・・・)


  5月23日(火)
夕方NHKで経団連の奥田碩会長へのインタビューをやっていました。インタビュアーが「長い好景気だが一方で格差を感じるのだが」と水をさしむけると待っていたように「格差があるとかないとかが問題になるのは結局ものを見る基準が金だけだということだ。豊かさというのは金の面と心の面があり、現在は心の面が問題にされない」と述べていたのが大変興味深かった。なるほどやっぱりかというカンジ。
これは彼の持論のようで、5月18日の記者会見でも「日本へのメッセージ」として次のように述べていますから。いいですか、日本へのメッセージですよ。でっかくきましたね。

「嫉妬の経済」から「称賛の経済」に向かって、心の持ち方を変える必要がある。また、物事をカネやモノだけを尺度に見たり考えたりするのではなく、心を尺度にして見、考えることが大事だ。

格差を感じるのは心が貧しいからだ。ヒルズ族の生活をみて自分の生活を嘆いてみてもしかたがない。上をみりゃきりがない。下を見てもきりがない。要は心の持ちようなのだ。・・・というわけです。テレビでも奥田さんそう言っていましたよ。

不況が厳しくなったり格差が大きくなったりすると決まってこのように言い出すのが財界のつね。経団連にはよほど心の豊かな人々が集っていらっしゃるらしい。
内閣府経済社会総合研究所のDiscussion Paper Series No.140は「労働所得の格差は97年以降拡大しており、特に、非正規雇用者の増加もあって、若年層でその拡大のテンポが速いことがわかった」と述べているわけで、KOIZUMMIさんや奥田さんがどういおうが、不安定な生活を余儀なくされている若い世代のフリーターや派遣労働者がその実態を骨身を通して知っている。

奥田さんがこの考えを個人的に披瀝する程度ならまだ許せる。しかし、そうではなく教育や労働の現場やあらゆる場面にこの考えを押しつけようというのだからとんでもないことです。何しろ”日本へのメッセージ”なんですから。
いまはやりの「ニート」という言葉に埋め込まれた否定的な(まるで本人の責任で働く意欲をなくしてひきこもっているかのような)イメージもやはりこうした「こころ」の問題として作為的に形成されたと見るべきだと私は考えています。その意味では光文社の「『ニート』って言うな!」の問題意識と論考はタイムリーで全く正しい。
ということは、彼らのいう「こころ」はある方向だけを向いたベクトルです。ここが大事なところ。
批判するココロ、言挙げするココロなんて論外。そうしてみると、あの「心のノート」も一連の流れの中にしっかりと位置づけられているのですね。
みなさん、富士山をみたら必ず「すがすがしい」気持ちになり「自然への畏敬の念」を深め、「美しい日本、愛する日本」というココロを持ちましょう。いつ富士山が噴火するかとか、どれくらいのゴミが捨てられているかとか、富士山の体積はいくらかなんてアホなことを考えてはいけないのです。そうですね、奥田さん。

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(極私的)初級HTML講座[改訂版]をここ2,3日集中的に改訂していて、今日夕方ようやく仕上げることができました。このあとはCSSの方に移ります。HTMLのみで更新しやすくするとなるとどうしてもテーブルを多用せざるをえなくなりますが、まあこのくらいなら許容範囲でしょう。ご批判を。


  5月20日(土)
このごろ「カッコウ」が朝早く私を起こしにやってきます。ウグイスの次はカッコウです。あれはかなり響く大きな声で鳴きますから嫌でも目が覚めてしまいます。すると今度は他の人を起こしに次の場所に行くらしい。鳴く時期があるっていうのもおもしろいですね。
今日は新築中の我が家にお風呂のユニットが設置されました。作業員が二人で要領よく組み立て夕方にはすっかりきれいなお風呂が据え付けられました。さっそく入りたいくらいです。
玄関のコンクリート打ちも終わって次第に家らしくなっていたなと思って玄関先を眺めていたら、ツバメが頻繁に玄関の中と外を行ったり来たりしているではありませんか。 どうやら彼らも家を新築しようとしているらしい。
今巣作りをしてもボードを張ってしまうし、第一新築中の家に巣作りをしてもらってはこまります。大工さんたちの話ではここいらのツバメは一日で巣をかけてしまうこともあるらしく、今日あたり地鎮祭をやっているのではないかなどと冗談も言っておりましたから、くれぐれも棟上げなどさせないように見張っていてほしいと頼んできました。



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金沢で歯科医院を開業しているいとこからホームページの作成を依頼されていたことは以前に書きましたが、資料も送られてきて少しずつ作業をはじめています。
いとこのKさんはホームページづくりについては初心者ですので、できるだけシンプルで更新しやすいものをつくるようにしました。いずれご本人がサイトの運営もできるようにこれから私と一緒にホームページづくりのお勉強をしていただくことにいたします。
そのために、以前息子のためにつくった講座を手直しして改めてHTML講座を開講することとしました。「マックの部屋」にファイルを順次アップしていきます。Kさん、覚悟はよろしいですね。

作成中のファイルはこちら。


  5月17日(水)
ここに文科省がつくったPDFファイルがいくつかあります。その一つが教育基本法の現行条文と「改定案」との新旧対照表です。
我が友金ベエさんが帰省時に我が家に寄っていてくれた折りに、このことがちょっとだけ話題なりました。彼は「改定案は文章が美しくない」とコメントしていったのです。
確かに現行の格調の高さと品格から見れば「美しくない」ことは歴然としていますが、もちろん改訂の本質が文章の美醜にあるわけではありません。

私がこの文章を読んでまず注目したいのは現行と改定案にある「日本国憲法の精神に則り(のっとり)」という文言です。現行の教育基本法にある「日本国憲法」はまぎれもなく”現行”憲法ですが、改定案がのっとるべき憲法は果たして現行憲法であるのかどうかという問題です。(蛇足ですが私には”日本国憲法を乗っ取り”と読めて仕方がありません・・・ヘソ曲がりでしょうか??)
この法案、日本国憲法の改定の露払いであるというのが巷でのもっぱらの評判ですが、事実その通りなのかこの法案の趣旨説明では「則るべき日本国憲法の精神」については確かに一言もでてきません。それどころか「教育の根本にさかのぼった改革が求められ」「時代の要請にこたえ、我が国の未来を切り拓く教育の基本の確立を図る」などという方向が目指されいるのです。だとすればこの「日本国憲法」は自民改憲草案などを土台とした改訂後のものであることは明らかです。そうでなければ現行の「教育の目的」が「教育の目標」すなわち「徳目」に置き換えられた真意を説明できません。
「公共の精神」「伝統と文化の尊重」「我が国と郷土を愛する」などの徳目は自民党新憲法草案の前文に相通じるものを持っているし、「国民の責務」(「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」)などと連動しているということはもはや明白です。
では、この意味することは一体何なのか。それはすでにいろいろな方面から議論されているとおり、日本の保守勢力の長年のねらいであり悲願です。1953年の池田・ロバートソン会談での覚書以来着々と積み重ねられてきた「教育の国家統制」=「戦争できる国を支えアジアに君臨する大国を担える若者をつくる」という目標がいよいよ現実のものとなるということです。第二条(教育の目標)および第十条(教育行政)が周到に準備されているわけはここにあります。

私自身は教育基本法の改定がこのようにあっさりと国会に提出されて軽く扱われていることに愕然とします。
権力者が戦争を準備するときにはまず教育を変える。これは歴史の鉄則。だからこの改定案は「時代の要請による」などという単なる改訂ではありません。まさしく質的な大改変ですね。国や地方公共団体に対して教育の大綱を示していた基本法という性格から国が教育を通して国民を直接に縛るという性格への恐るべき大改変なのです。
言い換えれば東京で現実に起こっているあの内心の自由への暴力的な蹂躙を国が全国の教師と子ども・父母に強制するということです。アメリカの戦争政策を国際的な平和への貢献として全面支援する態勢をつくるということです。沖縄をはじめ全国の米軍・自衛隊基地の強化も海外派兵も自らの意志で支持する「愛国的」国民をつくるということです。そしてその行き着く先は・・・・。

それにしても徳のある政治家は徳目を並べ立てたりはしないものです。自ら率先垂範することでそれを示します。そして言葉数も少ないものです。果たして改訂案の何と饒舌なこと。
一つひとつの目標の可否を問われれば「我が国と郷土を愛するなどという」あまりにも見え透いて露骨なものを除けば誰も異存も反論もないものばかり。それは当然です。問題はどのような文脈で誰が誰にそれを求めるのかということに尽きます。
「伝統と文化」結構。それならば、古来稲作を大切にし日本の風土を作り上げてきた農村の基本的な伝統稲作とそれにまつわる文化を一体どうしてくれるのか。大規模経営と資本主義経営だけの農業へ移行して日本の農業は守られるのか。そんなことはありえません。
全国津々浦々で起こっている農村と里山の破壊、森林の破壊などは誰が推し進めてきたのか。そして伝統と文化は誰が守っているのか。彼らには回答不能でしょう。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに・・・」・・・まったくあきれてものが言えないではありませんか。
「三位一体改革」とやらで地方自治体の財政を危機的なものにし、郷土を荒廃させておいて愛するもくそもないだろう。伝統と文化を育てる予算をケチり、削減しておいて尊重もクソもないだろう。
「他国を尊重し国際社会の平和と発展に寄与」したいなら靖国参拝をきっぱりとやめ、イラクから自衛隊を引き揚げ、平和憲法の精神を世界に向けて発信すべきでしょうに。それならば子どもたちは政治家のやっていることに誇りも持てるというものです。
しかしこの法案を出した政治家の皆さんのやっていることと言っていることは全く正反対。だからこの法案が通ったらその「改定教育基本法」のもとで育つ子どもは「言行不一致」いや「言行正反対」となることは間違いありませんね。


  5月16日(火)
所期の目的を果たして今日昼過ぎに池田に戻りました。親しく懐かしい面々に久しぶりに会えるのですからまた行きたい反面、都会の雑踏や人の多さに辟易して(2年前までそれが日常でしたけど・・・)もう行きたくないという気持ちとない交ぜになった複雑な感想。新宿とか秋葉原とかに行かないならまた出かけてもいいかな・・・。
さて、今回の目的の一つは塾のいろんな資料を集めることでしたが、これは初日に前の職場のボスNさんの計らいで沢山戴くことができました。ありがとうございました。
そうこうするうちに初日の夜、卒業生の大学生たち3人にボーリング場へ連れられ(拉致され)てしまいました。10数年もやったことのないボーリングを深夜まで、しかもこれでもかと何ゲームもやらされるものだから腿が痛くなってそのあとも筋肉痛に悩まされるはめに。彼らの若いエネルギーはすごいものがあります。

明けて2日目の午前中には思い立って久々に秋葉原にでかけることにしました。CPUとかマザーを捜したかったのです。
秋葉原についてみると、この2年間でかなりの変化がありましたね。数年前まではがらんとした広場に今ではドでかいビルが建ち、あっちこっちのテナントが入れ替わり、行こうとしていたインターネットショップがどこにあるかわからず結局たどりつけません。足腰は痛くなるし、何も買わずに早々に引き上げてしまいました。


その夜にはかつての同僚や卒業生たちが歓迎会を開いてくれました。高校生・大学生という時期の彼らの成長はめざましいものがあります。駅近くの飲み屋で3時間ほど楽しくおしゃべりしたり飲み食いしたりして過ごすことができました。いろいろと気を遣ってくれたみなさんに心から感謝です。


ところで私が勤務していた街、小田急線と南武線が交差する多摩区登戸周辺はいまだに駅ビルの工事中でした、駅自体も新築工事ですっかり変わりましたが、その他の町並みはほとんどそのまま。となりのお菓子屋や文房具屋のおばあちゃんは元気だったし、薬局の奥さんも懐かしい顔を見せてくれ、さらに宿泊させていただいた民宿兼レストランのご夫婦も元気いっぱいでした。
さらに今日は帰りがけに、高速に入るまでの道すがら鶴川方面に寄って2年前まで住んでいたあたりを見てきました。
気に入っていた街だけに、住んでいた建物や駅周辺のたたずまいを見て本当になつかしく胸が熱くなるものがありました。鶴川駅構内のドトールではあのかわいい店員さんもいましたし・・・。向こうはすっかり忘れていましたけど。


というわけで、今回の都会訪問は素敵な思い出をたくさん残してさわやかに幕を閉じたのでありました。あらためてみなさんありがとう。


  5月13日(土)
昨日あたりから気温が急激に下がってエアコンを入れなければならないほどになってしまいました。今日もかなり気温が低く肌寒い。
家の建築は現在のところ順調で壁に防水シートが貼られ、玄関以外はサッシがすべて入って家の形ができてきました。このあとは外壁を張ること、家の中の内側の壁を作っていくこと、風呂などの大きな設備を設置すること、玄関をつくることなどです。
外見だけではどこまで工事が進行しているのか次第にわかりにくくなってきました。外壁が出来ればますますそうなるでしょう。これからは内側の作りに細かく注意を注がなければならないので気が抜けません。

さて、今日は夕方から塾の2回目。全員出席でした。いまのところ、2年間のブランクはさほど問題になっていません。ブランクがあるからよけいに新鮮に子どもたちに接することができそうです。
ところでこちらではお父さんかお母さんが車で送り迎えしているのですね。帰りなどは真っ暗な中、ずら〜〜と自家用車が並んで子どもが終わってでてくるのを待っている。私は10時ピッタリに終わって生徒たちが車に乗り込んで帰るところをお見送り。
2回を終えて、少し子どもたちのことが見えてきたように思います。確かに理解度や進み方に差はあるけれど意欲に差があるわけではない。塾に行かせようとする親も行こうという子もそれなりの意志を持ってきているわけで、それに答える工夫をしていかないと彼らを塾につなぎとめることはできない。逆にそれに成功すればもっと多くの生徒を集めることができるはず。これから夏にむけて精一杯の努力をしてみることにしましょう。

明日から2,3日東京・神奈川にでかけ、なつかしい皆さんのお顔を見てまいります。




  5月10日(水)
フェーン現象なのか昨日今日ともう夏です。熱波が押し寄せてきているという感じでTシャツ一枚でも暑い。つい昨日までストーブをつけていたことがウソのようです。
朝畑に水をまいても昼過ぎにはもう乾いてしまっています。この時期、あまりに気候の変動が激しいと作物への影響が心配です。

遅霜の心配もなくなったので、庭の菜園や借りている畑の手入れをあれこれとやっています。本来なら計画を立てていろんな作物を植えるところですが今年は引っ越しを控えているのでたくさんは植えられないし、冬近くまで残っているようなものは植えるわけにはいきません。
そうは言ってもやっぱり畑には何か植えていないと寂しいですから早く収穫できる夏野菜を中心にいろいろと植え込んでしまいました。

今日は久しぶりにお花の先生のもとに行きフラワーアレンジのお勉強をしてきました。白馬での展示会のための習作をこれからいくつか作り、7月に入ったら本格的に作品づくりにとりくむことにしました。


今日は少し早めに終わったので、先生の実家に八重の「山吹」を採取に行きました。とてもきれいなドライフラワーができるので今のうちに作っておきたいという先生からの要望で車を出したのです。
先生の実家というのはかなり古いドデカイ農家で庭ときたら高級旅館の手入れの行き届いた庭のようで太いイチイの樹がドカンと真ん中に植えられていました。こんな太いのはめったにないのだそうです。
それはともかく裏手にまわって「山吹」を取った帰り「行者にんにくだよ」という先生の声。「ふつうは炒めるけど、ミソとミリンにつけてナマで食べるといい。こんなに美味しいものだとは知らなかった」のだそうです。よく見ると屋敷の回りにたくさん栽培されていた。「いずれ株を増やして何株かください」と厚かましくお願いして、とりあえず今日のところは葉を10枚ほどもぎ取らせてもらいました。
帰って言われたとおりにして食してみると確かにこれはニンニク。作り方が悪かったのかそれほどうまいものだとは思えなかった。もっと研究してみます。
この行者ニンニクは身体にいいというので評判の野菜のようです。しかし生長が遅いので沢山収穫できないらしい。今日も「全部葉をとるとダメになるから一株から一枚だけ」と言われましたから。
いろいろとネットで調べてみるとこの行者ニンニク結構希少価値の高い植物で通販でも6年もの30株1万5千円〜2万円というからギョギョギョ。すると今日もらってきた葉は1枚100円ほどするのかな??ええ〜〜〜〜。やっぱり株をもらってきて増やそ!!そんなに簡単にくれるわけないか。




  5月8日(月)
夕方からクラフト展の搬出に行ってきました。私が到着したのは6時近く。そのころにはすでに大きな家具類などの片付けは終わっていて会場はもうガランとしていました。
いままでたくさんの展示品でにぎわっていた会場からほとんど何もなくなってしまうと寂しいものがあります。お店の方もなんだかあちこちの部屋を見るのが怖いと言っていました。それは実感でしょうね。
私はランプシェードを中心に全部で13点の作品を出していました。そのうち売れたのは6点、計32500円。予想以上の売れ方でした。
そのほとんどがランプシェードでしたから、いかにこれが会場の雰囲気にマッチしていたかわかりますね。明るいところでは絶対に良さがわかりませんからまず売れません。
だいたい売れてほしくないと思っていたものから売れていく。大きな私の”最高傑作”は初日にもう売約済みになってしまった。買っていただいたのは白馬のチャペル(結婚式場)の方。どんな飾られ方をしているのか一度見に行ってくることにしましょう。なんだか自分の子どもに会いに行くみたいなもんですね。


今日帰りがけに今度はそこを会場にクラフト展を行うことになりそうだという話が進行していました。ランプシェードは二番煎じになってしまいますし、ほとんど売り尽くしてしまったのでどうしたらいいものか思案中。こうなったらハーブセンターに展示してあるものを回収してきてこちらにまわすことにしますか。
あとはつるを素材にした小さいドライフラワーアレンジをつくって出品しようかと考えています。白馬にはラベンダーが似合うような気がするので、ラベンダーを主力にした作品をこれから精力的につくって白馬でデビュー。フ〜〜〜忙しいね。


  5月7日(日)
禁煙100日。この100日、ちゃんと計算したわけでなくあやしいのですが、ま、そんなもんでしょう。それにしてもよく続きました。
禁煙のコーナーにも書いたことですが、どうも最近体調がすぐれません。何となく身体の機能が年に合わせて変わってきているようでしんどい。きっと禁煙のせいにちがいない。

昨日は母を持ち上げようとしてまたまた腰をひねってしまい、ぎっくり腰状態になってしまいました。思いものは妻に全部任せてコルセットをして過ごしています。情けないですねえ。
3か月もするとタバコを吸いたいという気持ちはほとんどなくなります。しかし習慣からなのか、口寂しいような感覚がぬけなくてつい食べていたり、ガムを噛んでいたりという状態が続いています。やはりカロリー過多になっているのでしょうね。はやくこの感覚を払拭して落ち着いた生活ができるようにしないといけません。多分そのカギは朝散歩にでかけたり昼適度な運動をしたりすることにあるのでしょう。なかなか習慣化できていないのでそれを改善することが目下の課題。

昨夜からの雨が残って夕方までぐずついた天気でした。妻がアルバイトに出かける日だったので、母をベッドに誘導した後、庭でラベンダーの植え替えをやっていました。冬の寒さにやられた株がかなりあって、それをとりのぞき、生きている株も別に植え替えて元気を取り戻させる作業です。
昨年からラベンダーを増やそうといろいろやっているのですが、なかなかうまくいかない。今年は引っ越しを控えているので当面プランター栽培です。うまくいけば新しい土地はラベンダーでいっぱいになる予定。今年もがんばって株を増やすのだ!!


  5月6日(土)
午後から妹夫婦とそのファミリーが母のご機嫌うかがいにやってきてくれました。大人5人、子ども2人の計7名も一挙に来たので賑やかにぎやか。
普段はほとんど表情のない母も今日だけは別人のようで午前中からとてもうれしそうにしていました。記憶の底で娘のことが思い出されて笑みがこぼれたのでしょう。
ただそれぞれ帰りの時間が迫っていてほとんど滞在時間がなかったことが残念でした。私も夜は塾の授業なので実にあわただしく本当にあっという間の訪問で終わってしまいました。帰り際には建設中の我が家に寄って現場を見ていってくれました。




その夜、午後7時から10時まで初めての中3の授業でした。生徒は全部で7名。今日は連休で里帰りという子が一人いて6名でした。
中3生はなかなか懐かしい。前の教室で最初にうけ持ったのも中3で、それ以来中3だけは外れたことはなかったので要領はOK。とはいえ、いかに成績をあげるかとなるとなかなか難しいものがあります。ともかく納得ずくの楽しい学習ができるようにしっかりやろうと思わされました。


  5月5日(金)
クラフト展の当番だったので朝からずっと「わちがい」に詰めていました。今日はことのほか暑くてしかも2階はとくに熱気がこもっていたために眠くなって困りました。
今日の相方は銀細工の匠。午後からお店のおかみさんと二人のお子さんも銀細工の講習に参加して熱心にオリジナル・シルバー・アクセサリーをつくっていました。


ちなみに写真左手の息子さんは石原軍団の若手俳優だそう。なるほど長身でイケメンのいい男でしたよ。クソ。連休にお店の手伝いに帰っていたのです。
下はお店の庭に咲いていたシャクナゲ。何本もあってちょうど見頃でした。



今日は「塩の道祭り」の最終日だったので、クラフト展もその行事に参加した人たちが多かったようでした。大町市内でもリュックをしょった旅行客を何人も見かけましたし・・・。
「塩の道祭り」は「塩の道」をたどって小谷・白馬・大町を昔の装いで歩く大がかりな行事です。来年は是非とも参加して「塩の道」を体験してみたいものです。


  5月4日(木)
今日も朝から良い天気。ゴールデンウイークになるといつも思うのですが、初夏の陽気になると同時にこの期間を境に回りの景色ががらりと模様替えになってしまいます。これは実に不思議というか見事というか、見ていて本当に面白い。
4月はどちらかというとレンギョウ、マンサク、壇紅梅などの黄色と梅や桃や桜のピンクがまわりを染めているだけで木々は冬のまま。それがこのゴールデンウイークを境に一斉に緑を帯び鮮やかな新芽の季節になるのです。
田植えの終わった稲がそれに輪をかけます。あたり一面緑・緑・緑・・・。空の青、山の白、水田や木々の緑。その中に沢山の花たちが色とりどりの花をつけるこの季節。いのちの躍動する季節です。


午後には妻と一緒に、久しぶりに大家さんから借りている畑に行き、そのままになっている畑を耕したりネギを植えたりして汗を流しました。さわやかさは残ってはいるものの降り注ぐ日の光はまるで夏のようです。
野沢菜や小松菜の花がいまが盛り。やわらかそうな花や芽をたくさん摘んできました。昨年植えたネギはもう葱坊主がではじめたので全部とってしまい、新しい苗を植えつけました。また昨年増えたイチゴもちょうど花盛り。草をとったりわらを敷いたりと手入れをしっかりしてきました。


畑は手を加えればそれだけのことは確実にあります。もちろん畑を荒らすカラスや小動物たちがいるけれど、彼らにとってはそれが仕事ですから、荒らさないように見張ったり警告したりしてやらないといけません。・・・とまあ、優しいことを書いていますが、実は昨年トウモロコシ全滅。イチゴも鳥にやられてほぼ全滅。うまくいったのはタマネギとオクラくらいでしたから、今年は鳥やタヌキの対策も十分しないと昨年の二の舞になってしまいます。
カラスや小鳥には羽根を抜いて首を吊るすと警告。タヌキにはタヌキ汁にするぞと脅す。ナメクジには塩をふりかけてやる。今年は本気です。


  5月3日(水)
高気圧に覆われて朝から素晴らしい快晴です。農家の人たちは絶好の日和に恵まれて農作業に追われていました。田んぼにはほとんど水が入り、すでに田植えの終わった田んぼもかなり見られました。
今日は里帰り途中の友人の家族が寄ってくれました。昨年もこれ以上ないような天気でクラフトパークで寝転がっていたのを思い出します。よほど品行方正・日頃の行いがよい家族なのでしょう。


ちょっと休憩の後、我が家の工事現場にいき新築中の家を見学しました。ちょうど水の入った水田に山々が写り、5月の光景。田植えが終わる頃にはすっかり初夏の装いに変わります。北アルプスが何ともいえず美しい色合いで眼前に広がっていました。
そこからさらに大町の「わちがい」へ。いろんな作家の展示を見ながら昼食をとりました。わちがいの「おこわ御膳」は桜の葉や花を餅米と共に竹の皮にくるんだおこわと、納豆のねばねばを利用してつくったといううどん「おざんざ」がメイン。御膳を味わいながら、古民家の一室でゆっくりとひとときを過ごすことができました。


さて今日は憲法記念日。これほど政権によって軽視されあるいは敵視されている日もないでしょう。
今日は地域紙「大糸タイムス」にこれまでとりくんできた改憲反対の「意見広告」が載りました。


中心になってこのとりくみを推進したKさんは「見落としがないか、間違いがないかチェックいしていて睡眠不足になった」と漏らしていましたが、確かに実務担当者は胃が痛みますね。お疲れ様でした。私はデザインで多少貢献できただけですが、それなりに関われてよかった。
朝日の世論調査では「憲法9条変える43%、変えぬ42%」という。確かに拉致問題・領土問題などでアジア各国との関係を考える際に「まるごし」で対応できるかという政府・与党の世論誘導が一定の効果を上げていることは確かでしょう。あの戦争を体験している人たちがいなくなりつつある今日の現状では例の「現実主義」にとらわれやすいことも事実です。
だからこそ、あの戦争の実相と現憲法の成立過程を知ること、いかに憲法が骨抜きにされアメリカの圧力によって軍備が増強され米軍の一翼として組み込まれていったかを知ること、いのちと暮らしを守るうえで日本国憲法のもっている先進性を知ること・・・などの努力を怠ってはならないと思います。


  5月2日(火)
今日もクラフトの当番で、午前中から大町の「わちがい」に詰めていました。天気予報通り、肌寒いあいにくのお天気でしたが断続的にお客さんが訪れてくれたのでよかった。客の相手をしたり、同じ当番の方とおしゃべりをしたりしているうちにすぐに時間がたってしまいました。
今日は私のランプシェードが3個も売れてしまったのには驚いた。明かりで室内の雰囲気をつくるこの種のクラフトは結構需要があるのだということがわかりました。確かにつるの間から漏れて壁に模様を描く光の演出はどこか心に響くものがありますものね。


しかし、売れるのはうれしい反面、一生懸命につくったものだけになんだか寂しいような手放すのが惜しいような複雑な気持ちです。
用意した5個のうち4個が売れたので残りは小さなものが一個だけ。連休本番が控えているので明日3個追加しようといま準備しているところです。


  5月1日(月)
さわやかな五月晴れ・・にはなりませんでしたが、ともかく風薫る5月。ヤマザクラが終わりに近づき、新芽がようやく出始めて山はあわい緑に包まれ始めました。水田にはどんどん水が引き込まれてまもなく田植え。5月の中旬にはすっかり初夏の装いになるはずです。
ただ先月あたりから黄砂があまりにひどい。この分では中国で砂漠化がものすごくすすんでいるのでしょう。山もほとんどかすんで見えないくらい。一日経つと車にびっしり砂が積もってきたなくなってしまいます。
この黄砂現象、中国には何とか対策を講じてほしい。黄砂ならまだ自然現象といえますけれど、これが有害物質を含んだ工場廃棄物だったら大変です。そんなことにならないように今から何としても手を打ってもらわないと困ります。国家間の大問題になってしまいますからね。

4月29日には思いがけず金沢で開業医を営むいとこが訪ねてきました。突然の訪問でびっくりしましたが、このいとこ夫妻らしい訪問の仕方。昨年もドライブがてらちょっと寄ったけれど誰もいなかったので畑のトマトを食べて帰ったらしい。
一緒に建築現場に行ったりハーブセンターに寄ったりして短かかったけれど楽しい時間を過ごすことができました。
新築中の我が家を見て開口一番「昔の学校のようだね」。なるほど言われてみればそうかも。まだこれから仕上げの段階でどうなるかはわかりませんけれど、新しいけれどどこか懐かしい形が作れたらいいですね。


昨日は早朝からライオンズクラブ主催の「里山ウオーキング」にでかけました。大峰高原から尾根づたいに歩いて大町(旧八坂村)の鷹狩山を経て大町山岳博物館まで行き、そこからひきかえしてもとの大峰高原まで戻るという20数キロのコース。私は例の「ガイドマスター」としての参加です。
歩くには暑くもなし寒くもなしのコンディションでしたが、山はかすんでよく見えず残念。まだ新緑というにはほど遠い状態の山でしたからちょっと里山ウオーキングの雰囲気が不足気味でした。しかし、桜がいたるところで見られて、よいお花見ができました。
何しろコースが長すぎて前回同様あごが出てしまいました。くわしくはこちらをご覧ください。






"Diary" by Mr. Blue Piano Man


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