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  1月31日(土)
昨日のクイズ・ミリオネアを見ていたらビートたけしの応援団でまたあのタモガミが出場。いったいこの国のテレビ局の見識はどうなっている?不見識、無批判、低俗をとっくに通り越してしまっています。タレント並にあつかうほどの「タレント」があるならまだしも、「あれほど」の駄作(?)をものにする彼にしてタレントなどあるはずがない。つまり自衛隊のレベルそのものを彼の頭の中が証明していたわけだから、おしなべてこの局のレベルも彼並みということなのでしょう。まだそれぞれの局にまだ何人もいるにちがいない良心的なスタッフの努力を無にしてしまうほどのディレクターたちの程度。「人気の彼を出して何が悪い」とうそぶくのでしょうか。でも、海外のメディアからはきっと笑われているに違いありませんよ。



  1月29日(木)
昨日からまた仕事開始。一週間休んだだけなのに、一ヶ月ほども休んでいたような気がして、久しぶりに会う中3生のみなさんの顔がずいぶん懐かしかった。あと1ヶ月半ほどで入試ですから、ピッチを上げてしっかり実力がつくようにしないといけません。

昨日・今日とすばらしい快晴。朝は例によってビッチリと霜が降りて万物が凍てついていますが、昼ともなればウラウラと暖かく春先を予感させるお天気です。浮かれて今日からお散歩を始めました。
このごろ表ではたくさんの人が毎日歩くことを日課にしています。妻もしばらくウオーキングをさぼっているので、声をかけて一緒に歩くことにしましょう。
今日は2キロほど歩いてちょっと汗ばむほど。私の家の周りは歩くコースには事欠かないので、天気が悪くない限り春を感じに外に出ることにしましょう。

英語を教えに来てくれているRくんも、池田の人はもっと外に出たらいいのにと言っていました。アウトドア・スポーツはカナダでは当たり前ですから、強くそう思うのでしょうね。もっともこちらは冬は冬眠の時期。春からの厳しい農作業に備えて体力を蓄える時期なのでしょう。


  1月26日(月)
第2次補正予算案の取り扱いをめぐって両院協議会が徹夜で開かれているというニュースが井上参院議員から届きました。その中には、「補正予算案を修正議決する参院本会議はなかなか面白いものでした」というちょっとしたエピソードも添えられており、興味深かった。

野党の討論の最中に、やじをとばすのはもっぱら公明党の議員たち。ある議員が「現場の声をきけ」とやじると、野党席から「お前らこそ、現場の声を聞け」と一斉に反撃がありましたが、自民党の議員は苦笑いするだけ。いかに定額給付金に道理がなく、国民の支持もないことが浮き彫りになる本会議でした。

その当の公明党のホームページを見ると「お父さんのための『定額給付金』講座」という「親子対談」が載せられています。世のお父さん、是非とも読んでみてください。「定額給付金について世論調査では反対の声が強い」という父を、息子と娘が「ちょっと待って」とお父さんを説得するという趣向。
そこには「定率減税をなくして増税したのは公明党です」なんてことは一言も書いてない。また「自民党とともに、企業減税や大金持ち優遇税制を続け、大企業に空前のもうけをあげさせるのに一役かってきた」なんてことも書いてない。あたりまえだけど。
「現場第一主義の公明党が生活者の窮状に応える観点から一刻も早い実施を訴えているのが定額給付金なのよ」という「現世御利益」娘を持つ父は幸せものです。
このホームページの特徴は、恐ろしいまでの低賃金・苛酷な労働による貧困の広がり、派遣切りなどによる労働者の苦しみなどへの言及がどこを探してもみあたらないこと。そりゃまあ、今日の労働法制を作ってきた責任政党ですから。

バブル崩壊後、日本の企業は生き残りのためにさまざまな策を講じてきました。その過程で多くの企業が年功序列賃金から能力主義、成果主義にシフトし、リストラによる人件費削減を行いました。その結果、正社員の数は減少し契約社員やパート労働者など、非正規雇用の労働者が増えることになりました。(2007.4.4 【生活・福祉】 正社員化の流れは格差社会の歯止めになるか)

と、人ごとのように書き、さらに、

2007年からは団塊世代の大量退職も始まり、企業にとってはスキルのある労働者の確保が大きな課題になってきます。熟練労働者を求める流れは、働く人々の定着化と正規雇用化へとつなげるいい機会かもしれません。行き過ぎた雇用の合理化を修正し、正規雇用を増やすことが、これからの格差是正の重要なポイントになるかもしれません。

と、のんきに「かもしれない」と書く、このトンチンカンな政党は一体どうよ。

さて、今日は午後から町役場に行きました。昨日までにまとめた「意見書その2」を担当課の「町づくり推進室」に届けるためです。今日は推進室長と担当者一名が対応してくれました。
午前中は議員協議会が開かれて、その場で担当課から「第5次総合計画」の説明があったようで、議員からもいろいろ意見が出ていたと室長が話していました。
インフルエンザで欠席した第3回の模様を聞いたのですが、議論自体は活発ではなかった様子がうかがえました。そこで、私から前回発言できなかったことも含めて、文書で意見を書いてきたことを告げて、その内容をあらまし説明しました。
室長も担当者も対応は真剣で、私の発言の一つ一つについて丁寧に説明をしたり、耳を傾けたりしてくれました。
驚いたのはむしろ審議会のありかたのほう。私が「次回に県議の話を聞くことに決まったのはいつか」と質問すると、「前回の終わり頃」だという。よく話を聞いてみると、第3回で審議がすべて終わったので、第4回で何をするかという話になり、「それなら県議の話を聞いたらどうか」という提案がある委員から出されたのだそうです。賛成する委員もいてすんなり決まってしまったということ。
「こちらとしてはそんな予定はなかったのですが・・・」とは室長の弁。「そりゃまあ、私が出席していたら反対しましたよ。なぜなら議論することが山ほどあるのに、審議権の否定ではないですか」と思わず言ってしまいました。ついでに「はじめ、事務局から提案があったと思って、一戦交える覚悟で来ましたけど、そうじゃなかったんですか・・・」とも。室長は「委員のみなさんがお決めになったことですから・・・」と、ただ苦笑するだけ。
何と言うことでしょう。最後に「もし次回の県議の話によって審議の中身が変えられるようなことがあったりしたら問題ですよ」と言っておきました。

以下に私が提出した二つの文書へのリンクを書き出しておきますので、興味のおありの方はご一読を。ただ、原文がないと意味がわからないかもしれません。
審議会の議事録がホームページ上で公開されたら、そちらのほうもご覧ください。

第5次審議会素案に対する意見(その1)
第5次審議会素案に対する意見(その2)

今後10年間の町づくりの方針を決めるのに、議論をろくにしないで事務局の出してくるものに疑問をさしはさまないのは風土なんですか?それとも委員の質?
町のことについてそれほど知識のない私でさえ、いろいろと疑問に思うことや提案したいことがあるのに、そんなことなら、インフルエンザを押してでも出るのであった。
マスクで身を保護しつつ対応してくれた(私がインフルエンザだったからではなく、普段の予防用)室長は「インフルエンザで休んだということは健康管理上問題があったわけで・・・」とやんわり私を牽制。ともあれ、言うべきことだけは伝えた一日でした。


  1月25日(日)
天気はいいのに、猛烈に冷たい風が吹きすさんでいました。
インフルエンザくらいのウイルスになると、体にいろんな症状を残していくものらしい。昨日はとてもすっきりしたと思ったのに、今日はまた咳がぶり返したり、のどが痛くなったりしてなかなかすっきりしません。ただ、昨日あれほど痛かった腰もほとんど気にならない程に快復してよかった。仕事も火曜日まで完全になしにしてもらい、もう少し静養につとめることにしました。完全に引きこもり状態です。

数日前からLinux Ubuntu2.10のインストールにかかりきりになっていることは昨日も少し書きましたが、昨日から今日まで挑戦していたことは大きめのHDDにもう一度最初からOSを再構築し直すこと。夕方までかかってすばらしいシステムになった(!)と思った瞬間、カーネル・クラッシュを起こしたのかせっかく作ったシステムが完全にパー。おまけにドライブそのものが壊れてしまったような振る舞い。パソコンはこれだから怖い。数十時間の作業時間がすべて無に帰してしまうんですから。
そうですね。「無に帰す」というのは言い過ぎ。それだけの努力の成果は必ず自分の中に蓄積されているんです。こうやって新しいOSがわかっていくのだともいえますから。
ただ、最近の物事への関心の狭さには自分ながら情けない。もうちょっといろんなことに関心を広げているべきなのに、私の習性はこれと思ったら飽きるまで結構食いついていくことらしい。昔より根気はなくなってきつつあるのですが、それでもパソコン病は長続きしています。専門家のような知識があるわけではないけれど、さりとてゲームとかネットサーフィンとかは嫌い。どうも「一つの整合性のあるシステムを作っていくこと」がいたく気に入っているらしい。

外に出ていない私を見かねてか、仕事から帰った妻が「松川に『よもぎラーメン』の店があるらしいから食べに行こう」とさそってくれました。
家から15分ほどの国道沿いの店で、寒さや時間もあったのか客はあまりは言っていなかった。
麺にヨモギが練り込んである緑色をしたラーメンで、いろんな具が入って結構おいしかった。工夫次第で「よもぎ」も商売になるんですね。


最近見たテレビ番組では大河ドラマをのぞいて、NHK「浪速の華〜緒方洪庵事件帳」がおもしろかった。ミステリー仕立て、大阪の町人の闇の守護神「在天別流」という設定、権勢を誇るものへの厳しい庶民の目、蘭学・医学に情熱を傾ける中天游とその弟子たちなどが魅力。緒方章のなよなよぶりと、男装の麗人左近の颯爽とした姿との対比が実にさわやかです。
同じNHKでも「Q.E.D 証明終了」は設定はおもしろいのに、ストーリーや推理のたてかたが甘く、QEDになっていない。
そういえば、大学時代結構q.e.dと書いていたなあ。ろくにちゃんとした証明もできないのに最後だけはかっこつけてq.e.d.(「結局、いい加減で、でたらめ」という意味ですかね?)。そんなことだけが懐かしく思い出されてきます。

休み癖がついてしまったから、明日からは自分の本職のお勉強!! Let's study math!
全国の受験生のみなさん。全力を尽くしましょう。


  1月24日(土)
塾の仕事は日曜日まですべてキャンセルしてもらい、おかげでゆっくり静養できました。インフルエンザの影響はもう全くありません。しかし、体の節々が痛かったのが尾を引いて、昨日ちょっと横を向いたのが悪かったのか腰を痛めてしばらく動けない状態になってしまい、家の中を杖をついて歩く羽目に。妻には「とうとうそこまでになったか」と笑われてしまいました。今朝、マッサージをしてもらったのがよかったのか、今はだいぶよくなっています。
症状が重いときは寝ていても夢うつつでしたけれど、治ってくると寝ているのはなかなかつらいもの。しかもあまり寝過ぎたせいか夕べはほとんど寝付かれず、結局今朝早くまた起き出して「第5次審議会」の意見書の準備をしていました。

昨日も外に出るわけにはいかないので一日中パソコンの前に座っていました。腰を痛めたのはそのせいか。午前中は、Linux UBUNTUの再インストール。午後は審議会の意見書の準備。ゆっくりこうしたことに時間を費やせるのはありがたいことです。
寝ていた時とアメリカのオバマ大統領就任式とが重なって、結局何も見ずじまい。あとでニュースをチェックした程度になってしまいました。今日明日録画で見てみようと思っています。
以前にも書いたとおり、確かにアメリカや世界にとってオバマ大統領の就任はエポックメイキングな出来事ではあるにしろ、過度の期待は返ってそれを裏切られることになります。「チェ・ゲバラ」よろしく世界に革命をもたらすような人物ではないからです。
ブッシュの負の遺産を多数ひきずりながら、しかもアメリカの世界戦略を対話によって修正しつつ、これからどのように舵取りをしていくのか、注視が必要でしょう。
日本にとっては、沖縄、横田、岩国など多数ある基地問題や思いやり予算、米軍との軍事一体化などの問題はすぐに表に出てくることです。とりわけ、沖縄での基地再編問題はオバマ大統領に替わったからといって、何も変わらない。普天間基地の移転問題が根本的に解決するようならば、すぐれた大統領ということになるのでしょうが、イスラエルに対する思い入れといい、あくまでオバマはアメリカの大統領。むしろ、日本政府のアメリカべったり、思考停止状態からの脱却こそ、私たちが目指さなければならないことです。
アメリカの教訓から学ぶべきことがあるとすれば、今日私たちの暮らしや平和をむしばんでいる根源に自分たちの力でメスを入れ、それを克服していく地道な闘いを地域から展開することです。その担い手が今日の革命家なのであり、日本流「チェ・ゲバラ」、外見のかっこよさではなく、派遣切りや福祉切りの受難者によりそい、資本の無理無体と悪戦苦闘しつつ明日を目指している人間くさいヨレヨレの日常。これこそが人間のカッコよさですね。

Linux Ubuntuの再インストールと書きましたが、これがまた大変。実は先日入れ込んだのは大変要領の小さいHDDだったために、新しいHDDを購入してそれに改めて単独でLinuxを導入しようとしたのです。ところが、何度やっても起動する画面でエラー。理由がどうしてもわからない。結局あきらめてまた元のHDDにもどして、いくつかのアプリをインストールしてよりよい環境を構築しようとしておりました。これは次回のインストールの準備です。
とくにデスクトップ機として使用するためにはいろんな機能を追加しなければなりません。今回はそうしたことを応援するサイトがあって、ずいぶん助かりました。デスクトップ環境はKDEではなく私の好きなGnomeなので、このUbuntuはなかなかによい。バージョン8.10ではATOKX3も問題なくインストールが終わり、フォントも大量に導入できて、文書作成にはほとんど支障がありません。
テレビ視聴はできませんが、DVDについては問題なし。かつてみたアルパチーノの「S1M0NE」を試しにかけてみましたら、全く問題なくきれいに再生できましたよ。
このあとはホームページの作成とアップ、画像処理、ドローソフトの利用をどうするか。少しずつ研究して徐々に以降を果たして行きたいと思っています。

第5次審議会の第3回目の会合には残念ながら出席できませんでしたので、昨日から今朝にかけて一定の見解をまとめて月曜日に届けることにしました。
次回は2月5日。今度はある県会議員から意見を聞くという内容で招集がかかっています。これは一体何なのか。当初の計画に入っていたのか無かったのかも私にはわかりません。いずれにせよ、この議員の位置は池田町にとってきわめて大きいようで、新参ものの私にはとうてい理解不可能ですが、ともかくこの、初顔合わせにもなりますから、じっくり話を聞いてこようと思っています。
こうした町の計画を立案するという作業は、町の行政運営上避けては通れません。しかし、それをどのようにすすめ、どれだけ風通しのよいものにするかはその町の「民度」にかかっている。行政任せ、あるいは実力者頼みの町政が続くようであれば、そのつけはいずれ町民に覆い被さってくるし、そうでなければ下からのさまざまな動きが町政に反映されることになる。池田町は微妙な位置にいます。いずれにせよ町長のリーダーシップが決定的であることは間違いがありません。


  1月22日(木)
症状が出たのは東京から帰って二日目。嫌に熱っぽいなというのが先で、次第に咳がではじめ、水曜日朝にはすぐに医者に行って診察をしてもらいました。結局恐れていた「インフルエンザ」という診断でした。
昨日一日は38度台の高熱が続いてほとんど意識不明。今日の昼頃になってようやく熱も下がってきて、テレビなどを見る余裕がでてきました。
ニュースによれば、長野でもインフルエンザが爆発的に広がりつつあるとのこと。子どもや高齢者にウイルスが及ばないように、気をつけないといけませんね。私のかかったA香港型でも大変なのだから、タミフルの効かないソ連型では相当にきついでしょうから。幸い妻は今のところ無事のようで、うつらないようにと願うだけです。



  1月19日(月)
甥の結婚式に参列していて、昨日の夜帰ってきました。あたたかい東京、あついくらいのホテルにずっといたせいか、池田の暖房のない部屋に到着すると何と寒いこと。ほんの少しあたたかいだけの環境だったのに、それに慣れてしまったのでしょうか。さっそく玄関でネコのハルちゃんが迎えてくれました。

結婚式・披露宴は東京の代官山のある協会付きの式場でした。私と妻は新郎側の亜親族として出席です。
くわしい模様は妻も書くでしょうから私は少しだけ印象を。甥は5年前に亡くなった弟の長男、彼が誕生したときに私が「命名 ***」と半紙に書いて貼った記憶があります。それから約30年。昨年の私の長男の結婚式に続いて甥がゴールインしたわけで、いよいよ世代は彼らにバトンタッチされていくことをますます実感させられます。
披露宴では職場の仲間や友人たちが大勢来ていて、アトラクションなどは彼らが中心になってにぎやかに進行していきました。




気楽な参加だったので割と客観的に見られたからよけいにそう思うのかもしれませんが、若い二人を見ていて「私たちにもそうした頃があったのだ」ということをかつて無いほどに感じました。若い頃の私たちや子どもたちが小さかった頃のことをあらためて思い出し、その頃の自分にしばし戻ることも意味のないことではありませんね。若い二人を祝福したり、自分たちの年を感じるだけじゃ、こうした結婚式に参列した意味がない。

次の日は、二組の子どもたち家族につきあって、娘が行きたいといった五反田の「猫カフェ(猫のまほう)」と東京タワーについていきましたよ。
まず「猫カフェ」。全国でこの種の動物カフェがはやっているようで、都内でも30カ所以上オープンしているらしい。「猫のまほう」はマンションを2階分使っていて、下が喫茶。上が猫と戯れる空間。そこには30匹ほどの猫がいて、思い思いに戯れるという趣向。猫の方は「おやつ」が目的で、それに群がってくるわけで、おやつがなくなればごろごろしているだけ。人間様はそれを眺めながら「癒される」というわけです。こんな商売も成立するんですねえ。驚いた。我が家はずっと一匹だけの猫カフェですけど。


東京タワーは何十年ぶりでしょうか。昔若かった頃に一度だけ来たことがあったように思います。はじめてこの地に来たのは中学3年生の修学旅行。ちょうど東京タワー建設中でしたね。


大展望台から東京を見下ろして、でかいビルがこんなにも建ったのかと、これは驚きでした。

そこで子どもたち夫婦と別れ、私たちは新宿から「スーパーあづさ」に乗って一路池田の我が家へ。
腹回りが太くなったため、式服のズボンの前をしめるのが大変で・・・あ〜〜苦しかった。



  1月14日(水)
ちらちら雪が降ってはいるのですが、ほとんど積もらないのはいつもの池田。しかも北で降っても南ではまったく雪がないという本当に不思議なところです。早くも一月の中旬。
今週末には甥の結婚式があるので、久しぶりに東京都心に出かけます。息子・娘に孫ができ、甥や姪にも子どもたちが生まれるとなると、本当に私たちも「じいさん、ばあさん」の仲間入りなんですねえ。もうここまで来たら納得して、よきジジ・ババになることにしますか。

さて、明日は第2回目の「池田町総合計画審議会」です。前回の会議で、「計画の素案」や審議経過についてホームページで公開し、広く町民の意見を聞けるようにすべきだと要望したところ、今年に入ってちゃんとアップされていました。さすが「町づくり推進室」のみなさんです。大変な作業や詰めの協議があったのではないかと推測します。
前回の素案については酷評した経過がありましたから、修正されて送られてきたものがどのようになっているか楽しみでした。一通り読んで、いくつか気になったことをここに書いておきたいと思います。当日の私の発言の柱でもあります。
まず全体の印象として、誤字や文章の不統一が修正されたためにずいぶん読みやすく、また難しい外国語も消えているために親しみやすくなっていることが評価できます。第2に表や図などを入れてわかりやすくしようとする努力がされているのですが、重点が何なのかかえってわかりにくくなっています。つまり、「国土利用計画」「都市計画マスタープラン」「町づくり推進プラン」を全体として取り込もうとしているために、重点施策になりきらない無理が生じています。基本目標と重点施策の関連、計画の具体化との関わりが整合性のあるものでなければいけませんから、この点は十分に協議を尽くす必要があると思われます。
総合計画を作成するのですから、当然計画の分野は多岐にわたることはさけられないし、過去の施策との関連も明確にしなければなりません。しかし、同時に、この10年に一体どのような町づくりを目指すのかを町民にわかりやすく示すことも必要です。
だとすれば、まずしなければならないことは、今後10年を目標に「どのような町であってほしいか」「どんな町にしたいか」「どんな町に住みたいか」を町民に問う労を惜しんではなりません。これまでいろんな機会にそれをしてきたというのは一面では当たっているけれど、一面では不十分です。原案を示してそれに基づく意見を聞く、しかも徹底して聞く、その中から一つの方向性が生まれるのだと私は思うのです。綾町の元町長の言う通り、町民「協働」の町づくりは、町民を信頼して行う議論からしか生まれない。「いいことはいっぱい書いてある、しかし何をどうするのかわからない」という方針にしてはならないということです。

その観点から、あらためて私の考えを整理してみます。私の考えの基本は、町づくりにはしっかりした理念とそれを実現する今後の方向の核となる施策が必要だということです。
まず私の考える町づくりの理念は「自然との共生」「いのちを大切にする」の二つです。
そこから引き出される核となる政策は、里山と自然の生態系を守るためにあらゆる手だてを講じること。とくに景観条例の策定と花と樹林の町へのとりくみを前面に押し出すこと。第2は、子どもたちの保育・教育、お年寄りの生活の充実に全力をそそぐこと。長野県一の福祉の町とすること。
若い世代も、熟年世代も、子育て支援や美しい里山・田園風景に惹かれて来るのであって、その逆ではありません。綾町の経験でも、企業すらそうした町づくりの熱意に打たれてやってくる。来てくれというのではなく、向こうから来たいと言わせる施策こそ必要です。一つが動き始めるとその他の問題が関連して解決していく、その方向を定めるのが基本計画ではないのか。私はそう考えます。

「国・地方を通じた厳しい財政状況の中、市町村には、より経営的な視点に立ち地方分権時代にふさわしい公民協働による自主的・主体的な施策展開が求められています」という表現がどうしても気になります。前回の議論でも私の意見に対して「行財政運営という面では真 意であるといえる」(角田委員)「財政的な確約という面で『経営的な視点』は行政も同じではないかと 思う」(宮沢委員)という意見がありました。財政状況が厳しいから、それを乗り切るために「経営者」としての視点から合理化をすすめたり、改革を推進したりする必要があるという趣旨なのでしょう。
しかし、その立場に立つ限り、充実した福祉政策・保育政策とは相容れないことになってしまいます。
誤解を恐れずに、仮に自治体を一つの企業として、私が「日本的」経営者ならどう改革するか想像してみましょう。
まず、自治体の職員は多すぎる。議員も13名ではまだ多いから10名くらいにする。それでも十分やっていけると言うかもしれません。意識改革を前面に押し出し、一部フレックスタイム制、成果主義賃金を導入して目標達成までどのような時間外労働でも達成することを求め、できるできないはあくまで個人の能力の問題とするでしょう。
子育てについても、これはあくまで家庭教育の問題であり、保育所も政府の言うように保護者と直接契約とし、行政はあくまで大きな問題を抱える家庭にかぎって一定の補助をする程度にする。福祉・医療についても、過度の福祉行政は高齢者の自立を奪うことになるから、まず自助を前面に押し出し、利益にならない施設については行政指導を徹底して行い補助金などを削減する。
ハーブセンターについては完全民営化し、補助金はすべてカット。自前でやれる限りでの営業にする。・・・

官が善で民が悪だという単純な論理ではありません。経営というのは利益を求めるということだから、行政手法として合わないところがきわめて多い。行政には行政の、つまり自治体本来の住民奉仕という視点こそが必要なのであって、経営とは真っ向から対決すべき問題があるということをしっかり肝に銘じなければなりません。不要不急の事業をやめたり、合理化を進めたりすることは住民奉仕と矛盾することばかりではないはずだし、そうした視点があってこそ、たとえ住民の利益とぶつかり合うことがあっても乗り越えることができるのです。

現代ドイツを代表する哲学者ユルゲン・ハーバーマスに独「ツァイト」編集部がインタビューした記録から一部を抜粋。

「ツアィト」編集部:それでは、今回の金融危機で、民営化に狂奔した結果がはっきり見えるようになってきたということでしょうか?
ハーバーマス:アメリカではブッシュが徹底して推し進めた脱ー国営化による実害が経済、道徳、そして社会や文化の各面で、すでに今でもはっきり見えています。そして、それが今回の危機によってさらに先鋭化しています。年金保険や健康保険、公共交通、エネルギー供給、刑務所、軍事的安全保障に伴う仕事、学校教育や大学教育に関わる広い分野・・・こうした分野の民営化、そのうえに、市町村の文化的インフラを民間の篤志家の熱意や太っ腹にゆだねるやり方、これら一切を含む社会のデザインは、それに伴うリスクや、それが引き起こすさまざまな帰結を考えると、社会的かつ民主主義的な法治国家が持つ平等主義の原則とは合わないものです。
「ツアィト」編集部:でも国の役所というのは、経済的に能率よく動くことのできないものですが。
ハーバーマス:しかし、証券取引のリスクに晒してはいけない傷つきやすい生活分野もあるのです。たとえば老齢年金を株にゆだねることなど、してはならないことなのです。それ以外にも、民主主義的な立憲国家にあっては、たとえば政治的小丹生にケーションを歪めるわけにはいきません。こうした公共財は金融投資家の配分来たいなどに合わせるわけにはいかないのです。主権者たる市民の情報に対する欲求は、全国ネットの民間テレビで横行する消費用に作られたつまみ食い文化で満足させられるようなものではないのです。


  1月13日(火)
1月9日に歯科を受診。さらに前に受けていた人間ドックの検診結果を聞きにいき、もうボロボロでしたよ。 歯科では、若い歯科衛生士の女性に「もうかなり歯槽が溶けてきていて、放置すると歯が抜けてしまいます」と言われ、さらに人間ドックでは「中性脂肪の状態は気をつけましょうではなく、すでに治療段階です」と宣告されました。
結局、これまでに気になっていた心臓の状態をしっかり見てもらうことと、内科の治療を含めて、1月下旬からかなりの頻度で医者通いが続くことになってしまいました。人間をやっていると、こうした集中治療の時期というのはあるものです。覚悟してきちんと直すべきところは直してしまうことにします。
ところで、いつも通っている病院は松本の協立病院です。いつもはとても面倒見がよく、患者の立場に沿って治療にあたってくれるのですが、ときどきドジをする。
今回も人間ドック補助費を町に申請するために必要な「領収書」を見たら、下のような日付。これではいくら何でも提出できないでしょう、協立さん。


ファンクラブ新年号のニュースづくりの傍ら、性懲りもなく「Ubuntu」デスクトップの構築に挑戦しています。前回、新(さら)のHDDにインストールしようとして、どういうわけかビデオカードが認識されずモニタでの解像度が低くて実用にならず。
今回はウインドウズの入れてある古いマシンのHDDのパーテーションをリサイズして半分にUbuntuをインストールすることにしました。つまりデュアル・ブートです。
前にインストールしようとしたのはVer.8.04。今回はPCファン付録のVer.8.10。全く問題なく処理がすすみ、なかなか見栄えのよいかっこいいデスクトップ画面が登場しました。




あれこれ試して、DVD再生には問題がありますが、それ以外はほとんど問題なし。とくに音楽ファイルの再生では、例のSongbirdがiPodにも対応しているので、結構重宝します。書類の作成や表計算はOpenOffice、画像関係はGimpとInkscapeが使えそうだし、メールは標準のEvolutionが使いやすく、Thunderbirdもほぼ同様。ネット関係もかなり充実しているので、実用的です。
日本語入力メソッドのAnthyは思ったより高性能。最新バージョンの8.10はATOK X3 for Linuxも対応したというので、試してみようと思います。
ただ、私がこれを利用するのは、Mac,Windowsの将来を考えると、あくまで商用のソフトを更新し続けなければならないわけで、それを拒否すれば結局メインテナンスだけで、いずれは化石のようになっていってしまいます。
そうではなく、「新しい成果も取り入れながら、万人が必要がソフトを自由に使え、生み出したものを共有できる」ような時代を展望したマシンの使い方を早く身につけたいからです。しばらくはこのOSとつきあってみようと思っています。
従って、日記を更新するときとニュースを作るとき以外は、すべてUbuntuマシンで対応です。よろしく。


  1月9日(金)
何とも「重い」夢をみて朝早く目が覚め、パソコンに向かって日記を書いていました。ボケボケの頭で書いていたためか、FTPソフトで更新を送ってしまったあと、更新したホームページを開けてみて6日のところに今日の分を上書きしてしまったことに気がついた。
一昨日苦労して長いやつを書いてアップしたのに・・・と意気消沈。昨日はキャッシュも消してしまっていたので、私のパソコン上では復活する可能性はゼロです。
まいった、まいったと思いつつ、ふと昨晩妻がつぶやいていたコトバを思い出した。「ずいぶん長いのを書いたのね」
これだ、妻が自分のパソコン上で読んでおいてくれたのだから、必ずキャッシュが残っている。うまくいけば完全復活可能だ、とひらめいたわけです。
そこでまず、室内ランのケーブルをいったん外し、オフラインで仕事ができるようにしてIEを立ち上げました。すると、カンペキ、カンゲキ!!確かに見慣れた記述が飛び込んできたのでした。
ソースを開いて、メモ帳にコピー、ネットワークでそれを私のパソコンに取り込んで無事復活。ふ〜〜〜。よかった。

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イスラエルの空爆下にあるガザ地区から発信されたメールが翻訳されて毎日のように届いています。空爆と地上軍の侵攻でパレスチナのガザ地区では多数の民間人、とくに子ども、女性、老人が犠牲になっており、電気も水も途絶えた中で、いつ爆撃が我が身に降りかかるかわからない恐怖におののいていると伝えるメール。

2009年1月4日(日)18:15
ガザには電気も水もない。食糧もわずかしかない。私は発電機がまだ稼動するのを幸いに、世界に発信している。爆弾が雨あられと私たちの上に降り注いでいる。
Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学 教養・人文学部英語学科) 発信(TUP-Bulletin)

2009年1月5日(月)18:31
今日、シファー病院の発表によれば、16人の子どもと7人の女性を含む39人の民間人が亡くなった!公式発表の死者数は540人以上にふくれあがり、加えて負傷者は2600人!
人々の健康をめぐる状態は耐えがたく、酸鼻をきわめる。市民は逃げ場を失い右往左往している!ガザ市内のシュジャイヤ(人口がとくに過密な地区だ)で、妊娠中の女性が4人の娘とともに砲撃で死んだ。
私の子どもたちは、隣の建物が狙い撃ちされてから、ますます緊張と不安を募らせている。私は努めて子どもたちに話しかけ、できるだけ落ち着かせようとしている。しかし、実際は、航空機、ヘリコプター、無人飛行機が大砲や戦車の砲撃に加わって、私たちは緊張を解いたり和らげたりする暇もないのだ!


こうしたイスラエルの攻撃はアメリカの支持・武器供与無くしてはありえない。国連安保理で停戦を求める議長声明のとりまとめについてアメリカが主張したことはイスラエルと全く動揺の「正当な自衛行為」というもの。イスラエルがパレスチナ人の自治を守ることを前提に直ちに攻撃をやめ、双方が停戦協議ののテーブルにつくことを国際世論にしなければならないときに、調停に活発に動き回るフランスやEU首脳たちと比べてアソーさんの立場の何と希薄なこと。なーーんにも考えていないんじゃないかしら。
「国際」というコトバが大好きなこの国の指導者たちですけど、これではますます国際的孤立を深めるだけですよね。

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私が仕事をしている小さな塾で、子どもたちの親が首を切られて失業し、塾もやめるという問題がでてきています。「突然の解雇で、このあとどうやって生活をしていこうか」と途方に暮れているという話が伝わってきました。
地方では非正規雇用ではない、まだ働き盛りの労働者がいとも簡単にバッサリやられている。それは生活を困難にするにとどまらず、当然のことながら進学を控えた子どもの未来をも奪ってしまうということです。
いつどこで、どのように降りかかってくるかわからない不気味さで、野蛮で強欲でルールのない資本主義の汚物が地域に住む一人一人に注ぎ込まれるように思えてなりません。ガザ地区ではないけれど、これによって一番打撃を受けるのは子どもでありお年寄りであり、障がい者たちです。
「世界2月号」の寺島さんの連載「脳力のレッスン--特別編--」は大変説得力と示唆に富む力作です。彼は現下の金融・経済危機の動向と本質を見抜くことの大切さを指摘した後、これからの私たちに必要なことは「目先の危機に揺さぶられぬ、未来への実体ある布陣である」と指摘します。
心してこの一年にのぞまなければなりませんね。


  1月6日(火)
「結いの心」(評言社 郷田實、美紀子著)という本があります。池田町の審議会委員になったことから、ある友人が「いい本だからぜひ参考に」と昨年末貸してくれた本です。忙しさに紛れていままで放置していたのですが、先日から読み始め昨日読み終わりました。
宮崎県の小さな町である綾町の前町長の町づくり実践記録で、「夜逃げの町」と言われた状況を知恵を絞って、今では全国に知られる町へと変えていった様子を記しています。
全国にはさまざまな町おこし・町づくりのとりくみがありますが、郷田さんの思想と実践は20年、30年先を見通したほんものの町づくりへの視点が明確で、驚くことばかりです。
とくに私が目を見開かされたのは、住民自治に対するこだわりと自然の生態系を守る鮮明な立場。この郷田さんの実践を指針に現在の池田町の町政をみれば、どこにどのような問題があるのかがはっきり見えてくるように思えました。

「久子通信」によれば、12月はじめに町の共産党議員宅や議会議長宅に匿名で電話があり、その声の主は「歴代の議長・副議長の中で、今回は最低の人たちだ」「町民が公開質問状を出せと言っていないのに議会が勝手にこういうことをやることは許せない。8割くらいの人たちは町長が払ったのにまだ追求するのはおかしいと言っている」「町長は一生懸命きちんと仕事をしている。おかしいのは議会の方だ。議員の報酬を日額制にされても当然だ」というような趣旨のことを一方的に言い散らしたのだそうです。
よほど勝山町長に思い入れがあるのか、それとも共産党に恨みがあるのかは知りませんが、電話の仕方が尋常ではありません。
私自身は町長の一連の法人税滞納問題などに限っていえば、議会の対応は当然であり、むしろ町長の「鈍感」な対応が事態の収拾を遅らせる原因となったと見ています。町税の徴収最高責任者が納税についてあまりにもずさんな対応を晒したわけで、「一生懸命きちんと仕事をしている」とはとうてい言えるものではありませんでした。
(繰り返しますが、あくまでこれは滞納問題に限っての町長の態度を指しています。すべての言動を否定しているかのように受け止められるのは私の本意ではありませんので念のため)
「恥をさらした」のは町長であって池田町でも議会でもありません。「8割くらいの人たちは町長が払ったのにまだ追求するのはおかしいと言っている」と言うに至ってはただ呆れるだけ。まともに、いや普通に物事を見る力のある人ならとうていこんな暴論は口にはできないはずです。あること無いことを言い立てて、あたかも議会が町民の声を反映していないようにいいくるめるのはまさに特定の意図をもった作為的行動としか言いようがありません。
町民がすべきことは、町長が自治体の長としての自覚と責任感を持って執務にあたっているのかどうかを注視することであり、町長を無条件に肯定することではありません。
こんな理不尽な声に萎縮したりせず、議会は筋を通して、今後の町長の言動をきちんとチェックをしてほしいものだと思います。

このことについて、郷田さんは「議論すること」をことのほか大切にしていました。それは次のような記述でもわかります。

「議論をする」ことに関連して、大切なことは「提案を恐れない」ということです。そして提案を恐れさせないことです。提案を真面目に受け止め、熱心に議論することです。いまの行政マンは提案を恐れる。そして議論を恐れます。なぜか。自分たちの期待とは逆方向にいく可能性を恐れ、現状維持をしたいからです。(中略)私はどんな問題でも徹底して議論するつもりでしたので、ペーパーは一切なし。すべて自分の頭で考え、自分の言葉で答弁するようにしました。おかげで以前は予算案の審議でも4,5日ですんでいたものが、一つのテーマで1日かけて革新系政党の議員さんとやり合うというようなことも起きてきました。

いやはやすさまじい情熱です。一人の議員の持ち時間1時間、1日で一般質問がすべて終わる池田町議会とくらべて何という違いでしょうか。
私は次回の審議会で、まず町長による諮問の仕方について質問し、果たしてあと4回の審議でどこまで今後10年間の基本計画づくりが進むのかを聞こうと思います。1日じっくり時間をかけてやるならまだしも、午後1時間から4時頃までの短時間で、仮に1人10分発言したとしても2時間以上かかるわけで、これではまともな審議ができたとはいえないでしょう。
そしてまた、この計画が最終的に決定されるのが議会だとすれば、その前にどれだけ町民の意見がここに反映されるのかという問題。5回の審議で承認された答申をふまえて議会にはかられるのだとすれば、それはあまりにも拙速です。最低2ヶ月ほどの閲覧・意見聴取の機会をもうけ、場合によっては住民アンケートなどを実施し、それをさらに審議会にかけて議論し、ようやく答申となるものではないのか。3月議会で計画をつくったとすることには反対であることを主張しようと考えています。
おもしろいことに、「池田町第5次総合計画が町民に親しみやすく、将来に希望が持てるような愛称をつけます」というのだそうです。住民が参加せず、議論をつくさず、愛称だけ募集していったいどんな計画なのでしょうか。素案を準備した町は「自治体協議会や住民懇談会で意見を聞いた」というのでしょう。さて、そこではこの素案が示されたのでしょうか。どれだけの町民がどのような意見を出したのでしょうか。こんな「お役所仕事」をやっている限り、池田町を住みやすい安心して暮らせる町にしようという住民自治の姿は一向に見えてこないのではないのでしょうか。
さらに重要なことは、「現在進行中の『まちづくり推進プラン』、『都市計画マスタープラン』及び各課の計画の考え方を基本として、第5次総合計画を策定します。」という考え方について、全く議論のたてかたが逆転しているということを指摘したいと思っています。さまざまな計画があるとしても、基本計画が決まればそのもとでそれらも修正されることがありうるというものでしょう。それがマスタープランというものです。
町民が10年後の池田町をイメージできるまで議論を尽くすこと。それしかありません。
郷田さんは次のように述べます。耳を傾けて聞き、しっかり胸に刻むべき言葉だと私は思います。

町づくりは、まず、町のあるべき姿、近未来像を定め、どう計画的に構築していくかが必要で、農業・工業・商業も、教育も、一度にやろうとすると、限られた予算では、後手後手の施策になってしまいます。
行政の役割は、住民のニーズに応えることよりも、むしろトレンド(方向・近未来像)を示すことが大切で、住民すべてが安全で豊かな生活ができる場を、住民自らがつくり出すよう自治の心を支援していくことではないでしょうか。
そして、やろうとしていることがほんとうに住民に必要なものであるかどうか、住民が参画し、議論し、考えなくては、自治の心は育ちません。
今の行政は、あまりにも親切すぎて、この自治の心を失わせてしまったように思います。住民もまた、自治の心をなくしたことに気づいていないようで、役所に言えば何でもやってくれるものだと思っているところがあります。
(中略)町づくり、地域づくりは、マラソン競争とは違うのです。町づくり、地域づくりの目標は、近未来におかれているのです。近未来の時代的な姿を見つめて、今をがんばる・・・。十年先、二十年先、あるいは三十年先になるかもしれない近未来に、きっと求められるであろうと思われるものを核として町づくりをやっていく。時代的方向を見極めてやっていく。これを私は「トレンド」と言っていたのです。
(中略)山と自然から学び、自然のままの健康な野菜づくり、そして、健康の要は食であるという私の着想は、国民が豊かになればなるほど、健康を買う時代がやってくるという近未来像となって浮かび上がってきました。
人が究極に求めるものは命であり、健康であり、そして健康のもとは食です。ミネラルをいっぱいに吸収した健康な食べ物が求められる時代がくるに違いない、自然の巡りに近い健康な土をつくり、日本国中のどこにも負けない野菜類をつくる・・・これが「トレンド」と考えたのです。


昨日のニュースで総務省の坂本哲志・総務政務官(副大臣に次ぐ立場)が総務省の仕事始めのあいさつで、とんでもない発言をしているところが映し出されていました。
東京・日比谷公園の「年越し派遣村」について、「本当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まっているのかという気もした」「(集まった人が)講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこいと(言っていたのは)、学生紛争の時の戦術、戦略が垣間見えるような気がした」(毎日jp)などというもの。
今日の新聞では、あわてて撤回したことが報じられていましたが、どこまで愚鈍・無責任・お粗末なのでしょうか。呆れてものがいえません。
首切りを計画している企業に直に乗り込んで撤回させるフランス政府の爪の垢でも煎じてのみなさい。


  1月4日(日)
今日はTさんから父が通信科を卒業してはじめて乗船した敷設艦「蒼鷹」の写真がとどきました。
父の「履歴表」によれば、1940年(昭和15年)に「艤装員ヲ命ズ」(「総組み立ての工程」を艤装というようですが、よくわからない)という項目がありました。その後、1943年(昭和18年)に「蒼鷹」任を解かれ、同年2月22日「龍鳳乗組ヲ命ズ」と書かれ、「龍鳳」の通信員に配属されます。
「青鷹」は「1944年9月26日 ボルネオ北方にて米潜水艦『パーゴ』の雷撃を受け戦没」(wikipedia)とあります。父はその年の3月にあわただしい戦務の合間を縫って母と結婚していますから、このまま乗船していたらその直後に「海の藻屑」になっていたわけで、「龍鳳」への配置換えは父の命を救ったということになります。
Tさんのご厚意で戦時中の父の勤務状況が少しずつわかってきてうれしい限り。
戦没画学生の作品を展示した「無言館」でも感じたことですが、「特攻隊員の青春」と同じく、船に乗っていた一人一人に青春があり、苛酷な運命があり、生死の分かれ目があり、家族があり、その後の生活があったということを受け止めなければいけないと強く思わされます。

写真上は敷設艦「蒼鷹」、下は空母「龍鳳」





  1月3日(土)
年末にある方から、私のホームページ上で父の戦争中の様子を書いた日記の記述をみつけ、お便りをしてくださった方がありました。何回かのやりとりをしてわかったことは、その方の友人の父上が私の父と同じ航空母艦「龍鳳」に乗艦されていて話を聞く機会があり、それからいろいろ調べるようになったということでした。
私の日記では、父の古い軍歴を書いた「履歴表」の一部を転載していました。その方からのお便りでは、一つは当時の写真が何枚かあるので必要なら提供したいこと、また父の「履歴表」を是非参考にさせてほしいという依頼がかかれていました。
年が明けてすぐに送られてきた資料や写真を見て、またびっくり。本当に詳細に当時の記録が調べられており、写真もこれまで全く見たこともないような鮮明なものが含まれていたのです。
「今自分がしなければだれもやらないだろう・・」「最初は写っておられる方の御名前をはっきりさせてあげたいという思いだったのですが、『龍鳳』そのものの組織、戦歴、艦長はじめ各幹部分隊長の御写真収集・整理等多岐にわたって興味が湧いてきました」と記されていたメールを読み、さらにあらためで若き日の父の写真に出会って、実に胸の熱くなる不思議な気持ちにさせられたことでした。


父は前から3列目の右端。1943年(昭和18年)7月18日トラック島で撮った第4分隊(通信隊)の写真ということです。父は1918年(大正7年)生まれですから25歳の時の写真ということになります。

勝手に写真をコピーして載せてしまいましたが、遠くにいる身内にも是非紹介したいので、T様どうぞお許しを。
軍隊とは、ある意味普段の生活の中では共通の目標に結ばれ、厳しい軍律の中で生死を共にする人間の集合体ですから、独特の連帯意識が生まれることは必然ですし、それが戦後もずっと続くことは否定のしようもありません。ただ、こうした写真を眺めながら、戦争という非人間的な環境にその青春をとられなければならなかった若者たちの苛酷な軍国主義の時代に、思いをめぐらせてみることも大切なんではないかと思わされています。


  1月2日(金)
栃木から里帰りしていた息子ファミリーが先ほど帰っていきました。
ついこのまえ来たときはハイハイしていた孫も今ではいっぱしの自己主張をするようになって、私のところに「あっこ、あっこ」と抱っこをねだっていたかと思うと、次の瞬間には蹴飛ばして逃げていくという気の変わりよう。息子たちも娘たちは、親になって子育ての楽しみや難しさに日々直面しているわけで、一歩一歩苦労を重ねそれを乗り越えていってほしいものだと願わずにいられません。
自分自身のことは外から見るわけにはいかないし、鏡や写真で見る他はないのですが、年々歳々我と我が身の老いを感じていやになる。「ええ〜〜っ!こんな姿になってしまったのか」という調子。あと10年もすれば、本当にどうなっていることやら。



年末から尾木直樹さんの「教育破綻が日本を滅ぼす!」(ベスト新書)を読んでいました。そこには現在の教師たちがどのような状態におかれ、文科省・教育委員会がどのような役割を果たしているかを克明に記録されていました。
教育委員会の中で現場の教師たちの立場を理解しその仕事が円滑に進むように努力する職員も数多くいるけれど、しかし、全体としてはその閉鎖性・密室性と特権意識が蔓延し、ヒエラルキーの頂点に立ち非人間的・非教育的な行政手法で学校現場を支配しているのが現実なのだということを様々な証言をまじえて紹介しています。
一つの例に東京都で起こっている「職員会議で挙手禁止」というあきれた通達の問題です。2006年4月に東京都教育委員会は都立学校長宛に、職員会議ではいっさいの「挙手」を禁ずるという「通達」を出したのです。職員会議は校長の単なる諮問機関に過ぎないから「挙手」とか「採決」の方法で職員の意向を聞くのは不適切というのがその理由です。
これに異議を唱えた校長が一人だけいました。都立三鷹高校の土肥校長です。教育委員会との公開討論を求めたりしてそのあまりの非民主制を告発しているのですが、これもじつに「あたりまえ」のことです。
大分県教委でなぜあのような大規模な汚職が発生したのか。「東京の教育委員会の閉鎖性と強固なヒエラルキーは、大分県教委の汚職事件と完全に通底する問題」だと尾木先生は書いています。
しかし一方で、全国一斉学力テストの結果を安易に公表することに抵抗した府教委に対して、大阪府の橋下知事が「クソ教育委員会」と暴言を吐いたように知事サイトからの圧力で権力のいうがままの教育行政にしようという動きもまた警戒すべきだと尾木先生。
教師になろうと決めて心を躍らせて教壇に立った若い教師たちが、荒れた学校や上司のパワハラ、親の理不尽な要求の中で次第に精神的に追い詰められていく痛ましい学校現場。多くの良心的な教師たちが毎日それらとたたかって子どもに接しているいまならまだ間に合う。
そのためには、地域から「ふつうの教育」ができるように、学校現場の再生をはかることがまず必要でしょう。


  1月1日(木)
「赤字だと?黒字の金はどこいった」
今日の「しんぶん赤旗」で紹介されていた川柳です。共産党の志位委員長が年末のトヨタとの会談で紹介したのだといいます。おそらく全国の労働者に共通した思いではないでしょうかね。
派遣切りで職を失い住んでいた家を追い出された労働者に手をさしのべようと日比谷公園でつくられた派遣村。入村して暖かい食事を振る舞われ「これほど人の情けが身にしみたことはなかった」と涙ぐみながらインタビューに答えている派遣労働者の姿をテレビは映し出していました。
この派遣村は年末から5日まで開村。寄付金などをよびかけています。ちょっと押しつけがましい書き方ですが、私もささやかながら送金してきました。
寄付口座は次の通りです。
みずほ銀行銀座支店(普通)2692964 「派遣村寄付金口座 弁護士 棗(なつめ)一郎」

新しい年が始まりました。昨日からたった1日たっただけですが、やはり一年を刻む特別な日であることは間違いなく、いろいろなことを考えさせられます。
金融危機から始まった実体経済への深刻な影響は、年明けの今も世界大恐慌入り口ともいえる不気味な様相を呈しています。世の識者は口々にアメリカ的新自由主義、市場原理主義の結末と指摘し、それからの脱却が必要であることを力説しつつあります。
「競争競争で人間の尊厳すら無視する市場原理主義と決別しない限り、日本の労働者の悲劇は続く」(1月1日号信濃毎日新聞「考」)と中馬主筆。それはそうでしょうが、ではどうやって。むしろそこが問題でしょう。
しかし、次のページの「社説」では「次の総選挙で民主党が勝てば、衆参のねじれは解消される。与党が過半数を制した場合は、ねじれは差し当たり解消されないとしても、民主党も「直近の民意」を軽視できなくなる。新しい展望が開けるはずだ」と書くのですから、その程度なんです。
先の川柳のように、当たり前のことを当たり前に言うと、思わず笑いを誘ってしまうほどのこの世の中、やはりどこかおかしい。
今年は、「大企業はこれまでにあげた空前の利益のためこみをはき出せ」「労働者派遣を原則自由化した99年以前の状態に戻せ」というごく当たり前のことがあたりまえに主張できる年にしなければならないと思います。やはりその最大のチャンスは総選挙ですね。



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