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  11月29日(月)
今日夜遅く無事妻が沖縄から戻ってきました。一週間ぶりの我が家ということになります。会議が長引いたために迎えにギリギリ間に合ってホッとしました。あちこち回ってみて、故郷のことがよくわかったと言っていました。まずはお疲れさんです。

今日午後7時から開かれた「町民活動サポートセンター」は、町長段階で予算面でも事実上ゼロ査定ということが明らかになって、町長に出席を求め説明をしてもらうという異例の展開になりました。
今年6月に準備室が発足してから事務局が準備をすすめてきたのは、町民主導でさまざまな自主的活動を援助し、交流をすすめ、新たな動きを作り出していこうという積極的なもので、それには当然それなりのスペースと人員、予算がともなうと想定されていました。その方向で9月以来10人の公募委員を含めて10数人の運営委員が協議を重ね、ようやく具体的な段取りを協議することになっていたのです。
第4回会議のあと、町長サイドの煮え切らない対応に一抹の不安を抱いた事務局が、場所・人員・初期費用について町の確認を求めていましたが、結局完全なゼロ回答。

重苦しい雰囲気の会議で、町長に質問はないかという議長の問いかけにもしばしの沈黙。やむなく私からあらかじめ準備していた質問をしました。
その質問などを通して今日明らかになったことは、金を出せないということ以上に、サポートセンターは町長公約の「ボランティアバンク」構想から一歩も外にでるものではないということ。つまり、本来町民に元気を出させ、人の輪をつくることは町民が身銭を切ってやるボランティア活動なのであり、その窓口さえ設けておけば、町民の総意をどう汲むかとか、どのように活性化するかとかなどはどうでもいいことだということです。ボランティアバンクとは、ボランティアの意思のある人を登録しておいて、希望する団体に斡旋するという程度のもの。どんなに「理念や趣旨」をきれいに語ろうが、中身は何にもない。
「小さく初めて大きく育てる」「今の公民館ではどうしようもないくらい人が集まったら、場所なども考えていかなければならなくなるかもしれない」(教育長)という責任者の話には開いた口がふさがりません。待っていれば人が寄ってくるとでも思っているんですかね。これまで4回も議論しながら一度もそのようなことを口にしないで今日の話ですから、そもそも「サポートセンター」とは何ものであるべきかについての「思想」が全く欠けているとしかいいようがありません。
町長もまた、「いかに町の財政が苦しいか、専門の職員を配置することについて議員や各課を納得させられない、限りなくゼロに近い予算でやるしかない」「どうして事務局がこのような提案をまとめるのかわからない」「議論ばかりしていないで、スピードが必要だ」というまったく貧しい見解表明。それらを聞きながら、事務局の熱意に促されて少しはやる気になっていたのに、完全にしぼんでしまった。
委員の中には、「せっかくここまで議論してきたのだから、今の町長の考えを踏まえて先にすすむべきではないか」という善意の意見も見られましたが、私は今日の会議でもう私の出番はないと思わざるを得ませんでした。しっかりした構想と戦略なしでどのような活動をしようというのでしょうか。町が一定の基盤をつくり職員にやる気を促してこそ、そこに集う町民も生き生きと動けるというものです。まさにそのように進み始めていた矢先に今日の話ですから、落胆も大きい。混乱の責任はあげて町長と教育長にあると私は断言します(くわしくは後日)。
今日の会議は時間切れで、あらためて今後の対応を検討することになりましたが、おそらく結論はでないでしょう。私は最後に、「もし町長が今日述べた方向でサポートセンターを発足させたいのなら、それに賛同する委員をあらためて募り、仕切り直しすべきだ」と述べておきました。次回も同じ態度で臨むつもりです。


  11月28日(日)
今日投票された沖縄知事選の結果は、接戦の末に現職仲井間候補が当選を決めました。応援に行った妻はさすがに落胆を隠せない様子で、全く残念でした。
マスメディアもしきりに報道していたように、直前の韓国情勢が一定の影響を与えたことは間違いないでしょうし、そもそも投票率が大変低いのが気になります。普天間基地を撤去してほしいというのは県民の総意であることははっきりしていますから、仲井間候補が「県外」を言い始めたり、シンボルカラーを黄色にしたり、基地問題では争点がないかのようにしてきたのもこの結果に現れているのかもしれません。
また選挙戦全体を通して、公明党=創価学会が異常なほどの仲井真支持の選挙活動を展開。本土から相当数の応援部隊が入ったという情報もありました。この党の姿といい、果たしている役割といい、やはり北朝鮮も真っ青ですね。
いずれにせよ、基地と暮らしの問題が複雑にからみあって、一筋縄ではいかない沖縄の現状を示す結果だともいえます。
残念な結果ではあったけれど、一つの視点は政府を含め、本土の都道府県民側にどれほどこの知事選が自分たちとかかわっているかの意識があったかということ。今回の知事選は仲井間候補が僅差で勝ったけれど、それがそのまま基地を認めるとか、民主党政権の思惑を許すということにはならないわけで、本当に沖縄の基地問題を解決するカギの一つは、基地を沖縄に押しつけて痛みを感じない側が持っているということを今回の知事選は教えているのではないでしょうか。


  11月24日(水)
昨日の妻からの連絡では、終日ビラ撒きだったとのこと。今日は手を振る役目だとか。手を振って支持を呼びかけるのも大事なのでしょうが、1人ひとりとしっかり対話して、この選挙が沖縄の今後に決定的な影響を持つことを広げることも大切。奮闘を期待しましょう。

朝鮮半島では、北朝鮮の軍事挑発で緊張が高まっています。「社会主義」と言ってみたところで実際にはそれとは全く無縁で、絶対主義的専制君主制と変わらない北朝鮮の現状から見れば、どんな危険な賭にでるかわからない状況。それだけに日本の場合は取るべき道は2つに1つだと私には思えます。
第1の道は、アメリカとますます軍事同盟の「絆」を深めて、米軍基地の強化と自衛隊の増強、有事法制を強化する道でしょうね。第2の道は、国内から北朝鮮に挑発の口実を与える軍事的な脅威を極力とりのぞき、平和外交をすすめる意思を明確にすることです。ただし、その場合でも、無法な要求については国際的な世論を背景に断固とした意思を示すこと。もちろん軍事的な意味ではありません。
実は第2の道の方が、北朝鮮にしてみれば恐ろしい。なぜなら、国民世論をひきつける大義名分を失い権力の基盤を弱めることになるからです。彼の国の現状は、太平洋戦争末期の日本と酷似していませんか。国民の不満を外にそらし、ウソの情報で国民を戦争に駆り立てていったあの天皇制の日本、軍部支配の日本です。
残念ながら、軍事には軍事という悪循環に容易にはまり込むのは世の常。過去の教訓に学べるかどうかがいよいよ試されています。
第1の道を取れば、岩国や沖縄の米軍基地は真っ先に北朝鮮の標的とされるわけで、それをあえてやむなしとするならどうぞ第1の道をと言わざるをえません。
韓国国内でも「弱腰だからなめられている」「断固たる軍事的な措置をとるべき」という世論が大きくなっていると報道されていました。日本にしても同じでしょう。沖縄の知事選はまさにそうした意味で需要性を帯びてきていると私は思います。

いよいよ最終回を迎える「龍馬伝」。坂本龍馬は画面の中で、母の教えを繰り返し言っていますね。「憎しみからはなんちゃあ生まれん」。これを固唾を飲んで見ていらっしゃる皆さんは、今日の情勢の打開の道はどうあるべきだと考えていらっしゃるのでしょうか。是非聞いてみたいものです。

夕方からまた冷え込みが激しくなって、夜10時頃には車のガラスも凍り付いていました。昼はしばらくはよい天気が続くのでしょう。昼夜の寒暖差がますます大きくなっています。


  11月22日(月)
朝妻を送って明科駅まで。妻は今日から一週間里帰りなので、その間私とネコのハルちゃんは家の留守番です。
夕方5時頃真っ暗になった頃、那覇空港に無事着いたという連絡がありました。那覇は25度、まだお日様が沈まないというのでびっくりしました。そんなに違うものですかね。夜が明けるのはその分こちらが早いという理屈でしょうか。

そのあと私は、午前中ファンクラブのニュースの最終稿を出して、午後からはバラガーデンの書類を持って役場に。その後ためておいた「龍馬伝」を2回分見て、夕方からはウオーキングの写真の整理と結構忙しかった。仕事が終わったのは午後11時。明日から一週間、目の回るような忙しさが待っています。

ゆうべ遅くまできれいな月が見えていたのに、朝早くからになってその後は降りっぱなしでした。昨日まで一週間以上いい天気が続いたからちょうどいい雨です。
その間、たくさんの柿をもらったのでつるし柿にして家のベランダは柿だらけ。どうしてこんなにたくさんつるしているのだろうと思われそうです。妻に言わせると「まだ足りない」のだそうです。


また、この一週間晴天の日の朝方は深い霧が立ちこめて季節の移り変わりを感じさせます。草や野菜の葉は霜で真っ白になって寒いこと。夜昼の寒暖差がものすごいのはこの季節の特徴です。昼、ガーデンの仕事をTシャツ一枚でやっていたら笑われてしまいました。そのくらいです。


晴天のおかげでガーデンの作業もずいぶんはかどりました。まだ縄を張る仕事は半分くらい残っていますが、形がしっかりできてきて、あとは水曜日に役員会をやってしっかり今後の計画を立てることになっています。町に補助金を申請したところ、現在課長段階で持ち回りの審査を受けているところ。
今日は「町づくり推進室」によって課長に、もっと町としても応援してほしいと要請してきました。単に、補助金があるからそれを利用すればいいというのではなく、町のスローガンに合致した花一杯の運動の一環になっているのだから、そうした面からそれ相応の助成をすべきではないかと訴えてきたのです。
「推進室」では担当課が異なるので、別の課に相談してみたらという返事。そこでは別に言い争うつもりはありませんでしたから、是非協力をということで収めてきましたが、これは「典型的なお役所返事」ですよ。中身をよく吟味し、この事業がどれほどの意味をもっているのかをとらえたらそんな返事はできないはずなんですけどね。関わりがないどこか、むしろ積極的に応援すべき事業内容なのですから、親身にどうすべきかの相談に乗るべきものだと改めて強調しておきましょう。
いずれ他町村からも視察に来たいというほどのガーデンをつくってみせますからね。そのときは今日の町の対応がどのようなものであったかを思い出すことになるでしょう。




  11月20日(土)
毎日、日中はポカポカと暖かいお天気で気持ちがいい。
ここしばらくはバラガーデン予定地に行っては、整地作業に精を出しています。来年春に苗を植え付けることができるかどうかは、どれだけ耕すことができるかということと、水の確保にかかっているわけで、寒さが厳しくなるまでがその準備で結構体力勝負です。
ひとつのことをやり遂げるということは甘いものではありませんが、少しずつ形ができあがっていくのが楽しみです。おそらく参加しているみんなもその思いを共有しているのでしょう。

妻は明後日から最終版の沖縄知事選の応援に出かけます。
昨日のテレビ朝日の報道の通り、普天間基地では嘉手納基地の滑走路が一本しか使えないために代替の滑走路として普天間が使われ、普段は飛ばないジェット戦闘機がひっきりなしに離発着しています。「危険性の除去」どころか、米軍の思うように使われている沖縄の基地。
国民新党まで伊波さん支持を打ち出すほどですから、終盤で伊波さんが思いっきり支持を伸ばして圧勝してほしいものです。

その在日米軍が何を思ったか、青少年向けの安保マンガを発表しているのを偶然みつけました。題して「わたしたちの同盟」。マンガを描いているのは、自ら核弾頭を名乗る漫画家ヒライユキオ。
日経新聞上では次のように書かれていたという情報がネット上にありました。ただしこの記事はすでにリンク切れですが。

「在日米軍は日米安全保障条約改定から50年を記念し、同盟の意義を日本の子供に説明する漫画を作成した。
登場人物はアライアンス(同盟)を連想させる日本人の女の子「新居あんず」と、USAをローマ字読みした 米国人の少年の「うさクン」。あんずちゃんの家にうさクンが居候する物語だ。
うさクンは家の中をどたばた歩き回るが、台所で日本近隣の潜在的脅威を暗示したゴキブリを退治。
あんずはボクに似てるからほっとけないんだ」とも語り、民主主義など価値観の共有が同盟の根底に あることをにじませた。若い世代に日米同盟の意義を分かりやすく解説する試みだ。
漫画は4日から在日米軍のホームページで公開。年内に3つの続編を順次、公開する予定だ。


このマンガ、一読してわかるように、いかに日米同盟の大切さと在日米軍の役割を説明しているつもりらしいのですが、日本の青少年に自衛隊と米軍の一体化を当然視させたり、自衛隊の海外派兵への抵抗感をなくそうという在日米軍の意図が見え見えですから噴飯ものです。しかも、日本の子どもたちのレベルをおとしめるようなキャラですしね。ネット上には「米軍まで萌えかよ・・・」「日米同萌」「(このマンガは)思いやり予算で作るんでしょ?」なんて書き込みもありました。
AFP BBニュースのサイトでは、「マンガという手段を用いたことについて、在日米軍広報のニール・フィッシャー(Neal Fisher)少佐は、AFPの電話取材に対し、日本ではコミュニケーションの手段としてマンガがよく用いられているためと説明した」と書かれていました。
先のAFP通信社が世界中に配信したために、世界中でニュースになっているみたいで、これまた世界の笑いものですね。
ちなみに、イギリスのテレグラフイギリスBBCオーストラリア、シドニー・モーニング・ヘラルド中国グローバル・タイムズその他たくさん。
米軍やそれに媚びを売る国内の連中がどう扇動しようと、たとえば九州高校弁論大会で最優秀賞となった沖縄向陽高校1年の比嘉さんの主張には勝てません。

今日も、民放各社は中国の新型哨戒艦が尖閣諸島付近に現れたとか、北朝鮮が軽水炉を建設中とかというニュースをセンセーショナルにやっていました。私から見れば、在日米軍のこうした青少年向けアホマンガと呼応して、アメリカ軍がいかに頼りになり、自衛隊もまた日本を守る戦力なのかを問わず語りに示そうとしている、大がかりなプロパガンダのひとつなのだろうと思います。
昔から何度も書いているように、そのようにして現代の戦争は準備されていくと、あらためて書かなければならないようです。

我々が次世代に残すべき最も大切なものは「憲法第9条」だと誰かが言いました。けだし名言。若い世代に、憲法第9条に依拠すればどのような平和外交が可能となるか、放棄すればどのような日本と世界が舞っているのかを示すべきときでしょう。それには、私たち自身もっと広く世の中を見る知力と戦争を嗅ぎ取る感性を研ぎ澄まさなければならないのですが・・・。



  11月11日(木)
先日来、「バラ愛好会」のガーデン整備にかかりきりになっておりました。何しろ掘り起こした木の株が半端ではなく、山積みになっていたものをすべてほぐしていくつかの別の山にしていたのです。今日は風もなく素晴らしい秋晴れだったので、それらに一斉に火をつけて焼却。今日で終わらず明日もまた午前中その作業に従事します。
幸い、会員が何人も出て汗を流し、思ったよりもはかどって見違えるようにすっきりしました。明日と日曜日でおそらく整地がほぼ終わることになります。
お金さえ出せば、木の株などを処分してすっきりできるのでしょうが、この会はお金もなく、逆に1人1人がお金を出し合ってしかも作業までするというのですから、ものすごい団体です。みんなこの土地にバラやいろんな花を植えてすてきなガーデンに仕上がることを楽しみに、ただそれだけの思いで整備に汗を流しているのですから、ボランティア団体の鏡みたいな存在です。
作業が終わったら、集まって四方山話に花を咲かせるのも一つの楽しみ。花を愛する人はみんな気持ちの優しい人ばかりですからトラブルもなく、楽しく作業がすすみます。
このあとは、冬に枯葉を集めて腐葉土をつくるだけ。その後は年を越して3月くらいから植え付けの準備となります。来年が楽しみです。






沖縄では知事選が告示になりました。現職の仲井真知事に対して、宜野湾市長の伊波さんが立候補、事実上一騎打ちの知事選となります。
普天間基地の移設問題が大問題に浮上して以来、新聞記事を中心としたコンテンツをこのホームページでも更新してきましたが、この間ややさぼりぎみ。知事選をきっかけに久しぶりに地元の新聞を調べてみました。
沖縄では琉球新報、沖縄タイムス両紙が号外を発表。とくに琉球新報社はくわしい両者の政策や争点、過去の知事選の経過などを報道し、大変参考になります。
今度の知事選の争点は普天間基地問題であることは余りにも明らか。仲井真知事はいちおう形の上で「県内移設反対」を掲げて争点はずしを狙っていますが、安保条約とそれに基づく米軍基地を容認する姿勢や、道州制の指向などをみれば、基地問題を解決する能力がないことははっきりしています。それに対して伊波さんの立場はきわめて明快。基地撤去後の跡地の整備や沖縄のあり方について多面的に政策を展開しています。
沖縄タイムスの報道では現在両者は横一線。これから中盤・終盤にむけてどれだけ基地問題の根本的な解決と沖縄の経済・福祉の向上への革新側の政策を浸透させられるかがカギとなります。何としても伊波さんの当選を果たさなければなりません。


  11月5日(金)
今日は原村に視察に出かけました。県下(おそらく全国)で唯一、老人医療無料化を実現している自治体です。参加者は松川村から元村会議員のIさんはじめ4人。池田町からは私と次期町議に立候補するUさんの2人でした。
原村までは車でほぼ1時間ほど。到着すると共産党村議が2人出迎えてくれ、さっそく原村の実態を報告してくれました。
老人医療費の完全無料化を実現するには当然大きな歳出がともなうわけで、それを実現する力がどこにあるのかが私の最も大きな関心事でした。説明の中ではっきりしたことは、原村は地勢上わりとコンパクトな村できわめて効率的な町政運営ができること、そして過去に他市町村のようなハコモノ行政に手をそめず、きわめて大きな財政力をつけてきたことが要因だということでした。町債をすべて返してもおつりがくるほどの貯金を持ちっているのです。以下は平成20年度の決算カードから。
■財政調整基金・特定目的積立など     原村 26億7千万円 池田町 10億円
■町債残高                    原村 20億5千万円 池田町 44億8千万円
■財政力指数                  原村 0.39       池田町 0.37
■実質公債費比率               原村 13.6       池田町 17.6
もう一つ重要な視点は、村の姿勢です。医療費無料化には当然県や国からの圧力がありましたが、「お年寄りを敬愛する村民」という町民憲章をたてにキッパリと自主性を貫いた村の態度が今日の基盤をつくったのでした。
池田町や松川村ですぐに完全無料化を実現することはきわめて難しいでしょうが、何よりもそこに向かっていく町の姿勢が問われるということです。

原村は八ヶ岳山麓にあり、海抜は約1000メートル。木々のたたずまいは、海抜600メートルの池田町とは相当に趣が異なり、高原の明るい雰囲気があふれていました。帰りには近くの八ヶ岳美術館に寄って、清水多嘉示の彫刻や縄文土器の展示をじっくり見てきました。








  11月3日(水)
夜10時頃、仕事から帰ろうと車のガラスを見ると、すっかり凍り付いてしばらくエンジンをかけて暖めないと発進できませんでした。いよいよ、夜には零度近くの季節です。
空気が澄んでとても良いお天気。太陽光発電の瞬間の発電量をみると3.0kw/hを表示しています。真夏の暑い日でさえ3.0は出ないのに不思議な気がします。発電量は暑さとは関係がなく光の量によるのでしょうかね。
天気が良くなると、家の前は散歩する人、写真を撮りに訪れる人、近くの紅葉を見に来る人などで結構賑やかになります。すぐ近くのお寺の巨大な銀杏の木が黄色く染まって見頃。下の紅葉の赤、空の青のコンビネーションが見事で、たくさんの人が見に訪れていますよ。また、遠くの北アルプスの山々は、連日違った装いを見せて楽しませてくれます。秋が深まる10月終わり頃まで紅葉が楽しめます。


畑では白菜が食べ頃に。柔らかくてものすごくうまい。里芋も期待以上にたくさんできて、これも柔らかくておいしい。いろいろ野菜を中心に食卓に乗るものが取れるので、都会の人にはうらやましいほどの野菜中心の食生活です。
お昼には、来年用のタマネギを200本植え付けました。これで今年度の作業はほとんど終わり。サツマイモと豆の収穫が残っていますが、豆は全然ダメで、サツマイモも離れの畑ではあまり大きくなっていません。ただし、裏の畑に3本ほど試しに植えておいた芋が今日掘ってみると巨大なイモに成長。びっくり仰天です。うまいかどうかは全くわかりませんが、大きさだけは抜群でした。堆肥が効いていたせいか、来年はこちらでもイモを作ってみることにしますかね。




  11月2日(火)
朝北アルプスを見たら、予想通り山頂は真っ白。昨年の記録を見るとやはりこの時期は初雪、霜の季節のようで、昨年の3日には平野部でもちょっと白くなっていましたから、例年通りということなのでしょう。夜になってぐんと気温がさがり、霜も心配になってきました。


朝から良いお天気だったので、午前中は北アルプス展望美術館で開かれているクラフト展にでかけてきました。クラフト制作を生業としているプロの作家たちの作品展で、今年はロビー一杯に展示がありました。思うに、町の作家たちの作品展がロビーでの展示ではどうなのでしょうね。確かに常設の展示場があり、同時に美術展も開かれていましたから、スペースが不足していることは事実でしょうが、そこは工夫してちゃんと作品として見られるようにすることが必要なのではないでしょうか。織物などのワークショップはロビーでも構わないでしょうし、要望があれば、べつに特設の部屋でなくてもいいのですが、基本的には展示は展示場で行うべきでしょう。ロビーは薄暗くて冷たく重苦しい雰囲気がただよっているので、ますますそのように思ってしまいます。
それはともかく出品している方たちの作品はどれも力が入っており、2年前と比べると雲泥の差。今後の発展を期待したいものです。


クラフトパークからの景色はなかなかのもので、妻も「この前の同期会のときにこんな天気だったらよかったのに」と悔しがっていました。
道々、幼稚園児たちの一行とすれ違いました。小さな子がぞろぞろと保母さんに連れられて遠足にきている光景は何ともほほえましいですね。





  11月1日(月)
低気圧が大きな雲をともなって日本列島を通過中で、こちらは昨夜からずっと雨。まだ一日雨が残るのでしょうか。気温はそれほど低くはありません。
昨日は妻が富山へ出かけていて、私は午後からお隣さんといっしょにガーデンの整備作業を2時間ほど。夕方から中3生の授業にでかけ、それで一日が終わってしまった。
妻が富山に出かけて何が楽しみかというと、お土産に魚を買ってきてくれること。今回は「あまりいいものがなかった」と言っていましたが、それでも池田で買う魚とは違います。仕事から帰ってお刺身をたべることができました。クーラーボックスにはアオリイカも入っていたようですから今日はその刺身かな。感謝感謝。

高1の生徒があるタレントの話をしているのを聞きつけて、何の話しをしているのかと聞いてみたら、AKB48の前田敦子のブログ(Amebaブログ)のことだった。最近はいつも塾にパソコンを持って行っているので、すぐにチェック。えっ?これがブログ?
生徒たちは携帯から見るのでしょうから、それなりの仕様はわかるとして、何も書いてない!!と思ったら、字が少しと写真がちょっと。あとは隙間だらけだった。
「何にも書いてないよ、書くことがないんじゃないの?」と言ったら、「あははは、そんなもんだよ」と女の子。野球部の男の子に「君もまいにちチェックしているんだね?」と聞くと、ややあって「まあ、たまに」。
関連する子たちのブログを見ても大同小異。「かわいい」だけの子が、隙間だらけでどうでもいいことをメモっていることを、それがトレンドだと受け入れている方も似たり寄ったりか。それとも字だらけで書き綴っている私がおかしいのか。
「どうして彼女のブログを見るの?」と聞くと「かわいいじゃない」という返事。ともかく私が近づけるブログではありませんでした。え?年ってこと・・・??

さて、早くも11月。池田町に越してきたのが2003年の4月16日でしたから、それからもう7年半たったことになります。
東京での仕事をやめてからの年月とも重なります。妻が池田に越してきたのが1年遅れでしたから、それでももう池田での生活は結構長くなってしまいました。当初はそれなりに生活のイメージを描いてもいましたが、実際に住んでみると結構違ったものにもなってきているようです。
本当は母の介護をしながら農作業をしながらゆったりと過ごしたいというのが希望でしたが、その母も池田に来て丸3年で他界。塾の仕事からは足を洗うはずが、いっそう抜けられなくなって今ではかつての東京時代とほとんど変わらないような(時間は多少短いですが)状態です。もっとも、子どもたちと接していると楽しいし、最近の生徒たちのいろんなことを教えてもらえるし、
気がつくと、今年に入ってからは、仕事に加えて町の「サポートセンター運営委員会」「バラ愛好会」「パソコン講習」という3つの仕事が加わって、生活のあり方を真剣に考えないと身動き取れなくなる恐れが出てきました。いままでのいくつかの活動もそうですが、毎日時間が取られるというわけではありません。家にいる時間は結構多いのですが、それでもやらなければならないことが重なったりすると結構しんどい。ゆったりのんびりのスローライフなどとはかけ離れています。畑仕事がなければ余裕なのでしょうが、こちらも手を抜くわけにはいかない。さて、ここいらでじっくり行く末を考えてみることにしたいと最近つらつら考えています。

飼い猫のハルちゃんは雨模様の日は夜通しハンティング。ネズミを探して、野山を探検しているらしい。どこに行けばネズミが出るかを知っているらしく、根気強く通い詰めています。今日の夕方になって一匹小さなヤツをとらえてきて、うまそうに食べてしばらく仰向けになってお休み。それからまた出かけていきました。

結局、日中は晴れたりにわか雨が降ったりしていて、夜にはまた冷たい雨がずっと降り続いています。日が傾いたころの北アルプス。紅葉が次第に下に降りてきて、日が当たるところは赤く染まって見えます。もうすぐ雪の季節です。






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