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  7月26日(月)
数学者の森毅さんが亡くなった。森一刀斎の名で親しまれ、数学を志す人以外にもたくさんのファンを持っていた人で、「いいかげん」を自認し縦横無尽に数学や数学教育を論じる面白い人物でした。
早くから遠山啓さんが創立した民間教育団体「数学教育協議会」にも参加し、その普及に尽力した人。学生の頃から遠山氏以外ではこの人の「おもしろさ」にいたく惹かれたものでした。
私が大学に入った年(1964年)に初版が出た「数学的思考」には結構お世話になりました。1960年代の半ばという時代の制約は伴いながらも、いま読んでも新しく感じる内容がいっぱいあります。とりわけ、はじめに述べられている「数学7つの迷信」は読んでいて痛快。それらはいまもなお迷信であり続けているのですから。
参考までにその「7つの迷信」とは次のようなものです。彼はそれがどこから生まれたかに論究していますが、それについてはここでは省略。

@数学は諸学の根源である。
A数学はものの役にはたたない。
B数学のできる子は頭がよい。
C数学をやる人間は頭がおかしい。
D数学は純粋形式による観念の産物である。
E数学は生産技術の道具であればよい。
F数学は永遠不変である。


数学の命題を証明するにあたって、いつも彼が口癖のように言っていたのは「ハギレよい」「ヨーリョーよい」「カッコよい」の「三よい主義」でした。私は今でも高校生に証明を要求するときはこれでやれと言っているほどですから。
ああ〜あ、影響力をもつ大切な人々がどんどん亡くなっていくんだなあ。残念。合掌。

本当は昨日、クリント・イーストウッド監督映画「Invictus」のことを書こうと思っていたのだけど、時間が無くて今日になってしまった。
この映画をみたのはおととい。そしたら昨日の市民タイムスで小沢幹雄さんが「注目!南アフリカ」と題してこの映画のことを書いているのを見つけた。

「サッカーの南アフリカ代表チームは今回予選リーグで敗退してしまったが、実は南アフリカはサッカーよりラグビーが強くラグビー王国といわれている」・・・「1995年ラグビーのワールドカップ大会が南アフリカで開催され、見事開催国南アフリカが優勝しているのである」「20年にも及ぶ獄中生活から解放されたマンデラ大統領が、国際社会から批判される人種隔離政策アパルトヘイトをなくし混乱する国を一つにまとめようと、ラグビーのワールドカップ開催を主導し大成功を収めたのである」

映画はこの実話をもとに作られており、当時の南アフリカを忠実に再現しながら、マンデラ大統領とラグビーチームのキャプテンの視点を中心にして展開していきます。
人間ネルソン・マンデラの人柄、政治に頂点に立つもの苦悩、その思考の源泉などについての説得力のある描き方は素晴らしい。彼の指導性のもとに、いかに民族融和が実現されていくのかが感動的に描かれています。
「アモク」をはじめとする映画や日本国内での連帯運動の中で、アパルトヘイト下の南アフリカの実情やアフリカ民族会議(ANC)のたたかいについてはそれなりに知ってはいたものの、マンデラ大大統領になってからの建国の様子はそれほど情報がありませんでした。その一端に触れられたことはうれしいことです。
サッカーワールドカップを機会に、貧困や差別、治安の悪化などになお苦しむ南アフリカの実情に触れるにつけても、このクリント・イーストウッド監督の映画のメッセージは強烈です。
ある高校で生徒たちとともにアパルトヘイト問題をとりあげていろいろ調べたり、私自身もANC東京代表と会って話しを聞いたことなどを思い出すにつけ、この映画は意義深いものがあります。また、映画の後半で描かれる決勝戦がニュージーランドであることも、思い出をくすぐるものでした。
ニュージーランドの空港などで見た、オール・ブラックスの迫力ある「ハカ」の写真が画面とダブってきて、これまで全く関心のなかったラグビーに結構興味が持てそうな不思議な気持ちも・・・・。

今日は、私も妻も休みだったので、怪我で治療中の知人の家にお見舞いに行ってきました。昨日ギブスが取れたらしく、割と元気そうで何よりでした。
あれこれ積もる話しをして帰る途中、当番の花壇の水遣り。今日も暑い日で、ふと見ると沈む太陽の光のもとで雲が雲を飲み込むような夕暮れの景色。明日もまた暑い日なのかな。





  7月22日(木)
連日の猛暑で、私はここ連日の農作業がたたったのか、腰が痛くて今日は作業お休み。妻に湿布を貼ってもらって横になっていたら夕方にはかなりよくなりました。まあ、ほどほどにってとこですかね。裏の畑はほぼ片づいたのですが、妻は離れの畑に出かけては豆だか草だかわからなくなっている茂みで草取りに一生懸命。あしたからはこっちにも手を回さないといけません。

沖縄の母や知人からパイナップルやマンゴーが届いて、我が家は南国ムード。沖縄より暑い日中ですから沖縄に避暑に行きたいくらいの毎日です。ただ、向こうは夜も昼も同じように暑いのでこうした果物も実るわけですけど。
こちらは夜ともなると結構涼しく、妻などは「寒い」と言っているくらいです。この感覚は私とはずいぶんちがうようで、妻は寒い、私は暑い・・・。それはともかく、マンゴーを食べにいらっしゃるなら今のうちですよ〜〜。


さて、今日は知事選の告示日。「県民の会」が推薦する松本猛さんの激励会が松川村役場前であるというので、妻と昼頃ミーハー根性ででかけていきました。
演説が始まる頃には、150人近くの人で結構な人垣ができていました。到着した宣伝カーを背に、松川村村長や議長が「松川村」を世界に知らしめた(「ちひろ美術館」館長)立役者とばかりに声を張り上げて激励。
続いてマイクをにぎった松本さんは、幼少の頃に育った松川村のよさが「ちひろ美術館」をこの地に建てることになった動機だとのべ、産業政策、農業政策、子育て・高齢者に対する政策などを簡単に訴えました。
「公共事業でも必要なものがある。危険な浅川ダムは見直しが必要であり、逆にこれからは自転車道をもっと充実させることが求められる」「安曇野の景観も農業がだめになればそれで終わり。観光もない。農業を育てる政策が必要」「弱い人に政治の目がもっと注がれなければならない」「どこにでも駆けていき、対話をする」など・・・・
報道機関は、政党では共産党が政策協定を結んで組織として応援しているような書き方をしていますが、事実(「共産党も構成団体の一員である『県民の会』が推薦をきめた」)をきちんと伝えてほしいものですね。だから松本さんが「どの政党との支持協力関係というわけでなく・・・」と言うのはその通りだとしても、全く無党派層に依拠してたたかおうというのか、組織的にもしっかり応援してほしいというのか、ほどほどにというのか、そこらがあまりはっきりとは見えてこない。
新聞報道では、参院選挙の直後だけにどの政党も重視しているという書き方をしていました。政党の本部がどう考えるかは別として、有権者の中には冷めた目でみる人も多く、結局、誰が無党派層の心ををつかむかで決まるんじゃないでしょうか。






中野さなえさんのホームページを見ていたら、自分のホームページでは候補者名も写真も載せられないと選挙法の不合理を嘆いていました。「選挙期間中は図画を用いて不特定多数に支持を訴えることができない」という規定を杓子定規にあてはめればそうなるのでしょうし、権力を持つものはいつでもその規定を悪用できますから、用心するに越したことはないのでしょう。私は、べつに他人に特定の候補者への支持を訴えるためにこの日記を公開しているわけではないので、これからも必要に応じて、文章も写真も載せることにするのは前にも書いたとおり。
考えてみると、現行選挙法の規定の不合理性はあきらかです。選挙期間だからこそむしろ不特定多数に政策を訴え、場合によっては一軒一軒訪問して政策を話し、意見を聞いてくるという活動が必要ではないのでしょうか。欧米では、そんなことはあたりまえのことです。政治的な成熟度がまるで違うのでしょうかね。政策など全く頭になく連呼しかできない宣伝カーの姿をみるといつもそう思わされます。
公務員が時間外に共産党のチラシを配っただけで逮捕され、長期間拘留されたあげく、有罪となるこの国は異常です。そうかと思うと、自党の都合のよいように選挙法を変え続け、いままたひどい悪法(定数削減)を通そうとしているんですからね。ますます異常です。異常があまりに重なると異常は異常でなくなり、正常は正常でなくなる。
そして、そのような政党は、支持しない国民からも政治献金を税金として無理矢理取り上げて議席に応じて山分けする政党助成金制度には決して手をつけようとしません。それを当たり前と思ったり不思議に思わない「国民」もまた、これまでの自民党流政治が身体にしみこみすぎて、異常が正常となっていると私には思えます。
「小選挙区」を中心とする現行の選挙制度と「濡れ手で粟」の政党助成金に対して、「まとも」な世論が形成され改変が日程にのぼったときにはじめて、この日本の政治は「清潔で公正」な基盤を得るといえるのでしょう。私はそう思いますけどね。


  7月20日(火)
長野県の中学・高校の夏休みは大変短い。7月の27,8日から8月17日頃まで。18日からはもう2学期の開始です。塾の夏期講習はその間の何日かに集中してやることになりますから、結構あわただしいスケジュールになりそうです。

今日も朝から畑に出て、半日草取り。半袖で仕事をしていると今日は肌が痛いほどで、早々にカバーをして作業しました。さらに汗が半端ではないので、首にタオル、さらに頭にもタオルを巻いてものものしい格好で畑に出没しています。
草の根が深いので相当に力も必要で、半日もやっているとあとはぐったり。シャワーをあびるといつも眠気が襲ってきて、2時間ほどお昼寝。それから塾にでかけることになります。会議などの予定がないときはたいていこのサイクル。
妻は「一人ではさみしい」といいつつ、離れの豆や芋を植えてある畑で黙々と草取り。私は裏の畑でせっせと作業です。私の方はまだ1/3ほど残っているので、明日こちらを片付けて、その後は家の前を中心に除草をしなければなりません。家の前では「いちご」のランナーをポットに受けて苗をつくっているため、草も生え放題になっているのです。
こっちが終われば、またあっちという具合に果てしなく続く草とのたたかい。いやいや、畑は楽ではありませんが、苦労のあとの収穫は何ともいえない。
そうこうしているうちに、作物はそれなりに順調に育って葉が茂り、畑一面鬱蒼としてきました。ミニ田んぼの稲も青々としてもうすぐ穂をのぞかせそうです。来年はこの「田んぼ」をもっと広げることにしましょうか。











  7月19日(月)
昨夕から今朝まで妻と「温泉旅行」でした。昨日が妻の誕生日だったため、今回はいつも入浴代わりに行っている近くにあるなじみの温泉にわざわざ泊まりがけで出かけたという次第です。
久しぶりにおいしい料理でも食べながらゆっくりお湯につかって疲れを取ってもらおうという、私なりの妻への感謝の気持ち・・・・。
車で20分ほどの近さなので、「旅行」などといえたしろものではありませんが、ま、「気は心」ですからね。近い方が何かと疲れなくてもいいし、お金もかからなくていいし・・・。
昨日からは連休ということもあって、いつもよりは多い数組の宿泊客がいて露天風呂に入ろうとしたら男湯は芋の子を洗うがごとし。女湯の露天はそうでもなかったらしいけど・・・。内湯はほとんど人がおらず、結構結構。朝から畑仕事をしていたので、疲れを癒すには最高でした。食事もたくさん出て、最後にはシェフの特別料理とかで「鹿肉」がでてきて、おなか一杯になってしまいました。




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今日はまた朝からカンカン照りの真夏日。7時過ぎに朝風呂をあびて朝食。つかの間の休息を終えて家に戻ったのが10時過ぎでした。

本日のメインイベントは「池田バラ愛好会」の発足会。2ヶ月ほど前から、私ともう一人のYさんとで準備をしてきたガーデンづくりの会の旗揚げです。
これまで地主と10年間の土地借用契約を交わし、さらに町との話し合いで補助金の見通しも立ち、バラの専門家の顧問就任も快諾を得て、10名を超える会員の見通しもたったために、今日発足会をもったのでした。
今日の会合には、都合で参加できない人が結構出て参加はいまいちでしたが、地主のうちの一人や夫婦で参加してくれた人たちもいて、充実した会合になりました。
今年度は、ガーデン予定地の整備作業が中心で、バラや花の栽培は来年度から本格的に行います。バラ栽培ですからそれなりのリスクが伴うという心配から、当面は会員だけの募集をつづけ、ガーデンづくりとバラの育成がある程度軌道に乗ったところで、オーナー会員も募集していこうということになりました。
代表者および会報・連絡の担当は私です。私以外に3名の役員をえらび、これからの運営を相談していくことを決めました。
何しろバラに関しては全くの素人のあつまりですから、顧問の教えを請いつつ、あまり背伸びせず、できる範囲で楽しくやることが大切。とくに会員相互の交流をうんと大切にして、長続きする活動をめざそうと思っています。これをお読みのみなさん、どうぞご支援を。


妻は仕事のために会合を中座、私は家に帰ってから農作業に汗を流しました。とにかく暑い。夕方からの作業でしたので、日陰もところどころにできて、それが救い。少しずつ草も取り払って畑らしくなってきました。トマトが鈴なりになって、おいしそう。たくさんとれるとうれしいですね。
日が落ちてからの夕焼け雲がとてもきれいでした。明日もまた暑い日になりそうです。





  7月17日(土)
朝から厳しい暑さになって、どうやらそろそろ梅雨明けのようです。午前中草取りをしていても汗びっしょり。外に出て何かやろうとするたびに汗でビタビタになってしまい、今日だけで都合4回もTシャツを替えることになってしまいました。これからの農作業は、早朝か夕方に限ります。

11時から、福源酒造の「お囲い蔵」を中心に開かれた第一回クラオンにでかけました。クラオンとはクラフト作家の作品展示と蔵造りの蔵からとったクラと音楽のオンをあわせた造語。
町の作家と音楽家たちの発表の場を提供することで街中の活性化につなげようという趣旨で始められた企画で、結構たくさんの人が集まっていました。
町長の挨拶のあと、実行委員長の挨拶、続いて高瀬中学のブラスバンドがオープニング演奏。その後もコーラス、ギター演奏などがあり、会場内では子どもたちのハリボテ作りなどもあって、いつもとは違う楽しい雰囲気であふれていました。私もさそわれるままに子どもたちといっしょになってハリボテを一個作ってきました。
お囲い蔵の中では、町のクラフト作家の作品が展示されて楽しませてくれてはいましたが、作家数がいまいちでもう少し広がりがほしいと思われました。

スイカを食べながら休憩していたら、大柄なアメリカ人と思われる人が日陰に避難してきて私の前に座りました。シアトル出身で、ずいぶん前から広津に住んでいると言うので、話しをしていたら、歌の作詞をしているのだそう。「ハゲデブのティム(Tim Jensen)と言えばわかる人もいる」(これは本人の言葉ですから念のため)と言っていましたよ、知っていますか、MNEMOさん。
写真は取り忘れたので、検索したら一枚だけ近影があった。この写真がいちばん近いかな。
あとで調べたら、ボーカルもやるし、ディレクターもやるという多彩な人らしい。「またお会いする機会もあると思います」と言って別れてきました。あちこち出歩いていると、おもしろい出会いがあるものですね。


















  7月14日(水)
昨日、母がお世話になっていた宅老所のことに触れましたが、ファンクラブニュースの取材をするために、ちょうど月曜日にアポが取ってあったのでした。その宅老所は池田町の北のはずれにある認知症専門の通所介護施設です。母は、6年前に開所した直後から3年間ほど送迎付きでお世話になっていたのです。
当時からこの施設は、普通の民家を使って、利用者が我が家と同じ雰囲気で普段の生活と同じように穏やかに過ごせるようにという配慮が行き届いていると感じていたのですが、今回職員の方と突っ込んで話しをしてみて、介護への思いや考え方にいちいち納得させられ、また深い共感を覚えたのでした。
ニュースは8月に発行予定ですから、まだ間がありますが、その準備作業としてまとめたインタビュー記事を書いたので、差し支えない範囲で紹介しましょう。

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今回は池田町正科にある宅老所を訪ねました。この施設は2004年(平成16)年に設立された認知症専門高齢者の介護施設で、介護保険を利用して日帰りで利用できる家庭的なホームです。
介護スタッフは現在14名、登録利用者は25名です。定員12名のため、現在は1日あたり11名が月曜日から土曜日まで利用しています。
ホームの沿革、概要などをお話くださったのは施設管理者のKさんと職員のOさん。忙しい1日の仕事の後、長時間のインタビューに快く応じてくださいました。感謝です。
以下、私の質問は
Q:、答えはA:で表しています。

Q 私の母も開所してすぐに受け入れてくださり、とても親切に対応してくださいました。今でもときどき寄らせていただいていますが、当時と変わらない姿勢でみなさんのお世話にあたっていらっしゃるのがよくわかります。あれからもう6年もたったのですね。当時は泊をともなう施設への発展というお話もありましたが、それからの変化などをお話くださいますか。

A 早いものですね。開所したのが平成16年4月19日で、当時はスタッフが4名だけでした。翌年には居宅介護支援事業所の資格も取ったので、現在のスタッフ14名にはケアマネージャー1人も含まれています。
平成18年の介護保険の改定によって、ここで受け入れられる対象者は介護認定で自立判定2A以上の人となりました。
ご質問のように、一時は宿泊などをともなう施設への展望も考えたのですが、当時、全国的に施設の火災などの事故があって防災基準が厳しくなり、その施設の整備には多額の費用がかかるため断念せざるをえなくなってしまいました。

Q 相手が認知症の方々ですから、毎日の介護のお仕事でもうかがい知れないご苦労がたくさんあると思います。スタッフの方々の仕事上の苦労話などをいくつかご紹介ください。

A 高齢者の方ってのは、はじめはこのような施設に「来たくてくるわけじゃない」んですね。
ですから、第1に、利用する前のケアというか、まずその人とのつながりをどう作るかがとても大事になります。「行きたくない」という方のお宅で何時間もかけてお話をしてしっかりした関係をつくらなくてはならないということもありました。
第2に、今度はこの施設に来てもらっても、玄関から中に入ってもらえないということが起こります。大きな近代的な施設とは違って普通の民家ですから「知らない人の家には入れない」となるんですね。それを納得してもらうまでにまた時間がかかります。
第3は、施設を利用し始めると、今度はここが自分の家になっちゃうんです。台所に立っていると「なんで人のものを触るのか」と言われる。
そして第4に、ここが自分の家になっているので、本当の家に今度は帰りたくなくなってしまう。それを納得してもらうのにまた時間がかかるんです。

Q なるほど。予想以上にそれぞれの段階で大変なご苦労があるんですね。ところで、そうしたお年寄りたちに普段どのように対応されているのですか。横から見ていると、とても和やかで笑顔がたえないのですが。

A まず、ここを利用してくださっている方たちは「認知症であるということを除いて自分たちと少しも変わらない人」なのだという心構えで対応しています。「認知症だから特別な人なんだ。だから介護をしてやっている」という考え方ではなく、「いろんなことを教えてもらえ、いっしょに時を刻む人たち」であるという考え方で日々接しています。

Q それは大事なことですね。昔ある大きな施設でお年寄りが車いすでぼんやりしていたり、そうかと思うとまるで赤ん坊をあつかうように同じゲームをやらせていたりという光景を目にしたことがありました。担当の方が少なかったという事情はあるのかもしれませんが、いまおっしゃったような立場で接しているとは到底思われませんでした。

A そうなんです。そういうのが嫌で、この施設を立ち上げたといってもいいほどなんです。介護の精神には人間同士の本来の結びつきということがなければ成り立たないとずっと考えていたものですから。

Q 介護される人も人間として認められるというか、人間として大切な存在なんだと相手に受け入れられるという実感が必要なんですね。

A スタッフの側から言っても同じで、利用してくださる方から認められるという実感を受け止められる施設でありたいと思っています。

Q 今でも居間にみんな輪になって座って和やかに話し合ったり、食事したりしていますけど、ずっとそんなスタイルですか。何となく窮屈に見えてしまうのですが。

A 向こうの部屋にいる人や昼寝をする人、外に散歩に出かける人もいますよ。でも、昼寝をしてもすぐにみんなこの居間に集まってくる。みんないっしょにいるのが好きなんですね。座る場所も何となく自然に決まってくるみたいです。

Q そうなるとスタッフの方々の目配りが大変ですね。

A 12人の利用者に7人のスタッフというのが現在の対応の仕方です。

Q それでやっていけるのでしょうか。心配になります。

A 何とか。

Q これからの施設のあり方についてどのように展望されますか。

A このままのやり方でしばらくやって行かざるを得ないと思います。ただ、通ってくださる側の人たちが次第に変わってきますね。たとえば、私やあなたのような年代の方がこれから対象者になる。すると・・・

Q ずいぶん理屈っぽかったり、わがままだったり・・・??

A いやいや、そこまではいえませんけれど、ある人はこの食事がいやだと言ったり、ある人はこのスタッフが気に入らないと言ったり・・おそらく、予想できない対応の仕方が求められるのでしょうね。そういったことにもこれから目を向けざるをえません。

Q 話題がちょっと違いますが、平成18年度の介護保険法の改正によって介護認定の仕方がかわり、認定が軽く判定されて実態と合わないという批判が全国で報告されましたね。それによってこの施設に何か影響はありましたか。

A もともと大北地域では判定が厳しかったので改訂によってあまり大きな変化はありませんでしたね。

Q それでは最後に、行政や町民の皆さんに要望したり聞いてほしいということがありますか。

A もともとNPOとして最低限の費用で始めた施設ですから、25人に対応するというのが限界なんです。介護にあたるスタッフの人件費に多少なりと助成がほしいと思います。
また施設の修繕費も必要になってきていますし、ソファなどの備品も開所時のまま。かなり痛んできていますから、そうしたことへの助成も期待されます。
また、その人らしい過ごし方をしていただいて、ここに来て良かったと思えるような場所づくりを目指して行きたいですね。そのためにスタッフの介護技術をもっと高められるように、ここだけではなく他の施設のスタッフの方々とも連携していけたらいいなと思っています。

Q お忙しい時間に、丁寧に対応していただいてありがとうございました。私が施設を利用することになりましたら、どうかよろしくお願いいたします。



  7月13日(火)
母の命日。まる3年がたったことになります。とくに法要をすることもなく、妻と二人で花を飾ってお参りをしただけでした。
朝には妹と弟の嫁さんからお花が届きました。小さくてせまい仏壇ですので花で埋もれてしまっています。
昨日は、母が池田町に来てからすぐお世話になっていた宅老所を訪問する機会があり、職員の方たちと「ここに座っていたね」とか、「よく歌を歌っていたね」とかと思い出話に花がさきました。
4年目ともなると、なかなか記憶が薄れるわけではないのですが、意識から離れていることの多い母のこと。たまの命日くらいはかつてのことを思い出すことも必要ですね。
ただ過去のことを思い出そうとすると、相当昔のことは動画としてリプレイされるのではなく、いつも決まった一枚の静止画として現れます。印象的な場面がアルバムをめくるように何枚も現れてくるのはどうしたことでしょうね。


今日は高3の授業の日。彼らとはもう5年もつきあっていることになります。しかしそろそろ進路が定まってくると、数学の必要な生徒はだんだん少なくなる。理系離れが依然として進行していると思われてなりません。
それもそのはずで、中学から高校での数学の履修のしかたは、例の「ゆとり」カリキュラムの時期にどんどん内容を後送りにしてしまったために、高2、高3と負担が重くなる仕組み。しかも大学入試の問題は依然として難しいときているから、高1までのんびりやってきた生徒には、理系数学はとんでもない負担になってきます。いきおい、英語、国語などに逃げてしまうということになる。
しかも、このあたりでは部活動(とくに運動部)が異様に「活発」で、学習習慣などという言葉はもはや死語とさえなっているのではないかと思わされます。
公教育の中で、部活動にのめり込むようなやり方が「生きる力」を根底から支える力を与えるとは思われない。もちろん英語や数学だけをやっていればいい訳でもありませんが、高校で学ぶことの意味をどれほど教師たちが生徒と語りあい、学びあっているのだろうか疑問に思ってしまいます。
そうした中では、「塾」は公教育では触れられない学習内容や、さまざまな解法を学ぶ場にもなっているし、学校での学習面での不満を吸収し、場合によっては解決する一つの場となっている側面があります。私のつとめている塾はまさにそのようなところ。学校での授業面での不満を聞いてやり、サポートしてやる場面が結構多くなっています。だから、早くやめたいんだけれど、なかなかやめさせてもらえない、というのが私の不満。



  7月12日(月)
参議院選挙の結果が判明しました。私が応援していた共産党は、残念ながら3議席止まり。
今回の選挙の特徴は、東京選挙区と長野選挙区、そして地元池田町の選挙結果からはっきりと見て取ることができます。
一つは自民党の復調と民主党の後退、二つはみんなの党の躍進、三つは全体としてそれらに押される形での共産党と社民党の後退ということです。
選挙結果を分析するには、いくつかの視点があるでしょうが、ここでは二つの問題について考えてみたいと思います。
第1は今回の選挙ほど露骨な「メディア選挙」はなかったということです。とりわけ「みんなの党」の露出度が激しかった。自民、民主は金に任せて大型の広告やCMを垂れ流す、NHKもとても公平とはいえないような選挙報道の仕方をするなど問題が多かった。
そうした報道の中で、有権者は「どの政党でも同じではないか」「民主党にはがっかりした。みんなの党なら何かしてくれるのではないか」という「あいまいで漠然とした」雰囲気が醸成されることになったのではないでしょうか。とりわけ、消費税についてテレビ各局は、いろいろな評論家を登場させては、国民の大半は「目的がはっきりしていれば消費税もやむを得ないと考え始めている」などという雰囲気をつくったり、普天間基地の問題についてはほとんど触れなくなって、有権者から「批判力」を抜き去る役割をせっせと果たしてきたと私には思えます。
昨日生徒と話しをしていたら、一人の生徒が「親が、目の前にあった人の中から適当に一人書いてきたと言っていた」とふと漏らしていた言葉がそうした雰囲気を実に雄弁に物語っているように思えます。
第2は、消費税反対の最前列でたたかってきた共産党がなぜこのように残念な結果になったのかという問題。
池田町では、共産党の中野早苗票は809で前回1146から大幅な減少。得票率も18.7%から13.0%になっています。(全県では共産党の得票率は10.0%ですから、それなりに上位ではあるのですが・・・)。他党では、自民党が前回の23.8%から25.7%(全県25.8%)へと若干の増加、民主党は今回の二人あわせて44.4%(前回は羽田雄一郎19.4%と一人勝ち)(全県29.5%)。これに対して、みんなの党が13.4%(全県16.2%)を占めています。
これからわかることは、前回の共産党への票は、みんなの党へ相当部分が、一部は同じ女性候補の民主党へ流れたということです。これは池田町だけの減少ではなく、全国的にも今回の選挙の特徴点ではあるのですが、それにしても、なぜ「みんなの党」へ流れることになったのか、共産党が持ちこたえられなかったのか十分に分析し対策を立てることが必要でしょう。



  7月10日(土)
午前中、池田町と池田町商工会主催の「池田町ものづくりフォーラム」という会合があって、参加しました。
一つは、池田町の中心的精密機械製造企業である黒田精工の社長の講演があること。二つは、前から商工会のメンバーから誘われていたこと、三つは池田町での商工業の発展の方向についてどんなディスカッションが行われるかに関心があったこと、が参加の理由でした。
まだ50代前半の若い黒田精工社長は、新日鉄入社を皮切りに様々な会社経営の実績をつみ、さらにスタンフォード留学などの経験があるなかなかスマートな経営者で、ある意味他のパネラーとは異質な存在だったように見えました。
「グローバル時代における経営戦略はいかにあるべきか」というテーマで行われた約1時間の講演では、まず精密機械メーカーとしての黒田精工の沿革や現状を紹介。その後、グローバル化の背景として、国内市場の縮小、海外市場の発展、顧客企業のグローバル化、情報技術や移動手段の発達などをあげ、「グローバル化せざるを得ない」状況になっていると話しました。この点は、他の企業、メーカーと変わらない認識であるように見えました。
しかし、今後の方向としては、池田町にある長野工場をマザー工場として新商品や生産技術の開発、ハイエンド品の製造を行い、海外には販売や顧客サービス拠点を置いたり、消費地立地としての量産価格帯製品の製造を行うため、「最適地で最適活動を行う」戦略をとるべきだと述べていたことが注目されました。
つまり、産業空洞化の原因ともなる安いコストをひたすら求めて海外への工場移転などをするのではなく、国内には高い技術力を蓄えさらに開発を促進する母体をしっかりと構え、海外ではコストではなくマーケットがあるから現地で生産するという立場をとるべきだというのです。彼はそれを「コストベースの発想から価値ベースの発想」への転換という表現で説明していました。
これは、厳しい競争の中でも、国内外で高い評価をうける自社製品を開発してくることができ、かつさまざまな企業の盛衰を見てきた中堅製造企業の経営者の高い見識を示すものでしょう。
これからの教育への期待にもかなりの程度言及し、グローバル時代の人材として、「異文化コミュニケーション能力・語学力・論理力・文化理解力を持つ人材、世界に通用する高い技術・能力・管理力を持つ人材、柔軟性・適応性・人間性をかねそなえた人材」・・・とかなり欲張った要求をしていました。確かにそうかもしれませんが、戦後の学校教育が財界の「人づくり」政策によってゆがめられ、それが過去幾重にも重なって困難を増幅してきたことを顧みることなしには、そう簡単に言い切れるものではありません。
かなりの部分で、さすがに国際的に活躍してきた人物の語る言葉だけに共感できることも多かったものの、国内での内需の拡大や中小企業のネットワーク化や内部循環型の産業集積の課題については全く触れずじまい。国内需要が縮小していくからグローバル化しかないという論理には違和感を持たざるをえませんでした。

後半のパネルディスカッションでは黒田精工の社長をはじめ、同じ精密機器の会社の経営者、鞄づくりの商店経営者、池田工業高校の教師、それに池田町町長の5人が発言がありました。
私が一番聞きたかったのは、池田町でいかにものづくりの基盤を強化し、その経営環境を整えるか(企業・行政の双方)という点だったのですが、この点は司会の一方的な思い込みによる采配のために、かなりちぐはぐな討論に終わったと思われました。
とりわけ、町の対応を聞かれた町長の発言の中身はな〜んにもなかった。「応援する。後押しする」だけでは企業もがっかりするでしょうに。せめて、他市町村でとりくんでいるような中小企業の振興策をいかに池田町で具体化するかについて踏み込んだ問題提起し討論を促すべきでした。もっとも、こんなことは期待しても無理ですか・・・ね。





  7月7日(水)
ファンクラブニュースを作ったり、それを配布したりしているうちにあっという間に7日。選挙戦も最終版になってきました。
今日妻は朝から平和行進で大町から池田まであるきました。私はまだ足が本調子ではないので、妻を送っていっただけ。
平和行進と言えば、かつて富山で毎年のように参加したり募金活動をしたりしていました。朝日町が起点だったために、富山でのとりくみがとりわけ重要だったわけです。石川県に引き継いでさらにおとなりへ、と受け継がれていく平和行進・・全国でまだ連綿と取り組まれているこの行進を見て、その当時のことを思い出してしまいました。

夕方は福祉センターで、町の町づくり推進課がよびかけた「美しい里づくり」ワークショップにでかけました。
池田町が「日本で最も美しい村」連合に加盟したことをきっかけに、池田町にある資源を利用または発掘していかに「美しい里」をつくっていくか、町民の意見をたたかわせようという趣旨で開かれたものです。
会場には、環境・景観、文化・史跡などと書かれた用意されて、書き込むばかりになっていたのですが、どうやら会議の進行は町の考えていたようにはならず、進め方についてさまざまな意見が出されました。
一つは、「美しい村」連合というが、他の加盟市町村がどのような活動をやっているのかその実態もわからずに議論をすすめることは無理があるので、資料を準備してほしいというもの。
二つは、これまでさまざまな意見や提案が寄せられているにもかかわらず、それらを紹介したり評価したりせずに新しく意見を出してもらうというのは順序が違う。町のいろんな計画を作る段階で寄せられた町民の意見をあらためて紹介し参考にする必要があるというもの。
三つは、町にはいろいろな団体・個人がさまざまな町づくりに取り組んでいるのだから、そうした団体・個人の活動内容を知る必要があり、またそれらの人たちをこうしたワークショップに参加してもらい、もっと幅広い意見集約と議論ができるようにすべきだというもの。最後のは私の意見です。
実は、私はこの日のために、それなりに「美しい町づくり」への問題提起をまとめて持って行ったのですが、様子見のところもあって結局出さずじまいになってしまいました。いずれこれからの議論のなかで提起をしていこうと思っています。
今後のすすめかたについては、すぐにも作業に取りかかる必要があるという意見もありましたが、上記の意見を踏まえて町がもう一度論点を整理し、問題を絞って議論を深められるようにし、近いうちに改めて会合をもつということになりました。

今日の会議に参加して一番感じたのは、やはり町が「美しい村」連合に加盟したから、何か町民の発議でやれることを探そうという町の他力本願の姿勢です。こういえば、多分町長や「推進課」のみなさんはそんなことはないと否定されるかもしれません。しかし、考えてもみましょう。たとえば、「花いっぱいにいして美しい町にしましょう」とか、「ゴミをなくして美しい町にしましょう」などと決めてどうしようというのでしょうか。そこまでではなくても、たとえば「農地を守るために景観条例をつくりましょう」と決めて、どのように実行するのでしょうか。「夢物語でもいいから何でも話しをすることから始まる」と推進課長は言いましたが、もし私が「景観のいい場所の電柱をすべて地下埋設しましょう」と提案して、どうするのでしょうか。町民みんなでできる活動を話し合うのだというのなら、ワークショップの組織の仕方と行政の役割をもう少し明確にすべきだと強く思います。
私が感じたのは、そのこと以上に「そもそも論」についての議論が決定的に不足している、または欠如しているということです。何のために「美しい里づくり」をするのか、町民のためにどのような町をつくるのか、今何が問題であり何が課題なのか、そういった話し合い抜きに、町民に活発なとりくみを求めてもそれは一過性のものになるのがオチです。それよりも町が「美しい里」への覚悟をきめ、町民にその思いを熱く語り、ともに町づくりをすすめようという姿勢がなければ、町民とてその背後にある町の「丸投げ」姿勢をすばやく見抜いてしまうのではないでしょうか。
断っておきますが、私は「美しい里」づくりに反対しているわけでも、町のやり方を全否定している訳でもありません。逆に、いかに有意義な議論となり、町づくりがすすめられるかを考えているからこそ苦言も呈し、意見も言っているのです。それぞれの町民の思いを行政の側がうけとめ、議論の筋道を提起し、ゆっくりでもいいから町民参加が本当に実現するようなワークショップにしてもらいたい、そのことを強く望みたいと思います。

次の文書は、今日の会議のために準備したもののあえて提案を見送った私の問題提起です。これは、これまで私がこの日記上でいろいろ考えてきたことを現時点でまとめたもの。まだまだ発展途上です。

「美しい里づくり」ワークショップへの問題提起(p1、p2)
「美しい里づくり」ワークショップへの問題提起(p3、p4)



  7月1日(木)
梅雨の晴れ間と思ったら午後4時頃から雷がなり雷雨に。それほど強い雨ではないようですが、作物にはうれしい雨です。
さて、7月は選挙の月。昨夜のテレビでは消費税をめぐって民主・自民の議員たちの立場を紹介していました。トップが「消費税を」と言っているのに、立候補した議員のかなりの部分が「消費税に反対」だという。もちろんこの「反対」も眉唾で、当然逃げ道を用意しての反対なのでしょうが、ともかく上と下が完全にねじれてしまっている民主党。もし、「反対」を主張して当選したあと、民主党として「消費税」導入への道がつくられはじめたら、この議員は辞職するのでしょうかね。
沖縄では、普天間基地の「国外・県外移設」を主張して当選しながら、結局「日米合意」路線の菅首相になって、辞職したという話は聞かない。民主党内で反対グループをつくって協力に運動をする、または民主党を抜けるなどという話も聞かない。
つまり、自民党も、民主党も、党としての体をなしていないということです。もし、立候補者がある問題に中央と異なる見解を持つなら、本来候補とはなりえない。それは、党内の民主主義が機能しているのではなく、民主主義が機能していないことの表れです。
議員には勝手な見解を述べさせ、結局は政府の方向で収束させていくやり方は国民を愚弄するものです。ある週刊誌が「菅独裁のはじまり」というセンセーショナルな見出しを掲げていましたが、まさしくその危険性を内包している政治手法だといえます。それでも、コクミンはこの政党に何かを託すというのでしょうか。私は鳥肌が立つほど恐ろしい。

さて、最近は沖縄の基地問題がすっかり下火になっているように見えます。沖縄県民はあきらめたのか。いやいや決してそのようなことはありません。なぜなら、基地問題は、沖縄戦以来の米軍支配の歴史と密接に結びつき、これまで無数の苦しみを沖縄県民に与えてきたからです。
先日、池田町の中心部で街頭演説をした中野さなえさんが、「沖縄の心をわが心として」と語っていましたが、実にストレートに心に響きました。

ところで、今日の信濃毎日新聞の「論」に、政策研究大学院大学教授の岩間陽子さんの「二大政党制と外交政策=独自の価値観追及恐れず」と題する小論が載っていました。
まず、今回の参院選について、「自民党と民主党は、それぞれに2大政党制における保守とリベラルの体現する価値観とは何かという原点を見つめ、新時代の基盤を確立してもらいたい」「日本においても、民主党政権には、自民党政治の必要な部分は引き継ぎつつも、よどんだ日本社会に新しい風を呼び込むダイナミックな変化を導入してもらいたい。そうでなければ、私たちは2大政党制というシステムを持つ意味がない」とお書きになる。前回の衆議院選挙前の小論ではないかしらと思えるほどのピント外れ。
まず、民主党がリベラルであるかどうかの検証もない2分法は、自分が民主をリベラルと思える位置にいると示しているだけではないですか。そしてまた、「2大政党制」が保守政党・財界がらみでどのようにして構想され、選挙制度の改悪とむすびついて仕組まれてきたかという観点はどこにもなく、ただ欧米の主要な国と比較してそう書いているだけですから、あまりにずさんです。
続いて、「菅直人首相は、普天間に関する日米合意を基本的に継承する意思表明をした。対米関係の重要性は変わらないという連続性を打ち出したものであり、第一歩として正しい」という認識。あとは「何を組み合わせていく」ことが問題なのだという。そして民主党に望む「したたかなリベラル」として、「米国との同盟関係を揺るぎないものにしつつ。同時にアジアにおけるリーダーシップ、国際社会における独自の価値観追求」とか、「そのためには、日本の安全保障観が、単に日本の領土を侵略から守るものから、地域と国際社会の安全と安定に、日本の価値観に基づいて積極的に貢献するものに変わっていかねばならない」「朝鮮半島有事に対処するにも、国際平和活動に積極的に参加するにも、現在抱える制約は大きすぎる」と書くとき、そこには、日本国憲法の「ケ」の字もない。また、アメリカに寄り添ってものを見る思考から抜けられないのか、筆者が研究するという「国際関係論」の特徴なのかどうか、そこには「ゲーム的感覚」しか見あたらない。
ま、京都大学をお出になって、ただひたすら文献とにらめっこし、何不自由のない生活をお送りに・・・(としか思えない)なってきた先生の立ち位置をただ吐露なさっているだけじゃないんでしょうか。その立場からすれば、一国の政府の方針は他国との関係に縛られる以上、国内の一つの県は国際的な問題であれば自国の政府に従うのが「国際常識である」ということにでもなるんでしょうか。そうでなければ、「日米合意が」「第一歩として正しい」ということにはならない。
「国際関係=アメリカとの関係」のはざまで、騒音や基地公害になやまされ、もっとも優良な土地に基地を取られている沖縄県民の「け」の字も、やはりそこにはない。私からいえば、こんなものを「論」として載せていいんですかねえ。信毎さん。
是非大学で研究していらっしゃる他の大学教授の批判論文を載せてほしいものです。それでこそ「論」に値することになるでしょうから。




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