高校1、2年生たちはまもなく始まる期末テストに向けて一生懸命。高3生は今大学受験たけなわで悲喜こもごもです。中3生もあと2回(2週間)で高校入試を迎えます。何とかみんな首尾良く希望するところに合格してくれることを願うだけです。
「被災地支援ネットワーク」は一昨日事務局会議を開いて、大震災から1年を迎える3月11日に池田町で開くイベントや関連するとりくみの意思統一を行いました。我が家はここしばらくいろんな人が出入りして、まるで会議室の様相。
3月11日には、午後1時から池田町創造館を会場に、写真展示やビデオの上映、東北地方直送の海産物の即売、フリートークなど自由な時間を設け、午後6時から8時まで「町民のつどい」を開くという計画を決めました。「つどい」では、記録映像を見た後、昨年支援活動を行ったいろんな層の人たちにそれぞれの思いを語ってもらい、最後に私が今後の取り組みを提案するという次第。ある意味ではありふれたやり方ですが、私たち自身、大災害を忘れないという意味と、東北の人たちの苦難の日々に思いを馳せて、忘れていないというメッセージを伝えるという2つの大きな役割があります。
事務局会議で、今後の取り組みとして提案したのは2月16日の日記に書いた女川町の小中学生への「プレゼント大作戦」です。会議では「プレゼント」を前面に出すよりも、池田町の小中学生からの思い思いの「メッセージ」に力を入れた「メッセージ大作戦」の方がいいだろう、プレゼントはそれに添える程度にしかならないのだから、ということになりました。300円や500円ではプレゼントのうちに入らないか。もっとも金額ではなく気持ちの問題ですからね。
一昨日から今日にかけて、私が女川町の役場に連絡をとり事情を説明、女川町の子どもたちの学んでいる様子を写した写真を送ってもらいました。お願いした直後に写真が届いたのでびっくりするやら、感激するやら。
池田町ではメンバーのひとりが教育委員長に連絡をとって、池田町の校長にも話してもらうという手はずになりました。今日の感触では、前向きの返事がもらえたということです。
子どもたちにとって、女川町は遠い見ず知らずの土地。それでも、そこには自分たちと同じ子どもたちが生きて学んでいるということを知るだけでも、大きな意味があると思います。
女川町役場の課長は、「いま小学生は1つの学校で学んでいるけれど、大きな学校なのでわりとのびのびしているし、1年経っていままでと変わらず元気に活発に学んでいる。心の中ではいろんなトラウマを抱えているのかもしれないが・・・」と話していました。
今回のとりくみがうまくいって、女川の子どもたちにも、全国から気にかけてくれている子どもたちがいるのだということを知り勇気をもらってくれればいいなと、心底思います。
次は、ようやく一応完成した「私たちは忘れない 3.11町民のつどい」のチラシです。
さてと、一方パソコン修理屋の方はひとまず落ち着いて、修理依頼の1台は今日無事引き渡しを終えました。リカバリーディスクのない、かなり古いSOTECのパソコン。しかもバッテリーが付いていない。これではみっともないし保守ができないので、ネットで見つけて取り付けたという次第。これでしばらくは完璧です。
もう1台、最初にあずかった液晶の壊れたFUJITSUのパソコンは、液晶だけをこれまたネット・オークションで競り落として付け替え完了。今日はメモリーも増やしてなかなかのものになりました。
ただし、これはリカバリーディスクがないので、HDDを取り出してリカバリー領域も全部初期化。これではWindowsが導入できないので、結局今はLINUX(UBUNTU)機になってしまっています。LINUXは軽快に動いてはくれますが、DVDを再生できないことだけが難点。これをどうクリアするかが頭のいたいところです。
CPUは、近く同じソケットのCore2Duoにして、何とかWindowsを入れ込んでやろう(MicrosoftとFujitsuの裏をかく秘策)と密かに思っているところです。
ちびちびと部品を買っていると、それだけで結構な出費に。それもこれでようやく終了。ビデオ性能は全然よくない廉価パソコンですから、それほどカネをかける価値もないとは思うんですけど、まあ乗りかかった船ですからね。こんなことをやっていられるうちが華ですよん。
ところで、本命のWindows7機の方は、購入先の方から連絡があって、不具合は電源ではなく「CPUのピン折れ」だという。ゲエッ〜〜〜。「3本折れていました」とさりげなく言う女性の係員。「直すにはマザーごと換えるしかありません」とやさしく、つれないお告げで完全に打ちのめされ、私の元気は一気に消え去ってしまったのでありました。こんなの、私のパソコン人生で初めてでしたね。あ、いや、かつてきちんとファンを止めないでCPUを焼き切ったことがありましたっけ。それもずいぶん前の話。
「ほ、ほんとうに折れたんですか、それとも曲がっただけとか・・・?」「さあ??」おいおい、曲がっただけなら伸ばせば何とかなるかもしれないのに。慎重に慎重に作業をしていたのに、何と言うことでしょう。結局そのまま、送り返してもらうことにしました。いやいや、「気合い」で直して見せますよ〜〜。
今から15年も前のことです。アップルには、日本NCRが請け負って対面修理を行っているクイックガレージという修理屋さんがところどころにありました(主に都会かな?)。
購入したパソコンを持ち込むと、それはそれは親切に、目の前で分解してすぐに見てくれ、悪い箇所があるとマザーボードであれ何であれ、惜しげもなく交換してくれたのでした。何度も通ううちに、そこのおっちゃんと仲良しになり、いろいろ便宜をはかってもらったことも。
ユーザーから見れば、何と気前のいい腹の太い会社なのだろうかと感心したものでした。おかげで古いマシンも新品同様になったことも。パソコンの黎明期にはそんなこともあったんですねえ。おかげでアップルはどんどん傾いていった・・・?
何の因果か、ごく最近になって初めてウインドウズ・パソコンを分解する羽目になり、そんなことを思い出しておりました。なつかしいなあ・・・・あの古き良き日にもどりたい・・・。