今朝は7時30分から集会所の掃除当番。夕べは夜10時頃家に戻ったので朝起きる自信がなく、沖縄からモーニングコールをしてもらうことに。
それから朝食をとるまもなく、ハルちゃんを世話してもらったお隣さんとそのまたお隣にお土産を持って行き、上がっていけというので結局1時間ほども話し込んで、あっという間に10時頃。
さらに、バラの会のメンバーにお土産を届けてまた1時間ほど。気がついたらまもなくお昼になっていました。
家に帰ると、郵便局の配達員が家の前で不在配達票を書いているところ。妻からバナナやら肉やらが届いたのでした。ちょうど間に合ってよかった。
それから朝昼兼用のお食事。昨日買ってきた「牛タン・カレー」で昼を済ませ、ちょっとくつろいでいたら、急に眠気に襲われて、ちょっとお昼寝と思ったらもう午後3時。午後からちょっと疲れが出て、あれこれぐずぐずしていたらあっという間に夕方。
、昨日買ったホタテ、ムール貝のバター炒めを作り、お隣さんが気遣って持ってきてくれたシチューとあわせてゆっくり夕食。さらにお風呂に入ってテレビを見ていたら、またまた夜9時をまわって、1日の終わり。何ともしまりのない1日になってしまいました。
1日、2日と行った女川支援活動。無事終えて昨夜全員元気で池田に戻ってきました。
結論からいえば、よい天気に恵まれたことも手伝って、目的をすべて完全に達成し、満足度では多分120%の旅行になったのではないかと思えました。
これを可能にしたのは、第1に過去の活動経験の蓄積、第2に、役員の意欲的で周到な準備、第3に、受け入れ先の商工会、観光協会、高野さんをはじめとする現地の方々の好意。第4に、バス運転手による乗客に寄り添った見事な運転。第5に、宿泊地のホテルの快適さ。そして最後に参加者の意欲的な姿勢だったと思います。どれ1つ欠けてもうまくいかなかったことは間違いありません。
この旅行の詳しい報告は参加者の感想を含めて後日作成する予定にしているので、そのうちお知らせできるでしょうから今日は簡単に。
役員が役場前に集まったのはまだ夜も明けない真っ暗な11月1日の午前5時過ぎ。予定通り到着した大型バスにお米やリンゴなどの荷物を積み込み、三々五々集まってきた参加者を乗せて役場前を出発。停車地の2カ所でも遅刻者もなくバスは安曇野インターから高速道路に入り、女川に向けて順調にスタートを切りました。
高速に入ってすぐにバスの中で出発式。まず今回の目的である「見て、知って、買って励まそう女川」の意義をしっかり伝えました。
参加者の半分以上ははじめての女川。目的地に近づいた頃、3.11を記録したDVDで当時の様子をあらためて見直し、私たちのネットワークの活動を記録したDVDでこれまでどんなことをしてきたのかを確認しました。
石巻の市街地はかつての面影は全くなく、海の近くに行っても新しい家が建ったりがれきがきれいに片付けられて、ずいぶん前とは違った印象を受けました。
女川町に着いてまず訪問したのが「きぼうの鐘商店街」。いくつもの商店が仮設店舗に並んで入っている団地です。その片隅で、女川商工会の方から復興の状況を聞き、義援金を渡しました。
そのあとは、あちこちの商店でそれぞれお買い物。わりと時間があったので、もうずいぶんたくさん海産物などを買っている参加者もいました。
女川観光協会から派遣されたガイドさんがバスに添乗して、女川町をまわりながら被災した当時の様子や復興の様子をいろいろと伝えてくれました。自身の体験に裏付けられた彼女の実直な語りが参加者にはとても好評でした。
片付けがすすむ沿岸部には、まだ横倒しのビルが3つ残っていて、そのうちの1つ、元七十七銀行の建物の横にしつらえられた献花台前に行き、全員で黙祷。その後用意したお花を一人ずつ供えて犠牲者の冥福を祈りました。
その後は一旦宿泊地のホテル、エル・ファロに行き、食事。このホテルはトレーラーを利用して作ってあるのですが、実にオシャレでメルヘンチック。中も広く使い買ってのよい作りになっていて、参加者はビックリ。満足度の1つの要因がこのホテルの過ごしやすさにあったのは間違いない。食事もそれほど手を加えたものではなかったけれど満足できるもので、これも好感度アップにつながっていました。「また来たい」と語る女性の参加者が一人、二人ではありませんでしたから。
さて、食事の後は、野球場の3階建て仮設住宅の集会所へ。高野さんが準備してくれた交流会です。
40人、50人がゆったりと入れる広いスペースがあり、そこにはすでに椅子がならべてありました。私たちの待つところへ、自治会長、議会の副議長をはじめとして仮設住宅の住人12,3人が三々五々集まってくれました。
私が司会していたのですが、初めのうちはそれぞれ何が始まるのかという面持ちで重苦しい雰囲気があり、私もどうしたものか思案していたのですが、高野さんがいろいろと間を取り持ってくれ、私たちの気持ちが伝わったのか少しずつ打ち解けた雰囲気になってきました。
「当時のことを夢に見る」と語って涙ぐむ女性や「兄弟や親戚を何人も亡くした。まだ行方もわからない」という自治会長の話にしんみりとしつつも、このように交流してお互いに励まし合うことが大事だという話も出て次第にいろんな話が飛び交うようになりました。果ては「長野で特定健診の受診率が高いのは何故か」などと高野さんが質問する場面もあり、さらに自治会長からは5年後の女川の姿を是非見に来てほしいという希望も出て、終わったのは午後8時半。終わりに参加者から持ってきたお土産(お米、リンゴ、手作りの編み物など)を手渡し、喜んでもらうことができました。
あけて2日目の朝は、朝食後バスで昨日の仮設住宅に行き、参加者全員で手分けして全戸にお米の宅配。留守の家が多く半分ほどしか配れませんでしたので、あとは高野さんに後日届けてもらうことにしました。
下の写真(大きい写真がリンク)は、その仮設住宅前での集合写真。写真を撮ってくれたのは高野さんなのですが、写真にその彼が写っているのは何故でしょう。三脚、タイマーは使っていません。(みんな晴れ晴れとした、いい顔していますね!)
写真のあと、バスの中で高野さんから「3.11のときの女川原発の状況」をくわしく話してもらいました。高野さんの話は何度聞いても具体的でわかりやすく、参加者も真剣に聞き入っていました。
話は前後しますが、この日の朝早く散歩に出かけたり、写真を撮りに出かけた参加者も多くいました。下は参加者から寄せられた写真。
バスで高台に行き、そこから工事の進む女川を一望
し、地震・津波の爪痕に思いを馳せ、どんどん変わっていく町の様子を目に焼き付けました。
その後は、蒲鉾工場、マリンパル女川で買い物。これが、この旅行の大きな目的の1つであっただけに参加者の購買意欲は大きく、「財布がすっからかんになってしまった」という参加者も。別の参加者はたくさん土産を抱えて「帰ったらみんなに配るんだ」と楽しそう。
マリンパルまで来てくれた高野さんに見送られて、バスは帰路につきました。
終わってつくづく実感するのは、計画したときに感じていた内容よりも、はるかに中身の濃い充実した旅行になったこと。何人も、帰ったら周りの人に話したい、今度またいつか来たいねと語っていたことからもそれはうかがえました。みなさん、本当にお疲れ様でした。
そうそう、付け足しみたいになってしまいましたが、東北楽天初の日本一よかったですね。巨人を破ったというのが何より。若い時は別としてほとんど野球に関心を持っていない(ゲームが嫌いなのではない)私のような人間にとっても、なかなかうれしい出来事です。