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  6月29日(土)    
本日ようやく修正案と資料が完成しました。月曜日に松川村での最終チェックが待っていますが、おそらくあっても微調整だろうと思うので、これでおしまい。
2日には委員会会長に提出し、取り扱いについて話し合ったあと、あとは策定委員会での協議に移ります。

今日からお隣の集落で「ホタル祭り」が始まりました。まだ明るいうちから開会式があり、窓をあけて作業をしていたら、すぐ隣で話しているようにすべて聞こえてきました。
祭りの会場は、我が住まいのすぐ目の前。田圃を隔ててすぐ下になります。初日でもあり、人混みが嫌だったので見にはいきませんでしたが、知人の話では「今までで最高のホタルだった。数も凄かった」と話していました。
9時過ぎに家の前に出てみると、用水の上を2,3匹ピカピカと飛んでいましたよ。そのうちの一匹が何を思ったか、我が家の玄関先のレンギョウにとまって光っていました。
今のところはまだ人間に守られ、人口飼育されたホタルです。子どもの頃に裏の小川のほとりで見たように夏になれば無数のホタルが光るというのはもはや幻想なのでしょうか。しかし、沖縄では妻の実家の前に何匹も飛んでいましたから、農薬のない自然な環境ではいくらでも増える可能性があるということでしょう。

沖縄では、国の辺野古埋め立て申請書の縦覧が始まりました。
今日の沖縄タイムスの報道では、この申請書は埋め立ての必要性について「多角的に検討を行い、総合的に判断した結果、移設先は辺野古とすることが唯一の有効な解決策だ」と述べているらしい。辺野古に海兵隊基地をつくる理由としては、(1)中国の軍事力の近代化や活動の活発化(2)海兵隊の司令部、陸上・航空、後方支援の各部隊の一体的運用(3)潜在的紛争地域に近い・近すぎない地理的優位性(4)普天間を極力短期間で移設可能・・・などがあげられているとも。

                   地図は沖縄タイムスによる。

埋め立ての際の大きな問題は、美しい海が破壊されるということはもちろんですが、その土砂をどこからどのように持ってくるのか、どんな土砂なのかです。業者から買えばアセスに引っかからないということらしいのですが、そんな馬鹿な話はないでしょう。
沖縄県は、辺野古ダム周辺の土砂を予定するという申請について、「市の同意がなければ採取できないと理解している」として同意しない方針だし、第一この埋め立てには2310億円かかり、それをすべて日本政府が負担するというのですから、私たちとしても絶対に認めるわけにはいかない。

参院選での自民党の公約を見てみましょう。自民党のホームページから「政策」をクリックすると、まず「日本を取り戻す」という真っ赤な文字がドッカーンと出てきました。誰でしたかね、「戦前の日本を取り戻す」と書いていたのは。
参議院選挙公約を開いてみると「強靭で機動的な防衛力と安全保障体制の構築」の項目にちゃんと「●抑止力の維持を図るとともに、沖縄をはじめとする地元の負担軽減を実現するため、『日米合意』に基づく普天間飛行場の名護市辺野古への移設を推進し、在日米軍再編を着実に進めます。」と書いてありました。
潜在的紛争地域に「近からず遠からず」ですか。結局この政党は、沖縄を捨て石にして「本土決戦」を叫んだ戦前の帝国日本の支配層と何ら変わらないじゃありませんか。「近からず」は東京から。「遠からず」は中国からということでしょうかね。
沖縄の辺野古に立って、海を見てみるといいでしょう。この海を埋め立てることがどんなに無謀なことか。どんなに自然を破壊し、ひいては人間そのものを傷つけることになるのか、自民党の方々は全く理解できない。
沖縄の自民党が「辺野古埋め立て賛成」と言った瞬間に、政治生命が絶たれるくらいになっていることに、自民党の方々は思い至らない。だから高市さまはぬけぬけと説得に出かけるのです。
いっそのこと東京湾をぜ〜〜んぶ埋め立てて、巨大な米軍基地と原発を作ったらいかがでしょうか。そうすれば、国土の面積も増え、電力も安泰だし首都の安全も守られる。沖縄に海兵隊がいたって役に立ちませんから。
私自身は、復帰前のきれいな海を知っているし、復帰の「おかげ」でどれだけ海が汚されたかも知っているし、さらに埋め立てで完全に沖縄が破壊されるのを手ぐすね引いて見ているわけにはいきません。というわけで、我々が沖縄に根拠を移す日も意外と近いのかも。



  6月28日(金)    
ここ数日、町の「社会資本総合整備計画」の修正案および資料の作成にかかりきりになっていました。細かい作業を延々と続けていたので、目がショボショボしています。
午前中は素案の修正案の手直しとレイアウト作業であっという間に時間が過ぎました。午後からは松川村に出かけて、数日前にお願いしてあった資料のチェックをしてもらいました。
その資料というのは、1つは松川村の「すずの音ホール」および他の公共施設の現状についてのレポート、もう1つは「すずの音ホール」建設の経過と教訓についてのレポートです。
教育委員会の公民館担当の職員と総務課の職員二人が、これでもかというくらい丁寧に対応してくれ、おまけにお茶まで出してくれて感激することしきりでした。池田町の役場にでかけた場合に、さて、このくらい真面目に丁寧に対応してくれるのでしょうか。かなり不安を覚えましたよ。
極めつけは、その他の職員の方々の対応。すれ違いざま声をかけてくれる方々はもちろん、窓口でもみなさんにこやかに(!)挨拶をしてくれます。マニュアル通りの挨拶ではなく、身についたものですね。これは。
二人の職員の方は、資料にすべて目を通してくれ、どのように修正したらいいのかについて懇切丁寧に説明してくれて、おかげできっちりとした資料として「策定委員会」に提出することができます。職員の一人がつぶやいた「借金なしでこのホールを作れたのは本当によかった」という一言が耳に残っています。
夕方帰ったあとは、お二人の指摘に基づいて再度資料の手直し。策定委員会に提出するまでは、まだ内容を含めて公表できないので、詳細についてはあらためて紹介することにしましょう。

さて、6月もあと2日。梅雨らしいじめじめした日が続いています。夕刻には猛烈な雨が降り、飼い猫のハルちゃんは雷と間違えて戸棚に避難していました。
夏になると、私は手足が熱くなり夜も困ることがあります。ところが妻は逆でちょっと気温が下がると「寒い、寒い」。私は「暑い、暑い」。平熱の違いなのか、血流の相違なのか、何ともチグハグな夫婦です。



  6月25日(火)    
南アフリカ、マンデラ元大統領が依然として重篤であると報道されています。
1962年から1990年まで27年間にわたって獄中に繋がれ、それでもアパルトヘイトと不屈に戦い続け、その終結をもたらしたあと、黒人・白人の対立を乗り越えて民族の融和政策を先導した功績は不滅のものでしょうし、現大統領が言うように「民主主義の父」としての彼の足跡に学ぶことは極めて大きい意味があると思えます。
しかし、アパルトヘイト下の黒人住民の生活・権利の状態は想像すらできないものだったと思われます。映画「アモク」は、ソウェト蜂起前夜のヨハネスブルグの状況を描きます。無権利状態でダイヤモンド鉱山で働かされる人々、弾圧され死亡した黒人の死体を売りさばく企業、密告社会、黒人を殺すことに何ら痛痒を感じない白人アフリカーナーの軍事組織。映画は、まるでドキュメントを見るかのように悲惨な状況を次々と描き出していきます。

私がこの映画を見たのは、いつごろだったのでしょう。1984年劇場公開ですから、その直後だったと思われます。その後1987年にはリチャード・アッテンボローによる「遠い夜明け」もありましたね。この映画では南アフリカを去る主人公の白人の姿だけが何故か記憶に残っています。
1990年代に入ると、アフリカ民族会議ANCの東京事務所も開設され、アパルトヘイトの完全撤廃にむけ世界的な活動を展開していきます。
マンデラさんの獄中生活については2008年の映画「マンデラの名も無き看守」が描き、大統領になった直後の1994年ラグビーワールドカップでの優勝を描いた「インビクタス/負けざる者たち」(2010年)は民族融和に取り組む姿を余すところなく描いて感動的です。
勢力が逆転した南アフリカで白人が恐怖におののくなか、どのように過去の怒り、恨み、憎しみを乗り越えていったのかがよく示されています。
2007年の映画「ツォツィ」はその後もなお貧困と差別にあえぐスラム街の若者の現実に寄り添いながら、人間性を取り戻していく一人の青年の姿を描いて胸が熱くなります。

わずか30年の歳月にもかかわらず、そしていまなお様々な後遺症を抱えながらも、かつての虐殺、弾圧、人権蹂躙といった目を覆う人週隔離政策を乗り越える力となったものは何なのか。私たちには、この南アフリカの指導者の人格や思想、行動から現在なお学ぶべきことが無限にあると思わされます。



  6月24日(月)    
東京都議選の結果は、ガリレオ福山教授のコトバを借りれば「実におもしろい」。投票率の低さ、民主から自民への票の揺り戻し、共産党を除く政党のオール与党への厳しい批判、選挙制度の問題、民主の候補者擁立の稚拙さ、維新の自業自得失速・・・さまざまな要因が重なって自公両党の安定多数と共産党の躍進、民主の惨敗という結果がもたらされたのでした。様々な要因が重なったとは言え、中でも共産党が民主党を超えて17議席を獲得したことは胸がすくほどの快挙でした。

私自身はこの中で、2人から8人という定数を持つ選挙区があって、国政選挙では少数政党でも都議選では大きなチャンスがある点に注目していました。つまり、小選挙区制がいかに民意をはずれ大政党に有利に働くかを逆に証明してしまったのです。
毎日新聞が書くように、共産党の得票率の伸びは前回よりも1ポイント増えただけですから、民主党が複数立候補をやめ、一人に絞ってたたかえばあるいは第3党の位置にいたのかもしれないことは事実です。
しかし、それもある意味では皮相な見方でしょう。都議選を通して、日本において果たして「政党」と呼べる政治団体が果たしていくつ存在するのだろうかについて考えざるを得ませんでした。
政策面で、選挙の時には野党面しながら、実際には知事提案にすべて賛成する党を「政党」と呼べないだろうという問題もさることながら、住民要求に基づいて日常不断に地域で活動するメンバーによって支えられているのかどうか、そして常に民主的にその団体が運営されているのかどうかという組織面での評価が不可欠だと考えています。
私自身が住み、見聞きした地域=仙台、名古屋、富山、東京、長野で、この日本で政党と呼べるのは「日本共産党」しかないと率直に思います。疑問をお持ちの方は政党の要件をすべてあげて十分に検証してごらんになるといいでしょう。

このことは国内よりも国際的にむしろ理解され始めている。そのことを例証する1つの手記が最近「しんぶん赤旗」紙上で紹介されました。
それは、先に出版された志位委員長の著書「日本共産党とはどんな党か(韓国語版)」を呼んだ韓国映画監督組合共同副代表 鄭胤K(チョンユンチョル)さんの書評です。

この本を読んで、今年でなんと結成91周年を迎える日本共産党は、その恐ろしい(?)名前とは異なり、日本社会の真の良心であり、希望であり、大きな祝福であることを悟ることになった。

彼はこのあと、日本共産党の姿と活動に触れながら、次のように書いています。

しかし、それと同時に希望もある。31万8000人の党員、2万カ所以上の支部、そして党が発行している新聞「しんぶん赤旗」は130万人余りの読者を持っている日本共産党の存在だ。私は彼らが太平洋戦争当時、自国の軍国主義に抵抗した唯一の政党であり、スターリン主義と毛沢東主義のような変質された社会主義にも反対した良心的な歴史を持ち、昨年の総選挙で全国369万票を得て、活発な政治活動を行っていることを知り、新鮮な衝撃を受けた。

もちろん、韓国にも軍事独裁政権とたたかってきた人々が作った進歩的な政党はあるが、不幸にも現在は古い姿を見せながら、分裂と混乱に陥り国民に大きな失望を与えている。そのため、企業や国家からの政党助成金を一銭ももらわず、独自的に運営している日本共産党の姿は、私をはじめ、多くの韓国人たちに「草の根の民主主義」の可能性についての大きな教訓と希望を与えてくれるだろう。真の友達とは最も厳しい時に、手を差し伸べてくれるものであろう。韓国人たちが一番大変だった過去の帝国主義の日本の植民地時代、ひたすら日本共産党だけがこれに反対し朝鮮の解放を主張したという事実は、すでに日本共産党が韓国人たちと一番親しい友達であり、強固な連帯勢力であることを改めて感じさせられた。


私も鄭胤Kさんも共産党ひいきだからそんなことを書くのだろう・・・まあ、私についてはそのようにお考えになっても一向に差し支えありません。理屈だけの問題ではありませんからね。
それでも、日々の暮らしの中で、何か問題であり、どのように解決するのかについて最も徹底的な解明を行い、その方向を示しているのはどこなのか。それぞれの政党の言い分に耳を傾け、まじめに一生懸命に考えれば、自ずと見えてくることもあるのではないでしょうか。



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  6月23日(日)    
都議選投票日。
1945年、沖縄戦での組織的な戦闘が終結したとされる日。ただしこれは牛島中将が自殺して指揮系統が消滅しただけの話。日については諸説ある。
また旧安保にかわって日米安保条約(1960年)が発効した日。

池田町の私の周辺では、ややのんびりした時間が流れています。
バラ祭りが終わった後も訪問者が絶えず、きのうも会場がわからないと電話がありました。結構人が訪れるので、昨夕には一人で花がらを摘んだり周辺の草取りをしたり。祭り終了後も100人を超える人が訪れているのではないでしょうか。今年の訪問者は約1200人にのぼりました。

妻は早朝から東京へ演劇鑑賞に。私は午前中遅くまで寝ていて、昼近くからようやく外に出て庭の手入れです。
6月といえばラベンダー。モンシロチョウ、モンキチョウ、ミツバチ、トンボなどが花に群れていてにぎやかです。
ラズベリーが色づいてきました。野菜ではエンドウはほぼ終わり。それに替わってトマト、キュウリ、その他がいろいろ旬を迎えています。
例のかすみ草(?)らしきひと株が今年もいときわ大きくなり、カーリーヘアーのような姿で盛り上がってきました。ただし、これは臭いがひどいので、多分好かれない花ですね。












昨日は富士山が三保の松原も含めて世界文化遺産に登録されたというニュースで「沸き立って」いました。
登録の正式名称は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」というもので、新聞報道によれば、「日本の国家的な象徴だが、その影響は日本をはるかに超えている」(ユネスコ諮問機関イコモス)と評価されていたとのこと。
私自身は、いろいろな角度から何度も富士を眺めてきて、自然の造形物としてはすばらしいスケールと形を備えていることに感銘を受けてきました。そのたたずまいには誰をも引きつける魅力があります。
ただ、この騒ぎようは何なのでしょう。過去の文化・芸術、それらの海外への影響などが評価の中心点であるのに、あたかも自然遺産として登録されたかのような報道ぶりではありませんか。強い違和感を覚えます。この山を巡って、どれほど文化遺産の継承に努力し、あらたな文化創造につとめ、環境保全に努力してきたのでしょうか?
世界遺産登録を契機に、「富士山ビジネス」などという訳のわからない造語がマスコミを飛び回っている状態では、へそ曲がりの私には「文化」遺産にはほど遠いのではないのではないかと思われてしまいます。
遠くから見れば美しい山も、山麓のゴミ問題がネックとなって自然遺産をあきらめたというのは皮肉でしかありません。自衛隊、米海兵隊の東富士演習場はどうか。これは戦前からですが、日々裾野が傷つけられているのではありませんか。
私にとっては、何だかうら寂しくもあり、もの悲しくもある今日の富士山です。怒って噴火などしないでほしいもの。



  6月22日(土)    
先日、NHKの「ビッグデータ」に関する番組で、英語の堪能な女性キャスターが、クラウド・コンピューティング(略してクラウド)のクラウドとは群衆(crowd)のことだと解説していました。その方にとってはまさに雲をつかむようなITの世界の話ですから、まさか「雲」とは思わなかったのでしょう。
この「クラウド」(cloud)とは、「はてなキーワード」によれば、「データを自分のパソコンや携帯電話ではなく、インターネット上に保存する使い方、サービスのこと」で、コトバの由来は、「コンピュータシステムのイメージ図ではネットワークを雲の図で表すことが多い」ことにあるそうです。
そういえば、コマーシャルでもビルの上に綿雲のようなものが覆ってネットワークの中継をしている図がときどき出てきますもんね。

現在では、とくに企業の情報ネットワークを組む場合に、このクラウド技術は不可欠になってきているといいます。それゆえ、クラウドを専門とする企業が多数現れ、日々技術が革新されてきています。
こんな話は、毎日畑仕事をして泥にまみれている私には、確かに雲の彼方のことですが、ただ、先日の報道でも農業技術でクラウドが使われ始めているというニュースがありました。
家庭でも、高価なパソコンを置いてソフトの更新をどうしようかと悩むよりも、クラウドサービスでアプリなどはすべてクラウド上のものを使い、データもすべてネット上のスペースに保存、持っているのは端末だけとなれば、便利この上ないということになります。実際、マイクロソフトなどはかなり前からオンラインサービスを手がけていて、「無料の Office Web Apps を使うことで、Word、Excel、PowerPoint および OneNote のドキュメントをウェブ ブラウザー上で表示したり編集したりでき」ることになっています。もっとも必要なソフト(windows live)をインストールしていることが前提ですが。

一時はユビキタスというコトバが流行したことがありました。現在でもその考えかた自体は有効だと私は思っていますが、そこへ行くまでの距離はまだまだ。技術の標準化がすすみ、クラウドが当たり前のこととなり、セキュリティについての基盤が整えられ、価格も安価になってくれば、コンピュータも家電並みの「いつでもどこでも」の精神を獲得するのでしょう。
しかし、このうちでセキュリティだけは、極めて困難な問題を抱え続けますから、ネットワーク上のサーバーに多くのデータを蓄積すればするほど、データの管理に問題が生じます。
匠のワザを根こそぎデータ化しビッグデータとして蓄積し、それを誰でも使えるようにするなんてことがはやっていますが、私には人間のワザを人間が時間をかけて伝承し習得していく、手間ひまを惜しまないゆったりとした社会がいいですね。



  6月21日(金)    
このほど10何度目か(?)の北欧視察旅行を終えたばかりの友人が、旅行記を送ってくれました。
「白夜の時間 北欧2013」と題したシリーズとして2,3日おきに送ってくれているもので、これが3回目です。
ゴールデンウイークに友人ご夫妻が我が家に寄ってくれたときに、「もしスウェーデンに行くなら是非森の教会墓地に行き、その詳しいレポートを」と特に依頼していたのですが、今回それに見事に答えてくれたというわけ。 この報告ではそのことは一切触れられてはいませんが・・・。

これにはちょっと注釈がいりますね。森の教会墓地とはどのようなところなのか。なぜ特に依頼したのか・・・など。
まず、この北欧スウェーデンの「森の教会墓地」とは、ストックホルム市郊外に、市の公共施設として作られた広大な敷地を持つ公営墓園のことです。しかし、日本の墓地を想像してはいけませんね。緑ゆたかな森と著名な建築家による建築物、モニュメントなどで構成された空間であり、1994年に世界遺産に登録されているのです。
次になぜ、私がこの施設に注目したかといえば、わが池田町にあるクラフトパークの今後を考える際の参考になると考えたからです。
この構想は、あくまで一案としてですが昨年「池田町町政ビジョン2012」として発表していますから、「ああ、あれか」と思われる方もあるかもしれませんね。
クラフトパークと関連施設を今後どのようにすべきなのかについての考え方は、いずれ別途説明するとして、まず、この旅行記に目を通してみましょう。
(これらの文、写真はご本人の快諾を得て転載しています)

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バスは森の教会墓地(Skogskyrkoggrdenスコーグスシュルコゴーデン)に向かった。
小鳥の声が聞こえる。マロニエの花。そして鹿の親子がゆっくりと歩いている。

   ◆◇◆

この墓地は、スウェーデンが誇る建築家
エリック・グンナール・アスプルンド(ストックホルム市立図書館が有名)が設計した。
1994年、人工の建造物としては世界初の世界遺産に登録された。

わたしは5度目となるが、今回はすこし違った印象がある。
いままでは、アスプルンドの有名な建築物として見ていたけれど、
最後に訪れた2010年秋以降、
2011年に親父を看取り、2012年に義母を看取った。
そして今年の正月には高校時代の親友も他界した。
いのちと人生について身近なものとして考える年頃になったのだ。

重松清『十字架』の最後の下りは、この十字架だ。

 空が、森と丘を包み込むように広がっている。晴れているといい。
見上げれば吸い込まれてしまいそうな青空だったら、うれしい。

 かすかな風が吹く。空が語りかけた。言葉はない。ただ涼やかな風が、
あのひとの背中をいたわるように撫でていく。
 十字架は丘の上で静かに待っている。
 あのひとは黙々と歩きつづける。

   ◆◇◆

「風にゆれて葉っぱが鳴ってる」
いっしょに旅したカミサンがそんなことを言った年があった。
ここには、ヤマナラシ(山鳴し、ポプラの一種)の樹がいっぱいだ。
ひとの時間がとまったとき、ヤマナラシの樹の葉が風にゆれて鳴る。
そしてひとは森に還るのだろう。

『スウェーデンのニッポン人 人がその地に求めたもの』
 ノルディック出版 2012
に、小牧さんが「母と祖母の眠る場所」を寄稿している。
以下は、その本からの、わたしのメモ。

・「ミンネスルンド」は誰でもが火葬後に散骨してもらえる共同墓地。
 どの教会にもある。
・ストックホルムの最初のミンネスルンドは、森の教会墓地に1961年に造られた。

・この国では教会税を払っていれば、葬儀を行う場所に掛かる費用
 (教会使用料、牧師、オルガニスト、お手伝いなど)と埋葬に掛かる費用は一切無料。
・教会税を払っていない人には、費用一切の支払い義務が生じる。
・葬儀に必要な経費は、まず新聞の死亡広告(これが一番高い)、棺、
 骨壺にあたるもの(土に返る材質)、棺の上に飾る花、
 葬儀後近くの場所で行う粗供養の費用
・この粗供養に参加する人は予め、死亡広告に出ている葬儀屋に申し込みする
・総額は約3万クローナ(35万〜40万円)程
・香典はない
・死亡広告に小児ガン基金や心臓基金などに寄付してください
 とは書かれているが、寄付をするかしないかはまったくの自由。

小牧さんは森の教会墓地を案内しながら、
・お墓は「家」ではなく「夫婦単位」で「一代」というものです。
 離婚率は高いけれど再婚や事実婚も多い。
・四十九日や一周忌、三周忌などなどの法事はない
と教えてくれた。

「ベンチに座って亡き人を偲び、そっと会話を交わす」
それだけだそうだ。

   ◆◇◆

長男と長女のカップルで、それも群馬と富山にそれぞれの墓があり、
墓守をだれが行うのかなどなど、けっこうシビアな課題をかかえる
わが国とはだいぶちがうのは明らかだ。

でも、火葬場の門にある老人と若いカップルと子どもの扉などを見ると、
共通の「いのちのリレー」を感じる。
市庁舎「黄金の間」の、人生のいろいろな場面を描いた壁画をみても、
そんなことを思った。

時間がとまったとき、
ひとは森に還る。
そして、生きてるかぎりは「いのちをリレー」する。

ふと、記憶がよみがえった。
最後の入院となった親父を見舞って帰省したとき(2010年秋)、
お土産に持っていったチョコレート。
「うまいなあ」
を繰り返していた、ご機嫌な親父の声が聞こえてきた。

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いかがでしょうか。

これに添えられていた写真のうち、何枚かを紹介します。



















  6月19日(水)    
雨が降り止まないのを好機として、お昼近くから妻と二人で山形村のiCityまで映画「ひまわり」を観にでかけました。
「ひまわり」は前にも紹介したことがありましたね。沖縄での宮森小学校米軍機墜落事故を題材とした映画です。
沖縄戦終結からまだ火の浅い当時の沖縄の人々の生活、傍若無人に飛び回る米軍機、町を我が物顔に闊歩する米兵達。映画ではそれらがていねいに描かれています。おそらく現在の沖縄の子どもたちでも想像することさえできないような状況があったはずです。
そんななかでのびのびと遊び回る小学生。それらを演ずる子ども達の好演がこの映画ではすばらしい。それだけに米軍ジェット機の小学校への墜落というあってはならない悲劇への怒りとして呼び起こされるのです。
過去を忘れたい、忘れ去りたいができない、その苦しい思いで年を重ねてきた悲劇の体験者。戦争も知らず、米軍の存在が当たり前のこととして生活の一部となっていた若者達。歴史を学ぶことを通して沖縄の基地とは何か、何故に米軍が存在するのか、平和とは何かに迫っていきます。その中で年齢を超えて人々の心が1つになっていく。
心揺さぶられるドラマです。何しろ小さいハンカチでは間に合わないかもしれません。この日本の置かれている実相を知り、これからの社会を考える意味で、とりわけ若い世代の人たちに観てほしい映画です。

話は変わりますが、自民党高市早苗政調会長といえば、5月12日に村山談話について「侵略という文言を入れているのは私自身しっくりきていない。自存自衛のために決然と立って戦うというのが当時の解釈だった」とのべたお方。さらにその日のNHK番組で「靖国参拝をここでやめたら終わりだ。国策に殉じて命を捧げた方をいかにおまつりするか、慰霊するかは内政の問題だ」とのべたことで知られています。
批判を受けると14日には、「内閣が村山談話を引き継ぐと決めたので、それに反する発言は慎みたい。齟齬のないようにしていく」といいつつ、一方では「政治家としての主張はもう20年近くになる」などと発言する始末です。そして、その直後の15日、沖縄を訪問し自民党県連と懇談した際に、県連が独自公約で「県外移設」を掲げる方針を示していることについて撤回を要請、県連から拒否されるという顛末も。
あげくの果てが、今回の原発をめぐる発言。今日19日には例のごとく「撤回しお詫び申し上げる」と謝ったようですね。
今日の信濃毎日新聞には、維新の石原代表が橋下代表の「従軍慰安婦」問題での発言について、「大迷惑」と批判したと報道されました。これに対して当の橋本さん、「間違ったと思っていない」と開き直ったといいます。
もっとも今日になって、都議選で「支持を受けられなかったら共同代表を継続するわけにはいかない」として選挙結果次第で代表辞任することも表明していますから、都民のみなさん、橋下さんがグーの音も出ないほど大量の「ノー」を突きつけましょう。

さて、こうした一連の発言をめぐって、ウェブ紙オルタナ編集長の森摂さんが「橋下市長も猪瀬知事も米倉会長もコンプライアンス感覚が欠如」というコラムを書いています。
これらの方々にの仲間には、高市さんや石原さんも加わるのでしょう。森さんは次のように書いています。

橋下市長に欠けていた「コンプライアンス感覚」とは、「こう言えば、相手はこう反応するだろう」を読む能力です。

確かに、一般的にいえばそうなのでしょう。しかし、それは何もこの人達だけに特徴的なことではありません。
では、なにゆえにこの人達が突出したコンプライアンス感覚の持ち主なのか。それは、生活・思考の基盤がもともと99%の庶民にはなく、大企業と国家権力にあって、しかも極端に国家主義・権力主義の思考に縛られた方々だからだと私は思います。
「対話能力」とは、単なるディベートの技術ではありません。「英語の動詞 comply の原義は、『相手と対話し、相手のニーズを汲み上げ、理解すること。慮(おもんぱか)ること』です」と森さんが言うように、対等の立場での共感能力、想像力がなければならないのです。
一言でいえば、民主主義を血肉としているかどうか、です。果たして現在は、民主主義の何たるかを理解できない人たちが政治の実権をにぎり、日々妄言、暴言を好き放題にまき散らしているというわけです。
そして、映画作家想田和弘さんが書くごとくついに「民主主義やめませんか」という改憲草案を臆面もなく出してくる。自民改憲草案って、ホントにホンキなんですかね。私には悪いジョーダンとしか思えませんけど・・・。



  6月18日(火)    
キーボードばかりたたいているためか、今日妻に「畑にいるよ」とメモしようとして、「畑」という字を書いた瞬間異様な感覚にとらわれてしまった。火と田を離しすぎたからかもしれません。
「間違った字を書いてしまったのではないか、なぜ『はたけ』が火なのだ」という考えが頭の中で一瞬だけど「ぐるぐる」回ったのです。
考えてみれば、畑の原始的形態は焼き畑ですから、火とはしっかり結びついているのに。(ちなみに、焼き畑でないのが白い田、つまり『畠』ということらしい)。字を書かないとこんなことになるんですね。(いやいや相当にボケてきたのかも・・・)

さて、琉球新報→ネオニコチノイド(金沢大学)→住友化学・モンサントと検索してサイト巡りをしていたら、最後にアニメ「地球少女アルジュナ」にたどりついた。はあ・・・、こんなアニメがあったのですね。初めて知りました。
ダイジェスト版がYouTubeでアップされているので、しばらく眺めていることにしましょう。時夫と樹奈と老人(福岡正信さん?)とのやり取りが何ともいえません。




金沢大の山田敏郎教授らのチームが、ネオニコチノイド系農薬によってミツバチの群れが消える「蜂群崩壊症候群(CCD)」に似た現象が起こるとの実験結果をまとめたとの報道がありました。
EUは今年の5月に、ネオニコチノイド系農薬3種(クロチアニジン、イミダクロプリド、チアメトキサム)の使用を12月1日から禁止することを決めたのでしたね。
これに対して住友化学は、「米国などEU以外の地域では使用制限されておらず、行き過ぎた予防的措置だ」とする反論を発表したらしい。モンサント大好きY会長の会社らしいコメントです(今年の2月23日の記事参照)。
というわけで、次の動画も見ておきましょう。先に紹介したアニメを使った(?)ものらしいですよ。
こんなことしていいんですかねえ。いいわけないけど、趣旨はわかるので、一応紹介。





  6月17日(月)    
スノーデン氏がアメリカ政府機関NSAによる不法な情報収集について内部告発したことは数日前に書きましたが、彼が公表した資料によれば、英国情報機関もまた2009年のG20の会議で秘密活動を行っていたらしい。ガーディアン紙がこのことを大きく報じて、世界中を震撼させています。
実態をガーディアン紙から読み取ろうとしてはいるのですが、何しろ英文についていけない。Chromeブラウザを使うと、勝手に日本語にしてくれるのですが、読むに堪えない訳の分からない「翻訳」をするので、ますます始末に負えません。
しばらくジタバタした結果、少しずつ見えてきたことがあります。米英の諜報活動は、最新のテクノロジーを駆使して行われ、あらゆる分野、あらゆる団体と人々に及んでいることです。要するに完全な監視社会が形成されているということです。
ガーディアンは社命をかけてこの問題を追跡しているようで、次々と具体的な証拠文書などを公開、ジャーナリズムのお手本を示しているようです。
国内でも今日報道されているように、2009年のサミットでは、ネットカフェのコンピュータに監視ソフトを仕込んで代表団に使わせるとか、スマホの盗聴を行うとかという、情報収集ではありきたりのものですが、問題はそれが首相の了解のもとで行われ、閣僚にも報告されていたという点。政府ぐるみの組織的犯罪であるという点です。
文書ではその情報収集の手法を"ground-breaking intelligence capabilities(画期的情報収集機能)"と呼んでいるようで、次のような狙いがあると書かれているといいます。

@電子メールを傍受するプログラムとキーロギング(注:コンピュータのキー入力操作をハードウェアまたはソフトウェアを用いて記録すること)ソフトを外国の代表団が使用するインターネットカフェに仕込むこと。
A電子メールメッセージや電話をモニターするため代表団のBlackBerryスマートフォンのセキュリティに侵入すること。
Bサミットで誰が誰に電話したかについてリアルタイムで概要をまとめる45人のアナリストをそろえること。
Cトルコの財務大臣と彼が属する政党の約15人のメンバーをターゲットとすること。
Dロシアbのメドベージェフからモスクワへ衛星回線を通して送られる電話を盗聴しているNSAから報告を受け取ること。


まあ、ざっとこんなものです。何ともすさまじい。アメリカ政府と情報機関がスノーデン氏を国家反逆者として血眼で探し回っているのも無理からぬことです。
今日のニュースでは、この問題を問われた政府の菅官房長官は「コメントしない」の一点張り。
日本でも、2007年に自衛隊が市民の情報を収集する監視活動を行っていたことが報道されたことがありましたが、自衛隊による諜報活動は相当なレベルにあると見なければならないでしょう。他国のことと傍観者然としてはいられないのです。



  6月16日(日)    
バラ祭り最終日の今日、天気予報通り朝から青空が広がりいいお天気です。すっかり夏山という風情の北アルプスが濃緑色の山肌を見せて眼前に迫って見えます。バラと北アルプス、眼下の田園風景という我がバラ園の「ウリ」がすべ勢揃いするだろう今日。一日が楽しみです。

東京では参議院選挙の前哨戦とも目される都議選の火ぶたが切って落とされています。自民党のアベノミックスの厚化粧は、わずかな期間にはげ落ちて支持率もどんどん落ち始めました。また、世界中から総スカンを食いアメリカにも行けなかった橋下・石原維新の会も化けの皮がすっかりはがれて醜悪な本性がまるごと露呈。
共産党井上さとしさんのメルマガにはつぎのように書かれていました。

安倍首相が成長戦略第3弾を発表した日にも株価は大幅下落。甘利経済・財政担当大臣は、記者会見で「日本は15年間の病で臥せっていたのが驚くようなスピードで立ち上がったので、立ちくらみもある」とのべました。「たいしたことない」といいたかったのでしょうが、ある意味で的を射ています。

病も治らず、体力も回復していないままに、「金融緩和」という栄養ドリンクを飲ませて無理やり立ち上がらせたのがアベノミクス。さらに消費税増税を実施すれば「立ちくらみ」どころか、重症になってしまいます。


15年間の病の原因は何でしたっけ。その病にカンフル剤を注入した結果、日本経済が驚くようなスピードで国際的な投機資金の餌食にされて、勤労国民の方は所得も増えず、出る方はうなぎ登り。中小企業は資金繰りに行き詰まり、大企業と高額所得者を除いては「立ちくらみ」どころか立ち上がる気力さえ奪われている・・・日本の現状だと私は思うんですがねえ。
そのことを最も象徴的に示しているのが首都東京と辺地の農漁村。そして大震災・原発の被災地です。まあ、政府自民党、霞ヶ関の官僚のみなさんは、そんなことはどうでもよく、成長戦略の名の下、原発を輸出し、法人税をうんと下げて、大型公共事業に大金をつぎ込み、消費税を上げて税収を上げればいいのでしょう。
えっ? Shut up!・・?どうせ私などは「知性のかけらもない左翼のクソども」の一員ですから・・・ ハイハイ。ではバラ園に行ってきます。

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バラ祭り無事終了。
祭り終了の午後4時には10数人が集結して手際よく後片付けを行い、ほんの少し反省会をして解散しました。
朝から晴れ間が広がって、蒸し暑い一日に。午前中は150人、午後からも200人近くがひっきりなしに訪れて園内は終日賑やかでした。祭りの前から訪れてくれた人たちを合わせると、この10日間くらいで1100人が来てくれたことになります。
今年は祭りの日程がバラが満開の時期にピッタリ合ったことが何よりでした。また、蕾の時期にうまく消毒の呼吸が合って、アブラムシなどの害虫が一切つかなかったこと、枯れた株の後に新苗がちょうど間に合ったことなどの好条件がそろって、上出来のバラ祭りに仕上がりました。
大勢の人たちが訪れてくれた要因としては、祭り一週間前にローカル紙がそろって報道してくれたこと、祭り前日、初日にも大きく報道してくれたこと、池田町観光協会の物心両面の協力、蕎麦店、ハーブセンター、コンビニなど町内のお店が場所の問い合わせに快く答えてくれたために不便な場所にもかかわらず訪問者を誘導できたことなどがあげられます。
しかし、いくら場所を探しても分からなかったという人も何人かいたようで、今後これは改善しなければなりません。
園内はまだすこぶる小さく、「さあ奥へどうぞ」と案内すると、もうそこは出口というバラ園の規模も何とかしなければならないのですが、それにはスタッフと財力がどうしても必要。来年度にむけていっそうの協力者を募る努力が求められます。
ただ、知名度が上がれば不便な里山にあるバラ園への車の誘導が1つの困難になることは明らか。また知られれば知られるほど、規模の小ささが観光のネックになることも明らかですから、知ってもらう努力も痛し痒しです。
ですから、当面は背伸びせず、じっくり構えて体力をつけることを重視していくべきでしょう。つまり、有志が力もお金も出し合って楽しく運営し、たまに訪れる人に喜んでもらおうというバラ園の創設の趣旨を外さないようにすることが大事ですね。無理にイベントを組んだり、儲けに走ったり、過度に観光を押し出したりしないこと。一人一人の創意とやる気を大事にして、それぞれが仕事を分担して小さくても美しいバラ園を維持することをめざすことでしょう。
その意味では、池田町にちょうど合ったコンパクトで美しい花園を作り出すことに「今のところ」成功したといえるのではないでしょうか。町民のみなさん、協力いただいたお店の方々、地主のみなさん、観光協会のみなさん、そして会員とそのご家族の皆さんに心からお礼申し上げます。

写真は、上から「今日のバラ園」「今年植えた新苗の”ベルサイユのバラ”」「バラ(元)むすめ?」









  6月15日(土)    
バラ祭り2日目。午後から本格的な雨になったために、お客はやや少なめ。それでも午前午後を通して150人ほどが足を運んでくれました。
今朝大糸タイムスが一面で大きく報道してくれたこともあって、今日の午前中、大町方面から訪れる人がたくさんいました。また、月曜日には信濃毎日新聞のタウン情報紙も報道してくれて、こちらは松本方面からの問い合わせもかなりあり、中信地域全体からバラの愛好者が訪れてくれたのは、本当にうれしいことでした。













  6月14日(金)    
バラ祭り第1日目。幸い雨にならなかったものの、ものすごく蒸し暑い一日となった今日、悪条件にもかかわらず大勢の方々がバラ園を訪れてくれました。
午前10時頃には、3丁目の「いきいきサロン」の方々約30名ががマイクロ3台で来てくれたこともあって、園内は人で一杯に。午前中だけで150人くらい、午後も合わせると250名くらいが訪問してくれました。
昨年は初日が100人くらいでしたから実に2倍半。しかも、新聞報道のおかげで前日までに数百名が来てくれて、認知度がうんと上がったことを示していました。

会員は朝9時に集合、昨日用意しておいたテントに飲み物や販売物を並べたり、園内の手入れをしたりと大忙しでした。大勢の会員が集まってくれて終日販売や接待、駐車場の整理、来客との対話などに大活躍でした。
今年は会員の一人が花を生ける自作陶芸作品を展示販売してくれたり、花や野菜苗を安く販売したりしてバラ園の運営資金を多少とも稼ぐことができました。初日で数千円の売り上げですから、あと土日を入れればかなりの額になるのではないかと期待できます。その意味でも来年につなぐ貴重な経験を積むことができそう。
バラも咲き始めから間もないこともあって、花につやと勢いがあって実に美しい。惚れ惚れするような色合いのバラが多く、育ててきてよかったと思えます。まだ小さいバラ園ですが、心意気だけはどんなバラ園にも負けません。
夕方には高齢者施設のお年寄りが職員といっしょに訪れてくれました。高齢者にとってはこうした花園が実にいい気晴らしになるのですね。昨日までにもあちこちの施設からからたくさんの方々が訪問してくださいました。



















  6月11日(火)    
アメリカ、イギリスの主要紙は、このところ連日、エドワード・スノーデン氏(CIAの元テクニカル・アシスタント)が、アメリカ政府機関による秘密監視プログラムを暴露した問題でもちきり。
米国家安全保障局(NSA)が極秘のインターネット監視プログラム「PRISM」を用いて世界中の企業のサーバーにアクセスし必要な情報を得ていたことを、まだ若い(29歳)スノーデン氏がイギリスの新聞ガーディアンとアメリカの新聞ワシントン・ポストにリークしたのです。
直接サーバーにアクセスしていたとされるグーグルやアップル、フェイスブックなどは、データ収集に関与していたことは事実ではないと否定しているようですが、大方の市民は信じてはいない様子です。
実際、「政府はインターネット上で米国の市民の個人的なデータを監視する必要があるか?」という問いについてYes, Noを聞くワシントンポストの調査では、「必要ない」が83%と圧倒的。
ウエブ上では、情報をリークしたスノーデン氏を英雄扱いする人々が大勢いる一方で、機密情報を漏らした危険人物と見る人々もいて議論沸騰の状態です。

ガーディアンに載ったスノーデン氏へのインタビューを読むと、彼がなまじ半端な気持ちでデータを暴露したわけではないことがわかります。香港は比較的自由で安全だとしながらも、自ら名前を明かし、すべてを投げ打ってアメリカ政府の極秘監視活動の実態を告発し、その是非を世に問うたのです。
次はガーディアンの記事の一節。

He has had "a very comfortable life" that included a salary of roughly $200,000, a girlfriend with whom he shared a home in Hawaii, a stable career, and a family he loves. "I'm willing to sacrifice all of that because I can't in good conscience allow the US government to destroy privacy, internet freedom and basic liberties for people around the world with this massive surveillance machine they're secretly building."

およそ20万ドルの給料、ハワイでのガールフレンドとの共同生活、安定したキャリア、愛する家族といった「快適な生活」を彼は送っていた。
(その彼が次のように語った) 「極秘裏に構築した巨大な監視マシンで、アメリカ政府が世界中の人々のプライバシーやインターネットの自由、基本的人権を破壊するのを、私は自らの良心にかけて許すわけにはいかない」


香港でのインタビューで、彼は自分の体験から次のようにも語っていました。

NSAは、ほとんどすべてを傍受することができるインフラを築いてきた。この機能を使えば、人間のコミュニケーションのターゲットを絞り込むことなく大半が自動的に取得されるのです。もしあなたの電子メールとか、あなたの妻の携帯電話を知りたい場合、傍受という手段を使うだけ。私はあなたの電子メール、パスワード、電話記録、クレジットカードをすべて手に入れることが出来る。

何をされているのか誰も気がつきさえしない。恐ろしいばかりの能力です。私たちはマシンにバグを植えつけることができる。一旦ネットワークに入ってしまえば、そのマシンを識別できるし、どんな防御策をとろうが、もう全く安全とはいえなくなるんですよ。


かつて人気を博したテレビドラマに「24」というのがありましたね。あれは、どちらかというと政府のテロ対策室のメンバー達が、テロを仕掛ける「巨悪」に立ち向かっていくというストーリーでした。全く権力者側から見た何でもありの情報戦を示してくれる意味では面白いのですが、なんとまあよく似ていること。24で描かれたと全く同じ様相で、いままさにCIA、NSAといったアメリカ政府機関がテロ対策という名目で諜報活動を行っているという実態が内部告発されたわけですからね。
これからの展開は、果たして事実はどうなのか、告発者の身の安全を守ることができるのかどうかに移っていくのでしょう。ノー天気な日本のメディア、監視社会自発的容認という日本の実態を尻目に、アメリカ、イギリスのマスメディアは相当に力を入れて権力の監視者としての役割を果たそうとしているように私には見えてしまいます。



  6月10日(月)    
第2回バラ祭りが近づいて、準備に忙しい毎日です。バラは今が満開。水やりや花がら摘みをしていると新聞を見たという町内外の人たちが毎日たくさん来てくれて、話にも花が咲きます。
遠くは塩尻、白馬あたりからも車で寄ってくれ、バラの好きな人たちがどれほど多いのかを教えてくれます。
今日は近くの宅老所のお年寄りが職員に付き添われてバラを見学に。歩くことができないので、遠くから眺めるだけですが、それでも気分が晴れると喜んでいました。
先週の木曜日に各社が取材してくれ、すぐに紙上でとりあげてくれたおかげで昨年より速いペースで見学の人が訪れてくれています。
14日からのバラ祭りは、台風接近でお天気が心配です。雨さえ落ちてくれなければいいのですが。











  6月7日(金)    
気圧配置の影響で天気が不安定になって昨日から断続的に雨。バラ園にとっても、畑にとっても本当に恵みの雨です。おかげで今日は畑で用意してあった畝にマルチをしてサツマイモを植えることができました。
残るはモロヘイヤとマクワウリを植えれば今年の植え付けはほぼ終わりです。

昨日はバラ園の作業日。約10人が集まって、一週間後から3日間のバラ祭りに向けて園内の整備に汗を流しました。
各新聞社にも連絡してあったので4社が次々に取材にやってきて、今日は早速信濃毎日がとりあげてくれました。役場にもさっそく問い合わせがあったよう(信濃毎日には問い合わせ先が書いてない!)ですから、月曜日には看板などもたてて案内を始めないといけません。
先日の5日には千曲に住むT夫妻(バラのオーナーでもある)が我が家に立ち寄ってくれ、いっしょにバラ園に出かけました。オーナーのバラは惨めな姿になってしまい全く申し訳なく、そのうちしっかりしたバラに交換しなければと思っています。それまで我慢してくださいね。
以下はバラ園に関する資料です。

1.バラ祭り案内(会報号外 PDF)
2.バラ祭り案内(会報号外 JPG)
3.バラ園地案内図
4.作業風景写真
5.現在のバラ園の様子






ところで、先日の「池田町社会資本総合整備計画」についての策定委員会の模様を各社が報じています。以下、市民タイムス(5日)、大糸タイムス(6日)です。
上の写真中央で黒い背広を着て何かしゃべっているらしいのが私です。







  6月5日(水)    
友人が一冊の本をプレゼントしてくれました。月刊「たくさんのふしぎ」320号「森はみんなの保育園」という雑誌です。
ヨーロッパの教育、老人・障害者介護、福祉などの紹介をし、狛江探鳥会会員でもある深井聡男(あきお)さん(文)、北欧に魅せられ何度も北欧を訪れて絵や文で紹介している深井せつ子さん(絵)の作によるもので、ふんわりとした絵とやさしい文が印象的に綴られ、デンマークで今ではひろくおこなわれるようになった「森の保育園」の様子が手に取るようにわかるようになっています。
デンマークは、標高のもっとも高いところでも170メートルの平べったい土地であるため、海からの強い風を防ぐためにあちこちに植林をして森を広げたのだといいます。そこはかつての貴族や教会の狩りの場としてシカやウサギを放ち、現在ではそれらが「シカの園」として保護されています。
その近くにつくられた保育園に通う子どもたちはそこから毎日リュックをしょって森に通い、一日を森で過ごすのです。
この本では、海賊役の男性保育士ともう一人の女性保育士に引率された14人の子どもたちが、森の中で思い思いに遊んだり、工作したり、歌を歌ったり、キノコをとったり、動物の死骸を発見してどうするかを相談したりする様子が描かれます。
帰りにはいろんな戦利品をもちかえります。ただし、生きたものは持って帰れないというルールがある。めずらしい昆虫も、見つけた人のものではなく、明日来る人も出会えるようにしておかなければならないからだというのです。
次の男性保育士の話は印象的です。

初めのうち子どもたちは森に行くのをいやがる。とくに雨の日や雪の日は行きたくないという。でも、1週間も通うと、森の楽しさに夢中になってしまう。森は毎日ちがう姿を見せてくれる・・・・。

森の中で1年過ごしたら、生きるとはどういうことか、子どもにもわかる。体も、1年の気温の変化、気候の変化を自然におぼえる。森を自分の手でさわり、体全体を使って感じれば、部屋のなかでことばで教えられるより何倍も早く、何倍も深く理解できる。小さいころから森で自然にふれながら暮らすことは、とても大切なことだ。


デンマークでも実際には「森の保育園」は保育園全体から見ればまだほんの少数。しかし、その理念と実践は近隣の諸国に影響を与え、国もその有効性を認め、野外での保育を奨励していると書かれています。
たとえば、ドイツでは、1960年代末に親たちが「森の保育園」を作り、1993年に法律で認められ、いまは約400。2002年には、「森の保育園」に通った子どもたちは、いろいろな点で優れているという研究結果が発表されて、健康で社会性のある子どもにしたいと願う親たちの関心を集めているというように。
作者は次のように書いています。

デンマークには、他人の森であっても、自由に出入りしていいというきまりが昔からあります。自然の恵みは、みんなのものという考え方です。人々は、何百年もまえから、森に入っては、鳥や花を探したり、パーティーを開いたり、野イチゴをとったり、キノコ狩りを楽しんだりしていました。デンマーク人ならだれでも、森がどんなにいいところか、よく知っています。

さて、ひるがえってこの国の保育の現状はどうでしょうか。都会での待機児童数の問題や、戸外での子どもの怪我や事故を心配しなければいけない環境、文化状況どれをとっても憂慮すべきことが多すぎます。
いも掘りにいく子どもたちが採りやすくするために、わざわざ前もって掘り起こしてまた埋めておくという「ていねいさ」。

日本の山林には森といえるところがどれほどあるのでしょうか。山々が急峻であるとはいえ、かつては深い山奥まで手入れをして守ってきたのです。しかし安い輸入木材に国産が駆逐され、結果として山林の手入れが行き届かなくなって荒れ放題になっているのが日本の現状。山々に囲まれた池田町でも、子どもたちを連れて行く場所さえありません。事故が怖い、クマが怖い、ついでに人間が怖いという状態。
森は、子どもたちだけではなく、すべての人間にとって必要なところです。保育について書かれたことを通していろんなことを学べる本だと思われました。



  6月4日(火)    
午前中、町の「第5回策定委員会」に委員として出席しました。今年初めからの長い経過を経て、ようやく本格的な議論が始まったわけで、すべてはこれからです。
会長人事で、先に商工会が元教育委員長の井口氏を会長に、策定委員会前会長の矢崎氏を副会長に推薦。それで決まりかと思われたときに、私が懇談会の中村氏を推薦したために、にわかに緊張した局面になりました。みなさんびっくりしたでしょうね。
投票の結果は15;5の大差で破れはしましたが、これは私たちの決意を示したもので、前回までの委員会とは全く異なる役割を持って集まっているのだという意識を明確にさせる上で大事なことだったろうと思います。

今日は、第1回目ということもあり、それほど質疑、討論ができたわけではありません。
ただ、今日示された修正素案を見る限り、まだ相当に大きな問題を残しており、議論を深める必要があると思われました。
とりあえず、今日の感想として二つばかり指摘しておきたい。

まず第1は、役場の修正素案はそれなりに町民の声に答えようとする努力の結果は見られるものの、町民の意識との乖離は依然として大きいという点。
おそらくこのまま説明会をやれば、昨年度の素案と同じような反応が見られるのではないかと思われます。つまり、こんなに公共施設があるのにどうしてさらに大きな建物をつくる必要があるのかという声です。そして、買い物の場といってもいつどのように実現するのかという点。さらに、子孫の代まで借金を残すのかという財政上の問題。こうした疑問が当然わきあがる。これに説得力を持って答えられるのか。策定委員会はこうした疑問の声にていねいに答えられるだけの深い議論を重ねる必要があります。

第2は、既存の施設についてしっかり検証をする必要があるということ。
今日の議論でも、現場の見学の必要性が語られました。しかし同時に、役場が用意した資料だけではなく、委員が自分たちで問題を探り、調べ、考える手続きなしでは有効な議論になり得ないでしょう。
池田町は過去のハコモノの傷をずっと引きずっている。その根本的な検証なしに役場主導であたらしい容れ物をつくったところで、おそらく数年もすれば同じ結果になりうる。この点では町民自身もその傷に触れたくなくてハコモノを忌避しているだけでは何も解決しないでしょう。なぜこうなったのか、どうすれば魂を入れられるのか、本当に私たちは交流センターを望んでいるのか?そうした根本的な検証がどうしてもいるのです。
それなしで、たとえば松川村の「すずの音ホール」を見学してどんな教訓を引き出すのでしょうか。絶対に、何も!。これは間違いありません。
そして、せいぜい私たち策定委員は、このようなハコモノのの原案を作ったメンバーとして記録されることになる。

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暑い日が続いて、またまた畑は水不足。乾燥しているためにイモの苗も植えられません。時間があれば、畑にでて草取りや苗の管理をしているのですが、今年はなかなか厳しい。
イチゴは毎日たくさん採れて、おかげでたっぷり楽しんでいます。しかし、実は小さい。
遠く北アルプスの例の傾いた「ダルマ」の雪形が、いよいよ目も大きくくっきりとして存在感を増しています。心なしか胴体まで現れてきましたよ。









  6月1日(土)    
畑では水やりと梅雨の雨が効いたのか、いちごがいっせいに赤くなってきて、昨日まとめ採りすることができました。これから一週間がピークです。


今朝庭先をみると、主のいない家に白い小さな花が満開。きれいです。
また庭先には見慣れないチョウがサニーレタスにとまっていました。名前がわかりません。寺島さん、教えて。




ここにきて、何だか月日の経つのが早くなってきました。やらなければいけないことが山のように押し寄せてきて、ちょっと整理が必要です。
まず、4日に「第2期第1回策定委員会」が開かれるので、そのための準備。考え方をまとめておく必要があります。次は今月14〜16日に行う「バラ祭り」の準備。最後は畑仕事。
幸い腰の痛みも多少よくなり、咳もでなくなったので、あとは精力的にやっていくのみ。

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昨日は梅雨明けと見紛うすばらしい快晴。というより、初夏も初夏、連休中のさわやかな風を感じるようなお天気でした。
しかし、私の気持ちはいささかブルー。午前中は松本の歯科に取れた詰め物の修理にでかけたまではよかったのですが、松本でちょっと時間があり、入った喫茶店でのできごとが気分を壊したのでした。

誰もいない店に入って「コーヒー」と頼んだところ、 ちょっと間をおいて店員が「お飲み物はどうされますか?」と聞く。変なことを聞くなと思いながら、もう一度「コーヒー、コーヒーだけ」と言うと、「ホットコーヒーですね」と念を押すので「そう」と答えて席に着きました。
何気なくメニューを見ると「モーニング」というのが書いてある。さては、私の注文をモーニングと間違えたのか?と思いつつ、どうしたものかと思案しつつ、ちょっと意地悪い気持ちが頭をもたげてしまった。間違えたのなら、間違えたものを持って来させてやろう、という。いやな性格ですね。言っておきますが、その店に入るまではわたしゃ「モーニング」なるメニューがあるなんて知らなかったのですよ。
ややあって、案の定トーストがまず出てきた。すかさず「注文していません」。すると「モーニングじゃなかったですか」。「いや、注文したのはコーヒーだけです」。変な顔をして取り下げた店員さん。飲んだコーヒーもまずく、私はその店を早々に立ち去ったのでした。
考えてみると「思い込み」というのは恐ろしい。その店員さんには「コーヒー」が「モーニング」に聞こえ(常識的にはあり得ないことだが)、私もまた「お飲み物は?」と聞かれたときに「どういう意味だ?」と聞き返せばよかったのですが、その人が別のメニューを頭に描いているなどということはつい考えもせず、間違いが増幅されてしまった。
おそらく店をやっていると、それに類するオーダーミスはいろいろ発生するのではないでしょうか。頼んでいないものが出てくる。頼んだものが出てこない、間違えて出てくる。別の人のものが出てくる・・・などという。防ぐカギは「復唱してメモする」これに限ります。ファミレスなどではしっかりやっていますからね。






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