bottom

azumino.jpg


  7月30日(火)    
ゼロ・トレランス(不寛容)というコトバをご存じだろうか。これは今から20年前にアメリカで始まった教育方針の1つで、当時学級崩壊、犯罪の多発に手を焼いた学校現場、政府が編み出したもの。
「校内での行動に関する詳細な罰則を定めておき、これに違反した場合は速やかに例外なく罰を与えることで生徒自身の持つ責任を自覚させ、改善が見られない場合はオルタナティブスクール(問題児を集める教育施設)への転校や退学処分を科す」(Wikipedeia)、すなわち逸脱行為には厳罰で臨み、生徒を有無を言わさず従わせるという教育方針です。「1994年にアメリカ連邦議会が各州に同方式の法案化を義務付け1997年にビル・クリントンが全米に導入を呼びかけ一気に広まった」(同)のだそうです。

なぜこのようなことを書いたかというと、先日の「しんぶん赤旗」の「子ども教育相談」のコーナーに、愛知県の小学校でこれに関連する事態が広がっていると書かれていたからです。
保護者からの相談は「教師たちが○○しろ!と怒鳴り散らしている。担任がすごく厳しいと子どもが言う、学校で何が起こっているのでしょうか」というものでした。
これに対して回答者は、学校現場で広がっている現状について驚くべき事実を指摘していたのです。

第1次安倍内閣のとき、教育現場に「ゼロ・トレランス」という方針が持ち込まれ、生徒指導の1つの柱になっています。「規範意識の醸成」や「毅然とした対応」という言葉で子どもたちに懲戒や出席停止という厳罰主義で臨むというものです。
問題を抱えた生徒に対し、問答無用でだまらせる、決められたやり方に沿って行動させることが現場で横行しています。


教職員の管理体制強化は折に触れて聞いたり調べたりしたことがありましたが、教育方針としてこんなことが起こっていたなんて全く知りませんでした。
これは言い換えれると「軍隊方式」ということですよね。上官の命令は絶対であり、それに背くことは許されない。規律を破ることは、学校という組織を乱し破壊することにつながるのだから、ささいなことでも見逃すわけにはいかない、というように。

いろいろ調べてみると、日本では2000年代の初頭からすでに文科省で導入にむけて研究が始められていることもわかりました。
もっとも、アメリカでこのゼロ・トレランスが導入されるには、割れ窓理論などというそれらしい理屈がつけられていたようです。ところが日本では、第1次安倍内閣による「教育基本法」改悪のま柱の1つである「規範意識」の植え付けと呼応する形で容易に取り入れられたと思われます。
一方の教育現場でも「いじめ、暴力、不登校」などで「荒れる」学校の対策として受け入れられる素地は準備されていたと見ることができます。
しかも、この方式は上意下達体制ですから、学校での管理体制の強化と極めて親和力がある。
さらにもうひとつ、この考え方自体もとをただせば製造業での品質管理からきたもの。PDCAサイクルだって全く同じです。そこでは、生徒は良品・不良品の区別をつけられ管理されるる商品なのであって、人格の全面的な発達を保障させる対象としての人間ではありません。

ところが、実際にこの方針を正面から掲げて実践している高校があるのですね。そのホームページの「ゼロトレランス方式の生徒指導」には、次のような記述がありました。

学芸館では、責任教育の一環として、権利と義務、自由と責任を真に理解するために、独自のゼロトレランス方式を生徒指導に導入しています。生徒と保護者の意見を参考に作り上げたもので、生徒自らが自らを律するものです。たとえば校則を細分化し、違反した生徒には段階的に指導を行ない、自覚を促します。また、定期的に全生徒が高校生活全般 を自己評価し、努力した生徒を表彰しています。生徒は、快適で楽しく充実した生活を送るために、果たさなければならない「義務」と「責任」を理解し、目覚ましい成果を挙げています。

なるほど、どんな方法にも表向き「成功」例はあるものです。
ところで、この学校の教育目標が「清明、正直、誠実を中心とする日本人精神を継承し、健康な身体と健全な精神を備え、世界に通用する知性と教養を持った人材の育成を目指します」であり、学園の信条6箇条として「礼儀を身につけ、感謝と協力を実践する学園」「郷土を愛し、愛国の心を大切にする学園」を掲げているのですから、私学の方針としては何となくわかるような気がします。安倍さん大喜びの学園ですね。

「ある私学でこの方式で成功しているから」などと、この方針を合理化できないことは言うまでもありません。目の前の事象の複雑さ、困難さを教職員集団の努力で解決するのではなく、「ゼロ・トレランス」などという横文字で解決しようなどというのは本末転倒というだけではなく、全く教育の条理に反するものではないのでしょうか。



  7月29日(月)    
昼前から一人の女の子とデートしてきました。帰省したから会いたいというので、お昼を食べながらおしゃべりをしてきたってわけです。中学2年生くらいから高校3年まで塾で数学を教えていたんですが、目を離すとイラストを描いている。かつてはやんちゃなところがあったけれど、20歳ともなればそれも影を潜めてすっかり大人っぽくなっていました。それでも写真を撮れば「おじいちゃんと孫」です(写真は大町駅前で)。こんな私に声をかけてくれるんですから、うれしいじゃありませんか。


現在、彼女は新潟の専門学校でコミック・イラストを勉強していて、2年を終えて学校から奨められて今年は研究生をしているということ。
学校のサイトに、ちょうど1年半ほど前に行われた学校紹介用の学生インタビューがアップされ、それに彼女の姿がありました。それなりに試行錯誤を続けながら自分の画を作り出すために格闘しているのだろうなと思いながら、話を聞いていました。
この座談会で彼女は「一枚に世界観と物語をすべて詰め込みたい」と語っていますが、私が願うことを1年生のときにすでに自分の口で語っているので見込みがありますね。さらに「世界観」と腕を磨いてくれることを期待し見守っていることにしましょう。
次は今日届いた彼女からの暑中見舞い。暖かくやさしい気持ちが伝わってきますね。(私信ですが、作品の紹介のつもりで公開しました。彼女も許してくれるでしょう。ね!)



**********************************

アメリカの大手バイオ化学企業の1つモンサント社のGM種子(遺伝子組み換え種子)を使用する農家は、世界中どこでも次のようなライセンス契約を結ばされる。昨日紹介した堤未果さんの「(株)貧困大国アメリカ」にその内容が紹介されていました。

・自分の農家で採れた種子を翌年使用することは禁止。
・毎年種子はモンサント社から購入。
・農薬は必ずモンサント社から買う。
・毎年ライセンス料をモンサント社に支払う。
・何かトラブルが起きた際はその内容を他社に漏洩しない。
・契約後3年は、モンサント社の私設警察による農場立ち入りを許可する。


一旦契約してしまえば、永久にモンサントの僕(しもべ)になるということです。どんなに借金をしようが抜けることはできない。他に選択肢はないからです。
グローバルに企業進出を奨めている食品・バイオ企業は世界中どこでも同じような契約を結ばせている。このことは、ほとんどのアメリカ人も日本人も知らない(私も知らなかった!)。

アメリカがイラクから撤退して、あとはイラク人自身によって国の再建と経済の再生を促すことが国際社会の希望であり、当然そのようにイラクはすすみはじめている・・・世界の多くの人々はそう思ってきたはずです。ところが実態はそうではなかった!
次は堤さんのレポートです。(途中省略したところがあります)

今から10年前の2004年4月、バクダッド陥落後のイラクで、ポール・ブレマー指揮官率いるCPA(連合国暫定当局)が作成した100本の法律が施行された。
・・・ブレマーは手始めに、国内法で強固に守られていたイラクの経済と産業を解体した。国営企業200社はあっさりと民営化され、外資系企業に100%の株式所有と40年の営業権が与えられた。
そのなかでイラクの食の運命を大きく変えたのが<命令81号>だった。


「命令81号」とは「イラクの農業を今後近代化させていく」という美名のもとに、イラクにアメリカ製GM種子と、農薬、農機具を提供し、「食料安全保障におけるイラクの自立を支援する」というものです。「強い農業を」というスローガン、どこかで聞いたことがありますね。
しかし実態は、何百年にわたってイラクの農家が開発してきた小麦や大豆、ナツメヤシなどの在来種と畑をことごとく駆逐し、それらをGM作物の大規模な農場に置き換えるというもの。そこで生産される作物は決してイラク国民の口に入ることはない。結局イラクの農地は多国籍アグリビジネスの国外生産地に変えられてしまったのです。
一旦このシステムに組み込まれれば、どんなに借金が増えようが永久に抜け出すことができない。麻薬づけにされた患者のようなものです。

インドでもモンサント社は綿のGM種子(Bt綿=遺伝子操作で細菌由来の殺虫性毒素を組み込み蛾の幼虫を寄せ付けない。在来種の4倍の価格)を使って、イラクと同様なことをやっています。
害虫を寄せ付けないというのは最初の数年の話で、耐性をつけた病害虫によって農薬使用料もうなぎ登り。折からの綿花価格の暴落が引き金になって、モンサント社との契約と借金地獄から抜けるに抜けられなくなった農民は首をくくるしかない。2000年の半ばから2011年までに自殺者は何と27万人にも達しているのです。

これらは、TPP交渉の結果として日本にもたらされる近未来図ではないのか。日本郵政とアフラックの保険提携も、米保険大手の本格進出の重大な一歩、TPPの露払いでしょう。目の前の安さ、便利さ、メディアの垂れ流す甘い言葉に決して目を奪われてはならないのです。



  7月28日(日)    
湿度が極めて高いので、畑に出て作業していると汗びっしょり。何枚シャツを替えてもどうにも止まらないというほどです。
昨日はどうしたわけか午後になってもだるさ、脱力感が抜けず、午後ずっと寝ていました。どうやら熱が身体に籠もって機能低下を起こしたらしい。風邪で発熱しているという感じではないので、ゆっくり休んだら夕方には快復しました。
妻は「熱射病じゃないの?」と疑っていましたが、次の日に発病する熱射病なんて聞いたことがないし、別に気分が悪いわけではない。先日の検診結果でも「中性脂肪が多い」という以外はとくに問題はなかったから、今のところは大丈夫のようです。

沖縄の義兄からのメールによれば、現地では雨がなくてサトウキビも枯れ枯れの状態だという。地割れが出来て足がはまり込むほどだとも書いていました。
こちらでは雨が降ればめちゃくちゃな降り方をするのに、降らないとなれば長期にわたってその状態が続く。気候変動はいろいろな現れ方をしてきますから、とりわけ天候に左右されやすい作物には大きな影響が生じます。

先日、TPP交渉に出発する100名の日本代表に団長が「あなた方は超エリートだから、全力を尽くしてほしい」という趣旨の挨拶をしていたのがNHKのニュースで放映されていました。
膨大な資料を英語で読み解き、どこに交渉の余地があるのかを判断するという仕事をするのでしょうから、それだけの能力がないと出来ないことは事実でしょう。その意味では選りすぐりの「超エリート」集団であることは間違いない。
問題はその能力の使い方。昨日も東大・京大・ハーバード・イエールなどの大学生の知力競争の番組がありましたけれど、確かに桁外れの知力の持ち主は大勢いる。おそらくそうした彼らがいずれ研究者になるか、官僚になるか、またはヘッジファンドを扱う投資会社などに入ってその能力を使うのかどうか。
TPP交渉に出かける「超エリート集団」にとって、これからの日本農業や医療などの行く末に思いを巡らし、どんな甚大な壊滅的影響を及ぼすかなど考える余地はありません。
沖縄でどれだけの被害が出ようが、どのように気候変動が生じようが、その能力とは関係がない。
彼らの能力の使い方によってTPPが加速され、アメリカの戦略にまんまとはまり込んでいくのだとしたら、一体それは「知力」と呼べるんでしょうかね。私にはわかりません。

堤未果さんの「(株)貧困大国アメリカ」(岩波新書)を読むと、TPPでアメリカが(というより多国籍企業が)何を日本に求めているのかがよくわかります。
アメリカ・レポート第3作目となるこの本の最初の章では、ごく少数の食品企業が、在来の小規模畜産農家、小売り商店を駆逐し、結局農薬と抗生剤漬けの食肉を生産していること、飼育用穀物もほとんど遺伝子組み換え作物となり、その生産物を流通大手が安く売りさばいて莫大な利益をあげていること、政界・財界が癒着して批判勢力をも踏みつぶしていることなどが赤裸々にレポートされています。消費者にはその実態がほとんど知らされていない、その結果が肥満・アレルギー、耐性菌による感染症の拡大など深刻な健康被害。一方で、オーガニック農業も拡大してきているものの、多国籍食品企業がその基準の緩和に手を伸ばし骨抜きにしていることも告発されています。
遺伝子組み換え技術で作り出されたGMサーモンの話を読むと、いよいよ映画「バイオハザード」の世界に近づいているという恐怖心にとらわれてしまいます。
結局TPPとは、現在アメリカで進行中のそうした実態を、日本にも拡大しようという企みに他ならない。
堤未果さんの詳細な現地レポートは「知力」の使い方の優れた一例だと私は思います。



  7月27日(土)    
海の向こうがロイヤル・ベイビーなら、こっちはカントリー・ベイビーズ。
我が家の玄関先、ど真ん中にツバメが巣をつくって、ようやく雛がちょっと大きくなったところです。朝早くからビービーとうるさい。
普通ツバメはもっと早くに巣作りをするのに、我が家のツバメは7月に入ってから。「遅咲きの恋」ではないかとうわさをしていたところ無事雛が生まれ、おかげで玄関先はフンだらけ。
写真に納めようと、踏み台を持ち出してしばらくカメラを構えながら観察していたら、いろいろ面白いことがわかりましたよ。

第1、雛は順繰りにローテーション体制をとりえさを均等に食べている。なぜそうなるかが第2。
第2、雛は室内(巣の中ってこと)では粗相をしない。後ろを向いて(つまりお尻を巣の外に向けて)ブリッとやる。このブリッのとき、現在の位置で後ろを向くことはできるのだが、もとの位置にもどろうとしてもすでに隣にぎゅーぎゅー詰めで雛がいるので、方向を変えられない。勢い別の場所をとらなければならないため、自動的にローテーションが起こる、というわけ。
玄関を開けると、すぐ目の前がフンの山なので、つい踏んづけてしまう。クソッ!
第3、親鳥はでっかく口を開けている雛の口の中にドバーッと頭を突っ込んで、エサを押し込む。口を開けていないとこれができないから雛は極限まで首を伸ばし口を開けることになる。そうしないとエサを突っ込んでもらえない。
第4、よって雛は自分の口より大きなトンボでも平気で丸呑みすることができる。おかげで毎日元気にブリブリ。巣の中はブリッ子だらけ。

3羽だと思っていたら、いつのまにか4羽になっていた。目の前が田圃だから、トンボやその他の虫たちが無尽蔵にいます。子育てには絶好の環境です。それにしても親鳥の何とけなげなこと。一日中、えさを運び続け、ひたすら雛鳥の成長を待ちます。
ツバメが巣をつくるのは、人間が生活している建物の、できるだけ人間に近いところ(玄関、軒先)と決まっています。人間がいなければ生きていけないように遺伝子に組み込まれてしまったのですかね。不思議な生態です。
軒先を借りているのなら掃除ぐらいしろってんだ。








社民党の福島さんが党首辞任、「党首を辞任するが、社民党の中で、今まで以上に党再生に渾身(こんしん)の力を込めて取り組んでいきたい」との談話がメディアに。後任には又一幹事長が有力との報道もありました。
この報道で思い出すのは、私がまだ40代はじめだった頃、富山県労協の大会である問題を議論したときの模様です。当時、県労協は社会党一党支持。選挙ともなれば組合ぐるみで社会党を応援していたのでした。
教員組合などの少数組合は、労働組合が特定政党を支持することは許されないとして、大会でも論陣を張りその不当性を追求していたのです。
そのとき又いっつっぁんは何と答えたか。「労働組合が広く国民から支持を得ている社会党を支持すると決めることはあってよいし、それでこそ労働組合の利益も守られる」とね。
社会党がその後安保政策で右へずるずると引きずり込まれ、一部は民主党に一部は他の野党に流れ、ついに解党して社民党にならざるを得なくても、又いっつっぁんは持ちこたえた。自分で前に言っていたコトバにどれほど矛盾が生じようが、自治労がどれほど空洞化していようが、いまなお労働組合に社民支持をおしつけて、ようやく1議席を確保したのだから、その覚悟の程には敬意を表しましょう。
大会で激しくぶつかり合い議論していても、終われば「おい、2次会だ」と子分や反対はも引き連れていく親分肌はいまも健在なのでしょうかね。
市役所の職員であった妻も「あのときはカッコよかった」と今も言うんですよ。それくらいいい男だった。私も認めますよ。
それから30年。年月は流れ又いっつっぁんも堺正章似のおじいちゃん(あれは私と同じで富山顔です!)になってしまい、それでも党首として「党再生」に取り組まなければならない皮肉を、当時を思い出しつつジワ〜〜っと感じています。
社民党がどのように「党再生」に取り組むのか?今のままならまずできっこないというのが私の結論。労働組合の組織率が10%台になり、労働組合という言葉自体が死語になりそうなときに、一党支持の締め付けができるわけがないし、それしか生き残る道がないと信じているところに最大の誤りがある。誤りは負の連鎖を生み出し、今に繋がっているのです。
もし社民党に党再生のチャンスがあるとすれば、数少ない党員と支持者がまず労働組合への一党支持の押しつけを精算し、職場の中で誠実にたたかいつづけること。さらに、個人加盟の地域労組、産業別労組を組織することに重点をおき、今日の不法・無法の労働形態や雇用状況を少しでも改善するように全力を傾けることしかありません。既存の組織にあぐらをかいてちゃ誰も信頼してくれません。
また、原発、憲法などを言うのなら、コトバだけではなく地域の隅々で住民とともに闘いを組織すること。そうやって信頼を深め、支持をひろげ、社民党の存在意義を示すことです。
何々?リベラルの再結集?地方政治では自民党といっしょに悪政を推進してきている現実をどう説明するの?社民党の現在の姿は、みんな、維新、その他の野党の1つの典型だと私は思いますね。野党再編に乗っかっていくくらいならもう解散したら?
「党再生」「リベラルの再結集のカナメ」・・・?又いっつぁん、できるかな??最後の党首になるのだけは見たくないなあ。



  7月24日(水)    
今日は夕方から松本市のザーハーモニーホールで開かれるイル・デーブのコンサートに出かけます。
イギリスのIL DIVOやAmici Foreverのように歌よし、カッコよしのオペラ・ユニットじゃなく、それどころか太メン(ソバじゃあるまいに)をウリにしているので目を閉じて聴くことにしましょう。
予習したところでは、ポップスの要素が乏しく、いかにも「オペラ歌手」という感じです。それはそれでまあいいかな。ともかく聞いてみようと妻と出かけることにしました。だいたいイギリスのユニットを想像するのが間違いなのです。
ちなみに、チケットは完売。全席自由なので早めに行って席をとらないといけません。

ベートーベンのピアノソナタ第8番「悲愴」を聞きながら、このアレンジを検索していたら、第2楽章だけですけど結構あるんですね。だいたい第2楽章はぜんぜん悲愴じゃなくて「のだめ」で千秋様が「青空のもとで風にそよぐ草原」をイメージしたくらいに大らかで気持ちのいいメロディです。
平原綾香&藤澤ノリマサ の「Sailig my life」はその代表格。しかし、私としては中学の卒業式でよく歌われるという合唱曲「心の中にときめいて」が断然いい。私の子どもの頃の卒業式といったら「仰げば尊し」と「蛍の光」しかありませんでしたから、いまの子ども達は幸せです。
今頃ベートーベンがなぜ心にしみるのだろう、とつれづれなるままに考えていたら、原点はやはり青春時代にあるのですね。
「心の中にときめいて」という曲は、間奏には確かに「悲愴」のテーマが使われていますが、合唱の部分は「悲愴」のテーマと「Soleado(ソレアード)」を足して2で割ったような感じなのです。ソレアードが悲愴に重なり、悲愴がソレアードと重なるというように。
Wikipediaによれば、ソレアードのオリジナルは「14世紀後半にイタリアで活躍した作曲家アントニオ・ザカーラ・ダ・テーラモにより作曲された」といいます。ベートーベンは18世紀後半の生まれですから、ひょっとしたらこの曲を知っていたのかも、というのが私の説。

「なぜ心にしみるのか」に行く前に、もう少し「ソレアード」の話をしますと、ヨーロッパではまず1974年にイタリアのポップ・グループ、「ダニエル・センタクルツ・アンサンブル(Daniel Sentacruz Ensemble)」の演奏で世界的なヒットとなります。その直後から、これをもとにした多くの歌詞、演奏が競うように発表されていきます。最も有名なのが「When A Child Is Born」の歌詞でアメリカの歌手ジョニー・R・マチスがクリスマスソングにしました。どうもこれ以来海外では宗教的な色彩を帯びてしまってよろしくない。ただ歌を省いたニニ・ロッソのトランペットはなかなか捨てがたいかな。
日本では、実は2種類の系統があって、1つはどちらかというとジョニー・マチスの影響を受けたかまたはシャンソンっぽくなった「クミコ」とか「浜崎むつみ」「弘田三枝子」とかの何とも個人的な心情を吐露する系統。クミコさんの方はまだ好きな人が多いのかもね。
もうひとつはオリジナルにより近い曲。芳賀詔八郎作詞の「哀しみのソレアード」(音楽センター)はその代表で、青春を情感たっぷりに歌い上げた曲です。切ない思いを振り捨てて歩み出す若者の姿が若い私に重なったのでしょうね。倉本裕基のピアノ(Time for love所収)もこちらの系統です。
私の好みはもちろん後者で、これは私の青春のいわばテーマソングともいえる曲なのです。苦しいときにずいぶんと励まされてきた曲の1つですから、いわば身にしみついたメロディーと歌詞になってしまっているんです。
「なぜ心にしみるのか」と問い直して見ると、要するにそういうことです。実は、この曲に思い出を持っているがいらっしゃることを知り感激しました。というわけで、今日はこの歌詞を紹介しておくことにしましょう。曲はもう入手することも聞くことも出来ないので、せっかくですから聴くことができるようにしましょうね。(ただしInternet Explorerだけしか聴けないかも。ダメならこちらへ)

"哀しみのソレアード

1.さよならの そのことば 人の世に つきまとう あなたとの 別れのあと 思い出す あの頃を
2.うなづく 君の瞳 うららかな 昼さがり まどろみの 夢のかなた
季節は 過ぎてゆく
3.そぼ降る 雨の中 幾度も 思いつめた 悲しみを 胸に秘め
さすらいの 旅立ちを
4.青春の 思い出に 別れを告げる今 ただ雨に 打たれながら
振り向く ふたりの日々
5.さよなら 優しい人 さよなら 二人の影 今ぼくは 振り捨てて
旅立つ 夜明けの街


いやいや、つい懐かしくてつまらないことを書いてしまいました。
いまは、イル・デブじゃなかったイル・デーヴに専念です。

***********************************

コンサートから今帰ったところ。直接生で聴く歌声は「すごい」の一言。それぞれがソリストとして通用するのに、それが4人そろっているのですから、恐ろしい音量になります。もちろんハモっているので不快感はありませんが、癒やされるというより少々疲れた。
会場の約8割(いやもっと?)は女性。イル・デーヴの何人かは松本で行われるサイトウキネンフェスティバルに出演しているので、それを知っている人たちも大勢いた模様。私たちのような様子見と違って熱狂的なファンがたくさんいて、しかも相当に耳も肥えていると感じられました。その熱気に圧倒されっぱなし。
実力は世界的だし、アンサンブルも最高。予想通りというか、男声4重唱という感じで、そのつもりで聴くぶんにはまさしく至福のひとときになったでしょう。となりのおばさんたち、総立ちでしたものね。
しかし、イル・デーヴと銘打ったからには、もう少しエンタテイメントを考えた舞台がほしかった。また、どうしても声を張り上げてしまうので、曲の中でも、曲ごとにでも強弱、発声の変化などがほしいと思われました。初代Amici ForeverもIl Divoもそういうところは計算し尽くしていて、歌声は当然のこととして、あらゆる意味で楽しませてくれましたもんね。これは欲張りか。
それにしても実力最高の4人組、これからが大いに楽しみです。



  7月23日(火)    
オスプレイ追加配備分12機が輸送船に積まれて、岩国基地に向かっているところ。参議院選挙前になると不都合だから、直接沖縄に行かず、しかも31日ごろ到着するように計画されたのだとか。
沖縄タイムスは参議院選挙前日の20日に社説「[オスプレイ]「追加配備」なぜ語らぬ」を掲げ、「選挙に影響を与えないようにしてくれ」と米側に頼んだという日本政府に怒りをあらわにしていました。「追加配備という沖縄へのさらなる『過重負担』は、全国的には全く関心を呼んでいない」と絶望にも近い不満もついでに。
あ、そうだ。今から畑へ草取りに行くんだった。

**************************

ふ〜〜暑かった。
ところで、さっきのつづきです。
そりゃまあ、本土からうんと離れた孤島沖縄のことですもんね。誰が心配するでしょうか。何しろ、「仮想敵国」ににらみをきかせるには最適の場所だし、攻撃されたって本土には関係がないしぃ。アメリカはさっさとグアムにでも逃げればいいのですからね。
でもね、考えてみると変ですよ。北朝鮮なり中国なりが日本を攻めようと思うなら、まず沖縄?そりゃないでしょう。何の得にもならない。多少領土が増えるかもしれないけれど。
中国、北朝鮮の脅威に備えるべきだという方々は、まずその見当違いからただすべきです。そして自らが戦う意思をきっちり固めてもらいたい。高齢の方は、息子・娘、孫、ひ孫などすべてお国のために戦力として差し出しなさいっ!畏れ多くも天皇をいただく我が国の良き伝統を守ろうという者が、自衛隊に守ってもらおうなどと他力本願に陥ってはならないのですぞ。

東京在住のMNEMOさんが「東京に原発を」の会をたちあげ、その代表代行に就任されたという「ニュース」に接し、衷心よりお慶び申し上げます。さすが、MEN IN BLACKの一員(じゃなかったっけ?)、 批判的精神旺盛かつ博識・慧眼のMNEMOさん、ただただ脱帽・敬服するのみです。このミュージシャン、タダモノではありません。
その顰みにならって不肖私も「東京にオスプレイを」の会を立ち上げたく仲間を募りたい。自身は代表というガラではないので、せめて事務局を担当し、こちらに安曇野支部を設置しようと構想を練っているところです。もちろん、「東京に原発を」安曇野支部も設置いたしましたので、ご報告申し上げます。
何故、東京にオスプレイか?オスプレイは米海兵隊・空軍の輸送機ですから、当然のことながら東京での大災害に即応できるわけで、「ともだち」作戦から「恋人」作戦へと機能強化が果たせることは言うまでもありません。
これも当然のことながら、首都東京は日本の心臓部。従って外敵から盤石の守りで固める必要があります。よって、ステルス機、ジェット戦闘機は言うに及ばず、ミサイル防衛でも完璧な防衛体制を整えなければなりません。その際、輸送が敏速に出来るかどうかは作戦の命運を握っているわけで、オスプレイが必須とされる所以です。
沖縄辺野古から飛んでくるんじゃ遅すぎ。武装兵士や武器を運ばなければならないときにみんな死んでしまいます。しかも、重要なことは汝臣民たちよ、皇居を守らなければなりません。元首たる天皇陛下を守ることは日本を守ることです。そうですね、石破さん。あべぴょん?
え?それじゃ東京を標的にしてくれと言っているようなものだって?いやいや、その覚悟がなくて日本を守れますか。日本の「僻地」につくられた原発を攻撃され、エネルギーを失ったらどうするのですか?
だから、我が「東京にオスプレイを」の会は、「東京に原発を」の会と堅く連携を取り、首都東京のエネルギーを守るのです。東京の原発を誰が守ってくれるのですか?日米同盟ですよ。バイオハザードのあのオスプレイの勇姿が目に浮かびませんか。だから沖縄なんかにオスプレイを配備するなんて愚の骨頂。

炎天下で草取りをしていたら、考えることが大変まともになってきたように感じました。



  7月22日(月)    
20日に紹介したメールの送り主は、冊子の感想として自らの北欧視察旅行での体験を振り返りつつ、次のように書いていました。

デンマークは、2時間でナチス・ドイツに占領されている。
でも、その日のうちにレジスタンスが組織され、
552紙2300万部の地下新聞が印刷され、市民に配布された。
そして、1943年9月〜11月にかけ、300隻の漁船で、
8000人のデンマークのユダヤ人と家族を中立国スウェーデンに脱出させた。
戦争が終わって帰国した彼らには、脱出時の財産が守られていたそうだ。


このいきさつは、エミー・E・ワーナーの「A Conspiracy of Decency The Rescue Of The Danish Jews During World War U(邦訳「ユダヤ人を救え」:水声社)」に詳しい。
この国の憲法を変え、国防軍をつくり、日本をアメリカの不沈空母にしたい方々には、デンマークの人々の行為はわからないだろうなあ。占領され、その日のうちにレジスタンスが組織されるには、それだけの不屈の抵抗精神がなければならないわけで、武器をもって立ち上がることが唯一の選択肢ではないのです。

参議院選挙が終わって、予想通りの自民「圧勝」という結果。これを受けて夕刻からのNHK政党討論会では石破さんが「集団的自衛権」について講釈を行っていました。そりゃ自分から「戦争大好きです」なんて、誰も言わない。そんなことあたりまえでしょ。しかし、自民党の改憲草案と「集団的自衛権」を組み合わせれば、「集団」の盟主がアメリカであることは既定の事実ですから、アメリカの求める「戦争政策」に自動的に組み込まれ、戦争へと引きずり込まれることは火を見るよりも明らかではありませんか。第1、そのために戦後一貫してそのための有事法制化の「努力」をしてきたのでしょうし。

さて、この選挙、投票率52.61%。ざっくり有権者の半分が棄権したことになります。投票した方々の各政党への投票行為を見てみれば、自民党「圧勝」の実態は一目瞭然。
比例代表での各政党の得票率を見ると、自民党は約35%に過ぎません。つまり全有権者の約2割(52.61×0.35=18.41)の支持しかない自民党が議席の過半数(54%)をとったというのがこの参議院議員選挙なのです。なんだか世の中の人がすべて自民党に投票したような錯覚にとらわれそうな選挙結果(いやマスメディアのはしゃぎぶり)ですが、実はまるで違うのですね。
投票しなかった人だって自民党の支持者はいるだろう、という反論も成り立ちますが、私は「投票しない=支持を表明しない」と見ていますから、あしからず。
我が支持する共産党は、と見ると、得票率通りの議席数だとすれば8議席ではなく12議席となります。反共シフトをはね返してよく善戦健闘したと思います。
参議院はまだ大都市で2〜5人区があったからまだましですが、かなりの部分が1人区であったことが得票率と議席数の乖離広げていることはあきらかですね。

選挙結果の最大の特徴は「ねじれが解消できた」ことだと自民党も公明党もおっしゃいます。この選挙制度の矛盾に頬被りしたままです。
実はそうではないのですね。この選挙結果によって、逆に大きな大きな「ねじれ」が生まれてしまった。
参議院では原発推進勢力が過半数。しかし国民の過半数は原発ゼロ。消費税も、憲法問題もぜ〜〜んぶ「ねじれ」まくっているのです。この事実こそが、今回の参議院選挙最大の特徴だと私は思うのです。



  7月20日(土)    
朝3時に目が覚めて、それからしばらくメールチェックをしていたら、「東京新聞が1面トップで、ジブリ冊子のネット公開を報道しているよ」と教えてくれている友人のメールが目にとまった。
東京新聞の「『改憲 もってのほか』 宮崎駿監督 いま声を大に」という該当記事をみて、さらにジブリのホームページから冊子をダウンロードして全文読んでいたら朝5時。トイレに起きた妻が不思議そうに「まだ寝ないの?」と言ってまた寝てしまった。
朝5時に届いた「しんぶん赤旗」のコラムにもジブリの冊子「熱風」に載せられた宮崎駿さんのいくつかの言葉が紹介されていました。

この冊子には巻頭に宮崎駿さんの「憲法を変えるなどもってのほか」が収録され、プロデューサーの鈴木敏夫さん、児童文学者で「となりのトトロ」の作詞家で知られる中川李枝子さん、ジブリの映画監督高畑勲さんがそれぞれの思いをこめて記した憲法問題について発言が載せられています。言わずもがなですが、日本国憲法第9条への熱い思いが、自らの体験と結びつけて語られています。
「ダウンロードは無料、配信期間は8月20日18時までです」ということですから、ぜひみなさんも呼んでみてくださいね。そしていろいろな方に紹介してください。
というわけで、もう一度しっかり寝ます。おやすみなさい。

***************************

強烈な真夏日になっています。なにしろ西日がハンパではない。最近、北アルプスが結構はっきり見えます。もちろん夏山の装い。例年ならぼんやり霞んでほとんど見えないのにです。
友人からもらった望遠鏡を取り出して、燕岳山頂の燕山荘をさがしていたら、よく見えました。ときどき屋根が光を反射してキラキラするのは見ていたのですが、どこにあるのか定かではなかったので、ようやくハッキリしました。
50倍で見ると人影も見えそう。ただ、あまり真剣に覗いていると「何見てんだ?」と言われそうなので、今日はそれだけでおしまい。沖縄に持って行って基地の調査にでも使いますか。

河野洋平さんの言葉を借りれば「純化」された自民党が、選挙で過半数をとれば改憲の動きを加速させることは明々白々ですから、参議院選挙の大きな争点は憲法改正を許すのかどうかです。
「このように戦争は準備される」、これはいつも私が書いていることですね。
普段着で、普通のコトバで、何気なく、です。そして、それを国民の「多数」が支持し煽りさえする。・・・とすれば、次の戦争はすでに始まっていると言ってもいいかもしれない。
安倍首相が公示後の15日、長崎国際テレビで「われわれは9条を改正し、その(自衛隊の)存在と役割を明記していく。これがむしろ正しい姿だろう」と言い切りましたね。産経新聞などは「ついに封印を解く」などと報道していました。
続いて軍事オタクの石破さんが例の三白眼で「『国防軍』命令に従わなければ軍法会議で『死刑』」とおっしゃった。鳥肌が立った人は多かったのではないでしょうか。この時以来、俄然Twitterでの憲法発言が急増したとあるニュースが伝えていました。

「週刊BS−TBS報道部」自民党石破幹事長発言(YouTube)

石破さんの発言をよく聞けば、彼は「国防軍に反対し戦争に反対すれば死刑だ」などと言っているのではないのは明らかです。自衛隊が国防軍になった暁には、軍事法廷が必要だしその罰則として極刑が必要だと言っているわけです。
軍隊を持つ国ならば、ごくあたりまえのことをおっしゃっているのです。だが、問題はこの国のことですから、どうやら彼の頭の中では、何年後か先の日本が描かれ、その想定のもとに「こうあるべきである」と言いたかったのだと思われます。その時点ですでに彼は軍隊を動かす指揮官としての自らを妄想している。
さて、ここで考えてみましょう。安倍さんの発言、石破さんの発言は、自民党の改憲草案を前提としていることは明らかでしょう。
自民党の改憲草案とお二人の言葉を並べれば、その帰結はただ1つ、「日本を戦争の出来る国にする」ということです。もちろんこれには「アメリカの指示のもとに」という注釈が必要ですが。
「日本が丸腰でいいのですか、さあ攻めてくださいという国にするのですか??中国や北朝鮮の動きを見れば、日本がそれに軍事的に対応できるようにすべきことは明らかではないのですか」というのがこれを支持する方々の意見です。すでにネットでいくつか書き込まれていました。これも「一理」あるように見えます。
しかし、考えてみましょう。誰がどのようにせめてくるのでしょうか。仮に攻めてくるとして海を渡って大群が押し寄せるのですか。あるいはミサイルが雨あられと飛んでくるのですか。中国はそんなことができないのは明らかです。たとえ尖閣をめぐって局地戦争となったとしても、中国にとっては経済的に自殺行為に近い。北朝鮮でも似たような事情があります。
仮にミサイルが雨あられと飛んできたときにどうやって防ぐのでしょうね。「再稼働」した原発を狙われたら、どこに逃げたらいいのでしょうか。
問題は、そんなことが絶対に起こらない国際的な環境をつくること、あらゆる平和的外交手段をとること、国際的な感覚を身につけることであって、憲法を変え、軍事力を強化することではありえません。どの政党が、このことに明快な政策を打ち出しているのでしょうか。
戦争は庶民に「妄想」を植え付けることから準備され、そしていつの間にか実行される。それで死んだり財産を失うのは庶民、儲けるのは一部の軍事産業と多国籍企業。
それでもあなたは石破さんにおつきあいするのですか?



  7月19日(金)    
投票日まであと今日と明日のみ。かなり多くの人が期日前投票にでかけていますが、圧倒的多数の有権者は21日に投票するわけで、それぞれの党の浮沈はこの二日間の奮闘にかかっているのでしょう。ネット選挙解禁ですから、私としても堂々と共産党への支持をこの記事をお読みのみなさまに訴えることができます。何としても比例5議席は確保したいものです。

みんなの党の代表が「共産党は何でも反対」と盛んに吹聴しているらしいですが、嘘っぱちであることは本人が一番よく知っている。知っていながらウソを言うのをデマ、反共攻撃というのです。選挙には必ずこれがつきまとう。
ところが、もはやそんなデマも通用しないほど有権者は目を肥やしてきていますね。その背景には、労働現場でのすさまじいまでの雇用破壊、労働条件の悪化があります。企業がどんどんブラック化している現状に若い世代が敏感に反応してきています。
ひと頃「蟹工船」がブームになりましたが、現在の状況はそれを通り越しているかもしれません。苦しいのはほとんど孤立させられていることです。それをぶち破る1つのきっかけは「投票する」という行為でしょう。ブラック企業の頭を比例候補にするような政党に投票するのは自殺行為とわかり始めている。
さらに、反共攻撃が今までのように通用しなくなっている背景には、たとえばどの政党がTPP、原発、消費税、基地問題に対して根本的な政策を持っているのかが具体的に知られてきたことがあります。被災地では生活の再建に取り組む人々のために努力を惜しまない姿勢とがあいまって、信頼を高めているのです。

私は以前、「政党助成金」をそのはじめから一貫して受け取っていないその一点で共産党を支持する価値がある、と書いたことがあります。「身を切る」と称して議員定数を減らそうとしているのは自民も民主もみんなも維新も同じ穴のむじなです。
党員や支持者からなけなしのカンパを募り、それをもとに選挙を闘っている政党は共産党を除いてどこにあるのでしょうか。みんな濡れ手で粟で「政党助成金」をがっぽりと受け取っているのです。自民党に至っては平然と企業献金を頼み込んでいる。
改憲、TPP、原発推進政策を掲げる亡国の政党への危機感はかつてなく高まっていると私は思います。赤旗紙上に、元自民党員から著名な文化人までが登場し、その危機感をのべるとともに、共産党への期待を表明している。「共産党が自公政権の悪政の受け皿となっている」という見方は全く正しいのです。

ただ、毎日の生活に追われるこの国の現状では、絶えずまき散らされる「幻想」が容易に人々の表層をとらえる危険は大きい。願わくば、真の革新を自負する政党に属する方々が、選挙の時だけではなく日常的に人々の労苦に寄り添い、悩みを受け止め、ともにたたかって問題を解決するように努力を続けてほしい。選挙とはその帰結にすぎないのですから。



  7月18日(木)    
朝6時頃、バラバラと屋根を打つ雨の音が聞こえたので、外を覗いてみたらやはり雨。ところが結構青空が見えています。ふと西の空を見ると、大きな虹。あまりに大きくて写真に収まらない。つないで見たけれどどことなく変ですね。ほんの20分くらいの仕掛け花火のような虹でした。
今日は妻の●●回目の誕生日です。きっとお祝いの虹だったのでしょう。上の写真は西の空。下は東の空です。




ネット上ではさまざまな参議院選挙予測が花盛り。しかし、この選挙結果予測でいくら自民圧勝と言ったところで、参議院選挙の選挙制度には次のような重大な問題があることをほとんどマスメディアは伝えていません。
定数(半数)のうち都道府県ごとの選挙区では定数が全体の6割で、1人区が31、2人区が10、3人区以上が6となっており、参議院の選挙区選挙では基本は小選挙区制度です。従って、圧倒的に自民党に有利な選挙制度になっていることです。しかも1票の格差はただされないまま。
議席をすべて全国一区の比例代表にすれば、選挙結果は大幅に違ったものになるはずです。そうしたことにふたをしたまま、マスメディアが自民圧勝の予測を垂れ流し、しらけムードを作り出すとともに世論を誘導する。
「世論調査」によれば、「アベノミクスを評価する」と答えた人が過半数にのぼるのだとか。もし、選挙後とんでもない事態(たとえば株価の暴落、国債暴落、中国経済の失速、大地震など)になったとしたら、誰がどのように責任をとるのですかね。「自民党を信じていたのに」「こんなはずではなかった」と自民党に投票した人は言うのでしょうか。
TPPではアメリカの要求を丸呑みさせられそう。死守するという5品目だって、「関税ゼロ、ただし何年かの猶予期間を設ける」ということで決着するのがオチでしょう。右のような「公約」はどうするのでしょうか。沖縄の負担軽減?だったらオスプレイの追加配備などやめて横田基地にでも配備してください。

新聞で流される選挙予測とはひと味違ってネット上では別の角度からの予測がこれも花盛り。はやりのビッグデータを「駆使」して予測しているのがYahoo!。これは検索の数をもとにいくつかの手法をとりまぜて予測するという方法らしい。
「ニコニコ」ユーザーを対象に「ネット世論調査」を行ったというのがこちら。公示一週間前と一週間後の予測を出していて、それが相当に異なるのが実に興味深い。これで際立っているのが、民主党と共産党。民主党は公示前が11〜23、公示後12〜13、激減ですね。これに対して共産党は公示前が4〜9、これが公示後に何と10〜11。ビッグデータでは民主が20〜22、共産が5ですから、えらい違いですね。
どちらがどうなるかは、ふたを開けてのお楽しみですが、要は予測などに振り回されずに、政策と行動をしっかり見て投票すること。選挙のときではなく普段国政で地域でどの党がどのような活動をしてきたかを判断材料として投票することしかありません。



  7月17日(水)    
畑ではトマトがいっぱい。トマト大好物の私にとってはうれしい悲鳴です。熟れはじめの頃は鳥につつかれて、これは防護網を張らなければならないかと思っていましたが、その後はそれほどのこともなくたくさん赤い実をつけてくれています。しばらくはトマト三昧。
昨日は5角形オクラを初収穫。スイカもどんどん大きくなっているので、7月下旬〜8月上旬が楽しみです。


15日には、私の母の姉の息子(いとこ)であるT夫妻が、母に線香をあげさせてほしいと寄ってくれました。
だいたいこのいとこは、私の学生時痔に2度ほどしか会ったことがなく、普段のつきあいなど全くなかったお方です。しかし、存在感があり豪快なところがあり、どことなく母の兄に似ていたこともあって親しみを覚え、記憶にはきっちりと残っていました。
母の系統は体つき、顔つきで2種類あることは前にも書いたかもしれませんね。蚊取り線香の宣伝に出てきそうな田舎のおばさん、おじさんタイプがAタイプ。小柄で女性はどちらかというと器量よしのBタイプ。母と妹がBタイプで、その他はAタイプ。残念ながら存命は末っ子一人になってしまいました。
ところがその子ども達はいろいろで、AタイプからBが生まれたり、BからAが生まれたりといろいろで、遺伝は複雑です。
訪問してくれた彼は典型的Aタイプ。でも、近所の人に言わせると、私とどことなく似ているのだとか。そりゃ誰だって人の形をしているから似ているさ。
彼は、建設会社に勤めた後、石川県のある市の役場につとめ、退職後は米作りにいそしんでいるということでした。会社を立ち上げて数十町歩の田圃を管理していると話していました。そうしようと決めたのは、「土地と農業を守りたい」というが一番の動機だったと語ったのが印象的。
役場で部長職をつとめたあと退職したという彼に、「肩書きが無くなったらタダの人だよね」と言うと「そうそう、それを間違うヤツが一杯いて困る」と即答。「まあ、こちらにもいるけどね」と相づちを打っておきました。
母の兄弟姉妹は生まれたときは13人、成人にまでなったのが7人ですから、その子どもにもいろんなのがいる。彼は、私たちが先日訪問した母の妹もずいぶんと気にかけてくれていたみたいでありがたかった。


さて、参院選最終版。今日の新聞は各社一斉に議席の予測です。長いデフレ不況のもとで苦しめられた庶民が、「アベノミクス」に景気回復と収入増加への一縷の望みを託して自民党に投票するという構図なのでしょうかね。
昨日コンビニで週刊誌を盗み見していたら、「自公への批判票が民主や維新やみんなには行かず共産に流れている」という指摘がありました。腹を立てている人は大勢いる。当選の見込みがあると思えば一気に票が流れるというのも日本の選挙の1つの特徴ですから、思い切って共産党票を伸ばしてほしい。これこそが自公政権への痛打になるし、国際的にも国民の1つの意思を示すことになると、私は思うのです。



  7月14日(日)    
連日の猛暑で、畑仕事をして帰ると1日が終わり、パソコンに向かう元気もなく次の日が来るという繰り返し。今日はちょっと過ごしやすくなっていますが、それでも朝7時頃から9時頃まで草刈り機を使っていると、汗びっしょりです。

さて、昨日は母の7回忌。ただし、法要は8月15日に行うことにしているので、この日は二人で簡単にお参りをしただけでした。義妹がお花を届けてくれたので、仏壇は華やかになりました。ありがとね。沖縄の友人が届けてくれたマンゴーや収穫したトマトなどを供えて、しばし仏壇の前で手を合わせていました。


9時過ぎからNHKの政党討論会を聞いていました。ほとんど収穫はなかったというのが率直な感想ですが、その中で自民党、民主党、みんなの党が異口同音に言っていた1つのコトバ「神学論争や観念論はやめよう」が大変気になりました。
要するに集団的自衛権の行使が現実的な問題となっているのだから、自衛隊のあり方も「現実」にあわせて国防軍に変え、集団的自衛権も認めようではないか。憲法9条を振り回すのは今日の国際情勢の現実を無視した神学論争であり観念論だという論法です。
なるほど、相手の論拠はどうでもよく、その一言ですべてを退けるというときに神学論争とか観念論とかというのはいかにも都合のよい便利なコトバです。
しかし、それで都合の悪い場合は、決してそのような言い方はしない。たとえば、沖縄の普天間基地の場合「沖縄のみなさんに頭を下げ、地べたを這いずり回ってでも、辺野古への移設を理解してもらわないといけない」というように。
市田さん(共産党)の言うように「沖縄のすべての自治体の首長、議長が普天間基地の閉鎖、辺野古への移設反対、オスプレイの配備反対を訴えている」のですから、県民の総意はこれであり、現実はまさにこれなのです。にもかかわらず「抑止力の強化、日本の安全保障にとって普天間への移転は唯一の選択肢」と述べるわけですから、これこそが現実を見ない観念論ではないのでしょうか。
政治改革の課題では相も変わらず政治家は「身を切る覚悟」がいるのだという論法。しかし、それは議員定数の削減であって、これまた共産党の言うように「民意を削る」最悪の選択です。これが彼らのいう「現実的」=党路党略の路線。政党助成金の全廃もしくは減額というのはとんでもない観念論ということになる。いろいろと口実を設けて、それには触れないようにしようということなのでしょう。
自民党なり民主党なりが神学論争、観念論というコトバを口にするときはだいたい彼らに都合のいいことを押しつけようとするときですから、眉にツバをつけてしっかり聞いておくのが正解ですね。

雑誌「世界」8月号で自民党の河野洋平さんが「自民党よ、謙虚であれ 日本の政治は何をしてはいけないか」と題して編集部のインタビューに応えています。
それぞれの論点で注目すべき発言をしているのですが、日本の政党配置に関して次のように語っていました。

ある意味、いま一番、政党としてしっかりしているのは日本共産党です。長い歴史があり、筋か一貫しています。それは率直に認めなければいけないでしょう。しかし、現状のままでは政界における広がりは難しい。ならば、欧州の共産党のような、より大胆な政治的決断が必要でしょう。社民党は、その歴史とそれを支えてきた人たちにも、政策にも、共感できるところがあります。

河野さんは彼なりに政党のあるべき姿を見ているから、こうした発言になるのでしょう。真面目に日常的な活動について評価すれば、このようにならざるをえません。
ただ、欧州の共産党のようにというのは、歴史的な経緯への理解を欠いた誤った発言です。フランス共産党にしろイタリア共産党にしろ、旧ソ連共産党の干渉に毅然とした対応が出来ずに、国内でも「現実的な選択」と称して際限なく右転落していったのが現実であって、それらは「思い切った妥協」(河野さん)とは縁もゆかりもない。それゆえ、ヨーロッパ各国の共産党は結局国民からの支持を失っていったのです。

河野さんは最後に「いま、日本は非常に憂慮すべき状況にあります」とのべて、「野党には、ぜひ現在の政治状況とたたかう勇気を持ってほしい。自民党には謙虚であってほしい」と結んでいます。これは自民党内のリベラルな方々の共通した思いでしょう。
東京都議選が示したことは、自公政治への明確な対立軸は民主党でも維新の会でもなく、日本共産党だということだと私は見ています。共産党だから広がりに欠けるのではなく、共産党への支持のひろがりが政治改革を前にすすめるということ、共産党への期待がこの党の原則的かつ柔軟な政治活動を地域でも全国でも生み出すことにつながるのではないのでしょうか。



  7月13日(土)    
畑は草だらけ。それより家の周りがこれまた草で大変なので、まず家の周りからとここ数日草取りに精を出しています。畑は明朝草刈り機できれいにする予定。
次は現在の畑の様子です。作っているものは10数種類ありますが、とても写真には納められないので、とりあえず順にトマト、オクラ、トウモロコシ、サツマイモ、スイカ、トウガン、マクワウリ、落花生です。




















  7月8日(月)    
朝から真夏の日射しです。ちょっと疲れが出て今日は昼前までハルちゃんとともに熟睡。妻は午前中マレットの大会があったのでそれに出て、午後から熟睡しています。
というのも、昨日、一昨日と富山・金沢まで出かけていたからです。ハルちゃんの世話(えさやり)はいつものとおりお隣さんにお願いしました。
富山では、義妹(弟の連れ合い)の父親が病で入院したため、そのお見舞い。かなり病が重く、ときどき意識が混乱することがあると聞いていたので心配して行ったのですが、病室での彼は比較的しっかりしていて、奥さんに「起こしてくれ」といい、起き上がって普通に対応してくれました。食事がのどを通らないのが一番の問題だといい、今は点滴で栄養をとっているのだとか。病状はまだ予断を許さないので、しっかり療養し、また畑仕事に復帰してほしいと伝えて病院をあとにしました。

そのあと、夕方には金沢まで足を伸ばして一泊する予定を変更して高岡駅前でホテルをとり、娘夫婦とそのご両親のお宅に。
家族で理容室をやっていて、いつもにぎやか。大家族だから鶴瓶さんに連絡をすると喜んで来てくれるかもしれません。
久しぶりにお父さんの方が私の髪を切ってくれました。髪や顔をさわられているとだいたい意識が遠くなり天国の気分。すっきりしました。いつもながら有り難うございました。


そのあとは大急ぎで、私の妹夫婦のお宅にちょっとだけ顔を出しました。お互いに元気なのを確認して一日終了。

2日目の昨日は、高速で美川まで行き、すぐ近くのグループホームへ。そこに私の叔母さん(母の妹)夫妻が入所しているのです。
何年か前に自宅まで行ったことがありましたが、それから家庭内の様々な問題があって、半年前に奇跡的に入所できたというのです。
叔母は、私の母の兄弟姉妹の中で現在唯一の生き残りで現在88歳(夫は92歳)です。母と姿形がよく似ていて、末っ子だからでしょうか、とにかく楽しい外交的な性格で、昔から大好きな叔母さんでした。
近くに住む親戚の一人から、「認知症がすすんでいるから会うだけになるかもしれないよ」と聞かされていたので、相当に覚悟を決めて会いに行ったのですが、「富山の・・・」とすぐに分かったらしく遠くから来てくれたことを涙を流さんばかりに喜んでくれました。

この叔母さんと会うと決まって出てくるのが、私が学生の頃の逸話。そのむかし叔母さん夫婦が松任で花屋をしていたころのこと、私がはるばる訪ねて行ったときに「押し売り」と間違われて「間に合っています」と追い払われようとしたことがあったのです。当時は学生の物売りが結構多かったのでしょうか。どうも私が学生の服装で黒い鞄を持っていたのが運のつきだったらしい。
そのことはいまでもしっかり覚えていて、笑い話になるのです。
同じ事を何度も聞き返すのは認知症の特徴ですが、叔母さんもその意味では現在進行中のようでしたがまだ軽度。その昔、隣にいる夫とは一週間で顔も見ずに結婚したといい、夫は「社会奉仕」で結婚してくれたのだと何度も繰り返していました。
次の動画は、そのときのことを話してくれている叔母さん。動画を見るにはブラウザによってはプラグインが必要になるかもしれません。firefoxではプラグインが対応していない可能性があります。


マック用mp4ファイルはこちら

次は、私の学生時代(多分大学2年生あたり)のいとこ会で撮った写真。下は、今から4年前に母の衣類などを持ってお家に訪問したときの写真。







  7月5日(金)    
昨日から降り続いている雨、今日一日まだ降り続くのでしょう。たっぷりの水分を吸収して、このところ雑草の伸びが猛烈に速い。草刈りをしてうしろを振り向いたらもう伸びているという状態です。

昨日は、町の「社会資本総合整備計画」第6回策定委員会が開かれ出席しました。この日は、前半が折からの大雨の中、焦点となっているアップルランド跡地や公民館、図書館などの視察。後半は会議でした。








視察はともかくとして、この日の後半約1時間行われた第6回(新2回)策定委員会は、その議事進行に極めて大きな問題を残すものとなったということを指摘しないわけにはいきません。
その理由の第1は、この策定委員会が「計画原案を策定する」という任務に照らして、協議次第が示されながらただ委員からのランダムに意見を聞いて終わるという、全くもって統制の取れない会議だったことです。
この日の議題は、まず「視察の感想」、続いて「アップルランド跡地への商業スペースの確保と町単独事業として別組織で検討する」ことについての確認、最後に「今後の議事日程について」。
ところがのっけから、商業エリアへの質問が多く出され、感想とはほど遠い質疑に。
具体的な問題についての質疑は感想とはいえず、後日しっかりやればいいのです。もちろんいろいろな意見が出てくることはあり得ることですから、委員が逸脱をすれば議長が誘導をしたり方向付けをすべきなのです。残念ながらそのような議事運営は最後まで見られませんでした。

続いて、「今後の議事日程」ではもっと論外なことが。
すでに2日前、中村氏と私の連名で正副委員長に「修正案(対案)」を提出したのです。そして、次回会議(8月)に間に合うように委員に配布し、さらに次回は時間をとってしっかり議論することで合意していたのです。
しかしこの日、最後に委員長が言ったのは「修正案を受理している」ではなく、「議論がすすむように討論の素材・資料が提出されている」というものでした。よほど「修正案だ」と言おうとしましたが、配布されれば分かることなのでこのときは発言を控えていました。しかし、次回がどれほど重要な位置を持った会議になるのか、その会議はこの計画のそもそもから話し合わなければならないことなどについては一切言及なし。

修正案(対案)によって、審議日程はかなり変わるはずなのに、この日の日程案も全く行政ペース。
日程案では9月に町の素案について町民に説明するとだけ書いてある。町が素案を町民に早く知らせることは当然必要なことです。それと策定委員会が町民に審議の内容を示し意見を聞くこととは全く異なる。その当たり前のことすら分かっていないのです。これでは、策定委員もただ混乱するだけでしょう。

2日の正副委員長および町の担当者と私たち2人との協議の際に、「あなたたち(中村氏と私のこと)は内容についてよく知っているが、他の委員はまだよくわかっていない」という評価がありました。確かに町の計画についての理解度はある意味では異なるかもしれませんが、ことさらに私たちと他の委員とを対立的にとらえて私たちを異質なのだと見なすことは意図的です。他の委員に対して大変失礼でしょう。
むしろ、こうした委員会の運営そのものが審議の筋道を曇らせ、何が問題であり、何をしなければならないのかをわからなくさせる。このことは繰り返し言わなければなりません。

なぜこんなことになるのか。
それは、策定委員会の任務が「策定委員会の責任において(!)、計画原案を策定する」という点についての認識が浅いか欠落しているからです。たとえば、町民への説明会は事務局ではなく、策定委員会の責任において行わなければならないことに正副委員長、町の担当者は気がついているのでしょうか。事務局に任せればいいと思っているのではないでしょうか。
私はこの点については、行政にも大きな責任があると思っています。これまでのやり方から抜け出せていない。この点は、木曽町とも松川村とも180度違うのです。

たとえば、次の記事をご覧ください。これは先月6月22日の信濃毎日新聞の記事です。(傍線は私)


木曽町が老朽化した公共施設の建て替えについて、議会で異論があったために町長が一旦町の案を撤回、町民本意にこの計画をすすめるために検討委員会を立ち上げ原案策定を進めてきたのでした。この記事は、その経過についての報道です。
公共施設を建て替える点では池田町とよく似ています。しかし、池田町の場合はもっと規模が大きいために慎重審議が必要だし、町民からしっかり意見聴取しなければならないのです。
木曽町はどうしたか。この記事でうかがえることはいくつもあります。
まず、町は計画を一旦撤回していますね。池田町は、町民への説明が不足していたとして1年延長し、町民からの批判を受けて一定の修正をしただけでした。基本線は変わっていません。
第2に、建設計画を検討する委員はすべて公募。しかも66人と池田町の3倍。池田町は全体で22人、うち公募が5名。従来通りほとんどが団体関係者で占められています。木曽町の人口は池田町より2000人ほど多いだけです。
第3に、町民への説明は検討委員会が行っていること。池田町はどうするのか全く見えていません。多分事務局、つまり町の担当部局がかわりにやるのでしょう。
そして最後に会議はこれまで19回に及んでいること。池田町は、昨年度4回。それで収拾がつかなくなって、今年度に入って仕切り直して、はじめから数えてもまだ6回を終えただけです。
もう、おわかりだと思います。考え方が根底から違うのです。そして、住民自治という考えそのものへの理解が異なっているのです。これは池田町のとって本当に深刻な問題です。役場の職員とりわけ幹部職員の方々はことの深刻さにお気づきなのでしょうか。

私は木曽町と同じようにとはいわないけれど、町の将来に関わる問題ですから、策定委員会がその責任において十分役割を果たせるように可能な対策をすべて講ずるべきだと、この際はっきりと申し上げておきます。
もし、これからも池田町の策定委員会が旧態依然とした審議を続け、説明も自身には責任がないなどという態度をとり続けるのならば、自体のなりゆきすべてを町民に広く知らせるとともに、問題の根本的な打開のための行動を取らざるを得なくなるのでしょう。

次の池田町の報道と上の木曽町の報道との違いを見比べてみてください。










  7月2日(火)    
ガーディアン紙によるアメリカ情報機関の極秘文書の発表がまだ続いています。今回の報道では、盗聴活動の対象にはヨーロッパEU諸国や日本、韓国なども含まれている(これらは「ターゲット」と呼ばれているのだそうな)というのですから呆れ果てます。
電子通信装置に埋め込んだものから、特殊なアンテナ付き送信機・発信器まで何でもあり。「ドロップマイン」という盗聴方法では、ワシントンDCにあるEU大使館のファックス機に盗聴装置を仕込むという念の入れよう。
誰がそんなことをするのかと考えると、007並のエージェントが活躍してるんでしょうかね。ケリー国務長官は「世界中の国々は、国益を守るためさまざまな活動を行っており、あらゆる情報が活用されている。こうした活動は、多くの国にとって特別なことではない」とおっしゃったそうです(NHK WEB)。
「あんたらもやってんだから、べつにどお−ってことないじゃん」。さすがアメリカの国務長官。それならスノーデン氏を返せなどと言わず、鷹揚に構えていればいいのに。
フランスもドイツも一応厳しく抗議してみせてはいますが、不思議と日本だけは音なしの構え。こっちは「そんなことジョーシキだしぃ、いまさら言ったってぇ」というのでしょうか。
橋下なにがしさんは、ケリーさんの開き直りを聞いて溜飲を下げたでしょう。「ほれ見ろ、ボクの言ったとおりだろう」。そうそう、「あんたらもやってんだから、べつにどお−ってことないじゃん」論法。橋下さんの方が先だったか! それにしても、いろんなところで使えますね、これ。

東京の友人MNEMOさんが「あべぴょん」に怒りまくっています。「あべぴょん」にというより、一国の首相の軽さに、といった方が正確でしょうか。
MNEMOさんのこの怒りはまっとうだし、しごく当然です。「あたりまえ」の感覚がどんどん萎えさせられていることへのMNEMOさんの異議申し立てにはいつも感服させられているのですが、今回も何気なく見逃されがちな事象にしっかり取り上げてくれています。
しかし、ネット上では大ブレークらしいから一体どうなっているのでしょう。一億総ゆるキャラ??

この「あべぴょん」というのはスマホのゲームで、安倍首相似のゆるキャラがピョンピョン跳びはねるゲームらしい。
それにしても、こんなゲームがあったなんて知りませんでした。
誰か、このキャラの鼻の下にチョビ髭をつけて、スタート、コレクション、インフォメーションなどの文字をすべて「憲法改正」「天皇元首」「TPP」「原発」「消費税」「オスプレイ」などと書き換えたソフトを作ってくれないかしら。一段上るごとにドイツの誰かさんに似てくるという趣向。こっちの方が間違いなくブレークすると思うんだけど。
写真を作ってみたけど、きっとヤバイことになるのでここでは公表しません。そりゃもう、この国では自衛隊情報保全隊、公安によって国民全部が監視されてるんですから。
それでも、まあ、やってもいいんですけどね。「あんたらもやってんだから、べつにどお−ってことないじゃん」論法。



  7月1日(月)    
夕方から激しい雷雨に。役場に用があって午後5時過ぎに出たときはちょうど降り始め。東山に近づいて我が家の方を見ると、もう見えないくらいの土砂降りに。8時前にはほぼ上がったので「ホタル祭り」には多少影響はあったかもしれませんが、ともかく止んでよかった。
かなり雷がひどかったからネコのハルちゃんはどうしているのかなと探してみると、いつものように戸棚の中にいました。しかもご丁寧にちゃんと戸を閉めて。どうも雷にはすこぶる弱いと見えます。
8時頃、ハルちゃんを抱いて外に出てみると暗闇のなかに数匹のホタルがピカピカ。手にとまった一匹を不思議そうに見ていました。

陸前高田市に「奇跡的に」残った「奇跡の一本松」があり、幹に防腐剤処理を施し中にプラスチックの太い芯を入れ、枝葉はレプリカの松がこの3日に完成式が行われ一般公開されるのだそうです。
日本を代表する大新聞のウエブ版は、ことごとくこれを「よみがえる」という最大限の賛辞で迎えています。

読売・・・よみがえった…「奇跡の一本松」復元作業
毎日・・・東日本大震災:「奇跡の一本松」雄姿よみがえる 9カ月ぶり
朝日・・・上を向いて 「奇跡の一本松」立ち姿よみがえる 岩手・陸前高田


津波に耐えて7万本中一本だけが残ったという意味では奇跡に近いのかもしれません。陸前高田市のホームページを見ると「お帰りなさい!『奇跡の一本松』」とあります。私はこの国の住民のみなさんは何と心優しく思い入れが強いのだろうと思ってしまいました。全国からの募金が1億6千万円を超えたというのを見てめまいがしそうでした。
あの大津波の中、一本だけ残った姿を見たときにそこに居合わせたとしたら、おそらく私も感動に打ち震えたかもしれません。塩害によって次第に枯死していく姿を見るには忍びないと思ったでしょう。何とかして残せないかという思いもそれなりにわかる。それでも、この残し方にはどこか違和感が残るのです。どこかしらウソっぽい。何かをごまかしているのではないか・・・。
そう思って、雑誌「世界7月号」をぱらぱらめくっていたら、東大教授の安富歩さんが、次のように書いているのが目にとまりました。

「よみがえる」というのは、言葉の使い方がおかしいのです。この松は死んだままで立たされているのであって、決して蘇ったのではありません。・・・・
もちろん、7万本の中から1本だけ残った、という意味では奇跡的です。
とはいえ、この樹が残った理由は、奇跡でも何でもないのです。・・・奇跡の一本松が守られたのは、この建物(すぐ近くにあるユースホステル)が津波を防いだからです。・・・
「復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に受け継いでいくため」という目的自体は理解できます。・・・問題なのは新聞が、それを「よみがえる」というような言葉で表現することです。これは決定的におかしなことです。


ネット上でも、この松の扱いには賛否両論があっていろんな書き込みがありました。ただ、安富さんが問題にしているのは、このような「狂った言葉」づかいであり、それを不思議ともおかしいとも思わない「社会全体の感覚」の方です。
この論考の中で安富さんが言いたいことは奇跡の一本松それ自身ではなく、たとえば「アベノミクスで日本がよみがえる」「よみがえれニッポン!」というような言葉の使い方が何故平然と社会に蔓延しているのかということです。「奇跡の一本松はその象徴になっているのではないかと思い至った」と安富さんは書いています。

日本経済であれ、雇用状態であれ、教育であれ、福祉であれ、現在のような無残な姿にしてきたのはまさしく戦後の自民党政治でしょう。それを「よみがえれ」という厚顔無恥。選挙民がその「アベノミクス」を成功と見なして奇跡の一本松だと思う(思わされれる)としたら、やはりどこか狂っていると私も思います。
安富さんはこのようにさせられている仕組みを「人間が役を割り振られ、割り振られた役を中心に社会が作動する『立場主義』」という見方で説明するのです。私自身、この見方には興味をそそられ身近なところでいくつもそれらしい事象に出くわすのですが、何しろ理解が生煮えですからこれ以上は書けません。
それより、この稿の最後に触れられている逸話の方が身にしみます。それは、年老いた陸前高田市の樵・佐藤直志氏が津波で枯死した木を切り家を建て直すことにしたという話です。池谷薫監督の映画「先祖になる」はそれを描いたドキュメントだそうですね。初めて知りました。こうして対比されればすごく納得できます。

奇跡の一本松と構造的に一致するのがアベノミクスだとすれば、『先祖になる』と構造的に一致する方向が我々のすすむべき道だということになるでしょう。・・・佐藤直志が示したことは、新しい家を『先祖になる』という自分の喜びのために建てるのだ、ということです。ここに「自分のため」と「子孫のため」とが有機的に統合され、創造的な意欲が形成されます。

まもなく迎える参議院選挙や、いま池田町で進行中の「町なか再生」を標榜する事業を考える際にも学ぶべき視点だと思わされたことでした。




top