今日の野麦峠行きの件で担当者から電話が掛かってきました。用件は「雨だからお助け小屋で食事をしなくてはならないので弁当は遠慮して下さい」ということでした。ところがその後すっかり晴れてしまったのです。
長野に来てまず行きたい所は野麦峠でした。昔映画は見られなかったのですが、本を読んでどうしても見たい場所でした。バスの中で資料をもとに勉強会をしました。
==映画「ああ野麦峠」は昭和43年に朝日新聞から出された山本茂実のルポルタージュ。製糸工場の女工さんだった明治生まれのお年寄り達に、聞き取り調査したものを本にまとめた。
故郷を前に野麦峠で死んだ若き製糸女工みね。富国強兵政策に押しつぶされていった無数の娘たちの哀しい青春を描く、戦後ノンフィクションの名作。
長野県と岐阜県を結ぶ峠。奈良時代に信濃と飛騨を結ぶ官道として開かれた。諏訪岡谷の製糸業の繁栄によって飛騨から娘達の出稼ぎの往復路として使われ、女工哀史の舞台となった。
明治から大正にかけて、外貨を稼ぐ手だては生糸でした。養蚕が日本を支えていた時代、その陰では10代、20代のうら若き製糸女工たちの悲惨な生活がありました。
●工場づとめは監獄 金のくさりがないばかり
●籠の鳥より監獄よりも 製糸つとめはなおつらい。工場の宿舎には厳重に鉄の桟がはめられていたという。
重労働に疲れ、いつしか体は病気にむしばまれ、廃人同様になって捨てられる状況だった。
涙なしでは聞いていられない。実際に野麦峠にはお兄さんに背負われたおみねさんの像がありました。観光地になっていて当時の様子は見られない。
お助け小屋というのはレストランになっていて、宿泊も出来るようになっていました。横に資料館もありましたが、そこには入らず回りを散策しました。
鏡池というのがあり、乗鞍岳が逆さに写ってとても綺麗でした。一時間ほどですが、女工さん達が歩いたという道を歩きました。
山にはツルあじさいが満開。念願叶ってやっと来ることが出来たと感動。