麻生暴言に対して、菅官房長官の
言(8/2)。
「議論の余地のある問題ではなく、国会で審議する性質のものではない。1日に本人が撤回したわけで、これで決着だと思っている」。
同日閣議や閣僚懇談会が開かれていたそうですが、その場でも「発言に関する麻生氏の説明や安倍晋三首相からの指示は特になかった」のだそう。
つまりは、「本人はナチを肯定したわけじゃないし、撤回したからべつにいいじゃない?」という程度ってことです。すなわち、自民党まるごと同罪。これじゃもうアメリカからも西欧諸国からもアジア諸国からももう相手にされませんね。
これほど深刻かつ重大な問題なのに、メディアは一過性のこと、終わったことと軽く見てるんじゃないのかな。だとすれば、これまた同罪。
自民党もマス・メディアも麻生さんだけが批判されているのではないってわかっていないんじゃかしら。
ネット上では、麻生さんの発言がとにかく支離滅裂で何をいっているのか分からないし受け取りようによっては反対にもなるから、荒立てて論評する程のこともない、などとする意見もみられます。とんでもないことです。
ファシズムはこのように準備される!です。
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沖縄普天間基地にオスプレイ2機が到着、琉球新報は
号外を発行して速報していました。7月23日には基地ゲート前にフェンスが設置され、抗議活動を閉め出そうとしたにもかかわらず、沖縄各地からかけつけた市民達の抗議活動が続けられています。
基地の負担軽減といいつつ、結局はさらなる負担増を押しつける自民党政権に沖縄県民の怒りは激しさを増すだけ。
ところが、(どこの国でもそうですが)この国では「オスプレイ賛成」を掲げて公然と
集会やデモをしている方々がいらっしゃる。言論は自由ですからその是非はともかくとして、私はまずその論拠を見てみたいのです。
中国新聞の報道では、岩国で「必要」という市議や市民の声として「中国や朝鮮半島の脅威への抑止力になる」「有事の際に必要だ」「安全面も問題ない。従来機に比べ性能の高いオスプレイは国防や災害時に役立つ」と書かれていました。
昨年8月には沖縄(県庁前)でも「配備賛成」の
集会がひらかれており、次の3項目の決議が採択されています。
YouTubeでも紹介されています。君が代からはじまる集会ですから、どのようなものかは推測ができるとうもの。
(1)老朽化したCH-46から新型輸送機MV-22オスプレイへの代替を進める米政府と米軍に積極的に協力し、尖閣諸島の防衛体制を強固なものとすること。
(2)与那国町、宮古島市、石垣市に自衛隊を配備すること。
(3)政府は集団的自衛権の行使を認めて日米同盟を強化するとともに、自衛隊を軍隊とし、自衛のための戦争を認める等、普通の国家並みの防衛体制を確立すること。将来的には憲法9条の改正も求める。こちらはいわば「草の根」からの改憲活動の一環とみることができます。アメリカとともに、日本の防衛を強化するにはオスプレイが必要という立場です。
9月16日に岩国で開かれた「9.16 尖閣・沖縄を守れ!オスプレイ駐機配備賛成集会&デモ」の模様が
YouTubeにアップされています。参加団体の顔ぶれとともに、その主張を知るには興味深い記録です。
結局、「中国の脅威に備え、場合によっては沖縄を侵略し中国の自治区にするかもしれない野望をくじくためには、米軍の存在は不可欠でありオスプレイの配備は歓迎すべきこと」だというもの。
単純といえば単純なのですが、実はこれが安倍内閣のまさに考えていること。安倍内閣としてここまで露骨にやると国民から総スカンを食らいますから、そこは慎重にやっているのでしょうが、自民党・財界のホンネ、言いたいことをやってくれる先兵としては歓迎しているところではないのでしょうか。
中国・北朝鮮脅威論、とりわけ放置すれば侵略されるという論を煎じ詰めれば、日本を「戦争できる国」にするほかはありません。当然日本国憲法第9条は邪魔でしかない。そのさいにアメリカとの「同盟」は自明の前提であって、TPPであろうがオスプレイであろうが、全く無批判に受け入れることになります。
そこには東北アジアでASEANにならった平和の枠組みをつくるという構想も、外交交渉で日本の地位を高めることも全く無視され、単に軍事的な強化によって「脅威」に対決するという「破滅の論理」しかないのです。
今日の信濃毎日には、安倍内閣が法制局長官に集団的自衛権容認派の小松一郎氏をあてる方針を決めたことが報じられ、その横には、阪田雅裕元法制局長官(小泉内閣時)の次のような発言が紹介されていました。
集団的自衛権の行使容認とは、戦争ができるようになるということだ。(第1次安倍政権時代に発足した政府の有識者会議が行使を認める必要があると結論づけた)米国を狙ったミサイルの迎撃や、公海上での米艦船防衛といったことに限られる話ではないのだ。・・・こんな重大な解釈を勝手に変えられるなら、憲法改正の必要すらなくなってしまう。憲法がうたう平和主義の看板を下ろすちうことで、国民にも覚悟が求められる。集団的自衛権行使でごりごりにかたまった方々は別として、この国を何とかして守らなければと思う方々に対しては、この発言の意味をよ〜く考えてもらいたいものです。
そして私自身としても、この国で何が起こっているのか、このままいくとどうなるのかを具体的に一つ一つ明らかにする努力を続けなければならないと思わされます。
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1963年といえば、この年の4月に私が高校3年生になったとき。1月はまれに見る38豪雪。元日からテレビアニメ「鉄腕アトム」が放映され始ているんですよ。
6月に舟木一夫の「高校三年生」がヒット、同じく6月に黒部第四ダムが完成。8月にはアメリカでワシントン大行進が行われ、有名なキング牧師の演説「I Have a Dream」が行われています。
そしてこの年の11月、第30回総選挙。11月23日ケネディ大統領暗殺。翌23日には日米間衛星中継実験に成功とつづきます。力道山が刺されたのはこの年の暮れだったんですか。
なぜこんなことを書き始めたかというとですね、故ケネディ大統領の末娘のキャロライン・ケネディさんが駐日大使に内定したというニュースがあったからです。なぜオバマ政権は外交経験も未知数の女性に、この時期大使を任命するのか?どうやら私が高3の時に経験したことと無関係ではなさそうだからなのです。
1960年、43歳でアメリカ大統領に選出されたケネディは、日本においては特別の存在であり、「家族を大事にする若き大統領」というイメージが作られていました。
果敢にソ連と対峙しキューバ危機を乗り切った大統領。一方、ニュースや写真を通して見るうらやましいほどの家族思い。素敵なジャクリーヌ夫人。そうした彼の姿が、高度成長真っ最中の国民にとって1つの理想的な姿として写ったことは私だけではなかったはずです。
だから、彼が暗殺されたときのニュース映像は、一大衝撃であり、私自身にも深い悲しみと遺族への同情を引き起こしました。とりわけ多感な高3生の私には強烈だったですね。「何故このようにすばらしい大統領が暗殺されなければならないのか」・・・多分、日記にはそのように書いていたのでしょう。書いていたことしか覚えていませんが。
つまり、現在の国民で60歳以上の方であればかなり共通の体験をしているのではないかと思われるのです。それゆえにテレビでも当時の映像がくりかえし流されているのでしょう。
オバマ人事を決定づけたものは、日本人の心の奥深くにしまい込まれた故ケネディ追悼の心情、アメリカと日本の絆。外交手腕よりもそうした日本人の心情に訴える必要性を感じ取ったからではないのか。あたらずといえども遠からずかな。
そりゃもう、TPPで何としても日本をアメリカの土俵に載せなければならないし、基地問題1つとっても沖縄県民の根強い抵抗に遭っている。こうなったら理屈じゃない、日本人が一番弱い「心情」に訴える作戦だ!そんなことを考えたのかなあ。確かにメディアはすでにそれに乗っかってしまっていますから。
翌年、大学へ進学した私は教育系サークルに入るのですが、楽しい語らいと教育活動の中で先輩達から聞かされたことは、それまでの私の認識をすべて180度ひっくり返すものばかりでした。
情報シャワーの中で、私自身自らのアイデンティティが失われることに激しく抵抗しつつ、しかし納得せざるをえない友人達の言葉・・・私自身にとっても大変な時代が始まったのでした。
そうした中で18歳の私が出会い、考え方の根本から変更を迫った1つの歴史的文書が、1964年に発表された日本共産党の評論員論文「
ケネディとアメリカ帝国主義」だったのです。こんな古いものを今もって保存している人はそういないでしょうね。
今読み返せば、おどろおどろしいコトバ使いと、もう使われなくなった用語などであふれてはいますが、論理の明晰さ、事象の認識の深さは少しも色あせてはいない。当時日本共産党は、ソ連からのさまざまな干渉や国内での路線をめぐる問題で、理論的なたたかいを重視し、長大な論文をつぎつぎと発表していました。いやはや結構しんどい時代だったんですね。
至るところに赤線を引いて、読んでいたのですねえ。なつかしくも、私の認識を変革するひとつのきっかけになった文書としていまも大事にしているのです。