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  9月30日(月)
今日からはじまったNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」を見ていたら、「め以子」役の豊嶋花が実にかわいらしい。第一話って本当に大事なんですね。これでほぼ半年の行方が決まってしまう。
今日は、いろいろ面白い場面がありましたけれど、小学校での一シーンが私としてはとても興味深かった。
考え事をしていて算数は上の空の「め以子」に、教師が「古い卵が3個、新しい卵が2個、あわせて何個になるか」という質問をするんですね。「新しい卵でオムレツをつくったらどんなにおいしいか」しか頭になかった「め以子」は即座に「足せません」と答える。まさにその通りなんです。新しい卵に古いものを混ぜてしまったら、一体どんなオムレツができあがるか想像もできないではありませんか。
これは分離量であれ連続量(外延量)であれ、量の本質に関わる問題で、演算においては当然「同質性」が前提とされなければなりません。
め以子は教師の質問に対して、体験的に「足せない」という結論を導いたのです。教師は間違いなく「3+2=5」を期待したのですから、教師自身の方が「なぜ足せないの」を理解することができなかったでしょう。これが何ともいえず痛快でしたね。

遠山啓さん(故人)は、著書「算数はこわくない」の中で、「子どもにたし算、ひき算を教えるときも、等質のものからはじめなくてはなりません。こういう目で教科書を見ると、かなり不適当なものがあることに気がつきます」と書いています。
現在の小学校では、たとえば「リンゴ3個とミカン2個を足したらいくつになるか」というような愚問はさすがに影をひそめているとは思いますが(ネット上で検索できる算数プリントにはこの手の問題が結構まだありますよ)、実は高校でも気がつかないところで、この問題が出てくることがあるのです。
たとえば三角関数で y = x + sin x という関数が登場しますが、もし変数 が度数法(1回転を360度として角度を測る方法)であれば関数自体定義できません。なぜなら x は角度(単位は○○度)、sin x は単なる実数値(「長さ」の単位pをつけてもよい)ですから足すこと自体できないのです。
ところが弧度法(1回転=2πラジアン)を習ってはじめてこの式が意味をもちます。それでも高校では、なぜ弧度法にするとこの式が意味を持つのか(つまり x と sin x が足せるのか)については全く触れられません。もし、定義にうんとこだわる高校生がいたら、きっと悩みまくることになるでしょうね。なぜなら xは実数値(たとえば長さ)であり、sin xx は無単位とはいえ角の大きさ(ラジアン)なのですから。長さと角の大きさをどうやって足すのか・・・と。
私自身、教師になってかなり経つまでこのことについてあまりにも当然だと思っていて深く考えたことがありませんでした。もちろん今では、高校の数学Vで三角関数の微積をやるのであれば、その原理的な意味をきちんと教えることが大事だと思うのです(上の図参照)。ま、今となっては全く無理ですけど。だから x と sin x は「足せません」で我慢するとしましょう。

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さて、来月2日には第10回(今年度第6回)池田町社会資本総合整備計画策定委員会が開かれます。
病院で受け取った「ニュースレターVol.4」では次のような表現が。

それぞれの素案(町の素案、3件の修正案のこと)を基に、策定委員会では議論が進められました。その結果、地域交流センターは、図書館と一体化しアップルランド跡地に建設することに多数の委員が賛成(強調は原文のまま)しました。今後の委員会では、この方針を基本として検討を進めてまいります。

これは事務局(役場総務課)の作文によるもので、おそらく策定委員は正副会長を除いてはあずかり知らぬものでしょう。まず、町民のみなさんには、この原文にしっかり目を通してほしいと思うのです。

ニュースレターVol.4

まずこのニュースレターは今年度2回目の発行。それ自体問題ですが、それ以上に大本となる町の素案自体が示されていないのです。見たい人は町のホームページで見てくれとでもいうのでしょうか。
それなのに裏面でいきなり「修正案」の特徴が書かれているのです。何故修正案が提出され、それらの意味は何なのか。どのような議論があったのかなども一切示されていません。
この文面を受け取った町民の皆さんはどう判断するのでしょうか。判断する材料が提供されないニュースレターにどのような価値があるのでしょうか。私には全く理解ができません。

まず、前回の策定委員会の議論を知るために、終日傍聴し取材していた市民タイムス9月20日付けの記事を参考にしましょう。(掲載については了解済み)


前回の会議の後半で、町民説明会にどのように審議の経過を説明するのかを議論。何らかの意思表示によって「交流センターをアップルランド跡地に建てるのか、または現在地で建てるのか」を方向付けたいとの大方の意見を踏まえ、最終的に議長決裁で無記名投票をすることになりました。
「あくまで現在の策定委員会の意見集約をはかるため」という確認を再三にわたって行ったうえでの採決であったことは会議に出席した委員も傍聴者も新聞社も確認していることです。
万が一にも、前回多数決で交流センターをアップルランド跡地に建てることで決まったという趣旨のまとめがあったり意見があったりすれば、それは前回の確認に反するだけではなく町民の多様な意見を封殺することにも等しいことになるでしょう。まず、前回の終わりの結論を再確認することから次回の策定委員会は開始しなければなりません。

残念ながら、なぜアップルランド跡地に商業施設と併設して交流センターを建設するのかについて、十分な議論があったとはいえません。何人かの委員から「これだけ議論しているのだから、そろそろ多数決でもいいから、一本化して方向づけるべきだ」という意見が前回も出ました。ところがその論拠は、まだきわめて薄弱なのです。
前回も私はかなりの時間を割いて、問題点となるところを指摘しました。しかし、議論は一向にかみあわず、私たちの修正案についてもどこがどのように問題なのかについて全く論拠を示さないままで議論が推移しました。
私がこのように書けば、「いやそうではない、十分すぎるほど議論している」という反論があるかもしれません。まだ議事録が出されていませんから、詳しい内容はここでは見ることができませんが、発表されれば私の言っていることにそれなりの根拠があることをご理解いただけるでしょう。

そのことを踏まえて、私は現在の局面で重要だと思われるいくつかの論点を提出しておきたいと思います。

第1に、原案策定にあたってどれだけ町民に情報を知らせ、意見を聞くかが大事だということです。
この段階では、少数意見を多数決で排除し、方向を一本化することがあってはなりません。何よりも、どのような議論が行われ、何が問題となっているのかを包み隠さず町民に示し、情報を提供することがこの種の議論の大前提なのです。
私自身は、修正案の提出者の一人ですが、それを何が何でも通さなければならないなどと思っているわけではありません。町民の多くが町の素案に賛成であるならば、当然それに従うべきなのです。
しかし、議論の過程で、異なる意見があるのは当たり前であり、それだからこそ議論が深まり、結果として策定されるプランも良いものへと高まるのでしょう。
従って、第1回説明会にあたっては、町の素案を明示しつつ、これに対して複数の修正意見があることを町民に示し、それぞれの考え方の基本は何か、何が異なるのか、対立点は何かをはっきりさせることです。

第2に、財政問題について策定委員会は明確な方向を出せていません。過去の委員会で「財政は健全だという町の立場を聞いたのだからそれでいいではないか」という意見があり、前回の委員会でも副町長が、借金や積み立てを説明しながら「町の財政は健全であり、一定の借金をしながら財政運営するのは池田町のやり方だ」と説明しました。
果たしてこれでいいのでしょうか。毎年の予算・決算は議会の承認を必要とすることを引き合いに出すまでもなく、多額の出費を必要とする町の計画について町民のチェックが必要なことはいわば常識に属します。十分町の財政計画について吟味した上で、町の計画に賛意を表するのならそれはそれで1つの見解でしょう。
過去に私は、借金でも積立でも池田町には大きな問題があることを示してきました。もうひとつ、次の表をごらんください。これは財政全体に対する町の自前の財源の割合を示した「財政力指数」に関するデータです。言い換えるとどれだけ国の交付金に頼っているのかを示してもいます。

池田町の財政力指数

6,7年かけて上昇してきた財政力指数がこの3年間で急激に低下、過去の水準にもどってしまっています。この先、町税の収入が減少していけば、この先どこまで下がるのかわかりません。池田町は結局財政基盤が弱く、交付税頼みの財源になっていることがよくわかります。
財政力の強弱を踏まえず、単に借金が多いか少ないか、貯金が多いか少ないかだけをみて、これからの財政計画をたてることがいかに間違いかよくわかると思います。
この点では、財政上も無理のない借金なしの計画にすることが町民の要望にそうことにつながると私は確信します。

第3は、今回の計画の大原則に関することです。策定委員会の任務は、交流センターをはじめとする事業が何故必要なのかを端的に町民に示し、合理的で整合性のある指針を示すことでなければなりません。この点は以前にも書いたことがあるので繰り返しません。ただし、繰り返し強調しておきたいと思います。
その上で、アップルランド跡地に交流センターを建設したいとする委員は、次のことをはっきりさせるべきです。
@交流センターのおおよその規模、財政計画を示すこと。町が前回の私たちの質問に答えて示したように、全体で1330u、4億円程度。ホールは可動席なしとするのかどうか。そのほかにどのような機能を盛り込むのか。これによっては規模がいくらでも膨らむ可能性を持ちます。第2期のワークショップを進める上でも大枠を示すことは重要なのです。
A図書館の狭さをどうするのかの対策を明確に示すこと。単に交流センターとリンクするからうまくいくという程度では設計段階で大きな支障を生むからです。とりわけ現在図書館の運営にかかわる教育委員会、図書館職員はそれなりのイメージを示すことが求められます。あとで、このままでは希望する施設が入らないという理由で規模を膨らませることはあってはなりません。町の図書館建設費の見積もりが低すぎることも問題です。
B現図書館を文化財資料館にした場合、町が提示したような管理体制でいいのかどうか。しっかりした文化財政策・将来展望抜きの公共施設運営は浅原記念館と合わせて必ず財政上の負担を追わせることになるでしょう。これこそ費用対効果を見極めるべきではないのでしょうか。

これ以外にも多くの問題がありますが、少なくともこれくらいは町民の疑問に答えて返事が出来るようにしておかなければなりません。



  9月29日(日)
今日午後2時、妻に迎えにきてもらって無事退院してまいりました。やっぱり我が家がいいですね。
26日午後1時半から手術が始まって、約1時間ちょっとで終了。その後1時間ほどで麻酔も醒めて、病室に戻ってきました。左足はミイラのように包帯でグルグル、夕食前にはもう少し歩きなさいと言われて、突っ張る足を引きずりながらトイレまで行ってきました。
手術は2カ所で、1つは左足の付け根から膝下(下腿半分くらい)までの太い血管をとりのぞく(裏返して引っ張り出す?)手術。もう1つは、これはついでの手術で右脇腹の大きな脂肪腫(良性の腫瘍)を取り除く手術でした。
太い血管を取り除いて大丈夫かしらと思って聞くと「他にも何本もあるからいいんだ」と事も無げに返事が返ってきました。そのうちバイパスも出来てくるとも話していました。
今日で3日目ですが、右脇腹の傷はもうくっついて絆創膏も今朝取り除いてくれました。左足だけは1ヶ月ほどきついストッキングを着けていなければならないのと、傷口がまだ突っ張って痛いのでしばらくは無理ができません。あとは時間の問題ですね。
いざ入院してみると、4人部屋だし9時には消灯なので、寝てばかり。私のような元気な病人ばかりではありませんから、何とも居心地が悪かった。
思い返してみれば、2年おきぐらいに下半身にいろいろと支障が起きて、そのたびに入院・手術。命に関わる問題ではなかったのでラッキーでした。これが最後であってほしいものです。

最終日の今日は、松本協立病院の「健康祭り」で、日頃白衣の医師、看護師たちが焼きそば屋をやったり揚げ物をつくったりと大忙し。私の主治医も「サーターアンダギー」を揚げていました。
院長が沖縄出身だからかどうかはわかりませんが、最後の出し物が沖縄のエイサー。全国に支部を設けて活躍している「琉球国祭り太鼓」の松本支部メンバーが演舞を行っていました。思いがけず見聞きできた三線と太鼓の音色と沖縄古来の衣装での踊りに、しばし見とれておりました。
このグループは、いわば創作エイサーを中心に練習・上演していて、おやっと思うような曲もエイサーにしてしまう。それなりに見応えがあって、何故か胸があつくなってしまいました。
ただ、今回演舞していたのが女性ばかり(?)。もっと男性陣も加えて多彩な踊りを披露できるように成長するといいですね。期待しています。

これを書いた後で知ったことですが、先に紹介した「琉球国祭り太鼓」の公式ホームページで、創設者の目取真武男さんが次のように書いていました。

現在、祭り太鼓会員の7割を女性会員が占めています。エイサーは男性を中心に大太鼓が演じられ、女性は手踊りでその魅力を表現するのが一般的です。それは素晴らしいことです。また女性が大太鼓を持ち、演技することも時の価値観だと思います。また、現在ではエイサーは大人から子供まで演じられるようになりました。伝統として、お盆の時に演じられるエイサーを大切にしていかなければならないことは当然のことですが、その伝統を継承しながらも「新しい時代の新しい感動」を生み出す事はまた大切な事です。伝統エイサー、創作エイサー、大人、子供・・・・それを抜きにして一番大切なことは“そこに感動があるかないか”であり、それが民俗芸能の真のあり方だと私は思うのです。

なぜ女性が7割なのか、私には分かるような気がします。私もこの意見に全く同感です。今日の演舞でも、女性が大きな太鼓を振り抜いて見事な踊りを披露していました。私が胸を熱くしたのは、実は勇壮な踊りではなく、むしろ叙情的ですらある歌に乗せてエイサーを踊っているのに深く感動したからなのでした。
沖縄の伝統的な踊りであるこのエイサーについては、過度に商業的になったり、他の要素を取り入れすぎてもともとの意味を失ってしまわないようにしつつ、沖縄の心を全国が共有できる1つの表現として大切にしていってほしいと私は願います。

夜になって、珍しく「nikkei.com」から「堺市長選、維新候補敗れる 現職の竹山氏が再選確実」という速報メールが入りました。どうやら入院直前からこの手の「速報」が入り始めたらしい。何かのはずみで登録されてしまったのか。勝手に送るようになったのか。
それはともかく、全国的に注視された堺市長選で「維新候補敗れる」という見出しが「Nikkei」らしいところか。
市議補選でも中区・西区で自民党候補が勝利。維新は南区で一人を当選させただけでした。
大阪府下の市民が次第にその願いとはかけ離れた維新の自治体壊しに気づき始めたというのがその深い背景にあるのではないでしょうか。
Nikkeiついでに、今日の新聞では「政党支持率 共産2位、6%で民主抜く 日経世論調査」という情報もありました。今は自民が55%で次の共産党が6%、民主5%、維新3%という調子ですから、安倍自民の本質が生活の隅々で露呈し基盤が崩壊し始めたとき、この国はおそらく底なしの混迷期を迎えることになるのでしょうか。



  9月24日(火)
先日、玄関先で「コロン」と落っこちたパッションフルーツの実。落ちたままでは様にならないので、元の場所に取り付けて写真を撮りました。ヤラセです。
数日経つと、それらしい色になってきたので、今日妻と半分こにして食してみました。いやはや酸っぱいこと。私にはあのトロピカルな香りなんてどっかにいって酸っぱさだけがツンときましたが、妻はなかなか美味しいと言いながら食べていました。もう数日おけばもっと味わい深いフルーツになったのかもしれません。あとの実が楽しみです。
妻には沖縄に帰ったら、家の庭に植えておいたらいいねと伝えておきました。
いつもこの時期にほんの少し実をつける我が家のアケビといっしょにツーショット。アケビはほんのりと甘く美味でしたよ。




午後から、被災地支援ネットのチラシと「しおり」の作成に全力投球。明日から5日間は病院なので仕事ができません。原稿を送った友人たちからは「充電しパワーアップして帰ってこい」とか、「完全休養して無事リフレッシュして戻ってこい」とかのメールをいただきました。ありがとうございます。
手術後すぐに歩け歩けという入院なので、体力作りにいくみたいなものです。何も考えずに寝ていられるのが楽しみです。
今日夜の「手塚治虫」のドラマに励まされつつ、数日後にはまた元気でいろんなことに挑戦できるように、いろいろ構想を練ってくることにしましょう。
しばらく更新をお休みします。



  9月23日(月)
我が家の周辺の田圃では稲刈りがたけなわ。コンバインで刈り取るので、あっという間に終わってしまいます。
電線の上ではカラスの「くるみちゃん」がいつもの場所で作業を見守っています。
私はこのところ頭が空っぽになって、1日ぐうたら。昨日などは1日中家にいて半分ほどの時間は寝ていた。今朝はさすがに気が引けて、午前中バラ園に行って草刈り。明後日から入院につき定例日は出られないため、今日少しだけ前倒しで作業をしてきたのです。
最近、ある問題でかなり集中すると、そのあと反動で何もしたくない時間がよく出来てしまいます。要するに「気力」の問題ですね。しばらく充電するとまた「よしっ」となりますから、そんなときは時間の経過に任せておけばいいのでしょう。


頭が空っぽになったときは、やっぱり「すうがく」でしょ。このところずっと本職から離れてしまって(リタイヤすればそれが普通なのですけど)、まともに「すうがく」と向き合うなんて全くといっていいほどありませんでした。一週間に2度とはいえ、高校生諸君におつきあいしているのですから、蓄えを食いつぶすだけの対応はやはりマズイ。
どうしたわけか、大町で塾通いする生徒はたいていが「文系」。はじめは理系と言っていた子も、高3になって進路選択をする段になると数学VCのない大学を選んでしまって、私自身が「理系数学」から遠ざかってしまう。
というわけで、今日は午後からずっと数学の問題とにらめっこしていました。何しろ錆を落とさないといけませんから。
「よしっ」と思い立ったきっかけは、倉庫でふと見かけたSEGの数学シリーズ。これは学習塾SEGを立ち上げた古川さんが中心になっていまから20年ほども前から刊行をはじめた数学書で、内容は東大・京大など「一流大学」をめざす生徒向けの高度な内容。しかし、受験技術に傾斜するのではなく、数学そのものを学ぶことでその楽しさ、美しさに迫ろうとする意欲的な姿勢で一貫していて、昔から一目置いていたものです。
ただ、残念ながら、このレベルを要求する生徒がいないために、ずっと宝の持ち腐れ。ほとんど忘れかけていたものを、あらためて引っ張り出して古川先生に教えを仰ごうと思い立ったのでした。
かつては、高校で扱う数学のレベルは今よりはるかに高く、いわゆる「受験参考書」でも相当高度な内容まで記述されていました。
今では幻の書籍となってしまった、赤攝也先生の「新講」シリーズ(三省堂)や現代数学社の「現代の総合数学」シリーズは、その当時の雰囲気を垣間見せてくれます。
それから何十年も経って、高校数学はいびつになる一方。もちろん小・中からの科学的で体系的なカリキュラムと教師の熱意があれば、多くの子どもたちに数学本来の魅力を伝えることができるはずなのに、だんだんそれから遠ざかっているような気がします。
その土台にある政府・文科省の考え方は「選別路線」。数学を「必要としない」生徒には、ほどほどの内容で済ませて、しっかり勉強させるのは小数のエリートだけという、差別的な路線です。しかも、すべてにわたって知識の「つめこみ」に終始。だからちっとも面白くないし、自分でやろうという気もおこらない。
小中の段階から、その発達段階に即して身体と頭をつかった学習をすれば、高校に入って、教えられれば教えられるほど知識が剥落するということはなくなるはずなのに。
・・・というわけで、自分の楽しみもかねて、しばらく「理系数学」と真剣に向き合ってみることにしますか。



  9月20日(金)
今朝も快晴。ひと頃より気温が上がって昼はかなり暑くなりそうです。
我が家の前ではいつものカラスが相変わらずクルミを上空から落としては割って食べています。その実技をするのは一羽だけ。つがいと思われるもう一羽がときどき側にきますが、時折ガーガー鳴いてただ見ているだけです。
それにしても、よく飽きもせず一年中クルミを食べていること。しかも、全く同じ場所で一日中です。どのカラスをみても真っ黒だから個体の識別はできませんが、クルミを食べているのはこの一羽だけだから、今後「クルミちゃん」と命名することにしました。
ゴミをあさって蹴散らかすような群れの行動を嫌い、孤高をまもってひたすら我が道を行く(ただクルミが好きなだけか??・・・)このクルミちゃんを今後も見守ることにしましょう。
写真右、クルミをつついているのがクルミちゃん。


このところ連日3,4個の花を咲かせていた3株のパッションフルーツがようやく一段落。人工授粉のおかげか、とにかくたくさんの実がぶら下がっています。総計20個くらいかな。
ただ20度以上を保たなければならないので、何とか熟すまで成長してほしいと願って夜は玄関に入れています。鹿児島や沖縄で、鈴なりになるわけだと合点しました。完熟するまでに2ヶ月ほどかかるようなので収穫は冬??こりゃ温室がいるのかいな。






  9月19日(木)
北アルプスは、雪があれば頂も際だって見えるのでしょうが、いまは黒いシルエットとなって遠く沈んでいるだけ。とまれ、今宵は月あかりがこんなにも明るかったかと思える満月、しばらくお月見をしておりました。

朝からバラ園に行き(私は作業なし)、午後から町の策定委員会に出席。その後すぐに大町で仕事をして、帰ってからは「八百屋お七異聞」を録画で見て、1日が瞬く間に終わってしまいました。

このごろ、時間をみつけては読みすすんでいた「A Conspiracy of Decency」、3分の1まで来ましたよ。比較的読みやすい英文なのと話が具体的でスリリングなので、つい読んでしまうのです。
日本文ではもちろん一読はしているのですが、英文で一語一語確かめながら意味をとっていると、いろいろな興味深い発見もあります。これほど真剣に一冊の本に向かい合ったのは、高校・大学でもなかったんじゃないでしょうか。それほど魅力的な本です。

第2章「良心をもつ人々(Men of Conscience)」では、デンマークに長くいて国内の事情にくわしく人脈も広いドイツ人G.F.ドゥクヴィッツ(ドイツ大使館勤務)が、デンマークからドイツへユダヤ人を強制移送するという電信を知って驚愕するところから始まります。彼は自らの良心に従って「自分がしなければならないことがわかっている」として、デンマークの友人達に危険が差し迫っていることを警告、ユダヤ人達が隣国スウェーデンへ「合法的に」出国できるように「半狂乱の」努力を傾注するのです。
当時のデンマークではドイツ海軍司令部がユダヤ人輸送にあまり乗り気でなかったことが幸いします。ドゥクヴィッツの知人でドイツ軍港湾監督官は危険を承知で、警備艇をドック入りさせて沿岸警備ができないようにしたことも紹介されています。ドイツ軍も一枚岩ではなかったのですね。
当時デンマークでは、イギリスのBBC放送が熱心に聞かれていました。「デンマーク駐留のドイツ軍兵士の中にさえ、たくさんの聴取者がいた。・・・彼らは、ベルリンよりロンドンを、より信頼できる情報源とみなしていたのだ」・・・などという面白い話も出てきます。

新しい船がデンマークに送られ、5000人のユダヤ人をドイツに輸送する計画が本格的に進められようとしたそのとき、彼は国内のあらゆるつてを頼って、一斉検挙の日を警告。スウェーデン政府には出国するユダヤ人を受け入れるように働きかけるのです。その結果、ユダヤ教の礼拝で多くの人々が直ちに行動を起こすように伝えられることになったのです。

第3章「品位の問題(A Matter of Decency)」では、デンマークの人々がどのようにして隣人を隣国スウェーデンに逃がそうと走り回ったのかを数多くの証言で綴っています。
私が胸打たれるのは、次のようなところ。

"We don't know where to hide," said one of the brothers (Danish Jews). Without a moment's hesitation, Mrs. Nielsen closed up her fish stall and took the boys home. During the next days, she found several fishermen who were willing to take them to Swedern.

「一瞬のためらいもなくユダヤ人の一家を受け入れる」・・・これって凄いことですね。ユダヤ人をかくまったと密告でもされれば、自分に危険が及ぶことは百も承知しているのですから。このようにした市民が一人や二人ではないことが数多くの証言で明らかにされています。
なぜ危険を承知でそうしたのかと後日問われて、ただ「義務だと思ったから」だと答える市民。これも私たちには想像を超えた世界です。

When she was later asked why she took the trouble to help the Jews, she simply said," I thought it was my duty."

見ず知らずのユダヤ人を狭い部屋に何十人も宿泊させる一家の話も出てきます。そしてその人達を無事出獄させるために、知恵を絞るタクシー運転手、船を手配する人たち、そこまで誘導する市民・・・その結果が、次のように簡潔に表現されています。

All told, more than 90 percent of the Jews of Denmark found refuge in Sweden.

およそ300隻の漁船が一千回の海峡横断をし、デンマークの90%以上のユダヤ人をスウェーデンに運んだのです。それが成功したのは、何故か。

A mass flight of this kind occurring all at once could succeed only because it was a spontaneous action of many people of goodwill.

全く偶然に起こったこの種の集団逃亡が成功したのは、ひとえにそれが多くの善意の人々の自発的な行動だったからというに尽きる。

私が読み進んだのはここまで。またいずれ後半を紹介することにしましょう。



  9月17日(火)
自然の猛威にはかなわない。豪雨災害のすさまじさを見せつけて、台風は去っていきました。「どうにもならない。でも、従業員がいるから何とか再建しなければ・・・」と肩を落とし悲痛な表情の企業主。稲が土砂に埋まって途方にくれる農家の人々。
福島で雨が降り注いだためにタンク群を囲む堰の水位が上がって、セシウム濃度を測らずに排水したという東電のなりふりかまわない「対策」。もっと大きな台風が来ない保障も、大きな地震が襲ってこない保障も、どこにもないのです。

昨夜から、急激に気温が下がって、今日も午後10時をまわる頃には室温が20度ですから、外気温がおそらく15,6度。満月に近い月が冴え冴えとして、稲穂を照らしています。なんとまあ、様々な虫の声。私にはどれがどれだかさっぱり分からないので、無粋にもただ「虫の音」としか言いようがない。そしてそれを打ち消すように、山から流れ落ちる用水路水路の轟音。昨日から一向に衰えがありません。


一昨日あたりから急に腰が痛くなって、今日は湿布を貼り、1日部屋で町議会のネット中継を見ていました。
質問と町の答弁を聞きながらいろいろ考えることがありました。いずれまた書くことがあるかもしれませんので、ここでは一つだけ。矢口新平議員の質問に対する町長答弁のことです。
矢口議員は、防災行政無線のデジタル化にともなうプロポーザルに関して、町長による特定業者への事前情報提供、事務手続きを無視して特定業者にこだわったこと、町長の言う「海外企業参加による競争原理」の不合理さを追求し、町長の責任をただしていました。
百条委員会の責任者として当然の質問ですが、これに対して、町長は議会最終日に、給料減額を含む何らかの自己「処分」を明らかにすると言わざるを得ませんでした。
しかし、今日の答弁でも明らかなように、「7億円が2億円になったのは競争原理が働いたからだ」というような言い訳はさすがに影を潜めてはいましたが、依然として海外企業が参加したことで「競争原理が働いた」という認識を示し、自らの判断は「町民益」だと強弁。
矢口議員には、この点をもっと突いほしかった。プロポーザル方式においては企業名がわからないのだから競争原理が働くわけもなく、しかも海外企業が最低の額を示したわけでもないわけで、はじめから申し込み企業が他社の名前を知っているとすればそれは不明朗な何かがあったと考えるしかないことになります。町長が先に自らの「処分」に言及したことで、ちょっと質問の勢いをそがれた感がありました。
とはいえ、この「町民益」という言い訳がいかに町長の思い込みに過ぎないのかをしっかり追及しなければなりません。そうでなければ、多少の行き過ぎはあっても、「町長は町民のことを考えてそうした」という仮面を外すことができないからです。議会の調査特別委員会報告はこの点について「実際のプロポーザルの見積額でも3社が3億円前後に並んだことはこのことを裏書きしている。『米国企業が参加しなければ、7億円近い金額で落札する』ことはあり得ない話と考えられる」としているんですからね。
明日の議会、および最終日でどのような動きがあるのか、大いに注目されます。



  9月16日(月)
台風がこちらに向かっていて、朝から激しい雨になっています。午前4時頃には、それほどでもなかったのですが、明るくなった7時頃から雨脚が強まって降りっぱなし。10時を過ぎて、風も相当に強くなってきました。
高台にある我が家のあたりは土砂崩れや水害の心配はありませんけれど、稲刈りの終わっていない(まだほとんどがそうですが)田圃では雨に打たれて穂がうなだれ、ところによっては倒伏しています。町の一部では、大雨のときは水害の被害があるという話なので心配です。ただ、いまのところは防災無線でもとくに情報はないので、大丈夫なのでしょう。
台風が上陸しても、これほどの雨の被害が近畿・北陸・関東で見られるというのは、ほとんど聞いたことがありません。いつまでも太平洋の海水温が高く湿った空気がたえず補充されるために、例年にない大雨になっているのでしょう。
テレビでは京都の桂川で氾濫が起きている様子が映し出されています。河川の傾斜が急なこの国では、いつどこで河川氾濫が起こるか予測できない。大きな被害がないことを願うだけです。




  9月15日(日)
台風接近の影響で雨が降ったり止んだり。じめじめした蒸し暑い夜になっています。

昨日は、被災地支援池田町民ネットワークの久々の役員会をひらいて、この秋のとりくみの概要を検討しました。
これまでも何度となく話はあったのですが、延び延びになっていた「女川町支援・買い物ツアー」を11月1日(金)〜2日(土)の予定で行うことを決めたのです。
もちろんその目的は、何より商業の復興で元気を取り戻したいと努力している現地の水産業や加工業のみなさんの一助になればということです。それに合わせて、現地の現在の様子を直に見聞きし、町民の方々と少しでも交流できればうれしいですね。
大型バス1台で、募集人数は30人程度。早朝出て一泊し、翌日の夜に帰るというスケジュールになります。費用は多分バス代、宿泊代込みで1万2千円前後になるのではないかと思われます。
要項やチラシをこれから作成して、本格的な準備に取りかかる手はずにしました。

この冬現地に行ったメンバーは、女川町はがれきがすっかり撤去されたために、遠くまで見通せるようになったものの、ほとんど以前と変わらないと話していました。
また、この前高野さんに会った折り、仮設住宅住まいが長引いているため、町を離れる人が後を絶たず、以前は池田町とほぼ同じ1万人余りの町が今では7000人くらいになってしまったこと、水産業などの産業をどう軌道に乗せるか、家を流された人たちのための高台移転、公営住宅建設をどう進めるかなどこれからクリアしなければならない課題は山積みだと、話していました。
私たちが女川町に行くのは、あくまで現地の商品を購入して少しでも喜んでもらうことです。初めて女川町や石巻市に行く人も大勢いるはずですから、2年半以上過ぎているとは言え、現在の状況をしっかり確かめてくること、そうした目的が果たせるように、しっかり準備を整えていきたいと考えています。

今回はネットワークスタッフの力量の問題から、30名が限度ですので、もし参加の希望があれば早めにぜひご連絡ください。

女川町の魚市場「岡清」のフェイスブックを見ると、9月11日、ようやくサンマ船が初入港、13日も2艘が水揚げ予定だと書いてありました。
昨年刺身に出来る大量のサンマを送ってもらって希望者に販売しましたが、いよいよ旬ですから少なくとも昨年並みに店開きしたいものですね。サンマの刺身絶品ですから。



  9月13日(金)
玄関先に鉢植えしてあるパッションフルーツ、9月に入ってから次々と花が咲いて目を楽しませてくれています。ただ、花が咲くだけでほとんど実がつきません(8月に1個だけ実をつけた)。
この花の仕組みはどうもよくわからないので、手の施しようがなかったのですが、ある方のホームページを参考によくよく調べてみると次第に仕組みがわかってきました。
おしべは真ん中、めしべが一番上。時間が経つとめしべが下に垂れて受粉しやすくなります。おしべには下向きにたくさん花粉がついており、すぐに受粉が完了するような形ではないようで、どうしても虫や人工授粉が必要。
沖縄では庭に延々と蔓を伸ばして実をたくさんつけているのを見たことがあり、何とかあんな風にならないものかと思っているのですが・・・。

我が家に来た人が、玄関先のパッションフルーツの花をみて、「『時計草』とよく似ているね」と時々言います。私自身は、時計草もほとんど見たことがないので比較のしようがなく、ネットで調べてみるとなるほどよく似ている。いやいやよく似ているどころか、同系統の植物なんですね。
時計草は英名がpassion flower。Wikipediaによると「一般にパッションフルーツと呼ばれる物はクダモノトケイソウ(Passiflora edulis)の実」なのだそうです。時計草自体約500種もあるのだとか。
しかもこのpassionの意味は「情熱」ではなく、キリストの「受難」(the Passion)という意味だとか。
イギリスやアメリカではpassion fruit、オーストラリア、ニュージーランドではpassionfruit南アフリカではpurple granadillaと呼ばれ、Wikipediaでも「『情熱』の意味はない」と書いてありました。
し、しかしですね、このトロピカルですばらしく美味しい実は、どう考えても南国の果物。花の先端に十字架がついているわけでもないし、勝手にキリストに結びつけてもらっては困るなあ。

写真左が時計草、右がパッションフルーツ。





  9月12日(木)
今日はバラの会の定例作業美。人数はいつもよりちょっと少なめでしたが、それでも7人が集まって草取りや花がら摘みに汗を流しました。朝晩は結構涼しくなっていますが、日が高くなるとやはり汗びっしょり。
バラは次々と花を持って咲いているのですが、先日来の雨のせいで黒点病、うどんこ病が懸念され、一昨日大がかりに消毒を行いました。
私とMさんは草刈り機を使ってまだ何も植えていない広い予定地の草刈り。石がたくさんあるので、思うようにはかどりません。それでも、昼近くなってようやく2/3くらい刈り終えることができました。あとはまた来週です。来週になったらまた背丈が伸びているのでしょうね。なかなかやりがいがあります。

ところで、前にも書いた「A Conspiracy of Decency」を”感心にも”少しずつ読み進めているのですが、大きな悩みが一つ。単語がぜんぜん頭に入らない。
中学、高校、大学では一体どんなふうに勉強していたんだっけ?どうやって単語や熟語を覚えていたんだろう。確か、自分で覚えるまでテストをしていたような記憶もあります。
単語帳をつくって、必要な語句は書き留めているのですが、昨日調べたことと同じことをまた書いている。1日1日、頭を初期化しているような気分。記憶力が減退しているときはそれなりの勉強法があるんですかねえ。自分で編み出さなければいけないと思いつつ、あまりにも急速に忘れるので、その気力も起きません。

よくよく考えてみれば、年とともに記憶力がなくなるのは当然。だとすれば、根気強く、粘り強く、何度しらべてもいいやというくらいの大らかさでやればいいのでしょうね。100回も同じことを調べていれば、そのうち自然に身についてくるかもしれないし。そうならなきゃ、また調べればいい。続けることが大事なのです!・・・と自分に言い聞かせて、今日はおしまい。



  9月11日(水)
今月4日にも書いたことでしたが、ここ1,2年前から夜寝ていると突然左足が攣って、眠れなくなることがたまに起きるようになりました。たとえば、ネコが寄りかかってくると、それが弾みになって大腿部に痛みが走るというように。
ミネラルが足りないからだとか、運動不足だからだとかいろいろ原因を考えていたのですが、ようやくここにきてどうやら静脈瘤が原因らしいと判明しました。
問題が発生しているのは左足だけだし、静脈瘤があるのはやはり左足。先日診察を受けたときに、これが原因で足が攣ったり、痛みを覚えたりするのだと説明をうけて、なるほどそうだったのかと合点がいったのでした。

血管内の弁が壊れて血液が心臓に戻らなくなって逆流を起こしたり渋滞したりし、そのうち血管に炎症が起こるというのが静脈瘤です。
その治療には3種類あって、一つは血管を大本で縛ってしまう方法。これだと日帰りで簡単に治療できるが、バイパスを通って血液が逆流する可能性があるということ。
第2は、薬物を注入して血管内を固めてしまって血液を流れなくする方法。これもしばらくはいいかもしれないが、完全に固定できないため再発するかもしれないということ。
そして第3が、悪くなった血管を取り除いてしまう方法。3,4日の入院が必要ですが、一番根治に近い方法だということでした。

というわけで、今日の診察で私の選択した方法は外科手術による方法。月末にしばらく入院治療することに決めました。
何の因果か、2年おきくらいに入院・手術をしていることになりますね。まあ、今回は静脈瘤くらいで済んでいるので、よしとしなければなりません。ついでに、その他の悪いところを全部摘出してもらうことにしましょうか。そうなると脳みそも取り出さなければならなくなるのかな。
今回は、手術後麻酔からさめたらすぐに歩け歩けとなるようなので、大げさな手術ではありません。どうかご心配なく。

つい先日、ニュージーランドの友人Mikeから電話番号が変わったという一斉送信のようなメールが来たので、近況を知らせてほしいと書いたたところ、本当に久しぶりにやや長いメールが届きました。
ひょんなことから東京で知り合い、彼が結婚して故郷に帰ったあと数年前に妻と訪問したあのMike君です。
今は中学の教師をやっているそうで、最近学校の集会で生徒達に少し日本語を話してとても懐かしくなったと書いていました。3人の子どもの父親になり、来年には家も新しくする予定だとか。
そして最後に次のように書いてくれたのでした。海外に気心の知れた人が一人でもいるというのは、何ともうれしいことですね。
I am still thankful for the kindness you showed me when I was new to Japan and hope to see you again some day.
いずれまた会える日がきっとあるでしょう。



  9月10日(火)
気候温暖、比較的水に恵まれ、農作物の耕作に適しているこの国に住んでいると、外国での水や食料について考えることはまずありません。それより想像することすらできないというのが正直なところでしょう。
海外に井戸掘りに行っている青年の活動をテレビで見たり、干ばつでひどい状態になっている耕地の様子を見ることはあっても、それは所詮人ごとで、この国にはほとんど影響を与えるとは考えられません。

雑誌「世界」10月号のレスター・ブラウンさんの小論を読んで、とにかく私の考えの甘さというか、世界の出来事への無知を思い知らされました。
それは「ピーク・ウオーター 井戸が干上がる時、何が起こるのか?」と題するもの。ピーク・オイルは知っていても、ピーク・ウオーターなどという概念は私の頭のどこにもなかった。でも指摘されれば至極当然のことであり、全く彼の言うとおりなのです。

話は、「石油は代わりがあるじゃないか。でも水の代わりはない」、というところからはじまります。石油なしでも食べ物は作れるが、水なしではできない。その通りです。
まず、著者の教えてくれているこの問題についての基礎知識から。

@私たちは毎日、いろいろな形で1日約4リットルの水を飲んでいる。しかし、1日の食べものを作るには、その500倍の2000リットルの水がいる。1トンの穀物を生産するためには1000トンの水が必要である。
A私たちのカロリーの約半分は、直接穀物から供給される。その穀物収穫量の約40%が農地に水を引く灌漑地からのもの。
B20世紀の後半の50年で、世界の灌漑地は約3倍になった。そかし、それ以後、灌漑地の増加はほぼ横ばいとなり、2000年から2010年までには10%しか増えていない。
C20世紀半ばまでは、ダム、貯水池から水を引く灌漑が主流だった。しかし、ダムも新しく作れなくなって、地下の水源にたよりはじめた。
D地下の帯水層には2種類=一つは雨が降れば補充される帯水層、もうひとつは水が大昔に蓄えられくみ上げれば再補充されない化石帯水層。
E今日、世界人口の約半分を抱える18カ国で、帯水層からの過剰なくみ上げを行っている。この中には、穀物の大生産国である中国、インド、アメリカの他、イラン、パキスタン、メキシコなどが含まれる。
F水の利用量がピークに達して減り始めた国は、サウジアラビア、シリア、イラク、イエメンなど。これらの国々ではピーク・ウオーターののちに穀物生産のピークが来ている。


著者は、これらのことを指摘したあと、かなりの数の国々の恐るべき実態を次々と明らかにしています。さらには、都市での水の需要が灌漑権を都市に売却するなどして農地の減少に拍車をかけている深刻な実態も。そして結論。

ひと言で言えば、「ピーク・ウオーター」は「ピーク穀物」につながりうるのだ。もはやこれが単なる理論的な可能性ではなくなっている国もある。・・・・
要するに水の制約は、土壌浸食、農業以外の使途のために農地が失われること、主な生産地での収量の伸びの頭打ち、気候変動という悪化要因もあり、世界の食糧増産をより厳しいものにしている、ということだ。そこで出てくる問いとはこういうものだ。将来の食糧生産に対するマイナスの影響がプラスの影響を上回り、世界の穀物収穫が止まってしまう日が来るというのは考え得ることなのだろうか?


自ら立ち上げた環境研究団体「ワールドウオッチ研究所」の所長として長い間世界の食糧、水、農地などについて研究し、現在も新たに環境研究機関「エコ・アースポリシー研究所」の所長としてさまざまな提言を行ってきたレスター・ブラウンさんのことですから、たったひと言にも大変な重みがあります。
もともと、ワールドウオッチ研究所の発行する「地球白書」を見ても、ピーク・オイルへの言及はほとんどありません。それより果たしてこの地球が持続可能な発展を遂げられるのかという問題意識のもとで、食糧や森林、水といった環境問題に焦点をあてて研究を深めていました。
私はピーク・オイルとピーク・ウオーターとどちらが重要かという問題の立て方は不適切だと思っていますが、ブラウンさんの指摘は、世界の人々が衆知を集めて解決しなければならない死活的課題だと痛感します。とりわけ日本のように食糧生産でも自給率100%を超える「潜在能力」を持った国の果たすべき役割は極めて重要なのです。
しかし、世界の水不足に拍車をかけることでしか生きようとしないこの国の惨状は目を覆うべきものがあります。もし仮にTPPによって、海外の「安い(当面)」食糧に頼り、自国も他国も農地を再生不能にし、水も汚染し続けるならば、おそらく海外の国々以上に大きな危機的・破滅的な状況を迎えることになるでしょう。
この国を真に守るとは、軍隊でも原発でもなく、豊かな農地と水を守ることなのです。そのことをレスター・ブラウンさんは教えてくれています。



  9月9日(月)
ときどきバカ長いものを書いてしまうのは私の悪いクセ。考えがまとまっていない証拠です。まあ、旅行途中で駅弁食べながらの「車窓考」くらいに思っていただいてどうかお許しを。
「おいおい、列車の中では酒飲んでうつらうつらだから、ふつうそんなことは考えないぞ。お前のは斜騒抗だろう?」・・・ええ、返す言葉もありません。

今朝は数日ぶりにすっきりした青空がひろがりました。西山にかかる白雲がまぶしい。我が家のまわりでは妻が手入れしていたコスモスが満開になって空の青に映えています。近くの畑のソバの花も清楚に咲きそろっています。トンボが無数に飛び交って、いよいよ初秋のたたずまい。









  9月8日(日)  午後  
今日も昼過ぎまで断続的に雨。午後少し晴れ間がひろがってきましたが、梅雨空のようなじめじめした空気です。

午後から、久しぶりに社会資本総合整備計画(社総交)について考えていました。19日には第9回策定委員会が開かれる予定になっているため、その準備を始めたという次第。
我が「日々のこと」は役場内にもご愛読いただいている方々が大勢いらっしゃるので、どうかご一緒に考えていただきたいと思います。

まず、前回の策定委員会では、帯刀委員から大変重要な指摘が行われました。
それは、そもそも「交流センター」の建設が必要なのかどうか、もし必要であればなぜ「交流」センターなのか、議論の前提となることがらについて町民にきちんと説明できる委員会としての立場を明確にすることだ、というものでした。
現在の策定委員会の議論は、「交流センターを建てる」ことを前提として話を進めているために、あっちがいいかこっちがいいかというだけの議論に終始しているというのです。
帯刀委員は、これまでの議論をふまえ、委員長職権でいいから次回までにまとめて提示し議論に付すことを提案し、了解されました。

さて、前回は3つの図面が委員会に提出され、議論がより具体的になってきました。まずそれを以下に示しましょう。

町の素案にもとづくアップルランド跡地および周辺の利用図
小林提案によるアップルランド跡地および周辺の利用図
中村・村端修正案によるアップルランド跡地および現公民館周辺の図面

これらが示されたことはひとつの前進なのですが、しかし、そのため、かえってわかりにくくなっていることや問題点を隠してしまうことも出てきたのです。
たとえば町の素案に対して、小林委員から一部修正した図面が提示され、議論のなかでかなりの委員の支持を集める結果となりました。
確かに、「図面上」では、何となく良さそうだという雰囲気を醸し出しているのです。単に図のうまさというだけではなく、商業エリアが緑のなかに配置され、公共施設エリアと一体として小公園もあり、必要ならば第2駐車場もあるというようにそれなりに説得力があります。
しかし、この計画をよく見ればすぐにいくつもの重大な疑問、問題点が挙げられるのです。このことは後に示したいと思います。
残念ながら、前回の委員会ではそこまで議論を深めることはできませんでした。そして、このことを議論しようとすれば、当然のことながら、先の大原則、指針にまたもやぶつかってしまうのです。

従って次の策定委員会では、どうしても今次計画の原則・指針を明確にすべきだと考えています。
以下は私の考えです。

<社会資本総合整備計画策定にあたっての原則・指針>

(1)町の将来像、とりわけ少子化・高齢化と人口減少を見据え、さらに財政規律を守る立場から、事業の内容・規模において将来につけを残さない身の丈の計画とする。
従って、以下のことを基本とする。
@新規の借金をしなくても済む計画とすること
A既存施設をできるだけ利用すること
A町の景観、将来の都市計画との整合性をもつこと
B将来の世代が希望を持てる事業内容であること

(2)公民館の建て替えは必要であり、建て替えの場合には図書館と一体の複合施設として建て替えることが望ましい。
@社会教育の推進、町民の交流、文化活動の促進のために、この施設には一定の交流機能をもりこむが、池田町の他施設をさらに活発に利用する観点から必要最小限の規模として建設する。これらの機能の推進は、この施設のみで完結するのではなく、他の公共施設の利用との関連で全体として実現する。
Aホールは、可動席を持たない現在の講堂程度のものとする。
B建設にあたっては、景観に配慮するとともに、県産材の活用、自然エネルギーの活用などを取り入れる。

(3)計画の策定・立案・遂行には、各段階で町民参加が不可欠であり、最大限にこれを保障する。原案の策定段階では、委員会の責任で町民説明会、意見交換会の他、アンケート、パブリックコメント、専門家への意見聴取などを行う。

(4)商業エリアと区別して計画の立案にあたるが、各段階で事業の一体性を考慮する。ただし、商業エリアの敷地の利用および基本計画については白紙とし、別途予定されるプロジェクトに一任する。


では、これらを踏まえた上で、町の素案、および小林案についての問題点を見ていくことにします。

<町の素案について>

(1)アップルランド跡地の利用全体について
@商業エリアは、白紙状態であることは評価される。
A交流センターと駐車場を西側に配置したために、ほとんど緑のない駐車場ばかりのコンクリートに覆われた場所となっている。これが町の計画で示された「目標と理念」に沿うものになっているのか極めて疑問。
B墓場東に駐車場・遊具公園を設けたために、プール取り壊しや道路の拡張・整備蛾必要となっており、計画の総額を膨らませる要因となっている。これらはすべて今次計画からは外すべきである。

(2)交流センター、図書館について
@交流センターがどのような機能を果たすのか、そのためにどのような施設を配置するのか、その概要を表すプランが全く提示されていない。そのために生産的な議論になり得ていない。
Aホールをどのように考えるのかによって、その他の配置、費用が大きく変わる。基本方針を示さないで、これらすべてを計画決定後の議論に先送りすることは、いたずらに議論を混乱させることになり不適切。ホールの規模、それにともなうその他の施設の概要などを示すことが必要となっている。
たとえば、ホールを松川すずの音ホール並みにしようとすれば、付随する設備も当然必要となり、それ以外の部屋の配置や間取りに大きく影響する。
「ホール」「交流機能」を充実することを基本に置けば、全体の規模に歯止めがかからなくなる危険がある。そのためにも、大原則を明確にすることから始めなければならない。
B図書館の面積が狭く、現在の課題に答えることは不可能。交流センターを一部利用しようとしても、Aとの関連から実際にはできない。
C図書館を交流センターの一部として位置づけ移転するため、現在の図書館および浅原記念館の今後の位置づけが全く不明となっている。本当に文化財資料館として運用できるのか、そのためにどんなことが必要となるのか、単に費用面だけではなく運営のあり方まで含めて示すべきであり、これなしに図書館の移転はありえない。

<小林案について>

(1)アップルランド跡地の利用全体について
@小公園を商業エリアと公共施設エリアとにまたがって設定しているため、商業エリアの利用にあらかじめ枠をはめてしまい、商業エリアの今後の活用に重大な支障をもたらしている。商業エリアは白紙の状態で協議を始めるべきである。もともとこれが策定委員会の立場であった。
A駐車場が極めて狭いため、施設の近くにとるべき駐車場が取れないうえに、新たに土地を取得して遠くに設定せざるを得なくなっている。また、そのための道路計画および費用概算が示されていない。小林案は町の素案への対案ではなく、一部修正案ではあるものの、これにもとづく費用概算を示すことが求められる。

(2)交流センターについて
@規模はほぼ町の素案と同等と思われるが、外観、ホールなどの大まかな見通しが示されていない。また全体としての費用概算が示されていない。
Aアップルランド跡地に交流センターを建てることによる図書館の狭さへの対応、現図書館の活用の見通しなどが示されていない。
B交流センターを商業エリアと一体としてつくることを至上命題としているために、各所で無理が生じている。


これらの諸点を考慮しつつ、私たちの修正案についてのいくつかの疑問について考えておくことにします。
これまでの策定委員会で出された意見はおおよそ次の4つです。
@アップルランド跡地に公園を設けるのは費用対効果から見て無駄が多い(誰も利用しないのではないか)。
A交流センターと商業施設が併設されてこそ、それらの症状効果で「にぎわい」が生まれる。修正案ではそれは期待できない。
Bアップルランド跡地に新設した場合、図書館独自では狭いが交流センターを一部活用することでそれは克服できる。現在の場所では接続と管理運営に問題があり、さらに建て替え時期が迫ってくるという問題がある。新設すればそれはない。
Cこの計画の費用については、町が健全財政のなかでできるとしているのだから、その枠内で検討すればいい。

順不同ですが、最後にこれらの意見について考えておくことにしましょう。

まず全体として、私たちの修正案の基本としている二つのことについてはじめから考慮外という立場での意見が多いことです。財政規律などという立場は、役場をさておいて町民が話すことではないかのような意見すらある。そのような人が「費用対効果」を云々するのですからどうしようもありませんが、それはともかく、やはりこの計画への基本的な構えというか、姿勢が欠如しているために場の雰囲気に左右されることが多くなっているのは問題だといわなければなりません。

第1 予算総額について。
私たちは付属資料で、町のこれまでの借金や貯金の実態について詳細に分析しました。そのうえで、今後安曇総合病院への拠出(5億円)や会染保育園の耐震化または改築問題があること、さらには超高齢化をにらんで福祉予算の増額などさまざまな財政支出が予想されることを考慮して、新たな起債を行わないで必要最低限の予算のもと「身の丈の計画」とすることを提案しました。
修正案は何よりもこの原則を貫いて立てているのであって、現図書館を利用した現在値での公民館建て替えの案はそのあらわれです。財政計画を考慮外だと言って、果たして今後立案する計画が町民の理解を得られるものになるのでしょうか。予算規模の問題について議論にならないのは残念と言うほかありません。
蛇足ですが、木曽町では池田町と同じような施設検討委員会がまちの担当者を呼んで町の財政の勉強会をひらいているのです。「財政についての共通認識を深めるため」と木曽町の広報に記されていました。

第2 図書館について
現図書館長がアップルランド跡地で交流センターといっしょにするのが望ましいというのですがら、委員のおおかたはそれに流されるのはやむを得ないものがあります。しかし、よく考えてみれば、それらの論拠はすべて崩れるのです。
まず、現図書館を利用することについて、接続するにしても管理上問題が生じるとか、現図書館は土足では上がれないとかという話がありました。管理上の問題が生じないことは私たちの図面で示しました。現図書館の1階部分だけは靴のまま上がれるように接続すれば、全く問題は生じません。
もし、図書館を移転したとすれば、学習室、休憩室はおろか、蔵書スペースも取れない極めて狭い不自由な施設になってしまいます。
交流センター内で解決できるとする意見は机上の空論に過ぎません。簡単でもよいから図面を書いてみれば、それはすぐにわかることです。昼は学習室、夜は会議室などという案も前回出ましたが、そんな使い方ができないことも管理者の立場で考えてみれば明らかなことではないのでしょうか。「無理を通せば道理がひっこむ」のです。
町の素案、小林案で計画が実行された場合、実際の設計の段階で現れるさまざまな支障や問題点は今から指摘できるのです。
それに対して、私たちの案は、図書館の充実を交流センター充実の大きな柱にしているのです。

第3 公園は無駄な施設なのか
まず、町の素案が、都市公園について次のように書いていることに注目しましょう。

まちなかに設置されている公園は僅かであることから、一般の町民や子育て世代が憩うことのできる公園を整備する。さらに、これらの公園は、都市内緑地として機能することも目的とした整備を行う。(参考:長野県都市公園条例:都市計画区域内人口ひとり当たり10u、用途地域内5u)

ここでは、市街地地域内の公園は、県の条例でも定められている通り市民にとって必要不可欠な場所であって、「費用対効果」どころか「費用対効果によらず実施が必要な事業」(パブリックコメントに対する町の見解)として位置づけられています。
「無駄」とか「もったいない」などとする意見は、公園への想像力と町民参加でつくることへの理解力を欠いていると言わざるを得ません。人が集まる公園を町民自身がつくることこそ大事なのです。
私たちの案でも公園の広さは決して広くはありませんが、町の素案、小林案のミニ公園に比べれば、それなりの公園機能を果たすことができる広さと構想を持っていると考えるものです。町は公園についての基本的な見解を持ちながら、それをどう実現するのかという構想の段階ですでにその立場を捨ててしまっています。

第4 交流センターと商業施設と併設しなければ賑わいは生まれないのか。
これについては、策定委員だけではなく町民の中にも根強い支持があります。私たち自身も今年度の初め頃まではそのように考えていたのですから。
ところが、実際にアップルランド跡地で交流センターを建築する場合、町の素案や小林案で示されたような公園・駐車場の問題点からどうしても逃れることができないことに気がつきます。
さらに、アップルランド跡地に交流センターを建設した場合、図書館を移設することを考えると、新図書館の建設、道路計画、その他においても結局費用は嵩み、それを抑えようとすれば中途半端は免れないのです。
そして、最大の問題は、商業施設と交流センターのリンクでどのような賑わいが生まれるのか、公園ではそれが不可能なのかということです。
現在の池田町において、公民館の利用者は年間1万1千人前後、図書館は1万6千人前後、あわせて2万7千人です。新しい施設になってのご祝儀相場で仮に3万人の利用があったとしてみましょう。1日で多数の利用があるイベントの日もありますが、それも慣らして1日にすると、年間300日として100人。これらの人が商業施設ですべて買い物をすることは想像できませんけれど、それなりの効果は期待できそうです。そのことは私たちもはじめから否定していません。ただし、限定的な意味においてです。
なぜなら、町中心部のにぎわいは、このアップルランド跡地だけでできるわけではなく、むしろ中心部全体の底上げ(空き店舗や蔵の利用、修景作業など)をすすめてはじめて「相乗効果」があるからです。
では公園になったらどうか。平日と土日、夏場と冬場では利用状況は異なるはずですが、ならせば数十人の利用は無理な想定ではありません。各種のイベント、商業エリアとの連携で、子ども連れを含む多くの町民に親しまれる公園とすることは大変有意義なことではないのでしょうか。過去にないような、池田町らしい公園とすればいいのです。
さらに重要なことは、このエリアが、蔵や田園を残す池田町のイメージアップの拠点となる意義です。「日本で最も美しい村」連合に加わっている池田町だからこそ、まちなかに水と緑の場を町民の力でつくりあげる意味は大きいものがあります。

ふ〜〜



  9月8日(日)   
2020年オリンピックの開催地が東京ときまりましたね。スポーツの振興に純粋に立ち向かいオリンピックの東京開催に努力してきた無数の方々には心から敬意を表します。

猪瀬知事は「被災地の復興を支援するオリンピックとなるようにしたい」と言っていました。いったいどのようにして? どこかおかしいのではないのかと天邪鬼の私は思ってしまうのです。地震・津波・原発被害への対応は「いますぐ」総力をあげてやらなければならない課題であることは明らかですよね。繰り返しますが、オリンピックがあろうがなかろうがです。
安倍首相は最終プレゼンの中で福島について質問され「福島の事態は完全にコントロールされている」と胸を張っていました。これを聴いて違和感を覚えた人は多かったのではないでしょうか。私も耳を疑いましたからね。
「震災関連死:福島県内で直接死上回る 避難生活疲れで」・・・これは今日の毎日新聞の記事です。

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の被災者の死亡例のうち、福島県内自治体が「震災関連死」と認定した死者数が8月末現在で1539人に上り、地震や津波による直接死者数1599人(県災害対策本部調べ)に迫っていることが、毎日新聞の調査で分かった。少なくとも109人について申請中であることも判明。近く直接死を上回るのは確実だ。
 長引く避難生活で体調が悪化したり、自殺に追い込まれたりするケースがあり、原発事故被害の深刻さが裏付けられた。


原発事故も深刻な人災ならば、この関連死も別の意味で日本の政治の貧困を示す深刻な人災ではないのでしょうか。これが現在の日本の姿なのです。

オリンピックに即して言えば、東電、政府、原発関連企業が原発事故の根本的打開と被災地の復興にむけて、必死で戦い具体的な成果をあげている姿が私たちの目に見える形で日々示されていたならば、おそらく東京開催の喜びはどれほど国民の胸にあふれたことだろうと思わずにいられません。

夕方、夜にかけて延々と続くオリンピック東京決定に浮かれるメディア、多くの人々の姿(これもメディアで作られている)を見ながら、どうしようもない違和感に襲われています。
経済効果3兆円、経済界も歓迎??私には被災者のひとりが「オリンピック結構、でもそんな余裕ないんだよね」「私たちのことも忘れないでほしい」と寂しそうに語っていた事の方が胸にしみた。
この世界はすでにプランBを要求する時代に入っている。食料、水、土、エネルギーをめぐって、世界的な争奪戦が陰に陽に繰り広げられているのです。
池田では、ほとんどの田圃が黄金色に染まって稲刈りが始まっています。農家の人に聞けば異口同音に「全く儲けはない」です。それでも田舎には「食」を支える力がある。莫大な潜在能力を持っているのに、TPPで早晩それも崩されていくのでしょう。
たとえ、TPPで関税が撤廃されたとしても、田舎では最大限の抵抗を行い土地と水を守ることが求められる。おそらくそのような農業従事者が数多く現れることでしょう。
生きるための根幹が脅かされようとしているときに、スポーツは別だ、いや経済効果だと言い募って、国民の意識を一つの方向に向かわせるこの国のありように、私は徹底的に抗いたい。
すでにピークを過ぎた化石燃料にたよりながら永遠の繁栄が続くと思ったそのとき、破局(カタストロフィー)とは突然にやってくるものなのです。私にはそのときがたまらなく恐ろしい。



  9月7日(土) 午後   
今日は午前中、地元の農家の人たちの作業に合流して道路脇の斜面の草刈り。時間を見てひとりで少しずつはやっていたのですが、草は伸び放題で草刈り機でやっても甘くない。10人以上の人員でやればあっという間です。ようやくすっきりしました。
午後から外にでてもう少し作業をしようと思っていたのに、まもなく雨になって、それから夜までずっと降り通し。せっかく時間ができたのだからとDVD鑑賞をして過ごしました。
前々から見ようと思って果たせなかった「じゃじゃ馬ならし」(1966年 エリザベス・テイラー、リチャード・バートン)、そのあとAndrew LLoyd Webberの生誕50年記念コンサート(The Royal Albert Hall)。もうすでに15年ほども前のライブです。

「じゃじゃ馬ならし」は公開されてから間もない時期に一度観ているのです。内容はほとんど忘れていたけれど、最後の結婚式場で従順な妻に豹変して一同をあっけにとらせる場面だけは強烈な印象を受けて、それなりに覚えていましたっけ。
改めて見直してみると、カネだけが目当てで結婚を目論んだはずのペトルーキオが、実は妻の暴力的ヒステリーの裏に「率直さ・人間らしさ・女性らしさ」をかぎ取り、実に巧妙に自分を「ご主人様」と慕うように「調教する」すべを心得ていた。そのような人物設定とそれを具体化する見事な筋書きにうなりました。
かつては「女性差別的作品」という見方もあったそうですが、確かに表面的には従順な女に仕立てていく物語ということになるのでしょう。しかし、実は男と女の間の関係には表と裏、光と影、実と虚が複雑に交錯しており、おとなしく夫の言うことを聞くようなったかに見えるカタリーナが実は、そうすることで逆に夫を手玉にとるかもしれない可能性を示唆しているのです。多様な見方ができる作品として、この映画は実に巧みにつくられていると感心しました。シェイクスピアはやはりタダモノではありませんね。

Andrew LLoyd Webberの作品は、すでに2,3度観ているものなのですが、何度見ても楽しめる。
こうした演奏会を聴いているとミュージカルの分野だけに限ってもアメリカの懐の広さというか、大人度=成熟度というか、すごさを感じます。ミュージシャンのそれぞれが自分のスタイルをもって高度な演奏、歌唱力を備えています(持っていなければそもそも出られない)。そして、徹底して聴く人見る人を楽しませるすべを心得ているんですねえ。
ただ、このアルバム、字幕が一切無いので、初めて聴く人は誰が歌っているのかも、どんな歌詞なのかもわからない。ちょっと不親切です。曲目からネットで歌詞をしらべないといけないというのは、私にとって大変不都合。よって、ほとんどは曲だけで我慢です。

さて、夕方からはオリンピックの最終プレゼンと投票の話題でメディアは過熱気味。日本中が「くぎ付け」とでもいうべき状況が作り出されています。
「日本にとっての逆風」を吹き飛ばせるかという見方で、海外のメディアの汚染水問題の扱いに触れています。
私にはこの汚染水問題は、海外の人たちやメディアがどのように受け止めているのかではなく、私たち自身がどう受け止めるかが深刻に問われている問題だと思っています。海洋汚染に対する国民としての責任という意味でです。
責任は第一義的には東電と政府が取るべきものです。ところが、当初から地震によって原子炉建屋の底部が規模は小さくても損傷している可能性は否定されておらず、しかも、建屋に注がれている1日400トンの水が漏れて海に出ていることも当初から推測されていた。汚染水漏れは事故以来この2年半ずっと続いているのです。ところが、今になってもどこからどのように漏れて海に達しているのかルートもわかっていません。そして、耐用年数5年というにわか作りのタンクも、つくってまもなく漏水しているのですから、「全力をあげて対処している」という言葉を信用しろという方が無理です。
事ほどさように事故は「収束」などとはほど遠い状態なのです。従って、私たちがなすべきことは、政府・東電に対して、まず「終束宣言」を取り消すよう圧力をかけること。これまでの延長線上の対策ではなく、東電以外の電力会社、金融機関にも株主の責任を取らせてさらに根本的で緊急の対策を取らせること、そして食品などへの検査態勢を強化して情報をくわしく国民に公表するように迫ること、避難住民への手厚い対策を十分な財源をあてて行わせること、情報を海外の国々に包み隠さず速やかに公開させることなどです。
首都圏直下での大地震の恐れ、東海・西南海地震の不気味な兆候、これらについての詳細がつい先日2夜連続で放映されたばかり。東北は地震・津波の被害からの復興は全く先の見えない状態なのです。そして近い将来、何が起こるかわからない現在の日本の姿・・・「だからこそオリンピックで希望と活力を」というのでしょうか。
東京でオリンピックがあろうがなかろうが、福島でいま進行中の事態は1年、2年で解決するものではりません。むしろ、オリンピックで福島から国民の目がそらされることの方が恐ろしい。浮かれているときではないのです。



  9月7日(土) 早朝   
セクハラとは特定の異性個人に対する「性的嫌がらせ」であり、明確な規制・救済法は存在しないけれど、場合によっては刑事・民事の訴訟事案になることがあります。
たとえば、職場の特定の個人に対して明白な差別的言辞をはいたとすれば、それは「言論の自由」ですまされるのでしょうか。そうではないでしょう。相手が実質的に精神的苦痛、脅威を感じたとすれば、「犯罪」の被害を受けたと認知されることは当然です。
では、ひと頃騒がれた「ヘイトスピーチ」はどうか。
ある人は、「これは言論の自由の範疇の問題であって、法的に規制することは問題がある」と警鐘を鳴らします。別の人は民族差別に関する過激な言動は「ヘイトクライム(憎悪犯罪)であって、法的に何らかの規制が必要だ」とします。その際、アメリカ、イギリスなどのヘイトクライム立法を念頭に置くことが多い。
私自身は、特定の民族を標的に差別・排除・抹殺を煽るような言動は明らかに「犯罪」だという認識は持っていますが、日本においてこれを立法規制するにはあまりにも距離があると感じます。副作用(運用での拡大解釈)が大きすぎるからです。残念ながら、日本では在特会(在日特権を許さない市民の会)のような団体の馬鹿げた言動を容認する素地が大変大きい。当面は圧倒的な言論で封殺する努力しかないのでしょう。ヘイトスピーチを行う人たちを、それを上回る圧倒的な人たちが取りかこんで徹底的に批判することが日常化すれば、馬鹿げた行為をする意欲も失せるはずです。もちろんそれには完全な非暴力をつらぬくことが必要ですが。

ネット上では「在特会」へのカウンター部隊である「レイシストをしばき隊」が話題になっています。この団体が、本当に非暴力なのか、同様のヘイトスピーチで対抗していないかなど、私には知り得ない部分はありますが、何らかのカウンター・アクションが公然と行われていることは注目に値します。
「週刊金曜日」にはこの「しばき隊」主宰者である野間さんへのインタビューが載っています。
彼は、朝鮮や中国に対する蔑視感情は「脱亜入欧以来続いていて、在特会のメンタリティもその延長線上にあり、それは一般の人たちとも連続していると感じます」とのべています。そして、こうした動きを覆す力は何かと問われ、「リベラリズムだと思います」と語っているんですね。
自ら主宰する「しばき隊」は「下品で子どもっぽい」と自認しているのは愛嬌として、この記事で見る限り極めて正常でまともな感覚だと思われました。

野間さんの指摘に、「彼ら(ヘイトスピーチ)は戦後民主主義を否定しようとするあまり、発想が関東大震災のころの暴徒に逆戻りしています」と述べている。
ホントかな、といぶかしく思われる方は、今では海外での方が有名になってしまったYouTube映像をごらんになるといい。街灯でマイクを握る女子中学生は、もはや洗脳されカルト状態になっているといってもいいでしょう。そのまわりで「そうだ」と相づちを打つ大人達。
「週刊金曜日」では、音楽家の坂本龍一さんと一水会(右翼・民族派)顧問の対談が載っていて、この映像についてアメリカの記者から知らされ、外国のニュースにもなっていると知って愕然としたという話が載っていました。そりゃそうでしょう。あまりにひどすぎる。
私が言いたかったのは、関東大震災のときの「朝鮮人の暴動」というデマによって、現実に6000人以上の朝鮮人が虐殺(1923年10月〜11月、朝鮮人調査団報告書では6661人)されているということ。メディアが盛んに報じる中国、北朝鮮の「実情」から醸し出される排外主義の動きと重なって、この国は相当に危ういところに来ているのではないかということです。嫌な予感が背筋を這い回っています。

中学生に低劣な言葉を煽る大人達の姿(先のYouTube)と、次の関東大震災時の「記録」とを並べてみてほしいものです。(「記録」は「週刊金曜日」所収「なぜデマと差別が流布したのか」(八柏龍紀)より引用)

ーー2日の朝は明けた・・・・白鬚橋へ行ってみた。・・・・向こう鉢巻に日本刀・竹刀・猟銃などを持った人びとが避難者へスルドイ目を向け「帽子を取れ」と怒鳴っている。「彼奴が怪しい」「なるほど奴の後頭部は絶壁だ」「ガギグゲゴをいってみろ」「問答無用だ、殺って仕舞え」・・・・一同騒然とした。・・・・号泣する例の男に3,4人の与太公が竹槍でこの男の腹を突いた・・・・白サヤの日本刀氏がへっぴり腰で男のみけんに切りつけた・・・・半殺しのこの男を2,3人の若者が隅田川に投げ込んだ。付近の自警団員が声をそろえて「万歳万歳」と叫んでいる。ーーー(「民族の棘」和知正孝の証言から)



  9月6日(金)    
「財界の護憲派」と呼ばれ、日本の経済界の中では異色の存在であった品川正治さんが昨日亡くなった。
2年前には長野での鼎談に参加され、講演も聴いたことがありました。「しんぶん赤旗」紙上でも志位委員長との対談などでたびたび登場し、新鮮な切り口で世の中の出来事を語っていた人で、まさしく「日本の良心」とも言える人でした。
品川さんは、雑誌「世界」の誌上で、昨年7月号から「戦後歴程」を連載。今年の6月号第11回が絶筆となってしまいました。連載が始まった昨年の7月号では、「連載にあたって」と題して次のように記しています。

「戦争を起こすのも人間、それを許さず、止めることができるのも人間、お前はどっちだ」。これを自分自身に問い続けて来たのが私の戦後です。

そして、この日本を見る目も最後まで曇ってはいなかった。上の文章から少し置いて次のように続けています。

歪んだ資本主義にとっては、歪んだ民主主義が使いやすいのです。1パーセントの支配階級が、政治も経済も握っているのです。それはアメリカの権力に従っているからです。そして、その全体構造を支えているのが、この国のマスコミです。・・・突出した人とはファシズムの政治を志向する人です。戦争をできる国にするため、憲法9条を変える運動も始まっています。

かつて、財界人としての良識を示した一文に触れて感想を書いたことがありましたが、品川さんの連載は昭和天皇の通夜に参列したことを記し、「昭和の終わり」を実感したことから自ら社長(日本火災)を退任。そして、最後の稿の結びで次のように書いています。

いまや平成も25年、そろそろ「平成」を見る目をしっかり持つべき時を迎えているのではなかろうか。

これは、自らへの戒めの言葉であると同時に、改憲勢力に易々と議席の多数を預けてしまっているこの国の人々への忠告と激励の言葉でもあります。
品川さんの場合、「時代を見る目」は殊の外厳しい。それは、「九死に一生を得た」中国の最前線での戦争体験があるからだけではありません。
「前線と銃後の区別なくすべての国民が生命財産の危機にさらされ、自由は失われ、人格も人権も『戦争遂行』の価値の前に無視されるという」非人間的な世界への憤りと悔恨の情が心の底を流れているからです。そして、「戦争をたくらむ軍部という勢力と、戦争を通じて利益を得る資本か集団」というこの国を牛耳る権力への激しい怒りに裏打ちされているからです。
品川さんは次のように書いています。

権力者たちは「敗戦」と呼ばず「終戦」と呼んでいる。・・・しかし、私は敢えて「終戦」で結構だと言いたい。この戦争が終わったという意味での「終戦」というのではない。日本は二度と戦争はしない、未来永劫、戦争はしない、二度と他国に兵を出さない、という決意の表明として「終戦」と呼ぼう、少なくとも私は「終戦」の決意を一生抱いて生きていこうと固く心に決めたーー。

それから60余年、品川さんはその言葉通りに生き、行動したのでした。天晴れな人生。何と清々しい人生だったことでしょう。心から敬愛と哀悼の意を表します。



  9月4日(水)    
1日中断続的に雨。千葉・埼玉に続いて、息子の家族の住まいに近い栃木県矢板でも竜巻の被害。日本では竜巻というのは過去にほとんど聞いたことがありませんでしたから、気象の条件そのものが大きな変化を遂げているということなのでしょう。
今日の名古屋の様子をみればわかるように、雨の降り方も尋常ではありません。ついこのまえ我が家の付近で降ったような異常な暴風雨が一時間も続けばどんなことになるのか想像もできません。

今日は午後から松本協立病院へ検査に。年とともにいろいろと支障がでてきます。今度は、左足の静脈瘤の検査です。左足の膝から下にかなりはっきりした静脈瘤ができたので、べつに痛みはないのですが、気になっていたので思い切って先日診察してもらったのです。その際、外からでははっきりとはわからないので、CTおよび超音波で調べようということになって、今日検査を行ったのでした。
静脈瘤はとくに珍しいものではなく、立ち仕事をしている人に多く見られるとのこと。血液を心臓に向かって送るために静脈には弁がついているのですが、それが働かなくなり、血液の逆流が起こったり滞ったりする症状で、根治するには役に立たなくなった血管を取り除けばいいということ。
静脈瘤によって血液の流れに異常が生じるため、足がつったりむくんだりということも起こるのだそうです。
「そういえばかなり前から夜中に突然大腿部がつって眠れなくなったことがありました」と医者に話したら、「やはりそうですか。足の付け根あたりから問題がありそうですね」と恐ろしいことをさりげなく言う。11日には今日の検査の結果を聞きにいき、今後の治療方針を決めることになります。
かつての前立腺肥大といい今回の静脈瘤といい、私の下半身はもうボロボロ状態ですね。上半身ももちろん自慢できる状態ではないので、妻を見習って摂生に努めなければならないときに来ているのでしょう。えっ?もう手遅れ?

昨日の夕方も、雨が降ったり止んだりでしたが、ほんのわずかの時間(約5分くらい?)きれいな2重の虹が見られました。端から端まで見えたのでカメラを取りに家に戻っているうちにもう右から消えかかっていた。





  9月2日(月)    
いろいろなことが頭をかすめるけれどなかなか言葉にならないときってあるものです。多分それは怠惰で散漫な生活をしている時なのでしょう。昨日などは昼頃まで寝ていて、夕方また眠くなり早々と床についてしまいましたから。
ニュースを見れば、福島での放射能汚染水のジャジャ漏れに始まって、集団的自衛権容認への加速、オスプレイの墜落事故、消費税増税へのやらせ意見会・・・しかしそれらも、中学生殺害事件にほとんど霞んでしまい、オリンピック東京招致狂想曲が輪をかける。
放射能垂れ流しについては、今日になって「もうい東電にはまかせてはいられない。国が全面に出る」などと政府が言い始め、いかにも責任をもって事態の収束を図るかのように演出していますが、世界の国々から厳しく断罪されながらここまで放置してきた責任はどうするのかと問いたい。ついこのまえ「これだけの大惨事を招き被害を与えながら、誰ひとり刑事責任を問われるわけでもないこの国・・・」と誰かさんが怒っていましたっけ。
アメリカのシリア攻撃予告にはいち早く忠誠ぶりを示すこの国の政府の異常さは特筆に値する。
意見会で消費税は何としてもあげなければこの国の経済が持たないと述べる「先生方」は、おそらく消費税が上がろうと痛くもかゆくもない方々ばかりなのでしょう。むしろ、そのことによってかえって何らかの「利益」があるのかしらんとつい思ってしまいます。経済の底が抜けても絶対に責任はとらないでしょ。これだけは間違いありません。「あのときはそう考えるのが正しかった」といっておけばいいんですからね。
言わずもがなですが、大学はそんな方ばかりで成り立っているわけではありません。二夜連続で放映されたNHK「MEGAQUAKEV」で紹介されていた科学者達の獅子奮迅の活躍がその優れた例。気の遠くなるような観察と未知の現象の解明に挑む姿には本当に頭がさがります。

さて、今日は妻と松本まででかけ「少年H」を観てきました。
少年の目からであれ大人の目からであれ「あの時代」の諸相を描き出すことはどうしても必要なことです。とりわけ、戦中から戦後へと切り替わる転換点を深くえぐり出すことは、現在の日本の姿を考える上で欠かすことができません。この映画では少年から見たその視点が新鮮で興味深かった。
また、焼夷弾が雨あられと落ちてくるシーンはさすがに圧巻。子どもの頃、遊んでいると道ばたにいくつも突き刺さっていたのを見つけたのをつい思い出してしまいました。
画面で描けるのは、経験から構成した生活史の一断面。何千枚も何万枚も切り取っては、それを再構成する努力がいります。しかし、この国ではいまだにそれらがまともにできていません。
朝鮮や中国の人たちがどんな悲惨な労働と生活を強いられていたのか、共産主義者や自由主義者がどれほど過酷な弾圧にさらされていたのか、そしてそれにもかかわらずなぜあれほど頑強に戦争反対や天皇制の打破を掲げて闘い得たのか。「慰安婦」たちの生活はどんなものであったのか、そして、密林をさまよい饑餓と病で次々と倒れていった兵士達の実像はどうだったのか。
少年Hの生きた毎日の上には、そうした無数の人々の日々が幾重にも折り重なっていると思わないわけにはいきません。今なおそれは重なり続けている。




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