午後8時過ぎです。ただいま台風19号がまっすぐに接近中。雨が一段と強くなり、気象レーダーによればあと1時間もすれば猛烈な雨になる危険性があります。いまのところ風はほとんど感じられませんが、このあとどうなるのか。無事通過してほしいものです。
今日は池田町の球技大会の日でしたが、屋外での競技はすべて中止、屋内のバレーボール(エントリー種目)だけが行われて、その後4時から地域の慰労会。それを終えて今帰ってきたところです。公民館活動は大きな行事としては山を越して、あとは2つの行事を残すのみ。ようやく先が見えてきてほっとしています。
いまだに読んでいる本「ユダヤ人を救え」(エミー・ワーナー著)。今年1月17日には、第7章について書きましたが、半年以上かかってようやく8章「解放と帰郷」を終え、残り2章に挑戦中です。
前回は書きませんでしたが、第7章では地下組織に結集した人々や工場労働者達がドイツに占領されたデンマークでどのような抵抗運動が行ったかをも詳細に記録しています。
その際に、どんな苦しい局面でも「デンマーク人たちは決してユーモアのセンスを忘れなかった」のですね。
たとえば、大通りに墓石に模したものをつくって「愛しの愛しのかわいいアドルフ」と書いてみたり、ストライキの最高潮で、あるいたずら者が戦車の底に「売り物」という看板をとりつけ、学校の生徒たちが戦車隊の兵士のところに行って、その看板を指さしながら「これらの戦車を手に入れるための富くじの番号札はどこで買えますか?」と質問するというように。
ドイツに占領されたデンマークで、大きな犠牲者を出しながらもドイツとたたかうレジスタンスを影で支えたドイツの「良心ある人々」がいたこともここでは記されています。実はこのことが、解放後のデンマークやドイツの再建に大きな力となっていくことが後に明らかにされます。
第8章では、1945年4月米英ソ連軍のベルリン侵攻によってヒトラーが自殺、第3帝国が瓦解したあとのデンマークの様子、ナチの強制収容所から解放された人々の姿、スウェーデンからのユダヤ人達の帰国の模様を感動的に記録していて胸が熱くなります。
国内至る所で、デンマーク人たちはドイツの降伏のニュースに対し、どの家庭も隣人に倣って窓敷居に蝋燭を置いて応えた。デンマークのあちこちの町や村のそれこそたくさんの民家やアパートから、そしてたくさんの農家の窓から、蝋燭が柔らかな黄色の輝きを放って夜の闇を切り裂いた。(訳はすべて池田年穂さんの著書によります)解放の日にはもうデンマーク政府が組織されているのですね。これはすごいことです。それを可能にしたのは全土で展開されたレジスタンスの力でした。
事実、
「新政府は18人からなり、戦争中に活発だったグループから選ばれた。大臣の半分は職業政治家、残りは地下活動のメンバーたちであった」「ドイツ軍が降伏するやいなや、デンマークのレジスタンス闘士たちは表に出てきた。対独協力者のデンマーク人のリストが作成されていて、大量逮捕が実行された」のです。
さらに新政府はドイツとの国境で、ドイツに撤収する兵士の中からゲシュタポの諜報員、SS将校を選び出し、6週間で2万人を逮捕したのでした。
一方、帰郷するユダヤ人達に対するデンマークの人たちの態度はどうだったか。それこそがこの本のタイトルである「A Conspiracy of Decency」(直訳すると「品位の共謀」)ということになります。
まずユダヤ人たちが船で港についたとき、何千人もの人たちが海岸に立ち、「デンマークにお帰り」と言いながら彼らを大歓迎して迎えます。あるユダヤ人は「それは壮観な光景だった」と日記に残しています。
家に帰れば、何一つ奪われたものもなく家の中も前と同じ。むしろ通りをまたいで花の門をつくり、家のまわり美しく飾ってあったのをユダヤ人達は発見する。ワーナーさんはそうした模様を次のように描いています。
この6人の若者の証言は、何千人ものユダヤ人避難民がコペンハーゲンやその郊外に戻ってすぐに自分の家がどうなっていたかを知った、典型的な様子を表している。隣人や友人達が、彼らの家やアパートを塗装したり掃除したりし、避難民が帰ってくる日には、それらを花でいっぱいにしておいてくれたのだ。多くの帰還した家族が知ったのは、自分たちの飼っていたペットや育てていた植物までもが世話されていたことだった。もちろん、すべてがそのような良いことばかりであったわけではなく、一部には悲しい思いをしたユダヤ人達がいたこともきちんと記されています。さらに解放後の混乱期から3,4年のうちには反ユダヤ主義の台頭という現象があったことも。しかし「ユダヤ人たちにとって名誉なことに、反ユダヤ主義は戦争直後のごく短期間の現象に終わった」のでした。
こうした逸話を読んでつくづく思うのは、デンマークの人々のユダヤ人に対する「人間としての品位ある接し方」はどのようにして獲得され、磨かれてきたのかということです。ただ「うらやましく」思ってみたり、それはデンマークだからと言ってみても仕方がありませんね。
その国のなりたちや政治ありかた、国民の労働や教育の歴史などが当然それに反映されているはずです。同時に、それを否定する動きとの不断のたたかいもまたあったにちがいありません。福祉面での現在の到達点は、我が友「金ベエ」さんの
「北欧ノート」にくわしい。(最新のレポートもあるのですが、まだここには収録されていないようです)
この本(「ユダヤ人を救え」)で記されたデンマークの人たちの日常の政治や日々の暮らしに対する考え方、過ごし方が現在の福祉政策に反映している、そしてさらに磨かれていると思わないわけにはいきません。
この国のいまに引きずる、そして拡大再生産さえされている朝鮮や中国の人々に対する「差別」と比べると、その差は恐ろしいほどです。
確かに、この国の人々の「品位ある行動」には目を見張るものがあります。たとえば大規模な災害などでは、自国民だけではなく他国の人に対しても庶民レベルではそうです。しかし、この国の権力の側に立つ組織、メディア、個人などが垂れ流す「差別」はすでに「構造的」なものとして、庶民レベルでの「品位」を貶め、掘り崩し、さらには多くの人々の心性をゆがめ、まともな感覚を喪失させ、問題によっては(たとえば「日本軍『慰安婦』問題のように」)国際的な嘲笑の的にすらなっているではありませんか。
デンマークと比較するまでもなく、地域の隅々から「品位ある行動」とは何なのか、そしてそれが「当たり前の態度や行動」として表すことができるにはどうすればよいのかを考えるべきときです。当然ながら、それを損なうものと厳しいたたかいが求められる。そのゆく末にこそ私たちの子孫の未来があると強く思わされています。