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  11月27日(木)
朝からテレビで「小春日和」という言葉を何度聞いたことか。全国的に暖かい晴れた一日だったようですが、こちらも例外ではなく10時頃にはすっかり青空がひろがって戸外にいても気持ちのよい日差しが降り注いでいました。冠雪の北アルプスが雲間に浮かんでなかなかの景観でした。


今日は「バラの会」の今年最後の例会。作業はなしで早めの懇親会です。10時頃までに三々五々集まって「豚汁」を囲んでワイワイ楽しく歓談しました。
例年にくらべてバラの花は少なくちょっと元気がないのが気がかりです。来年の春にはまた新芽がたくさん出てくれることを期待して今年の作業を終えました。このあとは、新年の総会と3月初旬の剪定・新苗の植え込み作業。それまでしばらく休眠に入ります。


作業をしているうちに一本のメールが携帯に入りました。担当していた生徒の入試発表があり無事「合格」したという連絡でした。県内外から100名(定員70名)が受験し、早くも発表があったのです。ちょっと時期的に早すぎる入試ですが、学校側としては早くに「優秀」な生徒を確保したいのでしょうか。私立には私立なりの教育方針があるのでしょうが、単に受験成績のみを競うような「受験学力」だけはつけてほしくないものです。
ともあれ、合格と聞いてほっとしました。まだこのあと高校、大学受験を控えた子たちがたくさんいるので、気持ちを引き締めて対応にあたらないといけませんね。

今度の総選挙沖縄選挙区の状況について沖縄タイムスがおもしろい表現をしていました。いわく、「自民と『建白書』勢力、全面対決」。要するに知事選と同じ構図で全選挙区の戦いの火ぶたが切られるということです。
全選挙区で「オール沖縄」対自民の選挙戦になるという構図は沖縄の歴史でも始めててであり、「沖縄の誇りと尊厳」をかけた選挙としての自覚の広範な広がりを示すものです。
沖縄本島南部と石垣島、八重山諸島を含む4区では自民を除名された仲里利信氏に一本化して自民候補と対決する。保守の強いところであるだけにこれに勝利すれば沖縄は自らの歴史を自分たちがつくるという方向に大きく脱皮することになるでしょう。



  11月24日(月)
朝からおだやかな日差し。ゆっくり寝て、ぼーっとしていたらもうお昼です。今日やってしまおうと思っている作業があるのですが、「えいやー」とかけ声をかけてやるまでに時間がかかる。身体がついていかなくなってしまっています。食べて寝ているのがいちばん・・かな。
そうこうしているうちに今日も思いがけない人から地震見舞いのお電話をいただきました。ずっと気にかけてはいながら音信不通のままだった叔母さん(父の妹)からの電話です。思いのほか元気で、自宅でヘルパーさんに助けられて何とか生活していると話していました。近いうちに必ず訪問するからと約束して電話を切りました。

ところで、一昨日富山に行った折に立ち寄ったのがHさんご夫妻。Hさんは富山時代に大変お世話になった同僚で世界史の教師をされていました。以前ご夫妻と私たち夫婦とで沖縄「珍」道中をしたことがありました。忘れもしない3.11直後の支援活動真っ最中、しかし予定は前から組まれていたのでやむなく作業を仲間にゆだねての沖縄旅行だったのです(2011年4月はじめにその記事があります)。

過去いろいろ面倒をかけ、いまだに足を向けて寝られない。
Hさんは現在富山9条ファンクラブの事務局長をなさっており、富山を中心に「ニュースレター」で憲法をめぐる様々な現状や問題を発信し続けているタフな人物。幅広い知識・見識と批判的精神については私の知っている限り右に出る人はいないでしょうね。

私としてはいつか池田で「世界史の中の憲法9条」みたいなタイトルでHさんに池田でお話をしてもらえたらうれしいと思っていたので話題に出したら、「講演といえば先日ある団体から9条について話してくれという依頼があった・・・」と話がそっちのほうに向けられていまいました。
「講演のテーマが、憲法9条をめぐる政治状況とか、成立過程とかというのではなくて、ちょっと変わっているんだ。ドイツのワイマール憲法下でナチスが政権をとっていく過程について話してほしいという」「それで、いろいろ調べてみたら、ヒトラーは政権を取るまでにワイマール憲法には何一つ触っていないんだね。そして多数の民衆がそれを支持し、ある場合には熱狂的にナチスを支持している。現在の安倍がやっていることときわめて似ているんじゃないかと思われる」というような話をしてくれました。
世界史音痴の私には当時のドイツの政治情勢や政治勢力の配置などはほとんど頭に入っていませんから、つい先日読んだ不破哲三著「スターリン秘史」第1巻のはじめにまとめられている部分やジルベール・バディア「ヒトラーの前夜」などを思い出しながら、「とはいえ、国会放火事件を契機に共産党を非合法化したりワイマール憲法を停止したりと乱暴なことをやりましたよね」「確かに熱狂的にヒトラーを支持する大衆もいたけれど、その一方で共産党は100議席近い国会議席を持っていたわけで、そうしたヒトラー支持がドイツを覆い尽くしていたわけではない」などと応じていましたっけ。

ナチスは、ワイマール憲法に手をつけず、恣意的な「合法性」をまとって、その実、突撃隊(SA)の暴力の蔓延、ドイツ共産党への弾圧、マスメディアの支配、左翼政党の分断などをてこにナチスへの支持と幻想を広げていきます。そして、政権をとったあとは例の国会放火事件をてこに共産党を大弾圧し、暴力・クーデターなどで全土を制圧、やがて「全権委任法」までこぎ着けるのですが、そのヒトラーのやり方は、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ」などというものでは全くありません。そもそも「ナチス憲法」なるものは存在しません。まして「静かに民主的に議論を尽くして」ナチスが権力をとったわけでも、全権委任法を成立させたわけでもない。やはりHさん、Yuno Dinnieさんの言うとおり、ワイマール憲法は変えられていない。換骨奪胎もしくは安楽死という方が正しいのでしょう。

こうしたナチスの「手口」を現代日本で置き換えれば、憲法9条には手をつけず、「合法性」どころか憲法を無視して集団的自衛権行使を閣議決定するということに類似するであろうし、その背後でうごめくナチスの武装集団SAやSSにかわるものとして「在特会」「右翼集団」などがあり、ネット上で「デマ」を振りまく「ネット右翼」の分厚い層があるという構図でしょうか。しかも根強い反共風土が形成されて、戦前からの保守的な見方・考え方が根強くはびこって自民党政治を支えています。
もちろん、日本とドイツを類似比較できるほど事態は単純ではありませんし、政治状況はきわめて異なっていることは自明のこですと。だが同時に先にも引用した麻生太郎のコトバ通り、実にそのように現在の政権が一党独裁体制に踏み込もうとしている状況を考えれば、全く反対の意味でナチスの歴史に学ぶことはきわめて重要なことといわなければなりません。

麻生太郎の発言についてちょっと触れておくと、麻生さんは私なんかよりもっと歴史を知らないと思っちゃいますね。

憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。
(引用はこちら。実際の会見はこちら)


麻生さんは、ナチスが「わーわー騒がないで」静かな環境の中で民主的に政権をとり憲法を改正した、とどうやら思っているらしい。だから、そうしたナチスの「手口」に学んで憲法論議をし、ある日気がついたら憲法が変わっていたというようにしたらどうかねと言いたいのでしょうか。

だとすれば、これは重大なナチスの免罪であり、歴史の書き換えであり、表面上「静か」に見えるなら裏でどんなあくどいことをやっても問題にはならないと言っていることと同じです。ナチ賛美などというレベルではなく、無知・無能の証明ですね。それがナチスを引き合いに出すから余計に始末が悪いのです。安倍政権の現実政治の方がよほどナチスの手法に学んでいます。

ジルベール・バディア「ヒトラーの前夜」の訳者、西海太郎さん(おんなじ太郎さんですねえ)の「あとがき」の一節はその意味で示唆に富んでいます。

今日、わが国をふくめて、世界の多くの国ぐにで、国内の政治的対立や国際間の緊張が起こっていて、国によっては、「戒厳令の施行」「非常事態の宣言」「軍事独裁の樹立」など、独裁体制の布告、あるいはその崩壊が報道されることが、しばしばである。このようなとき、かつてもっとも民主主義的と称された、いわゆるワイマル憲法を制定し、議会政治、政党制度を備えたドイツ共和国が、どのようにして、末期には合法性のよそおいを持続しつつ、けっきょく、軍国主義的なナチズム独裁の「第3帝国」なるものへと移行したのか、そのようにした責任はだれにあったのか、などを考えることは、私どもにとってはきわめて大切なことであろう。ヒトラーの勝利は不可避的なもの、阻止できないもの、ではなかったのに、その勝利を許してしまったことは、われわれに悲痛な歴史的教訓をのこしてくれていると言ってもよい。



  11月23日(日)
昨日朝9時頃池田を発って、白馬から小谷を通り糸魚川まで出て富山に向かいました。娘の美容室開店祝いに出かけるためです。
途中友人宅に寄って午後のしばらくの時間を過ごし、そのあと夕方娘の嫁ぎ先に着いて例によって散髪。遅い夕食を済ませて午後10時頃、娘の連れ合いや孫とともにまだ仕事の終わらない美容室に行って、あれこれ手伝っていたときです。突然みんなの携帯・スマホがけたたましく一斉に鳴り出した。地震警報です。まもなくユラユラときた。揺れは体感では震度3くらいでしたが。なぜかめまいがして大地が揺れているような感覚でした。

家に戻ってテレビを見ると、朝通ってきた小谷、白馬あたりが大変なことになっている。夜遅い時間だから被害状況はつかめないけれど、震度6弱の栄村の経験から判断して相当に被害が出ているのではないかと想像できました。
そして今朝、次第に被害状況がわかってくるにつれ、予想が当たっていたことに身震いしました。幸い死者はなかったけれど、家が全壊し「どうやって年を越したらいいのか・・・」と途方に暮れるお年寄りの姿が目に焼き付いています。
今日午前中に立ち寄った妹の連れ合いが、小谷・白馬境界付近で起きた土砂崩れの映像を見ながら「いや〜、ちょっと時間がずれていたら、どうなっていたかわからなかったね。ニアミスだったね」と言っていましたが、全くその通り。ゾッとします。
おかげで帰りは上越・長野周りの高速道路ばかりで、えらく散財させられてしまいました。
高速道路は連休と地震が重なったためか相当混んでおり、挙げ句の果ては事故のために渋滞が発生。5時間ほどかかってようやく6時過ぎに何とか池田に無事帰着できました。

昨夜から今日にかけてたくさんの方から無事を確認する電話をいただきました。ご心配いただき本当にありがとうございました。
念のために、家の中を調べてみましたがとくに異常はありませんでした。ただ、どういうわけかキッチンの引き戸が蝶番が下りたように引っかかってすべて開かなくかなくなっていていました。また、小物が少々倒れたり下に落ちていました。
飼い猫のハルちゃんが、どこに行っていたかと言いたげにギャーギャー鳴いていましたが、エサをたっぷり食べて安心したのかもうアラレもない姿で寝ています。
というわけで、何ともしんどい一日になってしまいました。帰りがけにお魚をたっぷり買ってきたので、明日はおいしい料理でもつくってゆっくりしましょう。

写真上は白馬の山々。続いて下の3枚は娘の「こだわりの」美容室「ふるふる」。なかなかおしゃれなつくりに仕上がっていましたよ。どうぞ地域のみなさま、ひいきにしてやってくださいね。











  11月19日(水)
この秋いちばんの冷え込みという感じで、早朝霜(というより氷)がびっしり。零下3度くらいまで下がったのではないかと思われました。放射冷却です。日が差せば天国、しばらくひなたぼっこを楽しんでいました。
今日は娘の美容室開店日です。これまでは他の美容院につとめていたのですが、一念発起、独立して自分の小さい店を構えることにしたのです。
連れ合いのほうは親と一緒に経営している理容店がありますから、近くでコンビを組める利点があります。しかし、近くにもたくさんの美容院があるので経営は甘くなさそう。そこは実力勝負の世界ですから、技術とサービスで地域で大切にされる店に育ててほしいものです。おめでとうさん。

昨日安倍首相が記者会見し、衆議院の解散を宣言しました。会見の模様を聞いていると、税制の変更は重大な問題だから信を問うとか、アベノミクスはまだ道半ばでそれを軌道に乗せる政策への信任を受けるとか、いろいろ言っていましたね。集団的自衛権行使容認、原発再稼働などは争点ではないかのような口ぶりです。
しかし、マスコミでも流されているとおり、政策の失敗が明確にならないうちに野党の体勢が整わないうちに選挙を行って、安定多数を獲得できるタイミングであると判断したことは間違いない。
この解散によって、「弱小野党」のいくつかは淘汰・整理されることになるのでしょう。今日の政党配置をみると、共産党を除いては庶民の生活に軸足を置いて、政権にきっちりものをいうことができる政党が存在しないことに唖然としてしまいます。公明党を含め自民党政治の補完政党か、さらに右の右翼政党ばかり。
16日のTBS「時事放談」で野中広務元官房長官が野党の動きについて、「野党がだらしがない・・・・共産党以外に、野党として胸を張って堂々とたたかっていく姿はまったくない」と語ったようですが、まったくその通りでしょう。「みんなの党」などはさっそく「解党」に向かうようだし。
とはいえ、消えてしまったとばかり思っていた「太陽の党」というのがまだ生きていたんですね。西村眞悟とか田母神俊雄とという名うての右翼が「自立・愛国・希望の保守政治」を目指すというのですから笑っちゃいます。
もともと「たちあがれ日本」から「太陽の党」となり、さらに維新に合流して、また別れ・・・と、まさしく立ち上がったと思ったらよろけて転けて、転けたと思ったらまたふらふらと立ち上がろうとしてというようなめまぐるしい遍歴の果てに、沈んだと思った太陽がまた顔をだして、さらにひどい姿だったというオチ。私のような田舎の人間にはその「政治力学」とやらはさっぱりわかりません。
分かることがあるとすれば、地域に何の根もなく、どこかの財源をあてに個人的な政治信条をまきちらしているということぐらい。しかし、これに利益を見いだす、というより利用価値を見いだす人々が結構いるんですねえ。突出させ、自分では言えないことを言わせ、場合によって隠れ蓑にする、利用できるうちは最大限利用するそんな勢力のことです。

この国には、そうした突出を別に不思議とも異様だとも思わない政治風土が深く深く根をおろしています。都知事選で田母神の取った得票もそれを示す1つの指標でしょう。
労働者をとことん分断しブラックな環境に陥れ、青年達を救いようのない心理状態に落とし込めば、容易に彼らを取り込むことができます。
アメリカからみると、そんな日本は気が気でないのでしょうね。だから、昨日紹介したような投稿記事もNTが載せる。この狭い国にいっそう閉じこもり、思考を鈍磨させていけば、その行き着く先は無気力か他国への攻撃。そうならないうちに、私たちは沖縄県民の不屈のたたかいに学ぶ必要があるのではないでしょうか。



  11月18日(火)
朝晩、霜と霧の毎日です。昨年よりずいぶん早く山に雪がせまっているのではないかとさえ思える寒さ。沖縄の妻がうらやましい。昨日などは「暑い暑い」といっていましたから。

ニューヨークタイムスのオピニオン欄にMindy Kotler(非営利調査団体Asia Policy Point所長)という方が、「慰安婦問題」でのある論説を載せていました。A Conspiracy of Decencyの勢いを借りて、あくまでお勉強用にと訳を試みてみました。辞書と首っ引きで結構かかりましたけど。
恥ずかしながらですが、その訳文がこちらに記載してあります。MNEMOさん、是非厳しい添削指導をお願いいたします。

ネット上では、朝鮮日報がこの記事を紹介(韓国語)したことで、それをさらに紹介した記事がコピペされて拡散されているようです。
とくに「オランダ少年たちをもてあそんだかと思えば米国の看護師を性暴行した」という話題もとりあげられているために、かなり関心を呼んでいるようです。ただし韓国語からの引用は、むしろ韓国たたきの立場からのものが多いようで、まじめに議論しようとする風潮にはなっていません。
おそらく誰かきちんと翻訳し紹介する方がいらっしゃるなら、それなりに日本でも大きな話題になるかもしれません。

私はこの投稿者がどんな方かは存じあげていないのですが、全体を読む限り、日本の政治情勢や慰安婦問題に精通し本質をよく理解されている方だとお見受けしました。(ただ出典が示されていないのが残念)
とくに最近の安倍政権の歴史修正主義への傾斜を厳しく批判しています。たとえば次のようなくだり。

日本における(慰安婦問題の)公式の見解は急速に現実離れしてきている。それはまるで、アジア太平洋地域の慰安婦よりもむしろ日本人をこの物語の犠牲者として描き出そうとしているかのようである。
安倍政権は自らの歴史見直しが戦時における皇室の名誉と今日の国家的プライドを回復するために必須であると見なしている。
だが、このキャンペーンのより広範な影響は、人権の抑圧に対する国際的な取り組みを後退させ、今後起こりうる戦争犯罪を告発するための責任あるパートナーとして見られようとする日本の願いを弱める結果となってきた。


Kotlerさんは、日本政府がクマラスワミ報告の中で吉田証言による「慰安婦強制連行」の部分を削除するよう求めた問題についても触れて、女史から拒否されたいきさつを記しています。最後に次のように自らの態度を明確にしています。

戦時における強姦や性的人身売買は世界的な問題のままだ。
私たちがこれらの人権侵害を減らすことを望むならば、歴史を否定する安倍政権の試みはすんなりとそのまま通すわけにはいかない。
国連安全保障理事会の常任メンバー、とりわけ日本の慰安婦制度に陥れられた人々を持つ国はすべて、人身売買と性的奴隷の歴史的な記録を否定するよこしまな安倍政権にはっきりと異議を申し立てるべきだ。


何とも明快ですね。私が注目するのは、国際的な水準で日本政府の歴史修正主義とそれに基づく意図的な行動がどのように見られているのかということです。アメリカの心ある調査団体の主要メンバーがこのような見解を表明していることに勇気づけられます。そしてまた、この国を牛耳る人たちの時代錯誤ぶり、思考停止ぶりが浮き彫りにされて、国際社会からどんどん取り残されていく様が見て取れるような気がします。



  11月17日(月)
投票箱のふたを開ければ36万票対26万票。10万票の大差をつけて翁長氏圧勝です。沖縄県内のあちこちで勝利の雄叫びと指笛がわきあがりカチャーシーの輪ができ、また全国の隅々から(いや世界の心人々の間から)お祝いの歓声が上がったことでしょう。沖縄の有権者は、これほど1票の重みを実感したことはなかったのではないでしょうか。
この選挙は英米、アジア各国から注目された選挙でもありました。さっそくイギリスBBC NEWSも「沖縄米軍基地の移設に疑問符」とする解説記事を掲げていました。
辺野古での新基地建設の是非を最大の争点として戦われた選挙ですから、明白な”民意”を安倍政権に突きつけた選挙結果として重大です。沖縄の歴史に大きな一歩を記した歴史的結果と言ってもいいでしょうね。
これは、翁長さんの当選に奮闘した運動員、支持者、応援者の誰もが実感したとおり、自公勢力による「共産党に支配された翁長」という「激烈」かつ「卑劣」きわまりない反共攻撃を見事打ち破っての選挙結果です。企業ぐるみ選挙に打ち勝っての勝利です。
仲井眞陣営が「頼りにする」のは反共攻撃しかなかったという追い詰められた姿は哀れというほかありませんが、沖縄県民はその悪意ある底意を見抜き、動じなかった点でも見事でした。「建白書の実現」の一点で結集した県民の底力を感じさせる選挙結果ですね。
仲井眞知事は「(破れるとは)考えてもみない、想定外のことだ。辺野古への移設が唯一の現実的な選択なんだが・・・」とうそぶいていました。県民を裏切り、変節した末路はミジメ〜。「いい正月」にはなりそうにありませんでしたね、残念!
日本に向かう飛行機の中の安倍首相の心情を慮るに、沖縄県民の姿よりオバマさんの顔ばっかり浮かんでいるのではないでしょうか。「なんと言って説明しようか・・・」と。



  11月16日(日)
午後8時が過ぎると同時に、NHK、琉球新報で沖縄知事選で翁長さんの当選確実が出ました。いやいやこんなに素早く出るとは思ってもみなかったので驚いた。
沖縄県民の良識がはっきりと示されたわけで、歴史的・画期的な勝利といえるでしょう。候補者の翁長さん、奮闘されたみなさん本当にお疲れ様でした。
すぐに妻に電話したら、実家近くの飲み屋でみんなで祝賀会(?)をやっているのだとか。うるさくてよく話が聞き取れず、とりあえず「やったね、おつかれさん」と言って電話を切りました。よかったよかった。妻も応援した甲斐があったというものです。
琉球新報社のサイトの接続がパンク状態になっていて(実は機器の不具合だったらしい)、ネット配信の音声が途切れ途切れ。ブチブチ状態の音を聞きながらこれを書いているところです。
その間にも那覇市長選で城間幹子さんの当選確実の報が入りました。万歳!です。
さて、これでも辺野古への新基地建設を「粛々と行う」というのでしょうか。安倍政権、自公政権への全国的な審判へと結びつけていかなければなりませんね。

琉球新報の電子速報版
沖縄タイムスの電子速報版

今朝の信濃毎日新聞に「権力による『動員』を拒む」と題する社説が載りました。
権力は「民意」をとりつけるためにあえて選挙に打って出ることがあるとして、「民主主義の真価が問われるときだ。権力者が民意を動員しようとするときは、私たちはきっぱり拒否する投票行動で応えよう」と呼びかけています。
「きっぱり拒否する投票行動」とはいったいどんな行動なのか、まさか白票を投じるとか、ボイコットするとかではあるまい。では安倍政権には絶対に投票せず他の党に入れるということなのか、私にはこれだけの指摘では全く信濃毎日の意図がわかりません。
その疑問をより深めている要因として、この社説には次のような一文があるからです。

集団的自衛権、普天間飛行場、原発や年金制度…。問うべき課題はたくさんある。
しかしどれ一つとして、与野党はまとまった政策として示していない。争点になりきれていない。・・・
今度の場合、既に書いたように、国民が判断すべき政治課題は山積していても与野党は選択肢を示していない。解散風にあおられて、消費増税の先送りなど人気取りに走っているありさまだ。


社説を書いている論説員は各政党の政策についてはそれなりに取材し蓄積しているはずですが、私にはこの筆者は日本共産党の政策について評価する対象だと考えていないか、「どれ一つとして」読んでいないかのいずれかではないかと思えます。もし仮にこの選挙に向けて「まとまった政策」を出していないとでも言うなら、何をかいわんやでしょう。
社説で触れるとすれば、「民意」をとりつけるための党利党略の安倍政権を批判するこの論調を深めるだけではなく、四分五裂した「小政党」が「政策」そっちのけで、選挙目当てに「選挙調整」や「再結集」をはかろうとしている「党利党略」こそ指摘すべきなのではないでしょうか。これらの小政党には新党ブームのときに流行ったという次の川柳こそがふさわしい。

オレはいま何党なのかと秘書に聞き

10月25日の日韓議員連盟の総会で全会一致で採択された共同声明では注目すべき内容が盛り込まれています。
その1つが、「日本側が『河野談話』と『村山談話』を継承することを再確認したと述べた上で、議連として『談話の精神にふさわしい行動を取ることにした』と明記したことです。安倍政権が「継承」をうたっている以上当然と言えば当然の態度表明ですが、次世代の党の山田某氏などはこれがいたく気に入らないらしくネットで「韓国側の要求を丸呑み」「とんでもない内容」などとかみついています。「ネトウヨ」のみなさんも我が意を得たりと盛り上がっている始末。こんなものはリンクはしませんからね。検索欄に「日韓議連」と打ち込めば無数に出てきますから。

その2日後、日韓議連副会長である日本共産党の志位委員長が高麗大学で講演を行っています。これは高麗大学アジア問題研究所とハンギョレ新聞の招待で実現したものです。紹介記事および全文はこちら。また参加者との一問一答についても詳細に報道されています。
志位さんが講演で話している内容のテーマはタイトル通り「北東アジア平和協力構想」についてです。
私が注目するのは、信濃毎日社説がどの政党も「政策」として打ち出していないではないかというものの1つ、安全保障政策についてこれほど明確に構想している政党は日本にはなく、それゆえ韓国の心ある人々も率直に耳を傾けようということになったのではないかということ。竹島領有権問題で「これが日本の領土である」という見解を共産党が持っていることは韓国側は承知の上でです。
メディアはこうした政党活動についての報道については、報道すれば支持したことになるとでも思っているかのように抑制的です。外に開かれた集会に何万人集まっても記事にもならない。
ところで、もし山田宏議員が日韓議連の声明に異論を唱えるのであれば、直接韓国に出向いて議員のみなさんと議論し、その主張を通してきたらよろしい。その上で態度を明確にしたらいいのです。もっとも誰も相手にしてくれないでしょうけれどね。

ひところ民主を抜くほどの勢いだった「みんなの党」の支持率が、先日のNHKの調査でついに0パーセントになってしまった。ついでに「生活の党」も0パーセント。
「みんなの党」の関係者の1人は「(0パーセントになったため)政党分類で『その他』に入れられて選択肢にもならなかった。党としてはもう終わりだ」と語ったとか。
そりゃそうでしょう。「政策」よりも「党略」、国民の苦難をよそに議員達だけで政党の組み合わせをあれこれする党に未来があるはずはありません。



  11月15日(土)
沖縄県知事選挙、那覇市長選挙の選挙活動もあと何時間かを残すのみ。竹富では知事選の繰り上げ投票が行われているようです。
朝7時半頃沖縄に電話したら、妻はもう選挙応援に出かけていて、母が電話口に出て元気な声を聞かせてくれました。「ちゃんと食べてるの?」と、まあいくつになっても母の気遣いです。

かつて何度も書いたことのある「ユダヤ人を救え」(A Conspiracy of Decency)を今朝ようやく全て読み終えました。やったぜ。
翻訳書あってこその読了なので、全く自慢にもなりません。いかに翻訳が優れているかを痛感する一冊でもありました。

第8章、第9章では、スウェーデンなどに非難していたユダヤ人達がデンマークに帰還する様子を克明に描いており感動的です。これはいままでも触れてきましたから省略。
戦後、生活再建が進められるにつれ、デンマークではドイツからの解放後に「愛国主義と対独協力をめぐる問題が激しい討論のテーマであり、ほんの短期間であるが、占領中に蒔かれた反ユダヤ主義が発芽していた」ことが記されています。しかし、「デンマークの解放後の混乱は3,4年で過ぎ去った。経済状態は改善され、国はもっと静かな暮らし方へと回帰した。このような正常化が地についてゆくにつれ、反ユダヤ主義が頭をもたげることも少なくなっていった。デンマーク人にとって名誉なことに、反ユダヤ主義は戦争直後のごく短期間の現象に終わった」と作者は指摘しています。
戦前まで激しい中国・朝鮮差別を行い、国内では部落差別、アイヌ、琉球差別を公然・隠然と続けてきた「日本」という国において、そして戦後もそれを伏流水としているこの国において、このデンマークでの教訓が突きつけるものはあまりに重いものがあります。私はこの本を読みながらそのことをずっと考え続けてきました。
この問題について、著者は多くの歴史学者たちの研究成果をもとに、最終章できわめて重要な総括を行っています。ここに、今日の日本において考えるべき実践的な課題が示唆されていると私には思えます。
著者は、「救助の試みが、他の国ではしばしば失敗していたというのに、なぜデンマークではこんなに劇的に成功したのだろうか?」という問いをたてています。
まず注目したいのは、次のような記述です。

デンマークは、ヨーロッパで最も古い民主主義国の1つである。何世紀にも亘り、デンマーク人は、彼らが言うところの「世間知」(the art of living)を発達させてきた。人々が互いに気にかけ、個々の違いが尊重され、独立独行と協力、そして快活であることが高く評価される社会であった。(ドイツ軍による)軍法の施行に対するデンマーク国民の反応はデンマーク国家を勇気づけたし、消極的抵抗から積極的なレジスタンスへと決定的な変化を生み出した。

とはいえ、ナチズムに蹂躙されていくヨーロッパの中で、99%のユダヤ人を救った要因には様々なものがあり、それらが絡み合っていた幸運も指摘しないわけにはいきません。
著者があげている要因とは次のようなものです。
@ユダヤ人がデンマーク社会の中であまねく受け入れられ平等な公民権が与えられていたこと。そうした歴史がデンマークのユダヤ人に対する寛容や敬意という雰囲気をはぐくんでいたこと。
Aユダヤ人の救助にあたって、あらゆる階層のデンマーク人が自発的に協力したこと。たくさんのユダヤ人はキリスト教徒の親戚を持ち、デンマーク人の親友を持っていたこと。
B中立国スウェーデンが地理的に近く、避難場所を提供してくれたこと。
Cデンマークのユダヤ人が絶滅収容所に送られないよう気を配ってくれた、たくさんのドイツ人文官および軍人の考え方や行動があったこと。
D行動のタイミングが適切であったこと。
Eデンマークのユダヤ人が少人数(デンマーク450万人のうち、8000人にも満たなかった)で、そのほとんどが首都に住んでいたこと。

仮にそうした諸要因があったとして、いざとなったときにそれほど自発的に危険を顧みず救助の行動がとれるものなのだろうか。
このような疑問に著者は、救助者には4つのタイプ=強い家族への愛着を持つ人々、ユダヤ人の親友がいる人々、広範囲社会参加する人々、平等主義という顕著な感覚を持つ人々=にわけられるという研究結果を示しながら、そうしたタイプの人々はほとんどが「隣人愛」の実践としてあたりまえに受け止めており、他人に心を寄せる能力、感情移入する能力に優れ、信条のみで救助に駆り立てられたのはわずかに11%だったことを報告しています。
そして、さらに研究結果として次のような注目すべき結果について触れています。
それは、ユダヤ人救出に携わった人々が有意性を持つ事例数で「救助者たちが子どものときに親や親代わり、教師から5つの重要な原則を教わっていた」ということです。その5つとは以下のようなものです。

@人間は本質的にみな同じで、個人個人の違いは尊重されるべきであること。
Aこの世界は「我々」と「彼ら」とで分けられるのではなく、人間性という普遍の絆があるということ。
B正しいことと間違ったことの明確な感覚を持つべきであること、そして自分の信念は擁護すべきであること。
C他者に対し親切にし、思いやりある行動をすること。
D依存せず自立すべきであり、決して大勢に盲目的に従わないこと。


しかし一方で救助者達の多くが子どものときに「別離や喪失、病気、剥奪に苦しんだことがある」こと、つまりそうした体験を通して他者との結びつきの大切さを身をもって学んできたことを明らかにしているのです。

著者はこの本を結ぶに当たって、もう一度「品位の共謀」が特別な人々の特別な行動であったのでは決してなかたことにふれ、次のように語っています。

彼らは聖人ではなく、普通の人々だった。彼らはユダヤ人だからというのではなく、あらゆる人間には、その人の価値や長所が何であろうと、生きる権利、品位ある生活を送る権利があると感じていたからユダヤ人を助けたのだ。・・・
1943年秋のデンマークでは、成人男女も子どもも、広くゆき渡っている「異なっている」と思われる人々に対する憎しみと無関心の文化を越えることができた。普通の人々による親切な行為が、デンマークのユダヤ人を救った。これは我々が今日忘れずに心に留める必要のある教訓である。我々を絶望から救う教訓である。


いかがですか。行動はいつも具体的で人間味にあふれ、悲惨さと隣り合わせであっても悲壮がったりせず、当たり前のこととして普通に身体が動く。現在のデンマークの人々のくらしと心に深く根を下ろしているのだと思わないわけにはいきません。
ひるがえってこの国の姿はどうか。たとえばデンマークの親・教師たちが子どもに何を教えてきたのかをみたとき、政権政党が教育のあり方として掲げている目標とどれほど乖離していることか暗澹たる思いに駆られてしまいます。
デンマークの人たちが示した道は、歴史も考え方も異なる地域だから参考にはならないのではなく、「人間普遍の価値」に接近しようとする共通項では異なるものではありません。従って、私たちは私たちのやり方で地域から権力の狙いに対抗しうる新しい人間関係を作っていくべきなのです。デンマークの人たちの行動は、私たちが人間としての共通の基盤に立つ限り無数の教訓と勇気を与えてくれる・・・この本を読み終えての実感です。



  11月14日(金)
昨夜の報道ステーションで古舘キャスターが「個人的には消費税増税を1年半先送りするのは賛成なんですが、そうなるとメリットの反面デメリットもあるわけで・・・」などと発言していました。「デメリット」を押し出すことで視聴者を増税に誘導しようとするならそれは報道機関の自殺行為というものです。
雑誌「世界」のタイトルは「報道崩壊」。ジャーナリズムの崩壊というのではなく「報道」の崩壊。内容を見るとほとんど同義としてあつかってはいますが、端的に現在のマスメディアの状況をえぐり出すコトバ(もはや4字熟語かな?)といえるでしょう。

10月28日付けの「しんぶん赤旗」で、内田樹さんがおもしろいことを述べていました。

政治がここまで劣化しているのに、それを精密に報道し、分析できるまともなメディアが存在しない。「赤旗」の報道の方がNHKよりバイアス(偏り)が少ないというのは戦後はじめての事態じゃないですか。

私自身はこの評価には必ずしも賛同するものではありませんけれど、ものごとを根本的かつ論理的に考察できる内田さんのような人がみればそうなるという意味では興味深い指摘ではあります。
内田さんに触れたついでに、彼と同僚の経済学者石川康宏さんの共著「若者よマルクスを読もう」T・Uは高校生から20代の若者向けに書かれた本ではあるけれど、実におもしろくためになる本です。是非手にとってみましょう。
いかにもまじめで誠実な学者(じつは共産党の「重要人物」でもあるらしい)である石川さんと、縦横に自分のコトバでマルクスの真意を読み解く内田さんの頭脳のしなやかさの対比が絶妙です。若い頃「全共闘」派で民青派と殴り合ったという経歴を持つ内田さんではあっても、学問の世界でも人間としてもお互いに尊重し合い高め合う2人の関係は見習いたいものですね。

1人ぐらしには慣れているとはいえ、畑や庭にある大量の野菜をどうするか思案中。そんなに食べられるもんじゃありませんからね。
昨日は、炊いたご飯がかなり固めになってしまったので、畑からネギをとってきて、チャーハンを作って食べましたよ。私好みの具(炒り卵、豚バラ、ベーコン、にんじん、刻みネギ)と味付け(実は塩味のみ)です。サラダにしたレタスも畑から直送なのでパリパリとしてうまい。妻がいない間に相当体重が増えそうです。



  11月13日(木)
あと2日を残すだけとなった沖縄知事選。沖縄タイムスによれば公明党の票をそれぞれの陣営が奪い合いになっているとしていましたが、実際には公明党が仲井眞支持を鮮明にし自民同様の反共宣伝に狂奔していると沖縄の妻が伝えてきました。公明の一部には異議を唱えそれに従わない動きもあるようです。当然のことでしょう。
今回の選挙が「保守・革新」という構図ではなく、「島ぐるみ」と「安倍政権直結自民」との対決だという指摘をどこかで見ました。つまり、沖縄県民は過去の本土側からの差別の構造やアメリカによる軍事植民地という歴史を越えて、「島ぐるみ」に表現される自立したその立ち位置を中央に対して突きつける大きな機会を手にした選挙という意義を持っているのです。
翁長・仲井眞の対決は島の中での一騎打ちという性格ではもはやないということです。本土に住む私たちにとっても、安倍右翼政権の片棒を担いで差別し続ける側に立つのか、自らの意思で自らの未来を決める沖縄県民の心に思いを寄せるのかの選択を迫られていると知るべきです。
だとすれば、既定の方針として突っ走り始めている年末総選挙は、特別の意味をもってきます。安倍自民党・公明党の側には全く道理も大義もない。消費税にしたところで「先送り」というだけで、その方針を下ろしたわけではありません。要するに「アベノミクス」の化けの皮があまりはがれ落ちないうちに安定多数を獲得して「国民の信任を得た」としたいだけでしょうから。
それとは正反対に、大義は我々にある。つまり「安倍自民党にはもはや用はない」という選択をすることができる選挙だということです。辺野古での軍事基地建設を許すのかどうか、原発再稼働を許すのか。そもそも消費税ふた桁増税を許すのか。閣議決定しただけの集団的自衛権行使容認を認めるのか、生涯ハケンを固定化する労働者派遣法の改悪を許すのかどうか、生産者米価の暴落をそのままにしTPPに突っ走ることを認めるのかどうか・・・昨日も書いたように、考えればあらゆる分野で生活の困窮、平和の危機、政治の劣化が進行しているわけですから、主権者の側からの明確な意思表示が可能となる機会だということです。各政党はそのことに明快に答える義務がある。

先日来のニュースで、長野市が設置以来「松本大本営地下壕の建設に朝鮮人が強制的に動員された」としていた説明文を「強制的に動員されたといわれています」と書き換えたと伝えていました。今日のニュースでは、市側はこのようにした理由について「歴史的評価については様々な意見があり、一自治体が判断できる問題ではない」とのべたと伝えていましたが、ここには最近多くの自治体で強まっている「相対主義」の衣を着て次第に「歴史修正主義」へすりよっていく姿勢が明白に見て取れます。
信濃毎日新聞10月22日付けは「歴史を曖昧にするのか」として厳しい批判的社説を掲げていました。

「歴史を曖昧にする」どころか、肝心要のところを忘却し、ゆがめ、異なる歴史に置き換えていく、これを「歴史修正主義」といいます。私は「歴史改竄主義」の方がふさわしいと思っているのですが・・・。
たとえば、当時の朝鮮人に対する扱い、彼らの生活はどうであったのか、そのことを全く顧慮せずに「当時朝鮮人は優遇されていた」とか「普通に日本人と同様に扱われていたのが史実」などとまことしやかに述べる記述をみたことがあります。
私の幼い頃に見た「朝鮮人部落」がどのような哀れなひどい姿だったのか、親が「絶対に近づくな」と言い含めたのはなぜだったのかを思い出すたびに、当時の差別意識がどれほど強烈であったのかに身震いが出るほどです。
当時の「日本人」にとって中国や朝鮮の人々への差別意識は理屈ではなく、骨肉化したものですから、そこから生まれる「扱い」がどうなるかは「花岡事件」を例に出すまでもなく推して知るべしです。
残念ながら、その差別の根は現在なお生き続け、ところによっては毒素を出しながら肥え太ってさえいる。そうした病根を絶たない限り、沖縄の人々とのつながりを生み出すことは不可能でしょう。さまざまなことがこの沖縄県知事選に、総選挙に結びついて問われていると私には思えます。




  11月11日(火)
週初めはどうしても仕事中心になるので勢い他のことができなくなってしまいます。小6の入試があと2週間を残すのみ。高校生もセンター実戦対策に入り、さらに私立中学の数学も気を抜けないということで、いつもより入念な準備が求められるからです。
私の場合はこうした準備は、時間かまわず一気に最後までやってしまうので、出来てしまえばあとは楽。小6については先週終わり、高3については今朝までに一通りのことは終えたので、直前までは楽です。

さて、妻が郷里に出かけたのが昨日の朝。夕べは、無事着いたという連絡だけでしたが、今日の話では「沖縄は暑いくらいで半袖でもいいほど」だということ。また知事選は、メディアの流す「翁長氏先行」で過去に敗北したことがあるので要注意だし、那覇では市長選と重なったり解散風の影響で相当に大変な状況だと話していました。明日から本格的に事務所で応援に取り組むと言っていました。

さて、そんな中で急に吹き始めた衆議院の解散風。あと1ヶ月ちょっとで投票日などとはいくら何でも唐突な感じが否めませんが、自公は民主などの態勢が整わないうちにと極秘裏に準備を進めてきたのでしょう、かなり前から準備をしてきたような口ぶりです。
だが、安倍首相が国会解散に打って出るとして、どこからどう見ても何の大義もありません。ただこれ以上放置すればそれだけ支持率が下がるからという党利党略だけのものです。
とすれば、沖縄での新基地建設や消費税増税はもちろん、原発再稼働、集団的自衛権容認、秘密保護法、労働法制改悪や介護保険の改悪、TPPの強行などあらゆる分野にわたっての「亡国の政治」に厳しい審判を下す絶好の機会にしなければなりますまい。自公をして、こんなはずではなかったと言わせるようにすべきでしょう。





  11月7日(金)
先日、何年か前に有機農業を志して池田町に移住し現在研修中の1人の青年が訪れ、農地を探しているという相談を受けました。私が農業をやっているからというわけではなく、現在借りている畑の持ち主にどこか適当なところがないかどうか仲介の労をとってほしいというものだったのです。
さっそく2人で地主のお宅を訪問し、持ち主の息子さん(といっても定年を過ぎている)も含めて、小一時間かけていろいろ農業に関わる話をしました。話はとんとん拍子ではこび、現在農協に委託している農地を快く貸していただくことができただけではなく、その青年が住む家の候補まで紹介してくれ大喜びでした。
現在どの農家も高齢化がどんどん進んで、農協に委託するにも限度がある状態だし、何より米価が急落していることが農業を続けさせる意欲を急激に奪っていることは広く指摘されている通りです。
何とか田畑を守りたいという「心意気」で現在農業を続けている農家が多いことや、耕作しなくなった田畑は後日復元することは容易ではないから赤字覚悟でも耕作せざるを得ないことなどから、青年の申し出は農家の方にとっても願ったり叶ったりということのようでした。
いつも通り慣れている町道の脇はよく整備されたに民家が普通に並んでいるのですが、ちょっと奥に入ると無人の家がいくつもあるんですねえ。近くの町を知っているつもりでしたが、荒れた土地や廃屋を見て認識を新たにしました。おそらくこれから10年もすればこの町も恐ろしいほどの変貌を遂げるのではないのでしょうか。
その青年は、ゆくゆくは農業法人をつくり本格的に農業をすすめる夢を語っていましたが、事はそれほど容易ではありません。有機農業となればますますそうです。有機農業専用の農地を確保することは行政の強力な指導なしにはできないことだし、若い世代が農業に参入する手立てを講じることも行政はもちろん既存の農業団体などが積極的に関与していかなければ不可能でしょう。しかもこれは待ったなしの課題。
20代、30代の世代の若者で農業を志す人たちがこの町に何人もいることが何よりの救いです。町をあげてこうした意欲を評価し、次代につなげるように援助していくことが求められているのではないでしょうか。



  11月6日(木)
11月に入ってもう一週間になります。北アルプスの峰々は南の方まですでに冠雪。晴れた夜には月明かりに白く浮かび上がって見えます。
月曜から水曜および金曜の塾の仕事が結構準備を含めて忙しく、木曜にはバラの会、土日は畑仕事などがあって、ついブログの更新をサボりがちになっています。これについては、気負わず書けるときに書いていこうという気持ちもあって、のんびり構えていますので、そのようにおつきあいください。

まず、バラの会は11月が最終月。年末か年始に総会を行い、3月下旬から来年の作業開始。今年の最終日には「芋煮会」をやって占めようとみなさんと話し合っています。
毎週の手入れの甲斐あってか、まだバラはそこそこ咲いています。ただ、栄養状態や病気の状態の診断ができるほどにはみんな詳しくないので、一度専門家に見てもらう必要がありそうです。
園内にある柿の木に実がたわわになっているので、地主の許可を得て段ボール箱一杯もらってきました。先日知人からいただいた柿と併せて干し柿にするつもりです。
どうやら今年は柿の豊作のようで、どこでも鈴なりになっています。小さい柿も多いのと木が大きすぎるので、たいていは越冬する鳥のえさに。

畑では、落花生の第2弾の取り入れ・乾燥がすでに終わってあとは油にあげるだけ。虫除けの覆いをしたおかげで、白菜とレタスが今年はうまくいきました。二,三日前には白菜を使って牡蠣鍋に。さくさくと新鮮で実にうまかった。とはいえ、このあとの野菜は「小松菜、大根、白菜、ネギ」で占められることになるので、相当に工夫が要りますね。あとカボチャ、唐芋、里芋も。

10日には妻が沖縄に出発し、2ヶ月ほど実家に逗留するので、私1人では食べるのがますます大変です。どうぞ食べる手伝いに来てくださいませ。
沖縄では、知事選投票日まであと10日。熾烈な選挙戦が展開されています。4日付け琉球新報によれば、「翁長氏先行」という選挙情勢が紹介されていましたが、最も危険なのは「安心感」。安倍自民党直結の仲井眞陣営では、今回も「共産党支配のオール沖縄」というカビの生えたデマ宣伝が広範囲に流しているようですね。政策論争では太刀打ちできない仲井眞陣営の「最後の頼み」が反共攻撃であるのは、どこの選挙でも見られる構図です。
しかし、カネで沖縄の心を売って新基地を提供しようとする仲井眞知事の「裏切り」への怒り・批判は、今回の選挙ではことのほか大きい。低劣な反共攻撃に踊らされる沖縄県民ではもはやありません。先日のセルラースタジアム那覇でひらかれた決起集会にはスタジアム観客席を一杯にする1万5千人が参加したことや、先の琉球新報のニュースでも75%が辺野古への新基地建設に反対していることからもわかりますね
。沖縄県知事選挙では何としても”圧倒的な票差”で翁長氏の勝利を勝ち取らなければなりません。最終版1週間ですが、妻も現地でそれなりの働きをしてくれるはず。池田のみなさんから寄せられた支援カンパを携えて行くことになっています。




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