沖縄県知事選挙、那覇市長選挙の選挙活動もあと何時間かを残すのみ。竹富では知事選の繰り上げ投票が行われているようです。
朝7時半頃沖縄に電話したら、妻はもう選挙応援に出かけていて、母が電話口に出て元気な声を聞かせてくれました。「ちゃんと食べてるの?」と、まあいくつになっても母の気遣いです。
かつて何度も書いたことのある「ユダヤ人を救え」(A Conspiracy of Decency)を今朝ようやく全て読み終えました。やったぜ。
翻訳書あってこその読了なので、全く自慢にもなりません。いかに翻訳が優れているかを痛感する一冊でもありました。
第8章、第9章では、スウェーデンなどに非難していたユダヤ人達がデンマークに帰還する様子を克明に描いており感動的です。これはいままでも触れてきましたから省略。
戦後、生活再建が進められるにつれ、デンマークではドイツからの解放後に「愛国主義と対独協力をめぐる問題が激しい討論のテーマであり、ほんの短期間であるが、占領中に蒔かれた反ユダヤ主義が発芽していた」ことが記されています。しかし、「デンマークの解放後の混乱は3,4年で過ぎ去った。経済状態は改善され、国はもっと静かな暮らし方へと回帰した。このような正常化が地についてゆくにつれ、反ユダヤ主義が頭をもたげることも少なくなっていった。デンマーク人にとって名誉なことに、反ユダヤ主義は戦争直後のごく短期間の現象に終わった」と作者は指摘しています。
戦前まで激しい中国・朝鮮差別を行い、国内では部落差別、アイヌ、琉球差別を公然・隠然と続けてきた「日本」という国において、そして戦後もそれを伏流水としているこの国において、このデンマークでの教訓が突きつけるものはあまりに重いものがあります。私はこの本を読みながらそのことをずっと考え続けてきました。
この問題について、著者は多くの歴史学者たちの研究成果をもとに、最終章できわめて重要な総括を行っています。ここに、今日の日本において考えるべき実践的な課題が示唆されていると私には思えます。
著者は、「救助の試みが、他の国ではしばしば失敗していたというのに、なぜデンマークではこんなに劇的に成功したのだろうか?」という問いをたてています。
まず注目したいのは、次のような記述です。
デンマークは、ヨーロッパで最も古い民主主義国の1つである。何世紀にも亘り、デンマーク人は、彼らが言うところの「世間知」(the art of living)を発達させてきた。人々が互いに気にかけ、個々の違いが尊重され、独立独行と協力、そして快活であることが高く評価される社会であった。(ドイツ軍による)軍法の施行に対するデンマーク国民の反応はデンマーク国家を勇気づけたし、消極的抵抗から積極的なレジスタンスへと決定的な変化を生み出した。とはいえ、ナチズムに蹂躙されていくヨーロッパの中で、99%のユダヤ人を救った要因には様々なものがあり、それらが絡み合っていた幸運も指摘しないわけにはいきません。
著者があげている要因とは次のようなものです。
@ユダヤ人がデンマーク社会の中であまねく受け入れられ平等な公民権が与えられていたこと。そうした歴史がデンマークのユダヤ人に対する寛容や敬意という雰囲気をはぐくんでいたこと。
Aユダヤ人の救助にあたって、あらゆる階層のデンマーク人が自発的に協力したこと。たくさんのユダヤ人はキリスト教徒の親戚を持ち、デンマーク人の親友を持っていたこと。
B中立国スウェーデンが地理的に近く、避難場所を提供してくれたこと。
Cデンマークのユダヤ人が絶滅収容所に送られないよう気を配ってくれた、たくさんのドイツ人文官および軍人の考え方や行動があったこと。
D行動のタイミングが適切であったこと。
Eデンマークのユダヤ人が少人数(デンマーク450万人のうち、8000人にも満たなかった)で、そのほとんどが首都に住んでいたこと。
仮にそうした諸要因があったとして、いざとなったときにそれほど自発的に危険を顧みず救助の行動がとれるものなのだろうか。
このような疑問に著者は、救助者には4つのタイプ=強い家族への愛着を持つ人々、ユダヤ人の親友がいる人々、広範囲社会参加する人々、平等主義という顕著な感覚を持つ人々=にわけられるという研究結果を示しながら、そうしたタイプの人々はほとんどが「隣人愛」の実践としてあたりまえに受け止めており、他人に心を寄せる能力、感情移入する能力に優れ、信条のみで救助に駆り立てられたのはわずかに11%だったことを報告しています。
そして、さらに研究結果として次のような注目すべき結果について触れています。
それは、ユダヤ人救出に携わった人々が有意性を持つ事例数で「救助者たちが子どものときに親や親代わり、教師から5つの重要な原則を教わっていた」ということです。その5つとは以下のようなものです。
@人間は本質的にみな同じで、個人個人の違いは尊重されるべきであること。
Aこの世界は「我々」と「彼ら」とで分けられるのではなく、人間性という普遍の絆があるということ。
B正しいことと間違ったことの明確な感覚を持つべきであること、そして自分の信念は擁護すべきであること。
C他者に対し親切にし、思いやりある行動をすること。
D依存せず自立すべきであり、決して大勢に盲目的に従わないこと。しかし一方で救助者達の多くが子どものときに「別離や喪失、病気、剥奪に苦しんだことがある」こと、つまりそうした体験を通して他者との結びつきの大切さを身をもって学んできたことを明らかにしているのです。
著者はこの本を結ぶに当たって、もう一度「品位の共謀」が特別な人々の特別な行動であったのでは決してなかたことにふれ、次のように語っています。
彼らは聖人ではなく、普通の人々だった。彼らはユダヤ人だからというのではなく、あらゆる人間には、その人の価値や長所が何であろうと、生きる権利、品位ある生活を送る権利があると感じていたからユダヤ人を助けたのだ。・・・
1943年秋のデンマークでは、成人男女も子どもも、広くゆき渡っている「異なっている」と思われる人々に対する憎しみと無関心の文化を越えることができた。普通の人々による親切な行為が、デンマークのユダヤ人を救った。これは我々が今日忘れずに心に留める必要のある教訓である。我々を絶望から救う教訓である。いかがですか。行動はいつも具体的で人間味にあふれ、悲惨さと隣り合わせであっても悲壮がったりせず、当たり前のこととして普通に身体が動く。現在のデンマークの人々のくらしと心に深く根を下ろしているのだと思わないわけにはいきません。
ひるがえってこの国の姿はどうか。たとえばデンマークの親・教師たちが子どもに何を教えてきたのかをみたとき、政権政党が教育のあり方として掲げている
目標とどれほど乖離していることか暗澹たる思いに駆られてしまいます。
デンマークの人たちが示した道は、歴史も考え方も異なる地域だから参考にはならないのではなく、「人間普遍の価値」に接近しようとする共通項では異なるものではありません。従って、私たちは私たちのやり方で地域から権力の狙いに対抗しうる新しい人間関係を作っていくべきなのです。デンマークの人たちの行動は、私たちが人間としての共通の基盤に立つ限り無数の教訓と勇気を与えてくれる・・・この本を読み終えての実感です。