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  11月22日(水)
今朝もまた凍り付く寒さ。今年は年のせいか寒さがうんと身にしみます。

先日、町内の本屋に立ち寄ったら、見慣れた題名の本「君たちはどう生きるか」が積んである。何とマンガになっているのでした。
本屋さん曰く、小説も漫画本も「何故か評判になって、いますごく売れているらしいですよ」だって。漫画といっても、かなりの部分、原作の小さな文字で埋められているので普通のコミックに慣れている人はちょっと抵抗かあるかもしれないですね。
そのときは「ふ〜〜ん」と思ってそのまま帰ってきたのですが、他の本屋でもやはり店頭に並んでいた。やはりよく売れているのでしょうか。どうにも気になって、今日思い切って漫画本を入手してきちゃいました。
私が吉野源三郎さんの戦後版(1956[S31]年改定)に接したのは思い出せないくらい昔のこと。すでに教師の仕事をしていた私にとって、この本は教育とは何かを考えるうえで大きな影響を与えました。マンガといっても、描き方もしっかりしていて、なかなか読み応えがありました。多くの若い人に手にとってほしいと思うイチオシの本です。マンガから興味を持って原作に、さらに他の本へと読み進めばいいのですからね。

漫画本は、原作にそって「へんな経験」から始まりますが、その中でおじさんは14歳の純一君へのノートに「ものの見方について」という一文を記します。のっけから深い思索を純一君に課すのです。この一文を通して、おじさんがなぜ純一君に「コペル君」というあだ名を進呈したのか、コペルニクスに戻って説明し話しかけています。
その中に、次のような一節があります。

君がおとなになるとわかるけど、こういう自分中心の考え方を抜けきっているという人は、広い世の中にも、じつにまれなのだ。・・・
しかし、自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていたあいだ、人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、ものごとを判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることができないでしまう。


さしずめ私などは、どんなに「世のため人のため」と言ってみたところで、物心ついた頃からの自分中心主義が抜けるわけもなく、いまだにその渦中にあるといっても言い過ぎではありません。
もちろん、おじさんも、自分自身をよく分かっていてこのように書いているのは当然で、だから「ものの見方」を身につけるためには、外に目を開くこと、それを通して自分自身に向き合うべきであると、コペル君にも自らにも言い聞かせているのでしょう。それゆえ、私自身もおじさんのコトバに出会って「考える」ことの大切さを改めて学ばされるのです。

話は変わりますが、国会の代表質問で、希望の党の玉木代表が故大平正芳元首相の「楕円の哲学」を引き合いに出したと報じられていました。玉木氏によれば、「政治も世の中も、二つの相対立するものが、適度な緊張と調和の中に共存している、そんな状態が望ましい」「(希望の党は)日本の政治の中で、自民党にかわる楕円のもう一つの中心となり、政権を担う核となることを目指」すのだそうだ。
あまりにも手前ミソ、自分勝手、自己中心的で、これでは大平さんの「楕円の哲学」とは似ても似つかないものになってしまいませんか。「おじさん」にも「コペル君」にも、「世の中はあなた方を中心に回っているのではありません」と、こっぴどく批判されること請け合いです。

地球は太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描いて太陽の周りをまわっていることはよく知られた事実。しかし、もう一つの焦点がどこにあるのかなどは問題にもなりません。私にしてみると、「楕円の哲学」などという言い方は、図形にかこつけた単なる例え話に過ぎず、楕円自体に深い意味があるわけではありません。まして玉木氏のように自分たちをその”中心”の1つと見るなどというのは、楕円という2次曲線についてはもちろん、世の中のできごとについても何事もわかっていないということです。
楕円には中心は1つ(長軸と短軸の交点)しかありません。2つあるのは「焦点」です。ざっくり言って、楕円の焦点が中心から離れている度合いを表す数値が「離心率」。玉木さんには「民心離心率」を計算してもらった方が早いんじゃないかなあ。
こんなことを言ってみても「コトバ尻をとらえて」「そんなことは百も承知」と言われておしまいになりそうですが、玉木さんは「中心」というコトバにことさらに「意味」を込めているようなので、敢えて触れた次第。
この際、コペル君といっしょに、おじさんのコトバにいま一度しっかり耳を傾けてみたいものですね。



  11月21日(火)
例年になく早い雪。昨夜12時頃まで雪模様となって、それからは晴れて来たらしい。それでも朝には2,3センチの積雪で辺り一面真っ白です。去年、雪が少しでも地面に積もったのは確か12月の半ばでしたが・・・。
朝7時前には北アルプスも頂が日をあびて赤く染まって見えましたが、まもなく雲に覆われ、日が高くなるにつれてまた少しずつ稜線が見え始めています。もちろん山は麓まで真っ白。峻厳な北アルプスの装いです。




今日は妻が沖縄を発って午後7時頃に帰宅する予定。沖縄は12月といっても22,23度ですから、気温の落差にしばらくは慣れないことでしょうね。去年私もそうでしたから。

午後6時半ごろ、妻が無事明科駅に着きました。家に着いてから、さっそくお風呂にはいり、食事。風呂も食事もまともじゃなかったというので、一体どんな生活だったんですかねえ。まあ、無事帰着できて何よりでした。



  11月19日(日)
今朝は予想通り相当に冷え込んで、どうやらチラチラ雪が舞ったようですね。ほんのちょっと土の上が白くなっていましたから。


午前中は、私の住む地域である滝沢地区の自主防災会勉強会。白馬村の被災地からお二人を招いて体験や教訓を聞こうと計画したものです。
これまでも何度か書いてきたように、滝沢地域では恒常的に活動できる防災組織に改組、大地震が起こっても一人も犠牲者を出さないようにすることを目標に、今年度から精力的に議論と勉強を重ねてきました。今日は8月下旬につづく第2回目。
話をしてくれたお一人は、神城断層地震で被害が集中した白馬堀之内地域の当時組長をしていたKさん。幸い家は傾いただけだけで倒壊は免れたために、組長として全員の安否を確認したり、助け合ったりする先頭に立った経験を語り、日頃からの隣近所の深いつながりが犠牲者を出さなくても済んだ1つの要因だったことを強調。
しかし同時に、雪がない時期で瓦屋根の家が少なかったこと、夜10時頃で火を使っている家がほとんどなかったこと、動ける人はすべて救出などに出られたことなどラッキーな要因も重なったことにも触れていました。
関西から移住し単身古民家に住んでいたもうお一人のTさんは、地震で1階部分が2階に押しつぶされ、寝ていたベッドのすぐ上まで天井が落ちてきたこと、幸い、壁が外に倒れたために何とか自力で出られたことなど生々しい事実を話してくれました。
震度6強〜7くらいになると、もはや何もできない状態になると言っていましたから、このような話を聞いた参加者は、大地震についての認識を新たにしたことは間違いありません。
ただ、一度話を聞いても時間がたつとまた意識は薄れてしまいがちですから、経験者から何度でも話を聞いて、認識を上書きしていかないといけないこともまた痛感させられました。













  11月18日(土)
寒波の襲来で昨日から冷え込んでいます。きのうの夜はとくに寒く感じられたので、はじめて床下暖房を入れたのですが、今朝起きてみると霜は降りていないし、さほど冷え込んだという印象がない。ちょっと不思議です。
それはともかく、朝からどんよりと重い雲が垂れて、ポツポツ雨が落ちています。明日はさらに寒さが厳しくなるのでしょうか。

妻から荷物が届いたので、連絡をしようと電話したら、ちょうど辺野古に向かうところなのだという。大型バス2台で那覇から辺野古に向かっているようでした。
琉球新報辺野古取材班のツイッターによれば、8時15分ですでに70人が集まって集会が始まったとありましたから、10時過ぎにこれに合流するのでしょう。沖縄タイムスのツイッターでは10時5分に150人を超えたと紹介していました。今日は統一行動日になっているのでしょうかね。ここには妻も多分加わっているはずです。(写真は沖縄タイムス・ツイッターによる)


現在辺野古では従来本部町と国頭村から陸路で石材を運んでいたのを、国頭村からの搬出は奥港から海上輸送に切り替え、石材を台船に積んですでに運び始めているのです。これに加えて本部からも海上輸送を始めるというので、沖縄では反発がひろがっていると現地新聞は伝えていました。
国頭村奥といえばヤンバルの最北に位置する静かなところ。琉球新報は13日付けで「辺野古新基地資材、きょう海上輸送 国頭村の奥港から 区民、阻止行動へ」との見出しで、現状を伝えていました。「区は13日、船での砕石輸送を阻止するため、阻止行動への参加を集落内の放送で呼び掛けた」と書いていましたから、いかに防衛局のやり方が一方的で強圧的かということがわかります。
下は、私の想像する海上輸送路、多分こんなことになるのかなという地図です。さらにその下は、北上田さんの日記からの転載。








沖縄の県民は、積み出し港と辺野古の両方で石材の搬入搬出に抗議する行動を続けています。
県は、9月に奥港の岸壁と港湾施設用地の使用許可を出し、本部町も本部港の使用許可を出すなど、世論と逆行する動きをとっており、この点では翁長知事に対する批判も強まっているのです。
裁判に訴えられれば負けるのは分かっているので、法令上やむを得ない措置だというのが県側の主張。北上田さんは「港湾使用許可の審査基準には、『環境を悪化させるおそれがないこと』という項目がある。許可が間違いだったことは明らかだ」として「県は、この審査基準にもとづき、ただちに使用許可を取り消すべきである」と強調しています。
「本土」のテレビ・新聞は、こうした動きは全くといっていいほど伝えていませんね。



  11月17日(金)
昨日は午前中がバラの会。日中は庭の片付け、夕方は「こどもじゅく」とちょっと忙しかった。
バラの会の作業は11月でほぼ終了。次回の23日で園内の作業は終わって、あとは30日の打ち上げパーティーと12月7日の堆肥作りを残すだけです。
参加者は相変わらずで、今回は7名。それぞれの事情に合わせて集まっているので9時過ぎには2,3名でも徐々に来てくれて最後には何とか形になっています。本当はもう少し集まれるといいんですけど、みんな異なった事情があるし、歳だし・・・。無理が言えないところが辛い。
まだ園内にはバラが結構咲いているので、「在庫一掃」でよさそうな花をみんな摘んで持ち帰ることにしました。霜が降りると、花も駄目になってしまいますから。
というわけで、持ち帰って飾った花が下の写真。きれいです。


「こどもじゅく」に、妻が送ってくれたバナナを一房(30本くらいついていてものすごく重い)持って行きました。バラの会でも「こんなに美味しいバナナ初めて」というくらい好評だった沖縄バナナ、「こどもじゅく」でも好評で「丁度いい大きさだね」「味が濃いね」といいつつパクパク。持って行った甲斐がありました。




妻からの最新の情報では、子猫たちがずいぶん慣れてきたようで、家の中でくつろいでいる写真が送られてきました。


親に似ているのは右側のベージュ色の子猫(もう大ネコになってしまったのかな)、どうして真っ黒けのネコが出来たのか不思議です。相手のオスが黒かったんですかねえ。
「このぶんだとやっぱり別れがつらいかな」とメールにありましたから、ネコ嫌いもついにここまでになったかと私は感慨無量。
ちなみに、我が家のハルちゃんは「ぐーたらネコ」になってしまい、一日寝そべっています。2日前に、珍しくネズミを捕まえて持ってきましたが、チョイチョイと遊んですぐにプイと興味を失ってしまいました。どうしたんでしょうか。


今日の夕方、ハルちゃんがまた何か捕まえてきた。今度はネズミに見えるがどうも違う。鼻が長くてシッポが筆のようになっているので、これはどうやら”モグラの赤ちゃん”らしい。
取ってきたときは、かなり強く噛んだらしく出血してもう絶命。よって写真はネット上でよく似たのがあったので、ちょっと失敬しました。
ハルちゃんは結局捕らえてきて遊んでいるだけ。しばらくするともう興味を無くしたみたいでどこかに行ってしまった。どうするんじゃい、このモグラ。






  11月15日(水)
希望の党の小池代表が辞任するというニュースが昨日報じられましたが、扱いは全く冷ややか。党内では「解党だ」との声も出ているのだとか。
今年の9月25日にそれまで若狭氏らがすすめてきた新党構想を「リセット」するとして自らを代表とする「希望の党」の設立を発表したことはまだ記憶に新しい。希望の党の立ち上げはその2日後の9月27日のことでした。
それからたった1ヶ月半で代表辞任という信じがたいこの党の姿。「しがらみのない政治を作り上げることによって、国民の皆さんへと希望を届けていきたい」と語った当初の姿勢はもとから単なるプロパガンダだったと思わざるを得ません。
一般的にはこの党への風向きが変わったのは、民進党からの合流についてリベラル系を「排除する」と発言したときだと言われていますが、本当にそうなのか。
私はこの党の発足当時から、この党が小池私党であり、超右翼の顔をあたかも改革者であるかのように隠して票をかすめ取ろうというグループに過ぎないとみてきました。
政党としての形も政策も集団的に議論してつくったわけでもなく、単に感覚的に「何かしてもらえる」という空気を作ることで一定の動きをつくっただけで、その風が通り過ぎれば寒々とした光景だけが残った、ということではないでしょうか。
小池頼みの綱が切れてしまったからには、もはやこの党には何の求心力もなく、自民・公明と、やせ細った民進党および立憲民主党の狭間で揺れ動くだけの根無し草になったということでもありますね。そうしたこの党の本質そのものがあまりにも露骨に見えたからこそ「風向き」が変わったのではないでしょうか。
この無様な経過は、当然ながら都政と第1党である都民ファーストに跳ね返らざるを得ません。事実、11月13日の葛飾区議選の結果。都議選の「熱」が残っていれば5人全員高位当選してもおかしくなかったはずが、当選はわずかに一人だったのですから。
いったいあの「熱狂」は何だったのか。結局体よく築地を豊洲に移す口実を与えただけではなかったのか。都政の停滞の状況は、もはや都民ファーストどころではありませんね。



  11月14日(火)
予報通り、昼過ぎから雨。寒くなってきました。ちょうど昼ごろだったか、沖縄の妻からどっさりと「バナナ」が届きました。畑でとれたのかな。今年はそれほど台風被害がなかったからバナナも大丈夫だったのでしょうね。


歴史学者の笠原十九司さんによれば、「戦争とは<敵>とした相手国の兵士・市民を、組織的に、大量に殺害する行為」だとし、それには必ず<前史>があり、いくつかのターニングポイントを経て<前夜>に至るのだといいます。
ご自身の研究の総集編ともいえる「日中戦争全史」(上・下)において、笠原さんは次のように書いています。

日本国民が日中戦争の歴史から学ぶべきことは、いつから「前史」が始まり、いつ「前夜」に転換したかを知ることである。それは将来、日本が戦争「前夜」にいたるのを防ぐための国民の英知を身につけるためである。

この「全史」はまだ読み始めたところなので、これだけしか紹介できませんが、実は雑誌「世界」(12月号)で、編集部のインタビューに答えて、その問題意識の意味するところと「全史」の要点を印象深く答えているのです。
編集部は「現在の日本について日本は戦争の『前史』を歩んでいると認識されるか」と単刀直入に聞きます。
笠原さんいわく、「私は、日本は戦争の『前史』をすでに歩んでいると考えます」と答えているんですね。もちろん根拠をあげた上でですが。
そして、「現在の安倍政権が、戦後日本の平和主義の歩みを変質させるターニングポイントを作り出していることは明らか」だと述べ、「<前夜>の状況へと決定的に変質する前に、声が上げられるうちに声を上げることが大事だ」と強調。
私が思うに、来年の通常国会に自民党が9条改憲案を出して国民投票を狙うというのはまぎれもなく重大な「戦争へのターニングポイント」になりうるでしょう。そこまでくればもはや<前夜>と言ってもいいのかもしれません。

日本の現状について、笠原さん「政権中枢が歴史修正主義に染まっている異常性」をあげて、強い危惧の念を表明しています。おそらく日本においては、ジャーナリズムでさえさほど大きな問題とはとらえられていない。しかし、世界の目からみれば本当に異常なことなのです。
これに関連して、笠原さんが自らの体験を踏まえ、面白い事実を紹介しています。
それは、今年9月に「南京事件80周年国際シンポジウム」で訪中した際)に見聞きした中国側の南京事件研究の態度についてです。
今年の国際シンポでの報告や議論の注目すべき特徴は何だったか。それは、「そこで語られている主要なテーマが、すでに残虐な史実の掘り起こしといった視角から、過去の不幸をどう乗り越えていくかという切り口に変化している」ことだと言うんですね。

南京大虐殺祈念館に来た中国の人々は「こんな酷いことがあったのか」と恨みを持つ。そのまま何の手立てもしなければ日本人嫌いになることも当然あるわけですが、<南京>が、そういう憎悪を拡大させるような記憶の装置であってはいけない、そのような問題意識が共有されています。南京事件という人類的な不幸が発生した原因を冷静に分析することによって、再びあのような虐殺事件が繰り返されないような状況をつくる。<南京>は人類の不幸を克服していくための発信地となっていかなければならない、という問題意識です。

南京事件記念館の展示も、かつては残虐性と愛国主義の強調という特徴をもっていたけれど、最近はむしろ「平和研究やヒューマニズムにもとづく柔軟な姿勢」に発展してきているとし、「中国の学術研究が着実に広がり、高まっている状況を見て、ため息が出るような思いでした」と笠原さんは書いていました。本当に実感のこもる感想です。
日本の政権中枢の認識はもちろん「南京虐殺」などはなかったか、あっても戦争状態の中での軽微な殺害であって、中国側の発表は「白髪三千畳」のたぐいにすぎないというもの。
政権担当者から相も変わらず口にされる歴史の偽造・捏造を目の当たりにして、私自身、あの戦争から今日までの現代史を何度でも学ぶべきではないかと痛感させられています。

これに関連して、今年の8月15日にNHKが放送した「戦慄の記録 インパール」をようやく観ました。DVDに残しておこうと思いながら果たせなかったのですが、今日ようやくできたというわけ。
よくぞ、これだけの記録を集め、詳細に実態を解明したものだと深い感銘を覚えつつ、大本営、作戦立案者、作戦実行者らの無謀で無責任、人命無視のインパール作戦の実態を改めて身に刻みました。
終戦記念日などになると「現在日本の繁栄があるのは、あの戦争で亡くなった人たちのおかげだ」などという戦犯免罪の言辞が蔓延ります。現地の実状と兵站を全く無視した戦争指揮によって、インパールに向かうときよりも撤退する時に犠牲者が多かったという事実、しかも殆どが病死・餓死だったというインパール作戦の無残な結末をみれば、先の言辞の無内容さが明らかとなります。現地の人たちから食糧を奪い、家畜を奪い、それでも現地の人たちは傷ついた兵士を介抱しているんですね。
私は、日本の戦争ということを考えるときに、過去に「皇軍」の持つ精神主義、無責任体質、人命軽視の体質が今日本当に解決されたのかどうか厳しく問わなければならないと思います。安倍政権だけではなく、戦後野放しにされた戦犯や旧官僚たちと今日との人的連続性を考えれば、あながちそれは無意味な問いではないはずです。



  11月13日(月)
朝はいつものように深い霧。そのためかさほど寒さは厳しくありません。霧が晴れるとすっかり青空が広がって、結構暖かい。しかし、夜になってから季節風が強まって天気は急速に下り坂、明日は雨になるのでしょうか。
ハルちゃんは、縁側に寝そべってひなたぼっこ。本当に外に出てネズミなどを探したりしなくなりました。おじいちゃんになってしまったんですねえ。
ハルちゃんの後ろに移っているのは干し柿の影。すっかり飴色になって、だいぶ渋が抜けてきました。まもなく食べられます。


家の裏側に立てかけてあるシイタケの原木から、今頃どんどんキノコが顔を出している。1波、2波は10個ほど、今度の3波は20個以上ありますよ。小さいのでどこまで大きくなるのかわかりませんが、妻が帰ってくる頃まで残っていてくれるといいんですけどね。


畑は一段落したとはいえ、来年に向けた準備があるので、今日は朝から午後時頃まで畑にでかけ、タマネギの補修と耕耘に汗を流しました。
ただ耕耘機を運転すればいいわけではなく、苦土石灰をまいて肥料をやり、籾殻をしっかり撒いてそれから耕耘機で何度も耕す。
上着を着ていると汗ばんでくるので、今日もTシャツ一枚で作業をしていました。周りをみてもそんな人はいませんよね。

夕方家に帰ってからは、干してあった落花生をいつものように油で揚げました。今年の収穫は全くダメで、去年の1/3ほどにしかなりません。揚げたのを眺めていると沢山あるように見えますが、実は大きなビンに丁度一杯とれただけ。大事に食べることにしましょう。


この頃は、こんな話ばかりになっています・・・が、いいんじゃないですか。これこそ安曇野暮らし=「安曇野つれづれ日記」なんですもんね。

話は変わりますが、先日登録している囲碁ソフトの会社から「天頂の囲碁7」の案内が送られてきました。「最高棋力九段到達!」とありました。「今年3月のワールド碁チャンピオンシップで井山裕太6冠を破ってトップ棋士とも互角に渡り合える実力を示した」とも。
この前、NHKの囲碁対局の解説を聞いていたら、AIの打ち方もプロに結構影響を与えているみたいなことを話していましたっけ。
それはともかく、何を言いたいのかというと、これまでバージョンアップしてきたこのソフトを買おうかどうしようか・・・ってこと。何しろ高いんですから。
前のバージョンでろくに対局しないうちにドンドン相手が強くなっていく。何だかバージョンアップするのがアホらしい反面、「ものすごく強い」このソフトにご教授願いたいという気もないではない。あ〜あ、どうしたもんか。

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妻から送られてきた最新の日記に、沖縄の母の近影が添付されていました。1年前とほとんど変わらない元気が姿で何よりです。施設でもよく周りの人たちとおしゃべりをしていますから、まだまだ大丈夫ですね。
ところで、もう一枚の敬老会の写真にあった、「生子祝い」って何だ?想像するに、誕生祝いみたいなもんでしょうか。
古謝美佐子さんの歌で有名な「童神」には、「天(てぃん)からぬ恵み 受きてぃくぬ 世界(しけ)に 生まりたる産子(なしぐゎ) 我身(わみ)ぬむい育てぃ」という一節があり、そこでは「生子」ではなく「産子」、読み方はともに「なしぐゎ」ですね。
ナマコとしか読めないこの「生子」は、沖縄のお祝いの席で歌われる「祝節」に現れます。「生子(なしぐゎ−)唄しみてよ サーサー 孫舞方(んまがめぇかた)よ サーサー ユワヰヌ サースリ ユバナウレ」
エイサーを舞う子ども達はさすがに沖縄、さながら学芸会といった雰囲気のようですね。



  11月11日(土)
午後から「こどもじゅく」へ。この頃野菜が少なくなってきたので、しばらくは持ち込みなしになるので残念です。
年末にかけては、大根や白菜、ネギ、イモ類などの根菜類を集めることができるはずなので、12月上旬にはすこし規模を大きくして「野菜市」をやったらどうかと提案しているところ。日曜日などに実施すれば、車で取りにくることができるし、「こどもじゅく」以外の方には、うんと安く提供して資金作りの一環とも出来るだろうというわけです。うまくいくかどうかわかりませんが、その節はまたご協力をお願いします。

松本からの帰り道、家にキャベツがなくなったので畑に行って何個か残っているうちの1個をとってきました。帰って家でみてみたら意外とうまそう。立派なキャベツになっていましたよ。こういうのを見るとやはり嬉しくなりすね。


夕食は、今朝つくったビーフシチュー、キャベツたっぷりのホルモン鍋。さらにデザートをと思って1週間ほどまえに焼酎で渋抜きをした柿の封を開けてみたら、もうすっかりやわらかくなっていて、それらを沢山食べたらもう満腹以上。もう(贅沢)n(n≧2)です。



  11月10日(金)
今朝もまた少し霜が降りて高台は深い霧。しかしいつもよりは早く晴れ上がって、午前中の早いうちから暖かい日差しに恵まれました。


予定通り、朝から畑に出かけてタマネギの修復作業。補修というのは、1週間前に植えた苗のうち根付かなかったもの、動物に引っこ抜かれたものが結構あって、補充を余儀なくされたのです。
紫タマネギは根が赤いので、カラスがいたずらをして引っこ抜いていったんでしょうか。とくに苗が喰われているわけではなく、ただ引っこ抜いてまわりに散らかしてある。本当に怪しからんヤツです。
これでだいたいの作業は終わったので、あとは来年に向けて肥料やりと耕耘が残っているだけ。
というわけで、午後からはようやく我が家の庭の片付けに取りかかることができました。まあ、手つかずの状態だったので、お隣さんに「生活感が出てますね」と言われる始末。余計なお世話だ。
それもそのはず、いつの間にかドクダミが蔓延って一面ドクダミ畑です。こいつを深く掘って根を”根絶やし”にしようと悪銭苦闘しているのです。これがまた時間がかかる。
西側から初めて南側が終わるには多分たっぷり1週間はかかるでしょうか。妻が帰ってくる頃にようやく終わるという算段。妻にちょっと残しておくかな。

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久しぶりに女川の高野博さんのFBで元気に活躍する姿を見ました。最近(と言っても昨年からなのかな?)のニュースとして「女川共同発電所」の記事が目を引きます。
昨年沖縄でご一緒したときに、NPOで発電事業をいま計画し、進めているんだとという話を聞きましたから、それが一年経って首尾良く開始できるようになったのですね。
高野さんはこの事業の発案者。これを報道する今年6月の中日新聞によると、会員70名で太陽光発電所の建設費用は1,800万円、町内外の170人から寄付や出資金を集め、6月現在で1700万円を集めたのだという。
今後10年間で1千万円の利益を見こみ、利益はまず女川町の子どもたちが大学に進学する際の奨学金にするのだそうです。大変興味深い取り組みとしてずっと注目してきました(その割りにはここで書きませんでしたね)。中日新聞は、この事業の概要についてかなり詳しく紹介しているので、ぜひご参考までに。(画像にリンクが張ってあります)




  11月7日(火)
ずっと撮りためていたビデオをDVDに変換する作業がここ2年ほど中断。最近ようやく再開し始めました。お荷物を早く片付けなければとまたまた思い立ったのです。
ところが、いつも利用していた太陽誘電のDVDメディアがもうなくなってしまった。ネット情報ではメーカーがメディア事業から撤退したという。ブルーレイに押され、そもそもDVDそのものが縮小しているために採算があわないということなのでしょうか。
純国産の信頼できるものがなくなるのは残念ですが、生産ラインをそのまま引き継いだ台湾企業が同様なメディアを販売しているとも書いてあったので、これはもう仕方がないですね。

というわけで再開した録画。懐かしい「人間の壁」がでてきました。昨日から今日にかけて、ただでさえ古い画面がビデオからDVDでさらに見づらくなってしまっていますけれど、内容は古くなったわけではない。

私がこの「人間の壁」を読んだのは、文庫本の奥付によれば大学2年生ということになります。この小説は、1957(S32)年から1959(S34)まで朝日新聞に連載され、新潮社から3巻にわけて単行本化。安保闘争後の1961年に文庫本化されています。1959(S34)年にはもう山本薩夫監督によって映画化されていますから、教育問題は緊急課題だと山本監督は悟ったのでしょうね。
この小説の舞台、1956(S31)年春から5月頃までのS県津田山市のとある小学校。当時佐賀県で起こった佐教組事件を基に執筆されました。従ってこの映画で描かれる学校の様子、子ども達の生活、教師の人間模様などはまだ戦争の爪痕が深く人々が貧困の最中にあった頃ということになります。
この映画の特筆すべきところは、小学校と地域をめぐる人間たちの姿の中に、戦前の生活・思想から何も抜け出していない社会の実相を実に見事に描き出していることです。
地域のボス、声のでかい人間達による支配、教師の間での男女差別、いわれなき「アカ」攻撃と理不尽な退職勧告、組合つぶし、子どもを利用した教師攻撃、家父長的夫婦関係・・・山本監督のリアルな目がそうさせたのか、そう描かざるを得ない現実がひろがっていたのか、いずれにしても社会の深部で編み目のように「戦前との地続き」が存在したことを知らしめてくれます。
この映画は「蟹工船」と同じように、最後に働く人々は一人では何もできないこと、束になって権力にいどまなければならないことを示唆するところで終わっています。負け続けるけれど、その先にあるものは決して絶望ではないと教えてくれます。

現在の学校教育の姿からはとうてい想像もできないような当時の暗くやりきれない現実を見せつけられて、若い人ならただ戸惑い気分を悪くするだけでしょう。だが、実際にそのような時代があったこと、それもたかが数十年前のことであったこと、この社会の深層にはその流れがいまだにしぶとく存在することを知るには、何よりの教材ではないかと私は思うのです。
多かれ少なかれ、この映画で描かれたような現実は日本の社会のあちこちでみられたことは事実でしょう。だが、その現れ方はさまざまでした。
私の受けた小学校時代は、民主教育というほどのものではなかったけれど、差別をゆるさない点では一貫していたし、女傑教師のもとで学力をつけるためにカリキュラムを無視しても徹底して指導しきるなんてことも平気でやっていた。夜7時頃までぶっ続けで授業をしていたことも。中学では一転、素朴で和やかな校風のもと、伸び伸びとした少年少女の時代を過ごしたのです。
だが、その裏ではご多分に漏れず、小中学校を中心に組合つぶし、第2組合づくりの策動が進行していた。私が高校生の頃、ある若い男性教師が小学校に勤めていた母のもとを尋ね、何事か泣きながら相談していたのを目撃しています。あとから聞いた話では組合脱退攻撃に晒されているのだということでした。
権力、金力がある「実力者」、地域を牛耳ってきたボス達の影響化で、アカ攻撃が執拗に行って組合弱体化を狙い、教育を支配の道具にしていこうとする動きは、生活・思想の戦前との地続きを土台に進められてきた。突出した末裔が今日でいえば日本会議であることは明らかですが、目をもっと地域の、コトバを帰れば私たちの生活そのものの中に向けなければならないと思うのです。
安倍とその同調者の心の中には、まさしく「人間の壁」で描かれた心象風景が広がっている。私たちが立ち向かうべきは、権力の「壁」であると同時に、人々の中にある「人間の壁」そのものだということ。その意味でこの映画は決して過去のものではありません。

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今日は、畑仕事は休みで、一日医者通いでした。午前中は整形外科へ定期検査。午後は鼻づまりの相談に耳鼻科へ。その途中は尋ねてくれた知人といろいろ情報交換をして、一日終わり。明日の午前中はまた畑です(午後は雨らしい)。



  11月6日(月)その2
MNEMOさんから今日受け取ったメールには、畑仕事より、私の知識・見聞(あればの話ですけど)のシェアリングを優先してほしいとの要望が書いてありました。このブログは単に「安曇野暮らし」のあれこれをただ書くつもりは全くなく、むしろ「政治ブログ」的になってもやむを得ないとさえ思っていますが、それだけではつまらないので、可能な限りいろいろな話題を記していこうとは思っているのです。それでも、MNEMOさんの教養と博識には遠く及びませんが・・・。

さて、畑に出てからあとの話。今日の重点は芋掘り。サツマイモの葉がこのところの霜で真っ黒に変色し、放っておくと土の中で腐ってしまうので、せっせと収穫しているというわけです。
午前2時間ほど、午後からも2時間ほど作業をして空をみたら、日の傾くのが何と早いこと。4時には山の端を過ぎて隠れ、光の扇が暗くなった空に広がっていました。


その芋掘り、今日だけでは終わらず、あと少し明日に持ち越しです。
畑仕事は、いのちをつなぐ仕事でもありますから、痛む腰をさすりながらも出来るだけ続けたい、続けなければならないと思っているんですね。
松本の「こどもじゅく」のために米の提供をお願いしていたところ、第2弾として5人の方から120キロもの米が集まりました。別の3人の方からの米は第1弾として「反貧困ネット」にすでに届けています。本当にありがたいことです。畑や田の恵みのシェアリングも、やっぱり大事ですもんね。
写真下は寄せられた米、畑での私、我が家の庭に咲いていた季節外れのカモミール。






午前中の続きです。沖縄で「オール沖縄」というが、全然「オール」になっていないではないか。弱体化している・・・こうした言説が、現地では「本土」と直結した自民党筋から、「本で」でも右派のメディアなどで盛んに流されています。
自治体首長選挙では、たしかに保守系・基地容認派が勝利を収めたところがいくつも出てきています。また、高江のヘリパッドや辺野古の基地建設が有無を言わさず強行されていることによって、もうこれ以上闘っても無意味だという敗北主義や条件闘争に陥る人たちがいないわけではない。
それでも沖縄の民意は辺野古新基地建設反対であり、オスプレイ配備反対にあるのです。その証拠が先の衆議院選挙での3つの区での勝利でしょう。
そもそも、「オール沖縄」の始まりは2013年1月28日に決議された安倍首相宛の「建白書」だったはずではありませんか。「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会実行委員会、沖縄県議会、沖縄県市町村関係4団体、市町村、市町村議会の連名において建白書を提出する」としたこの文書の意味は大きい。

保守・中道系の政策集団「にぬふぁぶし」の結成について、例の産経新聞の評論を見てみましょう。
「結束にほころびが見え始めている『オール沖縄』勢力の焦り」「駆け込み的に結成される政策集団が担うのは、選挙のために弥縫(びほう)策として『保守』を装う、苦し紛れの作戦」と悪罵を投げつけるこの新聞の言いたいことは明らかです。
安倍政権のタイコ持ち、チョウチン持ち、先兵として何としても安保法制の実体化と新基地建設をすすめたいと乞い願うサンケイ自身が、思うに任せないためにただ苛立っているだけの話ではありませんか。
「最低2選挙区は取り返す」(県連関係者)と手ぐすねを引いたはずの自民党が結局は自民党がもとから強い4区でかろうじて1勝しただけではなかったのか。私はとりわけ那覇を中心とした1区で赤嶺さんが当選した意義は格別に大きいと思っています。全国のどの選曲で共産党の候補を”統一候補”として勝利するところがあるでしょう。自民党とサンケイは、4区よりもここで勝利したかったはずなのですから。

沖縄自身、72年の「本土復帰」以来さまざまな紆余曲折を経てここまで来ているのです。沖縄の自立と基地に依存しない経済を求める勢力は、初めから多数だったわけではありません。にもかかわらず、米兵による凶悪犯罪で苦しめられ、基地被害に悩まされ、挙げ句の果ては新基地とオスプレイを押しつけられ、県民意識が変わり初めて、ようやく翁長知事を誕生させたのではなかったのか。
こうした歴史を全く無視し、自分勝手な「論理」を振り回して「にぬふぁぶし」と「オール沖縄」を貶めようとするサンケイのような誹謗記事を放置しておくわけにはいきません。事実でもって、グウの音も出ないようにしてさしあげましょう。



  11月6日(月)
今朝5時頃目が覚めて、昨日準備していたゴミを集積場に持って行こうと外に出ると、雲1つない晴天で北アルプスはまさにモルゲンロート。もうすぐ満月の月がポッカリ。田んぼの中や畦の草にはしっかり霜が降りて、あたりは晩秋の気配です。


もうすっかり稲の刈り入れも終わったかと思っていたら、つい先日畦掛けし乾燥した稲を脱穀しているところがありました。さらに友人との次のような会話も。
「いま息子の田んぼの稲刈りが忙しくて」
「えっ?まだやってんの?」
「そうなんだ、(有機栽培で)刈り入れがいつも遅いんだが、今年は土がぬかるんで大変、はかどらない」
「そりゃ大変だ。せいぜい頑張って!」

ゴミ出しのあと、夕べ妻から送られた「備忘録」の原稿と写真をネットにアップしました。
昨日の電話によると、ネコたちもだいぶ慣れてきたらしく、スリスリしてくるのもいるのだとか。同じ兄弟でも性格はいろいろだとしきりに感心していましたっけ。観察眼もするどくなっているんじゃないかな。
母親も元気にリハビリに励んでいるらしい。「新聞読めるといいんだけどね」と話すと、「皆があつまるところにはテレビや新聞はあるけれど、なかなか見られない。でも人と話をするのは好きだから、誰彼と話しかけているみたいよ」と言っていました。
家にいる頃は、朝早く新聞を取ってきて縁側で隅から隅まで読むのが日課でしたから、時間をもてあましているんじゃないかなとつい思ってしまいます。

11月4日(土)には辺野古ゲート前で月1回の「県民大行動」が行われ600人が参加したと報道されていました。
妻もこの集会に南城市から新婦人のみなさんなどとバスで参加したことが日記に記されていました。
南城市からだと高速道を通っても1時間以上かかる名護市辺野古ですから、行けば一日がかり。それでも、延々と行動が続けられているのですから沖縄の県民がこれに費やすエネルギーは想像を超えるものがあります。
「チョイさんの沖縄日記」によれば、抗議行動参加者などとの接見を禁止されていた山城博治さんが禁止を解かれ久しぶりにテント前に現れ、「参加者から大きな拍手や指笛が沸き上がった。久しぶりの博治節全開のスピーチ。やはり彼が戻ってくるとゲート前の雰囲気ががらりと変わ」ったということ。下は北上田さんによる写真。


妻の報告の中に、沖縄の保守中道の地方議員らでつくる政策集団「にぬふぁぶし」の代表がこの集会に参加していたことが触れられ、また、糸満市議選を通して自民党筋からは「オール沖縄も弱くなっている」との宣伝が盛んに行われていると書かれていました。

・・・・いかんいかん、こんな良い日を室内で過ごすわけには・・・この続きはまた夜に。畑でイモの収穫、来年の植え付けの準備、畑が待っている!!



  11月4日(土)
今日届いた一冊の本。つい最近のことなのに、この本が何に紹介されていたのか思い出せないで焦っていたのはそれとして、古書検索してももうどこにも見当たらないほど希少な本のようですね。「葦折れぬ 一女学生の手記 千野敏子」(大月書店 昭和23年8月)。
何回か編者を変えて出版されていますが、いずれも絶版となって入手困難のよう。私がたまたま購入できたのは大月書店の初版本、しかも2000円台という超安い価格でしたのでラッキーでした。
著者17歳、諏訪高等女学校時代の夏から書き始められたこの手記は、自身が「眞実ノート」と名付けているとおり深い思索と悩みの中で眞実を追い求めた希有な記録であり、時代を見つめた若き知性の書でもあります。

時代が人を研くのか、人が時代を超えるのか、ともあれその時代には早すぎるような感性、知性の若者が現れるものです。そしてなぜだか夭折している。
この女性が多感な17歳を迎えたのは奇しくも1941年、日本が太平洋戦争に突入し浮き足立っていたその年です。その年の8月、敏子は次のように日記に書きました。

 私は戦争をあさましく思ふ世の反逆者である。実際私は時々こんな穏健でない自分の思想にどうすればよいかと思ふのである。世を挙げて戦争に挺身している時に、私はどうしても其の時流に乗ることが出来ないやうな気がする。何でもものを考へたり見たりする時に、すぐに『大宇宙』に結びつけて考へるのがいけないのかもしれない。これは私の悲しい性だ。所詮私は世捨て人となる宿命なのかもしれない。

 世の人々は皆が其の時々に何かをしている。そしてそれが眞実だと思ってゐる。自分が眞実のことをしてゐると思ってゐる。哀れなるかな、世の人々よ。各々がして居る事は殆ど大部分(敢えて全部とは言はないが)虚偽であることを知らないか。


私はこの女生徒が戦争を批判していることをもってこの手記を評価しているわけではありません。身の回りで起こっていること、学校で感じたこと、新聞などの記事の中で見聞きしたこと、それらを曇りのない目で社会を見つめて思索し悩む姿に、深い共感を覚えるだけのことです。
多分、さまざまな本を読みまくっていたのでしょう。自然を見る目も曇ってはいません。そしてその感じ方もまた初々しく、眞実を追い求める姿勢で一貫しています。

友情について長々と書いたあと、一転して次のような堀口大学の詩「夕ぐれの時はよい時」に寄せた美しい一文が続くのです。

  夕ぐれの時はよい時
  限りなくやさしいひと時・・・

堀口大學の此の詩を、私は今ひしひしと身にしみて思ひ起こして味つている。激しい風のあとで珍しく晴れた日の為であらうか。今日の夕ぐれは又となく美しい。
 夏の終の長い夕暮れーーねずみ色に晴れた空、あたりは夕焼けに薄赤いーーたそがれゆくほのかな色の中に佇んで、自分の瞳孔の如何に拡大してゐるかを感じられるような気持ちで私は眼をみはつてゐる。それほど一杯にみはつた眼の中に様々の美しい夕暮れの姿が一律に同じ色を帯びてはつきりと映って来る。・・・・

  若さににほふ人々の為〔た〕めには、
  それは愛撫に満ちたひと時、
  それはやさしさに溢れたひと時、
  それは希望でいつぱいなひと時、
・・・・・・・・・・・・・・・・・

その希望は朝のそれのように激しく躍動するやうなものではない。
しみじみと涙のたまるような思ひで心の底に静かに静かに満たされて行く水のさすやうな希望である。しかもそれが極静かに満たされて行くにかかわらず、その水のたまるが故に私の身体は微かに震へるのを覚える。


そしてまたその直後、啄木と自分を比べて、「少なくとも啄木を何か尋常でない病的なものと見る眼から見れば私もさう見える筈なのである」と書き、そうかと思うと一転、次のようにしたためる。

此の間の新聞にあつた『戦争と言ふ大きな事実の前には個人の思想の転向など問題にならない』と言ふ文句がどうも気にかかる。果たしてさうであらうか、私はこれをもつとよく考へて見る必要がある。

女学生らしい(?)純粋でしなやかな感性を垣間見せるととともに、時には骨太の評論をズバリと言ってのける。
私はまだほんのさわりしか読んでいないので、このあとどのような展開になるのかはわかりませんが、時には自分の若い頃に引き寄せて読んで見るのもいいのかもと。
そういえば、この著者を彷彿とさせるような一人の女生徒が若い私のすぐ側にいたなあ・・・。そしてその短い人生を駆け抜けていってしまいましたっけ。
えっ?そんなことを思って読んでいるのって?違いますよ(と、力なく)。



  11月3日(金)
東京での「安倍9条改憲NO!全国市民アクション11・3国会包囲大行動」のライブ配信(録画)を見ながらこれを書いています。
国会を取り巻いて延々と続く人々の列。いや〜、安保法案反対で盛り上がった8月末の国会前の行動を彷彿とさせるような、すごい人数です(主催者発表で約4万人)。
憲法公布日の今日、安倍改憲ノーの行動が全国各地で取り組まれているのですが、残念ながら池田町での行動はなし。よって映像を通して東京国会前での行動に連帯しているという”ズルさ”に我ながら少々項垂れています。妻は辺野古での抗議・監視行動に出かけると言っていましたし・・・。

冒頭連帯挨拶に立った立憲民主党の枝野さん、21世紀に立憲主義を言わなければならないのは情けないと言いながら、多くの国民とともに立憲主義を取り戻す闘いの先頭に立っていく決意を歯切れ良く語っていました。
その後、各界を代表すの弁士がそれぞれ短いながらも印象的な話をしてくれていましたが、いちいち概要をここで紹介するまでもないでしょう。ぜひ集会の模様の録画をごらんください。

今日の信濃毎日新聞は、共同通信社の世論調査の結果「憲法9条への自衛隊明記」に反対が52.6%(賛成38.3%)だったと書いていました。来年の総裁選以後も安倍さんに首相を続けて欲しくないが51.2%(続けて欲しい41.0%)だったといいますから、安倍さん、うかつなことはできないと内心ビクビクしているのでは?
面白いのは、政党支持率。自民党が38.9%に対して立憲民主党が16.1%。これに対して、希望の党が5.7%、民進党が実に0.9%。何なんですかね、これは。
選挙では日本型小選挙区制度と野党分断によって漁夫の利を占めた自公政権は、支持率が40%、議席70%の矛盾そのものによって決して安泰でないことは彼ら自身がよく知っています。それを反映してか、彼らの先導役の産経新聞などは結構ヒステリックになっています。
その証拠が10月19日の産経抄「日本を貶める日本人をあぶりだせ」です。とんでもない主張を平気で書くこの「新聞」の異様さ。
朝日新聞は「ネット上で批判が集まっている。あぶり出した後でどうしようというのか。こうした言葉が、排他的な言説を拡散し、増幅させることにならないか」と批判していました。
早川タダノリさんの言うとおり、これは「『非国民狩り』を提起していて、もはや報道ではなく憎悪扇動ビラ」。今日の集会よりも、トランプの長女の来日を追っかけているかに見えるテレビ各社。よくよく世界の動きを見ておくことが大事ですね。



  11月1日(水)
朝晩が急速に冷え込み、あたりは晩秋の装いです。今朝も草の上は一面霜で真っ白。
昨日は、久しぶりにきれいに晴れて昼はかなり暖かくなってきたので、昨日の日中は晴れ間を惜しんで予定どおり庭の片付けをしたり柿の皮むきをしたりして「あくせく」働きました。




夕方、たまに起動してやらなければと、昔々のMac(G3MT)のボタンを押したら1つのハードディスクがマウントされない。た〜くさん音楽ファイルが入っているドライブです。いよいよご臨終かと思って箱を開けて触りだしたのが運の尽き。
これは時間がかかると思い一旦は寝たんですが、夜中(1時半頃)に目が覚めて、東京時代の習性が復活してマシンとの取っ組みあいが始まってしまいました。何しろ20年近く前の博物館行きのようなシロモノなので、扱いも忘れていることが沢山。
パーティションの切り方は?強制終了は?デスクトップファイルの再構築は?SCSI番号の重複はないか?・・・いまでは知っている人も段々少なくなっているようなどうでもいいことで無駄に時間を使っているのだから、やっぱりマニアにしかわからない楽しみなのでしょうかね。
ハードディスクはもちろん、その他のパーツをたくさん持っているので、探し出してきてはあれこれと試しているとあっという間に時間が過ぎてしまいました。3時過ぎには何とか復旧できたので、バックアップ・ディスクの作成などを後に回して寝て一旦終了。
今朝からまた畑仕事の休憩を利用して、もしもの時のためのハードディスクを一台つくりました。今回はこれで終わり。病気がぶり返さないうちに撤退しないと他の仕事に差し支えてしまいますからね。
今から柿の皮むきの続きです。ハンパな数ではありません。







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