今朝の信濃毎日新聞と大糸タイムスに、一昨日の「公民館問題を考える学習討論会」関連の記事が載りました。
信濃毎日新聞の記事は、公民館の使用許可取り消し問題が起こった11月末に、現職国会議員(当時政務官)である務台俊介氏の秘書が池田町公民館に問い合わせを行っていたことを実名報道。いままで状況証拠でしかなかった輪の一部がついに繋がってしまいました。
一方、
大糸タイムスは金枝弁護士の講演の内容を軸に集会の模様について詳しく報道、メディアの関心の高さを示していました。
つどい実行委員会としては、すでに町に提出している「再質問書」への回答を待って町と交渉し、取消処分の撤回と謝罪、今後の町民視点での公民館運営を求めていくことになります。
さて、公民館使用許可取り消し問題についてのこれまでの動きを整理してみると、次のようになります。
まず、11月29日務台氏の秘書が池田町公民館に電話したのがことの発端。信濃毎日の記事では「町公民館の規約を取り寄せ、政治的利用は公平にしてもらいたいとの趣旨で秘書が連絡」「使用許可取り消しなどは申し入れていない」とありますから、池田町公民館は、この連絡を受けて「外部の指摘で許可の再検討を始めたのは事実」だということです。森友問題・昭恵夫人関与のミニ版のような構図です。
ここで思い出すのは、昨年12月18日の
池田町議会一般質問でのやりとりです。ある国会議員からのアクセスがあったのかどうかという問いに、藤沢教育課長は、一般の人からの問い合わせで、国会議員からでは「なかったものと思います」と答えていました。延長国会のさなか、内閣府大臣政務官たる国会議員本人が池田町公民館に電話などすればそれだけで大問題ですが、仮に議員秘書からの電話だとしても「一般の方」などであるわけがありません。
「『「思います』ではなくはっきりと答えてほしい」という服部議員の追及に、今度は教育長がわざわざ手をあげて「誰がではなく、チラシで判断した」と論点をはぐらかしてしまいました。この経過もしっかり頭に入れておく必要があるでしょう。
ちなみに今日の信濃毎日新聞の記事では、「許可を取り消した平川通寿前公民館長によると、務台氏の秘書や町民から『政治的に偏っていないか』との指摘があり・・・」とありました。
信濃毎日の記事にはありませんが、11月30日に務台氏が町民の会のフェイスブックに「誓約書に、政治目的ではないと、書いたようですね。平気で嘘をつくのであれば、問題です」と書いたことから、池田町公民館側から当事者(つどい事務局長、公民館・教委担当者)以外に知り得ない「事実」を知っていた=情報が提供されていたことが明白となりました。これは公務員による便宜供与ですから深刻な問題です。
つまり単に誰か一般町民が「おかしいんじゃないの」と電話したこととはレベルの異なる問題で、自民党代議士による教育行政への干渉が問題の発端だったということです。
町は当然ながら「干渉」を否定はするでしょうが、実際にはこうした「圧力」があった事実はもはや消しようがない。池田町がどう弁解しようが、務台氏が証拠を残してしまっているのですから。
さて、そのようにして始まった公民館使用許可をめぐる教委の迷走は、事務局長への事情聴取へとすすみます。すでに「これはやばい」と判断していた公民館・教委は、何とかして集会をやめさせたいと思ったのでしょう。11月29日の話合いでは、このつどいが内規に抵触しないことを双方が認め、また事務局長が「選挙が迫っているわけではないので、選挙活動に関する話などになるわけがない」と話したことをもって、一旦はそのまま開催可能となったはずでした。
ところが明けて11月30日、「今回協議した内容をまとめ」「遵守していただきたい内容を明記」たものとして「池田町公民館使用に係る確認事項について」(以下「確認書」)という文書をいわば踏み絵として持ち出してきたのです。
町への質問書でも書いているとおり、この確認書の性格は当初は「遵守していただきたい」と書き、「今回協議した内容」としていたものが、後の答弁では「事務局長が言われたことを(そのまま)まとめた」ものに変わり、事務局長が話したことをまとめたにもかかわらず、それを認めないのだから使用許可は出せないという段取りにしてしまったのです。
手続き上も、内容的にも極めて問題の多い、この「確認書」は公民館・教育委員会がどちらの方を向いて実務を担当していたのかを明確に示すものとなってしまいました。
そして、第3は、公民館がもはや独自には判断できないので庁議にはかるという段階。これが12月1日(つどい前日)午前です。
この日には外部からの連絡があったこと、自民党代議士が参加したいというのを断ったという報告が行われたことが明らかになっています。結局、こうした教育委員会からの一方的な情報によって、庁議は使用許可取り消し処分を是とする判断を示し、いわば町ぐるみで違法な行為を行ったというわけです。
では、務台氏が言う「政治的利用は公平に」とか、「政治的に一方に偏った政治集会に、公民館が使えるとは知りませんでした」という意見についてどう考えるのか。
これは今日の議会制民主主義の大原則である政党政治・代議制度、ひいては憲法の規定への全くの無理解にもとづくものであることは明白です。
務台氏が他党を「政治的に一方に偏った」というのは自由ですが、町民団体が4党を招いて政治的議論を行うことをそのように批評することは許されません。言論・集会の自由とは、公的機関であればこそ最大限保障されなければならないからです。
政権政党でない政党に属して発言したり、支持したりすることを「政治的に偏っている」と決めつけるやり方は右派の主張によく見られる「ためにする」言い分ですが、自分たちの主張は偏っているとは決して思っていないのですから、困りものです。一言で言えば彼らの政治的見識のなさと党利党略を裏付けるものでしかありません。今日では憲法9条を守れという主張すら「政治的に偏っている」「一方の側の主張」だとするところまで政権政党の主張は「進化」しているのです。
一方の池田町教育委員会の立場はどうか。務台氏がフェイスブックで「池田町取り扱い基準に照らしてどうか、ということ。国の基準が問題ではありません」と書き、規則を取り寄せていたにもかかわらず、彼はこの基準に一般町民団体について何も規定が書かれていないことには思い及ばなかったようです。しかも池田町の規定は「下記の条件(政党が守るべき基準)を付し、許可する」ことが前提なのです。
誰がみても「つどい」が公民館の内規には抵触しないことは明らかでした。事実これまで「戦争法に反対する池田町民の会」も再三にわたって公民館で集会を開いてきたのです。
しかし、務台氏からのクレームがあった以上、何とかしなければと考えたのでしょう。「公民館の内規」に「該当しない」事例に押し込んで、直接社会教育法第23条該当を持ち出してきたのでした。
それにしても、社会教育法第23条に抵触するとしても、その解釈とそれを裏付ける証拠がなければなりません。
まず、解釈については「公民館の運営規則」であるはずの社会教育法が「利用者にも適用される」と拡大解釈したこと。さらに、公民館に要求される「政治的中立性」を利用者にも求めたこと。この2点が町・教委の「拠り所」となりました。裏付けの証拠は、私たちの作ったチラシの文言それだけです。
こうしてみると、使用許可取り消しをいかにうまくやり通すかが先にあったことがよくわかります。およそ憲法論議にも、社会教育法の解釈論議にも耐え得ない論理を持ち出して何とか務台氏の意向に答えたかった池田町教育委員会の姿勢が浮き彫りになってくるのではないでしょうか。
私たちは批判は批判として厳しく行いますが、最終的には町民の財産である公民館や交流センターをどのように町民本位で使い勝手のよいものにするのかが最終目標なのであって、ことさらに町を追及し追い詰めるところに目標があるのではありません。
一昨日の弁護士の話にあったように、つどい実行委員会と町とが協議、議論を重ねてよい合意点を見いだし、今後の町民本位で円滑な公的施設の運営が図られること、この観点をしっかり踏まえ、今後の交渉などに当たっていきたいと考えています。