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  4月26日(水) その2
日が沈んでから本格的な雨。降ってくれることはとくに作物を植えたばかりの時はありがたい。天の恵みに感謝です。
桜はほぼ終わり。桜吹雪の時期になりました。昨日の学習会で桜の木の下に車(軽トラ)を止めて、帰りがけにふと見ると荷台は花びらで一杯。花びらをまき散らしながら走っていくという珍しい光景になってしまいました。
我が家の桃の木は満開。ツバメの巣も完成して、もうすぐタマゴを生むのでしょうね。ついでに昨年の株から種がこぼれて偶然2,3株芽を出した「ネモフィラ」がずいぶん大きくなりましたよ。こんなことならちゃんと種を取っておくんだった。来年にむけて採種しておかなくちゃ。違った色の(たとえば水色)株も求めてきて、庭を「ネモフィラ畑」にできるかも。ね、MNEMOさん。




1945年から72年経ち、現在80歳以上の方々でもなければあの戦争の記憶はほとんどなく、圧倒的に戦争を知らない世代で占められたこの国。70年は「戦争」の後としてはある意味長すぎる期間となっているのかもしれません。

その間も世界では戦争にあふれ、今もなお中東を初めとして武力衝突や戦争状態が続いている。朝鮮半島はあくまで「休戦状態」であって、戦争が終結してしまったわけではありません。一方の日本では、沖縄は別として(沖縄でもその傾向は避けられないが)、戦争体験の忘却・風化とともに、新たな「戦争」への動きが加速しているように見えます。
「戦争への動き」とは、政権政党にとって「常時軍事力をそなえ、いつでも他国からの侵略に備えるとともに、同盟国と海外で危機に対処できる」という意味、つまり彼らなりの「普通の国」でありたいという意味を持っているのだと私は理解しています。「戦争をしたい」のではなく、いつでも「戦争が出来る国、加われる国」ということです。
ひとたび「戦争」を想定した途端に、そのための法整備が必要となり、機密保持、国民動員(精神的・物質的)、反対勢力排除という問題が生じることになるのは当然の理。権力を握った勢力は、戦後一貫してこの「普通の国」をめざして営々とその道を固めてきました。

本来、独立国であれば、軍事力を持ち有事に備えるということは当然ひとつの選択肢となりえます。従って自民党は表向きは、自衛力の増強をその論理で進めてきました。
しかし、です。彼らは再軍備の過程で、最も重要なことを国民にはほとんど明らかにしないまま今日まで来てしまった。
言うまでもなくそれは、自衛隊の創設から今日まで日本の「自衛力」のすべてがアメリカのコントロール下に置かれてきたということです。安倍政権がアメリカの政策に自発的に「イエス」と言っているようでも、実は軍事的には「言わざるを得ない」状態であるにすぎないことが多い。アメリカがひとたび戦争に踏み切れば何らかの形でそれに組み込まれざるを得ない法体系が形成されてきたということです。
このことを詳細に検証しているのが矢部宏治さんの「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか」(集英社)。ここではその内容は触れませんが、朝鮮有事が単なる机上の問題ではなくなりつつある現状では、この在日米軍(国連軍統一司令部)と日本政府・自衛隊の関係(基地権と指揮権)はしっかりとらえておくことが必要ではないかと考えています。
おそらく北朝鮮はこの実態を詳しく研究しているはずですから、攻撃の対象は単に在日米軍にとどまらず日本そのものになる可能性があるということです。

そしてもう一つ重要なことは、これも国民にほとんど知らされないこととして、かつての皇軍的な色合いをいまだに組織のなかに残しているという問題です。戦後つくられた自衛隊は、隊員そのものは確かに戦後生まれの若者で構成されてきました。しかし創設直後においては旧陸軍や海軍の将校が数多く組織の上部構成員となっており、事実上「帝国海軍の再建」の性格を持っていたとう事実(たとえばこちら。これはむしろそれが幸いしたという立場で説明しています)。その中から、田母神氏のような人物が生まれてくることになる。
2つのことがらを結びつけると一体どうなるのか。ここでも、実は自衛隊の見かけの姿とはかなり異なる実相が見えてくるのではないのでしょうか。隊員たちにこのことがしかり知らされているとはとても思えない以上、私たち自身が監視の目を注がなければならないことだろうと思うのです。

明日は朝から夜まで外に出ているので、この日記はお休み。



  4月26日(水)
今村復興相。「これがまだ東北で、あっちの方だったからよかった。けど、これが本当、首都圏に近かったりすると、莫大な、甚大な被害があった」。うん、そうだろうね。福島から避難を余儀なくされている被災者は自己責任なんだから政府は責任持たなくてもいいし、お金もかからない。
「基地つくるのが、まだ沖縄で、あっちのほうだったからよかった。これが本当、首都圏に近かったりすると莫大な予算がかかる」。腹の中ではきっとそう思っていたんじゃないかなあ。

我が友、東京のMNEMOさんが、自らのツイッターで「<同じこころならん>方々とつながらせていただき、冷笑されようがPeace & Loveの輪を広げられたらと念願して」いるのだと表明されいます。
「同じこころ」とは「2度と長崎(N)・広島(H)、そして福島(F)の惨禍をもたらしてはならない、何としても平和を守りたい」という「こころ」であり、そのために音楽家として「HNFプロジェクト」を立ち上げ音楽を通してそれを世に訴えたいという、ほとばしるような熱い思いです。「同じこころならん」と「ならん」がついているのは、多くの人が「おなじこころ」で一致することはありえないことだから、そこは兼好法師にならって慎重に表現したのだといいます。
MNEMOさんがKing Reguythという外国向け(?)のハンドルネームでその「こころ」を日々発信しているのですが、残念ながら私はツイッターに登録していませんので、書き込みを見るだけ。もちろん、影ながら応援している<おなじこころならん>フォロワーのひとりでもあります。「隠れフォロワー」っていうんですかね。

そのMNEMOさんが、ツイートしていると、必ずしも快く思わない人間が決まってでてくる。よりによって「ある人の『反民主主義者』のリストに入れられてしまった」と書かれていました。それがどのような方のどのような趣旨のものかは全くわかりませんし、何をもってそのようなリストに入れたがるのか私には皆目想像できないことです。
ネット上でものを書くときは、相手はほとんど書き手の人間については知らないと前提しなければなりません。ですから、書いていることの断片からどのようにでも「批判・反批判」は可能です。
私などは、自分の思いを一方的に書き連ねているだけですから、お気に召さなければ読まないでいて下されればそれでいいだけです。ただ私自身は自分自身の考えや生活を、家族・親族をはじめ、興味ある人に知ってもらいたいというただそれだけの理由から続けているのですが、それでもこんな極端な考えの持ち主は鼻持ちならないという人はいるでしょう。
蛇足ですが、昔よりはずいぶん丸くなりましたかね。かつては自分でもものすごい攻撃的だったと思っているもんですから。

だが、ブログ・ツイッターではなかなかそうはいきません。ツイートすればリツイートがあると心得なければならず、もちろんそれがまた強みでもあるのです。
従って、ブログ、FB、ツイッターではどんな反応が返ってくるかわからない。まじめに対話をしたいと願う人もいれば、誰かの書き込みにあれこれ文句をつけて快感を覚える人もいないわけではない。
だから、ものを書くときには、自らの至らなさを自覚しつつ、書いたことが自分に必ずはね返ってくるのだと意識することができれば、書かないよりは書いた方がよい。いや書くべきなのです。
書くというのは「声をあげる」ということです。至らないからこそ、その思いをかみしめて、他の人の至らなさと結び合う。それでいいのではありませんか。私はそう思って毎日パソコンに向かっています。まじめに批判してくれる人には謙虚に耳を傾ければいいのです。それ以外は無視。
しゃべるな、黙っていろ、お前の出る幕ではない、と言うのは主に権力を持っている人たち。意外とそんな人は近くにいるのかもしれないのです。だから、Peace & Loveを求める人は、声をあげ、繋がるしかない。それこそが至らなさを克服していくみちではないのでしょうか。
ま、落ち込むこともあるでしょうが、圧倒的にMNEMOさんのシンガーとしての活動を支持し、支えてくれている人たちですから、まずそれに応えていただかなければなりませんね。

音楽家がストレートに政治的な主張をその歌に持ち込めば、それは芸術というよりプロパガンダでしょう。私はそんなの(労働歌とかたたかいの歌とか)もきらいじゃないんですが、ストレートな主張はそれは芸術としてはちっとも面白くない。闘争歌だって、できる限り人間の共感に訴え感動を呼ぶものでなければ歌ってもらえません。
それはともかく、MNEMOさんしか作りえない音楽、心から共感を呼びともに泣きともに喜ぶという音楽は存在します。私はMNEMOさんの音楽の理解者としては失格であり、相当に遠いところにいますが、人間MNEMOとなると話は別。平和を求めて自らの世界で行動しようとするMNEMOさんはカッコいいですよ。
そうそう、音楽家が政治的な発言をすることはべつにいいんじゃないですか。もっともそればっかりでは困りますが。
思うことを述べることは自らの音楽活動とは直接関係がありません。権力者に対しては痛烈な皮肉、からかい、お笑いで返す。これって庶民の特権ですもんね。ただ、私のようにストレートにやると、読む方もうんざりするでしょうから、きっと相手は逃げ出したくなってしまいます。私の至らなさで、自覚はしてるんです。
豊かに音楽を語り、人間の喜びや悲しみを語り共有する、ブログとはそんなものじゃないのでしょうか。

これをお読みでツイッターの書き込みをしていらっしゃるみなさま、心あらば、日本から世界にPeace & Loveの心意気をロックにのせて発信しようとするMNEMOさん、いやKing Reguythさんに賛同し激励してくださいますように。



  4月25日(火)
辺野古で護岸づくりのための石材投入がついに始まりました。琉球新報および沖縄タイムスの現地取材班がリアルタイムでツイートしています。下は工事の様子(沖縄タイムス)。


次は沖縄タイムスの号外。
その1
その2

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さて、第1次、第2次安倍内閣になってからとくに痛感することなのですが、彼らが目指しているのは結果的には「戦争出来る国」ということになるのでしょうが、彼らの「思い」はやはり戦前の体制にあるのでしょうね。
ずっと前にも書いたことがありましたが、敗戦で政治体制を初めとしてリセットしたはずなのに、多くの面で戦前と地続きであるのは何故なのか、これまでいろいろ考えてきました。
先日ある方の共謀罪に関する小論を読んでいて、治安維持法は法律そのものは否定されたが、実は法体系の根幹は残っているという指摘を読んで思いつくことがあったのです。

戦後、治安維持法は廃止されたが、治安維持法体制は温存されたということである。治安維持法で認められた捜査官への強制処分権の付与や、捜査段階の自白調書への証拠能力の付与は、戦時の装いをはずして、より一般化する形で戦後の新刑事訴訟法のなかに取り込まれることになった。日本国憲法と矛盾したが、最高裁はいち早く合憲判決を出し、国はその既成事実化に協力した。
そのこともあって、治安維持法体制が戦後も継承されたという認識は刑事法の研究者でも薄い。日本国憲法の制定に伴って刑事手続きも一新されたと信じ込んでいる。そのことが刑事手続きの根本的な改革を妨げ、冤罪の構造的な温床にメスを入れられない原因の1つとなっている。
内田博文氏「『世界5月号』共謀罪と治安維持法」内田氏は九州大学名誉教授、神戸学院大学法学部教授。専門は刑事法学、近代刑法史。


治安維持法だけではなく、警察予備隊から自衛隊をつくり大きくしていった過程の中でも、政治機構の中に旧戦犯が大勢加わってきた点でも、さらには地域での行事や人脈という点でも、実は相当な部分で戦前と地続きの構造が温存されてきました。
一方では敗戦後の特殊な状況下で、日本の武装解除と日本国憲法の制定という世界史にもまれな局面が生み出され、アメリカのご都合主義でそれはまもなく崩されていく。
形式的には「民主主義制度」が導入され、政治、社会、文化など多くの面で世界標準に近づくことはできたにせよ、深部ではまるでそれとは裏腹な旧態依然とした意識と構造が温存・蓄積されてきたというのが戦後社会の実態だったと考えられます。つまりこの2重構造が本格的に壊され、「民主主義制度」で都合の良い部分だけは残しつつ、人権規定や戦争放棄など都合の悪い部分は切り捨てて、深部の構造を前面に押し出そうとしているのが現在の局面ではないのか。だとすれば、この社会の民主的な変革のためには、戦前からの社会構造と意識に根本的にメスを入れ、近代の民主主義の原則にそぐわないものについては徹底的に批判し、壊していかなければならないということになります。
彼らは単にノスタルジーから戦前回帰を謀ろうとしているのではないということです。あの戦争は、負けはしたが正義の戦争であり、欧米の支配からアジア民族の開放を目指した戦争であったという立場ですから、負けたことは不本意ではあるにせよ、戦前の日本の姿を否定する必要はない。過去に累積させられたルサンチマンを安倍内閣で晴らそうということなのでしょう。
だが、先の大戦ではアメリカに無謀な戦争を仕掛けて敗れ、今度はアメリカベッタリでアジアで存在感を示したいこの国に、果たして未来はあるのでしょうか。



  4月24日(月)
政府は明日25日に辺野古沿岸部で護岸工事に着手する方針を固めたと報じられました。
一旦大量の石材、波消ブロックなどが大浦湾に投げ入れられてしまえば原状回復は2度とできなくなります。政府が着港するのは護岸をまずつくってその内側に土砂を投入するというやり方。 下はその設計図(大きい画像をリンク)。護岸工事に取りかかるのは辺野古弾薬庫近くの海岸から伸びるK-9(護岸の最上部315.9m)。




翁長雄志知事は工事の差し止め訴訟を起こす構えと伝えられますが、果たして有効な手段となるのか。
監視・抗議行動を続ける北上田さんは、ここまで工事がすすんでいるのに「それにしても不可解なのは、沖縄県の対応の遅れだ。埋立本体工事がいよいよ始まるというのに、県は何の対応策も打ち出せていない」と憤り、次のように続けています。

大浦湾への捨石投下に対しては、
@公有水面埋立法に基づく設計概要変更申請がないこと、
A漁業調整規則に基づく岩礁破砕許可申請がないこと、
B実施設計の事前協議を終えていないこと、
CK9護岸予定地にはサンゴの被度5%以上の地域があるにもかかわらず環境保全対策ができていないこと、等の問題がある。
しかし県は、4月21日に防衛局に、「サンゴ類の移植が終了するまでは、本体工事に着手しないよう求めます」という文書を出しただけの対応にとどまっている。


県民に明解に分かるようなやり方で工事を止める手立てを取らなければ、県民の支持は急速に失われていくばかりか、反対運動に水をさし分断をもたらす結果となってしまうでしょう。「撤回」表明のために知事を選び出した県民の「初心」を忘れてはならないのです。
下は辺野古弾薬庫下の崖で警戒する海保・米軍警(北上田さんのブログから)。カヌーが少しでも近づくと規制が始まるとありました。





  4月23日(日)
空気はちょっと冷たいけれど、穏やかな晴天。田んぼでは農家の方が水を入れる前の作業に追われているようです。まもなく鏡が出来上がるのでしょうね。
我が家のツバメも新築工事をどんどん進めて、もう半分ほど出来上がっていました。ごくろうさん。




昼頃富山の友人から「ガンドウブリ」が一匹到着。開けてみたら、いやいやデカいブリです。ちょっと時期はずれていても、まるまる太って重たい。
さっそく3枚に下ろそうとまな板に載せたはいいけれど、まな板からはみ出す大きさ。何とかぎこちなく出刃を振るって刺身用に下ろすことができました。
夕方から私は私は松本で仕事、妻は自治会の常会に出席するので、ちょっと遅い夕食になりますが、贅沢に刺身をいただくことにしましょう。Hさん、ありがとうございました!!

安倍内閣はなぜこれほど共謀罪法案の成立に血道をあげているのか。答弁能力のない金田法務大臣を隠してまで強行するその背景とは??
だいたい「テロ対策」なんてこの法案のどこにも実態がないのですから。あわてて名前だけいれたに過ぎない。国連のTOC条約起草委員会で「テロリズムは対象とすべきではない」としつこく主張したのが日本政府交渉団だったというのですから、その理由のお粗末さは明白。この法案を通さないとオリンピックがテロまみれになるかのような「印象操作」までするのは何故なのか。
方や、北朝鮮から核ミサイルが飛んできたら頭を隠せだとか、窓から離れろとかという訳のわかなない「警告」を出す。だいたい、核ミサイルは田舎には飛んできませんね(北朝鮮のことだからコースをそれることは大いにあり得るが)。対象になるだろう場所は米軍基地か原発ですから、落ちてしまえばその周囲100キロぐらいは頭隠してもどこを隠してもアウト。ついでに北朝鮮もその瞬間罪のない人たちをすべて巻きこんで国が消滅する。
原発も米軍基地も本気でミサイル対策しているかといえば、完全にノーです。こんな子どもだましのやり方で、やはりどうしてもテロが心配だから、テロとは関係のない共謀罪法案を通したい!!
やっぱり安倍首相の心の中は北朝鮮そのもの。なぜなら、憲法を変え天皇元首、自衛隊の国軍への改組、国民には天皇を敬い(実は全くの政治利用)教育勅語を唱和し、優秀なる民族の伝統をあらためてたたきこみたい。「醜悪」なるマルクシズムなど極端な暴力的政治思想を駆逐し、隣組でお互いを監視し合い、監視カメラ、秘密情報収集網、密告によって監視社会をつくりあげる・・・まぎれもなくこれは北朝鮮でしょう。戦前の日本がそうであったようにです。「日本を取り戻す」とはそういうことなんだな、と妙に得心してしまうこのごろです。



  4月22日(土)
先日もちょっと触れたことがありましたが、我が家の新装開店の軒先にツバメがやってきて、巣を作ろうとしきりに様子をうかがっていました。
塗ったばかりの軒下ですから、さすがにやめてほしいと換気口のふたを外しプラの板でまっ平らに塞いでしまったのですが、何を思ったのかその上に土を塗りたくって何とか巣を作ろうとしている。
ますます汚くなる様子なので、「可哀想だから」と、妻と話し合って換気口を元通りにつけて巣をかけられるようにしてやりました。2人とも何と優しい心根ですかね。お人よしという人もいるかも・・・。
すると、換気口の丸い蓋を付けるやいなや、つがいのツバメたち、田植えの準備中の田んぼから泥のついた稲わらを運んできて、巣を作り始めた。ま、天井を汚せば拭いてやるだけ。せっかく遠い南の国から忘れもしないで我が家にやってきて巣作りをしようというのだから、軒先を貸してやってもいいだろうと考えた次第。共存共栄ですね。いやいや彼らの執念に根負けしてしまったのでしたよ。くれぐれも育児放棄だけはしないように。




我が家の庭では、雑然とした中にもいろんな花が咲いて楽しめます。まずイチゴ。ランナーを取るために植えている10株ほどが白いたくさんの花をつけています。畑には200株ほど植えてありますが、まだそれほど大きくはありません。
モモの花は日一日と開花して、あと2,3日もすれば満開かな。野沢菜の花は、どんどん摘んで食べてしまうので、花を咲かせる暇なし。写真にもなりませんでした・・・。




用水に水が流れて、いよいよ田起し、代かきの季節。もたもたしているうちにもう4月も下旬に入ってしまいました。
午後から「こどもじゅく」に出掛けたのですが、新年度の始まりだからなのか、中学生の姿が少なかった。部活なども始まって忙しいのかもしれませんね。
それでも3,4人きていた中学生。さっそく家庭訪問があるのだとか。中には、玄関まで来て、家をたしかめて帰るだけの場合もあるのだと話していました。「そんなのは家庭訪問とはいわんだろう。家訪問だ」と、聞いていたスタッフはさすがにあきれ顔。いろんな思いが交錯して、ともかく新しい年度の始まりです。



  4月21日(金) その2
例の重婚・ストーカーの中川俊直(前)政務官、自民党を離党し「けじめをつける」のだとか。自民党は「本人の問題」だとして党の責任は全く感じていないらしい。
「自主避難は本人の判断。裁判でも何でもやればいいじゃない」と言い放った今村復興相といい、例の長靴前政務官といい、「一番のがんは学芸員」と訳のわからない妄言をはいた山本地方創生相といい(挙げるだけ消耗)、ぜ〜〜〜〜ぶ、「どうするかはご自身で判断される」のだという自民党。いいじゃないですか。要するに自民党というのはそういう政党。そこにまだ何らかの期待・安心を寄せているとしたら、それこそ自己責任ということになっちゃいますね。
午後7時のニュースを見ていたら、北朝鮮からミサイルが飛んできたら、頑丈な建物に避難する、できるだけ窓のない部屋に隠れる・・・などの対策を政府が打ち出したのだという。
「うちには窓のない部屋なんてないねえ。そのうち防空壕でも掘れってくるんじゃないのかね」「バッカじゃないの。飛んでくるように仕向けておいて窓のない部屋に隠れろなんて本気で考えているのかねえ」「共謀罪向けの策略だね、こりゃ」などと話し合っておりました。
すでに秋田だったかどこかでミサイルが飛んできたという想定で訓練を実施した自治体があると先日ニュースで報じていました。全国でこれをやれというのでしょう。やらなかったら共謀罪?それとも国民保護法違反?抜け目なく改憲への布石を打ってくる。
そして遂に「家庭教育支援法案」。東京新聞は「時代錯誤の家族観で批判を浴びた『親学』にルーツを持ち、太平洋戦争中の『戦時家庭教育指導要綱』とも重なる」と書きました。何しろ、日本会議の改憲2本柱の一本がこれですもんね。おそろしい時代の幕開け。

池田町では、この25日に「共謀罪」の学習会を行います。長野県弁護士会憲法問題プロジェクトチーム座長の滝沢修一弁護士が講演。そのあと、公民館問題で牛越さんが特別発言。
本当は妻が沖縄問題で何か発言してほしいと言われていたのに、この日は都合が悪いので私にオハチが回ってきた。結局、「共謀罪についての町への意見書と沖縄問題」で私が特別発言をするということになってしまいました。10分程度ですが、短いだけに今からまとめておかないと。次から次へとやることがでてくるわい。



  4月21日(金)
午前10時半からお昼近くまで、役場でバラの会のメンバー8名と町長・担当課長など7名との懇談会を行いました。
その目的は、第1に、町民サイドで6年以上にわたって全く自主的に粘り強くバラ園づくりに励んでいる団体があることを町当局に知ってもらうこと、第2に、バラの会の抱える問題点を伝えるとともに、日頃バラの会のメンバーが思っていることを町長に伝え、可能なことは実施に移してほしいと要望することの2つでした。
冒頭、私の方からこれまでのバラの会の沿革と現在の到達点、前進面と問題点を説明、さらに視覚的に分かりやすくするため、プロジェクターを使って過去の取り組みの画像を映し出しました。
私が強調したのは、町民の中でも貴重な経験を蓄積している団体(バラの会だけではなく)がある。これらの経験を共有し、いろいろな機会に広げていってほしいといういことでした。
バラの会からの要望では、女性の皆さんからいろいろと厳しい意見が相次ぎ、居並ぶ町幹部のみなさんもタジタジだったのではないでしょうか。
@「日本一美しい町」を掲げながら、その垂れ幕の下は一体どこが美しいのか。せめて庁舎の周りぐらい誰がみても美しくすべきではないのか。
A他の市にいたときは、市役所の職員が本当に丁寧に対応してくれた。しかし、池田町に来たらまるで正反対。そっけない返事でがっかりした。
Bバラ祭りでも役場の職員の姿はほとんどいない。職員がどうしてもっと外にでていかないのか。
C夏場の草が急激に生えるときには、たとえばシルバーの皆さんに手伝ってもらうような手配はできないのか・・・など。
最後の意見については、さっそく具体化することになりましたし、今後バラの会のメンバーで支えきれないイベントなどでは、町の観光協会も協力してくれること、そのために話合いを持つことなども約束してもらえました。やっぱり実際に話合い相互の理解を深めることが大事だと思われた次第。おそらく、町も同様な感想をもったのではないでしょうか。
6年以上もたって始めてこうした機会を持てたことを評価しつつ、今後とも担当部局と話合いを深めていくことを確認しあいました。前町長のもとでは、こうした話合いなど持てる空気ではありませんでしたから、有意義な懇談になったと思われました。


昼食後はすぐにバラ園に行って、Mさんとアーチの土台作成作業。いろいろ試行錯誤しながら、つるバラ用の大きなアーチを取り付けるコンクリート製の土台を2人で何とか完成しました。
その作業の最中、自分のワサビ畑でとったワサビの花を手に通りがかった年配のおばあさん、「一所懸命だねえ」と言いながら、「ワサビの花が咲いているからね、採っていっていいよ」と言ってくれました。流れ落ちる清水のもとで沢山のわさびをつくっているのです。
行ってみると、柔らかな葉の間にワサビの花盛り。少しだけ摘ませてもらいました。夕食におひたしにして食べましたが、やわらかくておいしかった。


そのあとは我が家の庭の整備。いろいろあって、結構疲れてしまいました。
バラ園からの帰り道、咲き誇っている花たちを撮ってきましたよ。池田の春、第2弾です。








最後の写真は、我が家の直ぐ近くにあるモモ畑です。
我が家のまだ小さいモモの木に沢山の花がついて、ようやくほころび始めました。これはまた明日紹介することにしましょう。



  4月19日(水)
1日、1日という感じですね。その日、その日をどう大事に前にすすむかという意味です。

今日は午後から役場で、公民館問題での今後の交渉のあり方を巡って事務レベル協議を行ってきました。年度替わりで、しかも教育委員会、公民館の大幅な人事異動があったために、かえって過去のしがらみに縛られない話合いができる条件もでてきたわけで、少人数であったために忌憚のない話合いが出来たと思います。
もちろん、問題は町・教育委員会がどのような立場でどのような回答を示すか、またそれにもとづいてどのような見解を直接打ち出してくるのかが問題なのですから、事務レベル協議はあくまで本交渉のサポートでしかありません。
ここでは、まだその内容に触れるわけにはいきませんので、これから作られる地域交流センターのよりよい運営への提言としていくつか現時点での考えをまとめておこうと思います。

これまで町は、12月の「町民と政党のつどい」の会場として一旦は許可していた公民館の使用を認めない処分をしたことについて、@申請時の記載内容が実際と異なること、A社会教育法第23条第2項に抵触すること、の2点を取り消し理由としてあげてきました。
しかし、この問題は次第に別の様相を帯び始めます。その1つは、自民党務台議員の横やりに対する「忖度」の様相を見せてきたこと。2つは、社会教育法第23条の解釈にほころびが出始めたことです。そのために町・教育委員会は、双方の行き違いがあったことが大きな要因でもっと時間があれば別の解決方法があったとか、すべての町民に開放することが大前提であるとかと言わざるを得なくなっているのです。
これまではどうだったか。「すべての町民に使っていただくことが前提」(教育長)だといいながらも、実際には「社会教育法23条は公民館側も利用者も守るべき基準」(教育課長)だとか「利用者のみなさんにも中立を守ってほしい」(教育長)などとして全く矛盾する態度をとり続けてきたのです。
この見解に固執する限りは、どんどん矛盾がふくらんで、肝心なこと、たとえば憲法問題などで回答不能になるのです。従って、まず大胆にそのスタンスを棄てることが出発点にならなければいけません。さもなければ、これまでと全く変わらないことになる。いくら「すべての町民に開放する」と言ったところで、「公民館の前で憲法を棄ててお入り下さい」という実態では開放になるはずがありません。
繰り返しますが、真っ直ぐな基本方針をたててから細部の回答にのぞむ必要があります。

務台議員の横やりについては、彼自身が証拠を残しているのですから、これは言い逃れができません。実際に「確認書」(務台議員「誓約書」)を渡してはいなくても、その内容の一部を漏らした可能性は否定できない。むしろ大いにあり得ることです。たとえば、「『選挙に関する話題・議論を一切しない』と書いた誓約書をつくりました」と言っただけでも、その内容を漏らしたことになるのですから。教育委員会がいくら否定しても、証拠がある以上、言い逃れはできないと知るべきです。
だとすれば、この「確認書」は務台議員の横やりに答えたものである可能性が極めて濃厚となるではありませんか。主観的にどうであれ、です。町がどれだけ否定しようが、いずれ国会での質問などがあれば明らかにならざるを得ないことです。マスメディアが黙っていないのではないでしょうか。
さらにこの「確認書」は、庁議にかけてお墨付きを与え、取消処分の根拠として残されるに至ったという問題です。特別職はもちろん課長もまた同じレベルで責任を負った事実は重いのです。
「行き違いがあった」のではありません。「もっと時間があれば解決した」問題でもありません。町、教育委員会の狭い視野に加えて特定の議員への忖度がこうした事態を招いた根本原因です。このことに思いをいたさない限りは解決はいっそう遠のくでしょう。

すでに解決の道筋は見えています。私は2つあると思っています。まず、社会教育法の解釈については、文科省の通達の基準にたてばよろしい。「公民館側も利用者も」などと解釈するから袋小路に迷い込んでいるのです。「解釈には幅があるが、これからは文科省の指針に基づき、憲法・教育基本法に背かないように運営する」と言えばいいのです。過去の誤りについては法令違反を含め、謝罪すると言えば済むのです。
第2に、地域交流センターが新設されることを機会に、その運営を大胆に見直し、町民に分かりやすく公民館側にも運営しやすい簡明な運営指針を定めればいいということです。その前例が広島市であり岩出市です。
この両市でできて問題のないことが池田町でできないわけがない。しかも、マイナス続きの池田町にとって、名誉を回復する絶好のチャンスなのですから。新しい担当者の英断を期待したいと思います。



  4月18日(火)
春の日差しに満ちあふれた朝。6時頃にはまだ曇り空だったのに、8時にはほとんど雲1つない快晴。暑くなりそうな予感です。
家の裏にほんの1、2分登ってみたら、我が家の屋根はピカピカに輝いていた。塗り立てで雨に洗われた屋根の美しさ。建てたばかりはこうだったんだろうなと思った次第でした。あとはベランダなどを自分で塗り直さないと・・・。




裏には大きな山桜の木があって、いま花盛り。ソメイヨシノとは違って背が高く見上げると青空に美しい。山々の頂も眩しいくらいに真っ白。水仙も花盛り。桜草、芝桜も咲きそろって、いい季節の始まりです。






目を大地にやれば、そこには野蒜。ひとつかみ取って今日のおひたし。蕗、野萱草もうれしい食材。こんな天と大地の恵みを放射能で汚さんでほしい。子どもたちの未来を奪わないでほしい。そのうえで、都会の子たちにもぜひ田舎の恵みに触れてほしい。





  4月17日(月)
昼からバラの会役員会を開き、21日に予定している町長との懇談会の打ち合わせを行いました。町にバラの会の活動をよく知ってもらい、必要に応じて行政の援助を要請するために、どんなことを話すのかを事前に調整したのです。
バラの会は2010年の7月に創設し、それから丸6年間、毎週集まって作業を行い今日のバラ園に作りあげてきたのです。
町民がほとんど行政の関与なく、自主的に作りあげ世話を続けてきたという活動は池田町でもまれなことであり、その経験はもっといろいろな場や団体で共有されるべきだろうと考えています。
しかし、如何せん高齢化の波は我がバラの会も無縁ではなく、10年契約の土地をさらに引き続いて利用できるかどうかがいよいよ危うくなっていることもあって、行政の知恵も借りようという話になったのでした。わずか1時間程度の懇談ですからどこまで具体的な話ができるのか分かりませんが、まず第1回目の懇談と位置づけて会員の皆さんから生の声を伝えてもらおうと考えているところです。

役員会をやっていた午後3時近くまではまだ日ざしがあったのに、夕方から曇り始め夜には本格的な雨。この雨で喜んでいるのは農作物と土から這い出してきたばかりのアオガエル。まだ少ないものの大きな声で鳴いています。明日午前中には回復してよいお天気になる筈ですから、明日はマルチをしたり柱を立てたりと農作業に忙しくなりそうです。

さて、今日の「しんぶん赤旗」には、政府が教育勅語について学校現場で教材として活用も可としたことへの批判記事が載り、それに関連して教育勅語発布のすぐあとに明治政府がまとめた「勅語衍義」(井上哲次郎著)についての若干の解説が載っていました。
安倍内閣の閣僚たちが「教育勅語にもいいことが書いてある」として例に挙げている「夫婦相和し」と言う意味が実は彼らが言うような意味では全くないということを「勅語衍義」に即して解明していたのです。
教育勅語が出されたのは明治23年10月。この「勅語衍義」はその翌年明治24年9月に刊行されています。
明治政府・文部省は当初これを小学校終身の教科書としようと考えたようでしたが、天皇の「告げしめて曰く、斯の書修正の如くせば可ならん、然れども尚簡にして意を盡さざるものあらば、又毅と熟議して更に修正せよ」の下命に、結局は私著として出版されたもののようです。これらはこちらに詳しい解説があります。
それはともかく、この井上哲次郎著になる「勅語衍義」は、国立国会図書館で電子データとして閲覧できるんですね。さすがです。ただし、相当長いもので、しかも明治中期の難しい漢字を使いカタカナ交じりの文章ですから、現代の人間が読むには大変です。
「しんぶん赤旗」では比較的分かりやすく書いていましたが、それでもなかなか。
それにならって、「爾臣民父母に孝に」「夫婦相和し」の部分を平仮名に直してみようと試みたのですが、これまた大変。それでもちょっとだけ雰囲気を味わってもらうために、明治時代の教育勅語解説を見てみることにしましょう。

夫婦相和し

夫婦は一家の因りて起る所にして、実に一国の大本なるが故に、一国の治を欲するものは、家々其よろしきを得て、不和を生ずることなきを期す。然れども又一家の治を欲するものは、先づ夫婦の常に能く相愛して、毫も互に相戻ることなきを欲せざるべからず。
一家の安全は、元と夫婦の和合に基くものなればなり。

然れば夫たるものは、妻を愛撫して、以て其の歓心を得べく、又妻たるものは、夫に従順にして、妄(みだり)に其意思に戻らざらんことを務むべし。
蓋し妻は元と体質孱弱(せんじゃく=か弱いこと)にして、多くは労働に耐えざるものなれば、夫は之れを憫み、力を極めて之れを扶け、危難に遇ひては、愈々之れを保護すべく、又妻は元と知識才量多くは夫に及ばざるものなれば、夫が無理非道を言わざる限りは、成るべく之れに服従して能く貞節を守り、妄に逆う所なく、始終苦楽を共にするの念慮なかるべからず。

然れば夫たるものは、徒に己れの幸福のみを求むべきにあらず。又己と浮沈を同じくする妻の幸福をも慮らざるべからず。又決して自己の妻を婢僕(ひぼく=召使い)の如く見做して、苛酷に使役すべきにあらず。必ずや、自己の最近最親の同伴として、終身深く之れを愛憐せざるべからず。愛隣の情は、鉄鎖の如く、異体を結合して、忽ち一心となすものなり。一心にして異体なるは、即ち是眞誠に相和せる夫婦なりとす。若し夫婦の此の如くなるときは、一家の基礎固くして、余慶(よけい=祖先の善行によって子孫が得る幸運)多く、国の臣民として毫も恥ずる所なかるべきなり。
未だ婚姻せざる前に於て、夫は自ら能く妻を選び、妻も亦自ら能く其夫を擇ぶにあらざれば、或は一生互に相忌嫌し、遂に相和する能わざることあるべし。故に婚姻の事は、決して経忽(けいこつ=軽視すること、きょうこつ)にすべきものにあらず。必ず自ら熟思深慮し、併せて父母の許容を得て、後ち始めて決断するを要す。・・・・<中略>

その婚姻は男女ともに体格の能く発達するを竢(ま)ちて、之れをなさざるべからず。若し夫れ然らずして妄に早婚を為すときは、啻(ただ)に十分に学術業務を習うの暇少なきのみならず、又自己の体格を十分に発達せざるが為め、弱小の兒士(=児子)を設け、随ひて国家に荏弱(じんじゃく=やわらかで弱い)なる人民を増殖し幾分か国家の力を殺滅すべきなり。
何となれば、国家の強きは主として荏弱なる人民少なくして、公事に尽力すべき壮健なる者多き程度に因るものなればなり。


当時は男尊女卑などとは少しも思わなかったのでしょうね。もともと女は体質ひ弱で男が庇護しなければならない存在であり、頭も男にはかなわないのだから妻は夫に従うことが最善なのだという。それがあたりまえなのだと誰もが信じこまされていた時代です。我が妻が聞いたら「逆じゃないの」と言われてしまいそうな解説ですが・・・。
もっとも今でも男女はこれでなければと考えるお方がたくさんいらっしゃるんじゃないかなあ。不言実行していらっしゃる方はもっと多いのかも。
最後は極めつけ、強健な子をもうけ、国家に奉仕せよと締めくくる。

2017年3月8日、稲田さんは福島瑞穂議員の質問に答えて次のようにのたもうたのは有名な話。

「教育勅語の核である、例えば道徳、それから日本が道義国家を目指すべきであるという、その核について、私は変えておりません」
「私は教育勅語の精神であるところの、日本が道義国家を目指すべきである、そして親孝行とか友達を大切にするとか、そういう核の部分ですね、そこは今も大切なものとして維持している」
「教育勅語に流れている核の部分、そこは取り戻すべきだと考えている」


ある人は森友学園で園児が教育勅語を暗唱している様子を、「あれは安倍晋三の心象風景そのものだ」と喝破したことがありましたが、「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として活用できる」(政府答弁書 3月31日)となれば、結局森友学園を全国に広げるってことじゃないですか。
14日の持ち回り閣議で、ヒトラーの「我が闘争」も「教育基本法等の趣旨に従っていること等の留意事項を踏まえた有益適切なものである限り、校長や学校設置者の責任と判断で使用できる」との答弁書を決定しているのですから、これはもう暴走などというものじゃない。昭和15年あたりにワープですな。

あんなにめちゃくちゃな政務活動費の使い方をして沢山の議員が辞任した富山市議会で、自民党がやはり過半数だったというウソのような話。
富山市民のみなさん、ホントにそれでいいんですかね?えっ、市議会は国会と違うんだって??じゃ富山市の自民党は自民党じゃないんかな???



  4月16日(日)
朝から良いお天気で外に出ていると汗ばむほど。8時前から業者の方が来て屋根のペンキ塗りにかかっています。明日はまた天気が崩れるので、できるだけやってしまいたいということでした。
暖かくなったためか、ツバメがやってきました。見かけるのは今日が初めて。作業しているのも何のその、巣を作る場所を求めて下見に余念がありません。
いつも巣をつくっている、ペンキ塗り立ての我が家の軒下に狙いを定めて”つがい”とおぼしき2羽が足場にとまって様子見。さすがにきれいにぬったばかりの軒下には巣をつくってほしくないので、出っ張った換気口のふたを取り外してしまい外からカバーを掛けました。それでも諦めきれないのかなかなか立ち去ってくれません。


朝10時から、恒例のスタンディング行動。10数人が集まって思い思いにプラカードや旗をかかげて共謀罪や戦争法反対のアピールをしました。


帰ってまもなくしたら、家の前をウオーキングの皆さんが100人ほど。家の前に出て見ていたらみなさん元気にご挨拶。聞くと群馬県前橋市から来たとのことでした。まあ、はるばるとようこそおいでくださいました。
クラフトパークから仁科神明宮まで20キロほどを歩くのだとか。ある高齢の方は、「ええっ、まだ半分ほどしか来ていないの?」と汗をぬぐっていましたっけ。「今日はよく晴れて山も見えるし最高の日ですよ」と励ましてあげたことでした。女性の方が元気いっぱいだったなあ。まわりはようやく花があふれるようになってきましたから、本当にいい日にあたりましたね。




さて、アメリカのユナイテッド航空がオーバーブッキングしたために乗客を無理矢理暴力的に引きずり下ろしたというニュースがありました。びっくり仰天の許しがたいこの珍事、アメリカでは厳しい批判とともに、ユニークな抗議行動が広がっています。
ユナイテッド航空の新しいモットー(スローガン)を提供しようという運動です。なかなか辛辣なポスターで埋まっていましたっけ。いくつかを紹介。


次回もおもてなしさせていただきます


競争相手を打ち倒せないなら、お客様を打ち倒します


(当社はゴミの始末は責任を持って行っています・・・ってとこかな)


お客様を世界中引きずり回します

日本でも共謀罪、森友などで、こんな宣伝をもっと広げたら面白いだろうなと思ってみていました。どなたか絵心と諧謔精神旺盛な方、作ってくれないかな。



  4月15日(土)
飼い猫のハルちゃん、夕方裏の空き地に行ったかと思うと、端の方に座ったまま、いくら呼んでも動こうとしない。じっと何かを待っているようなのです。
約2時間ほどもして、日も暮れてきたので、「ゴハンだよ」と呼んだらようやくやってきた。どうやら座っている場所にはネズミの巣穴があって、そこからネズミが出てくるのを辛抱強く待っていたらしいのです。
家に入って、缶詰を平らげたらまたいそいそと出掛けていきました。暖かくなると野性の血が騒いでくるらしい。


午前中は強風で時折雨がぽつりぽつり。今日から屋根や軒の塗りに入る予定でしたが、やむなく軒の塗り直しのみ。4人の職人が朝早くから来て手際よく養生テープを貼りカバーをつけて、蜘蛛の巣などで汚くなった面を真っ白に塗ってくれました。明日は多分天気も回復するでしょうから、本格的な上塗りの作業に入る予定です。


午後からは天気も回復してきたので、種をポットに植え付ける仕事に精を出しました。先日はトマトやカボチャを植えたので、今日は追加のトマト、キュウリ、ナス、ピーマン、ゴーヤ、ズッキーニ、ヘチマ、落花生などを一気に。5月連休明けには苗も少しは大きくなってくれるでしょう。
畑仕事は暖かくなれば、これまた一気に忙しくなります。今年は例年より作業を早めに始めたので多少余裕はあるとはいえ、まだまだやることが沢山。キュウリやトマト、インゲンなどの棚作りや、家の前の草取りと整地にまだ2,3週間かかりそうです。家庭菜園程度とはいえ、農業は甘くない。
とくに、今年は「こともじゅく」の保護者向けに野菜を多く作って持っていくことにしており、さらに近隣の農家に援助をお願いしつつあるので、松本の「貧困ネット」のみなさんと連携して、野菜支援の事業を起こそうかと思っています。


ところで、千葉県での小3生殺害・死体遺棄事件について、容疑者が逮捕され、家宅捜査などが行われていることが昨日から微に入り細に入り報道されています。
容疑者が確保されたことは事件解明への大きな前進ではありますが、ここで報道機関の報道の仕方が私には全く理解できない。まるで容疑者=犯人という扱いではありませんか。実名報道についての取り決めは果たしてあるのでしょうか。
おそらく「プライバシーの侵害」を認めなかった最高裁の判例に従っているというのでしょうが、「有罪」が確定するまでは推定無罪という近代法の精神にいつでも戻る謙虚さがあってよいのではないのかと思います。
もちろん、私は幼女を殺害・遺棄するなどの凶悪犯罪を決して許しません。だが、容疑者を逮捕した時点であたかも犯罪が確定したかのような扱いを行うことは全く別の問題です。松本サリン事件から報道機関は苦い教訓として学び取ったはずではないのですか。
逮捕されたことは本人のみならず家族にとっても耐えがたいことであり、人生を狂わせることになる。もし犯人でなかったとしたら、その責任は誰がとるのか。容疑者のうちは、様々な事態を想定し、慎重で抑制的な報道をすべきです。有罪が確定した時点ではじめて具体的な報道がなければならない。それでもなお、過去の警察の取り調べから生み出された冤罪の恐れがあるのです。
このようにして国民を逮捕=犯罪者という視点で慣らしていくようなやり方は、共謀罪の素地づくりをしているように思えてなりません。



  4月14日(金)
熊本で大きな地震災害が起こってからまる1年。偶然か今日は父の命日で忘れがたい日になってしまったのでした。
どういう風の吹き回しか、今朝地震の夢を見てしまった。ものすごく大きな地震が安曇野で起こって、そのために何をしたらいいのか必至で考えながら、何か一所懸命救援の手配をしているという夢です。地域の防災の係になったからなのか、熊本で亡くなった人たちの無念の思いが押し寄せてきたからなのか、そんな偶然もあるものなのですね。


今日は屋根のさび止め塗りで1日業者の方が暑い中を遅くまで作業してくれていました。明日あさってはペンキ塗り。雨にならなければいいのですが。
午後からは友人のお見舞いに。手術をして20日ほどになり、ひょっとしたらもう退院しているのかもと思って行ってみたらまだいた。遅くなったことを詫びながら様子を聞いていたら、長期療養の病棟に移されたということはまだしばらくかかるのではとガッカリした様子。思ったほどやつれてはいなかったので安心はしました。
病気ではありませんが、ご近所さんが大腸カメラを初めてするというので、ものすごい不安らしく妻に電話してくるやら聞きにくるやら大変。私たちも二人とも経験者なので、少しも心配要らないよと懇切丁寧にアドバイス。「なんだ、結構同じことで医者に通ってるんだ」と安心したみたいでした。
何だかまわりはこんな話ばかり。たまに子ども塾に行って小さな子たちとふざけあったり、高校生たちと話をする時間がなければこりゃ一挙に老けてしまいそう。気持ちの若さを保つのに彼らは本当に貴重な存在です。

森友学園以来、朝のニュースワイドショーは話題に事欠かない。今朝屋根塗りの業者が、最近ワイドショーが話題でいっぱいですねえ、と突然言うので驚いたら、北朝鮮のことやアメリカのトランプの話題であふれていることを指しているようでした。
今日のアメリカNBCテレビのニュースは本当に寒気がするような内容です。北朝鮮が核実験をやるという確証を得た段階で「通常兵器」で攻撃を行うというのです。これは「複数の米情報機関当局者の話」。
先制攻撃となれば、これは国連安保理での議決を経たわけでも何でもありませんから、国際的に孤立するだけではすみません。しかし、トランプはひょっとしたらそのような常識すら通用しない人物かも知れないのが恐ろしい。
事実アフガン空爆で使った爆弾MOABは語呂合わせで「Mother Of All Bombs」と言われ、核兵器に次ぐ破壊力をもつ強力なもの。どうやら彼は世界中の紛争地を都合のいいように利用して、兵器の実験場にしているのではないのか。核兵器の実験場も場合によっては北朝鮮で求めているのではないかとさえ思えてきます。
東シナ海ではカール・ビンソンと海上自衛隊との共同訓練が3月27日から3日間行われ、那覇軍港には「米軍事海上輸送軍所属の潜水艦や特殊部隊の支援船『C・チャンピオン』が9日寄港」したとの報道がありました。
政府は2月から朝鮮半島有事の対応を検討(右の図)しているのだそうですが、アメリカベッタリで戦争政策に追随するのではなく、いかに外交努力で危機を回避するかに頭を絞るべきです。
本気でこんな対策を考えているのですか。彼らの頭は救いようのないほどのビョーキじゃないですかね。




  4月13日(木)
マックOS9を入れたデスクトップ機で、いまから10年以上も前からずっと解決できないでいたことの1つに、ゴミ箱を空にできないという現象がありました。関心のない方にはどうでもいいことなのですが、昔からマックを使っている人にはひょっとしたら身に覚えがあるかもしれませんね。OSXになる前のめちゃくちゃ古いマシンですから、いまどきそんなことを話題にする人さえいませんが・・。
ロックがかかっているわけでもない、ただ空のフォルダがゴミ箱に入っていて、デスクトップファイルを再構築しても、PRAMをクリアしてもそれが消えてくれない。これって、大変気持ちの悪いことなのです。
それが、今日突然解決した。コマンド・キーとオプション・キーを同時におして「ゴミ箱を空に」とやればよかったのです。ネット上では、オプションだけを押すとかシフトを押すとかと書いてあったのですが、ぜんぜんダメ。
古いマックOSでは、こう言った訳の分からないことが結構あったのです。それでも一つ一つ解決して、クリーンな環境で仕事をする・・・まあ、アホなこだわりですけど、それがまた愛着への一歩なのでしょうね。

さて、今日は午前中バラの会の例会。10人ほど集まって、新しく買ったバラ大苗を植え付けました。約20本、枯れたところに植え替えたり、新規に拡張したりと、今日は時間いっぱい大忙し。
助成金でつくった正面の案内板も出来上がってきてお披露目と相成りました。








  4月12日(水)
この家の新築工事が完了し暮らし始めたのが2006年9月。それから11年目ということになります。早いものですね。
これだけの年月が過ぎれば家のあちこちに問題が生じるのはやむを得ないこと。とりわけ、屋根の塗装を中心に結構劣化が目立ってきました。相当に色あせていたのです。そこで、さびなどが出ないうちに早めにということで、屋根や軒裏の再塗装をしてもらうことにしたのでした。
今日は足場組みと家全体の洗浄。午前中から業者が来て高圧洗浄機でくまなく洗い落としました。蜂の巣、蜘蛛の巣、土ほこりなど10年分の汚れを一気に洗い流すのですから、見ていても大変そう。ついでに軒先のツバメの巣もきれいに掃除してもらいました。
このあと、乾燥に1日とって明後日から塗装にかかります。見違えるようにきれいになるのではないかと期待しています。もっとも費用もそれなりに・・・。


家の前のレンギョウはいつもなら満開になるところ、昨年秋に相当刈り込んでしまったので、今年は何とも寂しい姿をしています。ただ、昨年より開花がずいぶん遅く、スイセンもまだ全部は咲ききっていません。
近くの桜は、ようやく蕾がふくらんできた感じ。4月いっぱいはまだ全体に土色が主流で、緑で覆われるのはやはり連休あたりからでしょうか。



  4月11日(火) その2
今朝の信濃毎日新聞と大糸タイムスに、一昨日の「公民館問題を考える学習討論会」関連の記事が載りました。
信濃毎日新聞の記事は、公民館の使用許可取り消し問題が起こった11月末に、現職国会議員(当時政務官)である務台俊介氏の秘書が池田町公民館に問い合わせを行っていたことを実名報道。いままで状況証拠でしかなかった輪の一部がついに繋がってしまいました。
一方、大糸タイムスは金枝弁護士の講演の内容を軸に集会の模様について詳しく報道、メディアの関心の高さを示していました。
つどい実行委員会としては、すでに町に提出している「再質問書」への回答を待って町と交渉し、取消処分の撤回と謝罪、今後の町民視点での公民館運営を求めていくことになります。

さて、公民館使用許可取り消し問題についてのこれまでの動きを整理してみると、次のようになります。
まず、11月29日務台氏の秘書が池田町公民館に電話したのがことの発端。信濃毎日の記事では「町公民館の規約を取り寄せ、政治的利用は公平にしてもらいたいとの趣旨で秘書が連絡」「使用許可取り消しなどは申し入れていない」とありますから、池田町公民館は、この連絡を受けて「外部の指摘で許可の再検討を始めたのは事実」だということです。森友問題・昭恵夫人関与のミニ版のような構図です。
ここで思い出すのは、昨年12月18日の池田町議会一般質問でのやりとりです。ある国会議員からのアクセスがあったのかどうかという問いに、藤沢教育課長は、一般の人からの問い合わせで、国会議員からでは「なかったものと思います」と答えていました。延長国会のさなか、内閣府大臣政務官たる国会議員本人が池田町公民館に電話などすればそれだけで大問題ですが、仮に議員秘書からの電話だとしても「一般の方」などであるわけがありません。
「『「思います』ではなくはっきりと答えてほしい」という服部議員の追及に、今度は教育長がわざわざ手をあげて「誰がではなく、チラシで判断した」と論点をはぐらかしてしまいました。この経過もしっかり頭に入れておく必要があるでしょう。
ちなみに今日の信濃毎日新聞の記事では、「許可を取り消した平川通寿前公民館長によると、務台氏の秘書や町民から『政治的に偏っていないか』との指摘があり・・・」とありました。
信濃毎日の記事にはありませんが、11月30日に務台氏が町民の会のフェイスブックに「誓約書に、政治目的ではないと、書いたようですね。平気で嘘をつくのであれば、問題です」と書いたことから、池田町公民館側から当事者(つどい事務局長、公民館・教委担当者)以外に知り得ない「事実」を知っていた=情報が提供されていたことが明白となりました。これは公務員による便宜供与ですから深刻な問題です。
つまり単に誰か一般町民が「おかしいんじゃないの」と電話したこととはレベルの異なる問題で、自民党代議士による教育行政への干渉が問題の発端だったということです。
町は当然ながら「干渉」を否定はするでしょうが、実際にはこうした「圧力」があった事実はもはや消しようがない。池田町がどう弁解しようが、務台氏が証拠を残してしまっているのですから。

さて、そのようにして始まった公民館使用許可をめぐる教委の迷走は、事務局長への事情聴取へとすすみます。すでに「これはやばい」と判断していた公民館・教委は、何とかして集会をやめさせたいと思ったのでしょう。11月29日の話合いでは、このつどいが内規に抵触しないことを双方が認め、また事務局長が「選挙が迫っているわけではないので、選挙活動に関する話などになるわけがない」と話したことをもって、一旦はそのまま開催可能となったはずでした。
ところが明けて11月30日、「今回協議した内容をまとめ」「遵守していただきたい内容を明記」たものとして「池田町公民館使用に係る確認事項について」(以下「確認書」)という文書をいわば踏み絵として持ち出してきたのです。
町への質問書でも書いているとおり、この確認書の性格は当初は「遵守していただきたい」と書き、「今回協議した内容」としていたものが、後の答弁では「事務局長が言われたことを(そのまま)まとめた」ものに変わり、事務局長が話したことをまとめたにもかかわらず、それを認めないのだから使用許可は出せないという段取りにしてしまったのです。
手続き上も、内容的にも極めて問題の多い、この「確認書」は公民館・教育委員会がどちらの方を向いて実務を担当していたのかを明確に示すものとなってしまいました。

そして、第3は、公民館がもはや独自には判断できないので庁議にはかるという段階。これが12月1日(つどい前日)午前です。
この日には外部からの連絡があったこと、自民党代議士が参加したいというのを断ったという報告が行われたことが明らかになっています。結局、こうした教育委員会からの一方的な情報によって、庁議は使用許可取り消し処分を是とする判断を示し、いわば町ぐるみで違法な行為を行ったというわけです。

では、務台氏が言う「政治的利用は公平に」とか、「政治的に一方に偏った政治集会に、公民館が使えるとは知りませんでした」という意見についてどう考えるのか。
これは今日の議会制民主主義の大原則である政党政治・代議制度、ひいては憲法の規定への全くの無理解にもとづくものであることは明白です。
務台氏が他党を「政治的に一方に偏った」というのは自由ですが、町民団体が4党を招いて政治的議論を行うことをそのように批評することは許されません。言論・集会の自由とは、公的機関であればこそ最大限保障されなければならないからです。
政権政党でない政党に属して発言したり、支持したりすることを「政治的に偏っている」と決めつけるやり方は右派の主張によく見られる「ためにする」言い分ですが、自分たちの主張は偏っているとは決して思っていないのですから、困りものです。一言で言えば彼らの政治的見識のなさと党利党略を裏付けるものでしかありません。今日では憲法9条を守れという主張すら「政治的に偏っている」「一方の側の主張」だとするところまで政権政党の主張は「進化」しているのです。
一方の池田町教育委員会の立場はどうか。務台氏がフェイスブックで「池田町取り扱い基準に照らしてどうか、ということ。国の基準が問題ではありません」と書き、規則を取り寄せていたにもかかわらず、彼はこの基準に一般町民団体について何も規定が書かれていないことには思い及ばなかったようです。しかも池田町の規定は「下記の条件(政党が守るべき基準)を付し、許可する」ことが前提なのです。
誰がみても「つどい」が公民館の内規には抵触しないことは明らかでした。事実これまで「戦争法に反対する池田町民の会」も再三にわたって公民館で集会を開いてきたのです。
しかし、務台氏からのクレームがあった以上、何とかしなければと考えたのでしょう。「公民館の内規」に「該当しない」事例に押し込んで、直接社会教育法第23条該当を持ち出してきたのでした。
それにしても、社会教育法第23条に抵触するとしても、その解釈とそれを裏付ける証拠がなければなりません。
まず、解釈については「公民館の運営規則」であるはずの社会教育法が「利用者にも適用される」と拡大解釈したこと。さらに、公民館に要求される「政治的中立性」を利用者にも求めたこと。この2点が町・教委の「拠り所」となりました。裏付けの証拠は、私たちの作ったチラシの文言それだけです。

こうしてみると、使用許可取り消しをいかにうまくやり通すかが先にあったことがよくわかります。およそ憲法論議にも、社会教育法の解釈論議にも耐え得ない論理を持ち出して何とか務台氏の意向に答えたかった池田町教育委員会の姿勢が浮き彫りになってくるのではないでしょうか。
私たちは批判は批判として厳しく行いますが、最終的には町民の財産である公民館や交流センターをどのように町民本位で使い勝手のよいものにするのかが最終目標なのであって、ことさらに町を追及し追い詰めるところに目標があるのではありません。
一昨日の弁護士の話にあったように、つどい実行委員会と町とが協議、議論を重ねてよい合意点を見いだし、今後の町民本位で円滑な公的施設の運営が図られること、この観点をしっかり踏まえ、今後の交渉などに当たっていきたいと考えています。



  4月11日(火)
もうハルちゃんの季節です。暖かくなって彼の行動範囲が一挙に広くなっているらしい。先日、昨日とたて続けにネズミを捕まえてきて、うまそうに食べている。
昨日などは生まれて間もないくらいの小さいヤツを捕まえてきた。それを知らずに、お裾分けと思って妻が買ってきた刺身をやったらバクバク食べて、そのうち傍らに置いていたネズミをくわえて食べ始めた。慌てて新聞紙を敷いてやると、そこは心得ていて新聞紙の上でおとなしく食事をしていた。油断も隙もない。
今年で13年目。人間に直すと13×5=65歳だから私とそう変わらない。65歳にしては結構まだ俊敏にねずみ取りに出掛けるので羨ましい。私などは、今日医者に行って脇の下に何かイボのようなものが出来ているので「これは何でしょうか?」と聞いたら、「老人性イボ」だという。ガ〜〜ン。老人、老人・・・。ま、当然のことか。
「これからまだ大きくなりますよ。気になるようなら液体窒素で少しずつ削るか、切除するかでしょうね」と言われて、シュンとして帰って参りました。ハルちゃんは、病気らしい病気もなく、元気で顔を見れば「メシくれ〜」ですからね。どっちが長生きするのか。

しばらく沖縄のことを書いていませんでしたが、新聞報道では今週中にも辺野古基地の護岸工事を皮切りに本体埋め立て工事に取りかかる 予定だという。
県内では、知事の辺野古埋め立て承認「撤回」の前に県民投票をしてはどうかという考えが大きくなっているといいます。しかし、それには数ヶ月かかるわけで、その間に政府はどこまで工事を進めるかわからない。埋め立てが始まってしまえばもはや後戻りできなところまで行ってしまうでしょう。
「撤回」となれば、知事に損害賠償訴訟をおこすと恫喝し、県民分断をはかりつつ、どんどん工事を進める政府。北上田さんは「ゲート前に今まで以上の座り込み参加者を集め、工事の進行を食い止める策がなければ県民投票は危険で賛同できない」という。
一方で、たとえ工事がすすめられても、辺野古新基地を否定する県民世論が明確になれば知事の「撤回」も具体的な裏付けを持ち、裁判になっても有利だという意見もある。
まず、座り込み参加者は残念ながら平日の特別の日でない限りは工事車両をくい止めるだけの参加者を得ていない。1000日を超える毎日の座り込みで参加者は疲労を重ねており、端でみているよりはずっと苦しい闘いをつづけている。しかし、今が正念場。毎日数百名を集める現実的な基盤がないわけではありません。それだけの意思統一をどのようにつくるかがカギだというのは1年も2年も前から議論されてきたことです。それと同時に全国からの支援。励まし。
私はできる限り早く知事の「撤回」宣言を出すことだと思います。工事をとめて、同時進行で県民投票の準備をする。これが裁判にも有利な条件をつくることになると思うのです。
今年はいつ沖縄に行けるかはわかりませんが、重要段階には是非とも現地で座り込みに加わりたいものです。それまでには手術をしても何をしても腰を治さないといけませんが・・・。



  4月10日(月)
昨日は午後から「公民館問題を考える学習討論会」、それに引き続いて松本でのお勉強と続き、帰ってからはぐったりとして寝てしまいました。
今日は一体朝から何をしていたのか・・・思い出せないほどぼんやりとして妻が富山から帰るのを待ち、もう夕方です。あ、そうそう天気が回復したので、、昼過ぎから庭の植木を鉢替えし、トマトとヘチマ、ズッキーニの種植えをしていたのでした。

さて、昨日の「公民館問題を考える学習討論会」、一般参加者は40名、来賓、報道陣などを入れて総勢50人という集会で、まあまあうまくいったのではないでしょうか。
私は司会者でしたので、一年以上も着たことのない背広を取り出して虫干し。集会は、主催者の基調報告、弁護士の講演、4野党の挨拶などと盛りだくさん。
基調報告では、まさに当事者だったUさんの経過報告を聞いて、あらためて公民館使用許可取り消し処分の理不尽さが浮き彫りにされたし、弁護士のお話ではこの処分があきらかに集会の自由を侵す憲法違反の行為であること、さらに4野党の代表の話を通して、野党共闘を追求する過程での事件であったことが問題の背景を浮き上がらせていること、あらためて野党共闘で安倍政権を退陣に追い込むことの必要性などが語られたことが特徴でした。
わずか2時間の集会でしたから、本来もう少しいろいろな人たちの議論が必要だったと思われましたが、いざ発言を求めてもなかなか難しい。ちょっと堅苦しく、集会の持ち方に工夫が必要だという意見も聞きました。これからの課題ですね。









国連では、法的拘束力を持つ核兵器禁止条約の制定を目指す初めての国際会議が開催されましたが、アメリカ・イギリスは欠席、日本もアメリカにならって不参加。国内では被爆者はもちろん各方面から大変な批判を浴びましたね。
次は、共産党志位委員長がツイッターにアップして話題となった写真。国連会議で空席の日本政府の席に置かれた折り鶴です。


時事通信は「置いたのはNGO『核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)』のテア・カトリン・ミエルスタッドさんら。今回の交渉に貢献した国に平和の象徴である折り鶴を贈る活動だが、日本の場合『<参加してほしい>という意味を込めた』という」と紹介していました。

さて、この国連の会議には日本から日本被団協、日本原水協などがNGO団体として参加、被団協の藤森俊樹事務局次長は初日、オープニングにつづくハイレベルセグメントで被爆者としての訴えを行って大きな拍手に包まれたといいます。
日本共産党代表団も「核軍縮・不拡散議員連盟<PNND>」の一員として初めて国連会議に参加、志位委員長が短時間の演説を行ったことが「しんぶん赤旗」で報じられました。
昨日には、志位委員長の「国連会議への参加報告」全文が載り、さらに全国配信された動画がYoutubeでアップされました。いまその動画を見ながらこれを書いているのですが、昨日その全文を読んだ限りでは、核兵器禁止条約問題をめぐっての国際水準とは何かを実に見事に描き出していると思わされました。国の大小を問わず、その国の自主的な判断に基づいて核兵器禁止を国際社会で堂々と主張し活躍している国々・・・。
志位さんのまとめの能力には尋常ならぬものがある。報告とはこんな風にするもんだということを教えられますね。
国際交渉に臨む際に「核兵器禁止」という問題と「核兵器廃絶」という問題との関連を明確にし、当面の課題は核保有国の参加がなくても交渉・締結が可能な「核兵器禁止条約」にあること、それが「包括的核兵器禁止条約」に発展する条件を作り出すという現実的な道筋を明らかにしたことを詳しく述べていて、目からウロコが落ちる思いがしました。
動画もしくは文書でぜひご覧になることをお勧めいたします。



  4月8日(土)
今日は暑かった。車では思わず一時エアコンをつけたほど。松本駅前での温度計は22度。体感ではもっとあったような。
午後から松本で「こどもじゅく」のスタッフ会議があったので出掛けました。いつも来ているスタッフよりは少なくて残念でしたが実りある内容でした。
開設から6年を迎える現在では通っている子どもは登録者で37名。2年ほど前から見ればものすごい増え方です。
フェイスブックを見て来たという親子も数人、またその紹介で増えるというように、関心と需要があることを示しています。新聞広告を出すとまた一挙に問い合わせや希望者が増えるので、しばらく控えようということになりました。何しろ会場が手狭で身動き出来ないほど。
そうなると、当然スタッフも足りなくなるので、近隣の大学に学生スタッフの募集をかけることも検討しました。

先日、共産党ファンクラブ(後援会)のニュース編集者から、次号に「サポートセンター」について書いてほしいという依頼がありました。
この問題については何日か前に、かなり強い口調で書いたことがありましたが、実際、町のやろうとしていることを見ていると余りに場当たり的であり、せっかく臨時職員として配置された「地域おこし協力隊」員の善意を踏みにじることになりはしないかという危惧を持ちます。
このあと、担当課にも経過や実状を聞くことにしているので、それを踏まえて原稿をまとめるつもり。何とも憂鬱な話題にかかわらなければならないこのごろです。



  4月7日(金)
昼頃から畑に行って畝づくりをしていたらヒーロー困憊。夕方ついうとうととしてしまいました。
昨日は久しぶりに雨だったので、畑も苗の植えつけには最適。レタス、キャベツ、白菜などを買ってきて、マルチをほどこして苗を植えトンネルをつくって手早く完成しました。あとは収穫を待つだけ。
それ以外は、5月に入ってからの作業になるので、今度は自宅で苗作りの作業が中心になります。お百姓さんの苦労がわかります。

さて、米中会談が始まろうというタイミングで、アメリカのシリアへの巡航ミサイル攻撃の衝撃的なニュース。
アメリカには他国の軍事基地を攻撃するいかなる国際法的な権利もないことは明らか。にもかかわらず、アサド政権が化学兵器を使ったことに黙っているわけにはいかないという理由で攻撃に踏み切ったことに、イギリスやドイツ・フランスが理解を示しているという。もちろん、日本は理解を示すも何も、ただ従うだけですから論外ですが、こうした論調がメディアでたれ流されれば、いよいよ日本も備えをしておかなければならないという空気が作られていくでしょう。むしろそちらの方が怖い。

最近の安倍政権中枢の動きをみていると、本気で戦争準備にかかっていると思わないわけにはいきません。軍事優先で大きな予算をつけるというのではなく、まず、教育、ついで言論弾圧体制、司法の右傾化。そして国民の意識を集中するためのマスメディア取り込み。それをやり遂げようとしていることです。そのあとは改憲を待たずとも戦争体制はたやすい。
教育については、指導要領の改訂を軸に「愛国」教育への道筋をつけ、教員への統制をこれまでにないほどに強める。戦後数10年かけて営々として国家主義化・国家統制を進めてきたのはこのためですから。
最高裁は、安保外交問題においては、特異な「統治行為論」で「高度な政治性を有する問題」には一切憲法判断をしないのですから、行政権力は楽で仕方がない。どれほどアメリカのいいなりにやっても大丈夫というわけです。
国民の権利については、すでに多くの制約が設けられ恣意的に使われて(たとえば刑法、警察法)いますが、共謀罪が決定的な弾圧立法としての役割を果たすことになるでしょう。
マスメディアについては、安倍首相はくりかえしメディアのトップと夜の逢瀬を重ねていらっしゃいますから、じわりじわりと「ソンタク効果」があわられてきている。最右翼には、「自衛隊『日報』問題で自衛官をいたずらに消耗させるなど狂気の沙汰」と危機意識をあおる産経新聞。

アメリカのシリアへの攻撃は、中国・北朝鮮へのアメリカの「本気度」を見せつけたという意味を込めているのでしょうが、アメリカにとって北朝鮮は自国から遠く離れた極東の一地域での問題でにすぎない。
北朝鮮に対して「すべての選択肢」をかかげ「北朝鮮の体制転覆」すら公言し始めているアメリカ。そんなことがアメリカ一国でできるわけがありません。それに必要なのはそれを支持し、忠実に軍事力を代行してくれる同盟国であり、自由に使える基地。
NHKの今日のニュースですら、もしアメリカが北朝鮮を攻撃した場合、報復として韓国・日本がターゲットになりうると専門家が話すほどに危機が深まっているのです。「仮想目標は在日米軍」としてミサイル訓練を続ける北朝鮮なのですから。「目標」は横田、岩国、横須賀、三沢、そして嘉手納と全国にまたがる。
第3次世界大戦につながるような攻撃はしないと言っていたトランプが、シリアへの攻撃に踏み切る。アメリカの覇権主義の危険は度外れに強まっているといるということです。
もちろん戦争はしようと思ったときに出来るわけではない。政権内部での統一と指導体制、恐ろしいほどの準備がいる。オバマからトランプにかわって直ぐに大きな何かができるほど政権は固まっていません。が、確実にその方向へ向かっている。
繰り返しますが、アメリカは戦場になることはない。なるのは中東であり、アジアなのです。さて、我々はどうする?



  4月6日(木) その2
曇り空で薄ら寒く、何と風の強いこと。強風に吹かれながらバラ園の手入れを行いました。都合が悪い人が多く集まったメンバーも8名。それでもラベンダーを植えたり、バラの移植をしたりと大忙し。私も土を入れ替えるのに一輪車を引っ張って、結構大変でした。
今年は昨年と比べてずいぶん花の咲くのが遅い。昨年はちょっと異常だったのかもしれませんね。昨年のブログを見ると、4月3日にはもうスイセンが開き、菜の花が咲き、レンギョウもすっかり黄色くなっていましたから。
今年は菜の花やレンギョウのつぼみがようやくふくらんできたところ。スイセンも2,3輪。寒く霜の降りる日が長く続いたからなのでしょうか。それでもあと1週間もすれば、すっかり周りは黄色で覆われることになるでしょう。

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私はですね、MNEMOさんのおっしゃること、非常によくわかるのです。

問題はいつも私にとっては<なぜ存在はあるか>なのです。
なくてもよかった宇宙がなぜ誕生し、生命があるのか、ということです。


「私は何ものであり、何故にここにこのように存在しているのか、またどこへ行くのか」という問いは、まさしく人間が生きる上での根源的な問いそのものです。古来、その問いに人々は向き合い、今なお哲学でも社会科学でも自然科学でもそれへの答えを求めて探索を続けているといっても過言ではないでしょう。
問い自体は、私も全く同様に共有していると思いますが、私にとっては<存在する以上>が出発点であって、その前については考えることをいつしかやめてしまった。やめたというより実践に重点が置かれるとほとんど考える余裕がなくなったと言った方が適切なのかもしれません。
私にとっては自身の見方がちっとも潔いとは思えず、いつの間にかそのような習性になってしまったということなのでしょう。それ故、むしろMNEMOさんのそうした自然や社会に対する向き合いかたに私は「うらやましさ」すら感じてしまうのです。

私の最も古い記憶の1つに、母や祖母の故郷で見た神社での盆踊りがあったこと、神社の境内で蝉のさなぎを捕ったことを書いたことがありました。私が幼少期を過ごした富山市内の一角は「寺町」と言われるほど寺が密集する土地柄であって、お寺とのつきあいは本当に深いものがあった。
ところが、そこから何か霊的なものや過去との因縁といった作用は一切受けず、中学・高校とすすむにつれて、自分という存在が何者であるのかを考えてどんどん内向きになり、何のために生きているのか懐疑と不安にさいなまれるようになっていきます。
当然大学進学を控えて、理系か文系かなどという問題も大きくのしかかり、悩んでばかりいた高校時代。担任からは「お前は理系には向いていない」と言われ続けていたんですからね。
生き方についても進路についても今から思えば「悩むために悩んでいた」とも言えるような時代。でも当時は真剣そのものだったのですね。
そし高3のあるとき、次のような結論を導きます。このまま文系のどこかに進んだなら早晩自滅してしまう。頭がおかしくなるか、自殺するかのどっちかだろう。生きている以上、よりよく生きる道しかない。だとすれば、自分自身への懐疑よりも、そのような心配のない分野で自分の能力を見つめるしかないのではないか。
逃げたとは思いたくありませんでした。自己防衛本能が働いたのか、より賢明な道を選び取ったのか、どちらなのかは分かりませんが、違う道、進むべき道は必ずあるはずだと考えました。そうはいっても選んだ道は決して平坦なものではありませんでしたが。
そして、大学でのサークル「教育実践班」と自治会活動が決定的に考え方の道筋を与え、さらに学校現場での教育実践と組合運動が目の前の問題にどう向き合うのかを否応なしに問いかけてくるようになります。
猛烈に忙しい日々。あくまで自分自身と仲間の力によって目の前に生起する事象に対応しつづけているうちに、こんな私が出来上がってしまったという次第。
本来なら、もっと文学や科学の古典に親しみ、世界の人々の魂に触れなければならなかったのかも知れませんが、そこまでの能力もなく、いつしかそれからも外れて放浪するはめになり、ここ安曇野の地でようやく1つの方向を見つけ出したというのが私の現在の立ち位置なのです。
愚かな挫折を何度も繰り返し、這い上がったと思ったらまたどん底に落ち込み、そうこうするうちに<何故存在するのか>よりも、いま存在するならばどう行動するのかの方に関心が向く、これが習い性になってしまったということでしょうか。
そのようになったことをいいとか悪いとか、MNEMOさんがいいとか悪いとか、それは全く思わない。そんなの、良い悪いの問題じゃありませんからね。
科学の発展には、愚かな積み重ねのずっとそのまえにあった何億年の歴史の流れがあるのです。人間の歴史にも万年を単位とする魂の遍歴があるのです。それに気づきを与えてくれるMNEMOさんの小説は、それだけで意味を持つと私は思ってさえいるのです。
たった一人のちっぽけな人間の人生にも、それだけの違いと異なる重みがあるなんて楽しいことじゃありませんか。
何を書いているのか、だんだん分からなくなってしまいました。よって、これでおしまい。MNEMOさん、ブログでのお返事不要ですよ。

第1部の衝撃のラストから、息継ぐ間もなく始まった「蹉跌集め」第2部。みなさんもご注目を。ショッキングな話の展開の中にも銃砲(gun)がアメリカ社会のガン(cancer)だというシャレまで入って泣かせてくれます。第1部以上にジョークが炸裂するのではないでしょうか。



  4月6日(木)
つい最近、離れの畑で野良仕事をしていたら、田んぼの手入れにきた年配の方と立ち話をする機会がありました。以下はそのときの会話の一部。こっちもついつい「んだ」的な口調に・・・。Mは私です。

E:「よくだねえ、寒くないかい」
(注:Tシャツ一枚で畑を耕しているのをみて寒くないかいと聞いてくれた。「よくだねえ」は「意欲的によく頑張るねえ」という意味)
M:「力入れてると暑いくらいだ」
E:「何作ってるかね」
M:「こっちはイチゴ」
E:「タマネギ、あ、あっちはニンニクかね」
M:「そうそう。いよいよ田んぼの手入れがはじまっただね」
E:「今年78になるが、習慣だね。ところで、にいさん、滝ノ台の方?」
M:「いや、七五三掛だ。地主のNさんに、もう年だから土地をあっちと換わってくれって言われて、ここでやってるだ」
E:「そうかい」
M:「つくづく思うんだけど、田舎って豊かだね。欲しいものが手に入るというんじゃなくて、ほらそこいらに生えているナズナとか、菜の花とかも美味しいし、水や空気もいい。都会じゃそんなわけにいかないからね」
E:「そう。いつもはそんなこと思わないで暮らしているが、言われてみりゃ間違いない」
M:「子どもたちも、小さい虫をみてきゃ〜〜としか言わない。虫やカエルと友達になってほしいんだけどね」
E:「遠くにいる孫も似たようなもんだ。こっちで育っているとそんなことはないんだがね」
M:「米づくりどうですか」
E:「もう採算とれるなんてもんじゃないね」
M:「どんどんひどくなっている」
E:「いやな世の中だ。雲行きが怪しくなっている」
M:「ほんとだね。安倍さんはどこに向かって行こうというのか。あの人だから戦前はよかったというんじゃない?戦争なんてどんなもんか知らないのに、どんどんいやな方に突っ走っているからね」
E:「やっていることがあやしい」
M:「本当にそうですね」
E:「ところでこっちはEというもんだけど・・」
M:「ああ、遅れて申し訳ない。Mooです」
E:「どっかに名前出てたんじゃないかい」
M:「ま、結構いろんなところで」
E:「よろしく頼むわ」
M:「こちらこそ、こっちが北だからものが飛んでいったりして迷惑をかけることがあるかもしれないけれど、よろしくお願いします」


今からバラの会の定例作業。4月下旬には新苗の植え付けがあるので、大きな穴をたくさん掘らないといけません。腰が心配だけれど、ま、ボチボチ。
バラの会と町長との懇談会の日程が4月21日と決まり、そのことへの対応もあります。新年度になって、「公民館問題」での町からのアクションが増えていて、向こうもそれなりに対応を急いでいるように見えます。こちらの対応もぬかりなくやらないといけませんし、これから少しずつ忙しくなりそうな予感。
MNEMOさんから丁寧な「お返事」いただきました。これについては、またあらためて。ただし、「往復書簡」的になることをさけるために、必要によっては直接メールで考えを伝えさせていただきますね。



  4月5日(水)
本日も朝から日暮れまで野良仕事。午後2時頃までは離れの畑で畝作りや草取りをして、そのあとは我が家の庭の耕耘。連日の農作業はさすがに身体に応えます。
妻もいま身体のあちこちが痛むといって、近く肩のMRIをとることになっています。私もまた腰の状態はあまり芳しくなく、ついでに膝も痛むので、二人して「もうダメかもね」と慰め合っているという情けない状態。年を取るとは痛みを抱えるということですね。
それでも、土の中からカエルが元気に飛び出してくると和みますし、種がこぼれて生まれた小さな小さな花が瞳を向けてくれるとうれしくなります。また明日も畑に行こうかな・・と。






さて、MNEMOさんの「蹉跌集め」第1巻が完結を迎えたのは4月2日。私と言えば、ほぼ同時に「私的編集版」を終えていたのに、実はMNEMOさんの最後の追い込みがあまりにすごい勢いだったので、編集の方に気を取られて斜め読みしかしていなかった。そうこうするうちに初めの方は断片しか記憶になくて、何か書きたいのだが、もやもやとしているうちに今日になってしまったというわけです。畑仕事のせいにしたくはありませんが・・・。
読み直していると、ところどころ編集ミスがあって、そっちの方に気が取られそうなので、全部印刷してただいま読み直しているところです。
こうしてみると、短編どころの騒ぎではない。A4で107ページもあるんですからね。
若いロックグループ4人の音楽をめぐっての対立、あるいは同じ世代の若い女性をめぐっての恋の葛藤を軸に話はすすんでいきます。途中から次第にMNEMO氏自身が「狂言回し」的に登場しその洞察力と想像力、共感力とで彼らに指針を示しながらその能力を引き出し世界を広げていく。
当然(!)のように「トーホグマン」の世界と渾然一体となる場面もしばしば。ある意味では、トーホグマン第2部とでもいうべき世界が繰り広げられる。
と、評論家的に書いていますが、まず、私が注目したのは、MNEMOさん自身の音楽家としての過去・現在を投影したものだろうということ。それは現在進行形なのであって、若い世代には強い願いと激励を込めて、仲間たちには感謝と敬意を込めて、自らには1つの挑戦の意思を込めて書いていらっしゃったのではないだろうかということ。
丁寧に読み込んでいくと、一人一人の人物造形が実にたくみで、それが変幻自在に編み込まれていることがわかります。と同時に美しく聡明な「悠奈」という人物の描き方が私には大変興味深かったですよ。さらには、登場人物の挿絵がご自身の筆で描かれているのですから、びっくりポンです。
「トーホブマン」と違ってセリフは短くテンポが速くリズミカル。それが彼らが生み出そうとする音楽のリズムと同期して、小気味の良い流れをつくっていることに感心します。

と、まあ、いいことずくめのような書き方をしていますが、舞台は私の生きてきた世界とはやはり相当に違いますし、MNEMOさん独特の魂の連続性とでもいうべき人間観に触れると、改めて人間の多様性ということを考えてしまいます。MNEMOさんはその意味でやはり希有な存在ですね。
ケンスキーに「僕は生粋の理系人間ですが、霊魂の不滅はソクラテスのように信じています」と語らせ、それに答えて「君の言うとおりすぎて・・・」と返信する部分があります。MNEMOさんらしいところです。
私には、過去から連綿として魂が受け継がれて今日の私があるという意識はまずない。多くの人々の記憶が形を変えて祖父母や父母に受け継がれ、それが私の精神を形成しているという意識はもちろん強くあります。だが、死ねば土に戻るだけ。だから1回きりの人生という強烈な意識になる。そこには神も仏も必要はない。人間こそがすべててあり、社会の形成に一人の人間として責任を負うという自覚、それがあるだけです。
ところが、たとえて言うとMNEMOさんが上から降りてきて、私が下から昇って行って、途中でしっかりと出会う場があるというのは実に不思議な感覚です。「神を信じるものも、信じないものも」ということにつながるのでしょうかね。

今日のMNEMOさんの平和宣言はかつてない表現をしていらっしゃって感動しました。昨日はまた、神道について書いていらっしゃいましたね。神道の信仰を保守とリベラルの分岐点にするというのなら自分は保守主義者だと。
池田町は各集落に神社があり、それぞれの季節で神社のイベントが行われます。特別に神道を信仰しようがしまいが、集落の住人になれば「氏子」となり、それなりに秋祭りなどに協力を要請される。そこまではよろしい、ところが、どの神社も神社本庁とつながりを持ち、改憲の署名などが求められるとすれば、「村の鎮守信仰」どころの騒ぎではなくなる。小さな町の集落でも「鎮守信仰」と「国家神道」のせめぎ合いが現実に(地域では見えないところで)繰り広げられているということです。
私は、神道を信仰するかどうかが保守とリベラルの分かれ目などとは全く思わないし、そんな区分けなどあり得ないと思っています。町の神社のお祭りなど地域の共同体の文化伝統を守ろうと最も奮闘しているのが地元の共産党だという現実を見れば、今日保守と革新などという区分けが時代遅れになっているとさえ思えるのです。
ある人は、改憲・国家改造という「革命」(場合によっては暴力「革命」)を行おうというのが自民党なのだから自民党は「革命政党」、それにあらがい憲法の差し示す道を守ろうという共産党は保守本流なのではないかと言ったことがあります。まさにそうなのではありませんか。
その意味では、MNEMOさんの持論には強く共感します。

さて、昨今の政局の動きをみていると、かつてないほどの危機感で身体が震えるほどです。体育での銃剣道の導入といい、教育勅語の許容閣議決定といい、沖縄の基地建設といい、北朝鮮の弾道弾発射を奇貨としてやりたい放題。自民・公明の共謀による「共謀罪」法案は、まぎれもなく現代版治安維持法になります。
しかし、あきらめるにはまだ早い。地域でどのように共同戦線を築いていくか。9日の「公民館問題学習会」は表現の自由を守る意義を持つ重要な機会。4野党が勢揃いします。
町民よりメディアの方が注目するほどのこの問題、何としても勝利しなければなりません。当日私は司会者。テレビ各社も来ますから、きっちりとその本質を伝えてもらえるようにしなくっちゃ。
さらには、戦争法反対闘争を上回る地域での共同戦線をつくりあげるための地固めをはかること。まさしく1回きりの人生、大いに暴れて死ぬまで生きつづけましょう。



  4月3日(月)
朝食事をしていたら、庭の外にまたまたヒヨドリが。ホウレンソウをうまそうに食べている。ついばんでから上を向いてのみ込む、その繰り返し。庭のホウレンソウはもうボロボロです。彼らのエサを育てているというのが実態です。


このところ毎日畑へ。急いで耕さないと植え付けるものが遅くなってしまう。いつも時期を逃してしまうので、あまりいい出来にはならないのです。
今年は割と早くに作業を始めたので、空いている土地はほぼ耕し終わり、石灰、堆肥を撒いてあとしばらくしたら畝を作って時期を待つだけです。
昨日と今日はジャガイモの植え付けを終わりました。昨年から冬越ししたネギは、いつもならまだ元気な松本一本ネギが凍結にやられて溶けてしまいアウト。そのかわり下仁田ネギは結構元気に残ってくれています。
イチゴは苗自体が小さかったので、この後の暖かさでどこまで株を大きくすることができるかが勝負。もう辞めよう辞めようと思いながらつい作ってしまいます。面積を占めているので、実がなったらひと畝ぐらい残してあとは取り除いてしまわないといけません。
このあと、葉物ではレタス、キャベツ、ブロッコリー、カボチャなどに加え、小松菜、ダイコン、ホウレンソウなど。もちろん、5月になれば夏野菜のトマト、キュウリ、ゴーヤ、ナス、ピーマンなどを植えなければなりません。落花生はやっぱり必要だろうな。里芋も植えたいけれど畑が足りません。
我が家の庭先では、今年モモとナツメを鉢から路地におろしました。今年は、ひょっとしたら数個のモモが実をつけるかもしれません。黄桃ですからものすごい楽しみです。
畑仕事はどんなに手入れをしても後から後から仕事が出てきます。農作物は今日これだけの仕事をしたから明日その成果があらわれるわけじゃない。じっくりゆっくり、しかも天気や虫たちにも左右されます。それだけに、うまくいったときの達成感(収穫物)がうれしいのです。太陽と土と空気と水の恵み、これはもっともっと大事にしなければいけませんね。





  4月1日(土)
4月1日だということさえ気がつく間もなく1日が終わってしまいました。
今日は池田町商工会の「ひな市」。私は友人宅に行く用事があったので、妻に車に乗せてもらい、用事を済ませてから会場をほんのちょっとだけのぞいてきました。狭い会場の中では、町長をはじめ、商店や商工会の人たちが会場で売り子をつとめ、福引きなどもあって賑わっていました。
女川のかまぼこなども売りに出ていて私が行ったときにはすでに売り切れ。池田と女川の商工会がその後も物資販売などでつながりを深めているのは嬉しいことです。

午後からは妻が夢中になっている高校野球の決勝戦の観戦につきあって、その後は梅の花が満開の松本へ。中高生のお相手をして午後10時近くに帰宅しました。

実は、昨日書いていたことがあったのですが、アップするのを忘れたのを幸い、つまらないことなので消してしまった。最近よく夢を見るという話だったのです。
荒唐無稽というよりは、どことなくリアルでいつも何かを探しているというような話なのです。探しているのに見つからない、あるいは、どこかに行きたいのだが、なかなかたどり着けない・・・というような。そういえば、昨夜は駐車した車が駐めたはずところにないというヘンな話。現在の私の精神状態を表しているのでしょうか??
今から数年前くらい前までは、よく少年時代から青年時代に心を寄せていた人が出てきました。いつか書いたことがありましたっけね。今から30年近く前にもう亡くなったのに、実はどこかで生きているというような話ばっかり。この頃はまずお目にかからなくなってしまったので少々寂しい気もします。ちなみに、その人は、梅を名字に含み、生きていれば今日4月1日がお誕生日。
「こんな夢をみた」・・・というお話が書けるといいのですが、思い出そうとすと何も残っていない。いったい頭のなかはどうなっているんでしょうか。

あまり頭を使わない1日は、パソコンに向かっていても何にも出てきませんね。そんなときは無理して書こうとしてもろくなことはない。早く寝るに限ります。




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