葬儀が終わって鶴岡の妹と二人で実家に泊まりました。21日に帰るまでここに泊まるのです。
母は元気ですが、骨折後遺症でリハビリのため施設に入所しており、実家の夜は空状態です。3匹の猫たちが我が物顔で飛び回っています。昼は兄が来て農作業と猫の世話をして自宅がある浦添まで帰るのです。6日間の滞在期間猫たちと一緒に生活しました。
今日は最後の墓参りでした。葬儀の次の日の18日、19日、20日と3日間お墓通い。「なーちゃみ」(翌日見届ける)という行事だそうです(迷信でしょうが土葬の頃次の日に生き返った人がいたそうです)。そんな訳で代々今でも続いているのです。
今の時代こんなことはなくなっているはずだと兄は怒っていた。
しかし弟の嫁さんは信心深い人でそんな忠告は何処吹く風と耳に入らない。まあいいではないかと私たちも付き合いました。
事情が事情でたまたま葬儀が遅くなっただけで今日20日が初七日の法要です。私たちは明日帰るので法事は何とか間に合いました。正月を越すとまずいからと四十九日の法要も一緒にするとのこと。
今日が母に伝えるチャンス、誰がどう伝えるか?。兄夫婦も反応が怖くて言い出せないという。ちょうどその日は母の病院受診の日で帰宅したのは1時過ぎでした。
11時からのお坊さんのお経は間に合わなかったけど、昼食後に知らせました。妹がその役を買って出て真実をありのまま伝えました。
「こんな役にも立たない年寄りを残して若い者が何で早く行くんだ」と号泣。覚悟はしてたけどショックで倒れることはなくて一安心。少々気持ちが落ち着いた頃を見計らって弟の家に案内しました。
祭壇を見るやまたまた号泣。妹はそんな母の側でいろいろ元気づけているが、このような状態の時はどんな言葉も耳に入らない。妹に黙っていなさいと忠告。暫くして落ち着いた頃に従姉妹が来てくれたので、相手をしていてもらいました。
この辺の風習は以前は七日毎に四十九日まで毎週法事をしていたので、村の人も毎回お参りに来ていました。しかし近年はまとめて法事を行うようになったので、今日が七日と四十九日の法要だから村の人たちもほとんどの家がお参りに来て下さるのです。
本土の親戚だけで法要をするという事ではないのでちょっとした御膳を出すにも人数の見当がつきません。どんな風にやっているのかいつも不思議でした。
母をすぐに連れて帰ろうと思っていたら、部落のみんなが来るからここにいなくてはいけないと弔問に来た人に挨拶をしていました。物忘れがひどく、同じ事を何回となく繰り返すことがあるので認知症が始まったかと思っていたが、こんな時はまともに話しているのでまだしっかりしているんだと感心。
長男として客の相手をしなければいけない兄は一日中来客の相手をするのが苦手で帰ってしまいました。
弟は7人兄弟姉妹の末っ子で兄とは17も歳が離れているのでショックは大きかったようです。辛いのはよくわかるけど少しでも座ってくれたらいいのにとこっちも冷や冷やもの。
村の人たちが陰で言う事がわかるので。我が道を行く兄にこんな事を言っても通じません。死んでからいろいろやっても意味がない、生きているうちに大事にしなさいとの持論です。
これは解りますが田舎では人との付き合いもほどほどにした方がいいのでは?と思うが難しいですね。
夕方まで母が代わりを務めて来客が少なくなった頃を見て連れてきました。今日一日ですが、私と妹の3人で久しぶりに遅くまで話し込んでしまいました。母専用の椅子は今は猫が独占しているので、猫は困った表情でうろうろしています。いつまでも母が動かないのでとうとうしびれを切らして母の膝に上って来ました。あまり人に抱っこされない猫ですので私たちもびっくり。妹は「敏也が甘えて来ているのかも」と変なことを言い出す始末。つい笑ってしまいました。
寝る頃には気持ちも大分落ち着いて寝てくれました。「案ずるより生むが易し」とはこのことでした。