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  4月30日(日)晴れ   少々遠出
4月最終日、とっても暑い日になりました。全国では29度まで上がったところもあったようですね。ドライブに出かけたのですが、道中車の中も暑くなり、とうとうクーラーをつけてしまいました。
今日は朝から東御市「雷電くるみの里」という道の駅に行ってきました。池田から1時間半、少々遠いが。
夫はしぶしぶという感じでしたが、たまには私の言うことも聞いておかないと思ったのでしょうね。それでも何でもいいありがとう。
この道の駅は2回ほど行っているのですが、先日テレビで雷電生誕150年の記念に「雷電焼き」というまんじゅうが発売されたと宣伝していたのを見ました。 一度食べてみたいなと言うこともあったけど、その道の駅は野菜など品数が豊富で買い物も楽しめるのです。
いつ行っても大変な賑わいです。今日も連休で混雑していました。夫は多分混雑が嫌だったのでしょうけど。暑いのでソフトクリームの前は並んでいました。
その並びに「雷電焼き」も販売しているのでこちらも並びました。クルミとあんが入っており、「まんじゅう」というより鯛焼きの形を相撲取り雷電に変えて焼いたものでした。マメの餡で皮にくるみが練り込んであってとても美味しく食べてきました。
雷電という人は身長が187センチあったとか。昔では大男で負け知らずと言うこともうなずけますね。
野菜の苗も買った来ました。中国野菜の一種で「ハンダマ」というものがありますが、ここでもこの呼び方で売っているのでびっくりしました。紫色でご飯に入れると紫色になり、巻き寿司などの色づけにもよく使われて沖縄では多く食べられています。季節的にまだ野菜は多くなかったけどクルミの産地でもあるのでクルミが入ったお菓子や餅なども買ってきました。




ところで、私にはとても不思議な事があります。頭の悪い私は何年生の時何を習ったとか教科書に何があったとかについての記憶は全くないに等しいし、勉強した覚えもあまりありません。
それなのにここ長野に来て不思議なことがふたつあるのです。
ひとつは小林一茶の故郷信州を歌った歌と、相撲取り「雷電為衛門」のこと。長野の人にとっては当たり前に歌っている歌をなんで自分が知ってたのだろうか。また雷電為衛門という人を何処で知っていたのかとっても不思議です(富山県に来てからはいった情報ではない。おそらく沖縄にいた頃の事)。
長野県人だったことは知らなかったけど。いつの間にか記憶の中に入っていたのでしょうか。時々別のことでもふと思い出すこともあり、なにか脳に変化が起きているのか気になりますね。夢も見るのは昔のことばかり、変ですよね。認知症の前兆かと・・・。

話は変わりますが、「美空ひばり生誕80周年コンサート」というのが先日あり、その日は見られずに録画してありました。いまそれを見ながら日記を書いています。
昔の映画が出ていて懐かしい。歌も懐かしい。でももういないので寂しいです。なぜか?私は小さいときから身空ひばりの大のファンでした。
近くの村に映画館があったので貧乏だったわりにはよく映画を見に行っていました。東映の時代劇が多く、びばりの映画が多く上映されていました。びばりの人生は波乱にみちていていろいろ悪い噂もあったけどぶれずにファンでしたね〜。生の舞台を見にいけなかったのが悔いが残ります。京都に行ったときには必ず「ひばり館」に行っていました。また行ってみたいものです。


  4月29日(土)晴れのち雨    本当にきな臭いね〜
今日から大型連休に突入です。連続ではないのでお勤めの人には残念でしょうね。
私たちは毎日が日曜日ですので連休も有り難みがありません。しかしせめてドライブを楽しみたいな〜とは思いつつも夫と二人で庭の草むしり。すっきりしたら花も一段と引き立ちます。
夕方から久しぶりの雨、畑の野菜たちも喜んだでしょう。今年富山で「そらまめ」の苗を購入してきました。植え付けたのですが、なかなか大きくなりません。寒いからでしょうか、野菜の芽も出ているがなかなか伸びません。そらまめは長野では販売していないので育つかどうかわかりませんが初体験です。うまく育つといいな〜。

このところ、テレビは北朝鮮のミサイル実験のことばかり。窓のない所に避難しなさいとは言ってもね〜。
4月28日は「沖縄屈辱の日」、県民集会が辺野古のゲート前で行われている模様をネット中継で見せてもらった。
オール沖縄の議員の挨拶のあと、決意表明で平和運動センターの議長をしている山城博治さんが元気な顔を見せていました。
何度も警察に逮捕されながらも不屈に戦っている姿をみるとすごい人だと思う。しかもリンパ腫で長く入院生活後に見事復帰したのには本当に驚きでした。どうか命あっての物種、無理はしないでと言いたい。しかし彼は活動に命をかけているのできっと死んでも本望と思っているのかも知れません。
今日29日は「沖縄連帯のつどい」が東京日本教育会館で行われています。沖縄からの訴えで東村の高江のヘリパットいらない住民の会の伊佐さん夫婦や反戦地主弁護団弁護士等が参加予定になっている集会です。沖縄の思いが伝わりますように。

千葉に住む同級生から定例のニュースが届きました。彼は「基地のない平和な沖縄をめざす千葉の会」の代表をしています。私は長く故郷を離れていると「島言葉」が忘れてしまって思い出すのに時間がかかってしまうのですが、彼は本当によく知っています。
このニュースの中によく島言葉が使われていて、それを見て自分も思い出しています。毎回紹介しているので今回も紹介します。

島言葉第2弾。
次は黄金言葉「くがにくとうば」のひとつです。
黄金言葉とは、琉球という地域で培われた人世訓のようなものです。

「有てぃん喜ぶな 失てぃん泣くな 人の善し悪しや 後どう知ゆる」
(あてぃんゆるくぶな うしなてぃんなくな ひとうのゆしあしや あとうどうしゆる)

意味〜いくらお金や物があるからといって喜ぶな、また失ったから、ないからといってなくな。人の善し悪し、評価というものは人生の最後にわかるもの。

黄金言葉というのは私自身もあまり知らなかったので大変勉強になりました。
これから5月は共謀罪関連や憲法集会などが目白押し、忙しくなります。息子たちは来ないので悪いけど助かった。


  4月27日(木)  何百年咲き続けている桜
庭の桃の花も満開。カイドウの花も8分咲き。水仙は終わってしまったけど菜の花や芝桜も満開で庭は今が一番きれいです。
シニア大学の6班の集まりで白馬まで出かけました。新年会が延び延びになってようやく集まりました。
同じ大北でも池田と白馬はまた違う。北の方だけあって白馬はまだ寒〜い。桜もこれから咲くのです。
花見をしようと選んだ日程だったのに、お花見は小川村まで出かけました。小川村の立屋という地域に「立屋の桜」と名付けられた桜があるというので出掛けたのでした。
これは、天然記念物にも指定され、350年も立っているという素晴らしい「エドヒガンサクラ」の大木でした。他にも色濃い「紅しだれ桜」、これは「番所の桜」というらしい。沢山の桜がちょうど見頃でした。(写真上が「立屋の桜」、下が「番所の桜」)




ここから眺める鹿島槍が素晴らしい。カメラクラブの人たちが一斉にカメラを向けている光景はちょっと異様にも思えたほど。
小川村は「おやき」が有名ですが、まさかあんな素晴らしい桜の名所があるなんて。もっと宣伝する価値がありますね。
また村おこしの一環でしょうか、桜の場所に行くまでには水仙が道ばた一面に植えてあり、これも今が満開で素晴らしかった。
帰りには名物のおやきを食べて帰りました。長野へ行く際、通っている国道、今までは気にも止めなかったのに小川村を見直しました。
アルプスも池田町から見る景色とは違い、何とも言えない美しい山並みでした。しばしの楽しい時間を後に、また白馬へと向かいました。
地震で自宅を失い、村営住宅に入居した班長さんのお宅にお邪魔して、昼食を取りながら久しぶりに歓談。2年間仮説住宅に入っていたがようやくほっとしたとのことでした。
卒業してから5年たったけど皆さん少しも変わっていなくて懐かしい話に花を咲かせました。足腰が痛くて参加できない人もいて確実に年月は流れていることを痛感。これからは欠けていく方が多いので元気なうちに今度は全員が集まる機会を持とうと約束し解散しました。


  4月22日(土)晴れ   池田町は花盛り
今頃のアルプスは毎日きれい。今日一段ときれいで写真を写しに来る人も多い。起きたら一番に山を見るのが日課になっているのできれいな山を見ると清々しくなります。県外からのウオーキング客も多く、晴れているとほっとします。
池田の桜は今が見頃。特別に名所があるわけではないのですが、眺めると山桜も一緒になっていて東の山がとってもきれいです。この地方は花の咲く順番ではなく、一気にいろんな花が咲きます。花桃の花も満開です。
我が家の鉢植えから庭に下ろした桃の木も二日前から花が開き、今八部咲き。昨年初めて一個実をつけたので今年はもう少し多くなるといいな〜と願っています。




午後から中信友の会の総会があり、松本まで出かけました。2日程前に突然電話があり、大北が議長の順番になっているのでと無理矢理おしつけられてしまった。ある意味では事務局も今頃気がつくなんて無責任だと思いましたが忙しすぎるのかなと思ったら怒る気にもならなかった。
案の定進行のための式次第も昨年のものを赤ペンで修正してあるだけでした。「自分に甘いね〜」、民医連の職員だからもっとしっかりしなさいと言いたくもなりましたが、まあこのことは本部幹事会の時の反省にしましょう。
毎年議長は職員の看護師長、介護士長が順番にあたるそうで、今年はあずみの里の介護士長さんでした。
本来予定の人が都合悪く変わりだったとか。若い素敵な男性。「仕方なく受けたけど僕も初めてなんですよ」と慣れてなさそう。私自身もこのような大きい規模の議長は初めてだったので少々不安でしたが、なんとか乗り切れました。(あれで良かったのかなと気にはなりますが)

出された意見の主なものは、
☆会員を増やしましょう〜唱えるだけでなくもっと具体的に案を出した方がいいのでは。(自分の支部の取り組みをいくつか紹介)
☆あずみの里の裁判も大事だから項目に入れた方がいい。
☆会員に会報「ふれあい」が配られていない。前から言っているが伝わらないと。
などです。
厳しい意見もありましたが、これらをふまえて今年はしっかり地面に足をつけて頑張りましょうとすべての議案書が承認されました。
議案書は当日配られるので、事務局長の提案だけでは深く考えられずに後になっていろいろ意見が出される場合が多いのですが、これらは本部幹事会の時になりますね。


  4月21日(金)晴れ   女性部って必要?
今月は何かと忙しく(理由にはならないけど)日記を書くのも忘れていました、と言うよりも何となく億劫になり遠ざけていました。
今日バラの会では午前中に役場で町長さんと懇談する日になっており、今回は女性が中心になろうということになっていて、出来るだけ多くの参加を呼びかけていました。私は午後から松本に行く用事があり、少しの時間差参加は可能でしたが落ち着かないので欠席にしました。
松本の桜はもう葉桜になっていたけど、お天気も良かったのでまだまだお城の周辺は花見客で賑わっていました。私たちは花見どころか年金者組合の女性部の会合だったのです。「こんな天気のいい日に」とこぼす人もいましたが。
中央本部の方針で「各県、支部に女性部を作ろう」とのことだそうです。とりあえず長野県でも女性部がある地域の代表者を呼び交流をしました。
あっても活動してない地域も合ったけど(大北もその一つ)、いくつかの支部は熱心に活動しておりその報告がありました。
女性部がない地域の理由の多くは「会員みんなで一緒にやっているので今更女性部は必要ない」と言うことです。私自身もその意見の方で、主催者側でありながら反対意見を述べてしまいました。
本来なら中央から女性部の役員が来て「なぜ女性部が必要か」と講演をする予定になっていたのですが、全国の会議が入っために都合が悪くなり、講師不在で交流することになったのです。かわりに県の委員長さんが来てお話をする事になったのですが、組合とは違うし、年金者組合の女性部がなんなのかよくわからない人が来ても意味がないのではと思っていたが、とりあえず話を聞きました。
なぜ女性の年金が低いのか〜賃金にも男女差別があり、その結果年金まで低くなったなど歴史などについて話されました。基本的には男性には男社会の仕組みはまだ当たり前のように受け取られているとのことでした。確かにそれは役員体制にも大きく反映されていて三役に女性がいないなど多くの問題点を抱えています。
「女性部が出来てよかった」とか「女性部はなぜ必要か」ではなく「作って楽しくやろう」など前向きな意見があったので、私が「必要ではない」と言ったことに対して反論のような意見が出たので作戦成功でした。女性部が男性の尻ぬぐい的存在になるのがイヤなので、活動次第では大いに楽しめばいいとは思うので。
年に一度「女性のつどい」と言うのをやっているので、今年は木曽支部の担当。誰かが「元町長の田中さんの話を聞く機会もつくってほしい」と意見もあったのでそれも念頭に入れておくとか。いろいろ楽しい計画もあるようで今から楽しみです。
いろいろ委員長に皮肉めいたことも言ってしまいましたが、よい交流になったのではないかと自負してしまいました。


  4月8日(土)〜10日(月)  選挙応援に富山へ
8日(日)
「しんぶん赤旗」紙上はあちこちの選挙のニュースで賑わっています。その一つに富山市議選と市長選のニュースも載っています。
9日が告示日ですから出発式に間に合わせようと思って本日から応援に出かけることにしました。
応援する市長選候補者は昔の仲間で一緒に活動した人です。ただそれだけなら一個人が応援に行ってもあまり役にも経たないから行きませんが、退職前何年間か私自身が精神を病んだことがあって他人との接触が出来なくなった時期がありました。
それから暫く活動も止め引きこもりの生活が続き、人としての義理を欠いていました。退職後も挨拶もなしにこちらへ引っ越してきてしまったのです。何年ご無沙汰していたでしょう。
新聞で立候補のニュースを知り、挨拶も兼ねて応援に行ってきました。お互いに歳を取り、彼も頭が少々薄くなっていました。
事務所には昔一緒に活動した仲間が何人かいて同窓会をやっている感じでした。歳を取ってもみんな昔と変わらず、本当に懐かしい再会でした。

富山の市長選は、まだ富山にいた頃に初当選した現市長と(今期で4期目)の一騎打ちです。私が富山を出てからいろんな町つくりが進められて来ました。街のドーナッツ化現象を防ぐ一つの手だてとしてライトレールが走り、郊外から繁華街に直通という便利さを売り物にしたり、最近ではコンパクトシティと言って中心部に大型ビルや大企業を作ることに税金をつぎ込み、一方では医者がなくなりスーパーもなくなって不自由な生活を強いられている人たちも多く、合併で大きくなった富山市が貧富の差が拡がっているとのことでした。
午後から宣伝行動の車に乗せてもらい市内を巡回させてもらいました。桜が満開でお城の前の公園や松川べりでは花見客で賑わっていました。ちょうどチンドン祭りの初日で人混みの中に混じって何組かのチンドンマンを見かけました。
池田町には桜があまりないのでいつも頭の中には「桜はやっぱり松川の桜だ」と言う思いがあったので見ることが出来て良かった。市役所本庁時代に桜の花の下で昼食を食べたことが懐かしく思い出されました。
確かに市内はビルが建ち並び、昔の繁華街とは様変わりしています。昔のようなゆったりとした感じはないし、店じまいをしたのかシャッターが降りたままの店も目立っていました。富山大橋から五幅方面への町並みも大きく変わっていました。


9日(日) 告示
雨模様の出陣式で参加者は少なめでしたが、候補者は「市民本位の町つくり」を目指して頑張りますと決意を込めた挨拶。東京から藤野衆議院議員も激励の挨拶に来ていました。
「今回市議選と重なっているから人数が少ないのよ」と友人は言っていましたが、相手陣営に偵察に行ってきた人は300人くらいはいたと。保守の強い富山は「政務調査費」の不正使用なんて何のその。同じ人もまた出ているんだって。そういうのは選挙とは別問題だね。本当に情けない。




午後からは事務所にNHKが候補者を密着取材して昼食を食べているのも写していきました。やっぱり「カツ」でした。
今日の仕事は法廷ビラ第一号のシール貼り。単純仕事は肩が凝りましたね。
何年か合わなくても昔の仲間は気の張らない人が多い。昨日もDさん宅で泊めてもらい、お酒を飲みながら初めてご主人ともゆっくり話が出来て充実した初日でした。また今日もYさんが、「夜帰るよりも泊まって明日にしたら」と言ってくれたのに甘えて泊めてもらいました。
結局今回は市外で選挙に関係ない娘の所には寄りませんでした。泊めてもらった友人の家は剣岳がすぐそこに見えましたが、逆光で写真は撮れませんでした。友人は朝早く活動に出るので一緒に家を出てきました。
生地港の開店までには直行で行くと時間が早いので、久しぶりに岩瀬から浜黒崎という海岸沿いを通ってゆっくり帰りました。桜が満開で暫く市内の桜を堪能出来ました。
開店少し前に生地港につき、魚を購入しました。取り立てのカレイやアジや鰯など豊漁だったのか比較的安く手に入りました。


  4月1日(土)曇りのち晴れ    庶民の暮らしはどうなる?
今日から新年度、いろいろ物価の値上がりが予定されていて暮らしはだんだん苦しくなるばかりです。新生活をスタートさせる新入社員たちにも厳しい現実が待っているのではないでしょうか。「自殺者」が出ないことを祈るのみです。
10時から2時まで「いけだひな市」という町の行事がありました。いつもはあまり関心がなく行かないのですが、商工会が「宮城県女川支援」として女川の特産品を販売しているので購入してきました。このコーナーでは町長さんが頑張って販売していました。女川とは震災以来夫がつけた道、今でも繋がっていると思うと嬉しくなります。あれから6年、どのくらい復興したのか見に行きたいな〜。

昨日は驚いたことがありました。夫がワラビの種(株)を買ってきたのです。
ワラビなんて富山では道ばたにも沢山ある山菜です。毎年今頃はワラビ取りに出かけたものです。池田に来てワラビがあまりないので不思議に思っていました。
唯一家の裏の空き地の一部に少しだけワラビが出ているのを見つけたときは嬉しくなり、自分だけの秘密の場所にしていたのです。しかしここ2年程全く出なくなっているのです。勿論根こそぎ取っていた訳ではありませんよ。
夫が言うには、空き地だから除草剤をまいているからだろうと。それにしても種屋さんで株をうっているとは?少しでも草むらに植えて山菜らしくしたいな〜。


今日の赤旗日刊紙に「富山市議選 4議席必ず」という見出しで市議選のことが大きく紹介されていました。
政務活動費の不正取得で12人もの議員が辞職して、全国的に一躍有名になりました。そのときの補選で共産党議員が2人当選し、合計4人に倍増したのです。
9日が告示ですが、同時に市長選も行われるのです。現職市長と対立候補となる候補者は私が富山で仕事をしていたときに一緒に活動した仲間です。
一度は応援に行かなくてはと友人に電話をしていたところ、Yさんが責任者だから彼女と打ち合わせをするようにとの連絡がありました。
昨日Yさんから電話があり、10年以上もあってないので懐かしくなり昔話も盛り上がりました。新婦人の選対責任者になっているという。もうすでに長野の県委員会から応援が入っているとのこと。
現職市長も活動費の不正取得問題では同じ穴のムジナ。なんとしても落とさなくては。しかし富山という地域は保守王国、あのような問題はあっても選挙は別問題と考えている人が多いところです。
しかし市議会議員が4人になったというのは少しは富山にも変化が生まれているのかなと思います。今後も徹底究明が必要だと思うので是非頑張ってほしいものです。微力ですが私も二日間応援に行ってきます。




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