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  11月30日(水)
広島での女児殺害事件の容疑者が逮捕された。事件の全容解明と再発防止にようやく解決の手がかりが得られたわけで捜査にあたった警察の努力には敬意を表さなければならないだろう。だが、どうしても気がかりなことがひとつある。
今日のニュースは容疑者逮捕でほとんどを埋め尽くされた。その中で、逮捕された日系ペルー人の男性がすでに確定した真犯人であるかのような扱いがされていたことがどうしても引っかかってならなかった。マスメディアはいつから司法機関になったのか。
公表されている情報を総合してみれば彼が犯行に及んだ可能性は高いかもしれない。だがあくまで容疑者であって有罪が確定した犯人ではない。
松本サリン事件で当初からもっとも重大な被害を受けた河野さんが犯人扱いされた冤罪事件を記憶している人も少なくないはずだ。警察はもちろん、その発表をうのみにしたマスコミの果たした役割はきわめて悪質だった。果たしてマスコミはこの事件からどれだけの教訓を得ているのか。
今回の事件とサリン事件とでは確かに性格は異なるし警察の捜査の質も異なる。犯人の可能性は高い。だが犯人と断定するのはあくまで司法機関であって警察やマスコミではない。事件が悪質になればなるほど、容疑者への憎悪がマスコミによって増幅・拡散されていく。これは怖いことだ。

昨日も書いた「ご臨終メディア」には次のようなやりとりがある。

第4章 懲罰機関化するメディア
森巣 メディアの思考停止についてもう一つおうかがいしたい。容疑者が捕まると、連行する写真や映像を出すじゃないですか。あれなんで出すんですか。
森 手錠、腰縄にモザイクを入れて、顔は晒しますね。
森巣 まるで市中引き回しです。刑罰の一種ですかね。その昔、某誌のバカカメラマンが、助手に顔を隠していた容疑者のスカートをめくらせて、手で押さえたところを撮って、顔写真を載せたことがあったんです。
森 すごいことをする。
森巣 メディア全体を一緒にしてはいけないですが、そんなことをしておいて、同時に推定無罪という原則も謳う。それならなぜその容疑者の顔写真は、どう説明するわけでしょうね。
森 整合性はないです。そもそも容疑者というのは、文字通り容疑がある者ですからね。極論すれば、真犯人が逮捕されて有罪が確定するまでは、全国民が容疑者です。
森巣 まだ告訴もされていない。
森 理論上はその段階で、顔なんか晒せるはずはないです。でも、日本のメディアはずっと晒してきました。


以下地下鉄サリン事件などでの麻原裁判についての興味ある事実が述べられ、ここでもメディアの「ご臨終」ぶりがえぐり出されている。


  11月29日(火)
以前民主党の西村議員とそのサイトについて書いたことがありましたっけ。逮捕のニュースを聞いて、さもありなんとただ呆れるだけでした。
ええっ?? 彼って弁護士だったんですか。そう言えばロクでもないマンションを設計した「一級建築士」もいることだし、単に資格があるからというだけでは信用できませんねえ。
名義貸し容疑はそれ自体徹底解明が必要ですが、彼はそもそも戦争大好きのウルトラ右翼でアナクロニズムと破廉恥を絵で描いたような人物。このような人間を党におき、あまつさえ当初容疑を否認する彼を「信じたい」と言ってはばからなかったあの政党の本質も問題にしなければならないでしょう。自分から議員辞職を言えるのかどうか、あの政党にどのくらい自浄能力があるのか、時々はそれぞれのサイトも見ておくことにしましょう。

親しくしている池田町の共産党の方から「発行している後援会ニュースに何か書いてくれないか」と言われて、最近読んだ本について紹介・感想の一文を寄せることにしました。
長野の木曽町ではつい先日の町長選挙で共産党の田中さんが合併後の初代町長に当選したばかり。秋田の湯沢市の鈴木市長に続き、長野でも町民の熱烈な支持をうけて共産党員首長が誕生したことは”シンパ”(死語??)の一人としてうれしいニュースでした。
池田の共産党にも頑張ってもらわないといけませんからね。たいしたこともできませんし、生意気なことしか書けませんが、何もしないよりいいだろうとちょっと作文をする時間を取りました。以下ニュースに寄せた原稿です。

「ご臨終メディア」(森達也・森巣博 集英社新書)
憲法第9条を守るべく論陣を張るのが全国紙たる新聞の社会的役割だと思うがそんな気配はもはやない。もっとも前からそんな新聞あったかどうか疑わしいけれど。
記者クラブでの政府発表やアメリカの情報の受け売り、警察情報の垂れ流しなどマスメディアの問題が指摘されて久しい。そして、この本ではとうとうメディアの「ご臨終」となってしまった。
メディアの「公正・中立」という名のもとで際限のない「自主規制」に落ち込んでいくTV・新聞などの状況について森巣さんは「北朝鮮や中国では言論が統制されている、というが、日本は統制する必要すらないのではないか」と指摘する。
何故にメディアはこのような機能不全かつ政府公報機関的状況に落ち込んでいくのか。メディアの「善意」が先なのか世間のニーズが先なのか。博学で歯切れのよい森巣さんの自説の展開にはいつもながら胸のすく思いがする。
またサリン事件以後オウム真理教の信徒の側にカメラをおき取材を重ねた森さんからはメディアも伝えなかったし私自身の考えも及ばなかったさまざまな物の見方を教えられる。
メディアの現状とあるべき姿についての両者のやや挑発的な対談は、貧弱な我が脳細胞を刺激し平面的な思考に風穴をあけてくれる。
「元気モリモリメディア練習帳」というキャッチ・フレーズは全くその通りなのだが、欲をいえば森巣さんについては同新書の姜尚中さんとの対談「ナショナリズムの克服」くらいの勢いがほしかった。


  11月27日(日)
ここしばらく小春日和のあたたかいお天気が続いています。朝晩はさすがに冷えて零度近くなりますが太陽が上がると急速にポカポカしてきます。近くの山々は紅葉も終わってもうすっかり枯れ葉色です。

いよいよ「つる」の季節到来ということを先日も書きましたが、ここ数日の私は完全に「つるモード」。このモードに入るとそれ以外のことは考えられなくなってしまいますから迷惑なのは妻と母。
というわけで、つるを採取してきては家中にそれを広げてカゴとかランプシェードとかドライフラワーの台とかを終日編んでおりました。

細工をするにはまずつるを採取しなければなりません。しかもカゴならカゴに適したつるを取ってこなければならない。太さとかねじれ具合とか色とか、何をつくるかによって結構厳しい条件があるのですね。だから、そうしたつるの採取場を見つけるのはとても大切なことになります。
昨年はつる細工を始めてからあちこちを車でかけずり回ってずいぶんたくさんの場所を開拓しました。でも取ればなくなる。何年かたてばまた元通りにはなりますが、それまで待つわけにはいかないので次々と新しい採取場を見つけなければなりません。
一年探し回ると、結構カンというか嗅覚というかどこにつるがあるか分かるようになるもんですね。今年はたくさんのつるのある場所をすぐ近くで見つちゃいました。
材料はタダ。あとは時間と努力次第。ことしの課題は、売れる作品をつくることなので、ランプシェードを中心にオリジナルも含めたたくさんの作品を作ろうと思っています。





  11月23日(水)
今日はお花の教室がお休みだったので妻と犀川周辺の白鳥を見に行ってきました。前から犀川のほとりの公園に白鳥が来ていると聞いていたので見に行ってこようということになったのです。
白鳥が来ている場所で私たちが出かけたところはこれで4カ所になります。池田の南端、穂高、犀川の白鳥湖、それに今日行った明科です。このうち池田と穂高は水を張った田んぼに昼間だけ犀川から遊びに来ているので、実際にはこの地域の白鳥の飛来地は犀川周辺ということになるのでしょうか。
さて、今日行ったところは池田と明科の境界にある大きな池でした。何組かの家族連れが白鳥やカモを見に来ていました。
一帯は明科のいこいの公園になっていてすぐ脇ではお年寄りたちがマレット・ゴルフを楽しんでいました。ここは天気がよければ北アルプスも一望できて見晴らしも抜群。環境や鳥たちとの距離感なども申し分なく、文字通り憩える場所でした。
この模様は 「安曇野の四季」にアップしました。



その後は犀川の白鳥湖にまわって、ここでは白鳥を見るのもそこそこにつる取りに専念。いよいよ「つる」の季節到来!!です。まだ葉が残っていたりしてちょっと早いかなという気もしないではありませんが・・・。
妻にも協力してもらってどっさり収穫してきました。さっそく明日からは、そのつるにあったカゴやドライフラワーの土台づくりです。

Amazon.comから届いた2枚のCD。1枚目はFilippa Giordanoの最新作”Primadonna”。イタリアからアメリカに移住しさまざまな人と出会い音楽的刺激をうけて厚みを加えたFilippaのこのアルバムは期待にたがわぬ素敵な一枚です。衝撃度はil rosso amore の方が大きかったけれど、これはFilippaのいろんな面や新境地を見せてくれる意欲的なアルバムです。後半の英語で歌うポップス調のいくつかはFilippaの深く熱い思いがあふれ出すような曲ばかりで本当に素晴らしい。


もう一枚はクラシック・ボーカルのユニットAMICI FOREVERが夏にリリースした"DEFINED"。美しい歌声でオペラからの選曲をみっちり聞かせてくれます。
特別な人間だけが持って生まれた美しい声。こうした”Voice”に巡り会うことができるのは実に幸せなことです。
ところで、公式サイトを見ると男二人、女二人になっており、男性一人はどこに消えたのでしょうか??




  11月22日(火)
雪がつもるかもしれないという昨日の予報が見事にはずれて今日は穏やかな一日でした。とはいえ、私は一日中どこにも出ずにこもりきり。何とももったいない一日でした。やっていたことと言えばニューヨークタイムズの「Ugly Images of Asian Rivals Become Best Sellers in Japan」という記事をひたすら翻訳していたこと。

実は昨日朝鮮日報で「嫌韓流」という漫画本が売れており、それについてNYTの記事がかかれていたので、大町までその本を買いに行き、ついでにNYTの記事を翻訳して読んでいたというわけです。
言ってみればこの「嫌韓流」というコミック本は小林よしのり「戦争論」の系譜をくむもので、さらに若者向けをねらって巧妙にいろんな仕掛けを施したものです。実際手にとって読んでみればすぐにわかることですが、いかに韓国という国が日本を見下し汚い精神的風土にあり歴史を改ざんして日本に押しつけているかということを手を変え品を変えて若者に語らせるという趣向で、その思想的な基盤は小林よりのりと全く同じ。
この著者は歴史的事実について一知半解ぶりを随所で露呈しているのも気づかないらしく、あくまで断定調。何も知らない青年層を巧みに「嫌韓流」に誘導していっています。歴史的事実を改ざんしたり誇張したりするのは「新しい歴史教科書」の執筆者たちの手口と全く同じです。
あの戦争についての深刻な認識はどこにも触れられず、あくまで「正義」と「隣人愛」にあふれた戦争の描き方は驚くばかりですし、部分を切り取ってすべてであるかのように見せる手法は低俗で露骨そのものです。
ここでもあの西尾先生が登場しているのですが、お説を韓国の町なかで大声でやってみたらどうでしょう。とても恥ずかしくて口にできないようなことをもっともらしく書いていて気分が悪くなります。
この本の中では漫画だけでなく、何人かが記事を寄せているのですが、その中朝日、毎日、NHKが半日メディアだなどと書かれているのを読むと開いた口がふさがりません。

ところで、先に述べたとおり、この本についてのコメントが19日付のニューヨークタイムズに載っていたのです。筆者は同紙の大西哲光東京支局長。
彼は、このコミック本の作者は「うかつにも」「アジアに対する優越感と欧米に対する劣等感をかいま見せている」と書き、その例証としてキャラクターの描き方を指摘しています。
彼にこう言われるまでもなく、この作者の描き方はきわめて一面的・誘導的・扇動的で歴史をあつかう漫画本としては小林本と大同小異。
ちまたにあふれている俗流記事や御用学者の言説をうのみにして歴史を一面的に描き出しアジアの人々を最低の民族として貶めているだけなのですが、ネット発で口コミで広がったというものだけに、青年層をスカッとさせる「爽快感」があることに注意すべきです。
断定調で、他国を「論破していく」、「真実を追究していく」といった手法だけでなく、これを受け止める層の置かれた心理的状態とシンクロする部分がある。これは危険です。そうした背景にも目を配って批判しつくさなければならないでしょう。

資料 NYTの記事


  11月20日(日)
午後2時過ぎ無事池田にもどってまいりました。今回はほとんど高速道路を利用せず一般道を使ったため多少時間はかかりましたが、運転に緊張することもなく安全に往き帰りできました。

今回の富山行きの目的は友人の紹介で一級建築士に我が家の建築についての意見を聞くことでした。
まず、建築会社の取締役、設計事務所所長、全国建築家集団の常任幹事・・・という大変な肩書きの名刺を差し出されてビビりましたが、話し出すと実に気さくでざっくばらんな方で、結局みっちり3時間ほども建築の講義やら設計図の診断やらをしていただくことができました。参考になることばかりでした。
こうなったらこの方に設計をしてもらってすべて私の友人知人の関係で建設をしようかしらと思うほどです。距離的には相当無理があるけれどお願いすることは可能かとききましたら、やおら「住まいづくりとは」という講義がはじまって、”いま説明した建築に関する基本的な考え方を認めるなら可能だ”とあっさり。
その講義の内容をちょっとだけこっそりと紹介しましょうか。
まず住まい作りの基本は二つあって、第1は「家族が主体的につくる家」であること。「専門家にまかせきり」は最悪だが、そうする人が大変多い。第2は「生活にあわせた住まいづくり」であること。決して「住まいに合わせた生活」であってはならない。たとえば収納一つとってもこれだけの食器や調理道具があるからこれだけの収納となるべきで、収納がこれだけだからそこへ入るようにするというのは逆。こうする人も大変多い。・・・ということでした。
続いて理想的な家は「廊下が少なくぐるっと回れる家」だそうです。最悪なのは真ん中に廊下が長くあって両側に部屋が独立して並んでいる長屋タイプらしい。
・・・というわけで、家を建てるにはしっかりした考え方と方針を持ち、それに基づいて納得のできる設計をするというのが大切なのだとしっかり教え込まれてきました。
こうなったら、この冬かかってゆっくり考え直すことにしますか。


実は昨夜打ち合わせが終わって友人と食事をし、そのあと夜9時半に富山を発って池田に戻ろうかと考え、高速道路にいったんは入ったのです。魚津インターの手前のSAで給油をしていたら、白馬方面は夜凍結をして大型が何台もこけている。どうしても行くならスタッドレスをはいて行った方がいいと言われてしまいました。そういえば、昨日白馬の手前で国道が通行止めになって迂回させられたのは横転したトラックの処理のためだったのでしょうか。
やむなく次のインターで高速を降りて富山にもどって一泊。今日朝スタッドレスに換えて一般道をのんびり帰ってきたという次第でした。
帰途、糸魚川まではずっと低くどんよりした雲がたれ込め、ときどき雨も落ちてきて典型的な冬空でした。ところが帰り道白馬を過ぎる頃からは晴れ間がでてきて、池田に到着するともう快晴。北アルプスのあっちとこっちではこうも違うものなんですね。
途中、妻のすすめにより小谷の道の駅で温泉に寄ってきました。ちょっとぬるめでしたが、長くつかっていると芯から温まります。結構人気スポットらしく、若い人から年配の人までたくさんの入浴客でにぎわっていました。




  11月18日(金)
午後7時から池田町創造館主催の田尻洋一さんのピアノ・コンサートに妻とでかけました。創造館にはグランドピアノ・スタインウエイがあり、そのため町には「スタインウエイ・ピアノの会」というのがあってその団体との共催で開かれたのです。池田町でこうした演奏会に触れられるのはそうありませんから、十分にプロの演奏を堪能することができました。
コンサートは、彼のちょっとしたトークもあり、地元のフルート奏者山崎拓路さんの演奏も加わって、とても親しみやすいものでした。
今はやりのマキシム流とは正反対の端正なピアノ弾きの田尻さん。当日配られたプロフィールやネット情報などを見てみると国際的にもすごいピアニストなんですね。
ただ、今回初めてつけたという反響板のせいなのか、席がちょっと前だったからなのか、ピアノの音がキンキンして残念でした。

冬型の気圧配置がずっと続いて寒い。私はこれから明日まで富山へ。家の建築をめぐって友人たちにいろいろ相談をしてきます。


  11月17日(木)
今朝はこれまでで一番の冷え込み。早朝びっしりと霜が降り車も草も野菜も真っ白。バケツには数ミリの氷が張り、あたりは霧がたちこめて通勤の車はすべてスモールかライトを照らして走っています。零下2,3度にはなったのでしょう。
いつもは日がさしてくる8時頃には霧も晴れてあたたかくなるのですが今日はまったくその気配なし。ちょっと霧の晴れ間があって北アルプスが朝日に照らされてきれいに見えたのにまた押し寄せてきた霧で何も見えなくなっています。冬型の気圧配置なので天気はいいはず。お昼近くになればぽかぽか暖かい日差しがさしてくるのではないかと期待するのみです。



昨日はドライフラワーの教室の日でした。私がつる細工を始めたのは昨年の今頃からでしたから、もう1年になります。ドライフラワーはまだ10か月ほどにしかなりません。あんまり進歩したと思えませんが、継続は力。2,3年もすれば多少は自分なりのものを掴めるのではないかと思います。
これから一年の目標は、まずつる細工は新しい編み方よりもこれまでの知識の範囲内でより精密で鑑賞に耐える作品をたくさんつくって売ること。売れるものをつくることが第1。新しい編み方は次の一年以降の目標ですね。
ドライフラワーについては、まず基本をみっちり学ぶこと。これまでは先生の言われるとおりに見よう見まねであれこれやってきましたが、これからはできるだけ自分でつくって先生に手直ししてもらうこと。そのなかで自分の作風というか好きなスタイルを作り上げていけたらいいなと思っています。
昨日は自分でつくったものを3点持って行きました。本当はリースを進める予定だったのに、結局それらの手直しだけで終わり。
自分でも自信のあったカゴの作品は、最初「これはこれでいいんじゃない」と言っていた先生も、私の方針などを説明しているうちに「それだったらこうしたら」と手直しをはじめ結局一番時間がかかってしまいました。
私はどうしても花を”散らす”方向に向かってしまいます。同じ種類の花をあちこちに差してしまうのです。しかし、先生の手直しの中心は”花をかためる”ことと”高さの変化をつける”ことにありました。
「私も習いたての頃は全体に花をばらばらと並べていたけど、かためるようになってから変わったと思う」と先生。私も遠慮なく意見を言うので、先生の感覚とぶつかることもありますが、納得できるまで議論をたたかわせることができます。昨日一日だけで、おそらく集団で習っていれば一年かかっても掴めないくらいのことを教えてもらったような気がしました。個人教授でなければこんなことできませんから、感謝感謝です。
12月の10日過ぎからクリスマス展示会を行うのでリースはそれまでに仕上げなければなりません。聞くとその展示会は先生の工房兼ギャラリーで行い、生徒さんの作品も多数出すのだそうです。「教室作品展」といったところか。「それじゃこのカゴの作品もロウソクをたてたら作品展に出せますね」と言うと「いいよ〜〜」と即OK。一本真っ白のロウソクを立ててすっかりクリスマスの雰囲気の素晴らしいカゴになりました。(カメラを忘れたので今日は紹介できません。あしからず)


  11月15日(火)
今日は一日ぼんやりと過ごしてしまいました。天気もイマイチでポツリポツリと雨も落ちていたので、ちょっと外出しただけであとはドライフラワー・アレンジ作りに専念していました。見ていた妻が「よくやるわねえ」と半ばあきれ顔。それもそのはずで自分でもよくわかっているのです。だいたい制作モードに入るとほとんど他のことが見えなくなってしまうのですね。いいのか悪いのか。
このごろようやく自分で試作品をつくってみようという気になっていろいろとやっているわけですが、何しろ材料が不足しているので作る物も限られてしまいます。
今日制作したのはカゴ入りアレンジ。アジサイがベースです。
アジサイというと冬には茶色に汚く枯れてしまうものだと思っていたのですが、実はそうではなかった!! 日陰のアジサイは花の色は変わるものの木の上でドライフラワーになっているのですね。その色の付き方も日差しの具合で微妙に変化し、薄い紫や濃い紫を部分的に残している花もたくさんあります。
先日はそうした花をたくさんとってきてあったので、それを利用してちょっとした花園的雰囲気のカゴをつくってみました。さて、先生はこれを見て何というでしょうか。反応がおもしろそう。



北アルプスはどんどん雪が麓に近づいてきています。朝の寒気もかなり強くなり、車や菜っ葉には霜が降りてストーブが離せません。
妻は今日が「そば打ち」の2回目だというので農協まで出かけていきました。帰ってからその「作品」を見ると前回からは格段の進歩。すぐに天ぷらソバにして食しました。うまかった。
私にも是非習いに行ったらと勧めるのですが、そばは妻に打ってもらって私は食べる専門というのが一番いいのです。どんどん腕を上げてくれることを期待していますから。


  11月14日(月)
昨日は思い立って富山まで出かけてきました。私にとってはちょっと久しぶりの郷里。目的は家の建築に関して友人のアドバイスをもらうことでした。
天気がよかったこともあって、途中の白馬連山が素晴らしい。麓はまだかなり紅葉が残っているのに山腹から上はもうすっかり純白の雪に覆われ、白馬らしい初冬の景観がひろがっていました。時間があったらゆっくり眺めていたい美しい光景です(カメラを持って行かなかったし急いでいたので写真はなし)。

富山ではまず娘の嫁ぎ先に行き、例のように髪をさっぱりしてもらいました。行楽日和だからか日曜にもかかわらずあまりお客さんがいなくて、お腹の目立ってきた娘が自ら髪を切ってくれました。どことなくうれしいようなくすぐったいような・・・。相変わらずオキャンな孫が店をとびまわっておりました。散髪のお礼に野菜をどっさり届け、パソコンの修理(?)をして次の目的地に。
中学の同級生のKさんは私の古い友人。昨年はちょっとだけ顔を見た程度で長い間会っていなかったこともあり、同時に信頼できる建築の相談相手でもあるので思い切って訪ねてみたのです。
ちょっとモノを考えたり悩んだりする思春期入り口の中学時代。その時期の友人と再会するというのは懐かしく心暖まるものです。悩める中学生であった当時の私をよく知っているし、富山にいた頃はよく自宅に遊びに行っては話し込んでいたこともあって、顔を見ているといろんなことを思い出してしまいました。

さて、私が彼に会いに行った目的は、自宅の建設に対する意見を聞くことでした。まだ相当に予算オーバーになっているので、どうしたものか専門家の意見をきくことが一番と判断したからです。
先日は建設会社の社長と設計担当者が説明に来てくれて、その説明を聞きながら頭をつきあわせて検討をしていたのですが、残念ながら合意に至らず再度検討ということになりました。早く建設はしたいし、さりとてない袖は振れないし、なかなか難しい局面になっています。
確かにこの土地にあった工法ではあるけれど、全体に費用がかかりすぎる。しかも家具・家電製品・内装品などの新規購入や納戸の購入などを見込むとさらに費用がかさみます。
こうなったら、終の棲家となる我が家ですから納得できるまで詳細に検討し、場合によっては別の工法を考えたり他の業者にも相談してみるなどして、建築がかなり遅れても今後の問題にも悔いを残さない方法をとることが一番と、じっくり腰を落ち着けることにしました。

行きも帰りも糸魚川から富山まで高速を使うのですが、昨日の朝には名神で大きな事故があったばかりで相当に緊張しました。車は妻が退職記念に買った新車なので性能は抜群。ついスピードがでてしまいます。スピードに慣れるというのは怖いもので、追い越しに120km/hほども出すとそれがふつうになって100km/hがのろく感じられる。それでもさらにそれを140km/hほどで追い越していく車が後をたたないし、こちらがどんなに気をつけていても事故に巻き込まれる危険があるわけで、高速道路は全く「死の道」だと実感します。自制あるのみ。


  11月11日(金)
生命誕生に何らかの知的計画が関与したという「Intelligent Design(知的計画=ID)」を学校の授業で教えようとする動きがアメリカで強まっているという報道(朝日Web 11/11)を見かけました。
報道では「カンザス州では、生物の授業で知的計画を教えられるようにするカリキュラム改訂案を教育委員会が承認した。一方、ペンシルベニア州ドーバー地区では、学校区委員の選挙で、全9委員のうち改選された8委員すべてをID反対派が獲得した。」と伝えています。
「知的計画」といえば科学的であるかのように見えますが、ID派の本音は生命誕生は創造主=「神」のワザだと主張するところにあるのでしょう。
アメリカ国内ではもともと宗教右派の影響が根強く、「妊娠中絶、同性愛、銃規制、国際刑事裁判所などの問題では、絶対に譲れない明確な一線を築き、違う立場を表明する人々を敵視する傾向がある。そして、しつこいほどのロビー活動を展開する」(萬晩報)などの特徴を持つといわれます。
授業で進化論を教えた教師が非難され裁判に訴えられる様子を描いたアメリカ映画がありました。地球外生命との接触を描いた「Contact」も”神の存在” が大きなテーマとなっていました。
私自身は無宗教だし、むしろ積極的無神論者ですから宗教的信条や生活とは無縁ですが、そうだからといって信仰を持つ人を非難したり排除したりしようとも思いません。
しかし、アメリカの教育をめぐる問題のように、特定の信仰を「教育」に持ち込んだり、政治に持ち込んだりすることには私は断固反対です。宗教的原理主義が国家間の問題をこじらせたり妨げたり、民族的対立や紛争の根拠となっている現在の世界の動きのなかでは、政治と宗教、教育と宗教の関係をきっちりしておくべきです。さもなければこの国でも形を変えたIDがはびこる危険を十分にはらんでいると私は思うのです。
いずれにせよこのアメリカ発のニュースは古い問題ではあるけれど、依然として深く考えるべき興味あるテーマを内在していることには間違いありません。



夜に入って本格的な雨。今朝はびっしり霜が降りて厳しい寒さでしたが、雨がふってからはむしろ暖かいほど。これから冬型の気圧配置が強まってまた寒さが押し寄せてくるのでしょうか。
下のドライフラワー・アレンジメントは今日自宅でつくった習作。蝶をイメージしてつくりました。来週先生に見てもらって手直しをする予定です。どんどん自分で作品をつくってみて、自分流の作品ができるようにしていきたいものですね。いずれは「つる工芸」と「アート・フラワー」の教室が開けるようにできたらいいなあ。





  11月9日(水)
「現代の文章」(猪野謙二・桑名靖治編、筑摩書房)という本があります。たくさんの作家の作品をすこしずつ収録しており、青年向けの文学・批評入門といった趣の本です。
1987年初版ですからずいぶん古い本ですね。私自身出版されてほどなく入手していたのですが、そのまま積ん読になっていました。
当時高校生と接する機会が多かった私は、何か機会があればこの本を含むシリーズを一番に紹介しようと思っていたのです。若い世代の人たちには、これまで触れたこともないようなこうした文章にぶつかって、ともかく考えはじめることが大切だとつねづね思っていたからでした。
しかし、紹介するには私自身がまず読んでいないと話にもなりません。そこまでは大変よかったのですが、その後一冊を半分ほど読んであとは結局ほったらかし。何のことはない、先に書いたことは私自身に言い聞かせるべきことだったのでした。
というわけで、ようやくその時間が持てるようになったわけで、情けない限りです。なぜもっと早いうちに読まなかったのか本当に悔やまれます。

さて、実際いま読んでみても、この本の魅力は少しも減じていません。一つ一つの文章が実によく吟味されて選ばれ、心に響くような文章ばかり。たいへん優れた編集が行われ、どの一つをとっても深く深く考えさせられます。
筑摩書房からは「高校生のための文章読本」(梅田卓夫ほか編)や「高校生のための批評入門」(梅田卓夫ほか編)なども刊行されています。こっちの方が古く、考えるためのヒントがよく工夫されており、著者の情熱がじかに伝わってきます。高校生・大学生でなくとも座右におきたい良書ではないでしょうか。
八重洲ブックセンターでこれらを検索してみたら「在庫僅少」となっていましたから、絶版にならないうちに入手しておいた方がいいかも。同名の本もあるので要注意です。



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今日は朝から冬型の気圧配置が強まっているせいか季節風が強く吹き、北アルプスには北から吹きつける風に煽られたような雪雲がかかっていました。安曇野から東の上空はカラッと晴れて真っ青な空がひろがっています。いよいよ冬が其処まで来ていることを感じさせる一日でした。



午後から久しぶりにドライフラワー・アレンジメントに行ってきました。3週間ぶりです。
今日はまた先生のギャラリー兼仕事場は珍しく数人が作品作りやらビーズの教室やらをしていて盛況でした。
前の人の作品が仕上がるまでしばらく見ていましたが、それも勉強のうち。いままでツルを土台にしたものばかりでしたが、これからはもう少し作品の幅を広げていかないといけないかな・・と思わされたこともその収穫の一つ。
ところで今日やったことは、先週自力でつくたた作品に先生の手を入れてもらったことと、次のクリスマス・リースに取りかかったことでした。今日仕上げた作品はこちら。クリスマス・リースはリース台にメインのバラとリボンをつけただけで当然ながらまだまだ未完成。このあとはいよいよ緑をたくさん入れて華やかにしていきます。仕上がりが楽しみです。





  11月7日(月)
昨夜の雨もあがって青空が見えると気もそぞろ。キノコ狩りに絶好の日です。妻も私もウオーキングの際に道ばたでキノコを見かけていただけに、母を宅老所に送り出した後昼近くに「ヨシッ」とばかり出かけていきました。

まず今日は私がウオーキングで歩いた広津の道ぞいで探すことにして雑木林を丹念に探しました。ちょっと時期が遅いこともあり、大きく開いたり腐ったりしたキノコも多く見られましたが、それでもいろんなキノコがたくさんとれました。
通りがかった近くのおじいさんが私のとったキノコを見て「リコボーだね。キノコというだけでうまくないよ。今はムラサキシメジの時期だ。向こうを探してみると出てるかもしれないよ」と親切なアドバイス。
残念ながらそれらしいものは見つけることはできませんでしたが、食用になりそうなキノコは探せばけっこうあるもんですねえ。
しかし、問題は採ったキノコが果たして食べられるかどうかです。近くの人に聞こうかと思っていたら、運良く隣の家のAさんが「隣村にキノコ鑑定士がいるから見てもらうといいよ」と教えてくれました。そうなれば即実行です。キノコを持って松川村にお住まいのNさん宅をすぐに訪問しました。
おじいさんが詳しいということでしたが息子さんもその道のプロ。親切・丁寧に教えていただくことができてラッキーでした。


教えてもらったことをちょっと書いておきますね。
写真右上の青い皿に入っている扁平なキノコは「ムキタケ」。倒木のところどころにうちわのような形をして出ていました。食用です。ただしこれは毒性の強い「ツキヨダケ」と間違えることがあるので注意ということ。怖いキノコです。
左下右側のやや大きめのキノコは俗名で「リコボウ(ジコボウ)」。ここらでは「ハナイグチ」「ヌメリイグチ」を総称してそう呼んでいるのだそうです。しかしリコボウは茎に「ツバ」がついているのにこれにはなく、実際は「リコボウ」に似てはいるけれど「チチアワタケ」だろうということでした。毒ではないがうまくもない。これを食べてお腹をこわした人が先日あったとか。
右下の白っぽい肉厚のきのこは「灰色シメジ」。食用です。ただしネット上での情報では要注意に分類されています。(もう炒めて食べてしまった!!)
左下左側のやや黒っぽいものは「チャナメツムタケ」。傘のまわりがやや白く中心部は褐色。ナメコの仲間で一番美味しいだろうということでした。これは「カキシメジ」とよく似ていて間違いやすいので注意。「カキシメジは傘の裏にシミがでているということです。
左上の「なめこ」は直売所で買ったものです!!今晩はナメコ汁にシメジの炒め物とキノコ尽くしです。

キノコ狩りの帰り道、隣接する地域にある大峰高原の「大カエデ」を見に行ってきました。今年から町もずいぶん力を入れてこのカエデを宣伝しているようで、道の脇には「大カエデまであと○キロ」という標識が随所にたてられていました。
昨年から見るとぐんと周辺も整備されちょっとした「観光地化」した趣。
現地に着くと広い原っぱの真ん中にもう紅葉も終わりのカエデの木が一本立っています。一週間ほどまえならもっときれいな紅葉が見られただろうこの木も、今は赤茶けたホウキのように立っていました。近くに行くとなるほど大きな木です。下に落ちて分厚い層になっているもみじの葉を踏んでぐるりと一周して帰ってきました。




ところで家に帰ったあと、干し柿にする渋柿を買おうと直売所に行ったら、目的のものはなくてその代わり妙なものを見つけました。聞くと「黒柿」だそうです。「おいしかったよ」という声につられてつい買ってしまいました。
家に帰って皮をむいてみると確かにふつうの柿です。みかけはイマイチですが、これがなかなか美味しい。ここにいると変なものがいろいろ出てきます。
直売所のおばさんから「ホームページに載せて宣伝して!」ときつく言われてきたので紹介しますね。



夕方、すっかり赤茶けてしまったホウキの木を全部ぬいて、玄関先に並べて干しました。文字通り「ホウキ」を作るためです。ネコがいい遊び場所ができたとばかりホウキの枝の中に潜り込んで遊びまくっていました。写真には”頭隠してしっぽ隠さず”のネコの姿が見えます。





  11月5日(土)
小春日和の晩秋の朝。今日は「ガイドマスター」研修の第2弾、池田東端に位置する広津地区散策の日です。
近くの大峰高原までは行ったことはありましたが、この地域ははじめて。ちょっと早めに家を出たら早く着きすぎて一番乗りでした。
途中霧がかかってライトを点滅しなければならないほどだった山道も、峠をこえると霧も晴れて見渡す山々が色とりどりに紅葉に染まり、何ともいえない見晴らし。
広津地域は山里ながら古くから養蚕などで人々が住み着き結構繁栄した地域のようで、古い仏像や石仏、神社などが多数残されています。今回の散策はそれらを訪ねて地域の歴史を再認識するというのが目的の研修であるというわけです。
途中の山道は秋晴れにも恵まれて、それはそれは素晴らしい景色の連続でした。詳細は写真とともに「安曇野の四季」のコーナーに載せましたのでごらんください。

帰りには思いがけずその地域の一角で「多夢(タイム)」という体験工房を開いている宮本さんから「ちょっと寄っていかないか」とさそわれ、商工会の山崎さんなどとおじゃまをしました。
そば打ち、わら細工、工芸などを体験できる広い工房があり、回りには整備された小道と畑があり、そこから見渡せる東の山々はすごいの一言。「こういう生活もいいねえ」と山崎さんと話しておりました。
ただ、私は午後から偏頭痛に悩まされ、そこそこに帰ることになってしまい大変失礼をしてしまいました。あらためてゆっくりおじゃましたいポイントです。


  11月4日(金)
昨日と今日の信濃毎日新聞に沖縄在住フリーライターの浦島悦子さんの一文がある。彼女は辺野古沿岸部への基地移設問題について、6年前に基地被害に苦しむ宜野湾と名護の女性たちが基地の「県外移設」の声を上げたとき、ヤマトからだけでなく県内からも「たらいまわし」では解決にならないと反発されたいきさつに触れ、それにつづけて次のように書いている。
「だがその『県外移設』の主張が、今や誰の口からも当然のように語られる。それは沖縄がもはや限界に達しているからに他ならない。
辺野古沿岸部への移設の『合意』に伴って、政府は海域の使用許可権限を県から国へ移す特別措置法をつくるという。『負担軽減』どころか、沖縄を問答無用で”軍事要塞化”しようとする日米政府の本音がいよいよむき出しになったと受け止めたのは私一人ではない」

私が引用したいのは実はここからだ。
「私は沖縄で区暮らしてまだ15年にすぎない。・・・この間、自分の運命が手の届かないところで決められていく怖さ、そのことにヤマトが決定的に無関心であることへのやりきれなさを、嫌と言うほど味わってきた。「沖縄は植民地なのか」「基地はヤマトへ持って行け」と、心の底から叫びたい自分がいま、ここにいる」
植民地??どこの?それはアメリカのそれだけではない。ヤマトの植民地という意味もこめられているはずだ。基地を持って行くヤマトとは長野であり、東京であり、富山であり、神奈川であり、愛知であり・・・・。しかも”基地を撤去せよ”でもなく、”国内で基地を移転するなら”という条件すらない。
さて、これをヤマトンチューである私はどう受け止めたらいいのか。

沖縄でない都道府県に基地を移転するとなると、間違いなく「それは困る」となるはずだ。だがそれはヤマト人の甘えというものだ。
そうなって初めて周辺住民は事の重大性に気がつくのだろうし「米軍基地は日本を守る砦」であるのかどうかも確かめられるから、それもいいかもしれない。
2,3年おきくらいに順番に移設するなんて案はどうだろう。当然、基地建設費や周辺の道路整備はすべて地方自治体の「思いやり」予算である。なにしろそこを守っているのだから。
爆音がうるさいという苦情があれば、安全と騒音とではどちらが大事かと返事する。米軍相手の仕事も増えるだろうし雇用対策にもなる。何しろ仕事は米国だけでなく日本政府の保証付きだから安心して仕事ができる。もっともすぐに交替するんだったらそれはまずいけれど。
米軍をねらったテロの恐れに対しては、自治体の危機管理体制を万全のものとすればよい。いつ北朝鮮から攻めてくるかわからない。そのため監視カメラをあらゆる場所にとりつけ、24時間態勢で不審者を監視する。住民の「隣組」組織をがっちりかため、データはすべて政府・自治体が管理し、1か月ごとに全自治体組織をあげて危機対策・防災訓練を実施する。
基地建設に反対したり、土地の提供に協力しなかったり、訓練に協力しない者に対しては法律で厳重な罰則規定を設ける。
安心・安全のこんな社会いいねえ。小泉さん、石原さん、全国のみなさん。

北アルプスの雪が南の山にひろがって、また冬が近づいた。
夕べからネコが夜遊びに行って一晩帰ってこなかった。今朝9時頃に帰ってきて私とジャレていたかと思うと、もう箱の中でぐっすり寝ている。「夜遊びが過ぎる。叱ってやりなさいよ」と妻。でもねえ、気ままな暮らしって魅力的だよね。


  11月3日(木)
昨日から母がショートステイにでかけ、久しぶりに妻と二人だけの生活になっています。
朝起きると母のいない部屋は何となく違和感があり、夕方になるとままもなく帰ってくるのではないかという錯覚にとらわれます。明日夕方にはもう帰ってくるので気苦労をしなくて済むのもほんのつかの間。

しばらく新居の建築について報告していませんでしたが、今日になってようやく見積もりがあがってきました。見ると完全に予算オーバー。設計料や諸雑費、消費税なども入れると気が遠くなるような額です。家にきてくれた設計事務所の人とあれこれやりとりをした結果、敷地面積を削ったり装飾を取り払ったりして可能な限りシン プルにする以外にないということになりました。結果的には小さい部屋一部屋分くらいを減らし、キッチンやお風呂をより安いものでまかなうことになりそうです。家を一軒建てるというのは甘いものじゃない。借金に頼るわけにはいかず、どこからかお金が落ちてくるわけでもないので、着工までまだしばらくやりとりが続きそうです。いつになったら建設にかかれるのか・・・と思いつつ、しかしここは安易に妥協するわけにはいきません。
現在の見通しは、あと10日くらいで細部を詰め、うまくいけば12月1日から着工にかかれるかどうかというところです。ああ、しんど。

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夕方からLinuxのアップデートにとりかかり、これまでの懸案を一挙に解決!!やったね。
実はやったことはというと、カーネルとCライブラリを新しいものにアップ・デートしただけでした。
Turbo Linuxの場合、専用のサーバからアップデート・ファイルを取得する「Turbo Update」という仕組みがあって、ネット上で更新できるようになっています。ただ、そこで現れるデータをすべて取り込もうとすると不都合があるので、そこは「カン」をたよりにエラーがでないようにファイルを選んでインストールしました。あとは必要なソフトを解凍してどんどんインストールするだけ。
新しい画像処理ソフトであるgimp2.0が使えるようになったこと、最新版のtimidity++とmidiプラグインpluggerを利用してfirefox上でmidiを鳴らすことができるようになったこと、これは最近での大きな成果でした。うん、満足である。


  11月1日(火)
素晴らしい快晴となった今日11月1日。山々は久しぶりにその全容をあらわし、秋の深まりと冬の近さを実感させてくれていました。あまりに素晴らしい天気なので、母を宅老所に送り出した後、妻とドライブに出かけてしまいました。目標はいつもの鬼無里から白馬へぬける山道です。
紅葉は今が真っ盛りで、山々の美しさは形容すらできません。色づいた葉が落ちた後は一気に冬の景色に変わっていくのでしょう。一年のフィナーレというべき豪華な演出を十分に楽しむことができました。
鬼無里から白馬方面へ左折しようとしたら、白馬へ抜ける道は工事か土砂崩れかで通行止め。もと来た道をたどるのもしゃくなので、そこから右折して戸隠、長野へ出て、高速道路を経て豊科にもどるコースをたどりました。途中の展望台から見るアルプスの山は雄大で、遠く穂高岳や槍ヶ岳が見えました。思いがけず山々の隙間から立山がのぞいている!!これには驚きました。
考えてみると、このごろ理由をつけてドライブや温泉にでかけています。季節だから・・ま、いっか。



さて、話題は変わって国政の問題です。
改造を終わった第3次小泉内閣の顔ぶれはどうでしょう。私はためらわずファシズム推進内閣と特徴づけたいですね。内閣の調整役である官房長官には祖父である岸信介を尊敬してやまない三世議員の阿倍晋三。彼は現行の日本国憲法を「戦後の呪縛」と言い切り靖国参拝も今後とも続けると公言する超右派の人物です。これが首相後継の本命だとしたら・・・もはや絶句。
外相にはかつて「創氏改名は朝鮮の人たちが『名字をくれ』といったのが始まり」と発言した前歴の持ち主で日本会議国会議員懇談会会長の麻生太郎。改憲右派の筆頭です。そして、総務・郵政民営化担当相には「構造改革」・増税推進の旗振り竹中平蔵・・・などなど。ポスト小泉を考えた憲法改悪と消費税増税への布石でもあるのか、もう最低・最悪の連中が顔をそろえている。

これまでの「構造改革」は全体としては国民の生活水準を切り下げ生活苦を増大させはしましたが、それでも意識の上での中流を切り崩すところまでは至っていませんでした。それどころかどんどん低下する生活水準・労働条件と意識の上での中流意識の分離が拡大する狭間につけこんで、マスコミなどの応援もあって「強さや権力への指向」「自分より弱いものへの逆差別」が掻き立てられ小泉政権への心情的な共感が意図的に作り出されてきたと私は思っています。しかしこれからは富めるものとそうでないものの差はかつてないレベルに達して、中流の意識などは見る影もなくずたずたにされることになるでしょう。階層分化・階級分化が極端にすすまざるを得ません。
保守政権からすれば、そうならないうちに早く手を打って国民多数を自陣営にとりこむか、または考えるゆとりを与えず力で押さえ込んでしまうか、矛盾を海外にそらす社会体制をつくって改憲・安保の法体制を盤石なものにしてしまおうと考えるはずです。
そうしたときに、あきらめたり見通しをなくして沈黙してしまうのか。または強い傘の下に入って安定を図るのか、それともそれに抗い、自分のまわりのことに疑問をもって問いを発し続け疑問を解くために知識を得たり仲間と語らったりするのか。
おそらくこれからの数年はどちらが優位に立つかのせめぎ合いになるでしょう。

米軍基地をめぐって全国でさまざまな動きが伝えられています。一つの焦点は沖縄の普天間期の移転問題です。
これらの一連の動きは、東京に米軍の司令部を置き日本全土をアメリカの完全な指令・出撃基地とする日米軍事同盟体制の新たな段階への一歩として仕組まれているわけですから、普天間基地移転問題は沖縄の人たちだけの問題であるわけがない。実際この問題を巡って全国各地で多くの人がやむにやまれず抗議や反対の運動を起こしてきているのですね。私自身これらの運動から、知るべきこと学ぶべきことが無数にあるような気がしています。




"Candles And Stars" by Mr. Blue Piano Man


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