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  2月26日(土)   
昨夜から今朝にかけて雪がちらつき、かなり冷え込んだかと思ったら昼頃からはまたあたたかい気温にもどって、ここしばらくは3月中旬並みの陽気です。昨日からちょっとずつ庭の片付けに入っていますが、まだ体が外に出たいと言わないので、ほんの少しだけ。
畑を貸してくれていた近くの方が、その土地を処分するのだと言って返却を求められたので、今年は裏の土地だけ。それも1/3くらい水浸しになるので、今年は豆とかイモとかを作る面積が極端に少なくなってしまいます。また上の畑を借りないといけなくなりそう。近くに貸してくれる方がいるといいのですけど。

今年は、ほとんど蔓を取りに行くことができませんでした。一つふたつボールをつくってもいいかなと思ってはいたのですが、山にはずっと雪があり、まとまった時間もなかかな取れず、これからはバラ園もあるし、どうやらパスになりそうです。

MNEMOさんのブログを読んでいましたら、「すさまじいものだなあ、人生というものは」という一文を目にしました。そのあとには、彼が高校生だった頃話したという、一人の人間に与えられた「挫折量」の話が書いてありました。私も「一時大量」の口なのだろうと苦笑しながら読んでいましたが、確かに人生にはそう思える節がある。
オイルは掘り尽くせばそれっきりですが、人生には「挫折量」だけではなくその対極の「快復量」もある。挫折量と快復量はどちらも一定ではなく、可変、つまり増えたり減ったりするものであるらしい。
よたよたしながら歩いてきた過去を思えば、袋を頭からかぶってしまいたいような人生ですから、妻からときどきチクリチクリやられるのを薬にしながら、まだ快復量があるのかしらと一縷の望みをつないでいるこのごろ。
私の場合は、単に自分の中にあるそうした「量」だけではなく、自分自身を快復するには、人、時、場所、タイミングなどといった運が大きく働いていました。紙一重の運。その運もまた自分自身の中の生きるための意欲とか動機とかが変数となっていますから、人生とは実に微妙にできあがっているようです。
しかし、それも地震などの天災で断ち切られた人生ともなれば、何をかいわんや。我と我が身にそうしたことが襲いかからない保証は何もないのだから、いま私にできることといえば、今を無事に生きていられる事実を慈しみ、他と我との人間としての関係性を豊かにすることくらい。
「快復量」とは、そのほとんどを他者から贈られ自身が受け取るものだから、これから私がなすべきことは、受け取ったものを我がものとして、ひたすらに他者(妻も含めて)に贈り返すことではないかと・・・・。まあ、小出しにですけど。



  2月25日(金)   

サウジアラビアのオイルの生産量と国内消費量をあらわしたデータについての紹介記事がリック・タナカさんの通信にありました。次は、その発信元であるEnergy Export Databrowserから借用したデータ。上がサウジアラビア、下は中東全体です。灰色が総生産量、緑色が輸出向けオイル、黒い線が総生産量と輸出の差、つまり国内消費量です。




オイルで儲けた金が国内で循環すれば当然生産力が向上し、社会的なエネルギーの消費量が加速度的に増えていくのは当然で、それはアラブ諸国とて例外ではありません。総生産量が頭打ちになっているのに、国内消費が増えれば国外に輸出出来るオイルが減るのは当然の理です。

日本では、ピークオイルについて「ピークオイル説」という言い方で、「そのような見方もある」という程度の扱いしかされていませんでした。(たとえば本村真澄氏「ピークオイル説を検証する」2006年「季報 エネルギー総合工学」)。そこで展開されているのは、結局「世界に可採埋蔵量がどれだけあるのか」に帰着するが、早期ピークオイル論者は余りにも少なく見積もっており、狼少年的な言説にすぎないという立場です。
それから数年経って、現在ではどうか。
たとえば、2010年にはブレンダン バレット氏がOurWorld2.0で「BPとピークオイル:続く石油への誇大妄想」と題して、世界の状況について語っており、そのほかにも様々な研究者が警鐘を鳴らしています。同時に見過ごすことができないのは、地球温暖化との相互作用です。
そしていま、アラブ諸国での反体制運動の影響下で原油価格が急騰。リビアでは油田の稼働率が25%程度まで下がっていると報道されています。こうした情勢とピーク・オイルとが重なって世界的にエネルギー危機が訪れる可能性が急速に高まっているのです。

これらは、私たちの生活の質、社会のあり方の根本を見直すことを迫っているといえるでしょう。現下の情勢のもとでは、石油がぶ飲み状態で成長戦略を描く路線は全く破綻してしまっています。今からエネルギー低下社会をしっかり見据えた地域をつくることが今後の自治体の大きな課題になってくる。新しい自治体づくりの基盤はここにおかなければならないと私は思うのです。
大阪、名古屋などの都会で一時的に支持を集めているかに見える「地域政党」運動もつきつめれば、こうした「成長戦略」の申し子。いかに大企業の活動をやりやすくするかしか念頭にないのですから、早晩行き詰まりをみせることになるでしょう。




  2月24日(木)   
ニュージーランド・クライストチャーチでの地震の状況がわかってくるにつれて、崩壊した建物や痛ましい犠牲者の報道も増えています。日本からのレスキューも参加して救出を開始したようなので、一刻も早く若い学生たちが救い出されることを願うばかりです。

一昨日と昨日は3月末のような陽気で、今年になってはじめて温水器が50度くらいになったのでびっくり。気温はそれほどでもなくても太陽のエネルギーというのはすごいものです。

暖かくなって、にわかに「バラの会」の仕事が忙しくなってきました。3月3日から植え付けの準備を始めるのと、町からの補助金の申請準備であれこれ作業が必要になっているのです。
まず植え付けの準備では、苗の購入。これはバラの会の顧問であるEさんを通して「京成バラ園」から65本仕入れます。それ以外にアンネのバラと会員が育てている苗合わせて約100本ほどを用意。
次に、これを植える大きな穴を掘って肥料を入れなければなりません。この作業が3月3日から数日間予定されています。3日には地元の新聞社が取材に来るというので、これは張り切って作業にかからなければなりません。
肥料などは一昨日手配して、今日明日と運び込みが進行中。さらに、ガーデンのレイアウトののために、アーチや材木を購入して、その配置も作業日程に入ってきます。
苗の植え付けは3月18日、19日に予定していて、それが終わればあとはガーデンの管理作業になります。
一つのことをやり遂げるということは大変なことです。とりわけ、沢山の人がかかわるこうした作業は意思統一が大事だし、さらには周りの人の理解が不可欠です。
これから一番問題になるのは水遣りのこと。ほとんど水がないので、細い水路からどうやって水を確保するかが今後の課題。水利権の問題も出てくるので、細心の注意を払って作業をすすめていかないといけません。



  2月22日(火)   
ニュージーランド・クライストチャーチで震度6.3の地震が発生し、富山から語学研修に行っていた外国語専門学校の学生たちが被災したというニュースが飛び込んできました。テレビでは語学学校のある倒壊した建物が映されたり、破損した教会が映し出されたり、地震の大きさをまざまざと見せつけていました。犠牲者も200〜300人に上るのではないかと報道されており、被災しした人が一刻も早く救助されることを願うだけです。
一昨年にはクライストチャーチを訪問していたし、北部には友人がいるので人ごとならず心配しながら、テレビの前で様子を見守っていました。パーマストン・ノースに住む友人に電話をしてみましたら、北部は全く影響はなかったということでしたのでホッとしました。
写真上2枚は一昨年訪問した大聖堂とその周辺。




次は被災した大聖堂と市街地。




ニュージーランドは昨年9月にも震度7の大型地震が発生しており、下の写真のように太平洋海底の構造からみて日本とかなり似ていますから、本当に人ごとではありません。あらためて地震に備える必要性を感じさせられます。
下の写真の赤い点は、1975年〜1994年に起こったマグニチュード4.0以上、震源の深さ100km以上の地震のマップです。




山賀進さんののWeb siteより


ところで話は変わりますが、リビアに波及した反政府運動は、カダフィの強権的な弾圧でかなりの死者を出す騒乱状態に。
新聞報道では、リビアの北部が反政府勢力の勢力下に入り、数万人が首都トリポリに向かって支援の行動に向かっているという情報も。リビア軍のかなりの部分がそれに合流、エジプト軍も国境付近で厳戒にあたるという歴史上でもまれに見るような事態が続いています。
次はアルジャジーラの映像。



こうした中東情勢を受けて原油価格に影響が出始めています。北海ブレント原油が1バーレル100ドルを突破。OPECの原油価格も同様だし、アメリカのWTIの指標でも93ドルに達しており、おそらくこれから日本でもじわじわと価格が上がっていく可能性が高い。いつまでこれが続くのか、ピークとどのように関わって行くのか、予断を許さない状態に。
写真上はブレント先物価格、次がOPECの価格、下は2月18日以降1時間刻みのWTI価格。









  2月20日(日)   
午後から「公民館大会」に参加しました。これは1年に1度開かれる、いわば町や自治会で公民館活動に携わっている人たちの全体会です。
大会では松本大学の白戸先生が講演。地域住民のネットワークと学習の拠点としての公民館活動が地域作りの要になっていることを沢山の例を通して説得的に説明されました。いくつか興味深いとらえ方、視点を提供してもらいました。

明日は、女団連主催の議員との懇談会。テーマは「美しい里づくりで、私たちに何ができるか」です。誰でも参加していいというので、「勇気」を奮い起こして女性の皆さんの中に入れてもらおうと思っています。

池田町は「美しい村」連合に加盟して以来、事あるごとに「美しい里づくり」を口にしています。これまでそのためのワークショップも開かれ、いろんな意見が集約されたようです。(仕事の関係で私は第一回目しか出られませんでしたが・・・)
そうしたことも含めて、いろいろと考えてみているのですが、この「美しい里づくり」というテーマは、抽象的でそれぞれ語る人ごとに中身が違います。
多くの人は田園風景の美しさや花や木々の美しさを思い浮かべるのでしょう。またある人はそれも含めてですが、町にゴミがなく、家々も整然として美しく飾られている姿を想像するかもしれません。
池田町のような田園地帯にある町でも多様な意見があるのは当然で、それがむしろ自然でしょう。しかし、一方で、論点を整理し、どこに焦点をあてて議論を重ねていくのかを明確にすることが大事だと思われます。なぜなら、議論がある場合には際限なく拡散し、ある場合には、自然や花とハーブなどといった側面に矮小化される可能性があるからです。全体としての構造を明確にした上で、さらに各論を深めていくという相互作用が必要になっていると思えるからでもあります。

以下はこれまでつらつら考えてきた私なりの「美しい里づくり」試論(発展途上)です。
これは、いろいろな提言、アイディア、取り組みの前に来るいわば「総論」的な部分です。是非ともこれをお読みのみなさまのご意見・ご感想をお聞かせ下さい。宛先はこちらです。

1.「美しい町」とは何か

池田町で「美しいもの」といえば、「水がたたえられた水田に写る冠雪の北アルプス」や「全山がピンク色に染まった陸郷の山桜」などを思い浮かべる。
池田町は「美しい景観」にめぐまれてはいるが、北アルプスはあくまで借景であり、陸郷や大峰も限られた期間、限られた場所での景観にすぎない。池田の中心街とか、工業団地とかはおそらく誰も「美しい」例としてはあげないだろう。しかし、たとえば小布施の町並みやヨーロッパのいくつかの都市・農村はそのたたずまいを「美しい」と誰もが納得する。

景色がきれい、家々に花がたくさん植えてある、ゴミがない・、昔の家並みが残っている・・などは「美しい町」の一つの条件にはなりうる。しかし、花を植えれば、ゴミを拾えば、家を整備すれば「美しい町」になるわけではない。
「美しい町」づくりの原点は、自分の住む町が美しくあってほしいとか、「美しい町」に住みたいという住民の要求・願いである。そしてそれらは、当然ながらその土地の歴史的・文化的な条件によって制約されている。

「美しい町」とは住民・自治体がめざすべき総合的な理念であり運動である。それ自体が目標になるわけではない。
この前提には、全体として「美しい町」づくりにつながっていく、町づくりの理念、目標、計画がなければならない。

2.町づくりの理念

@一人一人の人間を大事にする町づくり。
A自然生態系を守り、自然と共生する町づくり。
B歴史・文化・教育を継承し、発展させる町づくり。

これらが、積み重ねられて、全体として「美しいまち」が形成されていく。

従って、そこには次の階層がある。
@人々(人々の生活の質、人々のつながり、文化水準など)
A町並み(生活空間の質と統一性、文化としての家屋、建築物、造形物、歴史遺産など)
B産業・商業(町の商店街、伝統工芸、ものづくりなど)
C田畑、里山、自然(長い稲作りの伝統、田畑を守ってきた経験と記憶、里山・河川の手入れなど)

3.町づくりの目標

(1)地域の人々の美しさ
・人間としての連帯感、生きがい感、幸福感があふれていること
・助け合いの精神がゆきとどき、1人ひとり(とりわけ子どもとお年寄り)が大事にされていること
・自治体が理念をもち、町民と情報を共有し、人々とともに町づくりをすすめようとしていること
・子どもたちが地域の宝として大切にされ、町民の中で育まれていること。

(2)人の住む町並み・環境の美しさ
・町並に人の手が丁寧に加えられ、整備されていること。
・空き店舗、空き家屋、空き地などが管理され、町作りの計画の中に組み込まれていること。
・既存の家屋の手入れが行き届き、活気ある町並みを演出していること。
・人の集える空間、買い物に便利な駐車スペースや駐輪施設、交通規制もされて安全な町であること。
・木や花が思いつきではなく、よく考えられて植え込まれ、町に潤いを与えていること。
・ゴミ、屎尿、産業廃棄物などの処理が合理的に行われ、自然エネルギーを中心にエネルギーが自給できること。

(3)商工業にかかわる美しさ
・商工業、農業、商業などの産業がその町に根付き、人々にとってそれがなくてはならない存在として認知され利用されること。
・地域の中でそれらが有機的な結合を果たし、地域で生産と消費が循環していること。
・日本、世界に開かれた産業として常に新しいものを生み出し続けていること。

(4)田園や里山の美しさ
・町中から離れていても、安心して暮らせる交通と人のつながりが保たれていること。
・農林業に生きがいを持って取り組める政策が行き届いていること
・里山の管理が地元の人たちの努力で行われ、四季を通して豊かな彩りを提供していること。
・山林が維持管理され、間伐、植林が計画的に行われていること。

4.まとめ

こうした理念と基本的な視点に立ってはじめて、今後の「美しい里づくり」の第一歩を踏み出すことができる。そのためにも、これまで寄せられた多様な意見、町内で積み重ねられた実践や全国の教訓を活かし、その指針とすることが大切であろう。
大事なことは、どの観点を欠いても真の意味の「美しい里」にはならないことである。これらは有機的に結合し、補完し合い、全体として「美しさ」を醸し出すものである。もちろん、これらを個別に、あるいはいくつかを取り上げて検討し深めることは有意義なことであり、積極的に進めるべきであることはいうまでもない。

ひと言でいえば、「美しい町づくり」とは、そのまま次世代に私たちが届けたい「町づくり」に他ならない。





  2月19日(土)   
昨日、今日と日中はとても暖かい。このまま春になってくれればと思います。それでも仕事から帰る10時過ぎには零下2,3度になり、窓が凍り付いていますから、寒暖の差はとても大きい。

エジプトに続いてペルシャ湾の小国バーレーンで、民主化を求めていた民衆に軍が発砲。ニューヨークタイムスの動画ではヘリコプターから銃撃している模様も写っていました。
権力にしがみつくスンニ派の王室に対して、流血の事態に怒った民衆は「王制打倒」をスローガンに掲げ始め新しい展開に。
バーレーン南部のかなりの部分がアメリカ軍の基地になっていて、湾岸戦争以後両国は軍事的な協定を結んでいますから、アメリカとしてもおそらく「王政」の転覆は容認できないところ。もちろんその背景には「石油」があります。ここでの政変は、アメリカと緊密な関係を持つ絶対君主王国サウジアラビアにも大きな影響を与えずにはおきません。

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国連大学のサイトに「OurWorld2.0」というのがあります。ここでは気候変動問題、石油・食糧問題などさまざまな地球環境問題をとりあげており、非常に参考になります。

最近注目した記事の一つは、ジョン・ヴィダル氏の「サウジアラビアの石油埋蔵量は過大評価と暴露」
すでに、このことはさまざまな研究者の中では指摘されてはいましたが、アメリカ大使館発の公文書として「サウジアラビアの原油埋蔵量は実際よりも最大3000億バレル、すなわち40パーセント近く多く評価されているかもしれない」と指摘されていることが興味深い。

もう一つは、ブレンダン バレット氏の「原子力発電はピークオイルから日本を救えるか?」という記事。
「日本はエネルギー安全保障の時限爆弾の上に座っていることになるかもしれない」と冒頭でいきなり問題提起。「理由はシンプルだ。経済開発協力機構(OECD)加盟国のエネルギー自給率は平均70%であるのに対し、日本の一次エネルギー自給率は原子力発電を含め18%なのだ」と続けます。そして最後にまた、「さしあたり、次の基本的な疑問は未解決のままである。原子力発電はピークオイルのもたらす最悪の影響から本当に日本を救ってくれるのだろうか?あなたのご意見は?」と疑問符。
途中の原発に対する考察や、日本がなぜこれほどピークオイルに鈍感なのかという点に対する考察も示唆に富んでいます。
海外から、問題が数多く投げかけられていることに対して、私たちがなすべきことは??
この国の行く末が、政府も国民もどん底になるまで目をとざしたままというシナリオでは余りに寂しい。

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話は変わりますが、数日前、信濃毎日新聞の新聞取次店の人が挨拶にきて夕刊を置いていってくれました。何気なく見ていたら、前にここで書いたことのある「アファール猿人」の直立2足歩行の記事が出ていました。数日遅れでしたが、記事の内容は<元ネタ>が同じだから大同小異。
これまで知らなかったんですが、2000年12月にはルーシーが発見されたところからわずか4キロの地点で、同じ頃(330年くらい前)の幼児の完全な化石が発見されていたんですね。称して「ディキカ・ベイビー」。「ルーシーの子ども」とも言われるこの化石には乳歯の下に永久歯も残っており、それから女児だったということまでわかったのだからすごい。
この化石の詳細については「ナショナルジオグラフィック(日本版)」にくわしい。頭部の360度回転模型も優れものだし、ビデオ解説も必見。



  2月16日(水)   
最近の自分の生活を振り返ってみると、異常に集中力を発揮できるときと、その逆に異様に脱力感におそわれて何にもしたくなくてだらだらと過ごすときとが極端に分かれています。年なんですかねえ。
2、3日前はバラの会のニュースとファンクラブのニュースを一気につくって、本も読んで・・・と時間を忘れてやっていましたが、昨日今日はな〜〜んにもする気がなくてボケ〜としているという具合。要するに自分で自分の時間管理がうまくいっていないということなのです。年中ボケ〜ではないからまだよしとしなければなりませんね。

来月の下旬から約10日間、友人夫妻とともに里帰りをかねて戦跡・基地をめぐるために沖縄に出掛けることにしていて、現在航空券や宿の手配、行程表の作成をしているところ。
その沖縄について先日の鳩山「方便」発言が波紋を広げています。社民党の福島さんは、「私は方便で首になったのか」などと訳の分からないことを言って「批判」しているつもりのようですが、ここは琉球新報の社説が次のように指摘するとおり「万死に値する」トンデモ発言と言わなければなりません。

政治音痴の素人政治家に、国政を委ね、安保・外交政策を左右されることの怖さに、身震いした。
 全てが浅はかな思い付きと行き当たりばったりの政権公約、理念と信念なき政策運営だったことが、あらためて明らかになった。

これほど言葉の軽い政治家を見たことがない。そして、自らの言葉に無責任な人も。政治音痴の素人政治家が国を動かし、国民を翻弄(ほんろう)し、政治不信を高める。万死に値する大罪だ。


しかし、「本土・内地・ヤマト」ではこの発言がどのように受け止められ、どのように報道されてきたのでしょうか。
asahi.comでは2月15日に「鳩山前首相の参考人招致要求」、14日に「鳩山氏、抑止力発言『方便』認める」その2つだけ。毎日jpでは14日に「鳩山前首相:米軍抑止力発言、『方便でした』と釈明」、15日に「鳩山前首相:『抑止力は方便だった』普天間県外移設断念で」と言った程度。
むしろこの問題ではmsn産経ニュースが俄然色めき立って、「トピック鳩山由紀夫」で詳細に報道をしています。もっとも「それみたことか」という下心一杯ではありますが。

何ともお粗末で情けない鳩山さんの「後付けの」言い訳。「後付けの言い訳」って、池田町教育委員会の専売ではなかったんですねえ。
沖縄の海兵隊が「抑止力」になるなどという戯言は地元ではもともと問題にもならず、むしろ海外への「攻撃力、侵略力」として危険きわまりない存在としてしか認識されていなかった。
私もかねてから、仮に「抑止力」というのならば、福岡とか首都圏とかに基地を置く方が最も合理的で説得力もあると言ってきました。本土から遠く離れた土地に米軍基地がひしめいているのは、むしろ「本土から離れている」ことにこそ政府の意図があるわけで、太平洋戦争末期からそうであるように、あくまで「捨て石」にすぎません。
最近では、中国ににらみをきかせると称して与那国島に自衛隊を持って行く構想が具体化していますが、これも同じこと。嘉手納基地がどのように強化され、どのような演習が続けられ、さらに東村高江区でのヘリパッドの建設がどのように進められているか実態をもっと知らなければいけません。私たち夫婦も、年の半分は沖縄で過ごそうかと半ば本気で考え始めているところですよ。

「日本を守るためには沖縄の基地が必要だ」とまことしやかに言う人は、どうぞ家族・親戚ぐるみ沖縄宜野湾市や辺野古に移住し、住民を説得してもらいたいものです。さらには、与那国島、いやいやもっと小さな占領されそうな島にも移住し、本土を守るために米軍・自衛隊と協力して闘いに備えてください。お願いします。



  2月15日(火)   
雪は深夜には小降りになったようで、朝には晴れ間も見えて雪は急速に融けそうな気配です。
朝8時頃から除雪開始。20センチほど積もっていましたが、雪はふんわりとしてものすごく軽いので割とすんなりと道をあけることができました。
これが北陸だったらそうはいかない。富山で生活していた子どものころ、家族の中では除雪専門要員でしたから、道ばかりか屋根の雪下ろしなどもしょっちゅう。だから新潟の豪雪地帯のみなさんの苦労はよくわかります。
それにくらべると池田は天国。今回はちょっとべつですが、ほとんどは箒で掃けばいいのですから。




今日の信濃毎日新聞の「中信」のページに池田町議会全員協議会の記事が載っていました。また、大糸タイムスも同様の記事を大きく載せていました。




サポートセンターの経過でも同じことがいえますが、町長はどうやら「思いつき」で、自分の都合のよいことはどんどんとりあげるらしい。上の「町議会の定数削減」に関する記事の町長発言がその最たるもの。「議会の決定後、町民から(議員定数を)減らすべきだとの声が寄せられたので問題提起した」とは笑っちゃいます。レベルが低すぎる。サポートセンター公募委員10人は町民ではないのですか??
町民に聞けば「定数減らせ」という声が3,4割くらいは出てくることぐらい誰だって知っています。もっと高いかも。中には「こんな議会ならいらない」という意見すらあるかもしれません。そうそう、「町長いらない」という声もそれと同数くらいあるかもしれないのですよ!!問題提起してくださいよ、勝山さん。おっと、それは聞こえないんだった。

問題は、その町民がどういったかではなく、何を考えてそのように言ったかでしょう。そして町長がどのような立場で定数削減に言及したかなのです。
記事で見る限りは「財政上の理由」がそれらしい。要するに池田町の財政は大変だから、「身を切る覚悟」で議員定数も減らしたらどうか。かつての行政改革委員会の答申もそう言っているし、という程度でしょう。情けなくて涙も出ません。そもそも昨年末には議論の末、定数を現行通り12にすることを決めているのです。町長が言うようにそんなに財政が苦しいのなら、町長歳費をゼロにし、副町長は置かず、職員のボーナスはもちろんなし。議員定数を5人くらいにしたらどうですか?もちろん役場本庁の職員数も半分くらいにして歳費も3割くらいカットしてもらわないと困りますけど。それほどの覚悟があって問題提起するなら受けて立ちましょう。

行政と議会はそれぞれの役割をもっており、とりわけ議会は町民の代表として行政が提出する様々な案件をチェックし修正し、町民の利益になるように仕上げることが求められています。また行政に積極的に政策提言し、町づくりの中心になっていかなければなりません。それゆえ、議会にはそれだけの権限と地位が必要なのです。議会の役割を低下させ相対的に行政の立場を強めることは、民主主義のルールから言って重大な問題をはらんでいます。
町民の代表としての議会を構成する人数はどれくらいがふさわしいか。それは歴史的に形成されると同時に、その自治体の規模にもかかわってきますし、一人の議員がどれだけの町民を代表できるのかというのは、日本のように議員が職業となっている場合は財政規模にも対応してきます。しかし何より重要な要素は、住民の民主主義の成熟度に対応したものだということです。
もし、本当に財政が苦しいのなら、議員は無報酬、議会は夜か土日にひらく。ただし、議員定数は20人くらいとする。このような改革があってもよいのではないですか。ヨーロッパではそのようにしているところがあるのですし、スイスの一部のように直接民主主義の原理を採用している自治体すらある。
議員を減らし、地域ボスだけの議会などもはや議会とは言えないでしょう。住民が議員を自らの代表として選出し政治を行う間接民主主義は、その原理から言って出来るだけたくさんの議員のほうがよろしい。それだけ住民の意見が反映されるからです。
そうしたことを総合的に考えて議員定数を提起するのなら結構でしょうが、「人から言われたから」とそのまま問題提起する首長なんて聞いたことがない。「町長の気持ちがわかる」議員はキモイ。

参考までに、友人である薗部さんの著書「北欧考える旅」から、一節を紹介しておきます。この本のもとになっているデンマーク訪問記事はこちら。なかなか面白い。もし、関連した他の記事をお読みになりたい方は、こちらの「北欧ノート」をご覧下さい。薗部さんに代わっての宣伝です。

エイビュー・コムーン(デンマークの自治体)は人口8000人、アンデルセンの生まれたオーデンセからバスで30分くらいのところにある。
投票率は90%以上だという町の議会は、月曜日と水曜日の夜7時から開かれる。議員は無給で、それぞれが日常の仕事を持っている。商店主、農民、教員、ヘルパーなどなど。言葉は分からないので30分ほどで退席する予定だったが、議場は猛烈に熱が入り、退席しがたい雰囲気で結局1時間ほど傍聴した。
通訳の木下澄代さんに議事の内容を聞くと、今夜は予算の特別議会で、超過した町財政のどこを抑えるかという議論だったそうだ。「お年寄りは増えているから、その支出は増だけれど、これは減らせない」「サービス内容は下げられないから、これからつくる予定のホーム建設を先延ばしにしよう」「でもホームの修理代は必要だ」などなど、それぞれの立場から徹底して意見を交わし、合意を重ねる。
ほとんどの議員は政党に属し、労組や障害者団体からも支持があるそうだ。ちなみに、ヘルパーの労働組合組織率は98%とのこと。
子どもを預けて安心して働ける。高い出生率が保たれ、女性の地位は高い。18才になれば誰もが独立し、自立する。高齢者介護ももちろん社会が責任をもつ。
そんな北欧の政治と社会はどうして実現されているのか。
まず「みんなは一人のために」がある。だから、「一人はみんなのために」と連帯できる。そうした思想と実践におしみなく努力していることなのだ。




  2月14日(月)   
夕方から降り始めた雪が夜遅くになって激しさを増し、とても池田とは思えない降り方になっています。すでに30センチ近く積もっているのではないでしょうか。これまでに経験したことのないような降り方で、これじゃまるで北陸。
この降り方は太平洋型ですから、南へ行けばいくほどひどくなっているのでしょう。太平洋側を低気圧が通過する典型的な地球温暖化型の気圧配置。異常気象の一つでしょうね。今晩もボーリングで松本に遅くまで出掛けていた妻が、国道は大変な渋滞だったと言っていました。

さて、新聞紙上ではエジプトの「市民革命」が大きく報道されていました。かつてのベルリンの壁崩壊時を思わせるような持続的な民衆蜂起。いま世界の各地でどのような動きが支配的になりつつあるのかを垣間見せてくれたような気がします。昨年までは南アメリカ大陸の各国でアメリカとは一線を画す自主独立路線が大きな潮流になりました。今年は中東の国々で軍事独裁や王政に対する民衆の不満が爆発、政変に至る大きな歴史の流れが形成されています。
この国で学ぶものがあるとすれば、歴史は民衆がつくるのだということでしょうか。こうしたときに日本のメディアはGDPで中国に追い越され、日本には中国の金満家が多数押し寄せているという程度の情けない報道。歴史の本筋をしっかり分析してほしいものです。

今日妻が何かつくっているので、何かと聞いたら、「バレンタイン・デー」のお菓子を作っているのだそう。なかなかの出来で大変おいしかった。だんだん腕を上げてきているようで頼もしい。もっとよろしくね。





  2月11日(金)   
正午からガイドマスター仲間の飯島さんの葬儀に参列。大勢の人たちがお別れに来ていました。
池田町は朝から1日中ちらちらと雪が舞い、結晶が大きなふわふわした雪のせいか夕方には数センチほどの積雪。ところが大町ではそれほどでもありませんでした。低気圧が太平洋側を通過してそちらにたくさん雪を降らせる地球温暖化型のタイプなのでしょう。

さて、今朝の新聞を読んでいたら、ふと「ルーシー」に関する記事が目にとまりました。
朝さっとよんだだけで、2度目にチェックしようと思ったら記事がない。信濃毎日だとばかり思っていたら、実は「しんぶん赤旗」の記事だったのでした。

下の新聞記事の通り、ルーシーとは320万年前にアフリカに住んでいた私たちの祖先の1人で、女性です。なぜこのような記事が目にとまったのかというと、今から15年ほど前に東京で仕事をしていた折り、帰りに近くのモスバーガーで遅い夕食をとりながら読んでいた本が「ルーシー」。不思議と心引かれる思いがして読み始めたものの、半分くらいまで読んでそのままになっていたのでした。それでいま改めて読み直している次第。

「ルーシー」は、ソフトボールくらいの頭で身長はわずか1メートル。想像を超えた存在です。
これをエチオピア、アファール砂漠中央に位置するハダール地区でみつけたのが、ドナルド・ジョハンソンとトム・グレイでした。その晩、彼らは歓喜に酔いしれます。

キャンプは興奮状態におちいった。私たちは・・・話し続け、あびるほどビールを飲んだ。ビートルズナンバーの「Lucy in the sky with diamonds」が近くのテープレコーダーから流れていた。私たちの歓喜は、その曲を最大の音量で、くり返しくり返し夜空に鳴り響かせた。・・新発見の化石をルーシーと呼ぶことにしよう、と決まった。

ビートルズが歌詞のヒントを得た実在のルーシーさんは昨年だかに亡くなっていますが、化石発見にまつわるこんな逸話を聞くと、AL288-1という正式名称を持ったヒトの化石がすごく身近に感じられます。

そこで、「アファール猿人が直立歩行をしていた証拠がみつかった」という今日の新聞の記事。
発見当時から2足歩行は疑われず、ヒトだという確信があったと先の本には書かれています。

「女性の骨だと、どうしてわかるのですか?」
「骨盤からです・・・・」
「彼女はヒトなのですか?」
「もちろんですとも。彼女は、あなたと同じように、直立して歩いていたのです」
「ヒトはすべて直立して歩くのですか」
「そうです」


「ルーシー」を含めた「アウストラロピテクス・アファレンシス」の運動行動については「現在でも議論がある」(Wikipedia)ということのようで、このうち直立歩行について、「決定的な証拠が発見された」というのが今日の新聞記事の要点です。

全骨格の40%という驚異的な化石から復元された「ルーシー」は今から320万年前の存在。気の遠くなるような進化を遂げていま私たちがいます。これから320万年後など想像すらできないけれど、一体その頃「ヒト」が存在するとしたらどのように私たちを見るのでしょうか。
最近のオイルピークにしろ、地球温暖化にしろ、おそらく数百年すらもたないのではないかと思われるほどの存在となった人間は果たして「進化」してきたと言えるのでしょうか。ルーシーに対してどのような顔を向ければいいのでしょうか。





  2月10日(木)   
今日はバラの会の役員会。少しずつ気温が上がってきているので、3月からの計画をたてるために役員4人が集まりました。
これからやらなければならないことは目白押し。まず3月1日から一週間ほどは、バラを植える穴掘りです。その一週間後くらいからバラを植え付ける予定。作業手順は以下のようになります。

穴を50〜60個ほども掘らないといけないので、結構重労働。軟らかい土ならいいのですが、結構石がまじっているのでそれを取り除きながらの仕事。でもこれが終わればガーデンらしくなるはずなので、みんなでやろうと意気込んでいます。
そのために、それまでに肥料や土、備品を買ったり、水路の確保の仕事をしたりと忙しい。ガーデン入り口にはアーチをつくり、さらに垣根やくい打ちもあるので、日中は相当時間が取られます。
ただ、町会議員選挙がいよいよ近くなるので、そのための応援も当然ありますから、時間配分をしっかりやらないといけません。
今日の役員会では、「アンネのバラ」をガーデンのひとつの象徴にしようと話し合いました。すでに10本の苗を購入済みなので、それを増やしてアンネのバラ・コーナーをつくることも計画。なかなか楽しみな計画になってきました。

我が家でかつて咲き誇っていたアンネのバラ。2007年に植えて2008年には一杯花をつけ、2009年まで良好な成長でしたが、植え替えを怠って勢いがなくなり、その後地植えにしたものの1本がだめになり、1本だけ何とか生きている状態。しっかり管理してやらないといけないことがよくわかりました。
上から順に、2007年の一輪、2008年の3鉢。2009年の1輪、2009年の3鉢です。











  2月9日(水)   
朝起きたら一面真っ白。昨夜から今朝にかけて、2,3センチの積雪がありました。ただ、春の淡雪のようなふわふわ雪で日が高くなると瞬く間に消えて何事もなかったよう。1ヶ月前の厳冬期がウソのようです。写真を撮りそびれてしまったので、冬景色を紹介できないのが残念です。

午前中はTPPシンポジウムの感想をまとめ、午後からは明日のバラの会役員会の準備と打ち合わせ。
シンポジウムでは80名の参加者のうち30名が感想を書いてくれました。この種の集会ではあまりない回収率。すべてが「大変参考になりよかった」「もう少し多面的な議論がほしかった」に○。さらにほとんどが詳しく具体的な感想を書いてくれました。
感想はこちらです。
シンポジウムの全容の記録起こしをしようと思ってはいるのですが、何しろ3時間の膨大な記録になるので大変。前の田中町長のときのようにはいきません。その気になるかどうか・・・。
それはともかく、大糸タイムスが1日遅れで6日の記事を載せてくれたので、本社に寄って新聞を買ってきました。下がその記事です。


池田町では今年4月の町会議員選挙に向けて立候補の動きが出てきました。共産党はすでに2人の候補が名乗りをあげていますが、それ以外に現職・新人ともに何人かの動きが伝えられています。
その町会議員選挙ですが、この町の今後をどのようにしたいのか、いろんな意味でその政策が問われます。
たとえば、これまでのサポートセンターについて、現職の町会議員の中でちゃんとした問題意識をもってとらえていた人がどれだけいたのか。私は今後の議員活動をする上で実に要の問題であるように思います。なぜなら、町民参加こそがこれからの町づくりの重要な理念なのであり、それを町民主導で作り出そうとした動きを現町政が否定してしまったわけですから、このことに対してどれほどの問題意識を持っているかで、各議員候補者の感覚の鋭敏さがわかるからです。
ろくに過去の資料を調べることもせず、いい加減な知識でどっちもどっちなどとけんか両成敗を決め込んだり、大きな問題ではないと軽視したりする議員が仮にいたとすれば、何故一昨日、運営協議会の公募委員10人が一致結束して、全員の印を押して辞表を提出するに至ったのか、わかるはずもありません。

一般的に「福祉の充実」とか「子育て支援」などという文句は誰でも言える。その政策もある意味ではわかりやすいけれど、それだけでは何も言ったことにはなりません。
現実の政治の問題としては、「三位一体改革」以来の地方自治破壊の動きを的確にとらえ、これに対抗する地方自治のあり方を町民と行政の共同の力で構築する理論と運動のなかに、それらの課題を位置づけるべきなのです。
しかし、これはコトバで言うほどなまやさしいことではありません。それを実現するにはまともな理念に裏打ちされた政策の整合性がなければならないし、地を這うような日々の努力が必要なのです。1人ひとりの議員にその熱意と覚悟があるのでしょうか。

あるローカル紙に今度町議選に立つ候補者の政見が一部書かれていました。曰く「企業誘致による経済振興と誘客による観光振興」。なるほど、やはり企業誘致ですか。
これまでの議会でも毎回聞かれるのはこの企業誘致。いったいこの時代にどの企業をどのように誘致しようというのか。破綻した路線にしがみつく以外に打ち出すべき政策がないのでしょうか。また「町政の停滞」というからには何がどのように停滞しているのか指摘する必要があるでしょう。
現在の町政もはや「停滞」などというものではなく、組織としての形をなしていないほど病んでいるところが最大の問題なのです。議会についていえば十分にその病根を指摘し、克服する道筋を描けない弱さを持っているということです。
これを克服するには、自治体の役割を根底からとらえ直し、しっかりした理念(「池田学問所」とか「町民憲章」などというたぐいのものではなく)をかかげ、町政のあるべき姿を組織体として具現することしかありません。議員はそうした行政を多面的にチェックし、政策提言し、まともな姿へと正していく役割をきっちり果たすべきなのではないでしょうか。




  2月8日(火)   
今日ガイドマスター仲間のひとりである飯島さんが亡くなったという話を聞きました。残念でなりません。本当に寂しい。写真を見ているとまだ声が聞こえてきそうですもんね。

飯島さんは、私がはじめてガイドマスターに参加して、周りじゅう誰も知っている人がいなくて心細い思いをしていた時にはじめて話しかけてくれた人で、それ以来ずっと頼りにしていました。親しみやすく池田町のことは何でも知っている人でした。北アルプス展望ウオークでは相道寺の道祖神前で解説するのが彼の定番となっていて、この道祖神にまつわる話をたくさん聞かせてもらいました。
一昨年には、自宅を訪れていろいろ話をして、その際に「柿の木」の接ぎ方を教えてもらう約束をしていたのです。残念ながら果たせないままになってしまいました。心からご冥福をお祈りします。

昨年は、これまた親しくしていた原さんが亡くなって、何とも寂しい限りです。彼はまた私が池田に引っ越したときに近所だった関係で、母に花を持ってきてくれたり野菜を届けてくれたりした人です。
何年か前には裏山にキノコを採りに連れて行ってくれました。「松茸が出る」というので、期待して行ったら「それは教えられない」と素っ気ない返事。それなら連れて行くなよ。それでも「キノコのある場所は教えたから、あとは頼む」と意味深な話をしていたことを思い出します。

そこで、せめて私にできることはないかと考え、午後からちょっと時間をかけて2人のために、追悼のページをつくりました。過去のいろいろなイベントに参加しているお二人の写真をあつめたものです。
池田町の方、ガイドマスターの方はぜひごらんください。なお、このページをご覧になっている方で、お二人の活躍中の写真をお持ちの方はぜひご提供ください。

    ガイドマスター   飯島 信治さんのページ    原 好住さんのページ

   





  2月7日(月)   
昨日の農業シンポジウムについて、ローカル紙の市民タイムスがとりあげていました。


シンポジウムの司会は私が行ったのですが、実行委員会として心がけたことは「真剣さ」と「まじめさ」(同じか・・・?)それに「どの団体・個人にも公平に対応する」ということ。このことは貫けたと思っています。

このシンポジウムでは参加者に感想アンケートをお願いしたところ、みなさんたくさん書いてくれました。
一番多かったのは、とにかく周りにTPPのことを知らせて、反対運動をつくっていかなければならないという切実感あふれるものでした。タイムリーにシンポジウムをやってくれたことへの感謝と、JAや町の代表も参加したことから共闘の可能性を見る意見も数多くありました。もっと多面的にこの問題を解明し、日本農業再生の道すじを解明し実践していくべきだという意見も。司会の私のことに触れてくれたものもあってこれは嬉しかったですね。

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「食糧自給率100%を目ざさない国に未来はない」(集英社新書 島ア治道著)を読んでいましたら、かつて農水省が作成した「食糧危機マニュアル」の話が出てきました。
農水省で見つけようと思ったがなかなか見つからない。かつて私のホームページでそれについて書いたことがあったのを思いだして探そうとしましたが、もはや余りに膨大な記録なのでいつだったか思い出せません。
これはやはりサイト内検索の窓がないとマズイと思い立ち、トップページにGoogleを利用した検索窓をつくることにしました。これで一発解決、2007年10月の記録で「不測時の食料安全保障マニュアル」について書いたのを見つけられました。
ただし、その後正式名称で農水省の記録を検索すると「平成20年6月」のものが見つかりました。まだ生きていたんですね。次のものは、農水省のマニュアルを「平易に」解説したファイル。私が一枚のファイルに結合しました。

いざという時のために〜不測時の食料安全保障について〜

このマニュアルでは、事態の深刻度をレベル0から2まで想定。レベル2は、「1人1日当たり供給熱量が2,000kcalを下回ると予測される場合を目安」としており、「深刻な食料不足が解消された昭和20年代後半における供給熱量の実績を踏まえ、1人1日当たり供給熱量が2,000kcalを下回ることをもって判定基準としました」と書いてあります。
TPPへに参加したら、レベル3とか4くらいまで想定しないといけないのではないでしょうか。なぜなら、有事の中には「輸出国の価格高騰」や「輸出国が輸出を制限」というように食糧輸入に関する項目が圧倒的に多いからです。
その一方で、農水省は平成22年1月に「食料自給率目標の考え方及び食料安全保障について」を発表し、その中で次のように書いているのです。

「平成32年度の農業生産力について、これまでの傾向と同じ推移を前提として試算した結果、生産力は離農農家の増加等により現状より25%低下すると見込まれる」

「カロリーベースの自給率を向上させるためには、水田作の麦・大豆の単収向上、麦の二毛作の飛躍的拡大、不作付水田における米粉用・飼料用米等の作付拡大、耕作放棄地の解消等に取り組むことが必要」


さて、先に紹介した島アさんの本では、こうした農水省の対応について、「農水省は『輸入先の多角化』などと言っているが、食糧を輸出出来る国は限られており、日本が危機的な状況になった段階で新たな輸入先をみつけようというのは現実的な考えではない」と指摘。さらに自給率40%と言っても、農産物の種子を海外から輸入して栽培のみを国内で行う「借種農業」(とくにF1品種)への傾斜、外国で飼育された畜産動物も「飼育が一番長い地域や国を原産国として表示」するというような「借育畜産物」の横行、外国産の稚魚を輸入し国内で生育させる「借養水産物」なども含めて40%としている矛盾を突いています。

日本の農業が、農業機器から肥料、運搬に至るまでオイルまみれになっており、しかも世界最悪のフードマイレージ(ドイツ、フランスの3〜4倍、アメリカの約7倍)という実態は、食糧自給率を高める方向で作用するはずがありません。アメリカの生き残りのために日本の農業、いやこの国のすべてを差し出す必要はさらさらない。総力をあげて食糧自給率を高めるべきときなのです。
気がついたときには手遅れだったというのは、こと食糧に関しては飢餓地獄を意味します。そうならないために、1人ひとりが声を上げる時期はそうないと私には思えるのですが。
とにかく、まず次の二つのデータをみてみましょう。一つは下の原油価格。これはリアルタイムで発表されているものの今日現在のデータ。上がり下がりしながらも確実に上昇しつつあります。
つぎは食糧の国際価格です。





私の書いていることには、最近かなり偏りがありますね。自覚して書いてはいるのですが、こんなことを24時間考えているわけでは決してありません。だから、もっといろんなことを書けばいいのでしょうが、ついつい最近の関心事が中心になってしまいます。どうかお許しを。

今日から1人の男の子が我が家に勉強を習いに来ることになりました。いまから7年前くらいに「おじちゃん、あそぼ」と引っ越ししたての私のもとに遊びに来た子。
最近母親が突然死して、父親が気がついたら、子どものことはすべて母親まかせだったために勉強がかなり手遅れ状態。あれこれ思い悩んでいたら、私のことを思い出したというのでした。
とても私にはなついてくれていた子でしたので、放置するわけにもいかず、しばらく面倒をみることになったのです。
おそらく小学校でも中学でも、家庭環境や何かの原因で勉強が遅れてしまう子はいくらでもいる。地域にそうした子への配慮と手助けをするしくみが備わっているかどうか、これからますます大事になってくるのでしょう。私に出来ることはそう大きくはないにしても、辛抱強く関わって、少しでも力になれたらいいと思っているところです。



  2月6日(日)   
問題の重要性を反映してか、今日の農業シンポジウムには多数の人が参加して大きな盛り上がりを見せました。池田町で農協・役場・共産党の代表が席を同じくしてTPPシンポジウムをひらくというのはおそらく初めてでしょう。画期的なことです。
池田の「あめ市」と行事が重なったり他の行事と重なっために来られなかった人もかなりいたものの、会場は満員の盛況、出席者も80名以上とかつてない盛り上がりとなりました。

今日のシンポジウムの目的は、TPPとは何であり、なぜ今これが表面化したのか、そしてこれに対してどう対応すればいいのかを多面的に明らかにすることでした。参加者はみんな真剣そのもので、自分や地域の問題としてとらえ、どう行動したらいいのかを考えるよいきっかけになったのではないでしょうか。
「全国の町のすみずみでこのような取り組みが行われれば菅内閣も簡単にはTPPに参加するなどとはいえないはずだ」という意見も。まさにその通りで、今後急速にこうした取り組みがひろがって、TPPが農業だけではなくくらしや健康、雇用や医療、地域経済にどのような悪影響を与えるかが明らかにされていくでしょう。




これからしばらくは、このシンポジウムのまとめ、今月号のファンクラブニュースの作成、バラの会の準備その他で結構忙しくなりそう。

昨日までに「ピーク・オイル」問題に関する本を2冊。
一冊は石井吉徳氏の「知らなきゃヤバイ!石油ピークで食糧危機が訪れる」(日本工業新聞社)。もう一冊はジェレミー・レゲット著「ピークオイル・パニック」です。
前者は、見出しがかなりけばけばしい感じだったので、ちょっと”いかがわしく”思っていたのですが、内容は至極まともでまじめ、説得力のある筆致で書かれていした。
著者は東京大学理学部物理学科(地球物理学)卒、工学博士、東京大学名誉教授で「もったいない学会」の会長という肩書き。著者の言いたいことはきわめて明快で、「文明の最後は必ず食糧問題になります。・・・石油ピークは食糧ピーク、そして文明ピークなのです」という言葉に表れています。
石油付けの農業はもはや限界に来ている。農業とは本来人類の伝統的な知恵や経験の上に存在する。自然と共存する有機農法が日本の生存に欠かせない。アメリカ型大規模農業ではなく、日本に伝統的に存在した小規模農業のよさを見直すべきである・・・などの主張は、パーマカルチャーの思想と通底するものがあり、興味深い。
TPPは、現在の日本の農業を滅亡させるだけではなく、ポスト・ピークオイルの大きな可能性としての日本農業を死滅させるという意味において断じて許してはならないのです。
次の一文はTPPと闘う上でも意義がある内容を持っています。

最近、小規模農場、家内農業の良さが見直されています。アメリカのある統計では、小規模農場の方が、総合的生産性は高いそうです。それは小規模農業では多種多様の作物を栽培するので、従来のイールド(単位面積あたりの単作の収穫)に代わり、アウトプット(単位面積あたり多種の収穫)で総合収益力を見れば、小規模農業が優位で、むしろ農場面積に反比例する成功すらあるそうです。これからは雇用確保のためにも、小規模農業を見直し「集中から分散へ」と発想を変えるべきでしょう。

後者の「ピーク・オイル・パニック」の著者は、英国人でオックスフォードで地質学の博士号をとったあと、英国や日本の石油企業のコンサルタントとして世界各国で石油探査を行った石油のプロ。石油探査の現場に数多く居合わせた経験を持つだけに、前半の世界の石油の現状についての記述は詳細で説得的です。
とくにこの本から学ぶことは、原油がどのようにして生成され、どのような地層に埋蔵され、そのように掘り出されるのかという原理的なことがらを厳密に書いていること。それゆえにその中で紹介されている「2015年ピーク」についての挿話(264ページ)は興味深いものがあります。当然ながら、ピークオイル後の石炭依存によって地球温暖化が急速にすすむとすれば、さらに恐ろしいことになるだろうという指摘には全く同感です。
ただ、この本の後半では、代替エネルギーに関するいくつかの考察がありますが、これはあまりにも雑で急いで書いたという印象。前半に比して楽観的過ぎる気がしました。むしろ先の石井先生の方が説得力があります。いずれにせよ、地球温暖化の脅威だけに目を奪われるのではなく、目の前のエネルギー問題にもっと目をむけて、その動きに注意を払って行かなければなりませんね。




  2月3日(木)   
久しぶりに快晴。朝外に出ると、しばらくは目映くて目を開けていられない。北アルプスも今日はすっきり全景を見せています。ただし、夜はやはりマイナス6、7度くらいで寒い寒い。


さて、本日はピークオイル再考です。
現在読んでいるのは「地球最後のオイルショック」(デイヴィッド・ストローン 高遠裕子訳 新潮選書 2008年)です。
その中でも触れられていることですが、このオイルショックについて重大な認識不足あるいは誤解(?)が政治家にも一般にも生じている点をまず考えておきましょう。

次は「アイディアボックス」というサイトにあった書き込みです。太字は私がつけました。

「エネルギー輸入大国である日本において、特に石油の利用を抑制する必要は大いにあると考えられる。・・温暖化ガス25%削減などという効果の曖昧な目標ではなく、石油・ガス等のエネルギー少量削減を目標にしてはどうだろうか」、という「アイディア」に対して、ある人は次のように書いていました。

「石油が枯渇する30年〜40年後には、技術が進歩しており新たなエネルギー資源が出てくるのではないでしょうか。日本がそれを先取りできるよう、削減はちょっとした目標として技術の進歩に力を入れるべきだと思います。」
また別のある人も同じ調子。
石油の枯渇に関しては、まだまだ遠い未来だと思います。値段が上がれば、経済的に『ペイする埋蔵量』が急激に増えるからです。」
そのすぐ前に、
「石油が枯渇する遠い将来ではなく、ピークオイル(生産量ピークの前後では、右肩上がりの需要をまかなえず需給ギャップが急拡大することにより石油価格の乱高下と供給不安が起こること)こそが間近な危機だということを前提にすれば、(パニックを引き起こさないよう)温暖化対策を大義名分として、大規模な省エネ、再生可能エネルギーの導入を進めることは賢い政策です。
と書いてあるにもかかわらずです。「ピークオイル」と「石油の枯渇」が完全に混同されているんですね。
これらの人たちは是非次のアニメや解説をみてほしいものです。
YouTubeで「ピークオイル」と検索するとほとんど出てこない(情けない・・)けれど、国際版で「Peak Oil」と検索すると山のように出てきます・・・。

YouTube - Peak Oil - How Will You Ride the Slide
YouTube - Peak Oil - Visually Explained

話をもとにもどしますが、「地球最後のオイルショック」でも、この点(「ピーク」と「枯渇」の混同の問題)に関してわざわざ一章(「第9章 無知なのか、怖いのか」)を割いています。
この本の筆者は2005年に当時のエネルギー担当相マルコム・ウィックスに次のような質問をするのです。
「世界の石油生産がピークアウトし、減少に転ずる時期はいつだと考えているか。また、その影響は大きいだろうか」
これに対する答えはたいへんいい加減なもので、次のように答えたといいます。
「石油がいつ枯渇するかは誰にもわからない、が近い将来ではない・・・いつ枯渇するか、君はわかっているのか。私にはわからない」
これに対するこの本の筆者の回答はつぎのようなものです。
「ウィックス担当相の答えは、石油枯渇の基本がまったくわかっていないことを暴露している。石油生産がいつピークを迎えると思うかと聞かれて、いつ枯渇するかを答えている。これはオイルピークの基本がわかっていないことを示す明確なサインだ」

いま世界中の研究者がさまざまなデータをもとにピークがいつなのかを予測しています。以前はかなりばらつきがあった予想時期が、最近になって結構狭まってきている。この本の中で述べられていることを総合すると、ピークは2011年から2020年の間ということになります。あと10年以内!!

この問題は「オオカミが来る」という有名な話によくたとえられますが、それを含めてこの本の「はじめに」で書かれたいくつかの証言を紹介しておきましょう。

これまで狼が来ると叫ばれても、来なかったことが何度もあったが、今度ばかりは扉の前まで来ている。(アメラダ・ヘスの探査・生産部門で責任者を務めたリチャード・ハードマン)

自分が死ぬとは思いたくないように、石油生産がピークアウトし、減少するとは考えたくない。だが、どちらも事実なのだ。(石油会社トタル探査技術部門の責任者を務めたジャン・ラエール)

文明自体が脅威にさらされるという意味で、歴史上の大きな断絶に直面している(テキサコ・PB・アモコ、フィナで探査に携わったコリン・キャンベル)


日本の政府の認識はどうか。最新の経済産業省の「エネルギー・環境」のページにはCO2削減についての言及はあってもピークオイルについては一切なし。資源エネルギー庁の「エネルギー動向」を見ても「世界の確認埋蔵量」は1兆2580億バレル(可採年数42.0年 2008年末)として、ここでもピークオイルの記載はなし。また「長期エネルギー需給見通し」に書かれている2030年までのエネルギー供給は下のようになっています。


これは「原油生産が堅調に推移した場合の期待」であって、世界の採掘責任者や科学者の見識を取り入れたものでは全くない点に要注意。
ちなみに、今から5年前に開かれた「総合資源エネルギー調査会石油分科会石油政策小委員会(第1回)」の議事録を見てみましょう。どのような発言があるのか・・・

○脱石油、脱中東という考え方は、ある時期に有効であったが、現在はそうした状況ではなく、改めて頭の整理をするべき。

○ピークオイル説には様々な見解があり、いつピークを迎えるかを詰めることに意味はなく、むしろこうした考えがあるということを踏まえ、議論していく必要あり。

○ピークオイル説を前提に話を組み立てるのはよくない。確かに石油天然ガスの量は十分にはないが、様々な考え方の一つという認識でよい。


この委員会ではすでに1人の委員からピークオイルについてプレゼンがあり、それについて議論されているのにこんな程度です。これが国の議論なのですよ。「おどろきだよね〜〜」(どっかで聞いたセリフ)。
私はこうした議論を見ながら、アメリカ映画でよく描かれていたシーン・・・科学者が大惨事を警告するが政府はそれを聞き流し結局大変なことになる。だがその科学者たちの奮闘で何とか危機を脱する・・・を思い出してしまいます。今回は「最後のオイルショック」ですから、このままでは脱する道はありません。

こんな程度の認識しか持たない政府が、丸裸でTPPに参加するというのですから、これは恐ろしいことです。つまりエネルギーの自給、食料の自給に向かって全力をあげなければならない(ヨーロッパ諸国の政府はよくわかっており、それに備えつつある!)ときに、それとは全く正反対の方向に突っ走っていこうとするわけですから、大変なことといわなければなりません。

私としては、農村で土地をもって、食料生産できれば当座は生き残れるわけですから、せいぜい、自衛の方策を考えることにしますかね。
ピークオイルとは何なのかということについては、カナダ人ロベール・ベリオーさんが国民向けに作成した次のプレゼン資料「ピークオイルと人類の運命」が参考になります。また個人レベルでそれにどう備えるかについても第9章がとても参考になりますよ。

第1章 石油・技術文明の源泉
第2章 重要な質問 石油生産はいつピークになる?
第3章 石油減少がもたらすもの
第4章A その他の再生不可能なエネルギー資源
第4章B 再生可能なエネルギー資源は救いになるか?
第5章 イースター島の運命
第6章  現代社会と比べてみよう
第7章 いかにして成長が成長をあおるのか
第8章 どうしてこの始末になってしまったか
第9章 われわれにできること




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