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  3月25日(金)    
ネコが布団の横にもぐり込んできて寄りかかってくるので、私の身体がゆがんで足が攣ってしまった。結局朝5時起き。新聞を読んで、その後は出発の最後のチェックです。
朝は相変わらずまわり中凍り付いて寒いこと。7時過ぎに妻に電話したら、沖縄は18度くらいで、ちょっと寒いということ。2月から3月は日によって気温が下がることがあるのですが、これからは気温も上がっていくのではないかと言っていました。持って行く衣類の選別がなかなか大変です。

震災から2週間。3.11から2,3日はテレビから離れらず、いろんなことが頭をよぎり、13日には町への要請を考えすぐ実行。しかし、震災直後の役場は何事もなかったように静まりかえり、14日の申し入れにも県からは物資を送っても方法がないから義援金だけに取り組むという返事にがっかり。15日に町民ボランティア団体の立ち上げを考えて、知人に相談。17日には「町民ネットワーク」が結成され、19日にはもう町民からの物資を受け入れ開始。ネットワークの活動開始と前後して町も緊急物資の受け入れを表明し町民に呼びかけを行い始めました。しかし、それも連休明けの22日から。

猛烈に忙しいこの数日を振り返ると、緊急時の即応態勢という面からこの町のいろいろなことが見えてきます。役場は役場の立場で県からの要請に応えて一生懸命にやっているというのでしょう。しかし、町民主役のさまざまな活動と役場の仕事との有機的に結びつきが、その町の活力の源泉でしょう。その視点から見れば、現町政の問題点は明瞭です。町の「考え」る「ボランティアバンク」「サポートセンター」がいかに空疎で名前だけのものだったかがはっきりしてきます。
もし、現町政がこうした一連の教訓から何も学ばないとすれば、池田町はおそらく近隣の町村から孤立し相手にもされず、役場はそれぞれの部署で言われたことだけを黙々と「こなして」いくようなものになっていかざるをえません。
役場の人材は、それぞれは大きな力と知恵を持っているはずです。ボランティア精神がないわけでは決してありません。困難な時代を乗り切るには、そうした1人ひとりの知恵と力を『束ねる』ことこそが今最も求められていることではないでしょうか。「町民ネット」の最大の教訓はまさにその一点に集約されていると私は思うのです。

「町民ネット」の活動で私が重視した一つは、ネットワークに集うボランティアの人たちの「情報の共有」という点でした。
それまでにどのようなことが決まり、前の日までにどのような活動があって、どこまで到達したのか。今度どんなことが問題になり、何をしていかなければならないのか。口頭では漏れが生じ、意識の違いから思いがけないトラブルが生じます。朝かならずその日の行動をしっかり打ち合わせをし、だれもが同じ思いで行動できるように意思統一する。これはこの種の行動を組織する上では絶対に不可欠なことです。初日には結構行き違いもありましたが、それからは本当に一糸乱れぬ行動を展開できました。参加したみなさんの力量にただただ感心するばかり。自覚した集団のそこ力を見せつけられた思いでした。この経験は必ずいろいろな場面で生きてくることでしょう。まちがいありません。

もう時間がありません。では、行ってきます。


  3月24日(木)    
支援行動6日目。昨日は町の集荷場に緊急物資をすべて運び、松本の自衛隊駐屯地から物資を輸送しました。それ以外の物資は、必要になる時期を見て発送するかストックしておくことになります。

この6日間で様々な支援物資を持って会場を訪れてくれた人は、のべ250人ほど。最終日までには町民世帯の1割ほどになるのではないかと思われます。
持ち寄る物資も種類が次第に増えて、日用雑貨が目立つようになりました。日が経つと、こんなものも要るのではないか、あんなものも必要だ・・・と思いついてくるのでしょう。2度、3度と足を運んでくれる人もいます。

今日の午後には、福島の原発から逃れてきた避難住民が池田町の町営住宅に入れるようになったというので、必要な物資を受け取りに訪れました。「池田のみなさんには本当に親切にしてもらっています」とご夫婦。これからさらにいろんなツテを頼って池田まで来る人もいるのでしょうね。ついてきた町の職員も、スタッフの姿をみて「本当に頭が下がります」と話していました。
まさしくその言葉の通り、この会館に集まったスタッフは全員意識が高く、自分たちの頭で考えて行動する人たちばかり。どのメンバーもよく働くこと。ここを訪れる人は異口同音に「活気」を感じると言います。「活気」とは、そのようにして醸し出されるものなのでしょうね。


私は、今日の午前中でお役ご免にしてもらって、明日から沖縄へ。これはずいぶん前から計画し、飛行機も変更がきかない安い予約便なのでどうしようもなく、仲間たちに了解を得て、後ろ髪を引かれる思いで遠くに出掛けることにしました。
急な病気で行かれるかどうか危ぶまれた友人ご夫妻も、これまでのところ行かれないという連絡がないので、何とかなるのでしょう。可能ならば現地から、震災のことからちょっと離れますが、現在の沖縄事情をレポートできるかもしれません。


  3月21日(月)    
今日は朝から雨。支援行動の3日目です。さすがに途中で眠くなりうとうとしてしまいました。
物資を集める会場には、朝からネットのメンバーやボランティアの女性たちが集まり、前2日と同じような活気ある雰囲気に包まれました。雨でちょっと支援者の出足は鈍かったものの、それでもひっきりなしにいろんな品物を持って会場を訪れてくれて、大量の支援物資があつまりました。






この3日間で、直接物資を届けてくれた町民はのべ200人。池田町は3800世帯ですから、世帯数の5%を越える人たちが来てくれたことになります。
物資の品数も膨大なものになり、仕分け作業は大変な苦労がともないました。それでも現地での苦労にくらべればたいしたことはありません。活動の意義を認め、本当に自主的に参加しているメンバーのみのボランティアだからできることです。

今日の「しんぶん赤旗」一面に、ある記事と写真が載りました。町が壊滅した宮城県女川町で、自分の家も壊れてしまった1人の町議がみんなを励まし、要求をまとめて自治体や県に働きかけているという記事・写真です。


その人は、女川町議高野博さん。大学のひとつ上の先輩で同じサークルで苦楽を共にした仲間の1人です。ずいぶん前から町議になっていたことは知っていましたが、気にかけながらも連絡をとる手段もなく、そのままになっていたのです。実に40数年ぶりの写真での再会です。生きていてくれて本当によかった。
私は理学部でしたが、彼は宮城教育大学が出来る前の教育学部に属していました。私が入ったサークルはほとんどが教育学部生で、理学部や文学部などは異色の存在。右も左もわからない私に、辛抱強く世の中のことや教育のあゆみを教えてくれたのは彼でした。たいへん恩義がある人ですから、無事が分かった以上はどんなことがあっても支援をしていかなければ・・・と強く心に念じました。
春か夏になって道路事情もよくなったころを見計らって、必ず直接支援に出向きましょう。それまで身体に気をつけて町民のみなさんのためにがんばり通してください。

沖縄に到着して1日経った妻に連絡をしたら、25度くらいあってとにかく暑いと言っていました。いっしょに行くはずの友人からは、身体に異常がみつかって行けるかどうか微妙という連絡。現地での行動に結構影響しますが、それでも身体を守ることの方がだいじですからね。それを優先に考えてもらうべきでしょう。



  3月20日(日) 被災地支援ネットワーク   
毎日が超特急で過ぎていきました。今年度の授業も昨日で終わり、今日の夕方から久しぶりにちょっと息抜きができます。ゆっくりと風呂にも入れました。
ただ、今朝から妻が郷里の沖縄にでかけているので、しばらくは1人です。夕方「無事到着、結構暑い」というメールが入りました。まずは一安心です。

被災地のさまざまな生活や被災者の思いを聞いているとつい貰い泣きをしてしまいます。どれほどの恐怖・不安があったかとその胸中に思いを馳せますが、とても想像できることではないのでしょう。
せめて私たちにできることは何かと考えたとき、単なる募金や物資提供ではなく、それを率先して行うボランティア組織の立ち上げという方向に自然と向かったのでした。
2日間のネットワークの活動をふりかえって、よくぞ数日のうちにこれだけのことをやり遂げたと感慨深いものがあります。数十名のボランティアが身銭を切って1日町民から寄せられる支援物資を受け付け、仕分けし、発送の準備をする・・・これは決して簡単なことではありません。しかし、池田町の町民有志はそれを見事にやり遂げつつある。被災地の人々の心によりそい、自らを戒め、個人のなしうる最大限の力を出して知恵と力を出し切る。これこそ、まさにボランティアの心というものでしょう。


初日の19日朝に、物資を集める会場に集結したのは女性のボランティアグループ20名を含む30数名。すでに女性団体はリーダーのもとで打ち合わせをしていました。
私は、初日の打ち合わせのために昨日の半分ほどを使って用意した「作業の要項(マニュアル)」を持って、集合時刻ぎりぎりに到着。さっそく全員で打ち合わせを行いました。
私の役目は、事務局の統括、つまり作業の流れをつくり、全員の気持ちを一つにし、1日の行動がスムーズに行くように仕切ること。前々日の打ち合わせにそって提案し了解を得ました。
私が最も重視したのは、この行動の意義です。これが欠けていると、初めはうまくいくように見えても結局手足だけの問題に陥って気持ちがバラバラになる危険がある。それは絶対にさけたいと思ったからです。
私たちの行動の基本は次の4点でした。

@未曾有の大災害を受けた被災地・被災者の方々に、一刻も早く支援物資を届けることが目的です。
A そのために、町民の「何かをしたい」「自分に出来ることはないか」という「人間としてのこころ」を束ね、町民の支援のネットワークをつくります。
B1人ひとりにできることは小さくても、力を合わせれば地震をはね返す力を発揮できることを示しましょう。
C「町民ネット」が町よりも先行しますが、22日以降は町、社会福祉協議会などとも緊密な連携をとり、協同して支援の輪をひろげます。


そしてもう一つ大事なことは、「県や町が定めた緊急15品目(水や紙おむつなど)はもちろん、それ以外の物資も基本的にすべて受け入れる」と決めたことです。これはよい、これはダメとなれば、町民の気持ちをくみ取ることはできず、結局萎縮した行動に陥ると危惧したからです。
そして最後に私が重視したのは、1日1日の行動を総括し問題点を洗い出し、みんなで到達点を確認して次の日に臨むということです。2日間を通してそれなりに実行できています。

意思統一して臨んだ第1日目。前日からすでに各メンバーのもとに持ち込まれていた物資が運び込まれ、まもなく続々とチラシを見た町民が会場を訪れました。持ち込まれたものは多岐にわたり、終わってみると39品目。全体で約60人の人が物資を寄せてくれたのでした。
この日は、商工会の移動販売車での流し広報、町の無線を使っての町民へのよびかけなどが動きに流れをつくりました。




明けて今日20日、昨日のとりくみの反省の上に、朝再度しっかり打ち合わせをして1日の行動に臨みました。
朝の出足は悪かったのですが、昼に近づくにつれて続々と町民が訪れてさまざまな支援物資を届けてくれました。すぐには届けられないものもたくさんあります。「こんなものでもいいか」と言いながら持ち込まれたものも多数ありました。しかし、いま必要ではなくても、これから必要になるものばかりです。事実、すでに今日は寄せられた玄米や精米9袋が青年会議所を通して現地に運ばれていきました。

今日の午後はボランティアの女性のみなさんは仕分けと梱包に全力をあげ、終わり頃にはすっきり段ボールに詰めることができました。まだ最終集約はできませんが、昨日・一昨日の記入漏れを含めると今日は100名から40数品目、数え切れない支援物資が届けられました。昨日と今日を合わせると、募金も含めて町民の約5%の世帯から直接物資が届けられたことになります。






この到達点は被害の規模に比べて砂粒よりも小さい。しかし大きな大きな支援の動きに必ずつながっていく大事な芽生えでもあるのです。

さて、一方の町の動きはどうか。私たちの動き、というより町村会や県からの指示のもとで遅ればせながら対策本部をたちあげ、町長からのよびかけが昨日から行われるようになりました。「最大限の支援をする」という町長の言葉は本当なのか。町は連休明けから緊急15品目に限って受け付けると言います。しかし、すでに毛布は十分な量に達しているという県の通達で、クリーニング協会も無料での取り扱いは中止と決めた。その状況で、果たして町はどのような対応をするのか。また、各課からそれぞれ担当を決めて集荷場と決められた公民館に集合するというが、15品目以外に持ち込まれたものは返してしまうのか。おそらく町民と役場との間で深刻な問題が引き起こされるでしょう。
この間、行政からはネットワークに対して何の連絡もなく、むしろこちらから代表者が役場に出向いて調整を行っている始末。今からでも遅くない。町長自らがネットワークに出向いて、ボランティアの助力を要請することが「最大限の努力」のまず第一歩ではないのでしょうか。ネットワーク代表・事務局の対応はきわめて明快で、「過去のいきさつは脇に置き、こうした非常時において、町からの正式要請があれば喜んで協力する」ということです。

私は、いま展開されている町民ネットワークの行動は、偶然でも思いつきでもない、ちゃんとした必然性があったと思います。
それは第1に、それぞれのメンバーのこれまでの真面目で信頼に足る長期の活動があったことです。今回のボランティア活動ではとくにKさんのグループはめざましい取り組みを展開しています。彼の人柄と行動力、それに尽きます。
そして第2は、旧サポートセンター事務局と公募委員の共通の思いです。町民の諸活動を束ね、町民サイドで活発な活動をさらに展開することをめざして議論を重ねてきた旧サポートセンター・グループがめざした活動は、実にいま眼前に展開されているこのような迅速でネットワークを駆使した支援行動でこそあったのです。
いまあげた二つのどれを欠いてもおそらく今回のような活動はできなかったでしょう。つまり、熱心ではあるが個々に、思い思いに行われてきた自主的な活動が、旧サポートセンターの議論を通して、被災地支援という一点で結びつき、強力なネットワークをつくりはじめることができたたということです。
公募委員10名とコーディネーターには、会議で展開した議論は必ずどこかで生きてくる、またどこかで集まる機会が訪れるという確信に近い思いがありました。しかし、こんな形で実現するとは誰も予想すらしなかったことです。

私たちは決して縄張り意識とかグループ意識をもってこのように言っているのではありません。もし近い将来、この地で直下型地震による大災害が発生したらどうするのか。その危機を救う一つのカギは協力な町民ネットワークの存在なのです。単に支援をすればよいのではなく、自分たち自身の問題としてこの大災害をとらえ、毎日の生活に活かしていく。その相互作用のなかで、一層支援の意味も明確になっていくのです。私たちのグループのめざしているのはそのような長いスパンでの強力なネットワークなのです。



  3月17日(木)   
毎日が大変な状態になっています。何が大変かというと、いくつものことを同時にやらなければならないこと。
午前中は、朝から今晩の会議の打ち合わせを慌ただしくして、ファンクラブニュースの最終稿の提出。そのあとはバラの会の明日からの植え付けの準備。さらにお昼には支援物資の集荷、事務所の下見と打ち合わせ、それからは夜の会議のレジメづくりとIDカードの作成。そしてようやく夜の会議、終わってからファンクラブニュースの最終仕上げ。こんなに仕事をしたこともなかった。ふ〜〜〜。

「被災地支援池田町民ネットワーク」これが正式に確認されたボランティアグループの名称です。「ボランティアセンターではちょっとね」「まぎらわしいからね」ということで、より実態を正確に反映した名称となったものです。
まず、池田町のTさんの旧レストランを借りてネットワークセンターを開設、明後日からチラシを新聞折り込みで配布し、当日から連休にむけてボランティア総動員で受付を行うことになりました。短期に必要とされている支援物資をあつめることがまず大事。一週間ほどはこれに集中して、その後の第2弾の支援物資や資金についてはまた検討すること、町や社会福祉協議会の取り組みとしっかり連携して活動を展開することなどを確認しました。
私の見る限り、池田の民間レベルでは最強の布陣と行動力の組織になりましたね。議員の皆さんや政党の皆さんは独自の取り組みがあるし、地方選挙の準備などがあるので、それらに配慮しつつも連携を強めて大きなうねりにしていかなければならないと思いました。かならずその成果がでるでしょう。


今夜は冷え込みます。明日はすでに到着したバラの苗を植える日。植える穴がカチカチに凍っていたらどうしようかと役員で話し合いました。何とか植えられる天気になってくれるといいのですが。



  3月16日(水)   
午前中、有志を募って「震災支援ボランティアセンター(仮称)」たちあげの段取りを協議しました。その結果、明日さらに具体化を詰めて、20日からセンターを開設することになりました。
その役割は、まず現地で求められている支援物資を集約し仕分けして梱包、必要な時期に送り出すこと。第2は、役場や公民館に現金や物資を届けられない人たちのところに出向き、受け取ってくること。第3は、長期の支援に備え、ボランティアを募集して登録したり、被災者の受け入れなどの体制を民間レベルで整えること、第4は、町民の連帯感や防災意識を高めることです。
そうこうするうちに、町でも支援物資を集めるという方向で対策を広げるという情報が伝わってきました。後手に回っている感は否めませんが、社会福祉協議会や公民館を窓口に対応が進められるわけですから、センターもそれに協力して一体的な支援体制が取れるように活動をすすめていくべきでしょう。
さっそく明日、さらに多くの人によびかけ、具体化をはかることになりました。

IDカードをつくるために、急遽写真を撮ることになり、参加者の1人は「オレは写真はダメなんだ・・・」。私も顔にはまるで自信がなく、この年では親を恨むわけにもいかず「同じだから、覚悟を決めて撮ってしまおう」とお互いに励まし合って、カメラに向かったのでした。いやはや、とんだ冷や汗ものでした。



  3月15日(火)   
今日は朝から町議会の傍聴。議会の冒頭、議長の音頭で震災犠牲者に黙祷を捧げました。そのあと町長が特別に発言を求めて、震災に対する町の方針を説明したのですが、結局昨日申し入れの際の対応と同じでした。
町長、副町長の説明では県に問い合わせた結果、当面支援金が必要だということで6カ所に募金箱をおいたということでしたが、役場でどのような体制をとって支援するのかについては最後まで触れられなかった。しかも、今日も役場前に掲示があるわけでもなく、これまでの海外の災害と同じ程度の募金箱が置いてあるだけ。う〜〜ん、ちょっと信じがたい。

それを見ながら、私は考えましたね。町民の多くは、何かしたいと思っている。しかし、どうしたらいいかわからない。そうこうしているうちに時間だけが過ぎていく・・・。
そこで、です。個人では無力感にさいなまれたり、やりどころのない苛立ちを感じているだけだが、力を合わせればものすごいことができる。それには、よしっと思う人がともかく立ち上がることではないかと。
動きにくい役場ではなく、町民ボランティアの活動が求められる。もちろん役場の役割を否定するわけでは決してありません。これは念のため。
現状のもとでは、町民の有志が力を合わせてボランティア支援団体を立ち上げて、復興が軌道に乗るまであらゆる支援をすべきではないのか・・・と。
それがどのようなものになるかはまだ未知数ですが、池田町民の心意気を示す場に必ずなると私は信じています。そのときは、みなさんのお力をお借りすることになります。どうぞよろしく。

写真は議員生活最後の一般質問をする山本久子議員。おつかれさまでした。


夜おそく10時半過ぎに、今度は静岡県で直下型の震度6強の地震。地震速報があってからすぐ池田町でも震度2〜3くらいの揺れが30秒ほど続きました。
東北から関東、今度は東海と地震域の幅が次第に広がってきているのが気がかり。残るのはフォッサマグナ西端の糸魚川・静岡構造線の断層地帯ということですか。
昨日から妻と地震対策についていろいろ話をして、ともかく必要なものを身近においておくことにしました。寝るときも普段着のまま。停電のために、懐中電灯と電池はすぐ近くにおいておいて・・・・。地震がおさまるまで気を抜かないことですね。



  3月14日(月)   
こんなことがあるのだろうか、まだ夢でもみているのではないのかと思うばかりの大惨事。がれきだけの更地と化した町の映像を見ながら、これはある光景そっくりだ。デジャブ。広島の長崎の、そして大空襲後の各地の姿ではないのか。
学生時代を仙台で過ごした私にとって、テレビで映し出される各地の名は何事もなければなつかしい響きを持ったはず。友人たちの消息もわからず、かつて芋煮会をやった沿岸や町にがれきだけが散乱する光景を前に、ただ手をこまねいて見ているだけのもどかしさは言いようがありません。

三陸の各地では津波から町を守るために沿岸に5メートルの防潮堤、内側にも防潮堤が築かれていた。しかし、それも乗り越えてしまった10メートルから20メートルの高さの大津波。こんなのはアメリカ映画でしかみたことがない。
こうした映像を見ながら、ここには画面には映らない被災した人々1人ひとりの生活や活動がある。津波に流されながら必死に生きようとしていた人たちの生身の身体がある。救助を待ちながら力尽きた無念の最後の一呼吸がある。想像力の限りを尽くして、それらに自らの生活と思いを重ね続けなければなければならないと思わされています。

福島の原発での危険な状態が依然として続いています。第2号炉については、ガス欠に気づかず空だきをするという信じられないミスが発覚。3つの原子炉でメルトダウンの可能性が高いという前代未聞の危機的状況です。
被爆の危険に直面しながら原子炉の暴走と闘っている作業員の方たちの努力には頭が下がりますが、それも無理矢理原子力にたよる電力供給を続けてきた無謀な政策の尻ぬぐいをしているわけですから、今回の事態が無事収束した暁には、原子力政策からの根本的な脱却を含むエネルギー政策の転換が求められます。

さて、今日はお昼に役場を訪れて、被災地・被災者支援に関する申し入れを行いました。
参加したのは共産党支部の役員、共産党議員、およびファンクラブの役員5名です。対応をしたのは勝山町長、宮嶋副町長。申し入れ事項は下記のとおりです。
まず、山本支部長が申し入れ書に基づいて要請事項を説明しました。これに対して、町長は「今朝8時から庁内会議を開き対応を検討した。その結果、とりあえず物資より資金を集めておくることにした。窓口は役場、福祉センターなど6カ所とする」と回答。
これに対して、私からは次の諸点をただしました。その一つは、物資についても今は無理としても必要なときに速やかに対応できるような体制をとっておくこと、二つには救援募金についても自治会に協力を求めるなど町民ぐるみで取り組むように町長が先頭に立つこと、三つに役場に必要な支援部署を置き、ボランティアの派遣など長期にわたる支援に備えること。
これに対して町長は、「この災害はいわば国難。できることはしなければならない」と答えました。


役場に行くと、玄関から入ったところに募金箱がおいてあるだけで、役場前に表示があるわけでもなく、町民に最大限の支援を呼びかけるわけでもなく、土日を返上して直ちに支援の体制をとった他の自治体にくらべてその取り組みの差は歴然。「国難」というのであれば、町長が率先して町民に直接支援を呼びかけるなどの「真剣さ」が必要ではないのか。やはり「想像力」の問題がからんでいる。

被災者・被災地域への緊急支援に関する要請書

ニュージーランドの友人からのお見舞いメールを受け取りました。

Shocking scenes coming out of Japan right now, hope you are ok.
Our sympathies with the people of Japan. What an incredible disaster! The big one has finally hit.
Christchurch is only now getting a full return to water and power. Whole towns have been taken out over there....

ニュージーランドでの大地震の直後でもあり、しばらく日本に住んでしょっちゅう話をしたり遊んだりした友人だけに人ごとならず思えたことでしょう。


  3月13日(日)   
テレビで映し出される宮城、三陸の海岸沿いの町の変わり果てた姿。押し寄せる津波の猛威をこれでもかと見せつけます。まだ救助・救援を待つ人々がどれほどいるかさえつかめないほどの被害です。

災害に遭わなかった私たちがまずしなければならないのは、現地で必要とされているものを直ちに届ける体制を整えることでしょう。個々にいくら焦ってもできることは限られています。無力感にさいなまれてしまいますが、知恵をしぼって可能な限りの救援を行うことが必要です。

池田町でとしてどのように対応をするのかまだ定かではありませんが、少なくとも町民に働きかけて自治体としての組織的な救援体制を取ることが必要です。とりあえず現地で緊急に必要とされるものを手配すること、第2に自治体として協力できる最大限の人的派遣(ボランティアの登録含む)を検討すること、第3に支援金を町として支出すること、第4に町民への大規模な募金活動をすすめること。
救援、復旧にかかわる作業は長期にわたりますから、いろいろな団体で様々に救援の取り組みを行うことは当然ですが、当面、自治体がイニシアチブを発揮して統一的な支援体制を取ることは急務といえます。



  3月12日(土)   
一夜明けて、想像を絶する地震と津波の規模に言葉を失ってしまいます。被害の地域があまりに広範囲なので、その実態すらつかめないほど。各地ではまだ火災が続き、流された家屋や車が炎上、コンビナートの油にも火がついているようす。津波で流された家屋や船が至る所に見られる宮城県の沿岸では、どこが海でどこが陸地かもわからないほどです。被害者の救出と援護に全力を尽くすことが最優先です。
さらに心配なのは、福島第1、第2原子力発電所の放射能漏れ。半径10キロにわたって避難指示が出されています。会社と政府の責任で最悪の事態を招かないように最大限の対策を行ってほしいものです。

今回の地震の特徴の一つは余震、関連地震が頻発していること。その範囲が広いことです。長野での地震は誘発とは限りませんが、地下にたまったエネルギーがどのようなきっかけで開放されるかわかりません。これまでも警戒がよびかけられている東海沖地震、フォッサマグナ沿いの直下型地震に注意を払う必要があります。



  3月11日(金)   
昼過ぎパソコンに向かっていたら大きな横揺れ。これはどこかそれほど遠くないところで大きな地震があったのではないかと思ってテレビをつけたら、岩手・宮城県沖で巨大地震の発生。沿岸では広い範囲で津波警報が発令され、各地の様子が映し出されていました。
まもなく到達した津波の規模はかつてないほどのもの。恐るべき水の力を見せつける映像がくり返し放映されています。
今回の地震で心配されるのは津波による被害。テレビでは家屋や船、車がいとも簡単に流され、川沿いにどんどん内陸に津波が押し寄せているのが映し出されていました。しかしその付近では車で移動する姿や、水が引いた岸壁をのぞき込む人の姿が。心配です。
こうしたときに求められるのは、自治体や警察、地域の危機管理体制。これからまだ津波が押し寄せる可能性があるので、万全の体制で警戒にあたるとともに、被害者の救出や誘導にあたってほしいものです。



  3月10日(木)   
夜は雪がちらつき、昼は日差しが戻るというくり返しで、なかなか安定した天気になってくれません。春まではもう少しかかるのでしょう。

メア日本部長の更迭を境に、差別発言の幕引きをして普天間基地移転問題に極力影響を与えないようにしようという日米政府、とりわけアメリカの意図がみえみえ。本土のメディアのスタンスは「沖縄の怒りはおさまりそうもない」と人ごと。本当に、今回のメアさんの発言は「沖縄差別発言」なのか、今日はそこから検証してみたい。

例の「ゆすり」発言は、次のような展開になっています。

-Japanese culture is a culture of "Wa" (harmony) that is based on consensus. Consensus building is important in Japanese culture. While the Japanese would call this “consensus,” they mean “extortion” and use this culture of consensus as a means of “extortion.” By pretending to seek consensus, people try to get as much money as possible. Okinawans are masters of “manipulation” and “extortion” of Tokyo.

日本の「和(調和)」を重んずる文化は意見の一致に基づいている。合意形成は日本文化において重要なものだ。日本人はこれを「合意」と呼ぶ一方、それは「ゆすり」を意味し、彼らは「合意」の文化を「ゆすり」の手段に使っている。合意を模索するとみせかけ、できるだけお金を引き出そうとするのだ。沖縄の人々は日本政府を巧みに操り、ゆすりをかける名人である。


(注)manipulationとは、市場などで人為的に価格操作などを行うなどの「巧妙な操作」や「小細工・ごまかし」を意味します。
extortionとは「ゆすり」「強要」「強奪」を意味します。

彼が言いたいことの主題は最後のセンテンスにあるように見えますが、あくまで日本国民全体を定義した上でのそれであることに注意すべきです。つまり彼が言いたいのは日本文化の特徴は「合意」=「ゆすり」であり、とくに沖縄では顕著だということなのです。
「合意形成」は日本文化に限らず、国際政治においてきわめて重要なものです。従って、彼の言う日本における「consensus(合意)」とは、ある独特の意味を持っています。
「和の文化」の圏外に置かれてきた沖縄を、「和の文化」を持つ国家権力が強権的に吸収し支配してきた歴史すら無視して、味噌もクソもいっしょにするようなメアさんの論法は通用するものではありません。ここには日本の歴史と文化に対する無知・無理解、および偏見があるだけで、つまるところ日本に対するきわめて悪質な差別発言になっているのです。

さて、次の一文はどうでしょうか。

-You should be careful about “tatemae and honne” while in Japan. Tatemae and honne is the “idea that words and actual intentions are different." While in Okinawa, I said MCAS Futenma “is not especially dangerous." My statements caused Okinawans to protest in front of my office. Although Okianwans claim MCAS Futenma is the most dangerous base in the world,they know it is not true. Fukuoka Airport and Osaka Itami Airport are just as dangerous.
-Japanese politicians do Tatemae and Honne all the time. Okinawan politicians will agree to a negotiation in Tokyo but return to Okinawa and claim they did not. The US Ambassador and other representatives to Japan are constantly criticized for speaking the truth because the Japanese culture is too focused on tatemae and honne.

日本に行ったら本音と建前に気を付けるべきだ。本音と建前とは、言葉と本当の考えが違うということだ。私が沖縄にいたころ、「普天間飛行場は特別に危険ではない」と話した。沖縄の人たちは、私の事務所の前で発言に抗議した。沖縄の人たちは普天間飛行場が世界で最も危険な飛行場だと主張するが、彼らはそれが本当のことではないと知っている。福岡空港や大阪伊丹空港だって同じように危険だ。
日本の政治家はいつも本音と建前を使う。沖縄の政治家は東京での交渉で合意しても、沖縄に帰ると合意していないと主張する。日本文化があまりにも本音と建前を重視するので、駐日米国大使や担当者は真実を話すことによって常に批判される。


ここでも、彼の言いたいことはストレートな物言いをしない(できない)日本の政治家たちに対する「不満」があふれています。おそらくこれはメアさんだけの意識ではないはずです。
彼の発言が「正直」であるのは「Tatemae and Honne(タテマエとホンネ)」(日本語がそのまま英語になっているところが面白い)という「日本文化論、日本人論」をもとに彼の「いらだち」を吐露しているところ。こうしたことに、「日本」の政府は「沖縄」の問題と見ているだけで、何らの発言も分析もしていないのはきわめて異常でしょう。
この「ホンネとタテマエ」が日本の生活の中で現在さまざまな波紋や地域での軋轢を生んでいるのは周知の事実です。国際交流や政治の中でこの問題が悪影響を及ぼさないようにすることも重要な課題でしょう。
しかし彼の文脈においては、沖縄県民は口(タテマエ)では「普天間基地は世界一危険だ」というが、ホンネは「本当のことではないと知っている」、というように恣意的で独断的な見解の裏付けに使われているだけです。明らかに彼は日本の政治家はおしなべてそうだと言いたいのです。

今回のメア日本部長の発言が、沖縄県民に対するあからさまな侮辱・差別発言であることは明白だし、こうした人物が高い地位を占めていたこと自体問題とすべきです。そして同時に、この発言が「沖縄」に限ったものとして幕引きを図ることができないことも彼の発言からすれば明白なことなのです。

蛇足ですが、この「ホンネとタテマエ」に関して、以前紹介したことのあるアンドリュー・ホルバートさん(日本語に堪能な国際ジャーナリスト)の一文を載せておきます。英文・邦文とも著者のものです。
具体的な例がたくさん書いてはあり妙に納得させられましたが、それらはあくまで特別な例で一般的なものではないだろうと一方で思いつつ、複雑な思いで読みました。
もっとも、政治の世界では保守政治家のみなさんはこの技術に堪能ですから、かなり的確に本質を言い当てているのかもしれません。みさなんはどう思われますか。

It took me many years to learn that Japan is indeed a land of lies. When people say "tatemae" (outward appearance), "taigimeibun" (basic principles), "kento shimasu" (I will consider the matter), or even "maemuki ni kentoshimasu" (I will consider in a forward looking manner), everyone knows that these expressions are equivalents of lies.

日本が実はうその国なのだ、ということを学ぶのに何年もかかった。「建前」とか「大義名分」とか「検討します」とか、たとえ「前向きに検討します」にしても、そういう言葉が使われるとき、こうした表現がうそに等しいことを、みんな承知しているのだ。(出典:Open up Japan 開国のススメ Bilingual Books)




  3月8日(火)   
市民タイムスと大糸タイムスが今日の新聞で「バラ愛好会」の活動を紹介してくれました。「最近記事が多くていつ載せられるかわからない」と記者が言っていた通り、5日後の報道。それもいっしょに出すのですから、示し合わせたのですかね。それはともかく、大きく報道してくれたので、町民の中での認知度も上がることはまちがいありません。たくさんの人に是非会員になったりお手伝いしたりしていただきたいものです。





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昨日から、ケビン・メア米国務省日本部長(前在沖米総領事)が昨年12月に米国務省内で大学生に対して行った講義が問題になっています。
沖縄県民を「ゆすりの名人」であるとか「怠惰すぎ」るとかとこれ以上ないほどの侮辱発言が明るみに出たのですが、考えてみると、これは彼の「人間性」による特別な発言なのだろうかいぶかしく思われます。なぜなら、侵略の前線基地として米軍基地を昼夜を問わず我が物顔で使い放題にしてきた実績が、すべてメアさんの言葉を裏付けているからです。あからさまに彼の「本音」が出ただけであって、「日米安全保障体制に関する米国自身の本音と建前が赤裸々に語られている」(沖縄タイムス3/8)にすぎません。
日本政府は、過去から現在に至るまで、こうしたアメリカの高圧的侮辱的な態度に「慣れ親しんで」、何でも言うことを聞くように仕込まれていますから、抗議してみたところで力が入りません。
実際枝野官房長官はルース大使に電話で「容認できない」と伝えただけで、「発言は米政府の公の立場を反映していない」と言われれば、それでおしまい。沖縄は何ら変わらないのです。

ところで、この問題について抗議した自治体があったのでしょうか。実は沖縄が問題になっていますが、これは沖縄県民に対する侮辱だけではありません。

「3分の1の人は軍隊がない方が世界はもっと平和になると思っているが、そんな人たちと話し合うのは不可能だ」
「彼らは合意と言うが、ここで言う合意とはゆすりで、日本人は合意文化をゆすりの手段に使う。合意を追い求めるふりをし、できるだけ多くの金を得ようとする」


どうです?こうしたアメリカの高官(日本通??)の発言ですよ。これほど侮辱されて、直ちに抗議しない自治体(首長)なんて、いりませんね。沖縄について彼が語っていると思うなら、とんでもない間違い。日本の三沢にも、横田にも、岩国にも置かれている米軍基地の実態は沖縄と連動しいよいよ危険を増しているのです。



  3月7日(月)   
今朝起きてみると雪。気温も零度を少し上回りそれほど寒くはなく、春の雪ですからすぐ融けるのでしょうが、思いがけず2〜3センチの積雪だったので、びっくりしました。
バラガーデンの方は昨日までに予定した作業をほとんど終えることができました。沢山の穴を掘ってそこに肥料を入れ、さらに道路脇に杭を打ち、水路もそれなりに確保して、あとはバラの到着を待つだけ。やり慣れない仕事ばかりだったので、身体が痛い。





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先日「富山県教育研究所」の事務局長をしている富山の友人から研究所報が送られてきました。
この団体は、教職員の労働実態を調査したり、国際的な教育の到達点を紹介したりと旺盛に活動をしていますが、一方でいろいろな人を講師に呼んで学習活動も行っています。
送られてきた資料には、今回のイベントとして「富山の子どもと教育を考えるシンポジウム」の開催が案内されていました。そのテーマは「教育における数値目標」。
ちらしの案内文には次のようにありました。

教育の現場を歪める「数値目標」。教員を競わせ、子どもたちを競わせ、果てることのない「悲しいマラソン」に駆り立てる「PDCAサイクル」。格差と貧困にあえぐ子どもたちを見つめ、どの子にも等しく学ぶ喜びとわかる楽しさを伝えたい教員に突きつけられる「数値目標」。

私が今回注目したのは、最近の教育現場にあたりまえのように持ち込まれて幅をきかせているこの「PDCAサイクル」という手法です。
長野県教育委員会のホームページを見ると、学校教育のページには「学力向上のためのPDCAサイクルづくり支援事業」というのがあります。「各学校の生徒の学力を向上させる一つの方法として、教育委員会が各学校でのPDCAサイクル確立を支援する事業」というのがうたい文句です。
もともとこの方法は文科省が今から3,4年前から「学力調査の結果に基づく検証改善サイクルの確立に向けた実践研究」を委託研究として指定都市に押しつけてきたものです。これにもとづく「学校改善支援プラン」に「意欲的に取り組む教委や学校には予算支援」もあり、全国の教育委員会としては「実績」をあげるためにこれに参加していったものと思われます。
富山県教育委員会も、「各学校が全国学力・学習状況調査の結果を十分活用しているとはいえない状況」があるので、「全国学力・学習状況調査の結果等を生かした検証改善サイクル(PDCAサイクル)を確立し」「教育指導の改善を重点的に進めていく」としています。

さて、このPDCAサイクルとはいったいどんな手法なのか、なぜ流り病のように全国に普及していくことになったのか。このことは現在の教育行政を考える上できわめて重要なことだと私には思えます。

もともとこのPDCAサイクルというのは、ウィキペディアQ-BPM.orgで解説しているように、企業において、商品生産の計画・実行・評価・改善の4段階を繰り返す生産管理・品質管理の方法です。
企業利益を最大にするためには、いかに効率の良い計画をたて、それを能率良く実行し、問題を早く解決し、利益に結びつけるかが労働者に要求されるわけですから、この管理システムのもとではサイクルの高度な実践者は最高の「企業戦士」ということになります。
そこで最も重視されるのは、つまるところ「数値=利益」です。
これらのことからわかるように、そもそもの発端は大企業・多国籍企業がいっそうの利益をあげるための有力な方法として開発されたものであり、財界がことあるごとに推奨してきた手法であったのです。当然のことながらこの手法の目的は、「極限までの利益の追求」です。
過去に教育に幾度となく介入してきた財界が、今日の教育支配の一つの道具として目をつけ推奨してきたのがこのシステムであり、それに基づくアクションプランなのです。

PDCAは企業にとどまらず、行政、教育など様々な分野に広がりをみせているわけですが、日本がいかにPDCA漬けになっているかを示す一つの資料をお見せしましょう。
次は、PDCAという単語でgoogle検索した国別(&言語別)のヒット数です(3月7日現在)。
全世界   約1,500,000 件(5,790,000 件と表示されることもある)
日 本(日本語) 約 426,000 件
アメリカ(英語)  約 144,000 件
イギリス(英語)  約 11,200 件
ドイツ(ドイツ語) 16,000 件
フランス(フランス語) 約 17,800 件
韓 国(韓国語)  約 26,200 件
まさしく「PDCA大国日本」ですね。異常です。

「目標をたて、それに基づく計画をつくり、実行し、それをもとの目標や計画に照らして総括し、新しい計画に結びつけていく」というこれまで普通に行われてきた方法と、一見似ているようように思えます。おそらく教育現場でも、表面的には従来やってきた方法をさらに「研ぎ澄ました」「科学的な」手法としてとらえ、違和感なく受け入れられているのではないでしょうか。
教員の管理においても、行政においても、当然のことのようにこのPDCAという用語が使われています。
従来普通に行われてきた方法とどこがどう異なるのかを解くキーワードは「数値目標」です。

教育の現場でこれが使われるとどのようなことになるか。まず、教育の主体である生徒は、P段階で、品質が管理される対象物となり、その品質計画=到達度の数値化やテストの数値目標、それに見合う授業計画の作成などが行われることになります。D段階では、定義された業務プロセスに基づいて品質が管理され、記録されます。C段階では、テストなどで業務処理状況が把握され、結果が集約・分析されます。そしてA段階ではそこで認識された課題が明らかにされ、是正措置が検討され、新しいPへとサイクルがつながっていくのです。

実際に、こうしたことがいかに馬鹿げた机上の空論であるかは日々教室で生徒と相対している教師が一番よく知っています。知っていながら、上から指示されればやらざるを得ないのが今日の教育現場だとすれば、教育の空洞化がいっそうすすみ、学校の荒廃がすすんでいくのもやむを得ないのかもしれません。

第1に、生徒は学校教育の主体、主人公であり、品質管理され数値化される対象物ではありません。もし対象物であるとすれば、教育の主体は学校長を頂点とする教師であり、それを管理する教育委員会ということになります。PDCAサイクルの手法はそのPlanの段階から階段を踏み外しているのです。
教育の目標は、主体である生徒の人格・人権を尊重し、豊かな人間形成をはかり、その「最善の利益」(注1)を実現することにあります。そのためには、どのような教育プログラムが最適であり、どれだけの時間を要するのかを教師集団の総意として作り上げることがもとめられます。その過程には教師だけではなく、保護者や生徒自身の意見表明権(注2)も考慮される必要があります。
数値目標(たとえばテストの到達度、体位・体力の向上の目標)があるとしても、それは発達段階を十分に考慮して科学的・教育的に決められるべきものです。
目標や計画の実践段階では、絶えず自らの教育実践をふりかえり、さまざまな手法を駆使し、いかに学ぶ楽しさ、新しいことを知ることの喜びを生徒につかんでもらえるかを日夜考える。そこには、具体的な数値目標では決してとらえきれない、葛藤・挫折・高揚・歓喜といった人間的な感情が入り乱れています。教師たちが連帯してそれらに立ち向かい、生徒たちの成長を促していくことこそが学校における教育実践なのです。

従って、第2に、PDCAサイクルはこうした本来豊かで多様であるべき人間活動を矮小化し、生徒を対象物(モノ)化し、単に数値としてしかとらえない方法ですから、今日求められている教育の方法とは対極にある非教育的・非教育科学的な手法だと言わなければなりません。
しかもこのPDCAは、品質(人材、商品など)を管理する手法として、競争原理を内包していることです。競争に勝たなければ最大の利益には到達し得ないわけですから、もしこれを教育に持ち込めば必然的に競争をよりあおることになってしまいます。この点こそ日本の教育の最も遅れているところであり、国際的にも批判されていることでもあるのです(注3)。
本来、教育は教育学の成果と手法、過去に積み重ねられてきた日本と世界の教育実践に依拠し、教育現場の論理に基づいて営まれるものです。教育は本質的に企業の論理とは異なるわけですから、ここでもPDCAの手法はとんでもない誤りを犯しているのです。

しかし一方で、教育現場でこの手法を推奨したり、この方法に頼りたい人たちがいることも事実です。 いくつかウエブサイトから検索してみました。

人材育成のPDCAサイクルを学校教育にも取り入れるべき−『ドキュメント ゆとり教育崩壊』
ベネッセ 小・中学校は「学力向上」の成果をどう認識しているのか
コラム:まえかわの「ま、えーか」(平成18年6月23日配信)
アクション・リサーチ(PDCAサイクル)による授業マネジメント − 教師集団としての予防こそが大事!
米っ子だより

最後の「米っ子だより」は柏崎市立米山小学校の学校便り。ここで見られるPDCAは、ことさらこのように呼ぶ必要もないほどの内容で、教育現場ではある意味で自分たちの実践に引き寄せた「自己消化」が行われていることもわかります。
ただ、こうした言葉が流行として打ち出されていけばいくほど、「無意識に」民間の品質管理の方法を取り込んでいるわけだし、教育委員会が意図的にこの手法を「民間に学べ」として学校現場に押しつけようとしているところでは、先に引用したような「果てることのない『悲しいマラソン』に(教師も生徒も)駆り立てる」ことになっていることを忘れてはなりません。

以下の引用文はARC 平野裕二の子どもの権利・国際情報サイトより。

(注1)【子どもの権利員会:総括所見:日本(第3回)】
子どもの最善の利益
37.子どもの最善の利益は児童福祉法に基づいて考慮されているという締約国の情報は認知しながらも、委員会は、1974〔1947〕年に採択された同法に、子どもの最善の利益の優越性が十分に反映されていないことに懸念とともに留意する。委員会はとくに、そのような優越性が、難民および資格外移住者である子どもを含むすべての子どもの最善の利益を統合する義務的プロセスを通じ、すべての立法に正式にかつ体系的に統合されているわけではないことを懸念する。

38. 委員会は、締約国が、あらゆる法規定において、ならびに、子どもに影響を与える司法上および行政上の決定およびプロジェクト、プログラムならびにサービスにおいて、子どもの最善の利益の原則が実施されかつ遵守されることを確保するための努力を継続しかつ強化するよう勧告する。

39.委員会は、子どものケアまたは保護に責任を負う相当数の機関が、とくに職員の数および適格性ならびに監督およびサービスの質に関して適切な基準に合致していないという報告があることに、懸念とともに留意する。

40. 委員会は、締約国が以下の措置をとるよう勧告する。
(a)そのような機関が提供するサービスの質および量を対象とし、かつ公共部門および民間部門の両方に適用されるサービス基準を発展させかつ定義するための効果的措置をとること。
(b)公共部門および民間部門の両方において、そのような基準を一貫して遵守させること。


(注2)子どもの意見の尊重
43.司法上および行政上の手続、学校、子ども施設ならびに家庭において子どもの意見は考慮されているという締約国の情報には留意しながらも、委員会は、正式な規則では年齢制限が高く定められていること、児童相談所を含む児童福祉サービスが子どもの意見をほとんど重視していないこと、学校において子どもの意見が重視される分野が限定されていること、および、政策策定プロセスにおいて子どもおよびその意見に言及されることがめったにないことを依然として懸念する。委員会は、権利を有する人間として子どもを尊重しない伝統的見解のために子どもの意見の重みが深刻に制限されていることを依然として懸念する。

44. 条約第12条および意見を聴かれる子どもの権利に関する委員会の一般的意見12号(2009年)に照らし、委員会は、締約国が、あらゆる場面(学校その他の子ども施設、家庭、地域コミュニティ、裁判所および行政機関ならびに政策策定プロセスを含む)において、自己に影響を及ぼすあらゆる事柄に関して全面的に意見を表明する子どもの権利を促進するための措置を強化するよう勧告する。


(注3)教育(職業訓練および職業指導を含む)
70.委員会は、日本の学校制度によって学業面で例外的なほど優秀な成果が達成されてきたことを認めるが、学校および大学への入学を求めて競争する子どもの人数が減少しているにも関わらず過度の競争に関する苦情の声があがり続けていることに、懸念とともに留意する。委員会はまた、このような高度に競争的な学校環境が就学年齢層の子どものいじめ、精神障害、不登校、中途退学および自殺を助長している可能性があることも、懸念する。

71. 委員会は、学業面での優秀な成果と子ども中心の能力促進とを結合させ、かつ、極端に競争的な環境によって引き起こされる悪影響を回避する目的で、締約国が学校制度および大学教育制度を再検討するよう勧告する。
これとの関連で、締約国は、教育の目的に関する委員会の一般的意見1号(2001年)を考慮するよう奨励される。委員会はまた、締約国が、子ども同士のいじめと闘う努力を強化し、かつそのような措置の策定に子どもたちの意見を取り入れるよう勧告する。




  3月3日(木)   
いよいよバラの植え付けの準備作業開始です。冬型の気圧配置が強まって夕べから雪になり、今朝の状況が心配でしたが、起きてみると晴れ間が広がって山もきれいに見え始めていました。天もまた味方してくれたかという良いお天気になりました。

午前9時過ぎには予定していた11名がガーデン予定地に集結。あまりに寒いので、たき火をしながら今日の作業の打ち合わせ。その後、穴掘り隊長のYさんの指示で、あらかじめ石灰で印をつけておいた場所にそれぞれ散らばって穴掘りの開始です。
直径50センチ、深さ50センチの穴を掘っていくのですが、石混じりの土なので深くなるほど掘りづらくなかなか大変。それでも沢山の人の力というのは偉大ですね。お昼を待たずにどんどんはかどって、予定よりはるかに沢山の穴をあけることができました。
途中から市民タイムスと大糸タイムスの記者が取材に来てくれて、私からいろいろ聞き出していました。「場所がいいですねえ」と言いながら、他のメンバーにも話を聞いたりしながら長時間取材をしていきました。明日か明後日の新聞で紹介されるでしょう。これを見て、会員になったり手伝ったりしてくれる人が増えるといいんですけど。






午後からは、すでに交付決定済みの「元気な町づくり支援金」の申請に役場へ。今日までにほぼ領収書がそろったので、写真などをそえて交付金の請求用紙を届けに行ったのです。
このあと、3月15日にはバラの苗がとどき、いよいよ待ちに待った苗の植え付けが始まります。早く暖かくなってほしいものです。

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次は今日の市民タイムスに載った、「議員定数削減」に関する記事。
「現在、欠員1の11人で活動していても支障は出ていない」とは一体どういうことなんでしょうね。
そうそう、協議会長にもう一つお聞きしたいことがありました。自治会の役員で、町議会を毎回欠かさず傍聴していらっしゃる方は何人いらっしゃいますか?もちろん、1日または2日の一般質問の日程すべてを通してですよ。
お答えがあれば、それが本当かウソかすぐにわかります。なぜなら毎回通し(仕事や病気の時は除く)で傍聴しているのは、私や薄井・牛越両氏を含む町政研究会のメンバー以外ではきわめて少数だからです。
ろくに議会を傍聴もせず、議員が普段どのように活動しているのかを評価することもせず、何を根拠に「支障が出ていない」とおっしゃるのでしょうか。私にはまるでわかりません。
共産党を除く議員のみなさんは、一般質問ではたいてい1時間の質問持ち時間のかなりを残されるような議会だし、答弁する方もとりたてて聞くほどの内容もありませんから、私のように律儀に毎回傍聴していなくてもわかるのかな。というわけですから、3人、4人と議員に欠員が出ても多分「支障がない」とおっしゃるんじゃないでしょうかね。ひょっとしたら町長不在でも支障がないかもしれませんよ。自治会長さん。





  3月2日(水)   
信濃毎日新聞に、池田町の自治会協議会が「4月の地方選挙から議員定数を減らすように陳情した」という記事が出ていました。これを見てからずっと気分が悪い。
すでに候補者が名乗りをあげて選挙の準備にとりかかっていることや、昨年末に議会が定数を12のままとすると決めたことなどを考えると、なぜこの時期に「陳情」なのか、全くわかりません。

私は定数をどうするかについては、住民のなかで十分に議論し、場合によってはアンケートをとるなり住民投票をするなりして、議会で最終決定をすればよいと思っています。ところがこの記事によれば、自治会協議会長は「選挙が近づき、住民から定数削減を求める声が高まっている」と説明したとのこと。
では協議会長さんにお聞きしますが、自治会の各代表はどこでどのように住民の声を聞いたのでしょうか。また、自治会がそれぞれの集落ごとの会合でどれほど議会の定数について話題とし、資料なども配りながら説明したり議論したりしたというのでしょうか。このことについて具体的な根拠を聞かれれば全く回答不能になるのではありませんか。
住民の中に議員定数が多いという声があるのは私もよく知っています。「議員定数をへらすべきだ」という声の背景には、「いまのような議員ならへらせ」とか「なり手がない」などという議会への後ろ向きの考えが多く含まれていることも承知しています。しかし反面、現行で行くべきだという声も少なからずあるのです。根拠も示さずに一方的に減らすべきだという声だけを強調するのはフェアではありません。
かつて池田町では、地方「行革」の流れの中で、平成19年の選挙から定数が15から12に減らされました。17年には「池田町行政改革推進委員会」が「議員定数については、議会で検討され、現行15名を12名に定数改正がなされましたが、町行財政規模の現状及び将来見通し、並びに全国及び県内町村の改定状況等を勘案しますと10名が望ましいと考えますので、再度議会において検討されたい」と答申しているのはその「行革」の流れに沿ったものといえるでしょう。

ところで議員定数というのは何なのでしょうか。代議制民主主義の原則からいって、どれだけの議員が望ましいのかは、おそらく「民主主義の成熟度」によって決まるものなのでしょう。
つまり代議制の原則から言えば、住民を代表する議員が多ければ(=議員1人あたりの住民数が少なければ)それだけ民意を反映できるということであり、一方で財政や議会の運営から言えば、ある程度の線引きは必要になるというそのバランスの問題ということです。当然、議会のあり方(年4回の昼間の定例会の開催や、議員報酬、議会と住民との関係など)との関係も視野に入れるべきでしょう。
ところが現在の議論は「カネ」だけです。要するに「財源が足りないから議員定数も、議員歳費もみ〜んな減らせ」と言っているに過ぎないのではありませんか。
それゆえ、町長から以前その話がでたときに、「どうぞどうぞうんと減らして下さい、5名くらいでもいいんじゃないですか」と揶揄したことがありました。もし議員定数を言うなら、町長と特別職の歳費を半分にしてボーナスもゼロにするとかも合わせて提案してもらわないと。この声は町民の声ではないのですか?勝山さん。
「議員が少数精鋭」とは一体何なんでしょうか。「自治会も住民代表」だから「町はこの陳情をよくよく考えて判断しろよ」というのには恐れ入りました。ここまでくると議会というのは本当に要らないんじゃないかと考えてしまいます。

町長の見解からも、自治会代表の議論からも、議会のあり方を根本から問う姿勢や、どのような議会が望ましいのかを考える方向が全く見えてきません。むしろ代議制をとっている今日の政治の体制そのものを崩していきかねない危険な論調を含んでいるとさえ思えます。
私は町長と自治会の代表のみなさんに一つだけお伺いします。「何をもって池田町の議員が多いとおっしゃるのでしょうか」

私は朝からずっと、長野県下の町村(市は除く)の人口と議員数をネットや電話で調べ、議員1人あたりの人口を計算しておりました。町長も自治会長のみなさんは、地方自治法やこうしたデータを見た上で定数問題を議論されているのでしょうね。きっと。

長野県内での特徴は、人口の多い町で定数引き下げの傾向が顕著なこと。しかし一方で、現在議員定数が10になっているのは、南箕輪村を除けば人口が5千人台以下の町村くらい。4〜5000人の町でも12人という定数の町村はいくらでもあるのです。数百人の人口にもかかわらず議員8人というある村の方は、電話の中で「それ以上減らすと議会がなりたたない」とおっしゃっていました。
私が長野県内の町村の実態を調べた限りでは、「町の今後の人口の増減から考えても定数12は多くない」のです。
私は1万人規模なら議員は15人いても少しもおかしくないと思っています。法定の上限は22人ですから。地方自治法第2編第6章91条で定数の上限が定められているのには、歴史的な根拠があることをよく考えておく必要があります。もちろん住民の中で歴史や他市町村の動向、議会のあり方などをよく議論して、その結果が10人でもいっこうに構わない。そのときはその10人の議員には現在の2倍も3倍も働いてもらわないといけませんけどね。1人の議員で多くの住民を代表するわけですから当然です。

ただ、私がいま問題にしているのは「民主的な手続き」のことです。池田町ではこの点が最も欠けているのです。このことは本当に声を大にして言わなければならない。
議会制度のような民主主義の根幹にかかわる問題については、それなりの時間をかけていろんな方法で住民の意見を集約し、議会でも住民の中でもしっかり議論をするという手続きがいるのです。
その手続きを欠落させたまま、住民の一部の意見に迎合して議員を減らしたほうがいいなどとする安易な議論には私は与することはできません。
町議会は毅然として現行の定数を貫くべきです。そして、新しい議会のもとで、住民の参加を求めて議会のあり方や議員定数のあり方を議論していくべきだと考えます。

長野県内町村の議員定数および議員1人あたりの人口
地方公共団体の議員数について(「地方分権推進会議」資料)

議員定数の資料は私がまとめたものです。もしこれを使いたい場合はご連絡下さい。



  3月1日(火)   
午前中はバラの会の役員会を開いて3日からの準備。石灰で苗を植える位置を決めたり、ラインを引いたりと忙しかった。
予定した土地に苗を植えるとなると200本近くの苗が必要で、今回植えるのは70〜80本。持ち寄りの苗を含めても100本には届かないので、これからさらに会員を募って植える苗を増やさないといけません。
空いた土地にはいろいろな花を植えればいいので、さしあたりは問題なし。5〜6月にはそれなりにガーデンらしくなるだろうと期待しています。

先日、有機農業をやっている知人から話を聞く機会があって、その際農薬のことをいろいろ教えてもらいました。
中国からの冷凍食品やオモチャなどからいろいろな残留農薬や薬品が検出されたという話題が一昨年来マスコミで取り上げられていたために、さぞ日本の基準は厳しいのだろうと勝手に考えていたのです(多分多くの人はそう信じている??)が、実は最近多用されている殺虫剤であるネオニコチノイド系の農薬の基準を見てびっくり。(現行基準値は日本の欄の「改正案」の方です)




現在イネや野菜、果物、花などの病害虫予防に広く使われているネオニコチノイド系の農薬は20年くらい前から使われているアセタミプリド、イミダクロプリドなどに加えて、クロアチアニジン、ジノテフランなどの新しい薬が使われるようになり、図1のようにその使用量は過去10年間で3倍にもなっているのです。しかもこの薬の主成分であるネオニコチノイドはニコチンの化学式と酷似し、浸透性・残効性・神経毒性があり、ミツバチの神経を犯して方向感覚を麻痺させたり、人体への影響が懸念されています。
そうした毒性をもつものであるにもかかわらず、図2のように日本でのアセタミプリドの残留農薬基準値は欧米に比べて1.7〜25倍、EUに比べて3〜500倍という高さ。「ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議」の資料によれば、「日本の農薬使用量が欧米より格段に多いため、欧米の基準値まで下げられないことが原因の一つであることが原因の一つであると考えられ」ると指摘しています。
この農薬の特徴は、浸透性があるために根から吸収され内部から殺虫効果を発揮するため、洗っても落ちず、「蜜、花粉、水などに含まれるネオニコチノイドを口から摂取する方が毒性が10倍以上強くなることが明らかになってい」るとも書いています。
説明をしてくれた知人は、「ネオニコチノイドがニコチンと同じ毒性を持つということを知ったある人は、キッパリとたばこを止めてしまった」と話していました。う〜〜〜ん。説得力がありますね。

ここまでは知人の話と「国民会議」の資料からの引用。 ネット上では、まずWikipediaの記事が参考になります。
ここでは欧米と日本との対応の違いが鮮明に指摘されています。是非直接あたってみてください。
以下のような日本の対応は一体どういうことなのでしょうか。おそらく現在日本を覆い尽くそうとしている「効率主義」「もうけ主義」の産物ということなのでしょうか。貧すれば鈍す。

2010年現在、不足したミツバチをどう間に合わせるかといった、きわめて近視眼的な対応にとどまっている。ネオニコチノイド系農薬の危険性を問題としていないだけでなく、ミツバチ不足問題が今後引き起こす可能性がある食糧問題や、農業の在り方を見直す対策には、一切向き合おうとしていない。

だとすれば、これからのバラ作りも農薬に頼るのではなく、オーガニックガーデンをめざして研究を重ねないといけないでしょうね。学習と実践の必要性を痛感しました。

夜になって少し時間が取れたので、1ヶ月前まで翻訳していた「Permaculture in Japan」を引っ張り出して、ちょっと訳してみました。相変わらずダメですね。単語力が全然ない上に、長い文章の途中で息が切れてしまう。30数行読んで挫折。また機会をみて読み直すことにしましょう。
一番の問題は、何度も出てきた単語がさっぱり身についていないこと。同じように辞書を引いては、情けない気持ちに。単語帳をつけて、覚えるように特別の努力をしないといけないようです。生徒に笑われてしまう。

外国人が日本の伝統食を見る場合、目の付けどころが少し私たちとは違うような気がしました。というのは、確かに雑穀や有機農法による野菜はかなり浸透しているしこれからの生活では特別に必要なものとなるでしょうが、日本中すぐにそうできるわけではない。
私にはかつて、有機農法や自然農法がある種「宗教的」なニオイをともなって眼前に現れた経験があります。そうしたことから脱却し、普遍的な価値として有機農業を再構築する必要を感じているので、そうした問題意識をもちつつ慎重にこの体験記を読んでみなければなりません。




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