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  3月25日(日)    
午後から寒くなり、また雪がちらつき始めました。木々には雪がかかってまるで桜が咲いたような風情。そういえば昨年の今頃、旧田中会館で被災地支援の救援物資を集めていた頃もずいぶん寒かった記憶があります。
昨年は3月25日から4月4日までの沖縄行き。今年は26日から4月2日までの一週間ですから昨年よりは短い。今日はいつもハルちゃんの世話をお願いしている方に来ていただいて、いない間の家の管理について打ち合わせ。
沖縄は着いた日から3日間はカラッとした晴天で、気温は20度の予報。その後曇りから雨に変わり4月に入って回復するということのようです。その間の気温は20度から23度。とても過ごしやすいのではないかと思います。
今日は朝から行事があって、午後遅くに家についてから大慌てで旅行の準備。午後7時頃ようやく完了しました。あとは、行程どおりうまくいくように願うだけです。

今日の午前中は共産党とファンクラブ共催の演説会「早春のつどい=国の未来が見えてくる」があり、2人で参加しました。講演者は長野2区予定候補の北村正広さんと、北信越ブロック予定候補の藤野やすふみさん。北村さんは親しみやすい口調で消費税のからくりと野田政権が「命をかける」として導入を急いでいるねらいを歯切れ良く説明してくれました。また藤野さんは、なかなかのイケメンですがちょっとひ弱な印象を受けるので、話はどうなるのかと思っていましたら、さすが衆議院議員の秘書を長くつとめ中央委員会の政策担当として活躍してきた経歴をいかんなく発揮、とりわけ橋下大阪市長のあの「維新八策」などというシロモノは、小泉内閣の政策を担当していた面々である堺屋太一、野村修也(いずれも大阪市特別顧問)などのブレーンが今度は大阪に来て橋下に登用されて作成したものであって、「産業の淘汰をすすめる」「規制緩和で国際競争力をつける」などという政策の中身は小泉構造改革路線そのものであるという指摘には納得がいきました。共産党の中央が候補とするだけのことがありますね。
参考までにネットで特別顧問について調べてみると、次のようなニュース(毎日.jp)が。

ブレーンとして民間人から任用している特別顧問・特別参与が計50人に上り、報酬も市長就任前の2倍以上に引き上げられたことが分かった。
職員給与は来年度から平均7%カットするが、「(ブレーンは)しかるべき待遇をしないといけない」との理由から、拘束時間の長さによって日額2万〜5万円台を支給。顧問・参与は政策決定過程に深く関与しており、重用ぶりが際立っている。


分かれ際藤野さんに、私の大学時代の友人が故上田耕一郎議員の秘書をしていたことを話して知っているか尋ねたら、よく知っており「秘書になった頃からずいぶん世話になった」と話していました。いろいろなつながりを感じます。




午後からは、地元の滝沢自治会(4つの木戸で構成、それぞれ常会を置いて運営している)の総会。長丁場で腰がいたくなり足がしびれ、なかなか大変でした。
今回の常会では規約改正案が提出され、実態にあわせた部分的な改訂が行われました。私からは「規約には、これまで部分的な手直しで推移してきた経過から不整合な点や曖昧な部分があり、一度専門委員会を設置して全体の見直しと整理を行ったらどうか」という提案をしました。本則もさることながら、震災対策の「自主防災会規定」が実行あるものになっていないきらいがあること、高齢化に対応し原則的で柔軟な規約にしておく必要性があることなどが気になっていたからです。
これについては執行部は受け止めて、新年度各常会から2名の委員を選んで一年間原案づくりに取り組んでいくことになりました。



  3月24日(土)    
先日、女川の高野さんがある資料をおくってくれました。本当は今月号の共産党ファンクラブニュースの高野さんの記事の中で紹介したかったのですが、紙面の関係で果たせなかったもの。それは女川町の財政資料で、電源関係のお金がどれほど膨大に自治体に流れ込んでいるかを示す数字です。
まずは次の表をご覧あれ。


歳入の中で電源関係が半分ほどを占めています。また歳入が3回も上がり下がりしていることに気がつきます。義務的経費はほとんど変わりませんから、主に電源関係の歳入の増減にその原因があることは明らか。次の表がそれをはっきりと示しています。


原子炉が運転を開始したあとは年ごとに固定資産税、電源3法の交付金は減少します。同時にそれによって作られた大型の施設などの維持費が嵩んできますから財政は苦しくなる。麻薬と同じ(聞きかじっているだけですが)で、切れると禁断症状が激しくなる。もっと欲しくなるという理屈がよくわかります。
女川ではこうして次々と原子炉が稼働し始めるのです。はじめの表で言えば、財政力指数(基準財政収入額を基準財政需要額で割った数値)が平成8年度以降ずっと1を超えていますから、当然地方交付税なしの優良自治体ということになります。しかし、震災前はそれも1に限りなく近づいていたのです。
震災後、女川では原発反対が約6割になったといいます。あとの4割は積極的に賛成というわけではなく条件付きということでしょうが、それにしてもこの期に及んでまだそんなに・・と愕然とします。沖縄の基地と同じで財政面で締め上げられれ後がないとなれば、背に腹はかえられないということなのでしょう。
この国の「民意」とは決して上から押さえつけられ誘導されたというより、むしろ自発的であることの方が多い。だからやっかいです。

あとは高野さんのレポート(PDFファイルがリンク)を是非お読み下さい。


上でのべたことは大阪の教育・職員条例問題でも同じように言えます。その背景には「事実を知らない」「大メディアの流す情報で判断する」ことがあるし、それが圧倒的なのです。

大阪府議会では23日の本会議で「大阪府教育行政基本条例案」「大阪府立学校条例案」「職員基本条例案」が「維新の会」、自民、公明の賛成で可決・成立させられました。
ナベツネさんの橋下ヒトラー発言が物議をかもしているようですけれど、私はある意味でファシズムの地域版、あるいはその実験だと思っています。
橋下さんはその著書で、府庁内でも議論を徹底して行ったということを再三にわたって述べています。権力を持つものが部下と徹底して討論すると自著でのべても、それがどのような目的でどのように行われたのかを第3者的に検証しない限り素直には信じることはできません。大阪府の教育委員が全員反対する「条例案」について、彼は持論を述べて強行するわけですから、その討論の方向も内容も為にするものと言われても仕方がないでしょう。
大阪の教育は昨日をもって死亡宣告が下されたと言っても過言ではないと私は判断します。府下の教職員には厳冬の始まり。子どもたちと父母にとっては受難の時代の幕開き。その結果は数年経たずに現れることでしょう。
現象的には、締め付けによって一時的に学力が回復したかに見えたり、成績を上げようとしてそれなりに突っ走る傾向も出てくるかもしれません。しかし、強制と管理の教育のもとでは必ず組織は腐敗する。救いがたく崩壊する。その破綻が明らかになったとき、誰が責任をとるのでしょうか。そこからの回復は、壊すときとは比較にならないくらいの莫大なエネルギーが必要となるのです。



  3月23日(金)    
朝からみぞれ交じりの冷たい雨が降って、気が滅入ってしまいそう。
昨日で、すべてのマシンの整備が終了しあとはどのように使うかを考えるだけです。それはともかく友人のノートのハードディスクを交換しようとして注文した2.5インチのドライブがフォーマットできない。一度ショップに連絡して見てもらったが、向こうの環境ではフォーマットができると言って、そのまま送り返して貰いました。ところが、今日家でやってみてもやはりダメ。ショップのサポートに電話して聞いてみたら、「送り返して貰っても良いけれど、こちらでフォーマットできればそのまま返すことになる。ケースとの相性も考えられる」という素っ気ない返事がかえってきました。ケースとの相性と言われればどうしようもない。ケースごと送ってもケースはそのショップで買ったものではないし、だいいちこんな症状は何十台、何百台のハードディスクを扱っていて初めてだから問い合わせたのに、このショップのサポートの対応は何なんでしょうね。これ以上話していてもムダだと思って電話を切ってしまいました。
相手が何を言いたいのか、その腹の内に入ってしっかり聞き取り最善の対応をする、さらには多少ショップの持ち出しがあっても、もっと大きなことのために丁寧に対応する、こうした態度が最近のショップから消えてきています。昔のアップルの対面修理がなつかしい。何しろ人間的な結びつきや信頼の関係がしっかりできていましたもんね。
今まで長い間買い物をしてきたF社しかり、その対応に頭に来てショップを変えた今回のド社しかり。結局こうして名のあるショップといえど、固定客を失っていくのでしょう。この2つからはもう2度と買い物はしません。そしてしばらく続いたパソコン漬けの日々はこれで終了です。

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今日の「しんぶん赤旗」に沖縄の歴史研究者の大城将保さんが「慰安婦・住民虐殺削除の不見識」という一文を寄せていました。
世界遺産になっている首里城の地下には旧沖縄守備軍(第32軍)の司令部壕跡(写真:昨年撮ったもの)が残っており、その説明文を県が専門家に依頼して作成させました。ところが今年の2月、県の一方的な判断でその文案中から「慰安婦」という言葉も「(日本軍による)住民虐殺」という文言も削除してしまったために大問題になったのです。


大城さんは、当時軍司令部内に30数名の日本軍「慰安婦」が配属されていたことは軍司令部日録に名簿まで記載されており、公然の事実であること。また1人の女性が壕付近でスパイ容疑によって衆人環視の中で斬殺された事件は多くの目撃証言で明らかであることなどを示し、県の「確証がないから」という言い逃れを告発しています。

そのあと、大城さんは戦争体験を歴史的に位置づけるときに、被害体験、加害体験、抵抗体験の3つの確度から光を当てる必要があるとのべ、沖縄戦の歴史をたどりながらそれを跡づけています。これは非常に重要な指摘だと私は思います。
従来被害者の立場からだけではなく、加害者の立場からも戦争の実相を明らかにすべきだということはよく言われてきました。大城さんは、沖縄での「抵抗体験」は「集団自決」の強要や、「捕虜になる者はスパイとみなして処刑する」という軍命令に逆らって「命(ぬち)どぅ宝」を合い言葉に集団で投降、あるいは脱走する行為に象徴されると書いています。

昨年以来八重山で育鵬社版教科書の採択を強要しようとする動きが激しくなった一例からも分かるとおり、沖縄の中ですら「逆流」がこのところかなり強くなっていると思われます。県の今回のかたくなな態度もその流れの1つと言えます。
それは当然「本土」からのさまざまな働きかけ、自衛隊の基地誘致、アメリカと日本政府による経済的な利益誘導などと無関係ではありません。いや、むしろ積極的な後押しに激励された行動であるとさえいえるでしょう。

ここから、私自身の問題意識になりますが、ドイツと異なって何故にこの日本においてこれほどまでに、あの侵略戦争を美化したり、従軍「慰安婦」は単なる商売としての職業慰安婦だったのだと言ってみたり、「集団自決」(実際は住民による殺し合い)には軍命はなかったと主張しようとするのか。これらはくりかえし巻き返し、新しい装いをまとって再生産されています。
私なりの仮説をいえば、戦後の日本が置かれた特殊な位置、つまり大本営幹部も含め旧日本軍の主要な人物が戦後も社会の主要な位置を占め続けたこと。それをアメリカが極東での軍事戦略と経済進出に利用し、それで利益を得る人間を幾重にも重なった階層として作り出してきたこと(大企業・商社の経営者、議員、官僚、大メディア、研究者、知識人など)。この2つはお互いに利益を共有しながら、いわば日本とアメリカの利益共同体として膨らみ続けてきたのです。
そこにこうした戦前の軍国主義、帝国主義の社会体制とそのもとでの犯罪を免罪しようとする動きの経済的・政治的な背景がある。民主化が上から行われたことによって、国民の精神的な転回は起こらず、根本的にこれを克服することはできなかったばかりか、その精神的な弱点を利用しつつ勢力を伸ばしてきたといえるのではないのか。
日本におけるもう1つの特徴は、大メディアへの官界財界による人的な支配および日米合作での戦後教育の改変です。
大メディアは今ではすっかり政権政党やアメリカのお先棒を担ぐ存在になりはててしまいました。戦後の憲法・教育基本法体系をくずしてきたのは、「国体護持」の戦後版「愛国心を植え付け、少数の財界に役立つ少数のエリートとものいわぬ多数をつくるためでした。そこでは教師もまた管理され「国家」目的にそった教育を行うように仕向けられていきます。

それを仕組む側は必然的に事実から目を背け一方的な解釈を押しつける以外にない。だとすれば、大城さんの言う抵抗体験が極めて重要な意味を持ってきます。歴史を住民の側から丁寧にときほぐし、住民の視点で編み直すとともに、今日これほどまでに「思考停止」を強要してくる歴史修正主義の流れ、大メディアの論調、勤労国民から乖離した自公民の政治を真正面に受け止め、批判し抜くことです。それには、丁寧で緻密な一つ一つの取り組みがいる。説得力をもたなければなりません。
民主主義は、ある意味ではわかりやすくない。橋下や小泉のように端的に表現することがなかなかできない。しかしそれではいけないのです。それへの対抗軸を住民の側にどっかりと据え、できる限りわかりやすく道筋を示していかなければならないのです。
若い世代に、このことを伝えられるのは戦中・戦後まもなくを生きた60代以上の人たちです。

いよいよ3日後からまた沖縄です。新しい何かをつかんでこられるようにしなければ。



  3月22日(木)    
悪いことは重なるといいますが、今から10年以上前に組み立てたパソコンが壊れた。予兆はあったので、何となく異音がすると思っていたのです。今日起動してみるとビープ音。マイクロATXの狭い本体なので、部品を取り外すのも容易ではありません。多分ハードディスクの寿命だろうと見当をつけて、別のものを取り付けてみたら案の定正解。またまたOSを入れ替える羽目になってしまいました。これはあくまでサブマシンとして使っていたので、とくにデータの保存に問題はなく、ただ入れ替えればいいだけ。とはいえ、XP_SP2からアップデートをかけるだけで相当な時間、それにいろんなソフトを入れ込んでいくとそれだけで半日がかりになってしまいます。余計な時間を取られてしまった。このマシンで使っているマザーボードはA-OpenのMX3S-Tという結構すぐれもの。2000年の発売と言うことですからもう10年以上前のマザーです。コンデンサーのふくらみもなく順調に動いてくれているので、マザーの故障でなくてよかった。


午後からは、大学に合格した生徒2人に「合格したらビビンバ」の約束を守らされて、焼き肉屋に出かけました。大町の店に行く予定が、どこも定休日。しかたなく豊科までドライブに。彼女らは念願の石焼きビビンバにありついて、いやいやよく食べること。今日ばかりは先生ではなく「お父さん」として財布の中身を心配しながらも、最後までおつきあいしました。
1人は障害児教育、もう1人は心理学専攻。「大学では勉強しなくっちゃ」といいつつも、アルバイトや車の免許のことなどを心配するあたり、もう「女子大生」の雰囲気でした。「また連れて行って下さい」・・・別れ際の言葉。中学生のころからのつきあいですから、もう5年近くも塾に来てくれた彼女ら。あと数年もすればどうなっているのでしょうか。


豊科からの帰り道、すぐ前を走っていた名古屋ナンバーの車が突然対向車線にはみ出し、向こうからきた車とあわや正面衝突。多分居眠り運転だったのでしょう。
何とか直前で回避したからよかったものの、ぶつかっていれば、こっちにもとばっちりが来たかもしれません。対向車線でぶつかられそうになった軽のおばさんは、肝をつぶしたことでしょう。本当に何事もなくてよかった。



  3月21日(水)    
「ずいぶんお金使ってしまったけど、これで最後。でも道楽だよね」と私。
「道楽って、お金がなくてもするらしいよ」と意味ありげに妻。
「女道楽じゃあるまいし、もしそうならお金を貢いでもらえるかな」
「んなわけないでしょう」
「そうだよねえ。あのDVDの映像をみたら我ながらゲッソリだからねえ。我と我が身を省みてせいぜいパソコンと仲良しになるか」
「そりゃ、私もあんなに画面一杯に写されたら穴にでも入りたくなるわよ」
「お互い様か」
・・・と今朝の夫婦の会話。
パソコンに熱中している私を見て、笑っている妻でありました。

というわけで、今日もまたパソコンの話題です。

娘がこわれた古いパソコンを置いていったことを思い出して、中身を全部はずし箱だけ使えることを思いついた。思いついたら100年目、余分に買ってしまったマザーボード、CPU、電源、それにいままではずして保存していたハードディスクやボード類を寄せ集めて一台のへんてこなパソコンを組み立ててしまったのです。当然このマシンは念願の高性能Linux機ですよん。
グラフィックボードだけは昨日完成したものからとりはずし、こっちにつけかえることにしました。Windows7機には新しいボードをつけることにしましたけど・・・。
問題は動くかどうか。修理に出したいわくつきのマザーですから。恐る恐る電源を投入してみたら、実にあっさりと動いてくれた。まったく!
組み立てからUbuntu11.10を入れ終わるまでほんの2時間くらい。いままで何をやってきたのかと思いましたね。
Linuxのいいところはチップセットとかドライバーとかをほとんど気にしなくてもいいこと。あらかじめさまざまなドライバが組み込まれているので、たとえば10年くらい前のサウンドボードCreative Sound Blaster Live!5.1もちゃんと認識してくれました。最高!


基本仕様は、次のとおりです。
マザーボード MSI Z68A-GD80
CPU Intel Core i7 2700K(マザー同様壊れたと思っていた)
電源 Owltech AURUM Series AU600 BK
DVD Pioneer DVR-S17J-BK
HDD Western Digital WD10EARX 1TB
Seagate Baracuda 300GB
グラフィック ASUS EN8500GT SILENT
サウンド Creative Sound Blaster Live! 5.1
ただし、ケースだけは正体不明の15年くらい前のペコペコしたものなのですが、ま、いっか。
あとはケースファンを2個取り付ければ完成です。

うひゃ〜〜。Linuxにはもったいないくらい。昨日できたてのマシンより豪華じゃない?? そのうちCPUは前のマシンと付け替えなきゃね。ショップにピン折れでマザーとCPUごととりかえないといけないなどと言われてショックだったから、喜びもひとしお。ちゃんと生き返りましたからね。末永く使いつづけるつもりです。
こうなったら、この寄せ集めマシンがメインマシンです。仕事に応じて、当分これまでのXP、7を使い分けるという「Eyes Only」(ドラマDark Angel)的生活になるのですよ。うれしいけれど・・・Eyes OnlyのメインマシンはMacだったよなあ。Mac Userがかくも落ちぶれてしまった一抹のさみしさはどうしようもありません。

このあとはLinux機で文書作成や新聞・チラシの作成、ホームページの作成がこれ一台でできるようにソフトの環境を整えることです。文書はLibreOfficeがMicrosoft Officeとほとんど同じ環境を与えてくれるし、画像関係はGimpはじめいろんなソフトがある。一番弱いのはドローソフト。いまのところIllustratorに匹敵するオープンソースのソフトはないからこれだけはWindows、Macに頼らないとだめです。
サーバー機能はむしろLinuxが本業だし、音楽もiTunesにはかなわないとしてもいろんなソフトが開発されているから、むしろいろいろ試してみる楽しみがあります。
Ubuntu11.10になって、デスクトップはどちらかというとMac OSXに似ているので、まったく違和感なく使えます。日本語入力もATOKに似た使用感でこれも快適。
RNN Classicalの音楽配信を聞きながら作業できるのは何とも優雅なデジタル暮らし。え?束の間の・・・?



  3月20日(火)    
昨日は高校合格発表の日。塾に通っていた10名近くの中3生はいずれも無事念願の高校に全員合格を果たしました。今頃は、のびのびとはしゃぎ回っていることでしょう。

さすがに春分の日ともなると日の長さが実感できます。6時というのにまだ明るさが残っています。これからどんどん日が長くなっていくのでしょう。
朝はまだ氷が張る寒さですが、まわりの畑では、もう農作業をはじめた農家の人たちが。氷を割っていよいよ春が本格的に動き出したというこの頃です。
さて、午前中はファンクラブニュースの校正とwindows7マシンの微調整。新規ソフトのインストールで終わり。午後は、ニュースの内容について関係者と話をしたり、買い物をしたり、友人のパソコンの故障の相談に乗ったりして過ぎていきました。しばらくデスクトップ機をあずかることになりそうです。

どうやら私は、パソコンが前にあれば何時間でも時間がつぶせるらしい。よく飽きもせず、次から次へと課題を見つけては挑戦できると我ながら呆れています。
その1つの理由は、完成したマシンの「美しさ」に惹かれるということにあるのかもしれません。完璧にソフトが動ききびきびと動作する、矛盾なくパーツが連携する、それらに自分が関わっているという実感が持てるからなのかなあ。
ソフトよりハード。しかし、より根源的なシステムやプログラミングのことになると完全にカヤの外ですから、やはりドがつくシロウトなのです。
もっと若いときからプログラミングなどに関心を寄せていれば、もう少し違ったことができたかも。

でも、でもですね、新しいマシンは、速い、静か、すっきり、きれい。何千、何万の技術者の粋が結集されているんですもんね。数年前からみても格段の進歩を感じます。
Windowsは7になってようやくMacと互角のOSになってきたんじゃないですかね。しかし、そうなった分、アプリケーションもそれに対応しなければならないわけで、ユーザーからすればバージョンアップするために出費を強いられるので、ばかばかしい。印刷業者などはとくにそうでしょう。ソフトだけじゃありませんから。

ところで、昨日はフォントについては貧相だと書いていましたが、今日試しに古いTrue Type Fontsを入れてみたら、ある方法でインストールできて問題なく使えました。これはありがたかった。インストーラでは入れられなくても直接コピーでOK。
また、長い間放置してあったIllustrator5.0やPhotoshop5.0も体験版としてインストールしました。使用期間の1ヶ月のうちに結論を出すことにしましょう。しばらくはこのマシンで遊ぶことができます。ルンルン。

参考までに(備忘録として)マシンの構成・スペックを書いておきます。これらすべて購入したのではなく、すでにずいぶん前から持っていたものや、貰ったものも含まれます。気になる方はどうぞ計算を。参考までに車は軽トラです・・・。

ケース Cooler Master Silencio550(RC-550-KKN1-JP)
CPU Intel Core i7-2600K 1155/3.40/8M/C4/T8
マザーボード Intel BOXDX68ZV(Z68 1155 ATX DR3)
メモリー Transcend 4GB×4
電源 Antec HCG-520(ATX520W 80+B)
BD/DVD Pioneer BDR-S06J-BK
SSD Crucial M4-CT128M4SSD2 sATA
HDD Hitachi HDE721010SLA330 sATA 1TB×2
グラフィックボード ASUS EN8500GT Silent
サウンドボード ONKYO SE-200PCI
ビデオキャプチャボード PIX-DT230-PEO
OS Windows7 Ultimate 64bit DSP(SP1)
モニター LG E2341V-BN
無線LAN 親機 BUFFALO AirStationWHR-G301N
無線LAN 子機 BUFFALO WLI-UG-GNM Wireless LAN Adaptor




  3月19日(月)    
1ヶ月以上もスッタモンダしてきた新しいPCが、ようやく完成しましたよ。ふぅ〜〜。はぁ〜〜。
パーツの組み方に問題がなかったはずなのに、ショップに送ったらCPUのピン折れという診断(どうもこれも疑わしい)。これを信じて、やむなく新しいマザーとCPU、電源を買う羽目になり、ものすごい高い授業料になってしまいました。シロウトのパソコンいじりは高くつくという苦い苦い教訓でした。

あたらしく到着した部品を今度は慎重の上に慎重を期してとりつけて、いざ!!・・・ガ〜〜ン。また同じ症状。Intelのマザーがビープ音を発して回ったり止まったり。なんなのこれ。
結局私が落ち着いた結論は、メモリーの相性問題でした。ネットでいろいろ調べてみると、結構そうした症状があるらしい。しかしショップにいわせると、マザーに問題があるかもしれないし、ほかにも原因があるかもという曖昧な返事。
消去法で考えられるのはメモリーしかないと判断した以上、別の会社のメモリーを手に入れて付け替えざるをえなくなってしまいました。また散財。メモリーはウソみたいに安くなっているので助かりましたが。
今度こそうまくいくはずだ・・・と思ってPCを拝みまくって電源投入。またビープ音。いいかげんにしてくれ。
メモリーの場所をあれこれ変えて見てもほとんど変わらない。ところが一回だけBIOS画面にたどり着いた。そのあとはまた同じ症状。メモリーのショップに電話してあれこれ聞いてみたけれど要領をえず、がっくりきて、もうやる気もほとんど失せて、しばらくPCを放っておきました。
ところが、次に起動してみると、突然症状が消えてBIOS画面に。なんじゃ〜〜これは。メモリーがなじんできたのでしょうか??馬鹿みたいです。
それからは、何事もなかったように起動するではありませんか。し、しかし、前に買ったメモリーを取り付けるとやはり駄目だったので、これはメモリーの相性としかいいようがありません。Appleの古い機種ではよく起こったことですが、Windows機でははじめての経験でした。

それまではパーツも最小限で組んでいたので、まず記憶メディアをSSDに変え、Windows7を入れ、それからサウンド・ボードやビデオキャプチャーボード、無線LANをとりつけてそれぞれのドライバーを導入。すべてうまくいって完璧なマシンになったのが今日の夕方です。
モニターだけはLGの安いもので我慢ですが、キーボードはTopreの高級機種で、なかなか優雅な環境ができあがりました。
ただ、残念なことにソフトがない。IllustratorやPhotoshopなどは手持ちのソフトがあるのに、現在CS2として2台で使っているので、バージョンアップできない。しかも、貧相なFontsしかないので、これで新聞作りやチラシづくりの作業をするにはまだ時間がかかります。なにしろそれらは高価すぎますからね。
ま、自作パソコンがWindows7環境で組み上がったことで、満足しなければならないでしょう。これまでだいたい7〜8年で新しい機種にしているので、これが最後。永久に使い続けるマシンになりそうです。
 明日からは、超緊縮財政でいかないと・・・と思ったら、来週から沖縄行きでした。





  3月17日(土)    
ローカル紙の片隅でみつけたなつかしい一人の名前、渡辺健二さん。現在東京芸術大学副学長でピアノ指導にあたるかたわら演奏活動も精力的に行っているそう。彼の演奏会が来月の15日松本で開かれるというのでさっそく申し込もうと思ったら土曜日で申込先がでない。

私がはじめて教壇に立ったのは名古屋の定時制高校でした。市立菊里高校定時制課程。ところが、たいていは非常勤で昼の全日制に応援にいく職員が多く、私もご多分にもれず一こまだけ担当することになった。その担当クラスが菊里高校音楽課程だったというわけです。それが彼らが高1のときだったか高2のときだったかは忘れたが、たぶん高2だったろうと思う。
ほとんどが女子。その中で黒一点、一人だけいた小柄な男子が渡辺健二くんだったというわけです。一人だけ男でも動じる風もなく教室の左後ろで淡々と授業を受けているニキビ面がなつかしい。写真をいろいろ探してみたらいくつかでてきた。どの顔も、高校生の頃からあんまり変わっておらんなあ。
今から45年も前のことだから、たった1年だけ教壇に立った私のことなど記憶の片隅にもないかもしれないけれど、私にすればはじめての担当だからそれはそれは印象深い。
とくに音楽課程はピアノ課、声楽課などと分かれていて、ほとんど音楽の授業で埋められていたから、数学などは教養の一つだったにすぎない。しかし、彼らは実によく数学を学んだ。受験に関係がないからなのか、のびのびと学びよく吸収してくれた。中間・期末のテストの成績もものすごい高い。これは驚異的なことでした。もっとも教室の隅にはジャンプなどといった漫画本がたくさん並べられてもいたけれど。
翌年再び音楽課程を受け持ったが、そこでも全く同じ印象をいだいた。高2のクラスで微積を教えていて、なぜ面積を微分の反対の積分という方法で求められるのかを自分なりに考えて教えたときのこと、定理の結論に達した瞬間に教室から大きな拍手が起こったのです。長い教師生活、授業をしていてその内容について生徒から自然発生的な拍手を受けたのはこのときを含めて2度だけ。
中身がわからなければ絶対に感動もうまれず、まして拍手などおこらない。それだけ彼らの感受性が豊かで、同時に理論的な内容を理解する知力を兼ね備えていたということになるのでしょう。おそるべき才能の彼ら彼女らでした。
音楽課程では年度の終わりに必ず発表会をやることになっていて、トリは渡辺くん。誰かのピアノ協奏曲を演奏していたっけ。その頃から彼の演奏は特別で、女の子たちがうらやましそうな目を注いでいたのが忘れられません。
写真は芸大のホームページにあったのを失敬しました。彼を紹介するサイトはいろいろありますが、その1つはこちら





  3月12日(月)    
昨日はちょっと疲れが出て早く休み、ゆっくり寝ていたのですが、朝目がぐるぐる回っていやな予感。昼過ぎにも一度軽いめまいがあって、あまり自覚はないけれど疲れがたまっているのかなと思わされました。昨年の被災地支援の頃とくらべても格段に楽な日程なんですけどね。

さて、昨日の3.11。まず午前中のワカメの処理から始まりました。私1人ではどうしようもないので、ネットワークメンバーに連絡を取り、朝10頃集まって計4人で何とか販売できる状態にすることができました。2人は長いワカメを「めかぶ」と「くき」と「葉」にきりわけ、あとの2人がそれを袋詰め。中の1人が若い頃東北でワカメの処理をしていた経験があるというので本当に助かった。
作業終了後さっそく試食。ゆでると綺麗な緑色になり、ショウガ醤油でたべると実においしい。取れたてのワカメを販売できるのは何ともうれしいことです。
これも女川町役場の水産課長の好意だというので、売り上げはすべて義援金にまわすことができます。今日になって課長に電話し、丁寧にお礼を伝えました。


1時からの「ひろば」では、乾き物を中心に女川の海産物をならべて即売。写真も40枚程度パネル展示して、被災地の様子や支援活動の様子がわかるようにしました。
海産物は午後2時までにすべて完売。仕入れの2,3倍あっても完全に売れただろうと思います。農業地域の池田町では海の幸は何と言っても人気が高い。今後も女川から継続的に海産物を買ってこちらで販売し、女川との関係を深くしていきたいとこもごも話し合ったことでした。






午後6時からの「つどい」には、急に寒くなった夕刻にもかかわらず約50人余りが出席してくれました。集会では最初に全員で黙祷をささげ、その後ビデオクラブのメンバーが作成してくれた被災地の状況やネットワークの一年間の活動を見た後、意見交換に移りました。
こじんまりとしたものでしたが、それぞれに支援の体験やこれからの決意を述べ合い、3.11にふさわしい意義ある集いとなったと思います。
私も久しぶりの背広に違和感を感じつつ、「今後の取り組みの提案」をしっかりと行いました。






3月11日には、松本で1800人が集まり、大町でも200人近くが集まって災害復旧と反原発を訴える集会が開かれました。
私は、呼びかけ人に名前を連ねながら、池田町のつどいにかかりきりだったので、集会には行くことができませんでした。
池田町でのとりくみは「被災地支援」の一点でのイベントだったので、原発に言及することはほとんどありませんでした。これは弱点というより、とりくみのレベルの問題です。みんなの心には、何重苦にも見舞われ、過酷な生活を強いられている福島の人たちのことが重く刻まれているはずです。
原発を一刻も早くなくすことは序の口、放射能の被害から住民を救う手立てを何十にもめぐらし次々と手を打たなければならないのに、政治はこのありさま。
3月11日の地震津波被害と同時に、原発事故とはいったい何だったのか、何を突きつけているのか、根源に戻って考えるべきです。この国の経済と政治の過去・現在をそれぞれの自分史に照らしあわせながら検証すべきなのではないでしょうか。



  3月10日(土)    
明日の「3.11のひろば」「3,11のつどい」に向けて、今日は午後1時から準備に出かけました。準備に駆けつけてくれたのは12名。沢山の人数で仕事をしたので、早くきれいに会場が整いました。
明日は1時から池田町創造館で、女川海産物の直売、Tシャツの販売、ビデオの上映、写真展などフリーなひろぼ。海の幸には前評判も高くて希望者が結構多く、品数が少ないのですぐに売り切れになるかも。
ところで、女川役場の課長と高野さんの好意で、今日遅くに「わかめ」が到着しました。大きな箱で2箱。開けてみてびっくり。とれたてもいいところで、採ったそのまま。根っこからひらひらの葉っぱまで3メートルもあろうかという「生ワカメ」。フタをあけたはいいけれど、その場で考え込んでしまった。どう処理したらいいのでしょう。
妻は今晩は泊まりでいないし、何人かに聞いてはみたものの、誰もそんなものを見たこともないので、結局あした会場で切り売りするしかないだろうということになりました。どうなることやら。
後半の「私たちは忘れない3.11町民のつどい」には、今日も塩尻から参加したいという女性の電話。チラシや広報無線、新聞報道でしか流していないので、きちんと組織できていないうらみはありますが、特別な日ですからそれなりに来てもらえるのではないかと期待しています。100名を想定して資料を準備しました。
松本や大町では全国に呼応して「震災復興、なくせ原発3.11行動」が開かれます。明日は、報道機関をはじめ震災特集で埋め尽くされるのでしょう。何より、無念の死を遂げた人々の冥福を祈りつつ、私たちが何をしなければならないのかを突き詰めて考える日にすべきですね。
先日、大糸タイムスの記者から、3.11の特集を組むので、どんなことでもいいから何か一文を書いてほしいと頼まれました。
以下は、そのときに思いつくまま書いたもの。多分明日の新聞にのるのでしょうか。文中の「カットされた部分」とはもちろん「生を奪われた数え切れない人たちの生身の姿」および「その人たちの生の歴史」のことです。

震災直後からの「池田町民ネットワーク」の活動を支えたのは、「私も何かしなければ」「何かをしたい」という地域の人々の強い気持ち、こころざしだったと思うのです。
池田町と同じ規模の女川町に直接支援に行ったことでメンバーに「支援のかたち」が見えるようになった。それがその後の継続的な支援活動に結びつくのですね。
 私は、「人間のしるし」(クロード・モルガン著)に記されていた「想像力の欠如か論理の欠乏か」というフレーズを戒めの言葉として記憶に止めています。
福島、宮城、岩手を中心とする被災地では、生活の苦労と精神的な苦痛との壮絶なたたかいがある。私たちの想像を超えたものがあるはずです。体験者ではない私たちにできることは、想像力と論理をもってそれに寄り添うことしかないのでしょう。
辺見庸さんは、テレビなどは現場の映像から「人間」をカットしてしまうことで震災の実相を隠してしまった、という趣旨の発言をしています。私たちの想像力はカットされた部分まで及ばなければならないと思うのです。
あとは、「1人ひとりの力は小さいけれど、気持ちを合わせれば大きなことができる」という、ありふれた、あたりまえのことを、知恵と力をあわせて等身大にやっていくだけです。
「私たちは忘れてはいないのだ」というメッセージを送り続けていきたいと思っています。




  3月5日(月)    
夜半から雪になり、朝までに5センチほどの積雪。それもベタベタの思い雪で、竹などは大きくしなって通行の邪魔になるほどでした。8日にはバラ植えが予定されているので、何とか天気が回復してほしいもの。


午前中は「被災地支援ネットワーク」の拡大事務局会議をひらきました。事務局+ネットワーク・ボランティアのメンバー有志があつまって、3月11日の「ひろば・つどい」を成功させるためのあれこれを話し合ったのです。
会議の下準備はいつものことで私がするのですが、こうしてよびかけに答えて沢山集まってもらえるのは嬉しい限りです。
海産物の販売については、商工会が力をいれてくれていて、4月はじめの「ひな市」で数十万円の海産物を買い取り、直売する計画があり、3.11ではその予行をかねて1/10くらいの規模でやってみようということになっています。
「わかめ」も仕入れる予定だったのですが、三陸の「塩蔵わかめ」はほとんどダメ。それでも役場のある課長が気を利かせて「生わかめ」を贈ってくれることになりました。当日は沢山買いに来てくれるとうれしいですね。

3.11にあわせてということにはなりませんが、例の小中学生による「お便り」と文房具などのプレゼント作戦については一応方向は確認。
現在までのところ教育委員会のはからいで小中学校の生徒たちから、どのようなものをもらったら嬉しいかというアンケート結果が支援ネットに寄せられました。
ノートや鉛筆、本などといった「ふつう」の学用品はもちろんですが、オッと思わせるようなものも結構多かった。大人の目線で考えてはいけないということですね。小学校では、文房具でも下敷きとか、折り紙なども含まれ、運動用具の縄跳び、ボールといったものも。キャラクターシールとか、ぬいぐるみなどというものもありました。
中学生では文房具としては、スティックのり、ファイル、定規・コンパスなど。運動用具ではサッカー、バスケ、バレーのボールとか、野球道具一式などもありました。生活用品では靴、靴下、Tシャツ、LEDライトなどというものも。
これは、ちょっとプレゼントの仕方を変えて、どのようにしたら、一番公平で喜ばれる贈り方になるのかも検討しないといけませんね。
最初は小中学生だけと思っていましたが、女川には高校もあるわけで、池田町の生徒、および町民から女川町の生徒に、「手紙」と同時にまとまったプレゼントをするキャンペーンを4月あたりにした方がいいのかもしれません。
具体化はまた事務局会議に諮ってきめることにしましょう。


さて、今日はおもしろいメールが友人から届きました。以前ファンクラブニュース「あした天気にな〜れ」で連載した北欧だより「見た・聞いた・考えた」の著者薗部さんからです。
彼の友人の高校教師が学校でこの「北欧だより」を使って授業をしたその内容を「ちょっとうれしい知らせ」として送ってきたのです。
まずその教師は、生徒にクイズを出します。そのクイズというのがユニーク。みなさんもぜひやってみるといいですね。結構むずかしいですよ。


答えはもちろん、薗部さんの最終回の中にあります。

その教師は、この文章を読ませたあと、感想を書かせています。そのいくつかを紹介しましょう。

・他の国の政治や経済(を学ぶこと)は、日本にも必要なものだと思った。生きる植えで大切な医療は無料であるべきだと思う。義務教育とか国が決めているくせに勉強に必要な教科書を買わせるのはおかしい。
・日本は貧乏人にも税金を払わせなければいけないようになっていますが、不公平だと思います。所得税こそが公平だと私は思います。
・税金とか人権とかで今すごく話し合いが行われているみたいだけど、そもそも皆で安心して暮らせるシステムが全くない。税金を上げるだけじゃなくて、そういう根本的なことから見直してほしい。
・日本は今増税しようとしているが、やっても今とあまり変わらなそうですごく怖い。増税するならそのお金は国民の意に沿った使い方をしてほしい。
・北欧の経済や政治を見ると、日本がいかに情報をいんぺいしているかが伺える。日本も安心な生活が送れるようにしてほしいと思いました。
・まずやっぱりスウェーデンの税金の高さにビックリしました。消費税だけでも25%は日本では考えられないことだと思いました。しかしその代わりに医療費や教科書、給食費が無料ですごかったです。老後も安心なので日本も見習うべきだと思いました。北欧では1人1人を大事にしていてすばらしい国だと私は思います。
・日本と北欧では決定的な違いがあった。北欧では議員と民間の人との間になにも壁がなく話し合っているが、日本には全くそれがない。なので、お金をどのくらい使っているのかがまったくわからず、そのほかのこともほとんどわかっていない。日本はもっと国民に経済や政治についてのことを話すべきだとこの文を見て感じた。
・日本は税金が多すぎるし、しかも国はむだづかいしているのがむかつくし、しかも今の状態でもきびしい人とかがいるのに、また消費税が上がるなんて考えられないと思った。
・日本に比べると、北欧の政治経済の方が日本より数段上を行っている印象を受けた。北欧の方が合理的でサポートもあり、情報公開もあり、政治では町議会などの傍聴もできるので良いと思った。


約100名の感想が綴られ圧巻。この授業はあくまで他国を学ぶという趣旨で行われた純粋な教育活動であり、何らかの予備知識を与えたうえでのクイズではありませんから、生徒たちの感想もストレートで税金や社会福祉といった面から感想を書いている生徒が多い。しかし、政治の根幹をなす自治と民主主義という面をしっかり見ている生徒もいて、なかなか鋭い。本質を見る目を生徒たちは持っていると思わされました。
本当はこの感想をすべて紹介したいところですが、許可を得ているわけでもなく、プライバシーの問題もあるので、それらは割愛させていただきます。



  3月3日(土)    
朝から結構仕事をしましたよ。頭を使うより、身体を「いびつ」に使っていたという感じでした。
まず午前中はバラの会のニュースをつくって配布にでかけました。
バラの会のニュースは、先日の剪定講習の模様と8日のバラの植え込みの案内。高付くけどカラーのニュースはいいですね。


それからあとはず〜っと「町政研究会」の提言と財政白書の校正、製本の準備です。よくもまあ根気が続くと思うくらい集中してやって、午後10時頃ようやく終了。
考えてみると10時間くらいぶっ続けて作業をしていたことになります。まず午前中はメンバーからの修正の指摘をもらって、その部分やまだ手が入っていなかった部分を直し、そのあとはA3を2つにわけてA41ページごとに移し直し。印刷・製本の体裁にして、夜に入って印刷・仮とじ。なかなか立派なものに仕上がりました。


先日の会議では、この成果を一刷の本にして、有志や全国の自治体運動をしているみなさんに買って読んでもらおうと話しました。製本すると10数万円かかるという話なので、1冊分では1000円くらいになるのかな。それでも池田町のような小さい町での財政白書と町政提言はそんなに例がないから、結構注目されるのではないかと密かに思っています。少しでも会の財源ができるといいですけどね。なかなかそう甘くはないかも。
3月中、下旬には記者会見をして発表できるだろうし、4月か5月にはこれをもとに町政フォーラム(公開討論会)も開催できるでしょう。
ただし、出来上がるであろう冊子は、字ばかりで読むとなると相当な覚悟が要ります。「息切れがする」という評価もいただいているのですが、これはもともと研究・討論の報告ですからやむを得ません。同時に、行政がつくるような計画書でもありません。あくまで問題提起の書。幅広い町民向けには、もっと簡潔で見やすい「ビジュアル版」を作ることにしています。
ページ数で71ページもありますから、「よくまあ、こんなものをつくったね」という評価も。それはともかく中身で勝負です。

前にも書いたことがありますが、現在の私たちの生き方は「未来を先取りして食い尽くす」生き方になっていること。資源しかり、空気や水しかり、土地だってそうです。ゴミを出すだけ出して、おまけに放射能まで垂れ流して、あとは野となれの生活スタイルです。
これからの町づくりであれ、産業であれ、「未来への責任」が政策の中軸になるべきです。そのような町をどのように作り上げるか。私たちの議論の中心テーマはそこにありました。
これも前に書いたことがありましたが、そうした運動は中央からではなく、都会からでもなく、田舎から起こる。自然に恵まれ、食料とエネルギーを作り出すことができる場所から生まれる必然を持っている。しかも、大きな自治体ではなく、自立を選んだ小さな自治体から。その意味では面白い時代に生きているし、そのもとでの未来への町づくりは実にやりがいのある仕事だと思いますね。



  3月2日(金)    
知人から教えてもらってわかったのですが、町のホームページの「行政情報」の「池田町の施策・計画」のコーナーに、「まちづくり推進プラン 後期5ヶ年(H24〜28)改訂版pdfnew」がアップされていました。池田町のお知らせには紹介はなく、「new」とはなっているものの、いつアップされたかもわからない資料。何となく紛れ込んでいるという印象しか受けません。
当然のことながら、この文書は5年前に作られた「町づくり推進プラン」の改訂版という位置づけです。

この資料の原案は複数の町会議員から見せてもらっていたので内容はほとんどわかっていましたが、こんなふうにアップされるとは思ってもいませんでした。要するにそれだけの位置づけということなのでしょうか。
しかし、内容をみると実はとても重要なことが沢山記載されている。重要どころか、いつどこでどのようにこんな計画の改変が行われ、その過程は町民にどのように知らされていたのか、さっぱりわからないシロモノです。pdfファイルですから、読もうと思えばそのままでも、ダウンロードしてビューアーで見ることができますから、ともかく関心のある方は目をとおしていただきたい。
側聞するところでは、「県から提出を促されとりあえずつくったもの」らしいので、中身はその程度のものという言い方をひょっとしたら町はするのでしょうか。だとすればなおさら内容が気にかかります。これに対する私の見解を含め、町政研究会としての見方は後日冊子にして希望される方に読んでいただこうと思っていますが、とくに気になる1つの点だけここで検討しておくことにします。

大変気になるのが、「はじめに」で書かれている勝山町長の次の一文です。

本プランの実施により、前半5か年においては、策定時の財政シミュレーションにより算出されていた大幅な財政赤字を出すことなく、財政調整基金への積立てを増やすことができるまでになりました。
大幅な歳入増加が見込めない状況の中で、収支の均衡を確保することができたのは、行政による財政改革のみならず、「自助・共助・公助」の原則の下に、住民の皆様が負担をいただいた結果と大変感謝申し上げます。


町長さん、あなたは本当にこの間5年間の財政収支の経過をわかってこのようにおっしゃっているのですか。「赤字を出さずに、貯金までできてしまった」??それができたのは、町長である勝山さんを先頭に「財政改革に邁進したから」であり、「町民に負担いただいたから」??ご冗談でしょう。知らない人が聞いたら本当にするじゃないですか。

論より証拠、次のグラフをご覧あれ。これは町の最初と今回の2回のシミュレーション数値をそのままグラフに落としたものです。当然5年間の経過は実際の収支結果を反映しています。


よろしいですか。当初の方針で歳出カットを続けていれば、歳入との差は優に数億円を超えて10億円近くにもなるのです。ところが!歳入は予測に反して結構増えて(!)、その分何故か歳出も増えて、収支は当然のこととして(毎年のように)若干の黒字。
「行財政改革」をして、町民が我慢して歳入も歳出もうんと増えたんですか?財源を池田町は自主的に作り出して増やしたのですか?おかしいですねえ。ホントは赤字がでなかったのは歳入が思ったよりうんと多かったからではないんですか?それで貯金もできたんじゃないんですか。こんな理屈小学生でもわかりますよ。
もっとも、「前の町長時代の予測がいい加減だった」、あるいは5年前は「予測不可能(想定外?)だった」といえば、それも1つの理屈ですけど。
町長がこの実態を知ってこのようにおっしゃっているなら問題だし、知らないでおっしゃっているなら、何をかいわんや。

ところがこの歳入、歳出増には1つのカラクリがあります。歳入では国政がらみの国庫支出金などが増えたことが大きな要因になっているし、歳出では当初計画ではできるだけ新しい借金を抑えていこうという方針だったのが、毎年結構な借金をしてきたし、これからもしていくよという方針になったことがあります。
今度は下の表を見てみましょう。これも「改訂版」そのものの数値です。グラフにしていないので、ちょっと見づらいかもしれませんが・・・。

この表をみてまずびっくりするのが、歳入のうち、地方債(新しい借金)およびその中に含まれる臨時財政対策債の額が、当初の計画と何とまあ違っていることか。要するに借金を続けます、ということです。地方交付税も当初の予定よりずいぶん増えていますね。
また歳出はどうでしょうか。当初プランとくらべて著しい違いは、投資的経費がうんと増えていること、公債費(借金返済)も予定より1〜2億円も増えていること。
確かに、5年前に見通せなかった保育所建設とか他の建設事業にかかわる費用はあるでしょう。それとて、計画的に財政積み立てをしていくことである程度は回避できたのです。
その結果、借りる額と返す額の差はどんどん縮まっています。新しく借りれば返さなくてはなりませんから、子どもや孫に「返してね」というわけです。
もちろん、建物は老朽化するし、新しい施設も必要になることがある。耐震化もしなければならない。従って借金が一律に悪いとか、絶対に借りてはいけないなどと言えるはずもありません。予測できないことだっていくらもあるのです。
問題は、なぜ5年前にそのような見通しを立てたのか、またなぜ現在このような計画に変更せざるをえないのか、この「改訂版」では何も触れられていないことです。自己評価ができていない。第3者評価にもさらされていない。これほど重要な町の計画をなぜろくな議論もなく、なしくずし的に「密かに」公表するのでしょうか。私が一番問題だと感じるのはこのことなのです。
来期も町政を担当するという意欲をお示しの町長ですから、1町民の疑問にはきちんとこたえる責任があるのではないでしょうか。
このくらいのことは財政担当は当然わかっているのですね。当たり前のことです。ところが、役場内でも一部しか知られていない。違いますか?
まだまだ疑問点はあるのですが、あんまり沢山言って混乱されると困るので、あとのお楽しみにということで。



  3月1日(木)    
昨日からお昼まで町政研究会のまとめの仕事をしていて、ようやく終了。しょっちゅうネコがじゃまをしにくるので、仕事になりません。どうしてネコというのは、読んでいる新聞とか書類の上でわざわざ寝ころぶんですかね。


さて、先日ゲットしたFUJITSUのパソコンの2台目を前と同じように改造してしまいました。メモリー、ハードディスはもちろん、CPUもCore2Duoに。
ネットでこのパソコンの情報を調べると、5年前には結構人気の商品だったようで、このNF40Wはもっとも安いランクでした。それでも当時で14万円。NFシリーズの最上位のFMV-BIBLO NF70Wは約19万円。それが今ではOSなしで数千円から2万円くらいの幅でオークションにかけられているのだから買う方もたまったものではありませんね。
ひところは次々と新しい機種を出して売りまくっていたものが、デフレ不況下で在庫がだぶつき、それでも売れなくなる。より安くしようとすればコストをどんどん切り下げなければならない。下請け単価の切り下げ競争の中で、とうとう親元まで倒れるという状況です。
IT関連では(携帯、スマホも含めて)よいものを長く使えるようにするという物作りの気風はどんどん失われ、資源だけが浪費されていく。なんだか悲しい世界ですね。

それなら、昔のものでもきちんとメインテナンスをして使える限りつかわなければソンです。というわけで、修理屋さんに徹しているこのごろ。
かつての最廉価マシンでも、メモリーを増やしハードディスクを付け替え、ついでにCPUも最上位機種以上にすれば、たとえOSがビスタでもまだまだ現役。普段はこっちをメインに使おうと思っているくらいです。
これからこの手のマシンを改造したい方のために、ちょっとだけコメントを書いておきますか。
まず、NF40WのプロセッサーはのインテルR CeleronR M 430、ソケットM(Merom)です。この機種のチップセットはモバイル インテルR 943GML Expressですから、本来はCeleronM 430に特化したチップセット。Core2Duoを載せるとなると、BIOSがそれに対応し、モバイル インテルR 945GM Express チップセットが必要になるのですが、BIOSを見ると、ダブルコアの選択があるし、ちゃんとプロセッサーを認識しているので、ひょっとしたらこのBIOSとチップセットは上位機種のものかしら。
下の写真では、日付を直していないのでちょっとへんですけど・・・。さっき写したものです。


というわけで、これまであつかった2台ともチップセットがCore2DuoT7200に対応していたために、CPUを交換しても大丈夫ということのようでした。無知だったからか、ラッキーだったのか??

さて、月があらたまりました。今日は比較的暖かい日になりました。今月は、結構いろんなことがある。バラの植え込みに始まり、3.11のつどい、「町づくりビジョン2012」の発表、月末には沖縄行き。それぞれにうんと関わっているので気が抜けない毎日になりそう。




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