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  6月30日(火)
今朝起きて庭を見ると、庭中断裂が入り土が盛り上がっています。こりゃ「モグラ」の仕業に間違いない。閉鎖空間の我が庭にモグラが出没したとなると、いったいどこから侵入したものか。
トマトやキュウリがどんどん伸びて、いよいよこれからが旬。モグラに根っこをやられては困ります。ここはハルちゃん、庭番頼むからね。




大糸タイムスが1週間以上たってから、6月23日の集会の模様を記事にしてくれました。さすがにいつ開催されたのかを書くことができない。この遅さ、どうしたんでしょうね。


明日からの沖縄行きに備えて、やっておくことがたくさんあります。とくに畑の手入れは妻ができないこともあるので、今日中に何とかと思って畑に行ったはいいけれど、なかなかはかどらず、午後1時頃には引き上げてきました。
何をやっていたかというと、草刈り機を使っての全体的な除草とともに、イチゴのランナーを草むらから救い出す仕事です。
イチゴのランナーがどんどん伸びているのに、まわりは30センチほどの草が生い茂り、イチゴはすっかり埋もれてただの草むら。頑固な雑草を根元から掘り起こして取り除き、イチゴの苗が育ちやすいようにする作業を延々とやっていたというわけ。結構きつい作業でした。
日頃から手入れをしていればこんなことにはならなかったのですが、アベくんのおかげで時間が取られ、勢い畑に行く時間が少なくなってしまったのが主たる原因。あとは妻に任せなきゃ仕方ありませんが・・・大変だろうな。

さて、一ヶ月も沖縄で自炊生活をするとなると、必要なものが当然出てきます。ただ、家を貸してくれる方とは現地で打ち合わせをすることになるので、家に何があるのかもわからない。
というわけで、いきあたりばったりの生活になりそうです。沖縄は連日33度くらいの炎天続きらしいので、帰る頃にはげっそり痩せているかも。汗を流してたくさん歩いて、減量に努めることにしましょう。
ネット関係の準備もあるので、本日はこのくらいで。あとは7月に入って、現地で落ち着いてからまた報告いたします。

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さて、これで今月の終わりにしようと思ったんですが、MNEMOさんが戻ってきたハルに英文でメッセージ「Welcome back, Hal-chan!」(6/30)を書いてくれていたので、「追伸」として、そのことについて触れておきたいと思います。

英文なんてMNEMOさん人が悪い。でも、何となくわかるような気がするんだなあ。空間としての「ここ」を超えた何かを表現したいとき、別の言語というのは場合によってはそれを可能にする、と、まあ勝手な解釈をして・・・。
しかし、何とかしないといけない(ハルにネコ語で伝えなければならない)と思い、これまた勝手ながら意訳を試みた次第。

Welcome back, Hal-chan!
おかえり、ハルちゃん

Mooさんによれば、彼の飼い猫のハルちゃんが(3日間家を空けたあと)何事もなかったように帰ってきて、こう言ったそうだ。「何か食べるものニャ〜〜い?」

私には、ハルが家を出ていつも鳥を捕まえる場所に出向く道すがら、スニーザに出会ったに違いないと思えるのだ。
ハルはそこで、スニーザに好意を持ち、自分がどれほど野性的で、いかにたくましく生き抜こうとしているかをを見せようとしたのだと思う。

スニーザはハルについて行き、狩りをするところを見て、たぶんワイルドなハルにこう告げたに相違ない。 「私はあなたの振る舞い方を好きになれないわ」

おそらくハルは、自分はただ自然の本能の赴くままに振る舞ったのであり、君も同じはずじゃないかと、スニーザとは反対の意見を言ったに違いない。スニーザはただ「いいえ」と答えただけだった。

大いに失望したハルは、スニーザを後にして家を目指したが、彼にはスニーザとの出会いが意味することについて考える時間が必要だった。

さて、ハルはようやく、彼のいるべき場所に戻り着いた。
ハルよ、君は鳥やセミその他の生き物を殺して食べる必要はないのだよ。
私は、君の生まれついての本能はもちろんのこと、一定の身体的な活動をしなければならないことも、よく知っているつもりだ。だが、もしスニーザに再び会いたいと心から思うなら、今までと同じように物事をワイルドにやろうとしちゃいけないんだよ。


文中のスニーザとは、MNEMOさんの小説「トーホグマン」に登場する子猫の名前です。その由来などについては小説を読んで頂くほかはないのですが、簡単に「星から降ってきた山猫の妖精」とだけ言っておきましょう。詳細は「修行その3 十八」148ページをごらんください。





  6月29日(月)
我が家の「お騒がせ」どら息子ハルが、午前9時無事ご帰還なさいました。第一声は、「何かない?はらへったー」(翻訳:Moo)でした。
今回は予想よりずいぶん早かった。背に腹はかえられない。愛だけでは生きていけないということですかね。
さっそく、いっしょにお隣さんにご挨拶。昨日もあちこち探しにいってくれていたんですから。
私より心配し通しだったのは、あのネコ嫌いの妻。10年前は「頼むから家に入れないでくれない?」と拒絶していたあの妻とは思えない。だっこして「どこ行ってたの?」ですもんね。何はともあれ、よかった、よかった。


昨日は明るいうちはずっと草刈り、草取りで過ごし、夜はずっと気になっていたMNEMOさんの「トーホグマン」のPDF化に精を出していました。これで何とか追いつきました。急いでやっていたので、校正が必要な部分が多いかもしれません。悪しからず。

午前5時。ハルちゃん依然として姿を見せてくれません。家出から3日目。親のこころ子知らずとはよく言ったものです。あと2日もすれば、私は沖縄にいますので、それまでには顔をみせてくれるように願いましょう。今日の夕方あたり、過去の家出と同じように知らん顔をして帰ってくるような気がしますが。

沖縄に住む義兄(妻の兄)がしばらく前からブログを始めたという案内がありました。彼の書くことは、私とは全く異なって、いつも随筆風で日常生活のあれこれを見たまま、聞いたまま、感じたままに短く書いていくというスタイル。
義兄とは「話し込む」というようなことは過去に一度もありませんでしたから、このブログは彼や沖縄を知る貴重な記事で充たされていて、私にとっては大変興味深いのです。
汗の中で泳いでいるようなきび畑での作業の模様や「誰か太陽光をはめこんだクーラー付の作業着を発明してくれてもよさそう」という話には実感がこもっていましたし、わずか4才での沖縄戦の体験記では、よくそんなことを覚えていたと思われる記載がありました。
ブログのタイトルは「ウチナー在りて吾」、沖縄のことをウチナーンチュの目で見た記録ですので、関心のおありの方は訪問してみてくださいね。これでヤマトでも読んでくれる人が少しでも増えるとうれしいですね。

今朝の天気予報では、今日の沖縄の最低気温が29度だろうということ。信じられない高温。長野では朝は寒いくらいですから、エアコンのない部屋でどうやって過ごすか。水にでもつかって寝ることにしますかね。行ってから対策を考えることにします。
私は暑いのも寒いのもダメですが、妻はさすがに暑いのは平気だといいます。私が汗ダラダラでも、妻はそうでもない。夜は、私は毛布一枚でも暑いくらいなのに、妻は寒いといって冬布団をかけているほど。この差は一体何なのでしょうか。長い間(人類史的)の生活で、DNAに刷り込まれた環境適応能力ですかね。石川、富山といった北陸の産である私は、どちらかというと寒い方がいい。
考えて見ると、エアコンの効いた部屋で生活するなんてのは、いわゆる高度経済成長以降、家屋の建築様式が機密性の高い密閉型になってからのことです。当然のことながら、私の子どもの頃はエアコンなんて夢のまた夢。考えることさえできなかった。高校1年の夏、じっとしていても汗の流れる部屋で数学を解かなければならなかった苦痛は今でも忘れられません。頭が動かないですからね。
「暑さ」ということを含めて、これまであまり体験できなかった沖縄の夏をしっかり体感してくることにしましょう。併せてダイエットも。



飼い猫のハルちゃんが昨日から行方不明で一晩帰ってきませんでした。家出したのか、それとも何かあったのか。まとわりつけばうるさいハルだけど、いないと気が気ではありません。無事帰ってきてくれることを願いましょう。
飼い始めて10年になりますが、過去2回ほど3日間帰ってこないことがありました。何年かに一度は家を離れて旅に出たいと思うことがあるのでしょうかね。3日目に何食わぬ顔で帰ってきましたから、今回も以前ほどには心配はしませんが、いままでいたのがいないと本当に心配します。MNEMOさんの小説にも支障を来すので早く帰ってきなさい。
お隣さんの情報によれば、恋人(恋ネコ)ができたらしい。彼女が前で待っていたことがあったから、いっしょに行ったのではないか、との話。両親の許可も得ず「駆け落ち?」。
「振られてすぐに帰ってくるんでは?」と言うと、「いや〜、二人の方がいいようだから帰らないんじゃない」とお隣さん。ま、それがいいなら、それでもいいけど。腹が減っては恋も成就しないんじゃないかなあ。

例の問題で、当の百田某は一向にへこたれる気配がない。ツイッターではますます異常なほどの盛り上がり。たとえば、こうです。

・もし今回の発言で、私が謝罪させられたり、社会的に葬られたりしたら、今後、内輪の席であっても、誰も「○○新聞はつぶれろ」と言えなくなるなあ。
密告や盗み聞きで、その発言が新聞社に知られると、大変なことになる。
新聞社の悪口を言えば、社会的に抹殺される時代がくるかも(^_^;)

・左翼系マスコミは口を揃えて、「百田尚樹の発言は言論弾圧だ!」と叫ぶが、私が同じ懇話会で、「マスコミに圧力をかけるのはダメ」と発言したことは、まったく報道しない。

・炎上ついでに言っておくか。
私が本当につぶれてほしいと思っているのは、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞です(^_^;)

・あくまで私的な集まりの場で、しかもクローズな場において、軽口で言ったものだ。
それをドアのガラスに耳をつけて盗み聞きして、書くのはどうなのか。


彼の言い分を聞いていると、「全くの私的な場でしかも軽い冗談で言ったことを、ドアのガラスに耳をつけて盗み聞きしたもの」なのだそうです。リツイートには「作家の百田尚樹氏の沖縄にかんする発言は、報道陣が内部会合の会話をガラス越に盗み聞きしたものであると分かった」(石平太郎)というコメント。さて、どうやってわかったんでしょう?
大体この手の報道は「内部告発」であることぐらいみなさん知っているはずなのに、「ガラスに耳がひっついていた」などと、盗聴したかのように描き出し、「どんな軽口も左翼によって弾圧される」「ツイッターは炎上、しかし本名が分かるFBは皆無」と持っていくそのやり方は、このお方の心性を描き出して余りがあります。
今回の問題はすべて安倍首相のとりまき、親衛隊の起こしたことには十分な注意が必要です。また百田某については、2013年11月から2015年3月までNHK経営委員であって、その任命権は安倍首相(経営委員は「両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する」(放送法第31条))。要するにこんな人物を経営委員にしていたということです。
さて、数日前からこの問題をとりあげながら、つくづく情けない。というか、空しい。
論理として緻密・明晰、人間性としての、まじめさ、謙虚さ、包容力などは、リーダーの条件でしょう。まして政治家ならばなおのこと。彼らの住む世界がそれとは無縁であるとしたら、それはもう「人間社会」ではありませんね。
「おまえはどうなのか」と問われれば、返す言葉もないのですが、少なくとも「そうありたい」とつねづね願っています。



  6月27日(土)
先日久しぶりに「焼き肉を食べに行こうか」ということになって二人で豊科まででかけた。いつもの店に行くつもりで車を走らせていたら「焼肉太郎 食べ放題」の看板が目に入り、今日はここにするかと初めての店に入った。シニア料金で二人でも2700円ぐらい。
いつもは「ダイエットなの」と言っている妻があれこれいっぱい取ってきたのには驚いた。あれもこれもと急に沢山詰め込んだので苦しくてしかたがない。満腹になって満足して店を出た。
これぞ年に何回もない、慎ましく本当にささやかな庶民の楽しみなんです。

さて、昨日の自民「勉強会」、百田暴言問題が、さまざまに波紋を広げています。
第1に誰が何を話したのかが次第に明らかになった。これは朝日が「主な意見」として紹介。さらに続報も。
第2に、琉球新報・沖縄タイムスが連名で共同抗議声明を発表した。「開いた口がふさがらない」と琉球新報社説沖縄タイムス社説も同様に「権力による言論統制だ」と厳しい。
第3に、抗議・非難の声が高まるにつれ、当の御仁、ついに「冗談のつもりで、本意ではない。地元紙はほとんど読まないし、自分の悪口ばっかり書くからきらいだが、本当に潰さないといけないとまで思っていない」などと弁明をはじめた。沖縄タイムスは当の本人との一問一答を載せています。何とお粗末なお人であることか。
第4に、今日の信濃毎日新聞が「勉強会」に出席した全員の名前を載せました。当然です。


大事なことは、百田某の特異な見解だけが問題なのではないということ。現在の自民党を形成している、とりわけ若手といわれる議員に蔓延している国家主義的な傾向こそが大きな問題であることを見失ってはならないのです。
日経によれば、出席者から「(安保関連法案を違憲とする)憲法学者や元内閣法制局長官に全く権威はない」という声も出たとか。そして「文化芸術懇話会」の代表・木原稔青年局長はツイッターで次のようにお書きになった。

文化芸術懇話会を開催。講師は『永遠の0』百田尚樹さん。ベストセラー作家から、あらためて言葉の大切さを学びました

ひえぇ〜〜。さすがにフォロワーからの抗議でサイトは炎上模様。閉鎖されると困るので急いでごらんあれ。・・・・と思ったらガ〜〜ン。もう閉鎖(逃亡?)!!おぬしもなかなかやるな。
ところがどっこい、おぬしが証拠隠滅して逃亡する数分前、私はツイートとコメントをぜ〜〜んぶコピーしちゃいました。何しろ170人以上のコメントがずら〜〜っと続くので、このお方さぞおったまげたことでしょう。
ある人は「ロケットの先端に付けてお月様に送ってあげたいわ」ですって。それじゃ、お月様が困りますわね。MNEMOさんの新作落語の題材にも事欠かない。
というわけで、今日は書き込みのうちから少しだけを紹介しておきましょう。知りたい方はメールください。

・読者にアンチと言い人間のクズと言った作家に逆に言葉の大切さを教えたいくらいですけど!!
・木原実議員が記憶喪失になってしまった模様。百田から学んだのは詭弁の技術なのでは?
・完全に狂ってるよ。こんな人間が政治家をやってるって、とてつもなく恐ろしい事態だよ。
・「勉強会を主催した自民党の木原稔衆院議員は、参加議員の発言は「明確に覚えていない」と記者団に述べた」 一晩で忘れるような内容のものなら時間と経費の無駄では?
・大体『殉愛』騒動の百田なんか呼ぶ時点でどうかしてるだろ
・黙れファシスト。国民なめんな。
・あなた方は本当に民主主義がお嫌いなんですね。
・木原君は昔はこんな人じゃなかったと思います。こんな作家の言葉をありがたがる人になってしまったなんて。大学にはもっと素晴らしい先生がたがいらっしゃいました。天国の興津先生が泣いておられます。
・あらためて言葉の暴力を学びました
・潔く辞職されて下さい。
・百田尚樹を講師によぶ時点で木原さんすげー、としか言いようがない(´・_・`)
・自民党幹部からも処分の話が持ち上がっているようですが、頑張ってください。
・次の仕事探しにハローワーク行ったほうがいいよ^^;
・「逆の意味で」言葉の大切さを、改めて学びました(笑)まさに反面教師。
・『永遠の0点』
・熊本出身として私はとても恥ずかしいし、ものすごく貴方に対して憤りを感じております。
・なるほど。「沖縄2紙つぶせ」とかいうのが「大切な言葉」なのですね。なるほど。なるほど。
・次回改選は落選で決定ですね。お疲れ様でした。
・我が国の近隣にはそんな国家による報道管制を体現した理想国家が二つもありますよ。 是非とも移民なさることをお勧めします。
・「言葉の大切さを学びました」 沖縄の人たちを愚弄する暴言を、そのまま受け入れるのですね。 なら出席者として同罪です!沖縄の人たちに対し謝罪を要求します。
・自民党青年局とは、宗教団体だったのですね。
「みのるほど頭を垂れる稲穂かな」が座右の銘なんですか?「みのるほどふんぞり返る自民党」の間違いじゃないですか?
・あれ、ネトウヨの援軍ツイート少ないね…。
(書き込み、も〜、きりがありません)


彼らは安倍政権の親衛隊・行動隊として「かっこよく」振る舞おうとしているのでしょう。しかし、外から彼らがどれほど奇異で常軌を逸していると見られているのかなどは全く見えない。また、自分にとって都合の悪いことは見ようとしない。それが彼らの習い性。要するに「そんな世界」に住んでいるんですね。そしてそこは、”今のところ”大変居心地のいい場所なのでしょう。沖縄県民の苦しみなどみじんも感じない。その親分である安倍の行動をみればそのことは一目瞭然です。
銀座、赤坂、六本木・・・どこかで聞いた歌の文句そのままに、料亭政治は今も”健在”です。下の一覧は安倍首相のここ1ヶ月の夜の飲み食い行状記。昨日の「しんぶん赤旗」が暴露していました。
これを見ていると、私たちの「庶民のささやかな楽しみ」などの気持ちがわかるはずもない・・・そう思いましたね。


5月27日、6月1日、6月24日はマスコミ関係者との会食。よくまあ続くものです。ちなみに24日は3万人が国会を包囲した日。だいたい、どうでしょうか。こんな生活をしていて庶民の暮らしの厳しさ、平和への願いに思いを馳せろといっても、言う方が無理というものでは?
彼らが、コトバの上でどんなきれいごとを並べようが、それはどこかで聞きかじって単にインプットされただけの「情報の断片」に過ぎないということです。本質は彼らの日常の生活そのものの中にあるんですから。私たちはそのことを片時も忘れてはならないのです。

映画作家の想田和弘氏は「『沖縄2紙をつぶすべき』という百田氏や『沖縄2紙は左翼に乗っ取られている』と発言した自民党議員は、もしかしたら本当は『辺野古移設に反対の沖縄県は左翼に乗っ取られている』『だから沖縄は叩きつぶすべきだ』と言いたかったのではないだろうか」とツイートし、さらに「小林よしのり氏が『リベラル』だといわれる日がくるとは、ご本人すら去年くらいまでは想像だにしなかったであろうな。そこまで極右に触れちゃってるんですよ、今の日本の政治は。穏健な社会民主主義ですらも『極左」だもんな、この国では。ガラパゴス化もここまでくるとシュール」と書く。
これをご覧のみなさま、なぜ今日の日本でこのような極右自民党を現出させてしまったのでしょうか。これを国民的に打開する道はどこにあるとお考えでしょうか。



  6月26日(金)
戦争法案に反対する全戸配布用チラシが完成し、6月末に新聞折り込みします。表は呼びかけ用のチラシと同じですが、裏面には23日の集会で採択した「町民のみなさんへのアピール」を印刷してあります。今後はこのアピールへの賛同者を増やすとりくみに全力をあげることになります。

チラシ用紙が不足する場合は、下のリンク先からダウンロードしてお使いください。


折り込みチラシ(表 PDF)
折り込みチラシ(裏 PDF)
アピール賛同署名用チラシ

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琉球新報沖縄タイムス朝日新聞毎日新聞読売新聞東京新聞、信濃毎日新聞など全国紙、地方紙各紙は、25日の自民党改憲派の会合(自民党本部)で「講師」として招かれた作家の百田尚樹氏が次のよう述べたことを重視、大きく報道しています。

沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ。

この御仁、まったく血迷っていらっしゃる。自分で言っていることがお分かりになってはいなのではないでしょうか。
沖縄タイムス紙によれば、彼は沖縄普天間基地についてもいろいろ言いたいことがあったようです。ほとんど聞くに堪えない。

(普天間基地は)もともと田んぼの中にあり、周りは何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした。基地の地主さんは年収何千万円なんですよ、みんな。
ですからその基地の地主さんが、六本木ヒルズとかに住んでいる。大金持ちなんですよ。基地の地主は大金持ち。基地が出て行くとお金がなくなるから困る。沖縄は本当に被害者なのか。


ここまでくると、もはやフツーの神経の持ち主ではありませんね。ただ沖縄憎しの支離滅裂な罵詈雑言のたぐいです。狂気のさたといってもいい。
となれば、こんな人物を「講師」として招く自民党改憲派といわれる方々も同罪、同じ穴のむじなです。その自覚があるのかどうか。しかも、この勉強会の名が「文化芸術懇話会」ですって。おやおや。もはや世も末です。
沖縄県民、とりわけ銃剣とブルドーザーで土地を取り上げられた人々にしてみれば、名誉毀損・精神的損害訴訟でも起こしたい気持ちでしょう。だいたい、「コトバ」を商売道具としている人物がこれほどウソを含めてコトバをもてあそぶなんて信じられません。彼の「作品」そのものがそうした心情を土台に作られているとすれば、それだけのものということでしょう。こういうのを「コトバの暴力」というんじゃありません?町議殿。
沖縄タイムス紙の崎浜編集局次長の「再び沖縄を捨て石にしようとする発想で、断じて許すことができない」とのコメントはあまりにも当然です!

これに対して、当然のことながらさまざまな批判がわき上がっています。こんなのは完膚なきまでにたたきのめさないといけません。だれも相手にしないくらいまでに。もちろん言論でですよ。

まるでナチ親衛隊みたいだ。(金子勝)
この百田尚樹氏の発言は許されない、絶対に許されない。(小川一)
こんな事言ってる奴に平伏してる大手出版社こそ目を覚ませよ。(コリエラムーチョ)
小説家が言論弾圧を恥ずかしげもなく口にする自民党の勉強会の有り様に、狂気を感じる。(さよなら原発いばらきネットワーク)
新聞は40人の名前を公表してください。(プーiromax)
沖縄は県として抗議したほうがいいんじゃないか。こいつ、根から腐ってる。(チョク)
民主主義のイロハもわからん連中に 民主主義の鉄槌を下そう!(小池晃)
自民党と百田は、ホルムズ海峡より先に沖縄をまた蹂躙する気なのね。戦争だよ、これ。 (群馬のクマ)
沖縄を新聞社の目を覚まさせるための道具とみなすような由々しき発言。最悪の人間性である。(Linden)


ツイッターでの書き込みのように、この「勉強会」に参加していた自民議員を明らかにして、次の選挙では誰からも見向かれず、ほとんど票を得られないようにすればよろしい。
なお、この懇話会は、自民党木原稔青年局長が代表で、首相側近の加藤勝信官房副長官や萩生田光一・党総裁特別補佐も参加していたという。

朝日新聞によれば、この会合で自民党若手議員から沖縄の2紙について、「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」という発言があり、さらに次のような発言があったことが紹介されています。

(沖縄の地元紙について)左翼勢力に完全に乗っ取られている。沖縄の世論のゆがみ方を正しい方向に持っていく。・・・沖縄の特殊なメディア構造を作ったのは戦後保守の堕落だ。左翼勢力に完全に乗っ取られている。

百田がこれに乗って、「もともと普天間基地は田んぼの中にあった。そこを選んで住んだのは誰やねん」「沖縄は本当に被害者やったのか。そうじゃない」と口走ったのだそう。
だとすれば、これは自民党議員と百田合作の言論弾圧発言ということになる。自民党の劣化もここに極まれり、ですね。

東京新聞によると、これに対しては、民主党からの追及に自民党は「申し訳ない。該当の議員を厳重注意する」と陳謝したらしい。
しかし、陳謝すれば済む問題ではないでしょう。百田をわざわざ呼んで言いたい放題暴言を吐かせたあげく、「血の気が多い若い議員の発言なので、すみません」じゃ大人の世界ではありません。なぜこんなことが起きたのか、その問題の根源はどこになるのか、国民の前に明らかにすべきです。
そして百田さん、あなたの作家生命はもはや「永遠にゼロ」ですよ。一人の女子高生の足下にも及ばない。



  6月25日(木)
一昨日の集会の模様を伝える信濃毎日新聞と市民タイムスの記事です。




午前中はバラ園の作業、午後から事務局の仲間と「町民の会」のチラシ1号、2号の準備をして、午後3時頃から再び畑で除草。暑い日になったので汗と土にまみれて、帰ったらぐったりです。おやすみなさい。



  6月24日(水)
晴れて暑い1日に。午前中はボーとして、10時過ぎまでゴロゴロしていました。ハルがソファで寝ていた私の腹の上に来て私と同じ格好をして仰向けに寝ているものだから、重くてかなわない。それでも眠気には逆らえずそのまま2時間ほど2層になって寝ていました。
午後からは、しばらく放置してあったために伸び放題の植木刈りや除草で汗びっしょり。沖縄に出かけるまでには、庭も畑も何とか草だけは取っておかなくてはならないので、時間をみてやるつもりです。

午後の郵便で池田町議会から議長名で「陳情書」が<採択>となった通知が届きました。陳情を採択した22日に早くも「各大臣などに意見書を提出した」とありましたから、すばやい対応です。
今日の信濃毎日新聞によれば、県内で意見書が可決されたのは合計36市町村会にのぼるということです。
撤回・反対・廃案などの意見書や決議を可決したのは22町村、慎重審議を求める意見書を採択したのは14市町村、辺野古問題にからんで地方自治の堅持を求めるものが4町村。
長野県の市町村数は77ですから、約半数の自治体から政府に何らかのアクションがあったということになります。6月議会の日程をまだ残しているところがあるので、意見書はまだ増えるのではないでしょうか。
今日の信濃毎日の社説では、国会の会期を大幅に延長したことで、「政府、与党には『60日ルールが視野に入る』」とありました。つまり、衆議院で7月27日ころまでに可決してしまえば、そのあと60日以内に参議院で採決されなくても、憲法の規定で否決されたとみなし、衆議院で2/3以上の賛成で可決すれば法案を成立させられるということ。
社説は「政府が『合憲性について自身を持っている』などと繰り返すばかりなら、議論は平行線だ。こんな状態でどれだけ議論に時間をかけても採決は正当化されない。あらためて法案の撤回を求める」と、政府の態度を厳しく追及しています。地方紙の社説はおおむね、このような論調。もし、安倍政権が、相変わらず現在の態度をとり続けるなら、もうこの政権は国民から見放されたも同然ですから「安倍内閣打倒」を正面から掲げるしかありません。

戦争法案への批判についてはいろいろありますが、最近では日本共産党の志位委員長の外国特派員協会での講演とその後の質疑が大変おもしろい。
とりわけ、「この法案を世界から見た場合、三つの異常と危険があります」とのべ、「非国際性」、「対米従属性」、「歴史逆行性」について、詳しく解明。
その後の質疑でも、思いがけない質問、奇抜な質問も出てなかなか聞き応えがありますよ。志位委員長の回答は、正鵠を射て簡潔、説得力があり、かつ分かりやすいこと比類無し。他党の幹部は果たしてこのような講演ができ、さらに海外特派員の多様で鋭い質疑に耐えられるのでしょうか。
次はYoutubeにアップされているもので、上が講演、下が質疑です。








  6月23日(火)
今日はかねてから準備してきた「戦争法案に反対する池田町民の会」の発足集会。終了が午後9時ごろですから、この模様をお知らせできるのは夜遅くもしくは明朝ということになるかもしれません。

集会を準備しながら、国会での質疑の様子を調べたり見たりしているといろいろ興味深いことがわかります。
何より、国会での参考人質疑を通して、日々「戦争法案」の違憲性が明らかにされてきているんすから。たとえば、22日行われた衆議院安保法制特別委員会での参考人質疑。安倍さん、腹の中できっと「コノヤロウ」と叫んでいるのかも。あるいは、先日の動画のように「おまえら何やってんだ!」と側近をしかり飛ばしているとか。


さて、今日は沖縄慰霊の日。琉球新報はネット中継で「戦後70年沖縄全戦没者追悼式」の模様を伝えています。
平和宣言に立った翁長知事。「強制接収してつくった世界一危険な普天間基地が嫌なら沖縄が代替案を出しなさいという考えはとうてい県民には受け入れられない」とのべると大きな拍手。


こちらには琉球新報のUstream録画(追悼式全体)がアップされています。
あいさつに立った安倍首相に対して「安倍帰れ」の大きなヤジが。それはそうでしょう。8割の県民が反対する新基地建設推進の張本人であり、沖縄をふたたび戦場にするかもしれない戦争法案を国会で通そうとしているのですから。この場の安倍さん、ものすごい違和感があります。あり得ないと思うほど。最後には拍手とヤジが混在。ツイッター画面には「NHKは安倍への罵声カットしましたね」の書き込みも。さもありなん。

70年経ったとは言え、多くの県民の心に刻まれた傷は鋭く深い。この日、沖縄戦とは何であったのかに思いを巡らせてみることも大事ではないでしょうか。

沖縄戦デジタルアーカイブ(沖縄タイムス)


次は戦後60年を記念して作られた読谷村(米軍上陸地点近く)住民の証言です。



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満場の拍手で、ついに「戦争法案に反対する池田町民の会」を結成しました。
苦労は報われたが、何しろ疲れた〜〜というのが終わってからの正直な感想でした。いろいろと走りづめでしたから。
集会は第1部がDVD「9条を抱きしめて」。私の古いVistaパソコンを持って行っての上映だったのでどうなることか(マシンが動いてくれるかどうか)心配でしたが、無事大画面で上映できてよかった。なかなか感動を与えるシーンも多く、あちこちでやりたいねという声も聞かれました。
とくにネルソンさんが学校でベトナムでの体験を話したとき、ある子が「人を殺しましたか」という質問をする一コマがあります。迷いに迷ったあげく「ウソはつけない」と目を閉じたまま「ころした・・・」と告げます。そのあと、子ども達の姿を見ることができなくなった彼。さて、子ども達の反応は?その結末は???
先日の話ではありませんが、まさしく戦争とは人間が「殺し殺される」修羅場なのです。発達段階に応じてきちんと話せば、子ども達は子ども達なりの感受性で必ず受け止める。映画はそのことを教えてくれます。


午後7時からはいよいよ結成集会です。まず帯刀さんが呼びかけ人を代表してあいさつ。私がこの集会を持つに至った経過と、法案をめぐる情勢、それに今後のとりくみについて基調報告をしました。その後は代表委員各氏の発言、会場からの発言などを受けました。
妻も、昨日からずいぶん時間をかけて準備した沖縄新基地建設問題を話しました。ウチナーグチのあいさつではじまり、大集会を報じた琉球新報を広げた話に、みなさん興味をそそられたようで聞き耳をたてていましたよ。
集会に集まった人数は、出入りがあったのでそれを含め主催者発表50人。大雨・洪水警報がでて、途中ひどい雨になった悪条件ということもあり、50人集まれば成功だねと話していたので、まずまずの出だしということでしょう。短期間の取り組みでよくここまでこぎ着けました。もちろん、問題はこれからですが。
ローカル紙2社と信濃毎日が来てくれていたので、明日の新聞にはそれなりにとりあげられることになるのでは?どのように報じてくれるのでしょうか。






  6月22日(月)
MNEMOさんへ。秋の安曇野路、いいですよ。お友達とともに、ぜひぜひおいでください。大歓迎いたします。いくらでも泊まれますから。
ただ、10月25日過ぎになると、沖縄のおばあのお祝い「カジマヤー」にでかけます。10月上旬、中旬頃にしていただけるとありがたいです。
ちょっと忙しくて最近の「トーホグマン」の電子書籍化ができていません。ひょっとしたら8月になるかも。ただ、ポケットWiFiの機器を購入し遠隔地でもネット接続が自由にできる環境ができたので、沖縄から更新ということも可能かも。いや〜〜暑くてのびているのがオチだろうなあ。何とかがんばってみます。何しろ私が登場するのですから。

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元アメリカ海兵隊員アレン・ネルソンさんは、DVD「9条を抱きしめて」の冒頭、次のように語り始めます。

(海兵隊訓練校の)教官が私たちに聞きます。
おまえたちの仕事は何だ?
「殺しだ」と答える。
そんな声で聞こえるか。
さらに声を張り上げ「殺しだ」と答える。
まだ聞こえない。
ありったけの声で「殺しだ」と叫ぶ。
まるでライオンが吠えるような声で。
アメリカや日本などの多くの政府は
兵士が平和を守っていると主張しています。
しかし、訓練では平和のことは一切教わりません。
日々殺し方を教わるだけです。


池田町議会が今日の6月定例会で、「安全保障関連法案について」の陳情書を賛成6、反対5の僅差で可決しました。僅差であれ可決したことは、町民の良識を示したものとして歓迎すべきことです。池田町議会は賛成多数で陳情を採択した、このことの意味は極めて大きいものがあります。これは強調してもし足りないほどです。(今日の町議会での審議について私自身はネット配信で議会の様子を見ていました)

しかし、一方で大きな問題もありました。そのことを説明するために、順を追って経過を確認しておきましょう。
まず、この陳情の提出者は「戦争法案に反対する池田町民の会(準備会)」で、案文の起案者は私でした。陳情書の議会への提出締め切り日が先月末。当然そのあとに予定していた準備会の会議に間に合わなかったために、当初は提出者代表を私にして文書を先に出し、6月3日の準備会において「会としての提案」とすることを事後承認してもらいました。
この議会には、もう一つ「9条の会池田」からも請願書(紹介議員がいる)が出されており、これは「言葉がきつい」「例示が多い」などの理由で継続審議とされました。もちろん陳情、請願の趣旨は同じで、「法案の廃案を求める」ということでした。
いろいろ意見があるのはむしろ当然で、議論をたたかわせ、一致点を見いだして議会としての意見をまとめていくというのは当然踏むべき手続きでしょう。

さて、問題はその次です。さきほど「大きな問題があった」と書いたのは、今日の議会本会議である議員から次のような意見が出されたからです。私にすれば「晴天の霹靂」のような意見でした。
その意見の要点はこうです。(あとに発言全文を収録)。

陳情書で使っている言葉が極めて乱暴で、常識(良識?)の府である町議会で使うのは不適切。将来をになう子ども達にも教育上問題がある。

実際驚きました。たまげました。
この議員の実際の質問の様子は、UStreamの録画(16分44秒あたりから)として公開されていますので、誰でもご覧になれます。
これだけをお聞きの方は、私がどんな乱暴な陳情を出したのかと思われるかもしれませんね。彼の意見を聞きながら、これはどうしても反論せざるを得ない、そう考えて以下の文をしたためた次第です。

皆さんに理解していただくために、陳情書そのものをまず紹介しておきましょう。
私が陳情書を提出したのは5月29日。以下がその全文です。なお、陳情提出者について6月11日に補足書を議会事務局に提出。これも載せて転載しておきます。そこでは「町民の会準備会」を構成する合計8名の連名でこの陳情書を提出したことを伝えています。
タブレットではpdfファイルがダウンロードできない可能性があるので、htmlファイルも横につけておきました。

陳情書(pdf)、  陳情書(html)
安全保障関連法案に関する意見書(案)(pdf)、  意見書(html)
陳情提出者についての補足(pdf)、  補足(html)

陳情書を提出後、これは議会で受理され委員会に付託されますが、その審議では3対1で陳情が可決、採択されました。そのうえで最終日の今日、本会議にこの案件が上程されたのです。事実経過はここまでです。

ここで、私が起案した陳情書および意見書案を見ていただきましょう。
「陳情の理由」では確かに「殺し・殺される」という言葉を使っていますが、「自衛隊員が後方支援(兵站活動)に参加することになれば、他国の戦場で自衛隊員が『殺し・殺される』立場に立たされることになる」という文脈で用いていることにご注意ください。
これを批判した議員が、言葉が小中学生にも聞かされないほど乱暴な言葉だということの例としてあげたのはこの一点だけです。しかし、この言葉は「陳情の理由」として述べたものであって、町議会から政府、国会に提出する案文である「意見書案」にはそのような言い回しは一切使っていません。果たして委員長も、当の議員もそのことをご存じだったのかどうか。
もともと陳情の理由というのは陳情者がどのような意図、意志をもってこの陳情をしたかを示すもので、政府などに提出する意見書の文面とは当然異なります。
さて、あらためて、意見書案をご覧頂きましょう。私とすれば、もっと激しい言葉で政府自民党の暴挙を糾弾してもよかったのですが、議会での審議を考慮し、可能な限り柔軟で分かりやすい言い回しにしたつもりでした。
このどこが乱暴で小中学生にも見せられないものでしょうか。
言わずもがなですが、私は戦争という人間集団の行為について、理解も見識もある議員諸氏を念頭において案文を起案したのであって、そのまま小中学生に聞かせる文章を提案したのではありません。議員諸氏に対しての文案としても、まさか、よもや、「いのちのやりとりをする」とか、「お亡くなりになる方がいらっしゃる」などとすれば適当だとお考えではありますまい。議会に対する文案と子どもたちへのメッセージとを混同されるのはいかがなものか。

日本弁護士連合会は声明の中で次のように述べています。

他国軍隊に戦闘地域で弾薬・燃料等を補給することは武力行使と一体化した戦争参加とみるべきものであり,相手国からの武力攻撃を受け,武力紛争へと発展する高度な危険を伴う。また,武器の使用権限の拡大も武力紛争のきっかけとなりかねない。いずれにしても,このような状況下で,現場の自衛官は,武器を使用して他国の人々を殺傷する立場に追い込まれ,自らが殺傷される危険に直面する。戦前の盧溝橋事件は,現場での兵士の武器使用が全面戦争のきっかけとなる危険があることを示しており,今改めてこの歴史の教訓に学ばなければならない。

私の文章を乱暴だ、教育上も問題があると指摘した議員氏は「殺し」を「殺傷し」と言い換え、「殺される」を「殺傷され」と言い換えれば「きれいな」日本語になるとお考えなのだろうか。
私は、法案が全国民に関わる問題であり、賛成・反対を含めて議論するには時間が必要であり、今国会で数を頼んで拙速に採決すべきではない。十分すぎるほど慎重に審議すべきだという立場で、「廃案」という陳情に態度を保留もしくは趣旨採択の上「慎重審議」を要求されるのならば聞く耳を持ちましょう。全国の地方議会でそのようなところはいくらもあるのですから。また法案に賛成の立場から、この種の陳情もしくは請願に反対するというのもスジは通ります。
だが、次にみるように、「言葉の暴力」とまで最大限の非難の言葉を投げつけて、実はどうしたいのかは全く不明瞭という態度は私には全く理解不能なのです。
「戦争は絶対にいけない」と冒頭で発言されながら、よくわからない質疑をした別の町議についも同様です。改めてこうした議論に与した議員諸氏に聞きましょう。
どこがどのように言葉の暴力であり、どこが子ども達に聞かせられないほど乱暴なのですか。具体的に指摘していただきたい。
ベトナム戦争を体験したアレン・ネルソンさんが、全国の学校などを巡って戦争というのは「殺し殺される」ことだと訴えていることも、言葉の暴力なのでしょうか。学校現場では、彼の話が大きな感動をもって迎えられていることを付記しておきましょう。なお学校現場で、戦争が「殺し殺される」ものであることを避けた平和教育などあり得ないことも。
日本弁護士会も言葉の使い方を知らない集団なのでしょうか。それとも弁護士会はよくて、私の提出した文面がダメだとでもおっしゃるのでしょうか。
私は日本弁護士会と同様、「殺し殺される」戦争こそ最大の暴力であり、最大の人権侵害であると考える者の一人です。
ついでにお願いがあります。「きれいな言葉」で書いた意見書の模範というものをご自身でお書きになって直接見せて頂きたい。

では、ここで、さきの町議氏の発言をご紹介しましょう(どうぞ実際の録画映像といっしょにごらんください)。
念のために申し添えますが、私は発言者の人格攻撃を目論んでいるとか、全否定をするとか、そのような意味でこれを書いているのではありません。実際これまでこの方の議長時代にはいろいろとお世話になっていますし、共感をもってお話させていたことは沢山あるのですから。
ただ、事実と異なることは正したい。私の起案した文章に責任を負うという意味でのみ、かかった火の粉を振り払っているだけです。どうかご理解ください。

私は委員会の疑問点を答えて頂きたい。1つは委員長から陳情3号(「町民の会準備会」提出)と請願4号(「9条の会池田」提出)について、請願4号は言葉が乱暴だが陳情3号の方がましだという報告をいただいた。
私は陳情3号も請願4号も非常に言葉が乱暴。これは常識の議会としてはこういう言葉を使って陳情・請願するということは、これからの世の中をしょっていく子ども達にとって教育上問題があると私は思っている。
この法案は、安保の根幹に関わる、国民生活に影響を及ぼす重要問題であって、簡単にこの議会で賛成・反対ということを言うべき問題ではない。もっともっと大きな深刻な問題であると思っている。国民の十分理解が得られるようなことを討論すべきではないかと思っている。
いま中東・アラブ諸国で戦争ではなくて紛争が起きている。アメリカではテロ行為がある。毎日毎日亡くなっている。これを話し合いで解決するとよく言うが、話し合いで解決するのだったら紛争もテロも戦争も起きないはずだ。ですから私は法案というものは十分に備えをしておくことが必要ではないかと思っている。
そして私は陳情3号について非常に不快な思いをしているのは、ここに「他国の戦場で自衛隊員が殺し、殺される」こういう、私は言葉の暴力だと思っているんですね。こんなことをこの議場でもって使うべき言葉ではない。ですから私はこの陳情について、こんな言葉を使っていったらこれからの将来を背負った子どもの教育上・・・私は教育委員会のみなさんにお願いしたんだが、こんなことが通用するかどうか、私は常にそう思っているんです。
ですから私は法案撤回というんじゃなくて、陳情書を撤回してもうちょっと懇切丁寧にきれいな言葉で書いてくるべきじゃないかなと思っている。
私が委員長にお願いしたのは、「慎重審議を求めて」という言葉でまとまっていけなかったのか、ただ法案を撤回するだけの意見で通ったのか聞きたい。


あとの判断は、これをご覧の諸氏におまかせすることにします。

(注)上の発言部分で「赤字」にした文字が2カ所抜けていました。校正上のミスですが、時間が経ってからの修正であることと、あるとないとでは発言の意味が変わってしまうので、お詫びして訂正します。



  6月21日(日)
朝5時前に飼い猫のハルに起こされ、外に出してやりながら空を見ると雨は落ちていない。この状態なら畑仕事ができるかなと思って、早い朝食を準備して食べているうちにまた雨がザーザー。畑仕事どころではなくなってしまいました。
まだタマネギの収穫が終わっておらず、イチゴ畑も草ボウボウ。雑草は一雨数センチの伸びですから、今頃は大変なことになっているのではないかと心配しつつ、いつも今日こそはと思いつつ、この頃の忙しさに紛れてしばらく覗いてもみていなかったのでした。雨の晴れ間をみて、急いで雑草だけでも抜いてくることにしますか。
イチゴは今年で終わりにしようと思っていて、収穫が終わればそのまま耕して原状復帰しようと以前は思っていたのですが、苗がほしいという仲間が何人かいたため、ランナーだけはちゃんとして置かないといけない。ほしいという人がやってくれればいいのだけれど、畑を借りているのは私なので、そこはやむを得ませんね。

「雑草」は雑草なりの強い生命力で、ヤワなイチゴなどはお構いなく自己主張を遂げて伸びるわけですから、人間にとっては雑草でも、草にしてみれば「おれも植物の1つだ」というわけです。彼らと共存共栄の関係を築いて野菜を育てる自然農法もあるようですが、それでもやみくもにただ一緒にすればいいというものでもないでしょう。なぜなら地を這う植物と上に伸びる植物は共存できるはずもないからです。
だから、イチゴを露地栽培しようとすれば、それ以外の植物は極力人力で排除しなければならない。たいていはそれができないから、ハウスで純粋培養することになる。たとえそんなにおいしくなかろうが、それが当たり前だと思ってしまう。

「害虫」だって全く同じことです。人間に必要な作物に対しては害虫でも、それ以外では愛でることも多いのです。たとえば蝶。我が家のレモンの木にはしっかりとアゲハの幼虫がついて葉を食い荒らしていく。しかし、外で見るアゲハは実に美しい。
農薬をいつから人間が使い始めたのか、私には知識がありませんけれど、そんな昔からではないはずですね。
私が子どもの頃までは畑に人糞を撒いていましたもの。少し前に書いた私の幼少期には、祖母が畑に「肥だめ」を作って発酵させては使っていましたから。農家の人も、当然のごとくわざわざ肥桶を持って糞尿をあつめに来ていたのですから。お礼に野菜などを置いていったものでした。いまからわずか60年前ですよ。
もっとも、寄生虫が学校でしきりに問題にされ、その元凶として施肥がとりあげられることになるわけですが・・・。想像するに人間はわずか数十年前まで、それにさかのぼる何百年、何千年もそうやって植物を育て、品種改良もしてきたのではないのでしょうか。

化学肥料そのものは20世紀初頭からすでに大量に生産され初めていたという記述もみたことがあります。しかし、現代のように農薬を撒いて虫や菌を殺し、速効性の化学肥料で作物を大量生産するという仕組みが大規模に世界的に拡散・定着するのは、戦後のことでしょう。
土がやせ、表土が失われ、それが化学肥料依存を一層深めていく原動力になって悪循環をくりかえしていくという典型はアメリカですね。日本は小規模農家が多いために、そこまでは行っていませんけれど、いずれはそうなる。最近の大雨による河川の氾濫や高齢化による農地の荒廃をみていると、私たちはいずれ自然史の中で自然そのものから厳しい審判を受けることになるという予感を禁じ得ません。



  6月19日(金)
てるりんさんが紹介してくれていたYouTube動画、こっちでも拡散させてもらいました。ドイツ語が分かる人でも楽しいかも。


つづいての動画は国会前、瀬戸内寂聴さん93才の必死の訴え。多くのメディアが注目しましたね。
「若い人の将来が幸せになるよう進んでほしい」
本当にそうです。若者よ、いっしょに考え、いっしょにたちあがろうぜ。
私のように「オツム」に隙間がどんどんできていく年とは違って、若い世代は智恵も力もある。現在にふさわしいやりかたで、立ち上がってほしい。





  6月18日(木)
昨日は土砂降りだったために、バラ園はさぞひどいことになっているだろうと心配しつつ園内へ。みんなさすがに疲れたのか今日はほぼ役員だけ。
ところが時期をはずれて読売新聞が「北アルプス望みバラ満開」という記事を載せてくれたおかげで私の電話に問い合わせが何件か。小さい記事だったので「問い合わせ殺到」というほどではありませんでしたが、この種の記事はみなさんやはりよくチェックしていらっしゃるのですね。
予想通り、雨でバラたちは項垂れ、祭り後は今日まで手入れをしていなかったので花殻いっぱいの状態で2時間ほどみっちり花殻摘みをしました。その結果、花はうんと少なくなって寂しい限り。ただ、次の新芽、花芽がどんどん出てきているので、梅雨が明ける頃にはまた見頃になるのではないかと思われました。

「安全保障法案に反対する学者の会」が発したアピール賛同署名が増え続けて、学者・研究者が4809人(今日の午後3時現在)、一般市民6045人となっています。どんどん増え続けるといいですね。
MNEMOさんが「妄想問答集」として、とても楽しい(コワ〜イ)会話を創作していらっしゃいました。こんな創作になると古典落語にも造詣の深い氏の右に出る方はいないんじゃないかなあ。勝手ながら転載させていただきました。よろしく。

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こんな夢を見た・・・

     《 妄想 》 首相記者会見


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会場は首相の官邸。官房長官、防衛大臣が同席しているのは当然として、なぜか席上に米軍関係者がいる。


記者: 首相や防衛大臣、官房長官、自民党副総裁が憲法学者の大多数より憲法に精通して
  いる理由をお教え下さい。

首相: それまあ、いわば、正に、憲法解釈において、ですね、砂川判決を読めば?
  ちょっと、静かに聴いて下さい、ルールを守りましょうよ。


記者: ルールの中のルールが憲法だと思うのですが、それを長年研究し、その知識、
  知見、学識で食べている専門家たちより首相ら皆さんが憲法解釈に精通している理由
  なんですが。

首相: ですから、いわゆる、正に、砂川判決を詳細に読むとですね、集団的自衛権に
  ついて、否定している文言が、その中に於いてですね、見出せないという・・・
  まあ、いわば、国の存亡の危機を回避する手段としての武力行使は認められている
  わけでありまして、専守防衛という根本理念も守られておりまして?


(何を言いたいのかよく分かんないよな、という声が複数聞こえてくる)

記者: あのー、ですから、首相ら皆さんがプロの憲法学者よりも?

首相: 学者がいつも正しければ苦労はないんですよ!

記者: だれもそんなことは言っていませんが。

首相: そう言っているとしか思えませんね。

官長: 政府の新安保法制が合憲だと言う学者もいっぱいおりますよ。

記者: いっぱい。どのくらいですか。

官長: Aさん、永六輔さんじゃないですよ。Bさん、Cさん。志位さんじゃないですよ。

記者: 3人だけですか。

官長: 数の問題じゃないんですよ。

記者: そんなこと言ったら、「いっぱい」は数の問題じゃないって教えるんですか。
   英語の授業で、manyというのは数の問題じゃないって。

防臣: 新安保法制は合憲です。だって合憲だからです。それから、私たちのブレーンや
   法制局長官だって合憲て言っているからです。


(「子どもか!」という野次が飛ぶ。)

首相: 失礼じゃないですか、そういう野次は! こちらは真剣にですね、正に、いわば、
   質問にお答えしているわけでありまして?


記者: ですから、首相、真剣に私の質問にお答えいただきたい。圧倒的多数の憲法?

首相: 集団的自衛権の行使と言ってもですね、いわば、正に極めて限定的でありまして、
   兵站とですね、機雷除去、掃海というですね?


記者: また論点がズレてきました。私は圧倒的多数の憲法学のプロたちが?

首相: その意味に於いて、その意味に於いて、ですね、限られた作戦行動しかとらない
   ということで、ですね、正に非戦闘的なことしかやらないという?


記者: 兵站というのは戦闘部隊への弾薬や食料などの補給でしょう。戦闘行為と一体だ
   というのは常識ですが。機雷掃海なんて、戦争が起こっている中でやれば立派な
   敵対行為ですが。

首相: 危なければやらないし、活動を休止するし、撤退するんです。

米軍関係者: そんな兵站(logistics)なんて当てになりませーん!一緒にやりようが
   なーい!攻撃されれば逃げる同盟軍なんて誰が当てにしまあすか!


首相: 実際に於いては、ですね、「一般にはできない」ということから飛び越えて、
   ですね、「一般ではない事態になったので」と言ってちゃんとやりますから!


一同: あ!

                            (おわり)



  6月17日(水)
今日は朝からずっとデスクワーク。夕方ひらく「町民の会」の準備をしておりました。夜、呼びかけ人と事務局の合同会議を持って、23日の集会の準備をほぼ整えることができました。何とか沢山の方に集まっていただけるように全力をつくすのみです。

国会では党首討論が開かれ、安全保障関連法案について主に質疑が交わされたようですが、安倍首相の対応は国家主義そのもの。自分の方がよほど自国(国民ではない!)の安全を守るために働いていると考えているのでしょう。憲法学者がこぞって「違憲」と判断しているこの法案について、「憲法の範囲内にあるからこそ法律として提出している。正当性、合法性について完全に確信を持っている」というのですから、よほどの感覚の持ち主。どんな立場でどのような根拠で「正当性、合法性」というのでしょう。

今日の朝日新聞には、ちょっとおもしろい記事がいくつか載っていました。
1つは例の稲田女史の将来の首相への意欲発言。ロイター通信主催の講演会の後の質疑で「女性初の首相を目指すのか」と問われて「政治家であるなら、誰でも首相を目指している」と発言したというもの。
このお方は安倍首相以上に超右翼ですから、いったいどんなことになるのやら。こんな発言を許している自民党は、もはや55年体制下の政党ではなく、国粋主義者・国家主義者グループの超右翼集団というべきでしょう。自民党を冠して当選した議員の皆さんはことのことをどう考えているのか。
「国家社会主義」を標榜してしだいに影響を広げ、最後には全権を掌握したナチス党と何ら変わらなくなってしまうのでは?朝日は「トップを目指すのは安倍首相が退陣した後となりそうだ」などと書くだけであとは何の論評もしていませんけれど、彼女の「千人斬り」裁判に関する本を読んで以降これほど危険なお方はいないと危機感を募らせております。
私などは、このお方が総理におなりになった暁には日本脱出しようとするかも。

もう一つの記事は自民党高村副総裁が本部で記者に語ったというお話。ちょっと引用してみましょう。

学者は憲法尊重擁護義務を課せられてはいない。学問の自由があるから、最高裁が示した法理でも「それが間違っている」と言うこともできる。我々憲法尊重擁護義務がある人間は、最高裁が示した一般的法理を尊重する、という、単純な、当たり前のことを言っている。

政治家は最高裁が示した「一般的法理」を尊重すべきであり、一般的法理という意味で「必要な自衛の措置」が最高裁判決で示されるなら、その中身は政治家が考えることだとして次のように述べるのです。

国の存立を全うするための必要な自衛の措置」は政治家が考えなければいけないことだ。「必要な自衛の措置」の中に、国際法的には集団的自衛権とみられるものが含まれるのであれば、その限りで集団的自衛権も容認される、と当たり前のことを当たり前に素直に言っているだけだ。

では、それを敷衍して、次のような展開はいかがでしょうか。私の作文であって引用ではありませんので念のため。

<国の存立を全うするための必要な自衛の措置は政治家に委ねられていると解釈されるから、中国・北朝鮮の核武装に対応するための「必要な自衛の措置」の中に、国際法的には核の抑止力が含まれることは否定されてはいない。わが国は国是でこれまで「非核三原則」を貫いてきたが、国際情勢は根本的に変容した。そうであれば、その限りでわが国の核武装も許容される、と当たり前のことを当たり前に素直に言っているだけだ。>

論理的にはそうなる。つまりは憲法遵守義務のない学者などがどう言おうが、現実の政治の動きのなかでは「政治家が考えなければいけないこと」があるのだ。国際情勢の根本的な変容に従ってそれは必要に応じて変化するのが当然だ・・・というわけですから。
集団的自衛権の次は核武装じゃないのかなあ。私にはそう思えてしかたがないのです。それこそ非論理的だとおっしゃるでしょうかね。
稲田朋美流にいえば、「こんな高い見識をお持ちの方が、そんなことををなさるはずがないではありませんか」・・・・。そうですね。中国で戦争にかり出された兵士の方々はほとんどがよき父であったはずですし・・・。
では、ちょっと第1次安倍内閣までさかのぼってみますか。注目すべき発言があったことに気がつきます。

2006年 麻生太郎外務大臣(衆議院テロ対策特別委員会)=隣の国が持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ。
同年 中川昭一自民党政調会長【酩酊記者会見で有名 2009年急死】(自民党静岡県連合会の集会)=攻められそうになった時にどう防ぐか。万が一のことが起きた時にどうなるかを考えるのは、政治家として当然のことだ。
同年 安倍総裁=政府や党の機関としては議論しない。それ以外の議論は自由だから言論封鎖することはできない。
同年12月 政府の内部文書=日本が小型核弾頭を試作するまでには少なくとも3〜5年かかる。(産経新聞)
以上wikipedia

私が言いたいことは、この集団的自衛権の行使を法制化するという安保関連法案というのは、実はそうした論理的必然性を内包しているということであって、今の自民党に核武装論が強いとかすぐにでもその方向に行くのではないかと言いたいわけでは決してありません。
高村さんが「最高裁の判決の法理に従って、何が国の存立をまっとうするために必要な措置かどうか、ということについては、たいていの憲法学者より私の方が考えてきたという自信はある」と言うほどに、学問・研究の意味についてまるでおわかりではないのですから、私のような穿った見方はあながち見当外れではないはず。



  6月16日(火)
我が家の庭では、道路沿いのラベンダーが花盛り。ミツバチがしきりに飛び交っています。狭いところですから夏野菜もひしめきあって、それでもすくすくと伸びています。私がいない間、妻が一人で食べなければならないことに。




それはともかく、南側の道路沿いに「かすみ草」らしき一株の花があります。直径は1.5メートルくらい。でかい株です。
毎年この時期になるときまって同じように半球を描いてこんもりと無数の小さな花をつける。いったいこの花の正式名称は何でしょう? 知っている方がいたら是非おしえてください! 何しろ植えた覚えがないのです。数年前のあるときから咲き始めた。
においはよくない・・というよりクサイ。だから切り花にはならないんですね。しかも大雨がふると傘が破れてひどいことになってしまう。今が見頃なのです。


大町のある塾で仕事をしていたときの生徒の一人が、すぐ近くの総合病院で働き始めたというFaceBookの書き込みがありました。「お友達リクエスト」があったのでOKしましたよ。もうあれから5年も経つのですね。
彼女たちを大町で教え始めたのが、この塾での始まりだったことと、とてもよいグループだったので私も一緒に勉強していてとても楽しかったことを今でも思い出します。
ところで、FaceBookは基本的に苦手ですねえ。コミュニケーション・ツールの1つであることは認めるとしても、私のようにいつも勝手気ままに長文を書いては公開している立場では、いささか勝手が違うのです。実際「わずらわしい」というのが一番。
かつて迷惑な書き込みがかなりあって途中完全にシャットアウトしていた時期がありました。ただ、名前を公開していると思わない人から連絡があったりしてそれなりに役立つことがあるので、それなりにおつきあいしているというのが現状。しかし、大災害、大事件(安保法制も?)ともなれば、これは大きな威力を発揮するのでしょうね。

昨日の午前・午後といろんな人と会い、電話して23日の結成集会への出席依頼をしていました。同時に新聞社にも連絡を入れました。それぞれ予定のある人が多いので、今週前半が勝負どころ。明日、明後日とフル回転です。
安保関連法案に関して、昨日「安全保障関連法案に反対する学者の会」がこの法案の廃案を求めるアピールを出したことが報じられました。呼びかけ人は61人、賛同者は2700人にのぼるのだそうです。
「学者の会」のホームページによると、発起人はノーベル賞の益川敏英京大教授や哲学者の内田樹氏、社会学者の上野千鶴子氏ら7名。呼びかけ人は日本の学会を代表するそうそうたるメンバーが多数名を連ね、さらにこれに応える学者の方々は数え切れないほどです。


会では今後この声明に賛同する署名活動を展開するとしており、ツイッターの書き込みも随時見られるようになっています。研究者だけではなく一般市民の署名もあつめると言うことで、署名数もすぐにわかるようになっています。
私もさっそく私も署名を送っておきました。みなさまもどうぞ。ただ、書き込みフォームが研究者と市民とで別れていないため、ちょっと分かりづらい。

アピールでは、学者・研究者がかつて侵略戦争に加担したという痛恨の歴史を振り返り、次のように述べています。

私たちは、かつて日本が行った侵略戦争に、多くの学徒を戦地へ送ったという、大学の戦争協力の痛恨の歴史を担っています。その歴史への深い反省から、憲法九条とともに歩み、世界平和の礎たらんと教育研究活動にたずさわり、再び戦争の惨禍を到来させないようにしてきました。二度と再び、若者を戦地に送り、殺し殺される状況にさらすことを認めることはできません。

その真剣な思いを込めたこの会の発足を心から歓迎したい。いま準備をしている「町民の会」の発足にも大きな励ましを与えてくれていますから。
研究者のみなさんが刻々書き込んでいるツイートもおもしろい。一般市民(?)もときどき。そうそう、民主党細野豪志さんも署名してましたよ。

6月14日 山口二郎(法政大学教授 政治学)さん

今日は2万5千人で国会を包囲した。私も一言あいさつした。65年前の安保闘争で岸を首相の座から引きずり下ろしたことで戦後政治は変わった。今孫の安倍が祖父のかたき討ちをしようと戦争法制を進めているが、我々の力で返り討ちにしてやろうと訴えた。

同じく14日 国分功一郎(高崎経済大学経済学部准教授 哲学)さん

いま風向きが変わりつつあるように感じています。そのきっかけの一つが憲法"学者"の発言でした。世間で思われているよりもはるかに、行政は人の目や反対する人の人数を気にします。

おそらくこの署名、空前の勢いで増えていくのではないでしょうか。拡散しまくりましょう。



  6月15日(月)
昨夜はNHKの「沖縄戦の全記録」をみていて、そのあと眠くなって寝てしまったので、バラ園の記録は1日遅れとなってしまいました。
バラ祭りが無事終了。夕方の雨が心配でしたが開催中は何とかお天気も持ちこたえてくれました。
「終わったね〜〜〜〜」「長かったねえ〜〜〜〜」。みんなの口から出てきたのはそのふたつ。確かに、「前夜祭」が10日も続いて、そっちの参加者の方が多いんですから。会員、とりわけ役員にはこたえました。
後片付けが終わったあと、まとめに参加したメンバーはさすがに疲れた様子を見せながらも、やり遂げた充実感で晴れやかでした。「今日はバタンキュー」だと口々に。それぞれ全力投球でバラ祭りを支えた実感がこもっていました。本当にお疲れ様でした。

この3日間でバラ園を訪れた人は1200人、祭り前までに約1800人ですから、合計で3000人。昨年は事前に来た人が500人と比較的少なく全体で1800人でしたから、全体としては大幅に増えたことになります。
祭りを担うスタッフの数の問題、駐車場の問題、訪問客の問い合わせに対する対応その他今後の課題も沢山見えてきています。メンバーは一年一年高齢化(!)、お客は増える一方ですもんね。実動10数人のボランティアグループでこれだけの訪問客を相手にするのはそろそろ限界に近づいているのではと思います。いずれまとめは役員会でしっかりやらなければなりません。








夕べのNHKスペシャル「沖縄戦全記録」の記録は衝撃的でした。これは米軍の映像資料および最近明らかになった沖縄県の戦死者の記録などをもとに作成されたドキュメントです。内容はかなり知っていたとはいえ、いざ映像で見せつけられるとやはりショックです。沖縄の人たちには言いしれぬ感情・思いをよみがえらせる映像でもあったでしょう。
「皇土防衛の前縁」と位置づけられた沖縄では、「軍官民一体共生共死」というスローガンのもと、日本軍がすべての住民を巻き込んだ無謀な戦闘を続け、全住民の4分の1が死に、沖縄は穴だらけで土だけの島になった・・・・言葉のうえではそういうことになります。
このドキュメントは、米軍記録の映像にくわえて、自治体に残されていた戦死者の日ごとの記録の分析と住民の証言記録をもとに、沖縄戦の無謀さと狂気(日本軍・米軍とも)を明らかにしているといえますが、私には沖縄戦から70年経ってガマで発見された「しゃれこうべ」を水で洗い泣きながら話しかける女性の姿や、「沖縄戦での住民の被害の実相がいまだにわからない」という何気ないナレーションからの方がよほど強い印象を受けました。
確かに意欲的なドキュメントであることに否定の余地はありませんが、米軍の映像であれ住民の証言であれ、沖縄戦はこれだけの断片でつなぎ合わされるもんじゃない。「全記録」というならば、米軍の記録、日本軍の記録、住民の記録などさまざまな角度からもっと掘り下げて連続シリーズで是非続けてほしい、正直そう思いました。そのことは大城将保さんが「沖縄戦 民衆の眼でとらえる[戦争]」で指摘している点でもあるし。

光人社NF文庫に「沖縄(OKINAWA)日米最後の戦闘」(米国陸軍省編、外間正四郎訳)という分厚い一冊の文庫本があります。
その本の「訳者まえがき」には次のように書かれています。

米軍は、沖縄戦で多大の犠牲を予想しながらも確実な戦史を残すために、大学教授、歴史家、著名なジャーナリストからなる戦史部隊を特別にハワイで編成、沖縄戦に送り込んだ。

この指摘通り、米軍は軍団(陸軍、海兵隊)・師団には特別に編成した戦史任務要員(「第1情報・戦史部隊」の一部として45年1月ハワイで編成)を所属させ、詳細な記録をとらせました。彼らはヒストリアンと呼ばれ、紙の上の記録だけではなく映像にも力点を置いて沢山の記録を残しています。
それだけではありません、彼らは戦争中から戦後にかけて会議を開いて緊密な連絡を取り合いながら記録の正確さを期し、沖縄戦終結後は中心任務に当たったスチーブン中佐とバーンズ曹長が第10軍を離れてオアフ島(全記録がここにあつめられていた)で戦史の執筆に専念することになります。その他のヒストリアンは引き続き部隊に残って、今度は作戦に参加した兵との面談、聞き取りなどで戦史の正確さを期す・・・。一方の日本は「戦争の実相はいまだにわからない」・・・・。
いつだったかこのブログで、こんな米軍を相手に70年前闘ったんですよ、と書いたことがありましたっけ。

よく日本の安全保障を語る際に「中国・北朝鮮が攻めてくる」という言い方がされます。ナショナリスト、ネトウヨ諸君はこの言い回しが大好きですね。
さて、中国や北朝鮮はいったいどうやって攻めてくるのでしょうね。何のために、どのようにして?攻めてきたあとは?
米軍のこの記録を読むとその「攻めてくる論」がいかに馬鹿げた妄想、為にするプロパガンダに過ぎないか、よ〜くわかります。と同時に、そうした言辞をはく人物が、戦争というものがどのようなものであるかを全く知らない(知る気もない)ということも。
それについてはここでではもう書く余裕がありません。この種の妄想におつきあいするには、この本で米軍が沖縄上陸作戦「アイスバーグ作戦」を実行するにあたって問題となったいくつかの点(軍政の問題、占領後の食糧の確保と輸送の問題など)を挙げるだけで事足りますが、その詳細は書籍に直接あたってもらうほかありません。

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今日もバラ園に何人もの方々が来ていました。さすがに相手はできないので、ご自由に見てもらっていました。しばらく訪問が続くことになるでしょう。
下は2日前の大糸タイムス。初日の模様を紙面で紹介してくれたのでした。知らなくて、訪問客から教えてもらい、今日わざわざ新聞取次店で入手してきました。


お昼頃、掲示物などを作ったりブログでバラ祭りを紹介してくれていた観光協会と、地主さんお二人のところに祭り終了のご挨拶に行ってきました。
お昼寝の最中を起こしてしまった80代の地主さん、「ま、上がありまし」と招き入れてくれた部屋にはまだコタツが。一人暮らしで、何ヶ月か前には救急車で運ばれて入院したことがあるので、体調を心配していたのです。
本人曰く、食事をしていたあと、急に動けなくなって、何とか這い出して知り合いに連絡を取り病院に運んでもらった。病院入り口までは覚えているがあとは何も覚えていない。
いろいろ調べてもなかなか原因がわからない。何度か検査をしているうちに、何と「塩分不足」だということが判明した。めずらしいことだそうがないわけではないらしい。入院中飲まされていた薬が実は「塩」だった。そのうちもとに戻って無事退院できた・・・とまあ、そんなお話でした。
一体どんな食生活をするとそうなるんですかねえ。「漬け物などもたべていたんでしょ。変だねえ。せいぜい塩っ気のあるものを取らないといけないってことかなあ」と私。元気な姿を見ることができて本当によかった。
もう一人の地主の方(90代)のところに出かけたら、畑で大きな耕耘機の手入れをしているところでした。車の運転は返上したらしいのですが、いまだに耕耘機運転は現役。この方に畑を貸していただいているのです。この方も、祭りが盛況のうちに終わったことをことのほか喜んでくれました。
耕耘機を掃除しながら、先日ギヤーをしっかりかませなくて耕耘機が突然動きだし下敷きになりそうだったこと、間一髪で助かったと述懐。さぞ肝を冷やしたことでしょう。高齢ですから本当に気をつけてほしいものです。
どちらの地主さんも、お人柄は柔和で包容力があり、本当に素晴らしい。安曇野の宝物のようなお方です。
これまでは、祭りが終わってもろくに挨拶もしてこなかったのですが、今回ばかりはどうしてもと思って直接会って、感謝の気持ちを伝えてきたのでした。



  6月13日(土)
7月1日から30日までの1ヶ月間、一人で沖縄にまいります。妻が2ヶ月ほど沖縄の実家にかえり私は池田というこれまでのパターンとは反対の過ごし方です。
国会情勢の切迫が何とも気になりますが、3ヶ月ほど前から決めていたことで、すでに飛行機の切符も往復とってしまっていました。周りの人にそんな話をすると、「真夏だからあまりの暑さに音をあげて早々と帰ってくるんじゃないの」とみんなから言われています。妻までが・・・。
沖縄の義兄から「玉城に着いた次の日は浦添の自宅に寄っていったら?」との親切な誘いがあったので、それに甘えることにして、3日には名護の知人宅(一軒家)を借りて23日、24日頃まで過ごし、その間辺野古や高江に行ったり、別荘を探したり、新しい人脈づくりに励んだりといろいろやることにしています。
最後の一週間はたぶんまた妻の実家の玉城で過ごすことに。交通機関は月極のレンタカー。相当に安いので助かります。
目下の課題はその間のネット問題。ガラケーをスマホに変えるか、またはポケットワイファイにするか、悩んでいます。パソコンをどこでも使えるようにしたければ、たぶんポケットワイファイの方がいいのでしょうかね。もう少し研究しないと。

さて、バラ祭り2日目。今日は朝からよいお天気に恵まれて、朝からこれまでといずれ劣らぬ人出となりました。
午前中は風もあり、北アルプスもそれなりに全容を表して、気持ちのよい日和だったのですが、午後からは日差しも強くなって暑い1日に。みんな汗だくで、来訪者の接待、品物の販売。駐車場の案内などにあたりました。おかげで終了する午後4時頃には、よれよれ状態に。
私も午後から松本での「子ども塾」に出かける予定だったのですが、あまりの人出とスタッフ不足のために断念するはめに。ちょっと迷惑を掛けてしまいました。ま、それはいずれとりかえすことにしましょう。
新聞をすみずみまで読んで、気に入った催し物を探してすぐに出かけてくる人たちがこんなにも沢山いるということを思い知らされました。そして、バラを愛好する人たちの何と多いこと!!若い二人連れから、子ども連れの家族、車いすのお年寄りまで。
他とは比べものにならないくらいちっちゃなバラ園なのに、よく訪問してくれるものだと、感心するやら感謝するやら。
まがりなりにも平和が維持されているから、写真のような賑わいが生まれるのですよね。つくづくそう思います。
来てくれる人はまず、入場料無料に驚きます。「え、いいんですか?」と真顔で聞く人や、「じゃ(祭りが)終わってからも来ていいんですね」と念を押す人も。「いつ来ていただいてもいいですよ。来ていただけるとうれしいです。お手伝いしていただけたらもっとうれしいんですが・・・」とスタッフは大体みな同じ答えを返します。
続いて、手入れの良さにびっくり。そりゃ、終わった花を徹底的に取り除く花殻摘みをみんなで行って、生き生きとした花だけを残していますから。
そして、最後に景観の良さに満足。「いいところですねえ」と言ってくれます。
それに対する私の答え。「北アルプスは一望できるし、安曇平もずっと見晴らせて豊科あたりまでみえるんじゃないですか。おそらく日本中探してもこんなに素晴らしい場所にあるバラ園はないでしょうね。それに自然に囲まれた山裾に突然ひっそりとした花園が現れるというのが何ともいえないでしょ。『秘密の花園』と私は呼んでるんですよ」。
こんな人出じゃ「秘密の・・」どころではもはや無くなっていますが、人がいなくなってバラたちがひっそりと佇む園内はまさにそれ。祭りが終わるとそんなときが増えますから、時間をみて是非どうぞ。
最後に、忘れないうちにどうしても言っておかなければならないことがあります。場所を快く提供してくれている地主の皆さまと暖かく見守ってくれている近隣の住民の方々への感謝です。地主のお一人(男性)は、病弱の体を押して近所のおばさまたち数人を引き連れて見に来てくれました。自分の土地が美しく生まれ変わっているのがよほどうれしいのでしょうね。そんな心意気に接するとうれしくて涙が出そうになってしまいます。


上の写真に人が何人写っていると思われますか?実に29人!今日も入園者数(主催者発表)は昨日と同じ400人でした。
我がバラ園はペットOK。子犬を抱えた家族連れを何組も見かけました。ちなみに、下の白いワンちゃんは生後3ヶ月だそう。でかい。テントにいるみんなにジャレついてはしゃぎ回っていました。






バラ祭りが終わってから、家でシャワーを浴びたあと、すぐに昨日のうちに印刷しておいた23日のチラシを呼びかけ人の方々や団体の代表に配ってまわりました。
あと10日しかないので、とにかく集会への参加を確保しなければなりません。あまり少ないようではみっともないですし、何しろ力が入らなくなってしまいますからね。
ここ数日はやることが目白押し。こちらが真剣になれば、必ずそれはみんなに伝わりますから、まあ何とかなるでしょう。しっかり寝て明日バラ祭り最終日に備えましょう。



  6月12日(金)
バラ祭り初日。午前中の早い内はまだ雨が残っていましたが、次第に雨もあがって昼頃にはすっかり回復基調。午後ともなると日差しが強くなって西日に照らされて暑いこと。
雨がまだ残っているにも関わらず、ひっきりなしに訪問客があって、全体で350人くらいの人たちがバラ園を訪れてくれました。(あとでわかったのですが、スタッフが解散してから50人くらいが一挙に来たのだそうです)
みんなが集まったのは午前8時半。まず、バラ園の入り口の門をかざる園名のプレートの取り付けを行い、5年目にしてようやく正式名称「あづみ野バラ園」のプレートが無事掛けられました。作業が終わった後は記念撮影。
プレートを作ってくれたのは、いつも便宜を図ってくれている町内の看板屋「アイティシナノ」。落ち着いた雰囲気のプレートにみんな満足顔でした。


毎年のバラ祭りもそうなのですが、あれこれ細々した用件が次々と現れて気ぜわしいことこの上なし。それでも今年は訪問客が分散しているせいか、駐車場の係りもほとんど必要なく、わりとスムーズに運営できたことは幸いでした。
明日からは晴れて混雑が予想されるので、また気合いを入れて対応にあたらなければなりません。













  6月11日(木)
今日はまた特別沢山の人がバラ園を訪れて、すでにお祭りのにぎわいです。スタッフの集計では、今日までにすでに2000人近い人が来てくれたことになります。昨年にくらべても倍増の勢い。
午前中は会員全員でテント張り、机椅子の搬入、案内掲示、周辺整備などを行いました。12時にはほぼ作業は終了。あとは明日を待つだけです。・・が、夜に入ってから雨。明日の午前中まで雨が続きそうな気配。さて、どうなるのでしょうか。

夕方は、親戚の方がご夫妻で来てくれて、一緒にバラ園に出かけました。一株のオーナーになっていただいているので、ときどき見に来てくれているのです。「あ、このバラは枯れかけているから、我々のようなもんだなあ」などと情けない話をしながらひとときを過ごしました。


ところで、昨日のこと、バラ園に塩尻からわざわざ来たという高齢のご夫婦、男性が安倍内閣はいい気なもんだと話しはじめ、話題は戦争法案のことに。彼は「自分はあと2年生まれるのが遅かったら特攻で死んでいただろう。ここにはいなかった」といい、安倍内閣の戦争法案には絶対に反対しなければならないと力説していました。
ことほどさように、安倍内閣の乱暴きわまりない暴走ぶりに、多くの人たちが声を上げ始めています。数のおごりというにはあまりにお粗末な憲法蹂躙の暴走ぶりですから、ある意味誰にも大変分かりやすい。年配者でなくとも、ちょっと考えればおかしな論法をさも「論理的」であるかのように言いくるめる彼らの「論理破綻」は容易に見破れます。
MNEMOさんが「あーあ。ほんとに安倍内閣、レベル低過ぎ。」と嘆きながら、紹介してくれていた10代の女の子の話。総理補佐官の礒崎陽輔が彼女にツイッターで論破されて、あげく「ブロックして逃走」という顛末がその最たるものでしょう。
このやりとり、大変おもしろい。「すごい。言葉遣いには問題があるけれど、むちゃくちゃ頭が切れる。」とNNEMOさんが脱帽するくらいですからね。

さて、わが池田町で思想信条、政党政派、老若男女を超えて結集した安保法制(戦争法案)に反対する町民の組織、「戦争法案に反対する池田町民の会」がいよいよ今月23日に旗揚げします。
呼びかけ人は池田町の著名人11氏。私は他の2人と共に事務局を担当します。コマネズミみたいに立ち働く人間もいないと組織はまわりませんからね。あ、自分だけが回ってちゃいけませんけどね。たとえが悪かったかな、磯崎さん。
文字通り「町民ぐるみ」の反対運動にしたい。そんな大それた野望をいだきながら、運動を盛り上げるために、現在準備会をつくって結成集会にむけた大運動を展開しつつあります。
昨日は朝から「呼びかけ人」の最終確認のためにあちこち駆け回りました。元大学教授、お寺の住職、高校教師(組合関係)、自営業者、9条の会関係者などいろいろな層の方が快く「呼びかけ人」になることを承諾してくれたので、呼びかけ文と全戸配布用のチラシ原案にお名前を載せたものがようやく出来上がりました。
上は「会の結成呼びかけ文」、下は全戸配布用チラシ原案です。これを両面に印刷して会への結集と23日の集会への参加を呼びかけようというわけです。
これまで全力投球してきた甲斐があって、それなりに訴えやすいものになったかなと思っています。




いよいよこれから23日の結成集会にむけて参加者の組織に全力をあげることになります。
既存の組織の構成員(たとえば政党の党員・支持者や9条の会、1000人委員会などの団体のメンバーなど)はもちろん、それに加わっていない広範な人も含めて戦争法案に立ち向かうというのは、おそらく池田町の歴史上もないのでは?それほど深刻な問題であるということでもありますが・・・。
どこまで幅を広げて活動できるかは、この会に加わる人々の努力、気概にかかっています。本気でこの法案を葬り去るためには、全国の経験に学びつつ、交流し、大きな流れに合流していく必要があります。いままさにその入り口に立っているということでしょうね。

1960年の安保闘争は空前の盛り上がりを見せながら、結局は阻止することはできなかった。
しかし、当時見られなかった市民運動が多様に形成され、住民に根を下ろし、「民意」を形成する大きな原動力になっている。これは60年安保闘争以上に有利な側面です。
全国の自治体、地域で池田町のような組織が形成され、有効な宣伝・啓蒙活動、抗議活動などを展開すれば、安保以上に大きなうねりを作り出すことができるでしょう。沖縄に学び、沖縄に続けです。

日本弁護士連合会の異例ともいえる「安全保障法制等の法案に反対し、平和の人権及び立憲主義を守るための宣言」(以下「宣言」)を読むと、深い感銘を受けます。宣言は過去の侵略戦争に対しての反省について次のように述べます。

戦前、弁護士会は、言論・表現の自由が失われていく中、戦争の開始と拡大に対し反対を徹底して貫くことができなかった。

今なら、どのような態度表明も自由にできる。戦後70年を迎えて、日本国憲法の恒久平和主義に大きな危機が迫っているいま、声をあげなければまた戦前の轍をふむことになる。宣言は次のように書きます。

今、弁護士及び弁護士会が「基本的人権を擁護し、社会正義を実現する」という立場から意見を述べ行動しなければ、弁護士及び弁護士会は、先の大戦への真摯な反省と、そこから得た痛切な教訓を生かせないことになる。

「宣言」はこの法案がどこを切っても「憲法第9条」に違反していると明確に指摘し、集団的自衛権を容認したり他国軍隊を支援するために武力行使を可能にするこの法案の危険な狙いを明らかにしつつ、法案に反対する意志を明確に表明するのです。弁護士として、反対する理由は明快です。

戦争は最大の人権侵害であり、人権は平和の下でこそ守ることができる。

教育の現場で働く教師であればその立場から、医者や看護師ならばまたその立場から、様々にこの法案への関わり方があるはずです。小さな子をもつ親ならば、子ども達にどのような社会を贈ってやれるのか、私くらいの年なら孫たちにどんな社会で活躍してほしいのか、さまざまです。
現実に基地と向かい合って生活をしている沖縄や全国の基地周辺の人々なら、さらにその思いは切実なことでしょう。それらを何としても束ねたい。



  6月10日(水)
お天気がよかったためか、タウン情報紙が報道してくれたためか、今日もまたバラ園には大勢の人が訪れてくれました。おかげで数人のメンバーが朝から園内につめて対応に追われました。
明日はバラ祭りの準備の日。午前中テントを張ったり机椅子を並べたり、バラ園への道や駐車場の案内などの掲示を出したりと、これまた結構大変な準備があります。明日、明後日までは天気は持ちそうですが、なか日の土曜日はまた雨が降る可能性があり、ちょっと心配。梅雨に入ってしまったとはいえ、何とか雨が落ちないでほしいものです。




沖縄辺野古の大浦湾では、相変わらず海保による抗議カヌーの拘束が続いています。8日には数人が、9日には16人が拘束された模様、毎日のように琉球新報取材班がツイッターで状況を発信しています。
チョイさんの沖縄日記では、抗議船の船長であるだけにカヌー隊や抗議船での抗議行動の模様が具体的にリアルに報告されています。「翁長さん、もう待てない。ただちに埋立本体部分の岩礁破砕許可の取消を!」という悲痛な訴えも。
写真は泳いでスパッド台船にたどり着こうとする市民を拘束する海保職員(チョイさんの沖縄日記より)


先日訪問した沖縄東村高江のテントで座り込みをしている知人Yさんから個人の情報紙「やんばるのすわりこみ日記」が送られてきました。テントの担当日が月曜日なので、一週間に一度の記録ですが、高江のテントで起こっていることや訪問者の模様を克明に綴っています。
5月4日の記事に次のような出来事が紹介されていました。それは、ある40代の夫婦二人連れ(沖縄在住の高校教師という)が、「ここでどんなことをしているのか見に来た」と言ってテントを訪れ、質問を始めたというのです。その部分をそのまま紹介しましょうね。ある意味で興味深い。

夫妻:ここに座り込んでいる人は、3万とか5万とかもらってるんでしょ、みんなそう言っていますよ。
Yさん:え!!誰から?
夫妻:そう聞きましたよ。
Yさん:そんなことできるわけがありませんよ。
・・・・・・・・・・・・・・・
夫妻:『慰安婦』は韓国とか中国が造りあげた話で、そんなのいませんでしたよ。
Yさん:だって、この東村にも慰安所があったんですよ。沖縄には15カ所もあったんですよ。
夫妻:それは業者がつくっていたんでしょ。
・・・・・・・・・・・・・・・
夫妻:米軍基地をなくして中国が攻めてきたらどうするんですか?
私達はバリに行ってきましたが、テロがあった後でポリスが銃を持って凱旋門のところにいたので安心できましたよ。
・・・・・・・・・・・・・・・
夫妻:沖縄の米軍基地の地主が、金をもらうからいけないんですよ。すぐ返すように言ってくださいよ。
Yさん:私たちは地主を知りません。あなたが説得したらどうですか。


ざっとこんなやりとりが延々と続いたのだそう。「北部訓練場と日本政府が行っている現状、高江の今を丁寧に説明し、自分の思いを伝えてお引き取り願った、あ〜疲れた」とありました。そりゃ疲れるわ。
沖縄だって、こんなのいますよ。最も有名なのは 沖縄ネット右翼の筆頭ともいうべき「狼魔人日記」の著者(本名:江崎孝、1941年沖縄生まれ?)でしょう。多弁を弄し、あることないこと書きまくっているようです。これをあげたのは、こんな方もいるという例証としたいだけで、内容についてとやかくいうつもりは全くありません。気になる方はどうぞ。その素性についてはこちら
たぶん高江を訪問された高校教師という方もこのブログをよくお読みになっているようですね。軍用地料に関連する記事として朝日新聞の「封筒に5千円、沖縄軍用地料 『基地出てけ』言いづらい」という記事へのリンクが張ってありましたから。

私たちが沖縄にでかけたときにも、キャンプシュワブ前の座り込みテントでだったか、参加者にお金が渡っているというデマがまことしやかに流されていると聞いたことがありました。
沖縄タイムスでもかつてこんな記事があって、驚いたことがありましたから。
だいたいこんなデマを流す連中というのは、自分の体験をもとに言うのが通例。彼らが参加する場合にきっとたんまりお金をもらっているからなんでしょうね。誰かもきっとそうであるに違いない、いやそうだ・・・という調子。こっちが否定しても絶対にそうだとは認められないはず。そんな体験が体に染みこんでいるのですから。

大体この手の相手には、どう話そうともともと話を聞くということが出来ないのですから、受け流すしかありません。まじめに考えてそのような意見にも聞くべき面があるとでも言うなら共通の基盤はあるでしょうが、まず無理でしょう。40代の高校教師だとすれば悲痛・無残の極みですね。
だいたい自分の頭と体で感じ、考えぬき、悩み、反発し、苦しむという体験、他人と喜びや痛みを分かつという体験がなかったんじゃないでしょうか。
他人の思考をあたかも自分のそれであるように都合よく取り込んで如才なく振る舞う、これじゃ生徒がかわいそうです。生徒に心から同情しますね。

そんな話はともかく、沖縄での基地反対のたたかいは6月から7月にかけて新段階を迎えるはず。辺野古基金はすでに3億2千万円を超え、圧倒的県民がますます辺野古新基地建設にNoを突き付けている。翁長知事はいよいよ「政治生命をかけて」埋立承認の取消しを行うことになるしょう。

かたや国会では、安倍政権が身内からも攻められて谷垣幹事長などは引き締めにやっき。
それもそのはずで、6月5日に開かれた衆議院の平和安全特別委員会で中谷元防衛大臣が「現在の憲法をいかにこの法案に適用(「適応」とする報道もある)させていけば良いのかという議論を踏まえて、閣議決定をおこなった」(弁護士ドットコムNews)とやっちゃった。憲法を「安保法案」に適用させるというわけですから、憲法学者ならずとも怒り心頭に発するでしょう。
「明日の自由を守る若手弁護士の会」もこの問題をとりあげ、次のようにコメントしています。若手弁護士に拍手、がんばれ!

何を言っちゃってるんでしょうかね。
自分の言ってること分かってますかね?
とんでもないことを言ってますよ。
著名な憲法学者が違憲だと言っている安保関連法案も、行政府の裁量の範囲内だと言っちゃってますよ。
中身を置いといたとしても、憲法と法律や行政裁量の関係を全く理解していないですよ。

これは、日本の憲政史上最悪の発言と言っていいでしょう。
中谷防衛大臣には、国務大臣としての資質があるのかと思ってしまいます。
皆さん、こんな人たちに憲法を改正させていいんでしょうか?




  6月9日(火)
池田町でいま準備している「戦争法案に反対する池田町民の会」、思想信条をこえてできる限り沢山の方々を結集したいとの思いで、いろいろな人に声をかけているところです。
保守の立場の人たちでも、この法案がもし国会を通過したとして、そのあとの日本の行く手には大きな危惧の念を抱いていることがよくわかります。日本の「戦後」の骨格をつくった日本国憲法に私達の生活や安全は曲がりなりにも守られてきているのであって、この憲法が権力のあり方を束縛し、時の政府によって勝手なことができないしくみになっている。このことは現在誰でも認めることです。
それゆえ、自民党支持者であろうと、公明党支持者であろうと、日本国憲法に価値を見いださず、かつ立憲主義を否定する特別な人を除けば、政府提出の「安全保障関連法案」が示す内容は、集団的自衛権であれ「現に戦闘がおこっていない地域」への無限定な自衛隊派遣を認めることであれ、明らかに「憲法違反」であると認めざるを得ない。ここに幅広い町民組織の現実的実現性が存在します。
「束になって声をあげること」・・・これほど大きな力はないのです。声なき声という言い方もありますが、実際には声は上げなければ声にならない。「声なき声」を「大きな声ある声」に変える普段の努力こそがいま求められているのだと私は思うのです。
実はこの仕事こそ一番しんどいことでもあります。電話ひとつかけるにも構えがいりますからね。そして「えいやっ」と電話番号を押す。また直接訪問するときは、玄関先でチャイムを鳴らしながら「さているかないないかな、どんな反応が返ってくるかな」と思う瞬間が必ずあります。いま全国のすみずみでそうした地味で目立たないけれど将来の日本につながる貴重な営みが無数につくられつつあるのだと私には実感できます。

日弁連や憲法学者が声明を出してくれたおかげで、安保法案の危険性が浮き彫りになり、議論や反対運動が進めやすくなっています。
反対運動が盛り上がるにつれて自民党の焦りも高まっています。「違憲」発言をした自民推薦の参考人について二階俊博自民党総務会長は「そもそも、こういう人を呼んでくるのが間違いだ」とぼやいて、今後参考人を呼ぶときは慎重に選べと指示をだしたとか。「シンチョーに選べ」ったって3人しかいないのに、ドーするの?
また、中谷元防衛相が2013年、雑誌の対談で「政治家として解釈のテクニックでだましたくない」とのべ憲法解釈変更による行使容認はすべきでないと発言していたことが暴露され、いよいよ彼らのなかでの矛盾も表面化。
このような状況をうけて、東京新聞は、国会での「論戦の潮目が変わった」と書いていました。確かに、全国でいま自民党が演説会をやっていますが、6月7日の街頭演説では聴衆からの批判・怒りで一杯というかつてない事態が。
こちらのサイトでは、自民党の演説の声が聞こえないほどのカウンター聴衆に囲まれた写真があふれ、ブログには「自民党の街宣、聴衆のほとんどはカウンター側だわ笑」という書き込みも。(写真は新宿駅西口)


いよいよおもしろくなってきましたね。

バラ園は土日の盛況よりは少ないものの、間断なく訪問客があって、私を含めて役員は毎日対応に追われています。とくに昨夜から雨がまとまって降ったために、花は項垂れみじめな姿に。さっそく水を切ったり花殻を摘んだりして午前中一杯その作業を。
松本地域のタウン情報(信濃毎日新聞の地域情報版)がバラ園を紹介し、市民タイムスが今日ニュースを載せ、さらにさかのぼって6日には中日新聞が紹介記事を出してくれたこともあって、地元を含め大町、穂高、松本などといった地域からの訪問客がひっきりなしでした。







  6月8日(月)
6月4日に行われ衆議院憲法審査会での憲法学者3人の「違憲」発言が、いまも「大地震」のように波紋を広げ続けていますね。自民・公明のうろたえぶりも含めてです。
安保法案が「憲法違反」だと発言したことに対して、管官房長官は「まったく違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と記者会見で述べてしまった。それがまた波紋を投げかけている。「著名な?たくさんって?それは誰のことだ?」というわけです。
昨日のしんぶん赤旗のコラムは若手弁護士がつくる「明日の自由を守る若手弁護士の会」のホームページに紹介された記事について触れていておもしろかった。
実際、そのホームページを見てみましょうか。
明日の自由を守る若手弁護士の会
タイトルは「戦争法案は合憲って語る憲法学者、「たくさん」いるなら出てこーい」です。
その結論は、「賛成は誰か」と調べてみたら3人だった
よく調べてくれましたね。ホームページでは次のように書いていました。

ちょうどいい感じで、6月3日に「安保関連法案に反対し、
そのすみやかな廃案を求める憲法研究者の声明」が発表
されましたので、違憲だと断じる学者の方々がたくさんいる
こと(というか憲法を研究するほぼすべての学者が、戦争
法案が憲法に違反していると判断している事実)が分かり
ました。
それにしても、ちょっと、この図、笑ってしまいますね。



このホームページで載っている図について「ぜひ拡散にご協力ください☆(^^)/」とあるので、私も協力します。

その3人とは八木秀次、西修、百地章のお三方のこと。赤旗コラムはこれらの方々はいずれも安倍首相の「お友達」と言われる人たちですと書いていました。
確かに八木センセイは、第1次安倍内閣のときつくられた「日本教育再生機構」の理事長に納まった人だし、第2次安倍内閣でも「教育再生実行会議」の委員に指名されています。シンゾーさんの大切な大切なお友達なんですね。
百地センセイは「美しい日本の憲法をつくる国民の会」幹事長であらせられるし、日本会議の政策委員もおつとめですから、右派の論客としては欠かすことのできない重要な方なのです。
というわけで、もっといないかと探しまくっても・・・「いない」。さて、管さん、3人って「たくさん」なの?それとも、著名な学者先生がたくさん密かに潜んでいらっしゃる?
ま、言葉尻をとらえてどうだと言ってみたところで、屁とも思わない方々ですし、辺野古基地建設反対が8割を超えても「丁寧に説明し理解いただく」としか言えないお方なので、どうやら使う言葉がもう無くなってしまったらしい。「おかわいそうに」とご同情申し上げて今日のところはおしまい。
それより日本弁護士連合会が5月29日に発表した声明「安全保障法制等の法案に反対し、平和と人権及び立憲主義を守るための宣言」をしっかり読んでみましょう。圧倒的多数の憲法学者、弁護士が「安保関連法案」に反対して立ち上がっているという事実。重いものがあります。 PDF版はこちらからも入手できます。

さて、話は全く個人的なことに。
気が滅入るとき、皆さんはどうされるんでしょうね。気が滅入るといってもいろいろで、私の場合はもっばら自分自身が嫌になるといった意味。人からみると「ささいな」と思われることでも自分にとってはかなり深刻。そんなときってありません?
そんな自分を慰めてくれるのは時と場合にもよるのでしょうが、やっぱり好きな音楽・・・かな。この間また「Nella Fantasia」が聞きたくなって、聞いているうち、もともとの「ガブリエルのオーボエ」にたどりついて、心が洗われた。
この曲について昨年のいつだったかもちょっと触れたことがありましたっけ。しばらく忘れていたのですが、数日前に改めて聞いてしみじみ癒やされたのです。
心を鼓舞する、傷心を癒やす、共感する・・・音楽は人それぞれに受け取り方も感じ方も違います。押しつけるものでもないし、押しつけられるものでもない。けれども、いままでは心を素通りしていた曲や歌が、ある体験や心の変化とともに突然自分自身のこととして染みこんでくるということもあるのですね。
この曲は、歌がついたことや余りに沢山の演奏家や歌手によってカバーされたためにちょっと手垢が付いた感のあるものになってしまっていますけれど、そんなことに関わりなく、いろんな思いを詰め込んでついには「私の曲」になってしまっているのだと私には思えるのです。

YouTubeを検索すると、沢山のカバーがヒットします。映画を観て、モリコーネの思いを感じて、沢山の演奏を聴くと「これは違うんじゃないかな」というのも結構ある。反対に素晴らしい演奏もありますね。
Henrik Chaim Goldschmidtのオーボエ演奏は、映画の宣教師の思いをしっかり受け止めた深い響きをつたえる名演奏だと思いました。

実は、心に響いたのは歌付きの方が先だったのです(今は歌のない方が断然いい)。モリコーネを口説いて歌詞をつけたのはサラ・ブライトマンだったことはかつて書いたことがありました。当時のサラの歌声は確かにいいのですが、私にはしっくりこなかった。それよりAmici Foreverの女性ボーカル、ジョー・アップルビーの伸びやかで懐かしい音色の歌声に惹かれたのがそもそもだったのでした。
いちいち検索する労を省くため(もっぱら自分のため)、YouTubeからの4本をここに載せておくことにします。

まずはじめは映画ミッションから、はじめてこの曲のテーマが登場するシーンです。


続いて、Henrik Chaim Goldschmidtのオーボエ演奏。彼はデンマークの民族楽器のオーケストラMiddle East Peace Orchestraのリーダーでオーボエ奏者。オケラはThe Faroe Islands Philharmonic Orchestra(2009年)。こちらには彼の演奏のいろいろが。下の演奏の他に、彼がオーボエを担当するコペンハーゲンRadio Symphony Orchestaraのベートーベン3番第2楽章が入っていて大変印象的です。


3つめはAmici Foreverの Brooklyn Academy of Music's dramatic Harvey Theatre(2005年DVD)でのコンサートからだと思われる曲。これはYouTubeで直接みるしかありません(ただし、CDの録音の方が断然いい)。
You Tube Nella Fantasia

最後は、アメリカのジャッキー・エバンコ。何年か前のものですけど、目をつぶって聞けば年はいくつに聞こえる? これは全く違ったNella Fantasia。歌の内容に想像力を最大限に働かせて歌い込んでいるので、これはこれでいい。ただしこっちのトークショーのあとの歌の方がすごい。鳥肌が立ちます。もっとも、周りの方が商業主義のにおいに満ちていますけど・・・。こんな子がいたんだねえ(いまはもうすっかり大人っぽくなって肩の力が抜けた)。

Nella Fantasia lyrics
In my fantasy I see a just world
Where everyone lives in peace and honesty
I dream of a place to live that is always free
Like a cloud that floats
Full of humanity in the depths of the soul

In my fantasy I see a bright world
Where each night there is less darkness
I dream of souls that are always free
Like the cloud that floats

In my fantasy exists a warm wind
That breathes into the city, like a friend
I dream of souls that are always free
Like the cloud that floats



  6月7日(日)
昨日から一転して快晴の朝。北アルプスがきれいに見えました。たいていこの時期は靄がかかったようになってあまり山は見えないのですが、今年は例年とはちょっと違うようで、いつまでも山がくっきりと見えます。



さすがに山頂の雪はめっきり少なくなって夏山に少しずつ近づいていきます。そんな中で、はっきりとした雪形が1つ。蝶が岳の「蝶」の模様です。山頂付近に、雪が蝶のように残っていることから「蝶が岳」の名が付いたといわれるほど、きれいな模様です。




長野放送TVの放映と昨日の信濃毎日新聞の紹介記事のおかげで、昨日今日の土日のバラ園は大盛況。昨日は約200人、今日は約300人くらいの人がひっきりなしに訪問してくれて、園内はすでにバラ祭りが始まったかと間違うばかりの雰囲気でした。


バラ園に隣接するロッヂの会員の負担をきるだけ軽くするため、朝から何人かの会員が詰めて来訪者の応対にあたったり、バラの手入れをしたりと終日大変でした。
午前中、私は掲示をあちこちに出す仕事をしていたのですが、車は掲示通りに思うようには動いてくれず、修正したものをまた明日張り出さなければなりません。毎年試行錯誤が続きます。
今週はいよいよバラ祭りのウイーク。何とか乗り切らないと。









  6月5日(金)
長野放送TVから連絡があり、昨日収録したバラ園の模様を今日の午後6時15分から7時の間に放送することになったそうです。
「私は見ないからね」と言ったら奥さんが「何言ってんの」と一言ぐさり。自分が写るだけならまだしも、インタビューされているところなんて見たくもない。会員には連絡して都合のいい人は見てほしいと連絡しましたから、反応はいずれ聞くことができるでしょう。
問題は、新聞やテレビで紹介された直後のこと。沢山の人がドッとやってきます。大変なのはバラ園に隣接したロッジのYさん。外に出ないでおこうと思っても気になってつい出てしまうんだと言いますから、会員のメンバーで交代して訪問客を応対しなければいけませんね。というわけで、私も今日の午後から園に通って整備の仕事をしながら応対に努めようと思っています。

話は変わりますが、18才選挙権を内容とした公職選挙法改正案が4日衆議院を通過し、6月中旬にも成立の見通しといいます。それを聞きながら、自分の18才の頃を思い出していました。
私は1月生まれですので、18才になったのは大学に入る少し前。大学1年の4分の3は18才だったことになります。当時は1月15日が成人の日でした(1999年まで)から、19才になる直前の1月15日に仲間内で早々と成人式をやってしまったのでした。19才になった1965年7月には第7回参議院選挙が行われましたが、もうそのときは仲間たちとともに20才以上の学生たちを相手に自分の支持する政党への投票を訴えて選挙活動をやっていたんでしたね。いま考えると、よくそんなことをやっていたものだと感心しちゃいます。
今の学生たちには信じがたいことかもしれませんが、私の在籍した大学の政治意識にめざめた多くの学生の中では「普通のこと」だったようでした。私もあまり違和感を覚えず、なぜ20才にならないと選挙権がないのだとばかりかなり肩をいからせていた記憶があります。

18才選挙権だけが取り出されて「さあ、選挙できるんですよ」といわれても、いったいなぜそうなったのか政府も議員も十分には説明していません。私には選挙権だけが一人歩きし「成人」は依然として20才という方が不自然だと思いますね。そうでないと18才選挙権の説明がつかない。
学校でもどこでも「政治」とは何か色がついたもの、特別な人がやるもののようにみなして、全く公平でも中立でもない「公平・中立」を強要、極めて「政治的」に高校生や大学性を「政治」から遠ざける。歴代の自民党政権の金権・腐敗政治がそれに拍車をかける。
もっと社会の矛盾、労働現場の現実、政治の動きをリアルにつかみ取ることができる実践的教育、社会教育を作り出していかない限り、18才選挙権は「棄権」の大量生産という結果に終わってしまいかねないのではないでしょうか。
若い世代が、今日の政治をしっかり見つめ、自分の未来を託すに足る政治家と政党を選べるように、さらには自ら立候補し政治の世界で活躍できるように、その政治的力量をつけていってほしいと願わずにはいられません。



  6月4日(木)
朝バラ園に行ったらもう報道関係が来ていた。今年からテレビのローカル局(長野放送TV)にも案内を出していたので、早速取材に来てくれたのでした。
テレビでのインタビューというのは初めてですから、全てがさらされていやなもの。テレビ映りが良いのならともかく・・・です。そこは代表ですから仕方なく、バラ園の沿革、見どころなどを聞かれるままにお話しました。
今日はそれ以外にも、信濃毎日新聞、中日新聞、タウン情報の記者が来て取材。午前9時から12時までほとんど休みなく質問に答えたり、手入れの写真を撮ってもらったりと大変気ぜわしい半日でした。
昨日の雨でバラたちがすっかり項垂れて、それを起こしたり花殻を摘んだりもしなければならず、しかも今日は人数がいつもより少なかったので集まったみなさんはいろいろ忙しい思いをしたのではないでしょうか。
バラ祭りまであと一週間、新聞テレビで報道されると一気に訪問客が増えるので、ときどきバラ園に行っていなければならなくなります。すでに今日も昼時には宅老所のお年寄りが何人か職員に連れられて訪問してくれていました。
バラたちも何とか今の勢いを保って、美しい花を見せてほしいものです。




ところで、我が家にもバラは何本かあるんですが、バラ園の方に力が入ってほとんど忘れそうになっていました。気がついたら、きれいな花を咲かせてくれていましたので、これからしっかり手入れをすることを約束して写真を撮らせてもらいました。一番上は、ピエール・ド・ロンサールじゃないかな。大輪のつるバラですから大きな木になってほしいものです。






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沖縄では、翁長知事が訪米して精力的に政府要人などと話し合いを深め帰国の途につこうという今日、辺野古では3台目のスパッド台船(浮体の移動を止めるための海底に突き立てる柱[スパッド]を持つボーリングなどをするための台船)が設置されつつあり、琉球新報は「海底掘削(ボーリング)調査に使う台船が増えたことで調査が加速するとみられる」と書いています。
さらにキャンプシュワブ前では、工事車両の進入を阻止するために午前7時前からゲート前に座り込んだ200人近くの市民を、県警がごぼう抜きで強制排除(写真は沖縄タイムス)。強制排除すべきなのはスパッド台船の方じゃないの?県警さんよ。


海上でも市民の船やカヌー隊と海保とのにらみ合いが続いていると報じられています。依然として緊迫した状態が続く沖縄。
琉球新報社は沖縄テレビ放送合同の世論調査によると、普天間基地の県内移設反対が83%(移設賛成14%)にのぼり、ボーリング調査を止めるべきだとする人が71.6%(作業続行21%)と圧倒的多数が新基地建設に反対の意志を表明しています。
にもかかわらず、それらを全く無視して建設作業を続ける安倍内閣。もはやこれは完全なファシズム政権といわなければなりません。このやり方はいずれ国民全部に襲いかかる。

昨日、171人の憲法学者が安保関連法案は憲法違反であると断じ、その廃案を求める声明を発表しました。極めて「論理的で整合性のある」説得力ある声明です。
これに続いて、今日の衆議院憲法審査会で参考人質疑が行われ、参考人として出席した3人全員が安全保障関連法案について明確に「違憲」という認識を表明しましたね。
自民党・公明党・次世代の党推薦(与党推薦ですよ!)の長谷部恭男早稲田大学教授は「集団的自衛権の行使が許されることは、従来の政府見解の基本的論理の枠内では説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがすもので憲法違反だ。自衛隊の海外での活動は、外国軍隊の武力行使と一体化するおそれも極めて強い」と明快。小林節慶応大学名誉教授、笹田栄司早稲田大学教授も同様に「違憲」。
ところが、管官房長官はその後の記者会見でなんと言ったか。

「安全保障関連法案は去年7月に閣議決定した基本方針に基づいて整備を行っている。その考え方は以前の政府見解の基本的な論理の枠内で合理的に導き出すことができるものだ」
「憲法解釈として法的安定性や論理的整合性は確保されている。したがって、違憲という指摘は当たらないと政府は考えている」


どうやったら過去の政府見解の「論理」の枠内で「合理的」に導き出せるのでしょうかね。「法的安定性や論理的整合性」がどうやって確保されているのですか?それをこそこの3人が厳しく追及したことではありませんか。論理の欠如かそれとも想像力の欠乏か。アホらしくて聞いていられない。
学識経験者なんか「学識」をふりかざして勝手にほざいているのだから言いたいだけ言わせておけばいい、我々の憲法解釈が唯一正しいのだ・・・まさに辺野古で起きていることと同じですよね。自公独裁政権もここに極まれりという感があります。
こんな時はサンデー毎日のコラム『抵抗の拠点から』でも読んで溜飲を下げますか。



  6月3日(水)
ん、雨?窓を開けてみると確かに雨です。小さいながら雨音が聞こえるくらいですから本格的な雨、本当に久しぶりです。
1日おきくらいに畑に重たいポンプを持って行き、ホースを伸ばして水遣りをしていたことを思えば、ひと雨でしっかり水がしみこんでくれるのですから、作物にとっていかに雨が大切か身に”しみて”とわかります。しかもこんな日は畑にいかなくてもいいし・・・。


昨日からテレビ・新聞を賑わせている日本年金機構の個人情報漏洩の問題、開いた口がふさがらないというのはこのことです。最も厳格な情報管理が要求される「はず」のこの種の公的機関で、なぜかくも易々と情報流出が可能なのか、私にはさっぱりわかりません。
この事件の経過についてはこちらの情報がくわしい。
誰かが意図的にデータを持ち出したというのならともかく、マルメール付きのメールを開けてウイルスが作動、LANに接続された共有ファイルサーバーから個人情報が外にジャジャ漏れになってしまったという。この共有サーバーには、基幹システムから個人情報をコピペして置いてよいというルールがあるらしく、しかもメールを送受信できる端末からいつでもアクセスできるようになっていたというのですから、信じがたい。
日本年金機構のプレスリリースによると、ウイルスに感染した端末はネットから隔離、全システムをネットから遮断していると書いていますが、いつどのようにしたのか日付についての情報は全くありません。現在はっきりしているのはウイルス感染の端末がネットから隔離されたのは5月8日時点でその1台のみ。5月18日まで日本年金機構に10数通のメールが届いて、18日に東京本部職員が添付ファイルを開封・感染というのですから、10日間も外部とは遮断されず情報は漏れ続けだったということになります。
ネット上では、ここの職員が2チャンネルをつかっていろいろ書き放題だったという話もかなり流布されていて、彼らのレベルの低さにものけぞってしまいます。
情報管理システムは人が構築し人が管理するものである以上、システムの面からも、それを扱う人の面からも必ず盲点が生まれる。システムに不正アクセスしようとする者は両方をついてくるので、それに対処するには技術的にも組織的にもそれを遮断できるだけの対応が必要です。いまはやりの用語を使うと「ITガバナンス」ってことですかね。しかし相手も「さるもの」、日々研鑽を重ねてシステムを破ることのみを研究して無上の喜びを感じているのででしょうから、必ずいたちごっこになります。
「マイナンバー制度」がはじまって今年10月から番号通知が始まるということになっていますが、その情報は誰がどのように管理されるのでしょうか。
甘利さんは国会で「絶対に情報漏洩が起こらないといえるのか」と追及されて、「絶対にありません」と断言できず「絶対にないようにする」ですって。「絶対に情報漏洩がないようにしたけれど、想定外のことが起こり情報が漏れた」と言うための布石でしょうか。

さて、ただいま重要な会議を1つ終えて帰宅したところです。いよいよ池田町で「戦争法案」に反対する町民組織が始動することになりました。
何人かと語らってかねてから準備してきた「戦争法案に反対する会」の準備会を今日ひらいて、6月下旬発足集会を持つことで合意したのです。
集まったメンバーは多士済々。思想信条を超えて法案の廃案をめざすという一点で結集する幅広い組織の基盤ができあがったことになります。何よりも既存の団体のメンバーや影響力のある個人、これまでこうした活動に縁のなかった方々をも総結集した個人加盟の組織になる予定です。その意味では(沖縄は別として)全国に先駆けた画期的組織になるのではないかと内心強く期待しているのです。
これから正式の発足集会にむけて、具体的な準備作業を加速することでも一致し、私を含め3名が事務局を担うことになりました。当然ながら、まだ準備会ですのでメンバーの名前や準備作業についてここで明らかにするわけにはいきませんが、「会」が発足した暁にはこのブログでも詳細をお知らせし、活動の発展にそれなりの役割を果たさなければならないと考えているのです。
できればコンテンツを新しく増やして、活動の進行状況、全国情勢の紹介、会員の交流などが行えたらいいなと、これは今のところ単なる構想。私は7月1ヶ月は沖縄にいるので、ちょっとブランクが心配ですが・・・。強力な運営体制を敷くことができたので問題はないはずです。



  6月2日(火)
世界的に例のな規模と深さの地震。30日夜の小笠原沖の地震のことです。そのほんのわずか前の29日に起きた口之永良部島の噴火。いろいろな地殻変動のニュースが飛びこんでくるようになりました。何ともいやな地下の動きが続きます。
神戸大石橋克彦教授流にいえば「大動乱の時代」を予感させる天変地異がこのように重なると、次はどこだという気にもなってしまいます。・・・が、次はどこでもない、我と我が身のソバと考えた方がよい時代だということですね。

4年余り前に東日本で起こった地震・津波という天災と福島原発で起こった全電源喪失、炉心溶融による放射能の大規模拡散という人災の複合的大災害について、政府もマスコミももう忘れてしまったのでしょうか。どう考えても安倍さんはとっくの昔に忘れ去っているらしい。そうでなければ、川内原発の再稼働も原発の海外への売り込みなどという恐ろしいことができるはずがないからです。
川内原発の再稼働を求める九州電力に対して原子力規制委員会が出した結論は「合格」。
これに意義を申し立て意見陳述した15人のうち地震学者の石橋克彦さんは、規制委員会は想定する地震の揺れを過小評価しているとして審査のやり直しを求めています。
過小評価とは「耐震設計の基準とする揺れ=「基準地震動」を策定する手続きが規則で決められているのに、それを飛ばしている」(週刊朝日2014年10月4日)というもの。
基準地震動に関する規則では「内陸地殻内地震」「プレート間地震」「海洋プレート内地震」から複数選び、それらによる地震動を検討することになっているのだが「活断層による内陸地殻内地震しか検討しませんでした。プレート間地震と海洋プレート内地震については、揺れは震度5弱に達せず、原発に大きな影響を与えないとして無視したのです」(同)。
地震学的に規制委員会の想定は誤りであることを石橋教授等は指摘したのですが、規制委員会も政府もこれを無視。週刊朝日は「そういう技術的な話とは別に、規則に定められた手続きを飛ばしたのは、『耐震偽装』ともいえる大問題」と書きました。
さて、ひとたび過酷事故が再発したとき、いったい誰がどのように責任をとるのでしょうか。そのことを決めないままで再稼働をし、事故が起きて「想定外でした」はもはや通じない。福島を忘れているというのはこのことです。
そして原発の輸出。原発マフィアにとって、国内で販路がもはや閉ざされたも同然ですから、あとは海外に売り込むほかない。放射性廃棄物を日本政府が引き取っても(これは政府は否定)売り込んで儲ければ「あとは野となれ山となれ」。何か海外で事故が起これば企業の手に余るのだから、あとは国民の税金で政府が尻ぬいというお決まりのコースです。
原発企業にとっては、福島はただの不幸なアクシデントに過ぎないのですから、あんなことは早く忘れて「未来を見ましょう」というのでしょうかね。その未来とは、企業にとっては利潤だけしか見えていないが、国民にとっては福島の原子炉内の溶融した燃料棒を取り出す手段も時期も見えず、その廃棄方法も見えず、膨大にたまった放射性廃棄物と冷却水の処理方法も定まらず、危険だけが累積していく未来です。
当の国民もまた日々の生活に追われ、いつしか放射性廃棄物は遠くにあるから大丈夫と思い、被災地は復興のただ中にあり、いずれ完全に元通りになるから・・・と忘れるとなく忘れてしまう。そして気がついたら目も当てられない惨状の中にいた。何だかそんなシナリオが現実のものとなるような気がしてしかたがない。

さて、気分を変えて2つの話題。
1つは、今日届いたDVD「9条を抱きしめて」についてです。
「遅れてすみません」という詫び状があった通り忘れた頃に到着しました。約50分の記録映画で、アレン・ネルソンさんの語り、生い立ちとベトナム戦争従軍についてのアニメなどで構成されています。
日本に来て憲法第9条を英文で読んだときのショックは大きかったといい、これは日本だけではなく世界の宝なのだというアレンさん。
彼は日本全国の学校で、沖縄で平和について語り、憲法9条の尊さについて語り続けました。
日本の若者は実際の戦争を知らない。それは憲法第9条に守られているからだと語るくだりは、ベトナムで何人ものベトナム兵士を「殺した」自らの体験に裏打ちされているだけに、決して「空語」ではない。
残念ながら、アレン・ネルソンさんは2009年3月ベトナムでの枯れ葉剤の影響と思われる多発性骨髄腫のため61才の生涯を閉じました。彼が日本で残した足跡は大きい。
いま準備している戦争法案に反対する「有志連合」の集いで是非とも皆さんに見てもらおうと考えています。

2つめは今日の大糸タイムス。早々と「バラ祭り」についての広報記事を載せてくれました。


私は相変わらず畑の草刈り、水やり、家の前の法面の草刈りと草ばっかり刈っています。その合間にバラ会員用のニュースを作成し配布する手配をとりました。
バラ祭りまでまだ10日。何とか持ってくれと祈るような気持ちです。






  6月1日(月)
昨日は松代大本営跡の研修ツアーにでかけました。帰ってからは畑の水やりやらデスクワークなどで疲れてしまい1日終了。
遅ればせながら昨日のことを思い出しつつ、見学の模様について少し紹介しておきましょう。沖縄の南部戦跡などと違い、知る人ぞ知るややマイナーな史跡ですが、ここは「死ぬまでには一度訪れたい」重要な場所だというのが第1の感想でしたね。
タイムリーな企画をしてくれたのは地元の共産党ファンクラブ。近くにいながらいままで訪れたことがなかった場所だったので是非ともと思い参加したのでした。

さて、この松代大本営跡地というのは、敗戦の色濃い1944年(昭和19年)11月から翌年の敗戦の日8月15日まで9ヶ月にわたって急造成された「天皇、大本営、政府機関など国家機関中枢の移設場所」を指します。
44年6月のマリアナ沖海戦の敗北と7月のサイパン島陥落によって、首都東京をはじめ日本全土が米軍の空襲エリアに入ると、軍部は本土決戦を唱え45年1月に「帝國陸海軍作戦計画大網」を定めます。
その基本計画は、千島、沖縄、小笠原、台湾などで徹底抗戦して相手の出血をはかり時間稼ぎをし、その間に本土決戦の準備をするというもの。沖縄では、第32軍が配属され米軍の上陸作戦に向けて「捨て石作戦」に備え、本土では国民を根こそぎ動員して防衛陣地構築、基地・兵站施設建設、特攻作戦の準備などにあたるという文字通りの「一億総玉砕」作戦でした。

大本営の移動案を起案したのは大本営参謀井田正孝少佐だと言われています。1944年1月、井田から大本営の移設の進言を受けた富永陸軍次官は、その年の5月信州あたりに敵地を探すように指示を受け、東条内閣を後を継いだ小磯国昭内閣の杉山元陸相が10月4日建設命令を出したのです。
この移設計画は大本営に留まりません。天皇の皇居を移す(動座)、皇族の転居、大本営、政府省庁、放送局などの通信施設など権力中枢をすべて網羅する、いわば首都移転計画ともいえるものでした。
移設場所は松代町(当時)を中心として善光寺平に広がって、松代から最北の都住村(現小布施町)まで約22キロメートルもありました(青木孝寿著 「松代大本営 歴史の証言」新日本新書 以下「歴史の証言」)。移設計画の中心をなす松代町の地下壕は全部で3カ所、@象山(埴科郡清野村)に政府省庁・日本放送協会を入れるイ号倉庫(昨日はこの場所を見学してきた),A舞鶴山(西条村)に大本営、仮皇居を入れるロ号倉庫、B皆神山(豊栄村、東条村)に食料庫を入れるハ号倉庫からなります。(地図1)


そもそも何故長野・松代だったのかについては、岩盤が硬いことや本州の最も幅の広い場所であるなどいろいろ説明されていますが、最後の決め手になったのは「信州は神州に通ず」という神がかり的な発想であったこと。「国体護持」を実現することを目的とした本土決戦にむけて、国民にはあらゆる犠牲を押しつけるという発想が如実に表れています。
事実、この場所を建設するために動員された主力は強制連行を含む朝鮮人労働者で、多いときで7000人と言われています(「歴史の証言」)。彼らの飯場生活は過酷を極め、ダイナマイトの不発弾の処理、最も危険な掘削作業、食糧不足による栄養失調、暖房のない部屋でボロの藁布団、リンチにさらされていました。それらによる犠牲者数は敗戦時に証拠書類がすべて焼却されたために、いまもってわかっていない。

以下写真をもとに若干補足しておくことにします。


■上の写真は、イ号倉庫(象山)入り口です。この地下壕やロ、ハ地下壕を合わせると総延長は10キロメートルに及ぶ。


■入り口からすぐの地下壕通路 幅約4メートル(うち1メートルは通路、残り3メートルは部屋用)


■作業は掘削機の先端につけたロッドで穴をあけ、中にダイナマイトを仕込んで爆発させる。そのロッドの跡が随処に見られる。


■岩を運んだトロッコの枕木の跡


■敗戦直後、朝鮮人労働者によって書かれたと思われる文字


■このような穴が碁盤の目のように掘られている。


■朝鮮人犠牲者を追悼する碑。入り口すぐ脇に建てられている。沖縄での戦跡ガイド座波さんに深く学んで手を合わせてきました。今度行くときはお花を持って行きます。


■天皇を運ぶ車(装甲車仕様:後輪はキャタピラになっている)について説明する縣さん(ガイド)


■舞鶴山、皆神山を望む。


■記念撮影

先にも述べたように、この天皇「御座所」の移転、大本営移設が完了するまで戦争を長引かせようと「捨て石」にされたのが沖縄でした。これについては過去にも述べたことがあるので繰り返しません。
沖縄戦とリンクした長野・松代。そして生物・化学兵器・特殊兵器などを研究した陸軍登戸研究所。この移転先がまたまた長野(北安曇野、上伊那)であったという不思議な因縁(妻の郷里「沖縄」、私と妻の移住先「長野」、私の後半の勤務地「登戸」・・です!)。そんなことを強く感じながら、昨日はガイドの詳しい説明に耳を傾けていました。

莫大な国家予算と人力を費やして、「国体護持」だけのためにこんな地下壕を建設しようと本気で考える当時の権力中枢。その馬鹿馬鹿しさ。戦争とはこんなことを「正気」(のつもり)でやるのですね。
あの戦争は沖縄でも本土でも決して国民を守らなかった。むしろ国民を犠牲にして最後の一人まで忠君愛国を強要し、天皇制を守らせるためにあらゆる手を使った。安倍内閣はその戦争を決して誤りだとは言わない。むしろ自存自衛の戦いだといい募り靖国神社に参拝する。この場に来るとその欺瞞が手に取るようにわかります。
ガイドの縣さんは共産党ファンクラブのツアーであることを知ってか知らずでか、「不破哲三さんが奥さんといっしょに来てくれてガイドしました。おしゃれな方でしたね。志位さんも来てくれた。ここに来るのは共産党の方が多いね。でも自民党の関係もよく来ますよ。戦争はしちゃいけないとみんな言う。安倍さんとは違うね」と語る。
どの政党を支持するかしないかではなく、あの戦争末期、移転そのものは実行されなかったとはいえ、この信濃で莫大な浪費をして国家中枢を総移動させる計画がここまで行われていたことは知っておいてよい。そして、沖縄へ行き戦争の実相をその身で感じてくることも大切ではないでしょうか(もちろん時間とお金が許せばの話ですからね)。




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