MNEMOさんへ。秋の安曇野路、いいですよ。お友達とともに、ぜひぜひおいでください。大歓迎いたします。いくらでも泊まれますから。
ただ、10月25日過ぎになると、沖縄のおばあのお祝い「カジマヤー」にでかけます。10月上旬、中旬頃にしていただけるとありがたいです。
ちょっと忙しくて最近の「トーホグマン」の電子書籍化ができていません。ひょっとしたら8月になるかも。ただ、ポケットWiFiの機器を購入し遠隔地でもネット接続が自由にできる環境ができたので、沖縄から更新ということも可能かも。いや〜〜暑くてのびているのがオチだろうなあ。何とかがんばってみます。何しろ私が登場するのですから。
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元アメリカ海兵隊員アレン・ネルソンさんは、DVD「9条を抱きしめて」の冒頭、次のように語り始めます。
(海兵隊訓練校の)教官が私たちに聞きます。
おまえたちの仕事は何だ?
「殺しだ」と答える。
そんな声で聞こえるか。
さらに声を張り上げ「殺しだ」と答える。
まだ聞こえない。
ありったけの声で「殺しだ」と叫ぶ。
まるでライオンが吠えるような声で。
アメリカや日本などの多くの政府は
兵士が平和を守っていると主張しています。
しかし、訓練では平和のことは一切教わりません。
日々殺し方を教わるだけです。
池田町議会が今日の6月定例会で、「安全保障関連法案について」の陳情書を賛成6、反対5の僅差で可決しました。僅差であれ可決したことは、町民の良識を示したものとして歓迎すべきことです。池田町議会は賛成多数で陳情を採択した、このことの意味は極めて大きいものがあります。これは強調してもし足りないほどです。(今日の町議会での審議について私自身はネット配信で議会の様子を見ていました)
しかし、一方で大きな問題もありました。そのことを説明するために、順を追って経過を確認しておきましょう。
まず、この陳情の提出者は「戦争法案に反対する池田町民の会(準備会)」で、案文の起案者は私でした。陳情書の議会への提出締め切り日が先月末。当然そのあとに予定していた準備会の会議に間に合わなかったために、当初は提出者代表を私にして文書を先に出し、6月3日の準備会において「会としての提案」とすることを事後承認してもらいました。
この議会には、もう一つ「9条の会池田」からも請願書(紹介議員がいる)が出されており、これは「言葉がきつい」「例示が多い」などの理由で継続審議とされました。もちろん陳情、請願の趣旨は同じで、「法案の廃案を求める」ということでした。
いろいろ意見があるのはむしろ当然で、議論をたたかわせ、一致点を見いだして議会としての意見をまとめていくというのは当然踏むべき手続きでしょう。
さて、問題はその次です。さきほど「大きな問題があった」と書いたのは、今日の議会本会議である議員から次のような意見が出されたからです。私にすれば「晴天の霹靂」のような意見でした。
その意見の要点はこうです。(あとに発言全文を収録)。
陳情書で使っている言葉が極めて乱暴で、常識(良識?)の府である町議会で使うのは不適切。将来をになう子ども達にも教育上問題がある。実際驚きました。たまげました。
この議員の実際の質問の様子は、
UStreamの録画(16分44秒あたりから)として公開されていますので、誰でもご覧になれます。
これだけをお聞きの方は、私がどんな乱暴な陳情を出したのかと思われるかもしれませんね。彼の意見を聞きながら、これはどうしても反論せざるを得ない、そう考えて以下の文をしたためた次第です。
皆さんに理解していただくために、陳情書そのものをまず紹介しておきましょう。
私が陳情書を提出したのは5月29日。以下がその全文です。なお、陳情提出者について6月11日に補足書を議会事務局に提出。これも載せて転載しておきます。そこでは「町民の会準備会」を構成する合計8名の連名でこの陳情書を提出したことを伝えています。
タブレットではpdfファイルがダウンロードできない可能性があるので、htmlファイルも横につけておきました。
陳情書(pdf)、
陳情書(html)安全保障関連法案に関する意見書(案)(pdf)、
意見書(html)陳情提出者についての補足(pdf)、
補足(html)陳情書を提出後、これは議会で受理され委員会に付託されますが、その審議では3対1で陳情が可決、採択されました。そのうえで最終日の今日、本会議にこの案件が上程されたのです。事実経過はここまでです。
ここで、私が起案した陳情書および意見書案を見ていただきましょう。
「陳情の理由」では確かに「殺し・殺される」という言葉を使っていますが、「自衛隊員が後方支援(兵站活動)に参加することになれば、他国の戦場で自衛隊員が『殺し・殺される』立場に立たされることになる」という文脈で用いていることにご注意ください。
これを批判した議員が、言葉が小中学生にも聞かされないほど乱暴な言葉だということの例としてあげたのはこの一点だけです。しかし、この言葉は「陳情の理由」として述べたものであって、町議会から政府、国会に提出する案文である「意見書案」にはそのような言い回しは一切使っていません。果たして委員長も、当の議員もそのことをご存じだったのかどうか。
もともと陳情の理由というのは陳情者がどのような意図、意志をもってこの陳情をしたかを示すもので、政府などに提出する意見書の文面とは当然異なります。
さて、あらためて、意見書案をご覧頂きましょう。私とすれば、もっと激しい言葉で政府自民党の暴挙を糾弾してもよかったのですが、議会での審議を考慮し、可能な限り柔軟で分かりやすい言い回しにしたつもりでした。
このどこが乱暴で小中学生にも見せられないものでしょうか。
言わずもがなですが、私は戦争という人間集団の行為について、理解も見識もある議員諸氏を念頭において案文を起案したのであって、そのまま小中学生に聞かせる文章を提案したのではありません。議員諸氏に対しての文案としても、まさか、よもや、「いのちのやりとりをする」とか、「お亡くなりになる方がいらっしゃる」などとすれば適当だとお考えではありますまい。議会に対する文案と子どもたちへのメッセージとを混同されるのはいかがなものか。
日本弁護士連合会は声明の中で次のように述べています。
他国軍隊に戦闘地域で弾薬・燃料等を補給することは武力行使と一体化した戦争参加とみるべきものであり,相手国からの武力攻撃を受け,武力紛争へと発展する高度な危険を伴う。また,武器の使用権限の拡大も武力紛争のきっかけとなりかねない。いずれにしても,このような状況下で,現場の自衛官は,武器を使用して他国の人々を殺傷する立場に追い込まれ,自らが殺傷される危険に直面する。戦前の盧溝橋事件は,現場での兵士の武器使用が全面戦争のきっかけとなる危険があることを示しており,今改めてこの歴史の教訓に学ばなければならない。私の文章を乱暴だ、教育上も問題があると指摘した議員氏は「殺し」を「殺傷し」と言い換え、「殺される」を「殺傷され」と言い換えれば「きれいな」日本語になるとお考えなのだろうか。
私は、法案が全国民に関わる問題であり、賛成・反対を含めて議論するには時間が必要であり、今国会で数を頼んで拙速に採決すべきではない。十分すぎるほど慎重に審議すべきだという立場で、「廃案」という陳情に態度を保留もしくは趣旨採択の上「慎重審議」を要求されるのならば聞く耳を持ちましょう。全国の地方議会でそのようなところはいくらもあるのですから。また法案に賛成の立場から、この種の陳情もしくは請願に反対するというのもスジは通ります。
だが、次にみるように、「言葉の暴力」とまで最大限の非難の言葉を投げつけて、実はどうしたいのかは全く不明瞭という態度は私には全く理解不能なのです。
「戦争は絶対にいけない」と冒頭で発言されながら、よくわからない質疑をした別の町議についも同様です。改めてこうした議論に与した議員諸氏に聞きましょう。
どこがどのように言葉の暴力であり、どこが子ども達に聞かせられないほど乱暴なのですか。具体的に指摘していただきたい。
ベトナム戦争を体験したアレン・ネルソンさんが、全国の学校などを巡って戦争というのは「殺し殺される」ことだと訴えていることも、言葉の暴力なのでしょうか。学校現場では、彼の話が大きな感動をもって迎えられていることを付記しておきましょう。なお学校現場で、戦争が「殺し殺される」ものであることを避けた平和教育などあり得ないことも。
日本弁護士会も言葉の使い方を知らない集団なのでしょうか。それとも弁護士会はよくて、私の提出した文面がダメだとでもおっしゃるのでしょうか。
私は日本弁護士会と同様、「殺し殺される」戦争こそ最大の暴力であり、最大の人権侵害であると考える者の一人です。
ついでにお願いがあります。「きれいな言葉」で書いた意見書の模範というものをご自身でお書きになって直接見せて頂きたい。
では、ここで、さきの町議氏の発言をご紹介しましょう(どうぞ実際の録画映像といっしょにごらんください)。
念のために申し添えますが、私は発言者の人格攻撃を目論んでいるとか、全否定をするとか、そのような意味でこれを書いているのではありません。実際これまでこの方の議長時代にはいろいろとお世話になっていますし、共感をもってお話させていたことは沢山あるのですから。
ただ、事実と異なることは正したい。私の起案した文章に責任を負うという意味でのみ、かかった火の粉を振り払っているだけです。どうかご理解ください。
私は委員会の疑問点を答えて頂きたい。1つは委員長から陳情3号(「町民の会準備会」提出)と請願4号(「9条の会池田」提出)について、請願4号は言葉が乱暴だが陳情3号の方がましだという報告をいただいた。
私は陳情3号も請願4号も非常に言葉が乱暴。これは常識の議会としてはこういう言葉を使って陳情・請願するということは、これからの世の中をしょっていく子ども達にとって教育上問題があると私は思っている。
この法案は、安保の根幹に関わる、国民生活に影響を及ぼす重要問題であって、簡単にこの議会で賛成・反対ということを言うべき問題ではない。もっともっと大きな深刻な問題であると思っている。国民の十分理解が得られるようなことを討論すべきではないかと思っている。
いま中東・アラブ諸国で戦争ではなくて紛争が起きている。アメリカではテロ行為がある。毎日毎日亡くなっている。これを話し合いで解決するとよく言うが、話し合いで解決するのだったら紛争もテロも戦争も起きないはずだ。ですから私は法案というものは十分に備えをしておくことが必要ではないかと思っている。
そして私は陳情3号について非常に不快な思いをしているのは、ここに「他国の戦場で自衛隊員が殺し、殺される」こういう、私は言葉の暴力だと思っているんですね。こんなことをこの議場でもって使うべき言葉ではない。ですから私はこの陳情について、こんな言葉を使っていったらこれからの将来を背負った子どもの教育上・・・私は教育委員会のみなさんにお願いしたいんだが、こんなことが通用するかどうか、私は常にそう思っているんです。
ですから私は法案撤回というんじゃなくて、陳情書を撤回してもうちょっと懇切丁寧にきれいな言葉で書いてくるべきじゃないかなと思っている。
私が委員長にお願いしたいのは、「慎重審議を求めて」という言葉でまとまっていけなかったのか、ただ法案を撤回するだけの意見で通ったのか聞きたい。あとの判断は、これをご覧の諸氏におまかせすることにします。
(注)上の発言部分で「赤字」にした文字が2カ所抜けていました。校正上のミスですが、時間が経ってからの修正であることと、あるとないとでは発言の意味が変わってしまうので、お詫びして訂正します。