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HEAVEN青山
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私はそのころは沖縄ですので、逆立ちしてもいけませんけれど、この前のように従姉妹のヒロコが出かけてくれるはず。成功を願っています。
さて、富山在住の敬愛する先輩Hさんから届いた9条ファンクラブニュースレター。Hさん自ら「祝祭日」と「祝日」と題する小論を載せていました。
ここではその論考を紹介するというより、その中で触れられていた「明治の日」制定の動きについてちょっと考えておきたい。
今年は明治150年にあたるというので、会見右翼団体がしきりに動きを強めているということが一部の報道機関で紹介されていました。たとえば、昨年4月29日には「『明治の日実現を』昭和の日に集会」という記事が朝日新聞に載り、國學院大學大原康男教授が「祝日には、占領政策の残滓が残る。根拠があいまいな文化の日でなく、本来の形を取り戻そう」とよびかけたり唱歌や軍歌の披露もあったと書かれていました。
同じ朝日新聞11月22日付には、10月29日には明治150年を記念するシンポジウムが東京都内で開かれたことを紹介し動きが加速していることを伝えていたし、LITERA編集部も、「明治日本への憧憬、回帰願望は単なる懐古趣味と笑っていられる状況ではない」として、「明治の日推進協議会」なる団体の動きに警鐘を鳴らしています。
「明治の日推進協議会」のホームページを見ると、トップページには古屋圭司衆議院議員や例のごとく稲田朋美議員が顔を並べて祝辞を述べているのです。稲田氏に至っては「我が国近代化の夜明けは、大政奉還から王政復古を経たあの150年前に始まりました。坂の上の雲を仰ぎながら列国の圧力に屈せず国民一丸となって国力の増強に邁進した先人の労苦を思うとき、今更ながら感謝に耐えません」と語る。その時代錯誤の甚だしさといったらありません。
機関紙には「大政奉還」「王政復古」の「両者は、神武建国の原点に返ろうとするものであり、単なる政治体制の変革ではない」と「明治の日」制定の意図を露骨に示しているのです。
稲田さんも別のところでは「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるというのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」(11月2日:明治の日を実現する院内集会)とおっしゃっているのですから、みなさん心を一つにあの「古き良き時代に還ろう」というのでしょう。
サンケイに至っては、2016年11月3日、この日は戦前の「明治節」だったが法律の文面は「まるで新憲法の公布を祝しているようだ。明治天皇の誕生日という、本来の意義が全く失われてしまった」として「明治の日復活を急げ」とあおりまくる。
「日本のこころ」の西村真悟氏に至っては、自己陶酔の極致。すごいですね。
ここまでくるとLITERAの言うように「読むだに頭がクラクラしてくる」「正気の沙汰とは思えない」というのが正直な感想。
しかし、安倍の所信表明で明らかなように、この国の右翼的潮流は「日本会議」に完全に主導権をとられ、場合によっては日本会議にすり寄り、ときには先を争い、競って復古主義の空気をまき散らしているようです。
なぜこんなことがこの国で堂々とまかり通るのか、それほどに暗い流れがまだ太くこの国の地下を漂っているのか・・・暗澹たる気持ちになってしまいます。
しかし、よく考えてみれば、まともに街頭で一般聴衆に訴えて耳目を集めるほどの力はない。自分たちが国民多数を引きつけるような力がないことは十分にわかっている。だから、政権政党に食い込んで上からの力を借りながら一気に改憲と同時進行で野望を達成しようというわけです。日本会議の存在意義はそこにある。
この点については、毎日新聞が昨年書いたように、「衆院選で勝利した首相の最終目標が改憲であることは間違いない。しかも、来年は明治維新から150年の節目であるため、首相は「明治の精神」に学ぶ機運と改憲を絡めて盛り上げようとする可能性がある」という指摘は重要です。まさにそのように動いている。
とにかく世界史の流れ、世界の進歩の方向がどこにあるのかを見定めつつ、一つ一つの動きを、事実に即して潰していかなければならないでしょう。
彼らは日本国憲法は占領軍によってつくられたとは言うけれど、その占領軍つまり米軍の日本支配には一言も言えないだけではなく、自衛隊が占領軍によってつくられたとは決して言いませんね。
占領軍によってつくられた憲法に占領軍によってつくられた自衛隊を書き込むのですか。おやおや。支離滅裂です。
政府、右翼的潮流が「〜〜の日」を重視するのはなぜか。一つには学校における儀式を行う日として重視しているからです。
つまり、子どもたちに幼いときから「<ただならぬもの、畏敬すべきもの>を感じとらせ、<わけがわからぬまま>天皇とその国家の前にひれ伏す子どもや国民の『心』」(Hさん)を植え付けたいからなのです。
Hさんの論考に紹介されていたもう一つの事実をその証拠として紹介しましょう。
まずこちらの文書をごらんください。これは平成15年に東京都教育委員会が都立高校長、都立盲・ろう・養護学校長あてに出した通達です。戦前ではありませんよ、念のため。
私は一読して本当に背筋が凍る思いがしましたね。
学校教育の現場で一体なにが起こっているのか。これは現代に生き、かつ「アクティブ・ラーニング」などと声高に叫んで教育改革をすすめようとする人々の考えることなのか。東京都教育委員会の頭はどうなっているのですか、いやはや、心胆寒からしめるとはこのことです。
よい大学をお出になった方々がよってたかってこんなもんですか。恥ずかしくないのですかねえ。
1900(明治33)年、「小学校令施行規則」第28条によって、三大節(紀元節、天長節、1月1日)[後に明治節を加え四大節]に学校儀式を挙行し、儀式を次のように行うことを定めました。
第28条 紀元節、天長節及1月1日に於ては職員及児童、学校に参集して左の式を行ふべし
一、職員及児童「君が代」を合唱す
二、職員及児童は天皇陛下 皇后陛下の御影に対し奉り最敬礼を行ふ
三、学校長は教育に関する勅語を奉読す
四、学校長は教育に関する勅語に基き聖旨の在る所を誨告(かいこく)す
五、職員児及児童は其祝日に相当する唱歌を合唱す・・・(以下略)
Hさん、「この通達(東京都教育委員会)の画一的指示は、先に見た四大節の儀式次第と酷似しています」と書いていましたが、まるでうり二つではありませんか。いかに彼らが儀式を戦前と同じように考え実行しようとしているのかがよくわかります。
戦争は何も武器の製造・増強、法律の改悪だけによって近づいてくるのではありません。むしろ、こうした動きこそがそれを底辺から準備し支える。大相撲、北朝鮮、オリンピックと世の動きに見とれている間に、この国の根腐れは救いようがないほどに進行しているんじゃありませんか。