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  1月31日(月) 曇り         富山から雪だより

正月が来たと思ったらはや終わり。今年の一月は池田にも雪が良く降ったし、日本中が大雪や寒波に見舞われた月でした。
特に日本海側がひどかったですね。富山もニュースの全国版に良く出てきました。
その富山、福井が昨日から大変な大雪に見舞われたというニュースが今日もまた放送されました。福井では記録的な大雪で1100台以上の車が立ち往生だそうです。北陸自動車も通行止め、石川県でも60pを超える大雪、交通面に大きな影響が出ているそうです。
妹の旦那さんは今日が誕生日、「除雪除雪で疲れて大変だ」といっていました。56(ごーろく)豪雪に匹敵するくらいの大雪とのことでした。それに比べると池田はよく降ったとはいえ雪のうちには入りませんね。
そんなこんなしているところへ娘から大雪の証拠写真が送られてきました。カマクラを作って子ども達が遊んでいますが、隣では車がぐちゃぐちゃです。子どもには喜びの雪ですが大人は大変です。






こんな大雪の状況の中、雪には関係ない沖縄のことが放送されています。あまり関係ないかも知れませんが、沖縄に斉藤佑樹投手がキャンプ入りとのこと。空港は沢山のファンで賑わっていました。
ちなみに沖縄は12度。本土の人には温かく感じても、現地の人は寒〜い、寒〜い日でしょう。沖縄は急に天気が変わることがあるので明日から暖かくなるかも知れませんね。
日本ハムのキャンプ地は名護市、桜祭りはもう終わってしまったのですが、斉藤佑ちゃんが来るというのでコンビニでは定員を増やしてお客さんを迎える準備をしているとそうです。
北海道では「沖縄キャンプツアー」というもの組まれているそうで、今までよりも一番賑わうでしょうと言われています。明日からキャンプが始まるということですが、野球が好きでない人でもスターを見にいくそうですよ。過去に新庄選手で賑わったのですが、それ以上の人気だそうです。個人で沖縄の経済効果を高めるってすご〜いですね。



  1月28日(金)晴れ〜29日(土)晴れ        葬儀に

26日の水曜日、年末から休んでいたデーサービスのボランティアに久々に行ってきました。その日も雪がちらついて寒い日でした。大町は予想以上に雪量が多かったですね。
その夜息子から電話があり、「連れ合いの母親が亡くなった」という知らせでした。2日ほど前に昏睡状態になっているという連絡だったのでもしかしたらと覚悟をしていましたが早かったので驚きました。
この長寿社会で66才はまだ若造、もっと生きて孫の成長も見たかったろうにと思うと切ないですね。どうぞ安らかに寝眠ってほしいです。
金曜日が葬式になるかと予定をしていましたが、土曜日になったというので金曜日の朝にでかけました。道中乾いていて走りやすく、栃木もあまり雪は降ってなかったのでよかった。
お姑さんは手術のあと入退院を繰り返していて、12月に見舞いに行った時は痛みもなく元気そうでした。「もう治療しなくてもいいから隣の介護病棟にうつるんだ」と言っていました。
正月休みで一旦退院してきて、「病院には戻りたくない」と言って訪問看護になっていたようです。子ども達が言うには「死ぬなら畳の上で」と、もう感じていたのかも知れない。普段は同居している嫁の妹が看病していたのですが、息を引き取った時は長女(嫁)が付き添っていたという。お母さんはいつも長女を頼りにしていたので不思議ですね。
医者は当日は来られなくて次の日に来て死亡を確認したという(信じられない話です)。死亡診断書が27日になり葬儀が29日になったと言うわけでした。唯一千葉にお母さんの妹さんがいるので来ることになっていたようですが、心臓発作に襲われて緊急入院で来られなくなったそうです。
小さいときに父親とは生き別れ、女手一つで頑張って3人の子育てをして、「厳しい母だったけど優しかったし、この日を覚悟はしていたが実際に亡くなるととても悲しい」と、嫁さんは気丈にはしていましたが悲しみは隠せない様子でした。母の死は特別ですよね。
親の遺言だと言って葬儀関係は本当に簡素なものでした。葬儀屋さんは納棺と火葬場までの搬送だけ、お坊さんも火葬場でのお経だけでした。家の祭壇も最初はお花もないと言っていたのでうちからお花を一対依頼しました。あとで息子達夫婦の職場からお花が届いていました。
こちらから果物を買って持っていってお供えをしました。まだ30代の兄妹たちだけですので初めての経験、わからないのは当然。例え家族葬でもあまりにも淋しいのは可哀相でさす。私たちがいくらか手助けをしなければと思って助言をした次第です。これから49日まで宗派によってはいろんなことがありますが、必ずこうしなさいという決まりはないので3人で相談するようにいいました。










なんと言いましょうか、因縁とでもいいましょうか12月に見舞いに行ったのが息子の誕生日でした。今日葬式の29日は夫の誕生日です。またお祝いをしそびれてしまいました。夫は65才になり俗に言う「前期高齢者」、還暦のときもいろいろあり子ども達とお祝いをすることが出来なかったので、今度こそはみんな揃ってお祝いをしようと決めていたのですが、おじゃんになりました。
いつかは自分たちも来る道、「いい人生だった」といえるようにそれまで人生を楽しみたいと思いました。
夫を亡くした友人からも「旦那さんを大事にしなさいよ」と言われているのでいつもの「夫唱婦随」(いつもは「婦唱夫随」だと夫は主張しています)で行きたいと思います。



  1月23日(日) 晴れ       重なった町内の行事

夜のうちに降った雪が朝にはまた積もっていました。今日も降るのかと思いきや、だんだんと晴れて来ました。それでも山は曇って見えない。毎日寒い〜の連続です。
大寒に入り本格的な寒さが続いています。沖縄も11度まで下がっているようでおそらく「北海道だ〜」と言っているに違いない。

朝から忙しい日になりました。早くから公民館の清掃当番で、これには私が出ました。近所の8人が当番ですが、火の気がない公民館は寒い〜。男性の一人が「寒いから最低限にしよう」と言ったのでトイレ以外は掃き掃除だけで終わりました。玄関も滑るから水を撒くのを辞めて掃き掃除だけ。お陰様でいつもより早く終了しました。
寒いので「乗っていったら」と皆さん車に乗っていくように勧めて下さったのですが、行きも帰りも頑張って歩きました。それでも体はなかなか温まりませんね。
11時過ぎからの町内の「新年交流会」には夫が出ました。毎年今頃新年会を兼ねての交流会です。常会はいつも夜で夫は出られないので、今日は新年会を兼ねているので昼間ですから夫の出番。お酒が入るから私に出なさいよと言われましたが、町内の動きも知らなければいけません。
年末の常会は体の都合で欠席。近所の方が「役員に貴方の名前も上がっていたよ」と言われたので、そうだとすればなにか案内があるだろうと待っていたけどなしのつぶて。今日の常会で役員改選結果が正式に発表されたらしく、私が公民館の「副分館長」になったという。夫が「来年の副分館長だって」というから「来年の役員まで決めておくのか」と納得していました。
ところが役員の交代の案内が前役員からありました。びっくりです。4月から新年度の役員でした。本人に打診もないまま決まるのはおかしい、勤めていたら出来ない話です。夫に何らかの話はあったとしてもそこは本人に話すべきですよね。古いしきたりがいろいろあるようですが、仕方がない一年間頑張るしかないです。

夜は夜でまたまた「花いっぱい運動」の役が昨年から当たっていて、その反省会です。猛暑の中、水やり当番を分担して咲かせた花が写真に撮られていてすごく綺麗。その写真を役場に報告したらしい。この役は夫が出られないときは私が出ていたので今日の反省会も夜ですから私の出番です。
お蕎麦やさんの店を貸し切り、お酒を飲み、料理を食べながら今年度で終わる役員さんの慰労をしました。今日のように町内の行事が重なる時は一人で出る人の場合無理がきますね。そんな理由で欠席があり届けられる範囲のご馳走をお届けしました。
私たちは残り一年、従来の場所だけでなく「花いっぱい」にするところをもう少し広げられないか提案してみます。



  1月21日(金) 晴れ          年金者組合年頭行事

地面にはまだ積雪があり、凍結している場所もあるので運転には神経を使います。昨日が大寒、今が一番寒い時ですね。
今日の散歩は夕方の5時から出たのですが、随分日が長くなりました。まだまだ寒さは続きますが、気持ちは春に向かっています。

午後からは年金者組合のボーリング大会がありました。私は責任者であるYさんの補佐係です。これで3回目。寒い中ですが14人が参加されました。初めての方も何人かおられましたが、この年代の人は二十歳代にはボーリングが流行った時代で必ず一度は経験がある方々、「久しぶりだ」といいながら懐かしそうに投げていました。「ガター賞は私だ」といいながら投げている人など和気藹々の雰囲気でした。
男の人はハンディはない方がいいと言う方もいて、この方は昔取った杵柄?で結構上手でしたが、スペアがなかなか取れない。そこが久しぶりに投げたせいなのしょうね。少し練習すれば感覚が戻ると思います。
今大会は新たな試みで、昨年の大会のスコアから各自のハンディを計算してスタートをしました。私のスコアをゼロにしてその差をハンディとして計算したのだそうです。実際のハンディの出し方とは違いますが、皆さんに喜んでもらえたらいいですよね。信じられないくらいのハンディを貰っている方もありました
。私は現役アマチュアだから皆さんと違うのは当たり前、最初の年だけ優勝トロフィをいただきましたが、次からは表彰の対象外にしてもらいました。
表彰式には「打ったスコアよりハンディの方が大きい、さすが年金者組合」と苦笑いしていらしゃいました。「2ゲームだけど結構運動になるね」との感想もありました。
Yさんは出来たら年に2回はやりたいと意欲満々ですが、みんなの本当の気持ちはどうなんでしょうか。また参加しようと言う気になって下さればいいのですが。
終了後お茶を飲みながら「また行こうよ」という話になり、3人の女の方が練習に行く日を具体的に決めました。出来たら私にも参加してほしいと言うことになり了解しました。指導する実力ではありませんが、初心者にアドバイスくらいは出来るので一緒に楽しみたいと思いました。







  1月17日(月) 曇り時々雪            エースに入会

今まで降り続いた雪もようやく小降りになりましたが、積もった雪は簡単には融けません。2〜3日冬ごもりして外に出なかったので、私の車にはドカンと雪が積もっています。
今朝やっと久しぶりに新聞配達の手伝いに出ました。一面真っ白の世界です。道ばたのコンクリートの壁も白塗りになっていてとても綺麗です。除雪車も早くから活躍していました。私たちも帰宅してから通路の確保に除雪をしました。節空気が澄んでいて、ちょっとの晴れ間に雪がキラキラ光って何とも言えない外の風景です。ここから眺める山や町の景色も澄み切っています。


夕方には新しく入会したボウリングクラブの新年商品大会がありました。松本は寒いのですが雪はあまり降っていません。池田と松本はよく似ているのですが、今年だけは池田がよく降ったので「雪の中をようこそ参加して下さいました」とまるで田舎から出てきたみたいに労いを受けました。あまり楽しくないクラブの参加を減らして月一回の楽しいクラブに参加することにしたのです。
会員の半分は顔なじみ、あとは初対面です。商品大会というのは各自が一品を持ち寄って交換する大会です。
初めてだったのでどんなものを出せばいいのか知人に相談したのですが、家にあるものなんでもいいよと言われたので手作りのものを出しました。貰った人はどんな感想だったのか、少々気になりましたが。私が貰ったのは「赤ワイン」、そうか本当に何でもいいんだ。
従来は6ゲームのところ、新年だけは新年の挨拶などが控えているので4ゲームで終わり後はミーティングでした。このクラブは昨年一年間の表彰を正月にするそうで、初めは皆さんの表彰式がありました。次に一月だけは特別に4ゲーム表彰があるとのことで、私も早々に飛び賞があたりました。「こいつは春から縁起がいいわい」、2月からのリーグ戦頑張ろう。
夫婦ボーラーも何組かいるし、5月には名古屋に遠征もあるそうでなんだか楽しそうです。この年になったら楽しんで投げるのが一番です。



  1月16日(日) 雪         降り続く雪

今朝も雪、風邪気味で頭痛がするので、午前中ほとんど寝ていました。夫は忙しそうに2月に行われるシンポジュームの準備で飛び回っています。私は冬ごもりです。
木曜日富山から帰って、夜は友の会の会議でした。翌日は買い物もないので外出をしないで一日過ごしました。それからが大変。昨日から降り出した雪は今日も一日中降り続いてあり、3日間も外出していません。出るのが億劫になったからで、買い置きで食いつないでいます。
車は雪に埋まるほどひどくはありませんがそれでもかなり積もっています。池田に来てこんな冬は初めてです。車の出入りするところは夫が除雪をしています。
今年は夏が異常に暑かったので、冬も異常気象になるのではないかと予想はしていましたが全国的に大変ですね。今までが温暖化現象でこれが本来の冬でしょうか。しかしやっぱり冬は好きではありません。
富山の友人からのメールで、富山演劇鑑賞会が恒例の京都南座の前進座公演「切られお富」の観劇に行ってきたと報告がありました。やっぱり雪の天候だったそうですが、足止めもなく無事行って来たとのことでした。
何にしても雪道は神経を使います。若いときはそうでもなかったのですが、年を取ると気を使います。富山の友人達はこんな時よく車でくると感心していますが、毎年こんな状況だったらこれから先は電車にしないといけなくなるかも知れませんね。
夫は雪なんてなんのその、毎日雪の多い大町まで仕事に行っているので文句は言えませんが。昨日も昼は生徒さんが家に勉強に来て、夜はまた塾に行ってご苦労様でした。





  1月12日(水) 雪〜13日(木)雪           富山行き

最初は日帰りのつもりで出かけた久しぶりの富山。池田は雪がちらつく程度の天気でしたが、大町あたりから本格的な雪になりました。糸魚川までひどい雪でした。特に小谷は除雪車が沢山出て道路も混雑。高速に通勤時間割で入るために、毎回時間を計算して家をでるのですが今日は計算外でした。
富山も雪でした。「何も今日から悪くならなくても」とつい文句が出ちゃいました。「こんな天気だから夜は走らない方がいい、泊まって来たら」と夫も言ってくれたので泊まることにしました。

「こばと会」のメンバーとの食事会は新年の顔合わせでした。この年になるといろいろ病気も出てきます。帯状疱疹で痛いのを我慢して幹事をやってくれたKさんご苦労様でした。リュウマチがひどく夫の協力で出てくるNさん、旦那さんまで仲間になりました。
本日は1名欠席。オーストラリアは今凄い洪水で大変、そこに嫁いだ娘の事が心配だったのでしょう。今月末には自分たちも行く予定になっているので余計気になっているようでした。天気が悪いので食事だけで早々に解散しました。

夕方までには時間があったので買いものや他の用事を済ませました。遅くなると道路の凍結が心配だからあまり遅くならないうちに娘宅に急ぎました。
富山は新幹線の駅舎建設がかなり進んでいて、いままですっきりしていた場所に「おおっ!」とびっくりするような高い橋桁が出来ていて驚きです。
娘宅は皆さんまだお仕事中でした。孫の璃乃は4年生、ピアノのレッスンに行く準備中でした。ピアノは好きであまり休まないそうです。
娘が仕事帰りに連れてくる白玖斗は保育園からまだ帰ってなくて、暫くしてから賑やかになりました。
白玖ちゃんは4才、2月で5才になりますがこの頃は大人ぶって話もあまりしません。今はゲームに夢中です。成長の証ですが、ちょっと淋しい気もします。
12日は娘と孫の璃乃の誕生日です。アップルパイを作って持っていきました。家が自営業で遅くまで仕事をしているので食事はバラバラ。誕生日だからといって一緒に食事をするわけではないのです。
遅くにみんなの食事が終わってからケーキを食べました。ケーキを食べるときだけが誕生会です。璃乃は10才、娘は37才になりました。いつまで一緒に誕生日を祝うことが出来るでしょうかとしみじみ思いました。
昔は子どもの就寝時間は9時だと学校でも指導していたが、この頃はどうなっているのでしょうか。孫は二人ともいつまでも起きているので少々気になりました。リラックスしてゆっくり寝るのが成長ホルモンの出が良くなると言われているので、白玖ちゃんの場合は特に親が心配しないといけないところですが。私の方が眠たくなって早めに休ませてもらいました。




翌日は娘は職場のミーティングがあるからといって早めに出勤しました。孫は学校、集団登校です。夜なかなか寝付かれなくて朝方寝込んでしまったので二人の見送りは出来ずに申し訳なかったです。
白玖ちゃんはまだ朝食の最中でしたので、お話をしながら一緒に食べました。昨日から雪は降り続いているのでお客さんは遠のいています。白玖ちゃんの登園を見送り大型スーパーが開店するまでお世話になりました。

帰りはいつも魚の買い物。「富山は氷見の寒ブリが大量に水揚げされているので安いと思うよ」と言われたので早速行ってみました。開店早々にもかかわらず沢山の客で賑わっています。魚売り場はやっぱりブリの安売り、客でぶつかり合っています。ブリやイカ、カワハギなど沢山買って帰りました。
雪は降っているが高速はそれ程でのないのですが、スピードは出さずに安全運転で帰りました。吹雪いている時はトンネルがあると助かりますね。糸魚川で降りて池田まで帰りはそれほどひどくなくて助かりました。



  1月10日(月) 晴れ         正月の行事続々と

朝、雪がちらついていましたが、山からのこぼれ雪でしょう。
今日は成人式。各地で着物姿の人たちが映し出され。再会した旧友達と記念写真をとるなど賑わっていました。石川県では大雪で会場まで長靴で行って草履に履き替えるという場面もありました。日本全国いろんな形の式が行われたようです。松本や塩尻、安曇野は昨日行われたところが多かったようです。
平成も23年になり、元年生まれはもう23才になるのですね。平成生まれの成人者、式典の様子も様変わりしていますが、今の世の中をどんな目で見ているのでしょうか。

正月も松の内が過ぎると各地で「三九郎」という行事が行われています。この地域もここ2〜3日の間にありました。富山では「どんど焼き」。書き初めをはじめ正月の注連縄など飾り物を田んぼの真中で燃やすのです。びっくりしたのは沢山のダルマがありました。みなさん縁起物のものを何でも飾るのですね。
消防の出初め式も各地であり、新しい年がスタートしました。松本市ではあめ市が昨日から二日間にわたっておこなわれ19万人が参加したといいます。「上杉謙信が武田信玄に塩を贈った」と言うことからこの祭りが行われたようで、塩を入れた箱を真ん中において塩とり合戦を(綱引き)するそうです。面白いですね。これも長野県の大きな行事の一つ。「あめ市」は池田市でも行われます。

昨日は「バラ愛好会」がバラを植えるガーデン予定地に堆肥を作る作業にいきました。牛糞が急に届くことになったので人足が足りないのでそのお手伝いです。腰が完全ではないのであまり役には立ちませんが、足手まといにならない程度に手伝いました。
昨年暮れに役員さん達が枯れ葉(腐葉土)を集めて来て堆肥つくりの箱の中に入れてあったので、その中に届いた牛糞と糠をまぜて発酵させるのです。春までにはまだ早いかな。有機肥料を使って植える沢山のばら、きれいな花が咲くことを願っています。





  1月8日(土) 晴れ         沖縄では桜にヒマワリ

今日はいちだんと山が綺麗です。毎朝○×△で山の状況をチエックしていますが、今日は二重丸です。山が綺麗だと気持ちまですっきりします。3連休にはいるのでお出かけ日和、最高です。
天気がいい日はマレットの練習に行っていますがいつも満員です。冬場は閉鎖しているマレット場があり、内鎌は年中開放でここに集中しているようです。
始めて行った日は大会があるのかと思うくらいの人でした。ゆっくり練習もできませんが、運動にはなります。いつまでこの天気は続くか心配です。

今朝は一日遅れの「七草がゆ」を食べました。馬鹿げたことだと笑われるかも知れませんが、今年から縁起がいいというのはなんでも取り入れることにしました・・・。新年初打ち大会でダルマさんを貰ってきたので、目をいれて飾ってあります。今までの「苦しいときの神頼み」を反省して日頃から精進して福を呼び入れます。良き年になりますようにと。(初詣は行きそびれてしまったが)

久しぶりにラジオを聞いていたら、沖縄からの放送でした。ラジオカーが4日間沖縄を回っていて今日はその最終日でした。興味があったので良く聞いておりますと、北中城村の役場の前からの放送でした。
沖縄県は女の長寿日本一で有名です。沖縄の中ではこの北中城村が一番だそうです。ですから日本一と言うことになりますね。
この長寿を祝って毎年ミスコンテストが行われているそうです。ミスはミスでも80才以上の既婚未婚が対象です。
一位は「ミス・ガンジュウ」(とっても元気な人)。二位は「ミス・サラバンジ」(働き盛り)。三位は「ミス・チムチュラサ」(心がきれい)というように選ばれるそうです。元気なこの3人が出演して三線など得意芸を披露していました。新聞でも紹介されたようですが、ユニークでいいですね。
また村おこしとして「ヒマワリ祭り」もやっているそうです。これは夏ではなくて、今の時期です。1月から2月の終わりまでだそうで、びっくりですね。
沖縄の友人からのメールによると初日に「名護の桜」が放送されたそうですが、桜は1月の終わり頃が見頃でこれは有名です。でもヒマワリ祭りは初めてで見に行きたいです。冬本番で寒い時期にヒマワリのニュースはなんだか暖かく、一足早く夏が来たようです。
沖縄は街路樹に新しい花木が植えられていて、名産品なども研究が進んでいます。折に触れてアンテナを張っていないと取り残されそうです。



  1月5日(水) 晴れ           沖縄宜野湾市長のこと

昨日今日とまだ少し腰の痛みは残っているので、デイサービスのボランティアは大事をとって止めました。良くなっても用事などで出られるのは今月末からになるのかな。
正月から毎日天気続きで山も綺麗です。ついつい暖かいので中に入れてある植物を外に出し、日なたぼっこをさせました。春になったかのかと勘違いしてしまいました。
年賀状を見ていますと出していない人からも来ているので返事を書きました。沢山の賀状の中でも嬉しかったのは4才になる(2月で5才)孫の白玖ちゃんが頑張って自分で書いたという賀状でした。来春には1年生になるのでもうそろそろ字が書けるようになったのかと感動しました。
毎度の事ですが、沖縄の友人達からはあまり賀状が届きませんが、そんな中、高校の同期生から電話がありました。びっくりすると同時に嬉しかったですね〜。どうも喪中だったらしいのですが、案内もなかったので失礼をしてしまいました。
いつも思うのですが、人っていろいろですね。賀状だけでなく荷物を送っても届いたという返事もない人もいるし、賀状などは一枚も書かないのかと思うと楽ですね。
でも私はそんな人生は送りたくない。古い人間でしょうかね、義理や人情を大切に考えてしまうので。沖縄のテーゲー主義と言われるのも無理がありませんね。勿論そういう人ばかりではありませんが悪い方が目立つのですね。

ところで昨日の赤旗に沖縄の宜野湾市長と赤嶺参議員議員の「基地のない沖縄へー命どう宝ー」の対談が載っていました。
宜野湾市長は、11月28日に知事選と一緒に選挙が行われて勝利した安里新市長です。安里さんてどんな方かしらと思っていたので興味がありました。
伊波市政の継承を訴えて誕生したので、「今年の最大の課題は普天間問題の解決をなんとしても前に動かすことだ」と言っています。昨年12月に前原首相が沖縄で仲井真知事と対談して「辺野古移設が実現しなければ継続使用になると思う。そして普天間基地は危険だから隣接する学校や病院を移転する希望があれば協力する」という旨の発言をしました。
安里市長は直後に怒りのコメントを出しています。「危険なクリアゾーンの中には3600人もの人が住んでいる。その中で学校や病院だけ移転しても危険性は解決しない」と。
いま普天間飛行場の運用で守られていないのは「日米政府間合意の騒音防止協定」「飛行ルート」だといいます。安里市長は「日本政府が危険性の問題を言うなら、まずはそこを押さえなければならない。学校、病院移転問題は本末転倒だ」と言いきっていました。まさにその通りですよね。
さらに、「今年は普天間の『県内移設』を許さないたたかいを『ぶれずに、勇気を持って』やって行きたい」「地上戦を経験して肉親を失った沖縄県民に新しい基地をつくることを受け容れる余地はありません」とも。
「ぶれない勇気」・・この言葉が気に入りました。これで安心して市政を任せられるような気がしました。知事もぶれる方ですので、前途多難な面が多々あると思いますが頑張ってほしいと思いました。



  1月3日(月) 晴れ         ぎっくり腰

今日は新年初の赤旗の配達日。地域の配達の手伝いをしている夫のそのまた手伝いです。私たちは月曜日配達ですので時々休刊日があり嬉しいです。今月は昨日の日曜日が休刊日だったのでたまにはそんな日があってもいいですね。
まだ暗いので星空が綺麗でした。さすがに寒いときは犬の散歩や走っている人はありません。帰ってから再度布団の中に潜り込みました。ハルちゃんは知らん顔してまだ寝ていました。
今日から夫はまた塾の一日講習が始まりました。年末に3日、新年に3日、一日中大変だ。受験生には盆も正月もありませんね。
夫を送り出した後、洗濯物を下ろそうとして「ぎくっ」、ぎっくり腰です。いた〜い、正月早々何でそうなるのと。湿布とストックの痛み止めを服用して夕方頃まで寝ていると少し楽になりました。
曲げると痛いのですが、伸ばしていたら楽ですので買い物に行って来て、散歩も出来ました。夫が帰るのは夕方、夕食の用意も出来たし、れやれ大したことがなくてよかった。
でも長く椅子に座ったままでも痛いので夕食後はホットカーペットでゴロゴロ。こんな時コタツがあったらいいな〜。



  1月2日(日) 曇りのち晴れ           新年初打ち大会

昨日からお天気続き気持ちがいいですね。飯田市の方では年末からフキノトウが出て、出荷して喜ばれているとニュースがありました。日中は春のようですからありえますね。

私は新年早々、マレットの初打ち大会でした。高瀬橋の下には積雪がありびっくり。朝方も松川の山の方では雪が降っており、マレット場の方までチラチラ流れて来て心配されましたが大したこともなく天気になりました。
年末の打ち止め大会以来2回目の参加です。まだ様子がよくわからなくて池田町だけの参加かと思いきや、大町・松本・塩尻からも多数の参加がありました。昨年と同じく町長、議会議長、教育長も挨拶に来ていました。
100名以上の参加で開始、私は遠くから来た人たちと一緒でした。橋の南側に特設コースを新設しての大会で初めてのコースでした。力を入れすぎるとアウトになり力加減が難しく今までの練習のようにはうまく行きませんでした。男の人でも私のスコアくらいの人がいたので良かった。
お昼は餅つきがあり、お餅と豚汁でした。商品は「だるま」さん。優勝者には大きいだるま、飛び賞や参加賞とだんだん小さくなっていました。縁起物のこのだるまさんがほしくて参加したのだと言う人もありました。
私は中途半端でブービー賞やブービーメーカーという賞にもならず、参加賞でした。ちょうどいい大きさのだるまさんでした。
「大会慣れ」が大切だからどんどん大会に出なさいと言われていますが、いつか上手になる時があるのか。でもボーリングと同じかな。今はまあまあ打てるようになったが、初めの頃はやっぱり今と同じ気持ちでした。

夜はそのボーリングの初打ちでした。こちらも入賞や飛び賞にもならず参加賞でした。賞品はミカンでこれも色がついていました。新年早々、いい点数ではなかったけど、この一年精進して頑張ってみようかな。



  1月1日(土) 晴れ       静かな新年の幕開け

いつもとなんら変わりない一日が明けました。とてもお天気がいい朝です。2011年の新しい年ですが、正月という感じがしません。
今年の正月の例年と違うところは、子ども達が二人とも帰ってこないことと、そして正月に丸一日私が家にいることでしょうか。今まではみんなが帰ってきても私は勤めに出ていました。一番かき入れ時ですので超過勤務になり、家族を待たせていたのです。今年は年末から正月に掛けて信じられないくらいゆっくり出来ました。ですからいつもの生活の続きになりました。

今年の抱負はなんて考える年でもないし、健康で一年が過ごせたらいいなと言うくらいで平々凡々です。食事も簡単、お雑煮と簡単なおせち料理で済ませました。
後はニューイヤー駅伝を見ながらクイズと格闘の一日でした。正月の新聞は宣伝紙がたっぷり、分厚く重い。その至る所に大好きなクロスワードパズルがあります。
大型パズルで難しく嫌になり、気分転換に午後から散歩に出ました。天気はいいのですが、風が冷たく寒いので武装して出ます。耳当てにマスク、毛糸の帽子とアノラックを着ているので一見誰かわかりません。正月ですので会う人もなく道も静かでした。一時間少々歩いてきたのですが5時になってもまだ明るい、日が長くなったのを感じました。

帰宅するとはるちゃんがホットカーペットの上でグウグウ。人が来ると薄目をあけて見ますがまた寝ます。客がないので猫もリラックスしています。
この猫のことを時々は紹介していましたが、この家に来た経緯を紹介しますね。名前はただ単純に春にきたから「はる」。初めは雌だと思っていたので(獣医に行ったときに雄と判明)。
うちはコタツがないから常に暖かいところを求めて渡り歩いて寝ています。特に暖房の風が吹き出す下が好きで座布団の上で寝ています。猫も寒いと外に出ないで一日中でも寝ています。「寝る子=ねこ」とはよく言ったものです。
私たちが寝てしまうと必ずベッドに来ます。昼は夫にまつわりついて餌をねだったり膝に上ったり、勉強をしていると前に来て寝そべって邪魔をしていますが、夜は不思議と私の布団に入ってくるのです。夫の布団に入れても出てくるのです。エサのときだけすり寄ってくるので「オレはエサ係かよ」と怒っています。昼と夜を使い分けているのかと思うほど不思議です。
布団に入り、私のところに寄ってきて私の枕をして寝ているのでおかしくって笑っています。お陰で私は隅に追いやられて小さくなっています。まるで子どもみたいです。子ども達が小さいときでも川の字になって寝たことがないのですが、今は毎日川の字です。
猫は気ままで、自分かって。常に自分の意思で行動します。猫みたいに生きられたらいいなと思いますが、6年も一緒にいると可愛くなります。いないと淋しいものです。
勿論夫は私の何倍も上を言っていて誰よりも猫が可愛いのです。あれだけ中で飼うのが嫌だった私なのに、今は生活の上でなくてはならない存在になっています。不思議です。情が移るのですね。






初めてハルちゃんとご対面したときのことをちょっと思い出しています。今年は私がこの町に来て6回目の正月になります。初め住んでいた貸家は隙間だらけの寒い家でした。トイレまでの廊下も長く、母も健在で介護をしていたのでストーブを幾つも使っていました。その家には大きな納屋があってその中に一匹の野良猫(子猫)が住むようになり、夫は一年早くこの地に来たので「納屋の中に猫がいる、時々寄ってくる」などとよく話していました。
写真では見て知っていたのですが、引っ越して来て初めてご対面。黒に腹だけ白い、まあまあ可愛い猫でしたね。
夫は飼いたい様子でしたが、私は猫を飼ったことがなかったし、猫といえばテレビに出てくる「化け猫」のイメージしかありませんでした。手でふすまを開ける行為が気持ち悪くとても飼う気にはなれませんでした。「家の中には絶対に入れない」ことを夫に約束して外で飼い出しました。
冬になると夫は軒下に段ボール箱を置き、その中にアンカを入れて飼っていました。だんだんと夫の熱意に負けていつの間にか家の中に入れていました。自分のイメージよりも嫌な行為はしなかったので良かったのかもね。夫にどうしてあんなに抵抗したのかよくわかりません。
人見知りが強い猫で、子ども達や客が来たら姿を消してしまうので大変。「幻の猫」なんて言われるほど誰も見たことがありませんでした。

そんな猫も7年目を迎えた今はすっかり慣れて、餌をくれる人にはすりすり寄っていき、気ままに自由奔放に病気もしないで生活しています。夫婦のかすがいになっているのでそれでいいのですね。
猫を観察しているととっても面白い。長生きしてほしいと思うようになりました。







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